(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2022-10-19
(45)【発行日】2022-10-27
(54)【発明の名称】溶射被膜
(51)【国際特許分類】
C23C 4/08 20160101AFI20221020BHJP
C22C 38/00 20060101ALI20221020BHJP
C22C 38/40 20060101ALI20221020BHJP
C22C 38/48 20060101ALI20221020BHJP
F02F 1/00 20060101ALI20221020BHJP
【FI】
C23C4/08
C22C38/00 302X
C22C38/40
C22C38/48
F02F1/00 R
(21)【出願番号】P 2022514379
(86)(22)【出願日】2021-03-23
(86)【国際出願番号】 JP2021011915
(87)【国際公開番号】W WO2021205864
(87)【国際公開日】2021-10-14
【審査請求日】2022-01-13
(31)【優先権主張番号】P 2020070339
(32)【優先日】2020-04-09
(33)【優先権主張国・地域又は機関】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000003997
【氏名又は名称】日産自動車株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100102141
【氏名又は名称】的場 基憲
(74)【代理人】
【識別番号】100137316
【氏名又は名称】鈴木 宏
(72)【発明者】
【氏名】平山 勇人
(72)【発明者】
【氏名】樋口 毅
(72)【発明者】
【氏名】内海 貴人
(72)【発明者】
【氏名】星川 裕聡
【審査官】酒井 英夫
(56)【参考文献】
【文献】特開2008-240029(JP,A)
【文献】特表2015-520301(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C23C 4/00-4/18,
C22C 38/00-38/60,
F02F 1/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜であって、
前記溶射被膜は、質量%で、炭素を0.005~0.14%、ニッケルを0.01~3.0%、クロムを10~20.5%、ケイ素を0.05~1.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなり、且つ、
前記溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるマルテンサイト+フェライト領域を形成する組成を有し、且つ、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1)~(3)
NiE≦0.95CrE-8.59 ・・・(1)
NiE≦4.1 ・・・(2)
CrE≧10 ・・・(3)
で表される関係を満足する組成を有し、且つ、
前記溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有する
ことを特徴とする溶射被膜。
【請求項2】
前記溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が次の式(3’)
CrE≧11.5 ・・・(3’)
で表される関係を満足する組成を有することを特徴とする請求項1に記載の溶射被膜。
【請求項3】
前記溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が次の式(2’)
0.4≦NiE≦4.1 ・・・(2’)
で表される関係を満足する組成を有することを特徴とする請求項1又は2に記載の溶射被膜。
【請求項4】
前記溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1’)
NiE≦0.93CrE-10.18 ・・・(1’)
で表される関係を満足する組成を有することを特徴とする請求項1~3のいずれか1つの項に記載の溶射被膜。
【請求項5】
前記溶射被膜は、質量%で、クロムを11.5~20.5%含有し、且つ、シェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が次の式(3’)
CrE≧11.5 ・・・(3’)
で表される関係を満足する組成を有することを特徴とする請求項1~4のいずれか1つの項に記載の溶射被膜。
【請求項6】
前記溶射被膜は、質量%で、クロムを11.5~15.5%含有し、且つ、シェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が次の式(3’’)
11.5≦CrE≦15.5 ・・・(3’’)
で表される関係を満足する組成を有することを特徴とする請求項1~5のいずれか1つの項に記載の溶射被膜。
【請求項7】
前記溶射被膜は、質量%で、炭素を0.005~0.07%、ニッケルを0.01~0.6%、クロムを11.5~15.5%、ケイ素を0.05~0.5%含有し、且つ、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が次の式(2’’)
0.4≦NiE≦2.3 ・・・(2’’)
で表される関係を満足する組成を有することを特徴とする請求項1~6のいずれか1つの項に記載の溶射被膜。
【請求項8】
前記溶射被膜は、マンガン及び/又はモリブデンを含有することを特徴とする請求項1~7のいずれか1つの項に記載の溶射被膜。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、溶射被膜に係り、更に詳細には、アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、良好な耐腐食性及び耐摩耗性を有する溶射層が提案されている(特許文献1参照。)。この溶射層は、主としてマルテンサイトの組成を有する鉄ベース合金を含み、ニッケルを含み、シェフラーの状態図のニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)で、以下の式:(i)CrE>10、式(ii):NiE>CrE-9及び式(iii):NiE<19-0.8×CrEで指定される組成を有し、式中、それぞれは、総質量に基づいている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0003】
