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  • 特開-鋼、および、浸炭焼入れ部品 図1A
  • 特開-鋼、および、浸炭焼入れ部品 図1B
  • 特開-鋼、および、浸炭焼入れ部品 図2
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  • 特開-鋼、および、浸炭焼入れ部品 図4
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】P2023097583
(43)【公開日】2023-07-10
(54)【発明の名称】鋼、および、浸炭焼入れ部品
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20230703BHJP
   C22C 38/18 20060101ALI20230703BHJP
   C22C 38/54 20060101ALI20230703BHJP
   C21D 1/32 20060101ALN20230703BHJP
   C21D 1/06 20060101ALN20230703BHJP
   C21D 7/06 20060101ALN20230703BHJP
   C21D 8/06 20060101ALN20230703BHJP
   C21D 9/32 20060101ALN20230703BHJP
【FI】
C22C38/00 301N
C22C38/18
C22C38/54
C21D1/32
C21D1/06 A
C21D7/06 A
C21D8/06 A
C21D9/32 A
【審査請求】未請求
【請求項の数】5
【出願形態】OL
(21)【出願番号】P 2021213789
(22)【出願日】2021-12-28
(71)【出願人】
【識別番号】000006655
【氏名又は名称】日本製鉄株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100106909
【弁理士】
【氏名又は名称】棚井 澄雄
(74)【代理人】
【識別番号】100175802
【弁理士】
【氏名又は名称】寺本 光生
(74)【代理人】
【識別番号】100134359
【弁理士】
【氏名又は名称】勝俣 智夫
(74)【代理人】
【識別番号】100188592
【弁理士】
【氏名又は名称】山口 洋
(72)【発明者】
【氏名】和田(五藤) 愛
(72)【発明者】
【氏名】祐谷 将人
(72)【発明者】
【氏名】堀本 雅之
【テーマコード(参考)】
4K032
4K042
【Fターム(参考)】
4K032AA01
4K032AA02
4K032AA03
4K032AA05
4K032AA08
4K032AA09
4K032AA11
4K032AA14
4K032AA16
4K032AA19
4K032AA21
4K032AA22
4K032AA23
4K032AA26
4K032AA27
4K032AA28
4K032AA29
4K032AA31
4K032AA32
4K032AA34
4K032AA35
4K032AA36
4K032AA37
4K032AA39
4K032AA40
4K032BA02
4K032CA02
4K032CA03
4K032CB02
4K032CC04
4K032CD05
4K032CF02
4K042AA18
4K042BA03
4K042BA04
4K042BA05
4K042CA02
4K042CA03
4K042CA04
4K042CA05
4K042CA06
4K042CA08
4K042CA09
4K042CA10
4K042CA12
4K042CA13
4K042CA14
4K042DA01
4K042DA02
4K042DA06
4K042DB07
4K042DC02
4K042DC03
4K042DC04
4K042DD03
4K042DE02
(57)【要約】
【課題】ガス浸炭焼入れおよび浸炭焼入れに供した場合に優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度を有する鋼、および優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度を有する浸炭焼入れ部品を提供する。
【解決手段】本実施形態一態様に係る鋼は、化学組成が、質量%で、C:0.10~0.30%、Si:0.80~1.10%、Mn:0.65~0.95%、P:0.030%以下、S:0.005~0.020%、Cr:0.35~0.65%、Al:0.010~0.100%、N:0.010~0.0230%、およびO:0.0020%以下を含有するとともに、SiおよびCrが1.7≦Si/Cr≦7.5を満たし、AlおよびNが1.0≦Al/N≦3.0を満たし、残部がFeおよび不純物である。
【選択図】なし
【特許請求の範囲】
【請求項1】
化学組成が、質量%で、
C :0.10~0.30%、
Si:0.80~1.10%、
Mn:0.65~0.95%、
P :0.030%以下、
S :0.005~0.020%、
Cr:0.35~0.65%、
Al:0.010~0.100%、
N :0.0100~0.0230%、および
O :0.0020%以下
を含有するとともに、
SiおよびCrが下記式(1)を満たし、
AlおよびNが下記式(2)を満たし、
残部がFeおよび不純物であることを特徴とする鋼。
1.7≦Si/Cr≦7.5・・・(1)
1.0≦Al/N≦3.0 ・・・(2)
ここで、式(1)及び式(2)中の各元素記号には、対応する元素の質量%での含有量が代入される。
【請求項2】
さらに、前記化学組成が、質量%で、
Mo:0.50%以下、
Cu:0.50%以下、
V :0.50%以下、
Ni:0.50%以下、
W :0.50%以下、
Bi:0.50%以下、
Co:0.50%以下、
Nb:0.10%以下、
Ti:0.20%以下、
Ca:0.0015%以下、
Pb:0.09%以下、
Zr:0.020%以下、
Mg:0.020%以下、および
B :0.007%以下、
のうち1種または2種以上を含有することを特徴とする、請求項1に記載の鋼。
【請求項3】
ビッカース硬さが280HV以下であることを特徴とする、請求項1または2に記載の鋼。
【請求項4】
芯部の化学組成が、質量%で、
C :0.10~0.30%、
Si:0.80~1.10%、
Mn:0.65~0.95%、
P :0.030%以下、
S :0.005~0.020%、
Cr:0.35~0.65%、
Al:0.010~0.100%、
N :0.0100~0.0230%、および
O :0.0020%以下
を含有するとともに、
SiおよびCrが下記式(1)を満たし、
AlおよびNが下記式(2)を満たし、
残部がFeおよび不純物からなり、
平坦部における、表面から50μm深さまでの領域の、平均のC濃度が0.65質量%以上であり、
前記平坦部における、前記表面から50μm深さの位置でのビッカース硬さが600HV以上であることを特徴とする浸炭焼入れ部品。
1.7≦Si/Cr≦7.5・・・(1)
1.0≦Al/N≦3.0 ・・・(2)
ここで、式(1)及び式(2)中の各元素記号には、対応する元素の質量%での含有量が代入される。
【請求項5】
さらに、前記芯部の前記化学組成が、質量%で、
Mo:0.50%以下、
Cu:0.50%以下、
V :0.50%以下、
Ni:0.50%以下、
W :0.50%以下、
Bi:0.50%以下、
Co:0.50%以下、
Nb:0.10%以下、
Ti:0.20%以下、
Ca:0.0015%以下、
Pb:0.09%以下、
Zr:0.020%以下、
Mg:0.020%以下、および
B :0.007%以下、
のうち1種または2種以上を含有することを特徴とする、請求項4に記載の浸炭焼入れ部品。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、鋼、および、浸炭焼入れ部品に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車、建設車両等の電動化に伴う駆動ユニットの小型化により、歯車等の機械駆動部品の更なる高強度化が求められている。一般的に、歯車等の機械部品では浸炭焼入れが施されることが多い。
【0003】
歯車では、歯がかみ合う際に歯に曲げ荷重がかかる。そのため、歯車の歯には曲げ疲労強度が求められる。さらに、歯車では短い周期で歯面同士が摺動する。そのため、歯面では、ピッチングの抑制が求められる。つまり、自動車や建設車両等に用いられる歯車に代表される機械部品では、曲げ疲労強度だけでなく、面疲労強度(ピッチング特性)も求められる。浸炭焼入れは、機械部品の面疲労強度の向上に非常に有効である。
【0004】
浸炭処理方法としては、従来多く用いられてきたガス浸炭処理に加えて、CO排出量が削減される真空浸炭処理が用いられるようになってきている。ガス浸炭処理とは、浸炭性ガス中で対象物を浸炭温度まで加熱することにより実施される表面処理である。真空浸炭処理とは、対象物を真空下で浸炭温度まで加熱し、次いで、浸炭性ガスを低圧で雰囲気中に導入する浸炭期と、対象物を真空雰囲気で保持して炭素を拡散させる拡散期とを1回以上設けることにより実施される表面処理である。真空浸炭処理では、ガス浸炭処理と比較して、以下に示す効果がある。
【0005】
真空浸炭処理では、炭化水素系ガスを炭素の供給源として利用する。そのため真空浸炭処理は、浸炭反応でCOを発生させない。従って真空浸炭処理は、地球環境にやさしい工程で部品を製造することができる。
【0006】
また、真空浸炭処理は、真空下または減圧下で浸炭を実施する熱処理である。そのため真空浸炭処理は、ガス浸炭処理で問題になる部品表層での粒界酸化層の生成を抑制することができる。ガス浸炭処理に供する鋼では、粒界酸化層の生成を助長するSi、CrおよびMnといった、酸化物を形成しやすい元素の含有量を高めることが難しかった。しかし真空浸炭処理に供する鋼では、酸化物を形成しやすい元素の含有量を高めることができる。さらに、Siは焼戻し軟化抵抗に優れる元素であることから、面疲労強度の向上効果を有する。そこで、真空浸炭処理に適した、浸炭焼入れ部品の素材となる鋼が求められている。
【0007】
しかしながら、真空浸炭処理を用いて浸炭焼入れ部品を製造すると、刃先部や歯元部などの角部で、過剰浸炭になりやすい。何故なら角部では、C拡散場の重複部が生じるからである。図7に、過剰浸炭が生じた浸炭焼入れ部品の角部の断面模式図を示す。C拡散場である浸炭部Xは、浸炭焼入れ部品の表面に沿って略均一な深さで形成される。浸炭部XのC濃度は、表面に平行な方向に沿って、概ね均一である。しかし角部Aの近傍では、C拡散場が重複するので、浸炭部XよりもC濃度が高い過剰浸炭部Yが形成される。
【0008】
過剰浸炭部Yでは、破壊の起点となる粗大なセメンタイトが形成されやすい。そのため、過剰浸炭部Yでは、曲げ疲労強度、面疲労強度が不十分となる場合がある。また、真空浸炭処理後の部品加工時(研削等の歯切り工程やショットピーニング工程など)に、粗大なセメンタイトを起点とした割れ、欠けを招く恐れもある。とくに、歯車、CVTプーリなどの角部が多く存在する表面形状を有する浸炭焼入れ部品では、真空浸炭処理に伴う角部の過剰浸炭に起因する、曲げ疲労強度の劣化が問題となっていた。
【0009】
さらに、需要家が鋼の調達を効率化するために、ガス浸炭処理および真空浸炭処理のどちらを適用しても疲労特性に優れた部品を製造可能な鋼が求められている。しかしながら、真空浸炭処理に適した化学成分と、ガス浸炭処理に適した化学成分とは必ずしも一致しない。通常の鋼においては、その化学成分が、真空浸炭処理、またはガス浸炭処理の一方に最適化されている。一方の処理に最適化された鋼に、他方の処理を適用したとしても、好適な疲労強度が達成できない場合がある。
【0010】
上記の真空浸炭処理を施した浸炭焼入れ部品における、角部の過剰浸炭の問題を解決すべく、従来、種々の対策が提案されている。例えば、浸炭焼入れ部品の表層における炭素濃度が低くなる条件で、真空浸炭処理を行なう方法がある。
【0011】
具体的には、特許文献1には、減圧浸炭工程を、炭素の拡散速度が速い歯形部の歯面または歯底の表面浸炭濃度が0.65±0.1質量%の範囲内となる条件で行う鋼部材の製造方法が記載されている。
【0012】
特許文献2では、浸炭前の鋼板中のセメンタイト中の最大Cr濃度を23%以下にすることにより、鋭角形状の部品においても浸炭焼入れ後のセメンタイトの析出を抑制することができると記載されている。具体的には、特許文献2の真空浸炭用高炭素熱延鋼板では、質量%で、C:0.10%以上0.30%以下、Si:0.20%以上0.80%以下、Mn:0.25%以上1.00%以下、P:0.03%以下、S:0.010%以下、sol.Al:0.10%以下、N:0.01%以下、Cr:0.05%以上0.80%以下およびB:0.0005%以上0.0050%以下を含有し、残部がFeおよび不可避的不純物の成分組成と、フェライトおよびセメンタイトを含むミクロ組織を有し、該ミクロ組織は、フェライトの面積率が80%以上、フェライトの平均粒径が5μm以上25μm以下、全セメンタイト中の最大Cr濃度が23質量%以下および、全セメンタイトの平均間隔が1.0μm以上とする。
