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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】
(24)【登録日】2023-03-01
(45)【発行日】2023-03-09
(54)【発明の名称】光応答性細胞固定化剤
(51)【国際特許分類】
   C12N 5/00 20060101AFI20230302BHJP
   C07K 5/033 20060101ALI20230302BHJP
【FI】
C12N5/00
C07K5/033
【請求項の数】 12
(21)【出願番号】P 2018105068
(22)【出願日】2018-05-31
(65)【公開番号】P2019208381
(43)【公開日】2019-12-12
【審査請求日】2021-04-12
【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成29年度 国立研究開発法人科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業、研究題目「光応答性細胞固定化剤表面を用いた1細胞操作技術の開発と応用」、産業技術力強化法第19条の適用を受けるもの
(73)【特許権者】
【識別番号】504137912
【氏名又は名称】国立大学法人 東京大学
(74)【代理人】
【識別番号】100114188
【弁理士】
【氏名又は名称】小野 誠
(74)【代理人】
【識別番号】100119253
【弁理士】
【氏名又は名称】金山 賢教
(74)【代理人】
【識別番号】100124855
【弁理士】
【氏名又は名称】坪倉 道明
(74)【代理人】
【識別番号】100129713
【弁理士】
【氏名又は名称】重森 一輝
(74)【代理人】
【識別番号】100137213
【弁理士】
【氏名又は名称】安藤 健司
(74)【代理人】
【識別番号】100143823
【弁理士】
【氏名又は名称】市川 英彦
(74)【代理人】
【識別番号】100151448
【弁理士】
【氏名又は名称】青木 孝博
(74)【代理人】
【識別番号】100183519
【弁理士】
【氏名又は名称】櫻田 芳恵
(74)【代理人】
【識別番号】100196483
【弁理士】
【氏名又は名称】川嵜 洋祐
(74)【代理人】
【識別番号】100203035
【弁理士】
【氏名又は名称】五味渕 琢也
(74)【代理人】
【識別番号】100185959
【弁理士】
【氏名又は名称】今藤 敏和
(74)【代理人】
【識別番号】100160749
【弁理士】
【氏名又は名称】飯野 陽一
(74)【代理人】
【識別番号】100160255
【弁理士】
【氏名又は名称】市川 祐輔
(74)【代理人】
【識別番号】100202267
【弁理士】
【氏名又は名称】森山 正浩
(74)【代理人】
【識別番号】100146318
【弁理士】
【氏名又は名称】岩瀬 吉和
(74)【代理人】
【識別番号】100127812
【弁理士】
【氏名又は名称】城山 康文
(72)【発明者】
【氏名】山口 哲志
(72)【発明者】
【氏名】泉田 森
(72)【発明者】
【氏名】岡本 晃充
【審査官】山▲崎▼ 真奈
(56)【参考文献】
【文献】国際公開第2016/158327(WO,A1)
【文献】HE, Di et al.,A photoresponsive soft interface reversibly controls wettability and cell adhesion by conformational changes in a spiropyran-conjugated amphiphilic block copolymer,Acta Biomaterialia,Vol.51,2017年,pp.101-111,特に要約,図1図3図7
【文献】TADA, Yuichi et al.,Development of a photoresponsive cell culture surface: regional enhancement of living-cell adhesion Induced by Local Light Irradiation,Journal of Applied Polymer Science,Vol.100,No.1,2006年,pp.495-499,特に図1