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
しかしながら、特許文献1の溶射層は、マルテンサイトが主となる組成を有しているので、表面気孔率が高く、耐焼付き性が低いという問題点があった。
【0005】
本発明は、このような従来技術の有する課題に鑑みてなされたものであって、良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現し得る溶射被膜を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明者らは、上記目的を達成するため鋭意検討を重ねた結果、所定量の炭素、ニッケル、クロム、ケイ素を含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなり、所定の組成及び組織を有する溶射被膜とすることにより、上記目的が達成できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0007】
すなわち、本発明の溶射被膜は、アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜である。この溶射被膜は、質量%で、炭素を0.005~0.14%、ニッケルを0.01~3.0%、クロムを10~20.5%、ケイ素を0.05~1.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなる。更に、この溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるマルテンサイト+フェライト領域を形成する組成を有し、且つ、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1):NiE≦0.95CrE-8.59、式(2):NiE≦4.1及び式(3):CrE≧10で表される関係を満足する組成を有する。更に、この溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有する。
【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、所定量の炭素、ニッケル、クロム、ケイ素を含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなり、所定の組成及び組織を有する溶射被膜であるため、良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現し得る溶射被膜を提供できる。
【図面の簡単な説明】
【0009】
【
図2】
図2は、耐摩耗性評価試験の概要を示す斜視説明図である。
【発明を実施するための形態】
【0010】
以下、本発明の若干の実施形態に係る溶射被膜について詳細に説明する。なお、本明細書において、「%」は特記しない限り質量百分率を表すものとする。
【0011】
(第1の実施形態)
本発明の第1の実施形態に係る溶射被膜は、アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜である。この溶射被膜は、炭素(C)を0.005~0.14%、ニッケル(Ni)を0.01~3.0%、クロム(Cr)を10~20.5%、ケイ素(Si)を0.05~1.5%含有し、残部が鉄(Fe)及び不可避不純物からなる。この溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるマルテンサイト+フェライト(M+F)領域を形成する組成を有し、且つ、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1):NiE≦0.95CrE-8.59、式(2):NiE≦4.1及び式(3):CrE≧10で表される関係を満足する組成を有する。この溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有する。
【0012】
ここで、
図1は、シェフラーの状態図である。本願において、「シェフラーの状態図におけるマルテンサイト+フェライト(M+F)領域」は、次の式(4)~(4’’’)で表される領域である。
【0013】
NiE>0.3273CrE-4.0909 ・・・(4)
NiE<-0.8125CrE+19.5 ・・・(4’)
NiE>0 ・・・(4’’)
NiE<1.1228CrE-8.4211 ・・・(4’’’)
【0014】
また、本願において、シェフラーの状態図における「ニッケル当量(NiE)」及び「クロム当量(CrE)」は、それぞれ、次の式(5)及び(5’)で表される。
【0015】
NiE=%Ni+30×%C+0.5×%Mn ・・・(5)
CrE=%Cr+%Mo+1.5×%Si+0.5×%Nb ・・・(5’)
【0016】
本実施形態の溶射被膜は、上述した所定量の炭素(C)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)、ケイ素(Si)を含有し、残部が鉄(Fe)及び不可避不純物からなり、上述した所定の組成及び組織を有する。これにより、本実施形態の溶射被膜は、良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できると考えられる。
【0017】
なお、シリンダボア内周面に配置された溶射被膜の表面気孔率を低減させることにより、エンジンオイルの消費量を少なくすることができる。また、シリンダボア内周面に配置された溶射被膜の耐焼付き性を向上させることにより、シリンダボアとピストンリングとの凝着を抑制することができる。
【0018】