【0013】
特許文献3では、真空浸炭した際にエッジ部に生じる粗大セメンタイトを無害化した浸炭部品が記載されている。具体的には、特許文献3の技術では、真空浸炭処理後の冷却工程において、500℃以下に冷却したのち、浸炭部品を800~900℃に再加熱して焼入れる。エッジ表層部のミクロ組織がパーライト・ベイナイトである場合、再加熱により鋼中のセメンタイトが溶解し始め、セメンタイトが分断される。そのため、エッジ部に微細なセメンタイトが形成される。その場合の浸炭部材の化学組成は、C:0.10%以上0.30%以下、Si:0.05%以上0.80%以下、Mn:0.30%以上2.00%以下、P:0.06%以下、S:0.006~0.10%以下、sol.Al:0.010%~0.1%以下、N:0.025%以下、Cr:0.5%以上3.0%以下である。
【0014】
特許文献4では、Si、Ni,Cuを高くし、Cr濃度を低くすることで、エッジ部の粗大なセメンタイト生成を抑制することを提案している。具体的には、特許文献4の技術では、重量%で、C:0.1~0.3%、Si:0.5~3.0%、Mn:0.3~3.0%、P:0.03%以下、S:0.03%以下、Cu:0.01~1.00%、Ni:0.01~3.00%、およびCr:0.3~1.0%、Mo:2.0%以下、Al:0.20%以下およびN:0.05%以下を含有し、残部が不可避な不純物およびFeからなり、[Si%]+[Ni%]+[Cu%]-[Cr%]>0.5の条件を満たす合金組成を有する浸炭用鋼を部品形状に成形し、真空浸炭により浸炭する。
【0015】
特許文献5では、Si量を高くし、Cr量を低くすることで鋭角のエッジ部を有する浸炭部品を製造した場合にも、過剰浸炭を抑制し、かつ、Mn量を高めることで、芯部の硬さも高い真空浸炭用鋼について記載している。具体的には、特許文献5の真空浸炭用鋼は、質量%で、C:0.10~0.30%、Si:1.41~2.50%、Mn:1.40~3.00%、P:0.030%以下、S:0.060%以下、Cr:0.01~0.59%、Al:0.010~0.100%、N:0.003~0.030%、Mo:0~0.20%、Cu:0~0.20%、Ni:0~0.40%、Nb:0~0.10%、Ti:0~0.100%、及び、B:0~0.0030%を含有し、残部がFe及び不純物からなり、式(1)で定義されるfn1が0.90以上であり、式(2)で定義されるfn2が0.50以下である。
fn1=Si-Cr (1)
fn2=Si-0.8×Mn (2)
ここで、式(1)及び式(2)中の各元素記号には、対応する元素の含有量(質量%)が代入される。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0016】
【特許文献1】国際公開第2009/131202号
【特許文献2】特開2021-21105号公報
【特許文献3】国際公開第2014/034150号
【特許文献4】特許第4254816号公報
【特許文献5】特許第6838508号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0017】
上述のように、浸炭焼入れ部品の角部における過剰浸炭を抑制する提案は複数されている。しかし、前述した従来の技術には、以下に示す問題点がある。
【0018】
特許文献1では、歯面または歯底の表面浸炭濃度が0.65±0.1質量%の範囲内である部材を提案している。しかしながら、鋭角の角部の過剰浸炭を抑制するために、真空浸炭処理時において浸炭部品の表層の炭素濃度を低くなるように調整した場合、浸炭部品の角部以外の部分(平坦部)において炭素濃度が不足する。この場合、浸炭焼入れ部品の表層硬さが低下し、曲げ疲労強度が低下する。
【0019】
特許文献2では、浸炭前の鋼板中のセメンタイトの最大Cr濃度を23%以下にすることにより、鋭角形状の部品においてもセメンタイトの析出を抑制することができると記載されている。しかし、特許文献2は、表層炭素濃度が0.6%程度である部品を想定した文献である。これを超える表層炭素濃度を必要とする部品、すなわちより硬く、面疲労強度および回転曲げ疲労強度がより高く求められる部品への適用を想定したものではない。実施例で表層炭素濃度が0.6%Cとなるように浸炭条件を制御していることを考慮すると、特許文献2に記載の技術では、表層炭素濃度を下げたり、浸炭期および拡散期の温度および時間を厳密に制御したりしなければ、角部におけるセメンタイト生成を抑制することはできないと考えられる。
【0020】
特許文献3では、真空浸炭熱処理後の冷却工程において、500℃以下まで冷却したのち、800~900℃まで再加熱し焼入れることで、粗大セメンタイトを分断し、微細セメンタイトを析出させた浸炭焼入れ部品が記載されている。しかしながら、実際の操業においてこのような製造条件を実現するためには、再加熱工程を新たに設備導入する必要が生じうる。また、再加熱によって、製造コストや製造時間が増加するため、特許文献3の技術によれば、製造工程負荷が増加する。したがって、特許文献3に記載されているような再加熱を必要としない、真空浸炭用鋼および部材の提供も必要である。
【0021】
特許文献4では、Si濃度、Ni濃度、およびCu濃度を高くし、Cr濃度を低くすることで、角部の粗大なセメンタイト生成を抑制する浸炭焼入れ部材を提案している。この浸炭焼入れ部材によれば、平坦部の炭素濃度を下げたり、浸炭工程において再加熱を実施したりすることが不要であるとされる。しかしながら、特許文献4の技術ではCuやNiを積極的に含有させるため、鋼材コストが高くなることを避け難い。また、特許文献4に開示された化学成分において、Si量が高い範囲では、ガス浸炭時に浸炭阻害が生じる。従って、特許文献4に開示された技術は、ガス浸炭に適した鋼材および部品を提供可能なものとは言い難い。
【0022】
特許文献5では、平坦部の炭素濃度を下げたり、浸炭工程において再加熱を実施したりしなくとも、Si量を高くし、Cr量を低くすることで、鋭角の角部を有する浸炭焼入れ部品を製造した場合にも、過剰浸炭を抑制し、かつ、Mnを1.4%以上添加することで、芯部の硬さも高い真空浸炭用鋼について記載している。しかしながら、Si量およびMn量ともに高い場合、圧延硬さや焼準後の硬さが非常に高くなり、製造性、加工性が課題となる。また、特許文献4に開示された化学成分では、Si量が非常に高い。このSiが、ガス浸炭時に浸炭阻害が生じさせる。そのため、特許文献5に開示された技術は、ガス浸炭に適した鋼材および部品を提供可能なものとは言い難い。
【0023】
上述のように、角部のセメンタイトを抑制するために、特許文献1、2および3では、平坦部の炭素濃度を下げたり、再加熱処理を実施したりしている。また、特許文献4および特許文献5では、角部の粗大なセメンタイト生成を抑制することが可能な化学成分を有する浸炭焼入れ部材や浸炭用鋼が提案されている。しかしながら、浸炭条件に関する特許文献1~3の技術では、平坦部の面疲労強度の低下、および製造工程の煩雑化が問題となる。浸炭用鋼の化学成分に関する特許文献4および5の技術では、合金コストの高騰、および合金添加による過剰硬化が問題となる。これらの問題を解決するために、特許文献1~5とは異なる手段により、浸炭処理を実施して浸炭焼入れ部品とした場合に、優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度が得られる鋼が求められている。
【0024】
本発明の目的は、ガス浸炭焼入れおよび真空浸炭焼入れに供した場合に優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度を有する鋼、ならびに優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度を有する浸炭焼入れ部品を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0025】
本発明者は、上記課題を解決するため、鋭意検討を行った。すなわち、真空/ガス浸炭処理前の鋼の成分組成と、真空浸炭処理後の鋼、即ち真空浸炭焼入れ部品の角部の粗大なセメンタイト生成との関係や、真空/ガス浸炭処理前の鋼の成分組成と、真空/ガス浸炭焼入れ部品の表層硬さおよび表面炭素濃度との関係について検討し、以下の知見を得た。
【0026】
本発明の要旨は以下の通りである。
【0027】
(1)本発明の一態様に係る鋼は、化学組成が、質量%で、C:0.10~0.30%、Si:0.80~1.10%、Mn:0.65~0.95%、P:0.030%以下、S:0.005~0.020%、Cr:0.35~0.65%、Al:0.010~0.100%、N:0.0100~0.0230%、およびO:0.0020%以下を含有するとともに、SiおよびCrが下記式1を満たし、AlおよびNが下記式2を満たし、残部がFeおよび不純物である。
1.7≦Si/Cr≦7.5・・・式1
1.0≦Al/N≦3.0・・・式2
ここで、式1及び式2中の各元素記号には、対応する元素の質量%での含有量が代入される。
(2)上記(1)に記載の鋼では、さらに、前記化学組成が、質量%で、Mo:0.50%以下、Cu:0.50%以下、V:0.50%以下、Ni:0.50%以下、W:0.50%以下、Bi:0.50%以下、Co:0.50%以下、Nb:0.10%以下、Ti:0.20%以下、Ca:0.0015%以下、Pb:0.09%以下、Zr:0.020%以下、Mg:0.020%以下、およびB:0.007%以下、のうち1種または2種以上を含有してもよい。
(3)上記(1)または(2)に記載の鋼では、ビッカース硬さが280HV以下であってもよい。
(4)本発明の別の態様に係る浸炭焼入れ部品は、芯部の化学組成が、質量%で、C:0.10~0.30%、Si:0.80~1.10%、Mn:0.65~0.95%、P:0.030%以下、S:0.005~0.020%、Cr:0.35~0.65%、Al:0.010~0.100%、N:0.0100~0.0230%、およびO:0.0020%以下を含有するとともに、SiおよびCrが下記式1を満たし、AlおよびNが下記式2を満たし、残部がFeおよび不純物からなり、平坦部における、表面から50μm深さまでの領域の、平均のC濃度が0.65質量%以上であり、前記平坦部における、前記表面から50μm深さの位置でのビッカース硬さが600HV以上である。
1.7≦Si/Cr≦7.5・・・(1)
1.0≦Al/N≦3.0・・・(2)
ここで、式1及び式2中の各元素記号には、対応する元素の質量%での含有量が代入される。
(5)上記(4)に記載の浸炭焼入れ部品では、さらに、前記芯部の前記化学組成が、質量%で、Mo:0.50%以下、Cu:0.50%以下、V:0.50%以下、Ni:0.50%以下、W:0.50%以下、Bi:0.50%以下、Co:0.50%以下、Nb:0.10%以下、Ti:0.20%以下、Ca:0.0015%以下、Pb:0.09%以下、Zr:0.020%以下、Mg:0.020%以下、およびB:0.007%以下、のうち1種または2種以上を含有してもよい。
【発明の効果】
【0028】
本発明に係る鋼によれば、ガス浸炭焼入れおよび真空浸炭焼入れに供した場合に優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度を有する鋼、ならびに優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度を有する浸炭焼入れ部品を得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0029】
図1A図1Aは、ガス浸炭処理における、浸炭処理工程および焼入れ工程でのヒートパターンの一例を示す図である。
図1B図1Bは、真空浸炭処理における、浸炭処理工程および焼入れ工程でのヒートパターンの一例を示す図である。
図2図2は、実施例で作製した角部ミクロ用試験片の正面図である。
図3図3は、実施例で作製した小ローラ試験片の側面図である。
図4図4は、実施例で作製した回転曲げ疲労試験片の側面図である。
図5図5は、実施例で作製した大ローラ試験片の正面図である。
図6図6は、実施例における二円筒転がり疲労試験の模式図である。
図7図7は、過剰浸炭が生じた浸炭焼入れ部品の角部の断面模式図である。
【発明を実施するための形態】
【0030】
以下、本実施形態に係る鋼および浸炭焼入れ部品について説明する。なお、各成分元素の含有量の単位「%」は「質量%」を意味する。
【0031】
本発明者らは、ガス浸炭処理(ガス浸炭処理またはガス浸炭窒化処理)および、真空浸炭処理(真空浸炭処理または真空浸炭窒化処理)を施したときに優れた面疲労強度(ピッチング特性)が得られる鋼について、検討を行った。このような鋼には、浸炭焼入れ部品の製造工程において、例えば、上述のとおりガス浸炭処理もしくは真空浸炭処理が実施される。ガス浸炭処理および真空浸炭処理では、鋼をAc3変態点温度以上に加熱するため、鋼のミクロ組織はオーステナイトに変態する。そのため、ガス浸炭処理および真空浸炭処理の開始前の組織の影響が、ガス浸炭処理および真空浸炭処理の後には残らない。そのため、本発明者らは、浸炭処理後の面疲労強度を高める手段を、浸炭処理前の鋼のミクロ組織の観点から検討するのではなく、浸炭処理を実施しても変更されることのない鋼の化学組成の観点から検討した。
