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特許7231477フラックス入りワイヤ、溶接方法及び溶接金属
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-02-20
(45)【発行日】2023-03-01
(54)【発明の名称】フラックス入りワイヤ、溶接方法及び溶接金属
(51)【国際特許分類】
   B23K 35/368 20060101AFI20230221BHJP
   B23K 35/30 20060101ALI20230221BHJP
   C22C 19/05 20060101ALN20230221BHJP
【FI】
B23K35/368 B
B23K35/30 320A
B23K35/30 320B
B23K35/30 320Q
C22C19/05 B
【請求項の数】 6
(21)【出願番号】P 2019089014
(22)【出願日】2019-05-09
(65)【公開番号】P2020182970
(43)【公開日】2020-11-12
【審査請求日】2021-10-26
(73)【特許権者】
【識別番号】000001199
【氏名又は名称】株式会社神戸製鋼所
(74)【代理人】
【識別番号】110002000
【氏名又は名称】弁理士法人栄光事務所
(72)【発明者】
【氏名】迎井 直樹
(72)【発明者】
【氏名】泉谷 瞬
【審査官】川口 由紀子
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2017/013965(WO,A1)
【文献】特開2015-077618(JP,A)
【文献】特開2000-084694(JP,A)
【文献】中国特許出願公開第101745754(CN,A)
【文献】中国特許出願公開第1943965(CN,A)
【文献】特開昭60-127097(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
B23K 35/368
B23K 35/30
C22C 19/05
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
正極性のガスシールドアーク溶接に用いられるフラックス入りワイヤであって、
前記フラックス入りワイヤのフラックスは1種又は数種の金属化合物粉を含有し、
前記金属化合物粉は1種又は数種の金属フッ化物粉を含み、
前記金属フッ化物粉の合計の含有量は、ワイヤ全質量に対する質量%で2%超4.5%以下であり、
前記フラックスは、沸点1600℃以下の、金属粉及び無機化合物粉の少なくともいずれか一方を、ワイヤ全質量に対して合計で1.0×10 -4 mol/g以上含有し、
前記金属化合物粉を構成する1種又は数種の金属元素は、高温環境下における安定化合物とした際に、前記安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値が、前記フラックス入りワイヤのワイヤ径に対して以下の関係を満たし、
前記安定化合物の仕事関数が、いずれも4.0eV以下であり、
前記安定化合物は、酸化物、炭化物、硫化物及び窒化物からなる群より選ばれる少なくとも1種の化合物であり、
前記酸化物は、1500~1600℃における標準生成ギブスエネルギーが-150kcal/molO 以下であり、
前記炭化物は、1500~1600℃における標準生成ギブスエネルギーが-20kcal/molC以下であり、
前記硫化物は、1500~1600℃における標準生成ギブスエネルギーが-80kcal/molS 以下であり、
前記窒化物は、1500~1600℃における標準生成ギブスエネルギーが-50kcal/molN 以下である、フラックス入りワイヤ。
1.00≦Φ≦-0.0908D+0.5473D+1.547
Φ=Φ n1/ntotal×Φ n2/ntotal・・・×Φ nm/ntotal
式中、Dはワイヤ径(mm)、Φは安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値(eV)、Φ~Φ(mは自然数)はm種の安定化合物の各仕事関数(eV)、n~nは前記m種の安定化合物となるm種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の各含有量(mol/g)、ntotalは前記m種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の合計の含有量(mol/g)をそれぞれ意味する。
【請求項2】
前記安定化合物が酸化物又は酸化物の混合物である、請求項1に記載のフラックス入りワイヤ。
【請求項3】
記金属化合物粉に含まれる金属酸化物粉の合計の含有量は、ワイヤ全質量に対して0.5質量%以下である、請求項1又は2に記載のフラックス入りワイヤ。
【請求項4】
純Fe、Fe基合金又はNi基合金を外皮とする、請求項1~のいずれか1項に記載のフラックス入りワイヤ。
【請求項5】
請求項1~のいずれか1項に記載のフラックス入りワイヤを用いた溶接により形成された溶接金属。
【請求項6】
請求項1~のいずれか1項に記載のフラックス入りワイヤとシールドガスを用いた溶接方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、フラックス入りワイヤに関し、特に溶接能率に優れたフラックス入りワイヤに関する。また、本発明は前記フラックス入りワイヤを用いた溶接方法及び溶接金属にも関する。
【背景技術】
【0002】
フラックス入りワイヤは施工面における優れた能率と良好な溶接作業性から広く普及している溶接材料である。その為、溶接技術の広範な分野を対象に種々のフラックス入りワイヤが開発されているが、その中に正極性(以下、「DCEN」とも記す。)を適用して溶接を行うことを特徴としたフラックス入りワイヤがある。なお、正極性とはワイヤを陰極、母材を陽極とする電極配置である。
【0003】
例えば、特許文献1では、広い電流範囲にわたって安定したスプレーアークが可能で溶接作業性が良好なガスシールドアーク溶接フラックス入りワイヤが開示されている。
また、特許文献2では、低電流から中電流の溶接電流範囲において、スパッタ発生量が少なく、全姿勢での溶接性および靱性が良好なフラックス入りワイヤが開示されている。なお、特許文献2において低電流から中電流の溶接電流範囲とは70~300A程度である。
特許文献3においても、低電流から中電流の溶接電流範囲)において、全姿勢溶接作業性が良好で、靱性が良好なフラックス入りワイヤが開示されている。なお、特許文献3において低電流から中電流の溶接電流範囲とは50~300A程度である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0004】
【文献】特開平02-055696号公報
【文献】特開平11-207491号公報
【文献】特開平11-058069号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