さらに、本願において、「良好な耐食性」とは、実施例に記載の耐食性評価試験における腐食量が34mg未満であることを意味する。この腐食量は10mg未満であることが好ましく、8.5mg未満であることがより好ましく、5mg未満であることが更に好ましい。また、本願において、「良好な耐摩耗性」とは、実施例に記載の耐摩耗性評価試験における摩耗量が3.2μm未満であることを意味する。この摩耗量は2.0μm未満であることが好ましく、1.5μm未満であることがより好ましい。さらに、本願において、「良好な密着性」とは、実施例に記載の密着性評価試験における密着力が25MPa超であることを意味する。この密着性は30MPa超であることが好ましく、35MPa超であることがより好ましい。
【0019】
なお、本実施形態の溶射被膜は、「アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜であって、前記溶射被膜は、炭素を0.005~0.14%、ニッケルを0.01~3.0%、クロムを10~20.5%、ケイ素を0.05~1.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなり、且つ、前記溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1)~(4)、(4’)及び(4’’)
NiE≦0.95CrE-8.59 ・・・(1)
NiE≦4.1 ・・・(2)
CrE≧10 ・・・(3)
NiE>0.3273CrE-4.0909 ・・・(4)
NiE<-0.8125CrE+19.5 ・・・(4’)
NiE>0 ・・・(4’’)
で表される関係を満足する組成を有し、且つ、前記溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有することを特徴とする溶射被膜。」のように記載することもできる。
【0020】
まず、溶射被膜の基材について説明する。シリンダブロックの構成材料としては、アルミニウム又はアルミニウム合金を適用すればよいが、アルミニウム合金としては、特に限定されないが、日本産業規格 アルミニウム合金ダイカスト(JIS H 5302)に規定されるADC12Zを好適例として挙げることができる。
【0021】
次に、溶射被膜の組成について説明する。
【0022】
炭素(C)は、溶射被膜の組織のオーステナイト化に寄与する元素である。また、このような炭素(C)は、溶射被膜の硬度の向上に有効な元素である。溶射被膜の良好な硬度を確保するためには、溶射被膜の炭素(C)含有量が0.005%以上であることを要する。一方、溶射被膜の炭素(C)含有量が0.14%を超えると、溶射被膜の表面気孔率が高く、溶射被膜の耐焼付き性が低いという理由から、溶射被膜の炭素(C)含有量が0.14%以下であることを要する。
【0023】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜の炭素(C)含有量は0.005%以上0.13%以下であることがより好ましい。
【0024】
溶射被膜の表面気孔率の更なる低減及び耐焼付き性の更なる向上を実現することができるという観点からは、溶射被膜の炭素(C)含有量が0.07%以下であることが好ましい。
【0025】
ニッケル(Ni)は、溶射被膜の組織のオーステナイト化に寄与する元素である。また、このようなニッケル(Ni)は、溶射被膜の硬度の向上に有効な元素である。溶射被膜の良好な硬度を確保するためには、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量が0.01%以上であることを要する。一方、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量が3.0%を超えると、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を形成できない、耐焼付き性が低いという理由から、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量が3.0%以下であることを要する。
【0026】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量は0.04%以上0.61%以下であることがより好ましい。
【0027】
溶射被膜の耐摩耗性及び耐焼付き性の更なる向上を実現することができるという観点からは、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量が0.6%以下であることが好ましい。
【0028】
クロム(Cr)は、溶射被膜の不動態膜の形成を促進する元素であり、溶射皮膜の良好な耐食性を確保するためには、溶射被膜のクロム(Cr)含有量が10%以上であることを要する。一方、溶射被膜のクロム(Cr)含有量が20.5%を超えると、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を形成できないという理由から、溶射被膜のクロム(Cr)含有量が20.5%以下であることを要する。
【0029】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のクロム(Cr)含有量は10.2%以上14.59%以下であることがより好ましい。
【0030】
溶射皮膜の耐食性の更なる向上を実現することができるという観点からは、溶射被膜のクロム(Cr)含有量が11.5%以上であることが好ましい。溶射皮膜の耐摩耗性及び耐食性の更なる向上を実現することができるという観点からは、溶射被膜のクロム(Cr)含有量が15.5%以下であることが好ましい。
【0031】
ケイ素(Si)は、溶射被膜の硬度を向上させる元素である。溶射被膜の良好な硬度を確保するためには、溶射被膜のケイ素(Si)含有量が0.05%以上であることを要する。一方、溶射被膜のケイ素(Si)含有量が1.5%を超えると、溶射被膜が硬くなり過ぎて加工性が低下する可能性があるという観点からは、溶射被膜のケイ素(Si)含有量が1.5%以下であることを要する。
【0032】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のケイ素(Si)含有量は0.1%以上0.56%以下であることがより好ましい。
【0033】