【0032】
その結果、本発明者らは、真空浸炭処理後の表層炭素濃度を下げたり、真空浸炭処理が完了し、冷却を実施した後に再加熱焼入れを実施したりしなくとも、角部における粗大なセメンタイトの析出を抑制するため、(1)粗大なセメンタイトの析出を促進する元素であるCr、および、(2)粗大なセメンタイトの析出を抑制する元素であるSiに着目し、それらの適正範囲を調査した。また、当該範囲内において、さらにガス浸炭処理した場合に浸炭阻害が生じず、また疲労強度に優れる一層の適正範囲を調査した。
【0033】
その結果、真空浸炭処理前の鋼の化学成分において、Cr量に応じてSi量を増加させることで、真空浸炭した際に、過剰浸炭による粗大なセメンタイトの析出を抑制できることを見出した。また、ガス浸炭処理前の鋼の化学成分において、Si量を0.80%以上とすることで、ガス浸炭した際に、内部酸化が抑制され、疲労強度に優れることを見出した。一方、Si量を1.1%超とすることで、ガス浸炭した際に、浸炭阻害が生じて表層炭素濃度が低下し、疲労強度が低下することを見出した。
【0034】
ガス浸炭した場合の面疲労強度および、真空浸炭した場合の面疲労強度のどちらも優れる鋼について化学組成の観点で検討した結果、本発明者らは、化学組成が質量%で、C:0.10~0.30%、Si:0.80~1.10%、Mn:0.65~0.95%、P:0.030%以下、S:0.005~0.020%、Cr:0.35~0.65%、Al:0.01~0.10%、N:0.010~0.023%以下、O:0.0020%以下、Mo:0.50%以下、Cu:0.50%以下、Ni:0.50%以下、W:0.50%以下、V:0.50%以下、Bi:0.50%以下、Co:0.50%以下、Nb:0.10%以下、Ti:0.200%以下、Ca:0.0015%以下、Pb:0.09%以下、Mg:0.020%以下、Zr:0.020%以下およびB:0.0070%以下を含有し、残部がFeおよび不純物である鋼であれば、真空浸炭処理を実施して後で優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度が得られると考えた。
【0035】
しかしながら、化学組成における各元素含有量が上述の範囲内である鋼であっても、真空浸炭処理後に、角部の粗大なセメンタイトが残存し、曲げ疲労強度および面疲労強度が十分に得られない場合があった。また、焼準硬さが非常に高く、被削性に劣り部品に加工できない場合や、また異常粒成長が生じ曲げ疲労強度が十分に得られない場合があった。そこで、本発明者らはさらに調査および検討を進めた。その結果、本発明者らは次の知見を得た。
【0036】
(A)真空浸炭処理は、真空または減圧下において、浸炭工程と拡散工程とを1回ずつ実施するか、または、浸炭工程と拡散工程とを交互に繰り返して複数回実施する。浸炭工程では、炭化水素系のガスを低圧で導入し、鋼の表層に適切な量のセメンタイトを形成させる。そして、拡散工程において、炭化水素系のガスの導入を停止する。この場合、拡散工程において、セメンタイトが分解し、セメンタイトの分解により鋼の表層の炭素の濃度が高まる。その結果、真空浸炭処理の拡散工程では、ガス浸炭処理の拡散工程と比較して、鋼の表層のオーステナイト中の炭素濃度の勾配が大きくなり、鋼の内部へのC侵入量を高めることができる。このように、真空浸炭処理の拡散工程では、炭化水素系のガスを導入しない。拡散工程では、前段の浸炭工程で鋼の表層に形成されたセメンタイトを炭素(C)供給源として用いることにより、鋼の内部にCを拡散浸透させる。その結果、真空浸炭処理は、ガス浸炭処理と比較して、短時間で硬化層を形成することができる。
【0037】
しかしながら、セメンタイトを分解する拡散工程の時間が不十分である場合、セメンタイトが分解せずに、真空浸炭処理の終了後の鋼に粗大なセメンタイトが残存し、曲げ疲労強度が低下した。
【0038】
本発明者らは、真空浸炭処理において、セメンタイトを分解する拡散時間が比較的短い場合や、拡散期および浸炭期を複数回繰り返し、セメンタイトの生成や分解が繰り返されるパルス浸炭等の複雑な浸炭方法が適用される場合であっても、粗大なセメンタイト生成を抑制する方法について検討した。そして本発明者らは、(1)セメンタイトの析出を促進する元素であるCr、および、(2)セメンタイトの析出を抑制する元素であるSiに着目し、それらの適正範囲を鋭意調査した。
【0039】
その結果、Cr含有量に対して、Si含有量を1.7倍以上とすれば、真空浸炭処理の浸炭工程において、セメンタイトが生成することなく、且つ鋼中に侵入するC濃度が適切な範囲となることが分かった。拡散時間が比較的短い条件や、拡散期および浸炭期を複数回繰り返すパルス浸炭等の複雑な浸炭方法であっても、浸炭期にセメンタイトが生成されなければ、拡散期においても粗大なセメンタイトは生成されず、真空浸炭処理後に十分な曲げ疲労強度、面疲労強度を得ることができた。
【0040】
また、Cr含有量に対してSiの含有量の比が1.7より小さい場合、真空浸炭処理の浸炭工程において、セメンタイトが形成される。この場合、拡散工程において、ある程度のセメンタイト等は分解されるものの、拡散時間が短い場合や、鋼が角部を有する場合では、一部のセメンタイト等は分解されずに残存する。セメンタイト等は、曲げ疲労が印可される環境において割れの起点となる。そのため、鋼の表層に粗大なセメンタイト等が過剰に残存すれば、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下してしまう。
【0041】
一方、Cr含有量に対してSiの含有量の比が7.5超の場合、真空浸炭処理の浸炭工程において、鋼の表層にセメンタイトは形成されないものの、過剰なSi添加により鋼の硬さが大幅に増加する。その結果、鋼のシャー切断性が劣化する。さらに、鋼を部品形状に鍛造・切削する際の硬さも大幅に増加してしまい、鋼の被削性、鍛造性等を劣化させる。
【0042】
Cr含有量とSi含有量との比を適切な範囲とすれば、真空浸炭処理の浸炭工程において、セメンタイト生成を抑制し、鋼中に侵入するC濃度が適切な範囲となる。その結果、拡散時間が比較的短い場合や、拡散期および浸炭期を複数回繰り返し、セメンタイトの生成や分解が繰り返される複雑な浸炭条件で実施されるパルス浸炭等を実施する場合であっても、粗大なセメンタイト生成を抑制し、真空浸炭処理後の曲げ疲労強度および面疲労強度を高めることができる。
【0043】
F1=Si/Crと定義する。「Si」は単位質量%でのSi含有量であり、「Cr」は単位質量%でのCr含有量である。化学組成中の各元素含有量が上述の範囲内であって、F1が1.7~7.5であれば、つまり、以下に示す式(1)を満たせば、Cr含有量に対するSi含有量が適切な範囲である。この場合、真空浸炭処理において、適量のCが鋼内に侵入および拡散する。その結果、化学組成中の各元素含有量が上述の範囲内であって、後述の式(2)を満たすことを前提として、真空浸炭処理後に、優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度が得られる。
1.7≦Si/Cr≦7.5 (1)
もっとも、後述するSiおよびCrの範囲を考慮すると、F1の値を3.2以下と規定しても本発明を実現可能である。
【0044】
(B)化学組成中の各元素含有量が上述の範囲内であっても、鋼中にAl介在物が過剰に存在していれば、Al介在物が割れの起点となり得る。また、鋼中のAl介在物は、浸炭処理後の浸炭焼入れ部品に残存する。そのため、鋼中にAl介在物が過剰に多く残存すれば、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下する場合がある。また、鋼中のAlは、析出物(AlN)として析出し得る。粗大なAlN(析出物)は、Al介在物と同様に、割れの起点となり得る。そのため、鋼中に粗大なAlN(析出物)が過剰に多く存在すれば、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下する場合がある。
【0045】
F2=Al/Nと定義する。「Al」は単位質量%でのAl含有量であり、「N」は単位質量%でのN含有量である。本実施形態の鋼の化学組成において、各元素含有量が本実施形態の範囲内であることを前提として、F2が1.0未満であれば、Al含有量がN含有量に対して過剰となる。この場合、Nと結合しなかったAlが、過剰な量のAl介在物(酸化物系介在物)となる。そのため、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下する。
【0046】
一方、本実施形態の鋼の化学組成において、各元素含有量が本実施形態の範囲内であることを前提として、F2が3.0を超えれば、N含有量がAl含有量よりも過剰となる。この場合、鋼中の粗大なAlN(析出物)が過剰に多く形成される。そのため、この場合も、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下する。
【0047】
本実施形態の鋼の化学組成において、各元素含有量が本実施形態の範囲内であることを前提として、F2が1.0~3.0であれば、つまり、以下に示す式(2)を満たせば、鋼中のAl介在物の生成を十分に抑制でき、かつ、粗大なAlN(析出物)の生成を十分に抑制できる。そのため、式(1)を満たすことを前提として、浸炭処理後に十分な曲げ疲労強度が得られる。
1.0≦Al/N≦3.0 (2)
【0048】
(C)上述の通り、本発明者らは、Siは真空浸炭処理の際に、角部での粗大セメンタイトの析出を抑制することを知見した。その一方で本発明者らは、Siはガス浸炭処理において浸炭阻害を生じさせ、これにより、浸炭処理後の鋼の疲労強度を低下させることも見出した。本発明者らが種々の条件で実験を重ねた結果、鋼の化学成分を、式(1)、および式(2)を満たした上で、Si含有量を1.10質量%以下とすることにより、ガス浸炭処理および真空浸炭処理の両方に適した鋼を提供可能であることが確認された。
【0049】
[鋼の化学組成]
上述の知見に基づいて得られた本実施形態に係る鋼の具体的構成について、以下に詳細に説明する。本実施形態の鋼の化学組成は、次の元素を含有する。
【0050】
C:0.10~0.30%
炭素(C)は、鋼の焼入れ性を高め、鋼の硬さを高める。そのため、Cは、浸炭処理後の曲げ疲労強度を高める。C含有量が0.10%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、C含有量が0.30%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼の被削性が低下する。したがって、C含有量は0.10~0.30%である。C含有量の好ましい下限は0.11%であり、さらに好ましくは0.12%であり、さらに好ましくは0.13%である。C含有量の好ましい上限は0.28%であり、さらに好ましくは0.27%であり、さらに好ましくは0.25%である。
【0051】
Si:0.80%~1.10%
シリコン(Si)は、セメンタイト生成を抑制する。そのため、真空浸炭中に過剰浸炭が生じやすい部位である角部の、粗大なセメンタイト析出を抑制する。これによりSiは、真空浸炭処理後の面疲労強度を高める。また、ガス浸炭処理前の鋼の化学成分において、Si量を0.80%以上とすることで、ガス浸炭した際に、内部酸化が抑制され、疲労強度に優れる鋼を得ることができる。一方、ガス浸炭処理前の鋼の化学成分において、Si量を1.10%超とすると、ガス浸炭した際に、浸炭阻害が生じ、表層炭素濃度が低下し、疲労強度が低下する。
【0052】
Si含有量が0.80%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Si含有量が1.10%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、ガス浸炭した際に浸炭阻害が生じ、疲労強度が低下する。したがって、Si含有量は0.80~1.10%である。Si含有量の好ましい下限は0.82%であり、さらに好ましくは0.85%であり、さらに好ましくは0.88%であり、さらに好ましくは0.90%であり、さらに好ましくは0.93%であり、さらに好ましくは0.95%である。Si含有量の好ましい上限は1.10%であり、さらに好ましくは1.08%であり、さらに好ましくは1.05%であり、さらに好ましくは1.03%である。
【0053】
Mn:0.65~0.95%
マンガン(Mn)は、鋼の焼入れ性を高め、鋼の硬さを高める。そのため、Mnは、浸炭処理後の曲げ疲労強度を高める。Mn含有量が0.65%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、上記効果が十分に得られない。一方、Mn含有量が0.95%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、浸炭処理後の表層残留オーステナイト量が高くなりすぎる。この場合、浸炭処理後の表面硬さが十分に得られず、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下する。したがって、Mn含有量は0.65~0.95%である。Mn含有量の好ましい下限は、0.65%であり、さらに好ましくは0.67%であり、さらに好ましくは0.70%であり、さらに好ましくは0.73%であり、さらに好ましくは0.75%である。Mn含有量の好ましい上限は0.95%であり、さらに好ましくは0.93%であり、さらに好ましくは0.90%であり、さらに好ましくは0.88%であり、さらに好ましくは0.85%である。