しかしながら、特許文献1~3に記載のフラックス入りワイヤはいずれも、使用される溶接電流域に着目されているものの、ワイヤ溶融速度には着目していない。そこで本発明者らが、フラックス入りワイヤの溶融速度に着目して研究を行った結果、これらのフラックス入りワイヤは、ワイヤ溶融速度が、一般的な酸化チタンを多く含有するフラックス入りワイヤと比較して著しく低いことを見出した。なお、ワイヤ溶融速度とは単位時間当たりのワイヤ溶融長さを示す。
【0006】
一方、ワイヤ溶融速度はワイヤ送給速度と同義であり、溶着速度に直結する為、溶接能率の重要な支配因子となる。そこで本発明では、溶接電流等の熱エネルギーの上昇を伴うことなく、ワイヤ送給速度を速くすることができ、同一入熱での施工能率に優れ、溶接施工における溶接コストの低減が可能な正極性のガスシールドアーク溶接用フラックス入りワイヤを提供することを目的とする。なお、溶着速度とは単位時間当たりの溶接金属形成量を示す。
【課題を解決するための手段】
【0007】
本発明者らは鋭意研究の結果、フラックス入りワイヤにおけるフラックスを構成する金属化合物粉に係る仕事関数を特定範囲のものにすることにより、上記課題を解決できることを見出し、本発明を完成するに至った。
【0008】
すなわち、本発明は、以下の[1]~[8]に係るものである。
[1]正極性のガスシールドアーク溶接に用いられるフラックス入りワイヤであって、
前記フラックス入りワイヤのフラックスは1種又は数種の金属化合物粉を含有し、
前記金属化合物粉を構成する1種又は数種の金属元素は、高温環境下における安定化合物とした際に、前記安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値が、前記フラックス入りワイヤのワイヤ径に対して以下の関係を満たす、フラックス入りワイヤ。
1.00≦Φ≦-0.0908D+0.5473D+1.547
Φ=Φ n1/ntotal×Φ n2/ntotal・・・×Φ nm/ntotal
式中、Dはワイヤ径(mm)、Φは安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値(eV)、Φ~Φ(mは自然数)はm種の安定化合物の各仕事関数(eV)、n~nは前記m種の安定化合物となるm種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の各含有量(mol/g)、ntotalは前記m種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の合計の含有量(mol/g)をそれぞれ意味する。
[2]前記安定化合物が酸化物又は酸化物の混合物である、前記[1]に記載のフラックス入りワイヤ。
[3]前記安定化合物の仕事関数が、いずれも4.0eV以下である、前記[1]又は[2]に記載のフラックス入りワイヤ。
[4]前記金属化合物粉は1種又は数種の金属フッ化物粉を含み、
前記金属化合物粉に含まれる金属酸化物粉の合計の含有量は、ワイヤ全質量に対して0.5質量%以下である、前記[1]~[3]のいずれか1に記載のフラックス入りワイヤ。
[5]沸点1600℃以下の、金属粉及び無機化合物粉の少なくともいずれか一方を、ワイヤ全質量に対して合計で1.0×10-4mol/g以上含有する、前記[1]~[4]のいずれか1に記載のフラックス入りワイヤ。
[6]純Fe、Fe基合金又はNi基合金を外皮とする、前記[1]~[5]のいずれか1に記載のフラックス入りワイヤ。
[7]前記[1]~[6]のいずれか1に記載のフラックス入りワイヤを用いた溶接により形成された溶接金属。
[8]前記[1]~[6]のいずれか1に記載のフラックス入りワイヤとシールドガスを用いた溶接方法。
【発明の効果】
【0009】
本発明に係るフラックス入りワイヤおよびそれを用いた溶接方法によれば、溶接電流等の熱エネルギーの上昇を伴うことなく、ワイヤ送給速度を速くすることが可能となり、同一入熱での施工能率に優れることから、溶接作業の能率性を向上させることが可能となり、溶接コストを低減することができる。
【図面の簡単な説明】
【0010】
図1図1は、トリウム入りタングステン電極温度の推移を表すグラフである。
図2図2は、2300Kにおける、熱電子による電流と仕事関数との関係を、ワイヤ径ごとに表すグラフである。
図3図3は、ワイヤ径と安定した熱陰極性が得られる仕事関数の関係を表すグラフである。
図4図4は、安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値とワイヤ送給速度との関係を表すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0011】
以下、本発明に係るフラックス入りワイヤ、並びにこれを用いた溶接方法及び溶接金属を実施するための形態(実施形態)について説明する。しかしながら、本実施形態は1例であり、本発明を限定するものではない。また、特に記載がない場合には、「%」とは「質量%」であることを意味する。
【0012】
<<フラックス入りワイヤ>>
本実施形態に係るフラックス入りワイヤ(以下、単に「ワイヤ」とも言う。)は、正極性のガスシールドアーク溶接に用いられるものであって、筒状を呈する外皮と、その外皮の内側に充填されたフラックスとで構成される。なお、正極性とは、電極側がマイナス、母材側がプラスの電極配置である。
尚、フラックス入りワイヤは、外皮に継目のないシームレスタイプ、外皮に継目のあるシームタイプのいずれの形態であってもよい。また、フラックス入り溶接ワイヤは、外皮の外側であるワイヤ表面に銅メッキを施されていても施されていなくてもよい。外皮の材質は特に問わず、軟鋼でもステンレス鋼でもNi基合金でもよく、その溶着金属はFe基でもNi基でも特に問わず、本発明の特徴が満たされていれば特に制限は無い。
【0013】
本実施形態に係るフラックス入りワイヤのフラックスは、1種又は数種の金属化合物粉を含有する。
前記金属化合物粉を構成する1種又は数種の金属元素は、高温環境下における安定化合物とした際に、前記安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値が、前記フラックス入りワイヤのワイヤ径に対して以下の関係を満たすことを特徴とする。
1.00≦Φ≦-0.0908D+0.5473D+1.547
Φ=Φ n1/ntotal×Φ n2/ntotal・・・×Φ nm/ntotal
式中、Dはワイヤ径(mm)、Φは安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値(eV)、Φ~Φ(mは自然数)はm種の安定化合物の各仕事関数(eV)、n~nは前記m種の安定化合物となるm種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の各含有量(mol/g)、ntotalは前記m種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の合計の含有量(mol/g)をそれぞれ意味する。