溶射被膜の加工性を向上させることができるという観点からは、溶射被膜のケイ素(Si)含有量が0.5%以下であることが好ましい。
【0034】
特に限定されないが、溶射被膜は、マンガン(Mn)及び/又はモリブデン(Mo)を含有していてもよい。もちろん、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量は少なければ少ないほど好ましい。また、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量は、コスト低減の観点からは、少なければ少ないほど好ましい。従って、溶射被膜は、マンガン(Mn)及びモリブデン(Mo)を含んでいなくてもよい。
【0035】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量は0.2%以上1.2%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量は0.01%以上0.34%以下であることがより好ましい。
【0036】
マンガン(Mn)は、溶射被膜の組織のオーステナイト化に寄与する元素である。また、このようなマンガン(Mn)は、溶射被膜の硬度の向上に有効な元素である。溶射被膜の良好な硬度を確保するためには、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量が1.5%以下であることが好ましく、1.2%以下であることがより好ましく、0.6%以下であることが更に好ましい。一方、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量が0.1%未満であると、溶射被膜の密着性が低下する可能性があるという理由から、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量が0.1%以上であることが好ましく、0.2%以上であることがより好ましく、0.3%以上であることが更に好ましく、0.4%以上であることが特に好ましい。
【0037】
モリブデン(Mo)は、溶射被膜の不動態膜の形成を促進する元素であり、溶射皮膜の耐食性の向上に有効な元素である。溶射被膜のより良好な耐食性を確保するためには、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量が0.01%以上であることが好ましく、0.25%以上であることがより好ましい。一方、溶射被膜のコストを低減できるという理由から、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量が0.4%以下であることが好ましく、0.35%以下であることがより好ましく、0.25%以下であることが更に好ましく、0.1%以下であることが特に好ましい。
【0038】
特に限定されないが、溶射被膜は、ニオブ(Nb)を含有していてもよい。もちろん、溶射被膜のニオブ(Nb)含有量は少なければ少ないほど好ましい。従って、溶射被膜は、ニオブ(Nb)を含んでいなくてもよい。
【0039】
ニオブ(Nb)は、溶射皮膜の硬度の向上に有効な元素である。また、溶射皮膜の良好な硬度及び耐食性を確保するためには、溶射被膜のニオブ(Nb)含有量が0.5%以下であることが好ましく、0.1~0.4%であることがより好ましく、0.1~0.2%であることが更に好ましい。
【0040】
特に限定されないが、溶射被膜の製造に用いるワイヤ状溶射材が表面に銅メッキ層を有する場合、溶射被膜は、溶射材の芯部の成分と共に、銅(Cu)を含んでいてもよい。溶射被膜の銅(Cu)含有量は0.5%未満であることが好ましい。
【0041】
また、溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるマルテンサイト+フェライト(M+F)領域を形成する組成、即ち、上述した式(4)~(4’’’)で表される領域を形成する組成を有することを要する。例えば、マルテンサイト(M)領域は、溶射被膜の表面気孔率を低減させることができない。また、オーステナイト+マルテンサイト(A+M)領域、オーステナイト+マルテンサイト+フェライト(A+M+F)領域は、溶射被膜の耐焼付き性が低減する。特に、オーステナイト(A)領域のようにオーステナイトが増加すると、溶射被膜の密着性が低減する。また、フェライト(F)領域は、溶射被膜の良好な耐摩耗性を確保できない。また、フェライト+マルテンサイト(F+M)領域は、溶射被膜の良好な耐食性を確保できない。
【0042】
さらに、溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が上述した式(1)~(3)で表される関係を満足する組成を有することを要する。
【0043】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が0.38以上4.1以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が10.4以上15.3以下であることがより好ましい。
【0044】
上述した式(1)で表される関係を満足しない組成を有する場合、溶射被膜の表面気孔率を低減させることができない。また、上述した式(2)で表される関係を満足しない組成を有する場合、溶射被膜の耐焼付き性を向上させることができない。さらに、上述した式(3)で表される関係を満足しない組織を有する場合、良好な耐食性を有する溶射被膜が得られない。
【0045】
次に、溶射被膜の組織について説明する。溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有することを要する。溶射被膜がこのような2相組織を有しない場合、溶射被膜の表面気孔率の低減及び耐焼付き性の向上を実現できない。
【0046】
本実施形態の溶射被膜において良好な耐食性を確保することができるという観点からは、溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が次の式(3’):CrE≧11.5で表される関係を満足する組成を有することが好ましい。
【0047】