【0054】
P:0.030%以下
リン(P)は不純物である。Pは、真空浸炭処理において、オーステナイト粒界に偏析して、浸炭処理後の曲げ疲労強度を低下する。P含有量が0.030%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、浸炭処理後の曲げ疲労強度が顕著に低下する。したがって、P含有量は0.030%以下である。P含有量の好ましい上限は0.029%であり、さらに好ましくは0.028%であり、さらに好ましくは0.025%である。P含有量はなるべく低い方が好ましく、例えば0%であってもよい。ただし、精錬コストを抑制するために、P含有量を0.001%以上、または0.002%以上としてもよい。
【0055】
S:0.005%~0.020%
硫黄(S)は不純物である。SはMnと結合してMnSを形成して、鋼の被削性を高める。しかしながら、S含有量が0.020%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、硫化物が粗大化する。この場合、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下する。したがって、S含有量は0.020%以下である。S含有量の好ましい下限は0.005%であり、さらに好ましくは0.006%であり、さらに好ましくは0.007%である。S含有量の好ましい上限は0.019%であり、さらに好ましくは0.018%であり、さらに好ましくは0.017%であり、さらに好ましくは0.016%である。一方、精錬コストを抑制するために、S含有量の下限値は0.005%とする。
【0056】
Cr:0.35~0.65%
クロム(Cr)は、セメンタイトの析出を促進する。そのため、Crが過剰に添加されると、真空浸炭中に過剰浸炭が生じやすい部分である角部において、粗大なセメンタイト析出を促進し、浸炭処理後の面疲労強度を低下させる。一方、Crは鋼の焼入れ性を高め、鋼の硬さを高める。そのため、Crは、浸炭処理後の面疲労強度を高める。即ちCrは、鋼の内部においては、硬さを向上させて曲げ疲労強度を向上させる効果を有する半面、浸炭部においては、粗大セメンタイトを析出させて曲げ疲労強度を損なう効果を有する。このため、Cr含有量を所定範囲内としたうえで、上述した式(1)を満たすようにSi含有量とCr含有量との関係を所定範囲内とする必要がある。
【0057】
Cr含有量が0.35%未満であれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、ガス浸炭した場合に強度向上効果が十分に得られない。一方、Cr含有量が0.65%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、真空浸炭処理の浸炭期にセメンタイトを生成する可能性がある。この場合、真空浸炭処理の拡散工程においても一部の粗大なセメンタイトが分解せずに残存する。その結果、真空浸炭処理後に粗大なセメンタイトを起点とした割れが発生しやすくなり、曲げ疲労強度が低下する。したがって、Cr含有量は0.35~0.65%である。Cr含有量が0.35%超であってもよい。Cr含有量のさらに好ましい下限は0.37%であり、さらに好ましくは0.39%であり、さらに好ましくは0.40%であり、さらに好ましくは0.42%である。Cr含有量の好ましい上限は0.65%であり、さらに好ましくは0.63%、0.61%、0.60%、または0.58%である。
【0058】
Al:0.010%~0.100%
アルミニウム(Al)は鋼を脱酸する。しかしながら、Al含有量が0.100%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、粗大なAl介在物(酸化物系介在物)が生成する。粗大なAl介在物は、浸炭処理後の曲げ疲労強度を低下する。したがって、Al含有量は0.100%以下である。Al含有量の下限は0.010%であり、好ましくは0.011%であり、さらに好ましくは0.012%であり、さらに好ましくは0.013%である。Al含有量の好ましい上限は、0.095%であり、さらに好ましくは0.090%であり、さらに好ましくは0.085%であり、さらに好ましくは0.080%である。
【0059】
N:0.0100~0.0230%
窒素(N)はAlNに代表される窒化物を形成し、ピン止め粒子として働き、結晶粒の粗大化を抑制する。N含有量が少ないとピン止め粒子の析出量が少なく、結晶粒の粗大化により疲労強度が低下する。したがって、N含有量の下限は0.0100%である。N含有量の好ましい下限は0.0110%であり、さらに好ましくは0.0120%である。N含有量が0.0230%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、AlNに代表されるピン止め粒子が粗大化することで、結晶粒のピン止め効果が失われ、浸炭処理後の曲げ疲労強度を低下する。したがって、N含有量は0.0230%以下である。N含有量の好ましい上限は0.0220%であり、さらに好ましくは0.0210%であり、さらに好ましくは0.0200%である。
【0060】
O:0.0020%以下
酸素(O)は、不純物として鋼に含有され、粒界に偏析して粒界脆化を起こしやすくするとともに、鋼中で、脆性破壊の原因となる硬い酸化物系介在物を形成しやすい元素である。粒界脆化や、脆性破壊を防止するため、Oは、0.0020%以下とする。Oの下限値は特に限定されず、例えば0%でもよい。一方、精錬コストの抑制のために、O含有量の下限値を0.0001%、または0.0005%としてもよい。
【0061】
本実施形態による鋼の化学組成の残部は、Feおよび不純物からなる。ここで、不純物とは、鋼を工業的に製造する際に、原料としての鉱石、スクラップ、または製造環境などから混入されるものであって、本実施形態の鋼に悪影響を与えない範囲で許容されるものを意味する。
【0062】
[任意元素について]
本実施形態の鋼はさらに、Feの一部に代えて、Mo、Cu、V、Ni、W、Bi、Co、Nb、Ti、Ca、Pb、Zr、MgおよびBからなる群から選択される1種または2種以上を含有してもよい。これらの元素は任意元素である。
【0063】
V:0~0.50%
バナジウム(V)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、V含有量は0%であってもよい。含有される場合、つまり、V含有量が0%超の場合、Vは析出物(炭化物、窒化物、炭窒化物等)を形成し、ピン止め効果により、浸炭処理時における鋼の結晶粒の粗大化を抑制する。その結果、浸炭処理後の曲げ疲労強度を高める。Vが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、V含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼の硬さが過剰に高くなる。この場合、鋼の被削性が低下する。したがって、V含有量は0~0.50%であり、含有される場合、0.50%以下である。V含有量の好ましい下限は0.01%であり、さらに好ましくは0.05%であり、さらに好ましくは0.10%である。V含有量の好ましい上限は0.40%であり、さらに好ましくは0.30%である。
【0064】
Nb:0~0.10%
ニオブ(Nb)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Nb含有量は0%であってもよい。含有される場合、つまり、Nb含有量が0%超の場合、Nbは析出物(炭化物、炭窒化物等)を形成し、ピン止め効果により、浸炭処理時における鋼の結晶粒の粗大化を抑制する。その結果、浸炭処理後の曲げ疲労強度を高める。Nbが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Nb含有量が0.030%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Nb析出物が粗大化して、ピン止め効果が得られなくなる。したがって、Nb含有量は0~0.10%であり、含有される場合、0.10%以下である。Nb含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.005%である。Nb含有量の好ましい上限は0.08%であり、さらに好ましくは0.06%であり、さらに好ましくは0.05%である。
【0065】
Ti:0~0.20%
チタン(Ti)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ti含有量は0%であってもよい。含有される場合、つまり、Ti含有量が0%超の場合、Tiは析出物(炭化物、窒化物、炭窒化物等)を形成し、ピン止め効果により、浸炭処理時における鋼の結晶粒の粗大化を抑制する。その結果、浸炭処理後の曲げ疲労強度を高める。Tiが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Ti含有量が0.20%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、Ti析出物が粗大化して、ピン止め効果が得られなくなる。したがって、Ti含有量は0~0.20%であり、含有される場合、0.20%以下である。Ti含有量の好ましい下限は0.001%であり、さらに好ましくは0.005%であり、さらに好ましくは0.010%である。Ti含有量の好ましい上限は0.18%であり、さらに好ましくは0.16%であり、さらに好ましくは0.14%であり、さらに好ましくは0.12%であり、さらに好ましくは0.10%である。
【0066】
Mo:0~0.50%
モリブデン(Mo)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Mo含有量は0%であってもよい。一方、Moは鋼の焼戻し軟化抵抗を高め、その結果、浸炭処理後の面疲労強度(ピッチング特性)を高める。Mo含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、真空浸炭処理において、Cが鋼に過剰に侵入して拡散する。その結果、鋼の表層に粗大なセメンタイトが過剰に生成する。この場合、真空浸炭処理の拡散工程においても一部の粗大なセメンタイトが分解せずに残存する。その結果、真空浸炭処理後に粗大なセメンタイトを起点とした割れが発生しやすくなり、曲げ疲労強度が低下する。したがって、Mo含有量は0~0.50%である。Mo含有量の好ましい下限は0.01%であり、さらに好ましくは0.02%であり、さらに好ましくは0.03%であり、さらに好ましくは0.04%である。Mo含有量の好ましい上限は0.48%であり、さらに好ましくは0.45%であり、さらに好ましくは0.43%である。
【0067】
Cu:0~0.50%
銅(Cu)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Cu含有量は0%であってもよい。一方、Cuが含有される場合、Cuは鋼の焼入れ性を高める作用を有するため、芯部硬さを高め、浸炭処理後の曲げ疲労強度を高めることができる。Cuが少しでも含有されればこの効果が得られる。一方、Cu含有量が0.50%を超えれば、鋼の熱間加工性が低下する。したがって、Cu含有量は0~0.50%である。上記効果を安定して得るためのCu含有量の好ましい下限は0.01%である。Cu含有量の好ましい上限は0.08%である。
【0068】
Ni:0~0.50%
ニッケル(Ni)は任意元素であり、含有されなくてもよい。Niが含有される場合、Niは、鋼の焼入れ性を高める作用を有するため、鋼の硬さを高めることができる。これにより、浸炭処理後の曲げ疲労強度特性を高めることができる。Niはさらに、浸炭層の靱性を高める作用も有する。Niが少しでも含有されれば、これらの効果が得られる。しかしながら、Ni含有量が0.50%を超えれば、残留オーステナイト量が増大して表層硬さが低下し、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下する。したがって、Ni含有量は0~0.50%である。上記効果を安定して得るためのNi含有量の好ましい下限は0.01%である。Ni含有量の好ましい上限は0.45%である。
【0069】
W:0~0.50%