【文献】BRIEKE,C. et al.,Light-Controlled Tools,Angew. Chem. Int. Ed.,2012年,Vol.51,No.34,pp.8446-8476,特に図2
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12N
C07K
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/REGISTRY/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
所定の標的細胞を基材上に固定するための光応答性細胞固定化剤であって、
前記標的細胞と相互作用する疎水性鎖、
前記基材の表面に単分子膜状に配列する親水性鎖、及び
前記疎水性鎖と親水性鎖を連結する分岐型リンカー鎖を有し、
前記分岐型リンカー鎖の側鎖に、光照射によって異性化し、疎水性から親水性に変化する光異性化部位を有し、
前記疎水性鎖が、置換基を有していてもよい飽和又は不飽和の炭化水素鎖であり、
前記親水性鎖が、親水性ポリマーを含み、
前記光異性化部位が、以下の式(I)で表される構造を有し
【化1】
(式中、Rは、水素原子又はアルキル基であり;Rは、C~C20アルキレン基であり;R、R、及びRは、同一でも異なっていてもよく、それぞれ独立に、水素原子、アルキル基、アルコキシ基、又はニトロ基であって、R、R、及びRのうち少なくとも1つがニトロ基であり;*は、前記分岐型リンカー鎖への結合部分である。)、
前記光異性化部位の異性化による分配係数の対数値(logP)の変化量が、0.5以上であること(ここで、当該分配係数は、疎水性鎖(a)と分岐型リンカー鎖(c)よりなる領域における分配係数の計算値である。)、
を特徴とする該光応答性細胞固定化剤。
【請求項2】
前記光異性化部位の異性化前後における、より疎水性の高い異性体における前記分配係数の対数値(logP)が10以上である、請求項1に記載に光応答性細胞固定化剤。
【請求項3】
が、C又はC直鎖アルキレン基であり;Rが、ニトロ基である、請求項1に記載の光応答性細胞固定化剤。
【請求項4】
前記親水性ポリマーが、ポリアルキレングリコールである、請求項1に記載の光応答性細胞固定化剤。
【請求項5】
前記分岐型リンカー鎖が、アミノ酸残基又はその繰り返し構造を有する、請求項1~4のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤。
【請求項6】
前記光異性化部位が、アミド結合によって前記分岐型リンカー鎖に連結している、請求項1~5のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤。
【請求項7】
前記親水性鎖の末端に、前記基材の表面と共有結合により結合する置換基を有する、請求項1~6のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤。
【請求項8】
以下の構造を有する、請求項1に記載の光応答性細胞固定化剤。
【化2】
(式中、Spは、前記光異性化部位を表し;mは、1~5の自然数であり;nは、50~500の自然数である。)
【請求項9】
請求項1~8のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤によって修飾された表面を有する、細胞固定化用基材。
【請求項10】
(i)請求項9に記載の細胞固定化用基材に特定波長の光を照射し、前記光異性化部位を親水性の異性体構造に変換する工程、
(ii)前記細胞固定化用基材に所定の標的細胞を含む溶液を接触させ、前記細胞固定化用基材に前記標的細胞を固定化する工程、及び
(iii)前記細胞固定化用基材に前記工程(i)とは異なる波長の光を照射し、前記光異性化部位を疎水性の異性体構造に変換することで、前記固定化された標的細胞を前記細胞固定化用基材から分離・回収する工程、
を含む、細胞回収方法。
【請求項11】
前記工程(i)~(iii)を複数回繰り返すことを含む、請求項10に記載の細胞の回収方法。
【請求項12】