本実施形態の溶射被膜において溶射被膜の密着性を向上させることができるという観点からは、溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が次の式(2’):0.4≦NiE≦4.1で表される関係を満足する組成を有することが好ましい。
【0048】
本実施形態の溶射被膜において溶射被膜の表面気孔率をより低減させることができるという観点からは、溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1’):NiE≦0.93CrE-10.18で表される関係を満足する組成を有することが好ましい。
【0049】
本実施形態の溶射被膜において溶射被膜のより良好な耐食性を確保することができるという観点からは、溶射被膜は、クロム(Cr)を11.5~20.5%含有し、且つ、シェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が次の式(3’):CrE≧11.5で表される関係を満足する組成を有することが好ましい。
【0050】
本実施形態の溶射被膜において溶射被膜のより良好な耐食性及び耐摩耗性を確保することができるという観点からは、溶射被膜は、クロム(Cr)を11.5~15.5%含有し、且つ、シェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が次の式(3’’):11.5≦CrE≦15.5で表される関係を満足する組成を有することが好ましい。
【0051】
本実施形態の溶射被膜において溶射被膜の密着性を向上させること及び溶射被膜の耐焼付き性をより向上させることができるという観点からは、溶射被膜は、炭素(C)を0.005~0.07%、ニッケル(Ni)を0.01~0.6%、クロム(Cr)を11.5~15.5%、ケイ素(Si)を0.05~0.5%含有し、且つ、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が次の式(2’’):0.4≦NiE≦2.3で表される関係を満足する組成を有することが好ましい。
【0052】
本実施形態の溶射被膜において溶射被膜の量産性を向上させることができるという観点からは、溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が0.60以上0.80以下及びクロム当量(CrE)が11.0以上14.5以下で表される関係を満足する組成を有することが好ましく、ニッケル当量(NiE)が0.68以上0.74以下及びクロム当量(CrE)が11.5以上14以下で表される関係を満足する組成を有することがより好ましい。
【0053】
ここで、本発明の溶射被膜の好適形態である第2~第6の実施形態を列挙する。なお、これらの第2~第6の実施形態においては、上記第1の実施形態における好適な組成、組織を適宜採用することができる。
【0054】
(第2の実施形態)
本発明の第2の実施形態に係る溶射被膜は、アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜であって、炭素を0.005~0.14%、ニッケルを0.01~3.0%、クロムを10~20.5%、ケイ素を0.05~1.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなり、且つ、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1):NiE≦0.95CrE-8.59、式(2’):0.4≦NiE≦4.1、式(3):CrE≧10、式(4):NiE>0.3273CrE-4.0909、式(4’):NiE<-0.8125CrE+19.5で表される関係を満足する組成を有し、且つ、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有する。本実施形態の溶射被膜は、良好な耐食性、耐摩耗性及び密着性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できる。
【0055】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜の炭素(C)含有量は0.005%以上0.13%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量は0.04%以上0.61%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のクロム(Cr)含有量は10.2%以上14.59%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のケイ素(Si)含有量は0.1%以上0.56%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が0.43以上4.1以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が10.4以上15.3以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量は0.2%以上1.2%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量は0.01%以上0.34%以下であることがより好ましい。
【0056】
(第3の実施形態)
本発明の第3の実施形態に係る溶射被膜は、アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜である。この溶射被膜は、炭素を0.005~0.14%、ニッケルを0.01~3.0%、クロムを11.5~20.5%、ケイ素を0.05~1.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなる。この溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1):NiE≦0.95CrE-8.59、式(2’):0.4≦NiE≦4.1、式(3’):CrE≧11.5、式(4):NiE>0.3273CrE-4.0909、式(4’):NiE<-0.8125CrE+19.5で表される関係を満足する組成を有する。この溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有する。本実施形態の溶射被膜は、上述の第2の実施形態の溶射被膜の耐食性よりも良好な耐食性を実現できる。