タングステン(W)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、W含有量は0%であってもよい。Wが含有される場合、つまり、W含有量が0%超の場合、Wは鋼の焼入れ性を高めて、鋼の硬さを高める。その結果、浸炭処理後の曲げ疲労強度が高まる。Wが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、W含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼の強度が過剰に高くなる。この場合、鋼の被削性が低下する。したがって、W含有量は0~0.50%であり、含有される場合、0.50%以下である。W含有量の好ましい下限は0.01%であり、さらに好ましくは0.05%であり、さらに好ましくは0.08%である。W含有量の好ましい上限は0.40%であり、さらに好ましくは0.30%である。
【0070】
Co:0~0.50%
コバルト(Co)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Co含有量は0%であってもよい。含有される場合、つまり、Co含有量が0%超の場合、Coは鋼の焼入れ性を高めて、鋼の硬さを高める。その結果、浸炭処理後の曲げ疲労強度が高まる。Coが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、Co含有量が0.50%を超えれば、他の元素含有量が本実施形態の範囲内であっても、鋼の強度が過剰に高くなる。この場合、鋼の被削性が低下する。したがって、Co含有量は0~0.50%であり、含有される場合、0.50%以下である。Co含有量の好ましい下限は0.01%であり、さらに好ましくは0.05%であり、さらに好ましくは0.08%である。Co含有量の好ましい上限は0.40%であり、さらに好ましくは0.30%である。
【0071】
Bi:0~0.50%
Pb:0~0.09%
Zr:0~0.020%
ビスマス(Bi)、鉛(Pb)、ジルコニウム(Zr)はいずれも任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Bi含有量、Pb含有量、およびZr含有量が0%であってもよい。一方、Bi、Pb、及びZrは鋼の被削性を高める。具体的には、Bi及びPbは切削時に溶解または脆化して、鋼の被削性を高める。Zrは酸化物を形成し、鋼の被削性を高める。これらの元素の1種以上が鋼に含有されれば、上記効果が得られる。一方、これらの元素が過剰に含有されれば、鋼の鍛造性及び被削性が低下する。したがって、Bi含有量は0.50%以下であり、Pb含有量は0.09%以下であり、Zr含有量は0.020%以下である。好ましいBi含有量の下限は0.01%である。好ましいPb含有量の下限は0.01%である。好ましいZrの下限は0.001%である。
【0072】
Ca:0~0.0015%
Mg:0~0.020%
カルシウム(Ca)及びマグネシウム(Mg)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、Ca含有量およびMg含有量は0%であってもよい。これらの元素は介在物の形態を制御して鋼の被削性を高める。これらの元素の1種以上が少しでも含有されれば。上記効果が得られる。一方、Ca及び、またはMgが過剰に含有されれば、Ca及び、またはMgの酸化物が過剰に生成される。これらの酸化物は曲げ疲労及び面疲労の起点となる。そのため、曲げ疲労強度、面疲労強度が低下する。したがって、Ca含有量は0.0015%以下である。Mg含有量は0.020%以下である。好ましいCa含有量の下限は0.0001%であり、Mg含有量の下限は0.001%である。
【0073】
B:0~0.007%
ボロン(B)は任意元素であり、含有されなくてもよい。つまり、B含有量は0%であってもよい。含有される場合、つまり、B含有量が0%超の場合、Bは鋼の焼入れ性を高めて、鋼の硬さを高める。その結果、浸炭処理後の曲げ疲労強度が高まる。Bが少しでも含有されれば、上記効果がある程度得られる。しかしながら、B含有量が0.007%を超えれば、これらの効果は飽和する。したがって、B含有量は0~0.007%であり、含有される場合、0.007%以下である。B含有量の好ましい下限は0.0001%であり、さらに好ましくは0.0002%であり、さらに好ましくは0.0003%である。B含有量の好ましい上限は0.006%であり、さらに好ましくは0.005%である。
【0074】
なお、不純物として鋼中に混入しうる元素として、例えば、Te、Sn、Sb、REMが挙げられる。これらの元素を含む場合であっても、その含有量が、それぞれ、Te:0.100%以下、Sn:0.015%以下、Sb:0.002%以下、およびREM:0.010%以下であれば、問題なく本発明を実施することができる。
【0075】
[式(1)及び(2)について]
本実施形態の鋼の化学組成は、各元素含有量が上述の本実施形態の範囲内であることを前提として、さらに、式(1)及び式(2)を満たす。
1.7≦Si/Cr≦7.5・・・(1)
1.0≦Al/N≦3.0 ・・・(2)
ここで、式(1)及び式(2)中の各元素記号には、対応する元素の質量%での含有量が代入される。以下、各式について説明する。
【0076】
[式(1)について]
上述の通り、F1=Si/Crと定義する。F1は、真空浸炭処理において、真空浸炭工程の鋼の表層における粗大なセメンタイトの生成のし易さを表す指標である。
【0077】
真空浸炭処理は、真空または減圧下において、真空浸炭工程と拡散工程とを1回ずつ実施するか、または、真空浸炭工程と拡散工程とを交互に繰り返して複数回実施する。通常の鋼に真空浸炭処理をする場合、真空浸炭工程では、炭化水素系のガスを低圧で導入し、鋼の表層に適切な量のセメンタイトを形成させる。そして、拡散工程において、炭化水素系のガスの導入を停止する。この場合、拡散工程において、セメンタイトが分解し、セメンタイトの分解により鋼の表層の炭素の濃度が高まる。その結果、真空浸炭処理の拡散工程では、ガス浸炭処理の拡散工程と比較して、表層のオーステナイト中の炭素濃度の勾配が大きくなり、鋼の内部へのC侵入量を高めることができる。このように、真空浸炭処理の拡散工程では、炭化水素系のガスを導入せず、前段の真空浸炭工程で鋼の表層に形成されたセメンタイトを炭素(C)供給源として、鋼の内部にCを拡散浸透させる。その結果、真空浸炭処理は、ガス浸炭処理と比較して、短時間で硬化層を形成することができる。
【0078】
しかしながら、セメンタイトを分解する拡散工程の時間が不十分である場合や、拡散期、浸炭期を複数回繰り返し、セメンタイトの生成や分解が繰り返されるパルス浸炭等の複雑な浸炭処理を行う場合、粗大なセメンタイトが浸炭期に生成し、これが拡散期でも残存しうる。この粗大セメンタイトによって、真空浸炭処理後の曲げ疲労強度が劣化した。浸炭期における粗大なセメンタイト生成を抑制するため、本発明者らは、(1)セメンタイトの析出を促進する元素であるCrおよび、(2)セメンタイトの析出を抑制する元素であるSiに着目し、それらの適正範囲を鋭意調査した。
【0079】
その結果、F1が1.7以上の場合、真空浸炭処理の真空浸炭工程においてセメンタイトがほとんど生成することがなく、その一方で、続く拡散工程において鋼中に侵入するC濃度が適切な範囲となることが分かった。拡散時間が比較的短い条件を適用する場合や、拡散期、浸炭期を複数回繰り返すパルス浸炭等の複雑な真空浸炭処理を行う場合であっても、浸炭期でセメンタイトが生成されなければ、拡散期においても粗大なセメンタイトは生成されず、真空浸炭処理後に十分な曲げ疲労強度、および面疲労強度を得ることができた。
【0080】
一方で、本実施形態の鋼の化学組成において、各元素含有量が本実施形態の範囲内であることを前提として、F1が1.7より小さい場合、真空浸炭処理の真空浸炭工程において、セメンタイトが形成される。この場合、拡散工程において、ある程度のセメンタイト等は分解されるものの、拡散時間が短い場合や、真空浸炭処理される鋼が角部を有する場合では、一部のセメンタイト等は分解されずに残存する。セメンタイト等は、曲げ疲労が加わる環境において割れの起点となる。そのため、真空浸炭処理後に表層にセメンタイト等が過剰に残存すれば、真空浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下してしまう。
【0081】
本実施形態の鋼の化学組成において、各元素含有量が本実施形態の範囲内であることを前提として、F1が7.5より大きい場合、真空浸炭処理の真空浸炭工程において、鋼の表層にセメンタイトは形成されないものの、過剰な量のSiにより、鋼の硬さが大幅に増加する。これにより、鋼のシャー切断性が劣るほか、鋼を部品形状に鍛造・切削する際の硬さも大幅に増加してしまい、鋼の被削性、鍛造性等を劣化させる。
【0082】
本実施形態の鋼の化学組成において、各元素含有量が本実施形態の範囲内であることを前提として、F1が1.7~7.5であれば、Cr含有量に対するSi含有量が適切な範囲である。そのため、真空浸炭処理において、浸炭期に粗大なセメンタイトが生成されず、適量のCが鋼内に侵入および拡散する。その結果、真空浸炭処理後に、高い曲げ疲労強度および高い面疲労強度が得られる。
【0083】
F1の好ましい下限は1.8であり、さらに好ましくは2.0であり、さらに好ましくは2.5である。F1の好ましい上限は7.4であり、さらに好ましくは7.3であり、さらに好ましくは7.2であり、さらに好ましくは7.0であり、さらに好ましくは6.8である。F1は計算により得られた値の小数第二位を四捨五入して得られた値である。
【0084】
[式(2)について]
上述の通り、F2=Al/Nと定義する。F2は、曲げ疲労強度に影響するAl介在物と、析出物であるAlNとに関する指標である。Al介在物は、曲げ疲労が加わる環境において、割れの起点となる。また、粗大なAlN(析出物)も、曲げ疲労が加わる環境において、割れの起点となる。したがって、Al介在物および粗大なAlN(析出物)の生成をなるべく抑える方が好ましい。
【0085】
本実施形態の鋼の化学組成において、各元素含有量が本実施形態の範囲内であることを前提として、F2が1.0未満であれば、Al含有量がN含有量に対して過剰である。この場合、鋼中のAl介在物が過剰になる。そのため、曲げ疲労強度が低下する。
【0086】
一方、本実施形態の鋼の化学組成において、各元素含有量が本実施形態の範囲内であることを前提として、F2が3.0を超えれば、N含有量がAl含有量よりも過剰である。この場合、鋼中の粗大なAlN(析出物)が過剰になる。そのため、この場合も、浸炭処理後の曲げ疲労強度が低下する。
【0087】
F2の好ましい下限は1.8であり、さらに好ましくは1.9であり、さらに好ましくは2.0である。F2の好ましい上限は2.3であり、さらに好ましくは2.2であり、さらに好ましくは2.1である。なお、F2は計算により得られた値の小数第二位を四捨五入して得られた値である。
【0088】
[鋼のミクロ組織について]
本実施形態の鋼のミクロ組織は特に限定されない。本実施形態の鋼の課題は、浸炭処理後に高い曲げ疲労強度および高い面疲労強度を得ることである。そして、浸炭処理工程においては、鋼をAc3変態点温度以上に加熱するため、鋼のミクロ組織がリセットされる。そのため、浸炭処理前の鋼のミクロ組織は、浸炭処理後の機械特性にほとんど影響しないと考えられる。そのため、鋼のミクロ組織は特に限定されない。例えば、鋼が機械部品である場合は、機械部品の強度を高めるために、ミクロ組織が硬質な組織から構成されることが好ましい。一方、鋼が記載部品の材料、即ち鋼材である場合は、鋼材の加工性を向上させるために、ミクロ組織が軟質な組織から構成されることが好ましい。本実施形態の鋼は、化学組成中の各元素含有量が上述の範囲であって、さらに、式(1)及び式(2)を満たす。そのため、本実施形態の鋼を素材として、真空浸炭処理を実施して浸炭焼入れ部品を製造した場合、浸炭焼入れ部品において、高い曲げ疲労強度および高い面疲労強度(ピッチング特性)が得られる。
【0089】
[本実施形態の鋼の形状、大きさ、および用途について]
本実施形態の鋼の形状および大きさは特に限定されず、その用途に応じて適宜選択することができる。鋼部品の材料、即ち鋼材として本実施形態に係る鋼を用いる場合、鋼を例えば棒鋼とすることが好ましい。棒鋼とは、例えば丸棒および角棒等である。丸棒の直径は例えば25~60mmである。角棒の断面形状は、例えば50mm~85mm角である。一方、本実施形態に係る鋼の形状は、いかなるものとされていてもよい。鋼材に加工および熱処理をして得られた鋼部品も、その化学成分が上述の要件を満たす限り、本実施形態の鋼に該当する。
【0090】
さらに、本実施形態の鋼に種々の表面処理を適用してもよい。例えば、本実施形態に係る鋼を、浸炭焼入れ用鋼とし、これに浸炭処理を適用してもよい。浸炭処理は真空浸炭処理でも、ガス浸炭としてもよい。本実施形態に係る鋼に、めっき、化成処理、および塗装などを適用してもよい。このような表面処理がされた鋼も、その芯部の化学成分が上述の要件を満たす限り、本実施形態の鋼に該当する。例えば後述する浸炭焼入れ部品は、その芯部の化学成分が本実施形態の鋼と同一であるので、本実施形態に係る鋼の一例であるとみなされる。
【0091】
本実施形態の鋼は、浸炭処理を施して製造される浸炭焼入れ部品の素として好適である。特に、自動車や建設車両等の機械製品に利用される歯車に代表される、曲げ疲労強度と面疲労強度(ピッチング特性)とを求められる浸炭焼入れ部品の素として好適である。本実施形態の鋼を歯車の材料とする場合、鋼の形状は丸棒とすることが好ましい。