前記工程(i)において照射される光が、紫外光であり;前記工程(iii)において照射される光が、可視光である、請求項10又は11に記載の細胞回収方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細胞固定化力に優れた光応答性細胞固定化剤、当該光応答性細胞固定化剤により修飾した表面を有する細胞固定化用基材、及び当該基材を用いる細胞回収方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年、特定の細胞を一細胞ごとに操作する技術は、再生医療や一細胞解析の発展に伴って大きな注目を集めている。そのような単一細胞を操作するための技術としては、例えばマイクロマニピュレーター等を使用する機械的手法が汎用されているが、一度に多数の細胞を扱えないという欠点を持つ。そのため、外部刺激によって細胞を選択的に固定化および脱離できる刺激応答性表面を有する基板の開発が、ハイスループットに細胞を操作できる技術として期待されている。
【0003】
典型的には、このような刺激応答性基板を用いる技術では、刺激によって望みの場所に細胞を固定して並べ、表現型などの一細胞解析や遺伝子導入などの細胞加工を施すことができる。その後、目的とする細胞の位置にのみ網羅的に刺激を与えることで、目的とする表現型の細胞や目的の加工がされた細胞のみを一細胞レベルで選択的に脱離させて選別することが可能となる。
【0004】
さらに、刺激応答性の表面を有する基板を用いる手法の利点としては、従来の機械的手法と比較して、細胞を同時に並列処理することが圧倒的に簡便に行うことができるという点が挙げられる。また、このような基板表面をデバイスに組み込むことで、再生医療用細胞の高速大量自動調製が可能となり、或いは迅速かつ網羅的な自動一細胞診断が可能となるものと期待される。それゆえ、デバイス内で外部刺激に応じて繰り返し個々の細胞を固定および脱離できる基板表面の開発が求められている。
【0005】
外部刺激によって細胞を選択的に固定および脱離できる基板表面および基板表面作成技術は、利用する刺激の種類によって、以下の4つに大別できる:(1)光応答性の材料を用いる技術、(2)熱応答性の材料を用いる技術、(3)電気応答性の材料を用いる技術、(4)化学薬品や生体分子の添加などその他の刺激に応答する材料を用いる技術。ここで、(2)~(4)で用いられる外部刺激は、いずれも空間分解能が低く、単一細胞のみに刺激を与えることが困難であるため、一細胞レベルでの操作に用いることはできない。これに対し、(1)で用いられる外部刺激である光は、空間分解能が高く、単一細胞のみに照射することが可能であるという利点がある。したがって、上記の一細胞レベルでの操作が可能であり、かつ反復的な細胞固定化を可能とする光応答性基板表面の作成技術への応用が試みられている。しかし、光刺激を用いる既存の技術は接着性細胞にしか応用できず、細胞操作の主な対象となる懸濁状態の細胞や浮遊細胞を取り扱うことは出来ないという課題があった。
【0006】
一方で、本願発明者らの研究グループでは、光分解性リンカーを介してポリエチレングリコール(PEG)と脂質とを連結させた化合物を用いることで、細胞の接着性に関わらず任意の細胞を操作できる光不活性型および光活性型の細胞固定化剤を報告している(非特許文献1)。しかしながら、当該細胞固定化剤では、光刺激による固定又は脱離のいずれか一度のみ用いることができるものであって、細胞の固定化と脱離を切り替えて反復継続的に操作することは実現できていなかった。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0007】
【文献】S. Yamaguchi, et al, Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 128-131
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
かかる従来技術における課題に鑑み、本発明は、標的とする細胞種を問わず、光刺激により細胞の固定化と脱離を選択的かつ可逆的に制御することができ、反復継続的に用いることが可能な光応答性細胞固定化剤を開発することを課題とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者は、上記課題を解決するべく鋭意検討を行った結果、標的細胞と結合し得る疎水性部位と親水性部位を連結するリンカー部位に、側鎖として光異性化によって疎水性・親水性が変化し得る構造を導入した分岐型リンカーを有する分子を用いることで、特定波長の光を照射することによって任意の細胞を基板上に選択的に固定し、かつ別の波長の光を照射することによって選択的に取り外すことができ、これにより、二波長の光を交互に照射することによって標的細胞を繰り返し固定および脱離し得ることを見出し、本発明を完成するに至ったものである。
【0010】
すなわち、本発明は、一態様において、