【0057】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜の炭素(C)含有量は0.005%以上0.13%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量は0.04%以上0.61%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のクロム(Cr)含有量は11.6%以上14.59%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のケイ素(Si)含有量は0.1%以上0.56%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が0.43以上4.1以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が11.5以上15.3以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量は0.2%以上1.2%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量は0.01%以上0.34%以下であることがより好ましい。
【0058】
(第4の実施形態)
本発明の第4の実施形態に係る溶射被膜は、アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜である。この溶射被膜は、炭素を0.005~0.14%、ニッケルを0.01~3.0%、クロムを11.5~20.5%、ケイ素を0.05~1.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなる。この溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1’):NiE≦0.93CrE-10.18、式(2’):0.4≦NiE≦4.1、式(3’):CrE≧11.5、式(4):NiE>0.3273CrE-4.0909、式(4’):NiE<-0.8125CrE+19.5で表される関係を満足する組成を有する。この溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有する。本実施形態の溶射被膜は、上述の第2の実施形態の溶射被膜の耐食性よりも良好な耐食性を実現できると共に、上述の第2又は第3の実施形態の溶射被膜の表面気孔率よりも低い表面気孔率を実現できる。
【0059】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜の炭素(C)含有量は0.005%以上0.13%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量は0.04%以上0.61%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のクロム(Cr)含有量は11.6%以上14.59%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のケイ素(Si)含有量は0.1%以上0.56%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が0.43以上4.1以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が11.5以上15.3以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量は0.2%以上1.2%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量は0.01%以上0.34%以下であることがより好ましい。
【0060】
(第5の実施形態)
本発明の第5の実施形態に係る溶射被膜は、アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜である。この溶射被膜は、炭素を0.005~0.14%、ニッケルを0.01~3.0%、クロムを11.5~15.5%、ケイ素を0.05~1.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなる。この溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1’):NiE≦0.93CrE-10.18、式(2’):0.4≦NiE≦4.1、式(3’’):11.5≦CrE≦15.5、式(4):NiE>0.3273CrE-4.0909で表される関係を満足する組成を有する。この溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有する。本実施形態の溶射被膜は、上述の第2の実施形態の溶射被膜の耐食性よりも良好な耐食性を実現できると共に、上述の第2又は第3の実施形態の溶射被膜の表面気孔率よりも低い表面気孔率を実現できる。更に、本実施形態の溶射被膜は、上述の第2~第4の実施形態の溶射被膜の耐摩耗性よりも高い耐摩耗性を実現できる。
【0061】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜の炭素(C)含有量は0.005%以上0.13%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量は0.04%以上0.61%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のクロム(Cr)含有量は11.6%以上14.59%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のケイ素(Si)含有量は0.1%以上0.56%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が0.43以上4.1以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が11.5以上15.3以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量は0.2%以上1.2%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量は0.01%以上0.34%以下であることがより好ましい。