【0014】
<フラックス入りワイヤの送給速度向上メカニズム>
一般的なフラックス入りワイヤは逆極性(以下、「DCEP」とも記す。)のガスシールドアーク溶接に好適であることが知られている。なお、逆極性とはワイヤを陽極、母材を陰極とする電極配置である。例えば、ワイヤ径(D)が1.2mmの一般的な酸化チタン系フラックス入りワイヤのDCEP-200Aでのワイヤ送給速度は8.4m/分であった。一方で、特許文献2に記載のフラックス入りワイヤ(Al含有量2.3重量%、Mg含有量0.6重量%、BaF含有量3重量%、Zr含有量0.1重量%、フラックス充填率13重量%、ワイヤ径1.2mm)を試作して実験を行ったところ、正極性とした場合のDCEN-200Aのワイヤ送給速度は5.3m/分であり、同一電流におけるワイヤ送給速度が実に37%も低下することがわかった。このように、従来技術で開示されるワイヤは、一般的な酸化チタンを多く含有するフラックス入りワイヤと比較して、同一の溶接電流に対しワイヤ送給速度が著しく低いことが見出され、同一入熱での施工能率が悪く、実施工における溶接コストに大きく影響すると言える。
以上のような背景に鑑み、本発明は正極性が適用されるフラックス入りワイヤを対象とし、ワイヤ溶融特性に重要な影響を及ぼす因子およびそのメカニズムを明らかにしたものである。
【0015】
一般的に、溶接ワイヤを正極性で使用すると、アークの安定性が劣り、良好な溶接が実施できなくなることが知られている。これに対し、正極性用に設計された特許文献1~3に開示されているような塩基性のフラックス入りワイヤを用いると、正極性においても安定したアークが得られる。また、非消耗式電極としてタングステン電極を用いて、一般的に正極性で溶接を行うガスタングステンアーク溶接(以下、「GTAW」とも記す。)においても、安定したアークが得られることが知られている。このGTAWがアーク安定性に優れる理由をもとに、本発明では、フラックス入りワイヤであっても正極性において安定したアークが得られ、溶接電流等の熱エネルギーの上昇を伴うことなく、ワイヤ送給速度を速くすることができ、溶着性が向上するメカニズムを解明した。
【0016】
最初に、GTAWのメカニズムを説明する。電極に使用されるタングステンの融点は高温(3695K)である為に、溶接中に電極が溶融することなく、固体のまま非常に高温に加熱される。高温の物質は以下に示すRichardson-Dushmannの式に従って熱電子を放出することが知られており、溶接中のタングステン電極も熱電子を放出していると考えられる。
【0017】
Richardson-Dushmannの式
Je=Aexp(-eV/kT)
Je:熱電子放出による電流密度[A/cm]、A:リチャードソン定数(120.4[A/cm・K])、T:絶対温度[K]、e:電気素量(1.602×10-19[C])、V:仕事関数[eV]、k:ボルツマン定数(1.381×10-23[J/K])
【0018】
ここで例えば200Aの溶接電流が流れている場合を考える。GTAWの電極に広く使用されるトリウム入りタングステン電極の仕事関数(V)は2.63eVであることが知られており(安藤ら、溶接アーク現象(増補版)、産報(1967)参照)、電極先端角度60°で先端から1.5mmの範囲からアークが発生している場合、アーク発生部表面積は4.71mmとなる。この場合に、前記Richardson-Dushmannの式によれば、図1に示すようなトリウム入りタングステン電極温度の推移が予測され、アーク発生部が2522Kに加熱されていると安定した熱電子放出によって200Aの電流を賄うことができることとなり、アークが安定するといえる。これに対してタングステンの融点は3695Kである為、このようなアークが安定した状態(2522K)であっても、電極を固体のまま維持することができる。このように、熱電子放出によって放電に必要な電流を供給する陰極の状態を「熱陰極」と呼ぶ。熱陰極では熱電子放出によって電極がエネルギーを失う、つまり冷却されることによって、電極温度が維持される。
【0019】
上記を踏まえ、次にフラックス入りワイヤについて検討する。
フラックス入りワイヤのワイヤ外皮は被溶接材となる母材の種類と目的とする継手性能によって制約を受け、多くの場合は鋼である。鋼は融点が約1770Kであるので、Richardson-Dushmannの式で示される熱電子を固体もしくはワイヤ先端から離脱前の溶滴温度で賄うことは、酸化チタンを多く含有する一般的なフラックス入りワイヤに含まれる組成(酸化チタン(V:3.87eV)、酸化ケイ素(V:5.00eV)(ゲ・ヴェ・サムソノフ、遠藤訳、最新酸化物便覧:物理的科学的性質、日・ソ通信社(1979)参照)、鉄および合金元素等)では不可能である。
そこで本発明では、フラックスとして潜在的に低仕事関数となり得る物質を含有させ、熱電子放出を活発にすることで、フラックス入りワイヤも熱陰極に成り得ると考えた。潜在的に低仕事関数となり得る物質としてBaF(以下「フッ化バリウム」とも記す。)が挙げられる。フッ化バリウムは高温の酸素存在下でフッ素が遊離するとともに、バリウムは酸素との親和性が高いために、酸化バリウムを発生する。この酸化バリウムは仕事関数が0.99eVと非常に低いことから、容易に熱陰極性が成立することが判った。
【0020】
フラックス入りワイヤにおいてワイヤが溶融すると、ワイヤ外皮とフラックスに含有される金属粉は、容易に混合される。しかし、金属粉と、溶融部において高温環境下で安定する化合物(以後、「安定化合物」とも言う。)とは混合されない。なお、高温環境下で安定する化合物としては、酸化物、炭化物、硫化物、窒化物等が挙げられるが、親和性の観点から、上述した酸化バリウムのように酸化物となる場合が多いと考えられる。この安定化合物同士は混合され易いが、安定化合物と溶融金属とは混合されない。なお、溶融金属とは単一金属または合金が溶融した状態を言う。
したがって、ワイヤを正極性で用いると、溶融金属部と、安定化合物部のうち、仕事関数が低い箇所が陰極点となり、アークが発生する。これに対し溶融金属部は、仕事関数が比較的高い(例えば、鉄(V:4.67~4.81eV)、Ni(V:5.04~5.35eV)(CRC Handbook of Chemistry and Physics、78版、CRC Press(1998)参照))ために安定した陰極点には成り得ず、正極性のアーク溶接における安定性は、安定化合物の性質に大きく依存することとなる。
【0021】
フラックス中に金属化合物粉としてフッ化バリウムを添加した場合、上述の通り、溶接中のワイヤ溶融部において酸化バリウムが生成し、この酸化バリウムという安定化合物によって容易に熱電子を放出する為に非常に安定した熱陰極となる。しかしながら、フッ化バリウムを単独で添加すると、強い冷却効果を受ける為に、ワイヤの送給速度が低下することが判った。