【0092】
[本実施形態の鋼の硬さについて]
本実施形態の鋼の硬さは特に限定されない。鋼が機械部品である場合は、鋼の硬さが高いほど、機械部品の強度が向上するので好ましい。一方、鋼が機械部品等の鋼部品の材料、即ち鋼材である場合は、鋼の硬さが低いほど、切削等の種々の機械加工の際の加工抵抗が低下するので好ましい。例えば、鋼のビッカース硬さを280HV以下、270HV以下、または260HV以下にすることにより、鋼の加工性が確保され、鋼を機械加工する際の作業効率が著しく高められる。ただし、本実施形態に係る鋼は多くの合金成分を含んでいるので、硬くなりやすい。本実施形態の鋼のビッカース硬さを280HV以下にするためには、後述する熱処理のような、本実施形態の鋼の化学成分に適した軟化処理を、鋼に適用する必要がある。
【0093】
鋼の硬さの測定方法は、以下の通りである。まず、鋼を切断する。そして、JIS Z 2244(2009)に準拠して、鋼の表面と鋼の中心とのおおむね中間にあたる位置における切断面の硬さを測定する。例えば鋼が棒鋼である場合、圧延の表面からD/4位置(Dは直径を表す)における切断面の硬さを測定すればよい。鋼の表面が浸炭処理又は浸炭窒化処理されていたとしても、鋼の表面と鋼の中心とのおおむね中間にあたる位置は、これらの処理の影響を受けない。硬さ測定は、ビッカース硬度計を用いて行う。測定荷重は300gfとする。
【0094】
[本実施形態の鋼の製造方法]
本実施形態の鋼の製造方法は特に限定されない。本実施形態に係る鋼は、従来の鋼には見られない特有の化学成分を有するが、この化学成分を得るための方法は特に限定されない。公知の精錬方法を、化学成分の制御方法として適宜用いることができる。本実施形態に係る鋼を棒鋼とする場合、化学成分が所定範囲内とされたスラブに、任意の熱間加工を行えばよい。熱間加工によって得られた棒鋼に、球状化処理などの熱処理を行ってもよい。ただし、鋼のビッカース硬さを280HV以下にするためには、以下に例示する条件に従って鋼を製造することが好ましい。
【0095】
[素材準備工程]
素材準備工程では、本実施形態の鋼の素材を準備する。具体的には、化学組成中の各元素含有量が上述の範囲内であり、かつ、式(1)及び式(2)を満たす溶鋼を製造する。精錬方法は特に限定されず、周知の方法を用いればよい。例えば、周知の方法で製造された溶銑に対して、転炉での精錬、即ち一次精錬を実施する。転炉から出鋼した溶鋼に対して、周知の二次精錬を実施する。二次精錬において成分調整を実施して、各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、かつ、式(1)及び式(2)を満たす化学組成を有する溶鋼を製造する。
【0096】
上述の精錬方法により製造された溶鋼を、周知の鋳造法により鋳造して、素材を製造する。例えば、造塊法により、溶鋼からインゴットを製造してもよい。また、連続鋳造法により、溶鋼からブルームを製造してもよい。以上の方法により、素材(インゴットまたはブルーム)を製造する。
【0097】
[熱間加工工程]
熱間加工工程では、素材準備工程にて準備された素材(インゴットまたはブルーム)に対して、熱間加工を実施して、本実施形態の鋼を製造する。熱間加工方法は、熱間鍛造でもよいし、熱間圧延でもよい。以下の説明では、熱間加工が熱間圧延である場合について説明する。この場合、熱間加工工程は例えば、分塊圧延工程と、仕上げ圧延工程とを含む。
【0098】
[分塊圧延工程]
分塊圧延工程では、素材を熱間圧延してビレットを製造する。具体的には、分塊圧延工程では、分塊圧延機により素材に対して熱間圧延(分塊圧延)を実施して、ビレットを製造する。分塊圧延機の下流に連続圧延機が配置されている場合、分塊圧延後のビレットに対してさらに、連続圧延機を用いて熱間圧延を実施して、さらにサイズの小さいビレットを製造してもよい。分塊圧延工程での加熱温度は1000~1300℃である。
【0099】
[仕上げ圧延工程]
仕上げ圧延工程では、分塊圧延工程で製造されたビレットに対して、連続圧延機を用いて熱間圧延を実施して、鋼を製造する。仕上げ圧延工程での加熱温度は900~1250℃である。熱間圧延後の鋼材を常温まで冷却する。冷却方法は特に限定されないが、例えば、放冷である。
【0100】
さらに、素材準備工程後の鋼、または、熱間加工工程後の鋼に対して、IA処理(高温焼きなまし)または球状化焼鈍を実施する。IA処理では、焼鈍温度を600~750℃とし、焼鈍温度での保持時間を0.5~2時間とする。温度保持が完了した後は、鋼を放冷する。
【0101】
球状化焼鈍では例えば、焼鈍温度を720~780℃とし、焼鈍温度での保持時間を3~8時間とする。さらに、焼鈍温度から600℃までの冷却時間を4時間以上8時間以下とする。鋼の温度を600℃まで低下させた後は、鋼を放冷する。
【0102】
以上の製造方法により、HV280以下の鋼が製造される。ただし、上述の製造方法は、本実施形態の鋼を製造するための製造方法の一例である。したがって、上述の製造方法以外の他の方法により、本実施形態の鋼を製造してもよい。つまり、鋼の化学組成中の各元素含有量が本実施形態の範囲内であり、式(1)及び式(2)を満たす限り、鋼の製造方法は限定されない。
【0103】
上述の製造方法の一例では、素材準備工程を実施した後、熱間加工工程を実施している。しかしながら、本実施形態の鋼材の製造方法では、素材準備工程を実施した後、熱間加工工程を実施しなくてもよい。つまり、本実施形態の鋼材は、鋳造材(インゴットまたはブルーム、ビレット)であってもよい。
【0104】
[浸炭焼入れ部品の構成]
次に、本実施形態に係る浸炭焼入れ部品について具体的に説明する。本実施形態の浸炭焼入れ部品は、上述の本実施形態の鋼を素材として、これに浸炭処理(浸炭処理または浸炭窒化処理)を施して製造されるものである。浸炭焼入れ部品は、例えば、自動車および建設車両等に用いられる機械部品であり、例えば、歯車である。
【0105】
本実施形態の浸炭焼入れ部品は、硬化層と、硬化層よりも内部の芯部とを備える。硬化層は、浸炭処理によりCが鋼材の表面に侵入および拡散して、硬化した層である。具体的には、鋼材に浸炭処理を実施した場合、硬化層は浸炭層に相当し、鋼材に浸炭窒化処理を実施した場合、硬化層は浸炭窒化層に相当する。芯部は、硬化層よりも内部の部分であって、浸炭によるCの侵入および拡散の影響がない領域である。硬化層と芯部とは、周知のミクロ組織観察により区別可能であることは、当業者において周知の技術事項である。
【0106】
[芯部について]
本実施形態の浸炭焼入れ部品の芯部の化学組成は、上述の本実施形態の鋼の化学組成と同じである。具体的には、本実施形態の浸炭焼入れ部品の芯部の化学組成は質量%で、C:0.10~0.30%、Si:0.80~1.10%、Mn:0.65~0.95%、P:0.030%以下、S:0.005~0.020%、Cr:0.35~0.65%、Al:0.010~0.100%、N:0.010~0.023%以下、Mo:0.50%以下、Cu:0.50%以下、V:0.50%以下、Ni:0.30%以下、W:0.50%以下、Bi:0.50%以下、Co:0.50%以下、Nb:0.10%以下、Ti:0.200%以下、Ca:0.0015%以下、Pb:0.09%以下、Zr:0.020%以下、Mg:0.020%以下およびB:0.007%以下を含有し、残部がFeおよび不純物からなり、式(1)及び式(2)を満たす。
1.7≦Si/Cr≦7.5 ・・・(1)
1.0≦Al/N≦3.0 ・・・(2)
ここで、式(1)及び式(2)中の各元素記号には、対応する元素の質量%での含有量が代入される。なお、本実施形態に係る浸炭焼入れ部品の化学成分に関し、各元素の含有量の好ましい上下限値、およびF1及びF2の好ましい上下限値は、上述した本実施形態に係る鋼の化学成分に準じる。
【0107】
[硬化層について]
硬化層の構成は次のとおりである。
(1)浸炭焼入れ部品の平坦部における、表面から50μm深さまでの領域の、平均のC濃度が質量%で0.65%以上である。
(2)浸炭焼入れ部品の平坦部における、表面から50μm深さの位置におけるビッカース硬さが600HV以上である。
以下、各構成について説明する。ここで、表面から50μm深さの位置における硬さを、単に表層硬さと称する場合がある。なお、C濃度および表層硬さは、浸炭焼入れ部品の平坦部において規定される。平坦部とは、C拡散場の重複が生じていない部分のことである。図7に、浸炭焼入れ部品の角部の断面模式図を示す。図7には、紙面横方向に延びる面から拡散した炭素が形成したC拡散場と、紙面縦方向に延びる面から拡散した炭素が形成したC拡散場が重複する領域、即ち過剰浸炭部Yが示されている。この過剰浸炭部Yを含まない略平坦な領域が、平坦部である。過剰浸炭部Yの形状は、角部の形状および浸炭深さに応じて変化するが、断面観察をすることにより容易に特定することができる。また、C拡散場の重複が生じている部分は、本実施形態において角部と称する。ただし、本実施形態に係る浸炭焼入れ部品の形状は特に限定されず、従って、これが角部を有しなくともよい。平坦部で測定した表層C濃度の値は、角部で測定した表層C濃度よりも必然的に低くなる。
【0108】
[表層領域の平均C濃度について]
浸炭焼入れ部品の平坦部の表面から50μm深さまでの領域(以下、表層領域という)は、硬化層に含まれる。平坦部の表層領域での平均C濃度は質量%で0.65%以上である。平坦部の硬化層の平均C濃度は、芯部のC濃度よりも高い。平坦部の表層領域でのC濃度が質量%で0.65%以上であれば、硬化層の硬さが十分に硬い。そのため、浸炭焼入れ部品において、十分な面疲労強度および十分な曲げ疲労強度が得られる。
【0109】
平坦部の表層領域での平均のC濃度の好ましい下限は0.67%であり、さらに好ましくは0.70%であり、さらに好ましくは0.75%である。平坦部の表層領域での平均のC濃度の上限は特に限定されない。平坦部の表層領域での平均のC濃度の好ましい上限は例えば、1.30%であり、さらに好ましくは1.20%であり、さらに好ましくは1.10%である。なお、浸炭焼入れ部品が角部を有する場合、角部のC濃度は特に限定されない。芯部の化学成分、および平坦部のC濃度が上述の要件を満たす場合、角部も自ずと良好なC濃度を有することとなる。
【0110】
[表層のC濃度の測定方法]
平坦部の表層領域での平均のC濃度は、EPMAを用いて測定することができる。浸炭焼入れ部品を、その表面に垂直に切断する。次に切断面を研磨する。そして、平坦部の表面から深さ50μmまでの領域に、深さ方向に沿って連続的に電子線を照射することにより、平坦部のC濃度を連続的に測定する。即ち、平坦部の表層領域を、C濃度に関して、深さ方向に沿って線分析する。線分析における測定間隔は、5μmとし、測定点は10点とする。これにより得られた10の測定点におけるC濃度の平均値を、表面から50μm深さまでの領域の平均C濃度とする。
【0111】
[硬化層のミクロ組織について]
浸炭焼入れ部品の平坦部の表面から50μm深さの位置は、硬化層に含まれる。平坦部の表面から50μm深さの位置のビッカース硬さは600HV以上とする。これにより、浸炭焼入れ部品の曲げ疲労強度と面疲労強度を確保することができる。
【0112】
[硬化層の硬さ測定方法]
硬化層の硬さは,次の方法で測定される。浸炭焼入れ部品を、その表面に垂直に切断する。次に切断面を研磨する。そして、平坦部の表面から深さ50μmの位置における切断面の硬さを、ビッカース硬度計を用いて、測定荷重を300gfとし、JIS Z 2244(2009)に準拠して測定する。硬さのばらつきを考慮して、50μm深さの3つの測定点のビッカース硬さを測定し、これらの平均値を算出する。ビッカース硬さの平均値を、平坦部における、表面から50μm深さの位置でのビッカース硬さとみなす。
【0113】
以上の構成を有する浸炭焼入れ部品は、芯部の化学組成中の各元素含有量が上述の範囲内であり、かつ、式(1)及び式(2)を満たす。さらに、浸炭焼入れ部品の表面から50μm深さまでの領域(表層領域)でのC濃度が0.65%以上であり、浸炭焼入れ部品の表面から20μm深さ位置でのミクロ組織はマルテンサイトからなり、または、マルテンサイトおよび残留オーステナイトからなり、表層領域のビッカース硬さは600HV以上である。そのため、本実施形態の浸炭焼入れ部品は高い曲げ疲労強度および高い面疲労強度を有する。
【0114】
[浸炭焼入れ部品の製造方法]
本実施形態の浸炭焼入れ部品の製造方法の一例を説明する。以降に説明する浸炭焼入れ部品の製造方法は、本実施形態の浸炭焼入れ部品を製造するための一例である。したがって、上述の構成を有する浸炭焼入れ部品は、以降に説明する製造方法以外の他の製造方法により製造されてもよい。しかしながら、以降に説明する製造方法は、本実施形態の浸炭焼入れ部品の製造方法の好ましい一例である。
【0115】
浸炭焼入れ部品の製造方法は例えば、熱間加工工程または冷間加工工程と、切削加工工程と、熱処理工程とを備える。熱間加工工程および冷間加工工程のうち、いずれか一方が行われてもよいし、両方が行われてもよい。
【0116】
[熱間加工工程][冷間加工工程]