【0062】
(第6の実施形態)
本発明の第6の実施形態に係る溶射被膜は、アルミニウム又はアルミニウム合金製のシリンダブロックのシリンダボア内周面に配置された溶射被膜である。この溶射被膜は、炭素を0.005~0.07%、ニッケルを0.01~0.6%、クロムを11.5~15.5%、ケイ素を0.05~0.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなる。この溶射被膜は、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が次の式(1’):NiE≦0.93CrE-10.18、式(2’):0.4≦NiE≦4.1、式(3’’):11.5≦CrE≦15.5、式(4):NiE>0.3273CrE-4.0909で表される関係を満足する組成を有する。この溶射被膜は、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有する。本実施形態の溶射被膜は、上述の第2の実施形態の溶射被膜の耐食性よりも良好な耐食性を実現できると共に、上述の第2又は第3の実施形態の溶射被膜の表面気孔率よりも低い表面気孔率を実現できる。更に、本実施形態の溶射被膜は、上述の第2~第4の実施形態の溶射被膜の耐摩耗性よりも高い耐摩耗性を実現できると共に、上述の第2~第5の実施形態の溶射被膜の耐焼付き性よりも高い耐焼付き性を実現できる。
【0063】
良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜の炭素(C)含有量は0.005%以上0.07%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のニッケル(Ni)含有量は0.04%以上0.53%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のクロム(Cr)含有量は11.6%以上14.59%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のケイ素(Si)含有量は0.1%以上0.45%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)が0.43以上4.1以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜においてシェフラーの状態図におけるクロム当量(CrE)が11.5以上15.3以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のマンガン(Mn)含有量は0.2%以上1.2%以下であることがより好ましい。良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できるという理由から、溶射被膜のモリブデン(Mo)含有量は0.01%以上0.34%以下であることがより好ましい。
【0064】
上述の溶射被膜の製造方法について、一例を挙げて説明する。但し、本発明の溶射被膜は、このような製造方法によって得られるものに限定されない。
【0065】
まず、アルミニウム合金製のシリンダブロックを準備する。例えば、鋳造によりアルミニウム合金製のシリンダブロックを作製する。次いで、必要に応じて、シリンダボア内周面を粗面化する下地加工をする。しかる後、シリンダブロックを予熱した状態で、シリンダボア内周面に溶射材をアーク電流で液滴とした液滴粉末を飛散させ、シリンダボア内周面に溶射被膜を形成する。
【実施例】
【0066】
以下、本発明を実施例により更に詳細に説明するが、本発明はこれら実施例に限定されない。
【0067】
(実施例1)
<溶射材の作製>
溶解炉において、溶射材の芯部における炭素(C)含有量が0.009%、マンガン(Mn)含有量が0.35%、ニッケル(Ni)含有量が0.22%、クロム(Cr)含有量が12.34%、モリブデン(Mo)含有量が0.09%、ケイ素(Si)含有量が0.42%となるように鉄(Fe)に炭素(C)、マンガン(Mn)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)、モリブデン(Mo)及びケイ素(Si)を添加し、成分調整した溶湯から、分塊圧延によって、鋼棒(直径:9mm)を作製した。次いで、得られた鋼棒に対して冷間伸線を繰り返し、ワイヤ状の形状を有する溶射材(直径:3mm)を作製した。しかる後、得られたワイヤ状の形状を有する溶射材に対して長さ20mを1ロットとして、硫酸銅溶液に浸漬し、液温40℃、電圧5V、電流密度4A/dm2で、銅メッキ層の厚みが0.6μmになるまで銅メッキ処理を実行して、本例の溶射材を作製した。ここでの、通電時間は約20分間であった。
【0068】
ここで、「銅メッキ層の厚さ」は、日本産業規格 めっきの厚さ試験方法(JIS H8501)に準拠して測定して得た。
【0069】
<溶射被膜の作製>
アルミニウム合金製のシリンダブロックを鋳造し、溶射被膜の密着性を高めるためにシリンダボア内周面を下地加工して、本例で用いるシリンダブロック基材を用意した。しかる後、用意したシリンダブロック基材を120℃に予熱した状態で、溶射機(ヘラー社製、ツインアークワイヤ溶射機)を用い、シリンダボア内に挿入した溶射ガンを一端側から他端側へ移動させながら、溶射ガン先端のアークにより溶融させた本例の溶射材の液滴を溶射フレームとして、溶射被膜の厚みが300μmとなるまでシリンダボア内周面に吹き付けて、本例の溶射被膜を得た。なお、本例の溶射被膜が、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有することを以下の要領で確認した。本例の溶射被膜の仕様の一部を表1に示す。