上記を踏まえ、本発明は、陰極点として作用する安定化合物の仕事関数を制御することによって、ワイヤ送給速度の低下を抑え、かつ安定した熱陰極性を維持することで、優れたアーク安定性を有するワイヤを提供するものである。
【0022】
安定化合物の仕事関数の制御について、次に説明する。
安定化合物の仕事関数の制御を説明するにあたって、まず、以下の1.及び2.を仮定した。
1.安定したMAG(metal active gas)溶接における溶滴表面温度は2300K程度であり(山崎ら、赤外線二色放射測温法による溶融池表面温度測定、溶接学会論文集、Vol.27(2009)参照)、これを基準とする。
2.アーク発生部の面積がワイヤ断面積と一致する。
次に、ワイヤ先端からのアーク放電を想定し、安定化合物に想定される仕事関数と、それに応じた2300Kにおける熱電子による電流との関係を、Richardson-Dushmannの式から求めた。計算はワイヤ径(D)1.0~2.0mmの範囲において行った。
【0023】
計算したワイヤ径のうち、代表径における前記仕事関数と電流との関係を図2に示す。また、計算の結果から求めた、各ワイヤ径(D)に対する、熱電子による電流が200Aを超える仕事関数の値を図3のプロットで示す。図3中のプロットを2次の近似曲線でフィッティングすると、以下の式の右辺が得られる。この右辺の値が、ワイヤ径に対する、安定した熱陰極性が得られる金属安定化合物の仕事関数値の上限を示すものと言うことができる。
y≦-0.0908x+0.5473x+1.547
式中、x:ワイヤ径(mm)、y:安定した熱陰極性が得られる金属安定化合物の仕事関数値を表す。
【0024】
なお、実際の溶接において、アーク発生部の温度、面積およびワイヤ溶融部での安定化合物の仕事関数についての正確な測定は困難である。そのため、添加する金属化合物粉から生成が想定される安定化合物の仕事関数を参考に、実験結果から安定化合物の組成を検討した。なお、安定化合物はここでは酸化物として説明する。
その結果、ワイヤに含まれる1種または数種の金属化合物粉を構成するm種の金属元素に対し、高温環境下におけるm種の安定化合物の仕事関数を、各金属元素のモル分率によって重み付けした相乗平均値(Φ)とワイヤ送給速度とが図4に示すようによく相関することから、この値が安定化合物の仕事関数として代用できると考えた。なお、安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値とは、下記式で表されるものである。
Φ=Φ n1/ntotal×Φ n2/ntotal・・・×Φ nm/ntotal
式中、Φは安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値(eV)、Φ~Φ(mは自然数)はm種の安定化合物の各仕事関数(eV)、n~nは前記m種の安定化合物となるm種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の各含有量(mol/g)、ntotalは前記m種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の合計の含有量(mol/g)をそれぞれ意味する。
【0025】
上記式により算出される金属安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値(Φ、eV)を、1.00以上、かつワイヤ径(D、mm)に対して(-0.0908D+0.5473D+1.547)で表される値以下と制御することにより、正極性におけるアークの安定と高溶着速度を両立することができるようになる。
【0026】
上記に加え、アーク安定性をさらに向上させるためには、低沸点物質をフラックス入りワイヤのフラックス中に添加するとよいことが判った。以下に、低沸点物質の効果について説明する。
【0027】
通常、MAG溶接の溶滴移行は電磁ピンチ力と一般的に呼称される力、すなわち、内部に電流が流れる物質が当該流れの中心方向に収縮しようとする力がワイヤの溶融部分に作用することで、ワイヤ先端の溶融部分が離脱し、溶滴となって落下する。一方、上述の通り正極性で安定したアークを得られるフラックス入りワイヤは、安定化合物から主として電流が流れる為、ワイヤ先端の溶滴には大きな電流が流れないこととなる。その為、溶滴移行の駆動力を電磁ピンチ力以外の形で与える必要があるが、それはフラックスに含有される低沸点物質のガス化に伴う爆発力による。
【0028】
低沸点物質にはワイヤ先端近傍で蒸発し溶滴に爆発力を与えることが求められる。つまり、低沸点物質の沸点は鋼の融点に近い1600℃以下が好ましく、1300℃以下であることがより好ましい。
低沸点物質としては、沸点が1600℃以下である金属粉や無機化合物粉が挙げられ、具体的には、Li、Mg、Zn、AlF等が考えられる。金属の場合は、合金であっても蒸発は十分見込めるので、Al-Li合金、Al-Mg合金等の金属粉による添加でもよい。また、ここでの無機化合物粉とは、前記金属化合物粉のうち、沸点が1600℃以下のものも含む。
爆発力はガス化後の体積によって決定される為、低沸点物質の合計の含有量は、ワイヤ全質量当たりの物質量で1.0×10-4mol/g以上が好ましい。
【0029】
<フラックス>
上記メカニズムを反映し、想到した本実施形態に係るフラックス入りワイヤの組成について、以下、詳細を説明する。なお、各成分の規定は特に明文化しない限り、ワイヤ(外皮+フラックス)に含まれる各成分の質量をワイヤの全質量に対する割合(%)で規定するものとする。
【0030】
・金属化合物粉
本実施形態に係るフラックス入りワイヤは、正極性のガスシールドアーク溶接に用いられ、フラックスは1種又は数種の金属化合物粉を含有し、前記金属化合物粉を構成する1種又は数種の金属元素は、高温環境下における安定化合物とした際に、前記安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値が、前記フラックス入りワイヤのワイヤ径に対して以下の関係を満たすことを特徴とする。
1.00≦Φ≦-0.0908D+0.5473D+1.547
Φ=Φ n1/ntotal×Φ n2/ntotal・・・×Φ nm/ntotal
式中、Dはワイヤ径(mm)、Φは安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値(eV)、Φ~Φ(mは自然数)はm種の安定化合物の各仕事関数(eV)、n~nは前記m種の安定化合物となるm種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の各含有量(mol/g)、ntotalは前記m種の金属元素のフラックス入りワイヤ全質量中の合計の含有量(mol/g)をそれぞれ意味する。
【0031】
金属化合物粉を構成する金属元素の高温環境下における安定化合物とは、酸化物である場合、1500~1600℃において前記酸化物の標準生成ギブスエネルギーが-150kcal/molO以下となる、酸素との親和性が高い元素に係る酸化物を言う。なお、酸素との親和性が高い元素に係る酸化物とは安定酸化物又は安定複合酸化物とも言う。