<1>所定の標的細胞を基材上に固定するための光応答性細胞固定化剤であって、前記標的細胞と相互作用し得る疎水性鎖、前記基材の表面に単分子膜状に配列し得る親水性鎖、及び前記疎水性鎖と親水性鎖を連結する分岐型リンカー鎖を有し、前記分岐型リンカー鎖の側鎖に、光照射によって異性化し、疎水性から親水性に変化し得る光異性化部位を有することを特徴とする該光応答性細胞固定化剤;
<2>前記光異性化部位の異性化による分配係数の対数値(logP)の変化量が、0.5以上である(ここで、当該分配係数は、疎水性鎖(a)と分岐型リンカー鎖(c)よりなる領域における分配係数の計算値である。)、上記<1>に記載に光応答性細胞固定化剤;
<3>前記光異性化部位の異性化前後における、より疎水性の高い異性体における分配係数の対数値(logP)が10以上である、上記<2>に記載に光応答性細胞固定化剤;
<4>前記光異性化部位が、スピロピラン又はその誘導体の構造を含む、上記<1>に記載の光応答性細胞固定化剤;
<5>前記光異性化部位が、以下の式(I)で表される構造を有する、上記<1>に記載の光応答性細胞固定化剤
【化1】
(式中、Rは、水素原子又はアルキル基であり;Rは、C~C20アルキレン基であり;R、R、及びRは、同一でも異なっていてもよく、それぞれ独立に、水素原子、アルキル基、アルコキシ基、又はニトロ基であり;*は、前記分岐型リンカー鎖への結合部分である。);
<6>Rが、C又はC直鎖アルキレン基であり;Rが、ニトロ基である、上記<5>に記載の光応答性細胞固定化剤;
<7>前記疎水性鎖が、置換基を有していてもよい飽和又は不飽和の炭化水素鎖である、上記<1>~<6>のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤;
<8>前記親水性鎖が、親水性ポリマーを含む、上記<1>~<7>のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤;
<9>前記親水性ポリマーが、ポリアルキレングリコールである、上記<8>に記載の光応答性細胞固定化剤;
<10>前記分岐型リンカー鎖が、アミノ酸残基又はその繰り返し構造を有する、上記<1>~<9>のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤;
<11>前記光異性化部位が、アミド結合によって前記分岐型リンカー鎖に連結している、上記<1>~<10>のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤;
<12>前記親水性鎖の末端に、前記基材の表面と共有結合により結合し得る置換基を有する、上記<1>~<11>のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤;及び
<13>以下の構造を有する、上記<1>に記載の光応答性細胞固定化剤
【化2】
(式中、Spは、前記光異性化部位を表し;mは、1~5の自然数であり;nは、50~500の自然数である。)
を提供するものである。
【0011】
また、別の態様において、本発明は、
<14>上記<1>~<13>のいずれかに記載の光応答性細胞固定化剤によって修飾された表面を有する、細胞固定化用基材
を提供するものである。
【0012】
さらなる態様において、本発明は、
<15>(i)上記<14>に記載の細胞固定化用基材に特定波長の光を照射し、前記光異性化部位を親水性の異性体構造に変換する工程、
(ii)前記細胞固定化用基材に所定の標的細胞を含む溶液を接触させ、前記細胞固定化用基材に前記標的細胞を固定化する工程、及び
(iii)前記細胞固定化用基材に前記工程(i)とは異なる波長の光を照射し、前記光異性化部位を疎水性の異性体構造に変換することで、前記固定化された標的細胞を前記細胞固定化用基材から分離・回収する工程、
を含む、細胞回収方法;
<16>前記工程(i)~(iii)を複数回繰り返すことを含む、上記<15>に記載の細胞の回収方法;
<17>前記工程(i)において照射される光が、紫外光であり;前記工程(iii)において照射される光が、可視光である、上記<15>又は<16>に記載の細胞回収方法
を提供するものである。
【発明の効果】
【0013】
本発明の光応答性細胞固定化剤によれば、光照射による光異性化部位の構造変化により疎水性及び親水性を可逆的に変化させることで、標的とする細胞種を問わず、光刺激による細胞の固定化と脱離を一細胞レベルで選択的に制御することができる。そして、二波長の光を交互に照射する光スイッチングによって、かかる光応答性の細胞の固定化・脱離の工程を繰り返し反復継続的に行うことが可能となる。