【0070】
<金属組織の観察>
本例の溶射被膜を溶射被膜付きシリンダブロック(縦20mm×横20mm×厚さ5mm)として切り出し、切り出した溶射被膜部分の切断面の金属組織を走査型電子顕微鏡(SEM)で観察した。
【0071】
(実施例2~実施例8、比較例1~比較例9)
溶射材の作製において、炭素(C)、マンガン(Mn)、ニッケル(Ni)、クロム(Cr)、モリブデン(Mo)及びケイ素(Si)含有量を表1及び表2に示した値に変更し、その分を鉄(Fe)含有量で調製したこと以外は、実施例1と同様の操作を繰り返して、各例の溶射被膜を得た。各例の溶射被膜の仕様の一部を表1及び表2に示す。
【0072】
【0073】
【0074】
<表面気孔率>
各例の溶射被膜を溶射被膜付きシリンダブロック(縦20mm×横20mm×厚さ5mm)として切り出した。しかる後、切り出した溶射被膜部分の表面を光学顕微鏡で観察し、得られた顕微鏡写真を画像解析により2値化処理し、数値化した。得られた結果を表1及び表2に併記する。
【0075】
<耐焼付き性評価試験>
各例の溶射被膜を溶射被膜付きシリンダブロック(縦45mm×横20mm×厚さ5mm)として切り出して、各例の溶射被膜付きシリンダブロック試験片とした。一方、表面粗さRaが0.1μm以下の硬質炭素膜を表面に有するピストンリングから各例の硬質炭素膜付きピストンリング試験片(縦3mm×横15mm)を切り出した。次いで、往復動可能なテーブルに各例の溶射被膜付きシリンダブロック試験片を固定し、昇降可能なヘッドに各例の硬質炭素膜付きピストンリング試験片を固定し、硬質炭素膜を溶射被膜に接触させた。しかる後、テーブルを往復動させ、溶射被膜への負荷を変化させながら、各例の溶射被膜付きシリンダブロック試験片と各例の溶射被膜付きシリンダブロック試験片を下記条件下で摺動させて、焼付き荷重を測定した。なお、その際、各例の硬質炭素膜付きピストンリング試験片に熱電対を装着して、摺動温度も測定した。得られた結果を表1及び表2に併記する。
【0076】
(試験条件)
・テーブル移動速度 :1m/s
・ステップ荷重 :100N/ステップ
・往復摺動距離 :20mm
・使用潤滑油 :100℃の動粘度が4cStのポリ-α-オレフィン(PAO)
・潤滑油使用量 :1滴塗布
・テーブル側加熱温度:120℃
・試験停止条件 :摩擦力リミッターを120N常時超過に設定した。
【0077】
<耐食性評価試験>
各例の溶射被膜を溶射被膜付きシリンダブロック(縦10mm×横10mm×厚さ5mm)として切り出した。次いで、溶射被膜の表面以外の腐食を抑制するため、溶射被膜の表面以外の部分をコーティングし、その後、重量を測定した。更に、溶射被膜を1%硝酸溶液に1時間浸漬し、その後、再度重量を測定した。しかる後、浸漬前後の重量変化から腐食量を算出した。得られた結果を表1及び表2に併記する。
【0078】
<耐摩耗性評価試験>
各例の溶射被膜を溶射被膜付きシリンダブロック(縦15mm×横20mm×厚さ5mm)として切り出して、各例の溶射被膜付きシリンダブロック試験片とした。一方、表面粗さRaが0.1μm以下の硬質炭素膜を表面に有するピストンリングから各例の硬質炭素膜付きピストンリング試験片(縦3mm×横15mm)を切り出した。これらを下記条件下で摺動させて、摩耗深さを測定した。得られた結果を表1及び表2に併記する。
【0079】
(試験条件)
・温度 :室温(25℃)
・荷重 :300N
・振幅 :3mm
・周波数 :25Hz
・試験時間 :60分間
・使用潤滑油:100℃の動粘度が4cStのポリ-α-オレフィン(PAO)
【0080】
図2は、耐摩耗性評価試験の概要を示す斜視説明図である。同図に示すように、シリンダブロック基材11と溶射被膜12からなる溶射被膜付きシリンダブロック試験片10の上にピストンリング基材21と硬質炭素膜22からなる硬質炭素膜付きピストンリング試験片20が配置されている。矢印Aは耐摩耗性評価試験において加えられる加重方向(上方から下方)、矢印Bは硬質炭素膜付きピストンリング試験片20が溶射被膜付きシリンダブロック試験片10の面上を摺動する方向(水平方向)を示す。
【0081】
<密着力評価試験>
各例の溶射被膜を溶射被膜付きシリンダブロック(縦40mm×横80mm×厚さ5mm)として切り出した。次いで、溶射被膜の表面に接着剤を用いて試験用治具を溶射被膜表面に接着した。しかる後、オートグラフにより試験用治具を押し込み、接着部を溶射被膜から引き剥がす過程において、応力-ひずみ曲線を取得して、溶射被膜が剥がれるまでの最大応力を密着力(MPa)として算出した。得られた結果を表1及び表2に併記する。
【0082】
表1より、本発明の範囲に属する実施例1~実施例8は、本発明外の比較例1~比較例9に対して、良好な耐食性及び耐摩耗性を確保しつつ、表面気孔率の低減と耐焼付き性の向上を実現できることが分かる。具体的には、本発明の範囲に属する実施例1~実施例8においては、表面気孔率が2.8面積%未満まで低減しており、耐焼付き性の指標である焼付き荷重が700N超まで向上している。これは、実施例1~実施例8の溶射被膜が、炭素(C)を0.005~0.14%、ニッケル(Ni)を0.01~3.0%、クロム(Cr)を10~20.5%、ケイ素(Si)を0.05~1.5%含有し、残部が鉄及び不可避不純物からなり、且つ、シェフラーの状態図におけるマルテンサイト+フェライト(M+F)領域を形成する組成を有し、且つ、シェフラーの状態図におけるニッケル当量(NiE)及びクロム当量(CrE)が式(1):NiE≦0.95CrE-8.59、式(2):NiE≦4.1及び式(3):CrE≧10で表される関係を満足する組成を有し、且つ、マルテンサイト相及びフェライト相からなる2相組織を有するためと考えられる。
【0083】
現時点において、実施例1が最も良好な結果をもたらすものと考えられる。
【0084】
以上、本発明を若干の実施形態及び実施例によって説明したが、本発明はこれらに限定されるものではなく、本発明の要旨の範囲内で種々の変形が可能である。
【符号の説明】
【0085】
10 溶射被膜付きシリンダブロック試験片
11 シリンダブロック基材
12 溶射被膜
20 硬質炭素膜付きピストンリング試験片
21 ピストンリング基材
22 硬質炭素膜