硫化物である場合、1500~1600℃において前記硫化物の標準生成ギブスエネルギーが-80kcal/molS以下となる、硫黄との親和性が高い元素に係る硫化物を言う。なお、硫黄との親和性が高い元素に係る硫化物とは安定硫化物又は安定複合硫化物とも言う。
窒化物である場合、1500~1600℃において前記窒化物の標準生成ギブスエネルギーが-50kcal/molN以下となる、窒素との親和性が高い元素に係る窒化物を言う。なお、窒素との親和性が高い元素に係る窒化物は、安定窒化物又は安定複合窒化物とも言う。
炭化物である場合は、1500~1600℃において前記炭化物の標準生成ギブスエネルギーが-20kcal/molC以下となる、炭素との親和性が高い元素に係る炭化物を言う。なお、炭素との親和性が高い元素に係る炭化物は安定炭化物又は安定複合炭化物とも言う。
なお、多くの元素は酸化物の形態が最も安定な状態である場合が多く、かつ安定酸化物は比較的仕事関数が低い性質をもつ。よって、安定化合物の制御のし易さ、仕事関数の観点から、安定化合物は安定酸化物又は安定複合酸化物であることが好ましい。
【0032】
例えば、金属化合物粉がBaFである場合、その金属元素であるBaの1500~1600℃での安定状態、すなわち最も標準生成ギブスエネルギーが低いと考えられる化合物はBaOの金属酸化物(-180~-185kcal/molO)であり、BaOの仕事関数は0.99eVである。同様に例えば、金属元素がMg、Al、Sr、Caの場合、同温度域での安定状態の化合物はそれぞれ、MgO、Al、SrO、CaOの金属酸化物となり、それらの仕事関数は各々、3.31eV、3.90eV、1.27eV、1.77eVである(安藤ら、溶接アーク現象(増補版)、産報(1967)参照)。その他、各金属元素の安定化合物の仕事関数は、化合物特有の値で一義に定まる。
【0033】
安定化合物の仕事関数の重み付け相乗平均値(Φ)はワイヤ径(D)に対して上記の関係を満たす。
ここで、例えばフラックスに含まれる金属化合物粉がBaF:CaF:AlF=2.4:0.4:0.7(質量比)である場合(後述する実施例2に相当)、構成する金属元素は3種(m=3)であり、それらの比はBa:Ca:Al=0.52:0.18:0.30(モル分率)となる。また、これらの安定化合物はそれぞれBaO(仕事関数0.99eV)、CaO(仕事関数1.77eV)、Al(仕事関数3.90eV)であることから、その重み付け相乗平均値(Φ)は(0.990.52×1.770.18×3.900.30)=1.66eVとなる。
【0034】
このように得られる仕事関数の重み付け相乗平均値(Φ)は、速いワイヤ送給速度、すなわち高溶着性を得る観点から1.00eV以上であり、1.02eV以上が好ましく、1.04eV以上がより好ましい。また、アーク安定性を得る観点から{-0.0908D+0.5473D+1.547}以下である。
【0035】
金属フッ化物粉からワイヤ溶融部で生成される各安定化合物の仕事関数は、いずれも4.0eV以下であることが溶着性向上の点から好ましい。
【0036】
フラックスに含まれる金属化合物粉は、金属元素を含む化合物であって、金属単体又は合金からなる金属粉は含まれない。金属化合物粉としては、例えば金属フッ化物粉や金属酸化物粉、金属炭酸塩粉が挙げられ、中でも1種または数種の金属フッ化物粉を含むことが好ましい。
【0037】
(金属フッ化物粉)
金属フッ化物粉としては、BaF、SrF、CaF、AlF等が挙げられる。
BaFは、正極性のガスシールドアーク溶接において、陰極点が安定し、アークを安定化させることによってスパッタ発生量を減らすことができる。BaFの含有量は1.0%以上が好ましく、1.2%以上がより好ましい。
また、BaFの含有量を4.5%以下とすることで、ワイヤ溶融部における仕事関数の過度な低下を抑制し、高溶着性能を維持できる。また、高溶着性能をより高めることができる点からBaFの含有量は4.0%以下が好ましく、3.0%以下がより好ましい。
【0038】
SrF、CaF、及びAlFは共に、BaFを基に、これらを添加することで、ワイヤ溶融部における仕事関数を制御することにより、溶着量を増加させることができる。一方、その含有量が多すぎると仕事関数が過剰に高くなり、アークが不安定になる。そのためSrFの含有量は1.5%以下が好ましく、1.3%以下がより好ましい。CaFの含有量は1.5%以下が好ましく、1.3%以下がより好ましい。AlFの含有量は1.5%以下が好ましく、1.2%以下がより好ましい。これらの合計の含有量は過度なフッ素発生を抑制することで、より溶滴移行を安定化させる点から、5.0%以下が好ましく、2.0%以下がより好ましい。
また、SrF、CaF及びAlFからなる群より選ばれる少なくとも1種を含むことが好ましく、それらの合計の含有量は0.1%以上が高溶着性能維持の点から好ましく、0.3%以上がより好ましい。
【0039】
フラックスには、BaF、SrF、CaF、及びAlF以外の他のフッ化物粉を含むこともできる。他のフッ化物粉としては、LiF、NaF、MgF、KSiF、KF等が挙げられる。
フッ化物粉の合計の含有量は、ワイヤ全質量に対する質量%で2%超が陰極点の安定化の点から好ましく、2.5%以上がより好ましい。また、フッ化物粉の合計の含有量は6%以下が溶滴移行の安定化の点から好ましく、5%以下がより好ましく、4.5%以下がさらに好ましい。
【0040】
フッ化物粉の合計の含有量に対する、前記BaF、SrF、CaF、及びAlFの合計の含有量の割合{(BaF+SrF+CaF+AlF)/フッ化物粉の合計}は0.5以上が陰極点の安定化の点から好ましく、0.6以上がより好ましい。また、上限は1(他のフッ化物粉を含まない)であってもよい。
【0041】
(その他の金属化合物粉)
金属フッ化物粉以外の金属化合物粉としては、金属酸化物粉、金属炭酸塩粉、金属窒化物粉等が挙げられる。
【0042】
・金属粉
フラックスには金属粉が含まれていてもよく、金属粉は単体の金属粉であっても合金の金属粉であってもよく、含まれる金属粉は1種でも複数でもよい。
金属粉を構成する金属元素は、Fe、Mn、Si、Al、Mg、Zr、C、Ni、Li、Zn、Cr等が挙げられる。中でも、沸点が1600℃以下の金属粉を含むことが好ましく、沸点が1300℃以下の低沸点金属粉を含むことがより好ましい。低沸点金属粉としては、例えばLi、Mg、Zn等が挙げられるが、Mg粉、Zn粉がより好ましく、Mg粉がさらに好ましい。
また、合金の形態としてはFe-AlやAl-Mg、Fe-Mn、Fe-Si-Mn等が挙げられるが、これらに限定されるものではない。
【0043】
金属粉としてのAl、Mg、Zrはいずれも、強力な脱酸剤として溶融金属中の酸素量を低減させて溶融金属の表面張力を高め、かつ溶融池表面に均一な酸化膜を形成させることにより、全姿勢溶接での重力の影響に抗してビード形状を良くする効果がある。
【0044】
その他の金属粉として、Mn、Si、Ni、Crは溶接金属の強度や靱性といった機械的性能の確保に効果がある。