熱間加工工程が実施される場合、本実施形態の鋼に対して熱間加工を実施する。熱間加工は例えば、周知の熱間鍛造である。熱間加工後の鋼は放冷(空冷)される。冷間加工工程が実施される場合、本実施形態の鋼に対して周知の球状化焼鈍を実施した後、冷間加工を実施する。冷間加工の条件は特に制限されない。
【0117】
[切削加工工程]
切削加工工程では、熱間加工および/または冷間加工工程後の鋼に対して、切削加工を実施して、所定形状の中間品を製造する。切削加工を実施することにより、熱間加工工程または冷間加工工程だけでは実現が困難な精密形状を、浸炭焼入れ部品に付与することができる。
【0118】
[熱処理工程]
切削加工工程後の中間品に対して、浸炭熱処理を実施する。ここで、「浸炭熱処理」は、周知のガス浸炭処理工程と、周知の焼入れ工程、周知の焼戻し工程とを含む。また、周知の真空浸炭処理工程と、周知の焼入れ工程、周知の焼戻し工程でもよい。ガス浸炭処理および真空浸炭処理工程において、周知の条件を適宜調整して、浸炭焼入れ部品の硬化層のC濃度およびミクロ組織を調整することは、当業者に周知の技術事項である。以下、図1Aを参照しながら、周知のガス浸炭処理および真空浸炭処理工程、焼入れ工程、および、焼戻し工程について説明する。ガス浸炭処理および真空浸炭処理は、浸炭雰囲気、浸炭温度、および浸炭時間などが相違しているが、以下、図1Aに示された概略的なヒートパターン図は、ガス浸炭処理および真空浸炭処理の両方を説明する図面として用いられる。
【0119】
[ガス浸炭処理工程]
ガス浸炭処理工程は、ガス浸炭工程と、焼入れ(急冷)工程とを含む。以下、ガス浸炭工程、焼入れ工程について説明する。
【0120】
[ガス浸炭工程]
図1Aは、ガス浸炭工程S10及び焼入れ工程S20でのヒートパターンの一例を示す図である。図1Aの縦軸はガス浸炭処理時における処理温度(℃)であり、横軸は時間(分)である。図1Aに示されるように、ガス浸炭工程S10は、加熱工程S0と、ガス浸炭工程S1と、拡散工程S2とを含む。
【0121】
加熱工程S0では、炉内に装入された中間品を浸炭温度Tcまで加熱する。加熱工程S0での浸炭温度Tcは、例えば900~1100℃である。
【0122】
ガス浸炭工程S1では、所定のカーボンポテンシャルCP1の雰囲気中において、上記浸炭温度Tcで中間品を所定時間(保持時間t1)保持して、ガス浸炭処理を実施する。ガス浸炭工程S1におけるカーボンポテンシャルCP1は、例えば0.6~1.3%であり、浸炭温度Tcでの保持時間t1は、例えば60分以上である。
【0123】
拡散工程S2では、所定のカーボンポテンシャルCP2の雰囲気中において、浸炭温度Tcで所定時間(保持時間t2)保持する。ここで、拡散工程S2でのカーボンポテンシャルCP2は例えば0.6~1.3%であり、浸炭温度Tcでの保持時間t2は、例えば30分以上である。
【0124】
[焼入れ工程]
ガス浸炭工程S10後の中間品に対して焼入れ工程S20を実施する。焼入れ工程S20では、所定のカーボンポテンシャルCP3の雰囲気中において、ガス浸炭工程S10後の中間品をAr3点以上の焼入れ温度で保持後、中間品を急冷して焼入れする。ここで、焼入れ工程S20でのカーボンポテンシャルCP3は例えば0.6~1.3%であり焼入れ温度Tsでの保持時間t3は特に限定されないが、例えば、15~60分である。焼入れ温度Tsは、浸炭温度Tcよりも低い方が好ましい。焼入れ処理における冷却方法は、油冷又は水冷である。具体的には、冷却媒体である油又は水を入れた冷却浴に、焼入れ温度に保持された中間品を浸漬して急冷する。
【0125】
[真空浸炭処理工程]
次に、真空浸炭処理工程について説明する。図1Bは、真空浸炭処理工程S10´および焼入れ工程S20´のヒートパターンの一例を示す図である。真空浸炭処理工程S10´は、加熱工程S0´と、真空浸炭工程S1´と、拡散工程S2´とを含む。図1Bのヒートパターンでは、真空浸炭工程S1´後、拡散工程S2´が実施されており、さらに真空浸炭工程S1´および拡散工程S2´が繰り返し実施されている。このように、真空浸炭処理工程S10´では、真空浸炭工程S1´および拡散工程S2´が複数回繰り返して実施されてもよいし、真空浸炭工程S1´および拡散工程S2´が1回ずつ実施されてもよい。真空浸炭工程S1´および拡散工程S2´が3回以上繰り返し実施されてもよい。
【0126】
加熱工程S0´では、炉内に装入された中間品を浸炭温度Tc´まで加熱する。加熱工程S0´ではさらに、炉内を真空または減圧する。
【0127】
真空浸炭工程S1´では、真空または減圧下において、炉内に炭化水素系のガスを導入し、上記浸炭温度Tc´で中間品を所定時間(保持時間t1´)保持して、真空浸炭処理を実施する。真空浸炭工程S1´における導入ガスは炭化水素系ガスであれば特に限定されないが、例えばアセチレンやプロパン等を使用する。浸炭温度Tc´での保持時間t1´は特に限定されない。真空または減圧下で真空浸炭を実施することにより、ガス浸炭処理の場合と比較して鋼表層に侵入するC濃度を高めることができる。
【0128】
拡散工程S2´では、炉内に炭化水素系のガスを導入しない状態で、浸炭温度Tc´で所定時間(保持時間t2´)保持する。拡散工程における炉内の圧力は、真空浸炭工程S1´と同じでもよいし、真空浸炭工程S1´における残留ガスを取り除くため、真空浸炭工程S1´よりも減圧してもよい。浸炭温度Tc´での保持時間t2´は特に限定されない。
【0129】
真空浸炭処理工程S10´では、真空浸炭工程S1´において、鋼表層にCを侵入させて、表層にセメンタイト等を形成させる。そして、拡散工程S2´において、表層中のセメンタイト等を分解して表層のCを内部に拡散する。真空または減圧下で真空浸炭工程S1´および拡散工程S2´の組合せを1回または複数回繰り返し実施することにより、ガス浸炭処理と比較して、短時間で多くのC量を鋼中に侵入および拡散することができる。なお、本実施形態に係る浸炭焼入れ部品は、その材料となる鋼の成分が上述の範囲内とされているので、粗大なセメンタイトが極めて生成し難い。従って、本実施形態に係る浸炭焼入れ部品の製造方法においては、多様な真空浸炭処理条件を適用可能である。
【0130】
[焼入れ工程]
真空浸炭処理工程S10´後の中間品に対して焼入れ工程S20´を実施する。焼入れ工程S20´では、真空浸炭処理工程S10´後の中間品をAr3点以上の焼入れ温度で保持後、中間品を急冷して焼入れする。焼入れ温度Ts´での保持時間t3´は特に限定されない。焼入れ温度Ts´は、浸炭温度Tc´よりも低い方が好ましい。焼入れ処理における冷却方法は、油冷または水冷である。具体的には、冷却媒体である油または水を入れた冷却浴に、焼入れ温度に保持された中間品を浸漬して急冷する。
【0131】
[焼戻し工程]
真空浸炭処理、またはガス浸炭処理における焼入れ工程が完了した後の中間品に対して、周知の焼戻し工程を実施する。焼戻し温度および保持時間は限定されず、浸炭焼入れ部品の用途に応じた機械特性が得られるように適宜選択することができる。
【0132】
[その他の工程]
本実施形態の浸炭焼入れ部品の製造方法はさらに、ショットピーニング工程および仕上げ研削加工工程を含んでもよい。これらの工程は任意の工程である。
【0133】
[ショットピーニング工程]
ショットピーニング工程は任意の工程であり、実施しなくてもよい。実施する場合、ショットピーニング工程では、熱処理工程後の中間品に対して、ショットピーニング処理を実施する。ショットピーニング処理を実施することにより、浸炭焼入れ部品の硬化層中の残留オーステナイトが加工誘起変態してマルテンサイトとなる。その結果、硬化層中の残留オーステナイト体積率が低下する。
【0134】
[仕上げ研削加工工程]
仕上げ研削加工工程は任意の工程であり、実施しなくてもよい。実施する場合、仕上げ研削加工では、熱処理工程後またはショットピーニング工程後の中間品に対して、仕上げ切削加工を実施して、表面性状を整える。
【0135】
以上の製造工程により、本実施形態の浸炭焼入れ部品を製造できる。なお、上述の製造方法は、本実施形態の浸炭焼入れ部品を製造するための製造方法の一例である。したがって、上述の製造方法以外の他の方法により、本実施形態の浸炭焼入れ部品を製造してもよい。つまり、本実施形態の浸炭焼入れ部品を得ることができる限り、浸炭焼入れ部品の製造方法は特に限定されない。
【実施例0136】
次に、本発明の実施例について説明するが、実施例での条件は、本発明の実施可能性および効果を確認するために採用した一条件例であり、本発明は、この一条件例に限定されるものではない。本発明は、本発明の要旨を逸脱せず、本発明の目的を達成する限りにおいて、種々の条件を採用し得るものである。
【0137】
表1Aおよび表1Bの溶鋼を用いて、造塊法によりインゴットを製造した。インゴットの長さ方向に垂直な断面は180mm×180mmの矩形であった。製造したインゴットを常温まで放冷した。
【0138】
インゴットを1200℃で2時間加熱した。加熱後のインゴットに対して熱間加工(熱間鍛伸)を実施して、直径40mm、長さ1000mmの鋼(棒鋼)を製造した。熱間加工後の鋼を常温まで放冷した。放冷後の鋼に対して、焼準処理を実施した。焼準処理での処理温度は925℃とし、処理温度での保持時間は90分であった。また、一部の試験片については、焼準処理後にIA処理(高温焼きなまし)を行った。IA処理の有無は、表1Cに記載した。IA処理は925℃60分保持後、650℃まで徐冷し、650℃で60分保持した。時間経過後の鋼は放冷した。放冷時の鋼の冷却速度は0.3~0.9℃/秒であった。以上の工程により、各試験番号の鋼(棒鋼)を製造した。
【0139】
なお、試験番号14の鋼は、JIS G 4805(2019)に規定されたSCM420に相当する化学組成を有した。試験番号14を真空浸炭した試験片を「基準試験片」とした。
【0140】
[評価試験]
[浸炭焼入れ部品試験片の製造]
製造された各試験番号の鋼を用いて、各試験番号において、次の3種類の浸炭焼入れ部品試験片を作製した。なお、小ローラ試験片および回転曲げ疲労試験片は各試験番号において複数個作成し、一部を真空浸炭処理に供し、一部をガス浸炭処理に供した。これにより、鋼の真空浸炭後の面疲労強度および曲げ疲労強度、ならびに鋼のガス浸炭後の面疲労強度および曲げ疲労強度を評価した。一方、角部ミクロ調査用試験片は、真空浸炭処理のみに供した。
【0141】
(1)小ローラ試験片
図2に本実施例で作製した小ローラ試験片の側面図を示す。図2中の数字は、寸法(単位はmm)を示す。図2中の「φ」は直径を意味する。図2中の逆三角形の記号は、JIS B 0601(1982)の解説表1に記載されている表面粗さを示す「仕上げ記号」を意味する。仕上げ記号に付した「G」は、JIS B 0122(1978)に規定の研削を示す加工方法の略号を意味する。小ローラ試験片は、面疲労強度を測定するための試験片である。小ローラ試験片は各試験番号で複数本用意した。
【0142】
(2)回転曲げ疲労試験片
図3に本実施例で作製した回転曲げ疲労試験片の側面図を示す。図3中の数字は、寸法(単位はmm)を示す。図3中の「φ」は直径を意味する。図3中の「R」は曲率半径を意味する。回転曲げ疲労試験片は、回転曲げ疲労強度を測定するための試験片である。
【0143】
(3)角部ミクロ調査用試験片
硬化層調査用試験片は各試験番号で2本用意した。角部ミクロ調査用試験片は直径26mm長さ100mmの三角形状の試験片とした。
各浸炭焼入れ部品試験片を次の方法で作製した。
【0144】
[小ローラ試験片]
各試験番号の鋼を機械加工して、小ローラ試験片の粗形状を有する粗試験片を製造した。粗試験片に対して、ガス浸炭処理(ガス浸炭焼入れ及び焼戻し)、または真空浸炭処理(真空浸炭焼入れ及び焼戻し)を実施した。各試験番号で実施したガス浸炭パターンおよび真空浸炭パターンを示す。
【0145】
(ガス浸炭パターン)
次のガス浸炭処理工程(ガス浸炭焼入れ及び焼戻し)を実施した。具体的には、カーボンポテンシャルCPが1.0%の雰囲気中において、試験片を930℃で160分保持した。その後、870℃まで降温し、870℃で30分保持した。保持時間経過後、60℃の油を用いて油冷した。焼入れ工程後、焼戻し工程を実施した。焼戻し工程では、温度を180℃とし、保持時間を120分とした。
【0146】
(真空浸炭パターン)
次の真空浸炭処理工程(真空浸炭焼入れ及び焼戻し)を実施した。100Pa以下の炉内圧力でアセチレンガスを導入する浸炭工程を実施した。浸炭工程の温度を950℃とし、保持時間を120分とした。浸炭工程後、拡散工程を実施した。拡散工程では、アセチレンガスの導入を停止し、炉内圧力を10Pa以下とした。拡散工程での温度を950℃とし、保持時間を80分とした。拡散工程後、焼入れ工程を実施した。焼入れ工程では、温度を900℃とし、保持時間を30分とした。保持時間経過後、60℃の油を用いて油冷した。焼入れ工程後、焼戻し工程を実施した。焼戻し工程では、温度を180℃とし、保持時間を120分とした。
【0147】
熱処理後、粗試験片のつかみ部の円筒部に対して研削加工を実施して、図3に示す直径24mmのつかみ部に仕上げた。
【0148】
[回転曲げ疲労試験片]
各試験番号の鋼を機械加工して、回転曲げ疲労試験片の粗試験片を製造した。粗試験片に対して、上述のガス浸炭処理または真空浸炭処理を実施した。