【0045】
・無機化合物粉
フラックスには無機化合物粉が含まれていてもよく、沸点が1600℃以下の無機化合物粉が含まれることが好ましく、沸点が1300℃以下の無機化合物粉がより好ましい。無機化合物粉は、金属元素の化合物粉でもホウ素等の非金属元素の化合物粉でもよい。なお、前記金属化合物粉は、金属元素の化合物粉として、無機化合物粉に含まれるものである。
沸点が1600℃以下の無機化合物粉としては、上記金属フッ化物粉の中ではAlF、KF等が該当する。また、フッ化物以外の無機化合物粉としては、SB等が挙げられる。
【0046】
フラックスは、沸点が1600℃以下である、金属粉及び無機化合物粉の少なくともいずれか一方を含有することがアーク安定性の点から好ましく、沸点が1300℃以下である、金属粉及び無機化合物粉の少なくともいずれか一方を含有することがより好ましい。また、沸点が1600℃以下である金属粉及び無機化合物粉の合計の含有量は、ワイヤ全質量に対して、1.0×10-4mol/g以上がアーク安定性の点から好ましく、2.0×10-4mol/g以上がより好ましく、2.5×10-4mol/g以上がさらに好ましい。また、同様の観点から、合計の含有量は5.0×10-4mol/g以下が好ましく、4.5×10-4mol/g以下がより好ましく、4.0×10-4mol/g以下がさらに好ましい。
【0047】
・その他の組成
その他、本発明の効果を損なわない範囲で、他の成分がフラックスに含まれていてもよい。
【0048】
<任意成分>
本実施形態に係るワイヤに含まれる任意成分とは、フラックスまたは外皮に純金属、合金、又は酸化物、炭化物、窒化物等の化合物の形態で添加される。
任意成分は、必要とする溶接金属の機械的性能や溶接施工条件に合わせて、所定量のC、Si、Mn、Ni、Mo、W、Nb、V、Cr、Ti、N、S、P、B、Cu、Ta、REM(希土類元素)等を含有してもよい。また、必要に応じて、アルカリ金属またはその化合物を含有してもよい。
なお、鉄基とする場合は残部がFeおよび不可避的不純物で構成されることが好ましい。
【0049】
軟鋼用、高張力鋼用、低温鋼用、耐候性鋼用等として用いられるフラックス入りワイヤの任意成分の組成としては、例えば、ワイヤ全質量に対する質量分率でC:0.5%以下、Si:2.0%以下、Mn:3.0%以下、Ni:5.0%以下、Mo:3.0%以下、W:3.0%以下、Nb:3.0%以下、V:3.0%以下、Cr:5.0%以下、Ti:3.0%以下、N:0.05%以下、S:0.05%以下、P:0.05%以下、B:0.05%以下、Cu:2.0%以下、Ta:3.0%以下、及びREM:0.1%以下をさらに満たすことが好ましい。これらの元素は含まれなくてもよい。なお、一般的に軟鋼用、高張力鋼用、低温鋼用、耐候性鋼用等として用いられるフラックス入りワイヤはFe基合金を外皮としている。
【0050】
上記に加え、フラックス入りワイヤにおける1種又は複数のアルカリ金属元素から構成される金属粉及び金属化合物をさらに含んでいてもよく、この場合のアルカリ金属元素はアーク安定剤として作用する。なお、アルカリ金属元素は、K、Li、Na等が挙げられる。アルカリ金属元素から構成される金属粉及び金属化合物の合計の含有量は、ワイヤ全質量に対して3%以下であることが好ましく、2%以下がより好ましく、また、残部がFe及び不純物であることが好ましい。
【0051】
上記任意成分の組成は、鉄基合金やJIS Z 3313:2009年に準拠した軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用、又は、JIS Z 3320:2012年の耐候性鋼用として用いられるフラックス入りワイヤに一般的に用いられる組成と同様の組成で用いることができる。
具体的な好ましい態様は以下のとおりである。また、これら元素は必ずしも含有していなくともよい。
【0052】
Cは溶接金属の強度に影響を及ぼす成分であり、含有量が増すほど強度が高まる。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる強度範囲においては、0.5%以下が好ましく、0.2%以下がより好ましい。一方で、強度調整のため0.001%以上が好ましい。
【0053】
Siは溶接金属の強度、靱性に影響を及ぼす成分である。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる機械的性能の範囲を満たすために、Siの含有量は2.0%以下が好ましく、1.2%以下がより好ましい。一方、Siの含有量は0.1%以上が好ましい。
【0054】
MnもSiと同様に溶接金属の強度、靱性に影響を及ぼす成分である。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる機械的性能の範囲を満たすために、Mnの含有量は3.0%以下が好ましく、2.5%以下がより好ましい。また、Mnの含有量は0.5%以上が好ましい。
【0055】
Niは溶接金属のオーステナイト組成を安定化させ、低温での靱性を向上させる成分であり、また、フェライト組成の晶出量を調整できる成分である。Niの含有量は5.0%以下が好ましく、3.0%以下がより好ましい。また、低温鋼等に用いられる場合は、Niの含有量は0.20%以上が好ましい。
【0056】
Moは、高温強度及び耐孔食性を向上させる成分である。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる機械的性能の範囲を満たすために、Moの含有量は3.0%以下が好ましく、2.0%以下がより好ましい。また、高張力鋼や耐熱鋼等に用いられる場合は、Moの含有量は0.10%以上が好ましい。
【0057】
Wは高温強度及び耐孔食性を向上させる成分である。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる機械的性能の範囲として適しているWの含有量は3.0%以下が好ましく、2.0%以下がより好ましい。
【0058】
Nbは強度等機械的性能に影響を及ぼす成分である。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる機械的性能の範囲を満たすために、Nbの含有量は3.0%以下が好ましく、2.0%以下がより好ましい。
【0059】
Vは溶接金属の強度を向上させる効果を発揮する一方で、靱性や耐割れ性を低下させる。そのためVの含有量は3.0%以下が好ましく、2.0%以下がより好ましい。
【0060】
Crは、溶接金属の強度等、機械的性能に影響を及ぼす成分である。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる機械的性能の範囲を満たすために、Crの含有量は5.0%以下が好ましく、3.0%以下が好ましい。また、耐熱鋼等に用いられる場合は、Crの含有量は0.10%以上が好ましい。
【0061】
TiはC、Nと結合して結晶粒の微細化に寄与し、主に溶接金属の靱性を向上させる成分となる。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種において靱性の向上を狙う場合は、Tiの含有量は3.0%以下が好ましく、1.0%以下がより好ましい。また、Tiの含有量は0.01%以上が好ましい。
【0062】
Nは結晶構造内に侵入型固溶して強度を向上させる成分である。一方、溶接金属にブローホールやピットといった気孔欠陥を発生させる原因ともなることから、特に強度を必要とする場合以外は積極的な添加は行わない。Nの含有量は0.05%以下が好ましく、0.03%以下がより好ましい。また、Nの含有量は0.0010%以上が好ましい。
【0063】
Sはワイヤが溶融した際の溶滴の粘性や表面張力を低下させ、溶滴移行を円滑にすることによって、スパッタを小粒化させ、溶接作業性を向上させる効果を発揮する一方で、耐割れ性を低下させる元素である。そのためSの含有量は0.05%以下が好ましく、0.03%以下がより好ましい。また、Sの含有量は0.0010%以上が好ましい。
【0064】
Pは耐割れ性や溶接金属の機械的性質を低下させるため、Pの含有量は0.05%以下に抑制することが好ましく、0.03%以下がより好ましい。
【0065】
Bは溶接金属中の窒素による靱性の低下を防止する一方で、耐割れ性を低下させる。そのためBの含有量は0.05%以下が好ましく、0.03%以下がより好ましい。また、靱性を確保したい場合、Bの含有量は0.0005%以上が好ましい。
【0066】
Cuは溶接金属の強度や耐候性の向上に寄与する。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる範囲で強度、耐候性を得たい場合は、Cuの含有量は2.0%以下が好ましく、1.0%以下がより好ましい。また、溶接金属の強度や耐候性を確保したい場合は、Cuの含有量は0.01%以上が好ましい。
【0067】
Taは強度等機械的性能に影響を及ぼす成分である。軟鋼、高張力鋼若しくは低温鋼用等よく用いられる鋼種に求められる機械的性能の範囲を満たすための適するTaの含有量は3.0%以下が好ましく、2.0%以下がより好ましい。
【0068】
REMは希土類元素を意味し、CeやLa等が挙げられる。REMはSとの親和性が高く、Sの粒界偏析を抑制し、Sによる高温割れを抑制する効果も発揮する。よって、よりアークの安定化を望む場合は、REMの合計の含有量は0.1%以下とすることが好ましく、0.05%以下がより好ましい。
【0069】
残部となるFeの含有量は80%以上が好ましく、また、98%以下が好ましい。
不純物とは、意図的に添加しないものを意味し、上記以外の元素として、例えばSn、Co、Sb、As等が挙げられる。また、前記元素が酸化物として含まれる場合には、Oも残部に含まれることとなる。不純物の含有量は合計で0.5%以下が好ましく、0.3%以下がより好ましい。
【0070】
ステンレス鋼用等として用いられるフラックス入りワイヤの合金成分の組成としては、例えば、ワイヤ全質量に対する質量分率でC:0.5%以下、Si:2.0%以下、Mn:3.0%以下、Ni:5.0~20.0%、Mo:3.0%以下、W:3.0%以下、Nb:3.0%以下、V:3.0%以下、Cr:15.0~30.0%、Ti:3.0%以下、N:0.50%以下、S:0.05%以下、P:0.05%以下、B:0.05%以下、Cu:2.0%以下、Ta:3.0%以下、及びREM:0.1%以下をさらに満たすことが好ましい。これらの元素は含まれなくてもよい。
【0071】
上記に加え、フラックス入りワイヤにおける1種又は複数のアルカリ金属元素から構成される金属粉及び金属化合物をさらに含んでいてもよく、この場合のアルカリ金属元素はアーク安定剤として作用する。なお、アルカリ金属元素は、K、Li、Na等が挙げられる。アルカリ金属元素から構成される金属粉及び金属化合物の合計の含有量は、ワイヤ全質量に対して3%以下であることが好ましく、2%以下がより好ましく、また、残部がFe及び不純物であることが好ましい。
【0072】
上記合金成分の組成は、鉄基合金や、JIS Z 3323:2007年に準拠したステンレス鋼用として用いられるフラックス入りワイヤに一般的に用いられる組成と同様の組成で用いることができる。
具体的な好ましい態様として、Ni、Cr、Mo、Nb、N以外の元素は、上記軟鋼用、高張力鋼用、低温鋼用、耐候性鋼用等として用いられるフラックス入りワイヤの合金成分の組成と同様である。
【0073】
Niは溶接金属のオーステナイト組成を安定化させ、低温での靱性を向上させる成分であり、また、フェライト組成の晶出量を調整する目的で一定量添加される成分である。それら性能のバランスから、Niの含有量はステンレス鋼として一般的な含有量と同様の範囲でよく、5.0%以上が好ましく、9.0%以上がより好ましい。また、Niの含有量は20%以下が好ましく、16%以下がより好ましい。
【0074】
Crは溶接金属の耐食性を向上させる成分である一方で、必要以上に含有すると酸化性シールドガスと反応して酸化物を生成し、スラグ成分組成のバランスに影響を及ぼす成分である。それら性能のバランスから、Crの含有量はステンレス鋼として一般的な含有量と同様の範囲でよく、15%以上が好ましく、17%以上がより好ましい。また、Crの含有量は30%以下が好ましく、25%以下がより好ましい。
【0075】
Moは耐食性、特に耐孔食性を向上させる成分である一方で、希少で経済性の悪い成分である。それら性能のバランスから、Moの含有量はステンレス鋼として一般的な含有量と同様の範囲でよく、5.0%以下が好ましく、4.0%以下がより好ましい。
【0076】
NbはCと結合することで固定化し、Cr炭化物の生成による耐食性劣化、すなわち鋭敏化を抑制することで耐食性を向上する成分である一方で、耐割れ性を劣化させる成分である。そのため、Nbの含有量は3.0%以下が好ましく、2.0%以下がより好ましい。耐鋭敏化鋼等に用いられる場合はNbの含有量は0.2%以上が好ましい。
【0077】
Nは溶接金属のオーステナイト組成を安定化させる、溶接金属の強度を向上させる、耐孔食性を向上させる等の効果を発揮する成分である一方で、気孔欠陥を招く成分である。それら性能のバランスから、Nの含有量は0.5%以下が好ましく、0.4%以下がより好ましい。また、高耐食鋼、極低温用鋼等に用いられる場合はNの含有量は0.1%以上が好ましい。
【0078】
Ni基合金用等として用いられるフラックス入りワイヤの合金成分の組成としては、例えば、ワイヤ全質量に対する質量分率でC:0.5%以下、Si:2.0%以下、Mn:4.0%以下、Fe:10.0%以下、Mo:20.0%以下、W:5.0%以下、Nb:4.5%以下、V:3.0%以下、Cr:10.0~35.0%、Co:2.5%以下、Ti:1.0%以下、N:0.50%以下、S:0.05%以下、P:0.05%以下、B:0.05%以下、Cu:2.0%以下、Ta:3.0%以下、及びREM:0.1%以下をさらに満たすことが好ましい。これらの元素は含まれなくてもよい。
【0079】