【0149】
熱処理後の粗試験片の表面に対して切削加工を実施して、図3に示す寸法の回転曲げ疲労試験片を作製した。なお、回転曲げ疲労試験片の長さ方向中央位置に形成された切り欠き部には、表面性状を整える切削加工は実施しなかった。以上の製造工程により、回転曲げ疲労試験片を作製した。
【0150】
[角部ミクロ調査用試験片]
各試験番号の鋼を機械加工して、直径26mm、長さ100mmの三角形状の試験片を2本作製した。試験片に対して、上述の真空浸炭処理を実施した。
【0151】
[二円筒転がり疲労試験に用いる大ローラ試験片の製造]
面疲労強度を測定するための二円筒転がり疲労試験に用いる大ローラ試験片を次の方法で製造した。JIS G 4805(2008)に規定のSUJ2に相当する化学組成を有する、直径140mmの円柱素から、図4に示す形状を有する大ローラ試験片の粗試験片を切り出した。図4中の数値は、寸法(単位はmm)を示す。また、図4中の逆三角形の記号は、JIS B 0601(1982)の解説表1に記載されている表面粗さを示す「仕上げ記号」を意味する。仕上げ記号に付した「G」は、JIS B 0122(1978)に規定の研削を示す加工方法の略号を意味する。
【0152】
切り出した粗試験片に対して、焼入れを実施した。焼入れ温度は870℃とし、焼入れ温度での保持時間は90分とした。保持時間経過後、60℃の油で急冷した。焼入れ後の粗試験片の外周面に対して切削加工を実施して仕上げた。算術平均粗さRaが0.6~0.8μmとなり、最大高さRzが2.0~4.0μmとなるように、外周面を仕上げた。以上の製造工程により、大ローラ試験片を作製した。
【0153】
[棒鋼の硬さ測定試験]
各試験番号の棒鋼圧延材を長さ方向に直行する方向に切断し、切断面を測定面とする試験片を採取した。そして、圧延の表面からD/4位置(Dは直径を表す)における切断面の硬さを、ビッカース硬度計を用いて測定荷重を300gfとして、JIS Z 2244(2009)に準拠して測定した。
【0154】
[浸炭焼入れ部品試験片の角部における粗大セメンタイト析出測定試験]
各試験番号の浸炭焼入れ部品(角部ミクロ調査用試験片)を厚さt/2(tは厚さ)となるように切断し、切断面を観察面とする試験片を採取した。そして、角部におけるミクロ組織の観察位置を30°の角部、60°の角部、90°の角部とそれぞれ定義し、ミクロ組織を調査および検討した。角度がいずれであれ、角部において粗大なセメンタイト生成が認められた場合、角部セメンタイト「あり」とした。なお「粗大なセメンタイト」とは、光学顕微鏡で倍率1000倍で観察した際に視認可能なセメンタイトのことである。通常、浸炭焼入れ部品の角部に生成する粗大セメンタイトは、粒界に沿ってネットワーク状に形成されている。従って、粗大セメンタイトの有無は容易に判定可能である。
【0155】
[浸炭焼入れ部品試験片の硬化層のC濃度測定試験]
各試験番号の浸炭焼入れ部品(小野式回転曲げ疲労試験片)を長さ方向に直行する方向に切断し、切断面をミクロマウントで埋込、研磨し、切断面を測定面とする試験片を採取した。そして、浸炭焼入れ部品の表面から50μm深さまでの領域におけるC濃度を、電子線マイクロアナライザーを用いて線分析した。線分析における測定間隔は、5μmとし、測定点は10点とした。これにより得られた10の測定点におけるC濃度の平均値を、表面から50μm深さまでの領域の平均C濃度(平坦部炭素濃度)として、表に記載した。
【0156】
[硬化層の硬さ測定方法]
硬化層の硬さは,次の方法で測定される。各試験番号の浸炭焼入れ部品(小野式回転曲げ疲労試験片)を長さ方向に直行する方向に切断し、切断面を測定面とする試験片を採取した。そして、浸炭焼入れ部品の表面から50μm深さ位置における切断面の硬さを、ビッカース硬度計を用いて、測定荷重を300gfとし、JIS Z 2244(2009)に準拠して測定した。硬さのばらつきを考慮して、50μm深さの3つの測定点のビッカース硬さを測定し、これらの平均値を算出した。ビッカース硬さの平均値を、平坦部における、表面から50μm深さの位置でのビッカース硬さ(表層硬さ)として、表に記載した。
【0157】
[面疲労強度測定試験(二円筒転がり疲労試験)]
小ローラ試験片および大ローラ試験片を用いた二円筒転がり疲労試験を実施して、面疲労強度を次のとおり求めた。試験機として、株式会社ニッコークリエート製のRP201を用いた。図5に示すとおり、小ローラ試験片10の直径26mmの円筒部と、大ローラ試験片20の外周面中央位置(直径130mmの外周部分)とを接触させながら転動させた。接触時の面圧はヘルツ面圧で1800~3500MPaとした。小ローラ試験片10の回転数を1500rpmとした。小ローラ試験片10の周速は123m/分とし、大ローラ試験片の周速は172m/分とした。試験中、小ローラ試験片と大ローラ試験片との接触部分に潤滑油を供給した。潤滑油はオートマチック用オイルとし、油温を100℃、油量を1.0L/分とした。試験での打切繰り返し回数は、一般的な鋼の疲労限度を示す2.0×10回とした。小ローラ試験片においてピッチングが発生せずに2.0×10回に達した最大面圧(MPa)を、小ローラ試験片の疲労限度とした。ピッチング発生の検出は、試験機に備え付けられた振動計によって行った。振動発生後に、小ローラ試験片と大ローラ試験片の両方の回転を停止させ、ピッチング発生と回転数を確認した。本実施例においては、歯車部品への適用を想定し、試験番号14のSCr420規格を満たす鋼を真空浸炭した(基準試験片)小ローラ試験片の疲労限度を、真空浸炭処理した試料、及びガス浸炭処理した試料の両方の評価基準値とした。疲労限度が基準鋼の1.20倍以上であった場合、面疲労強度に優れると判断した(表2A及び表2B中の「面疲労強度」欄で「合格」)。一方、疲労限度が基準鋼の1.20倍未満であった場合、面疲労強度が低いと判断した(表2A及び表2B中の「面疲労強度」欄で「不合格」)。
【0158】
[回転曲げ強度測定試験(回転曲げ疲労試験)]
回転曲げ疲労試験片を用いて、JIS Z 2274(1978)に規定の「金属材料の回転曲げ疲れ試験方法」に準拠した回転曲げ疲労試験を実施した。試験は常温、大気雰囲気中で実施し、回転数を3000rpmとした。応力負荷繰り返し回数が10サイクル後において破断しなかった最大応力を、曲げ疲労強度(MPa)とした。得られた曲げ疲労強度が、試験番号14のSCr420規格を満たす鋼を真空浸炭した(基準試験片)曲げ疲労限度を、真空浸炭処理した試料、及びガス浸炭処理した試料の両方の評価基準値とした。疲労限度が基準鋼の1.20倍以上であった場合、曲げ疲労強度に優れると判断した(表2A及び表2B中の「曲げ疲労強度」欄で「合格」)。一方、得られた曲げ疲労強度が、基準鋼である試験番号20の曲げ疲労強度の1.20倍未満であれば、曲げ疲労強度が低いと判断した(表2A及び表2B中の「曲げ疲労強度」欄で「不合格」)。
【0159】
[評価結果]
試験結果を表2Aおよび表2Bに示す。
【0160】
【表1A】
【0161】
【表1B】
【0162】
【表1C】
【表2A】
【0163】
【表2B】
【0164】
(試験結果)
表1A及び表1Bに示されるように、試験番号1~13の鋼の化学組成中の各元素含有量は適切であり、さらに、F1及びF2が式(1)及び式(2)を満たした。また、表1Cに示されるように、IA処理を行った鋼は、真空浸炭処理又はガス浸炭処理の前の段階においてビッカース硬さが280HV以下となり、優れた加工性を有した。
【0165】
また、試験番号1~13の鋼を真空浸炭処理して製造した浸炭焼入れ部品では、角部の粗大なセメンタイトは観察されず、浸炭焼入れ部品の表面から50μm深さまでの領域におけるC濃度が質量%で0.65%以上であり、浸炭焼入れ部品の表面から50μm深さまでの表層ビッカース硬さは600HV以上であった。その結果、これら浸炭焼入れ部品においては優れた曲げ疲労強度および優れた面疲労強度が得られた。
【0166】
一方、試験番号14では、Si含有量が低く、Cr含有量が高かった。そのため、F1の値が式(1)の下限を下回り、真空浸炭した際に、角部でセメンタイトが析出した。試験番号14の真空浸炭材の疲労強度を基準値とした場合、上述の試験番号1~13の全てのガス浸炭焼入れ部品及び真空浸炭焼入れ部品は、試験番号14よりも優れた疲労強度を示した。なお、真空浸炭前の試験番号14のビッカース硬さは216HVであった。また、真空浸炭後の試験番号14の硬さは、芯部において428.4HVであり、表層において651.6HVであった。
【0167】
試験番号15では、鋼のSi量が高すぎた。その結果、ガス浸炭した際に浸炭阻害が生じ、表層炭素濃度が低く、曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。
【0168】
試験番号16では、鋼の化学組成中の各元素含有量は適切であったものの、F1が式(1)の下限を下回った。その結果、真空浸炭した際に角部θが析出し、曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。
【0169】
試験番号17では、鋼のSi量が高すぎた。その結果、試験番号17は、ガス浸炭した際に浸炭阻害が生じ、表層炭素濃度が低く、曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。また、真空浸炭した際にも芯部硬さが不足し、曲げ疲労強度が不足した。
【0170】
試験番号18では、鋼の化学組成中の各元素含有量は適切であったものの、F2が式(2)の上限を超えた。その結果、試験番号18は、ガス浸炭した場合も真空浸炭した場合も曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。
【0171】
試験番号19では、鋼のC量が高すぎた。その結果、試験片加工時に割れが発生した。そのため、試験番号19は、上記の各強度評価試験を実施しなかった。
【0172】
試験番号20では、鋼のCr量が低かった。その結果、試験番号20は、ガス浸炭した際に曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。
【0173】
試験番号21では、鋼のCr量が高すぎた。その結果、試験番号21は、真空浸炭した際に角部にセメンタイトが析出し、曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。
【0174】
試験番号22では、鋼のSi量が低すぎた。その結果、試験番号22は、真空浸炭した際に角部にセメンタイトが析出し、曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。また、ガス浸炭した際にも曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。
【0175】
試験番号23では、鋼のSi量が高すぎた。その結果、試験番号23は、ガス浸炭した際に浸炭阻害が生じ、表層炭素濃度が低く、曲げ疲労強度および面疲労強度が不足した。
【0176】
試験番号24では、鋼のMn量が低すぎた。その結果、試験番号24は、ガス浸炭した場合も真空浸炭した場合も疲労強度が不足した。
【0177】
試験番号25では、鋼のMn量が高すぎた。その結果、試験番号25は、表層硬さが不足し、ガス浸炭した場合も真空浸炭した場合も疲労強度が不足した。
【0178】
試験番号26では、鋼のP量が高すぎた。その結果、試験番号26は、ガス浸炭した場合も真空浸炭した場合も疲労強度が不足した。
【0179】
試験番号27では、鋼のS量が高すぎた。その結果、試験番号27は、ガス浸炭した場合も真空浸炭した場合も疲労強度が不足した。
【0180】
試験番号28では、鋼のAl量が高すぎた。その結果、試験番号28は、ガス浸炭した場合も真空浸炭した場合も疲労強度が不足した。
【0181】
試験番号29では、鋼のN含有量が低すぎた。その結果、試験番号29は、ガス浸炭した場合も真空浸炭した場合も疲労強度が不足した。
【0182】
試験番号30では、鋼のN含有量が高すぎた。その結果、試験番号30は、ガス浸炭した場合も真空浸炭した場合も疲労強度が不足した。
【0183】
以上、本発明の実施の形態を説明した。しかしながら、上述した実施の形態は本発明を実施するための例示に過ぎない。したがって、本発明は上述した実施の形態に限定されることなく、その趣旨を逸脱しない範囲内で上述した実施の形態を適宜変更して実施することができる。
【産業上の利用可能性】
【0184】
前述したように、本発明の棒鋼を用いれば、自動車用歯車等の角部を有する部を大幅に小型化、軽量化することができ、その結果、自動車の燃費を高め、かつ、CO排出量を削減することが可能となる。また、浸炭後の表面炭素濃度を下げる必要もなく、また、真空熱処理においても再加熱焼き入れをする必要がなく、また、浸炭と拡散を繰り返し行うパルス浸炭においても粗大なセメンタイトを生成せずに浸炭処理を行うことが可能となり、大幅なコスト削減となる。また、ガス浸炭、真空浸炭問わず、浸炭熱処理した際に高強度部品を得ることができる浸炭用鋼を供している。よって、本発明の効果は極めて顕著であり、本発明は、産業上の利用可能性が大きいものである。
図1A
図1B
図2
図3
図4
図5
図6
図7