上記に加え、フラックス入りワイヤにおける1種又は複数のアルカリ金属元素から構成される金属粉及び金属化合物をさらに含んでいてもよく、この場合のアルカリ金属元素はアーク安定剤として作用する。なお、アルカリ金属元素は、K、Li、Na等が挙げられる。アルカリ金属元素から構成される金属粉及び金属化合物の合計の含有量は、ワイヤ全質量に対して3%以下であることが好ましく、2%以下がより好ましく、また、残部がNi及び不純物であることが好ましい。
【0080】
上記合金成分の組成は、Ni基合金や、JIS Z 3335:2014年に準拠したNi基合金用として用いられるフラックス入りワイヤに一般的に用いられる組成と同様の組成で用いることができる。
具体的な好ましい態様として、Fe、Co以外の元素は、ステンレス鋼用等として用いられるフラックス入りワイヤの合金成分の組成と同様である。
【0081】
Feは溶接金属の経済性を向上させるために、機械的特性や耐食性等に悪影響を及ぼさない程度に添加される成分である。Ni基合金に求められる耐食性、耐熱性等を発揮する為には、上限は10.0%以下が好ましい。
【0082】
CoはNiと同様にオーステナイト組織を安定化させる成分である。また、一般的なNi素材に不純物として比較的多量に含有されるため、不可避的に含まれる成分である。一方、Coは極めて経済性が悪く、積極的な添加は好ましくない。Coの含有量は2.5%以下が好ましい。
【0083】
フラックス入りワイヤの外皮も特に限定されるものではないが、例えば、普通鋼、SUH409L(JIS G 4312:2019年)、SUS430、SUS304L、SUS316L、SUS310S(いずれもJIS G 4305:2012年)等や、Alloy600(UNS N06600)、Alloy625(UNS N06625)、Alloy22(UNS N06022)、Alloy276(UNS N10276)等を使用することができる。
【0084】
フラックス入りワイヤは、外皮によって形成される内部空隙に対するフラックス量が少ないと、溶接時にフラックス柱の形成がし難くなる。また、ワイヤ内でフラックスの移動現象が発生する。その場合、ワイヤの製造ラインの振動状況等によってワイヤの長手方向のフラックス含有率(以下、フラックス充填率又はフラックス率とも記す。)にバラつきが生じ、ワイヤの品質が不安定になることが懸念される。そのため、ワイヤ中のフラックスの含有率は、ワイヤ全質量に対する質量分率で10%以上が好ましく、11%以上がより好ましい。
一方、多量のフラックスを少量の外皮で包み込むためには、肉厚の薄い外皮材を使用すればよいものの、外皮材が極度に薄い場合には、ワイヤの伸線工程で外皮材が破れ、ワイヤが破断することが懸念される。そのため、ワイヤ中のフラックス含有率は20%以下が好ましく、18%以下がより好ましい。
【0085】
フラックス入りワイヤのワイヤ径(D)は特に限定されないが、一般的な溶接装置との組み合わせや溶接作業性を考慮すると、直径は0.9mm以上が好ましく、1.0mm以上がより好ましく、1.2mm以上がさらに好ましく、また、2.0mm以下が好ましく、1.6mm以下がより好ましい。
ワイヤの断面形状についても特に限定されず、外皮に合わせ目があるタイプのワイヤや、当該合わせ目のないシームレスタイプ等に用いることができる。また、シームレスタイプの場合は表面にCu等のめっき処理を施してもよい。
【0086】
<<製造方法>>
本実施形態に係るフラックス入りワイヤは、従来と同様の方法で製造することができ、特に限定されない。例えば、外皮内にフラックスを充填する。その際、外皮の組成、フラックスの組成及び含有率が各々前述した範囲になるよう適宜調整する。次いで、外皮内にフラックスが充填されたワイヤを、圧延、もしくは伸線することにより縮径し、所定の外径を有するフラックス入りワイヤを得ることができる。
【0087】
<<溶接方法>>
本実施形態に係る溶接方法は、正極性の上記フラックス入りワイヤとシールドガスを用いたガスシールドアーク溶接である。
シールドガスは特に限定されず、一成分のみの単一のシールドガスを用いても、2種以上の混合ガスを用いてもよい。例えば、活性ガス成分であるCOガスを60体積%以上含むことが好ましく、また、不活性ガス成分であるArガスを60体積%以上含むことも好ましい。
その他、溶接に際し、溶接電流、溶接電圧、溶接速度、溶接姿勢、シールドガス流量等を適宜調整して決定する。
【0088】
<<溶接金属>>
本実施形態に係る溶接金属は、上記フラックス入りワイヤを用いた溶接により形成される。溶接される母材は、軟鋼、高張力鋼、低温鋼、ステンレス鋼若しくはNi基合金等、通常用いられるものを使用することができる。
溶接により形成された溶接金属の組成は、母材やワイヤの組成や、シールドガスの種類等の溶接条件によって異なることから一様に定義することはできないが、ワイヤ送給速度が速く、同一入熱での施工能率に優れる。
【実施例
【0089】
以下に、実施例を挙げて本発明をさらに具体的に説明するが、本発明は、これらの実施例に限定されるものではなく、本発明の趣旨に適合し得る範囲で変更を加えて実施することが可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に包含される。
【0090】
<評価方法>
(高溶着性評価)
下記に示す溶接条件により溶接を行い、溶接中のワイヤ送給速度の測定により高溶着性評価を行った。
ワイヤ送給速度は、比較例1のフラックス入りワイヤを用いた際のワイヤ送給速度3.69(m/分)を基準として評価を行ったが、その改善率が5%以上であると、高溶着性能を有するといえる。なお、改善率とは比較例1のワイヤ送給速度に対する増加割合を示す。
【0091】
(溶接条件)
溶接電流:240A
溶接電圧:適正(20~23Vとする。)
溶接速度:30cm/分
溶接姿勢:下向き、ビードオンプレート
チップ-母材間距離:15mm
シールドガス:COガス100%
ガス流量:25L/分
母材:SM490A(溶接構造用圧延鋼材)
【0092】
<実施例1~17及び比較例1>
表1~3に示す組成を有するフラックス入りワイヤを用いて、上記溶接条件により溶接試験を実施した。なお、フラックスの組成において、酸化物及び炭酸塩は積極的添加がされておらず、ワイヤ全質量に対する含有量はいずれも、すべてのフラックス入りワイヤにおいて、0.5%以下であった。
また、仕事関数の重み付け相乗平均値とワイヤ送給速度との関係を図4に示すが、図4中の■は比較例1の結果を示し、◆は実施例の結果を示すものである。
【0093】
【表1】
【0094】
【表2】
【0095】
【表3】
【0096】
フラックスに含まれる金属化合物粉がBaFの一種のみであり、仕事関数の重み付け相乗平均値(Φ)が1.00未満である比較例1のフラックス入りワイヤに対し、当該重み付け相乗平均値(Φ)を1.00以上(-0.0908D+0.5473D+1.547)以下とすることにより、ワイヤ送給速度の大幅な改善が見られ、溶着性に優れる結果となった。
図1
図2
図3
図4