【0014】
本発明は、多数の細胞から迅速に、かつ正確に目的の細胞のみを選別する新しい強力な手法になるため、細胞生物学分野の基礎研究や製薬企業における抗体選択や創薬ターゲットの探索研究において、幅広く応用されることが期待できる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
図1図1は、本発明の光応答性細胞固定化剤の全体構造を示す模式図である。
図2図2は、本発明の光応答性細胞固定化剤を修飾した基板について、光照射に伴う細胞固定化密度を示すグラフである。(a)化合物1、(b)化合物1b、(c)化合物1c、(d)化合物1d、及び(e)化合物1e。
図3図3は、本発明の光応答性細胞固定化剤(化合物1d)を修飾した基板について、細胞固定化後に可視光を照射した場合の細胞固定化密度の変化を示すグラフである。
図4図4は、本発明の光応答性細胞固定化剤(化合物1d)を修飾した基板について、光照射による細胞の固定と脱離の繰り返し操作時の細胞固定化数を示すグラフである。
図5図5は、本発明の光応答性細胞固定化剤(化合物1d)を修飾した基板について、紫外光と可視光をそれぞれ照射した表面上での細胞の蛍光顕微鏡像である。
図6図6は、本発明の光応答性細胞固定化剤(化合物1d)を修飾した基板について、光照射による細胞の固定と脱離の繰り返し操作を様々な細胞で行った際の細胞固定化数を示すグラフである(off: 可視光照射後、on: 紫外光照射後)。(a)K562細胞、(b)Jurkat細胞、(c)HeLa細胞。
図7図7は、本発明の光応答性細胞固定化剤(化合物1d)を修飾した基板上に細胞を固定し、その後、可視光の照射によって取り外した細胞の生存率(Released)と、同じ時間、PBS中においたコントロールの細胞の生存率(Pos. Ctrl.)を示すグラフである。
【発明を実施するための形態】
【0016】
以下、本発明の実施形態について説明する。本発明の範囲はこれらの説明に拘束されることはなく、以下の例示以外についても、本発明の趣旨を損なわない範囲で適宜変更し実施することができる。
【0017】
1.光応答性細胞固定化剤
本発明の光応答性細胞固定化剤は、
(a)標的細胞と相互作用して当該細胞と結合する機能を有する疎水性鎖、
(b)基材の表面に単分子膜状に配列し得る親水性鎖、及び
(c)これら疎水性鎖と親水性鎖を連結するためのリンカーとして、側鎖を備えた分岐構造を有する分岐型リンカー鎖
を有し、さらに、当該分岐型リンカー鎖の側鎖に、光照射によって異性化し、疎水性から親水性に変化し得る光異性化部位(d)を有することを特徴とする。
【0018】
本発明の光応答性細胞固定化剤の全体構造を図1に示す。各部位の連結は、例えば、アミド結合やエステル結合、エーテル結合、チオエーテル結合、カルバメート結合、チオカルバメート結合、トリアゾール結合、尿素結合等の共有結合を用いることができる。なお、分岐型リンカー鎖(c)における光異性化部位(側鎖)は、アミド結合によって前記分岐型リンカー鎖(の主鎖)に連結していることが好ましい。
【0019】
本発明の光応答性細胞固定化剤は、典型的には、親水性鎖(b)の末端で基材表面に直接或いは後述の被覆層を介して結合することで、基材表面を修飾して用いられる。この場合、光応答性細胞固定化剤は、好ましくは、基材の表面に単分子膜状に配列される。一方、疏水性鎖(a)は、疎水性相互作用等の相互作用によって標的細胞と結合・捕捉することができる。これにより、基材表面の特定領域に標的細胞を固定化することができる。また、基材表面における所望の領域に特定波長の光照射を行うことで、分岐型リンカー鎖(c)の側鎖における光異性化部位(d)を光異性化によって構造変化させ、その疎水性を変化させることにより、標的細胞を基材表面から選択的に分離し、回収することができる。さらに、再度、基材表面に特定波長の光照射を行うことで、再度の光異性化により光異性化部位(d)を当初の構造に戻すことができ、細胞の固定化と分離・回収を繰り返し実施することが可能となる。
【0020】
ここで、「細胞」には、動物細胞、植物細胞、昆虫細胞、原核細胞、真菌細胞などを含むことができ、一般に培養器具等の担体表面に接着・伸展せず、懸濁または沈殿状態で増殖する「浮遊細胞」と呼ばれるもの(例えば血球細胞)や、担体表面に接着・伸展する「接着細胞」をEDTA-トリプシン、ディスパーゼ等の適当な分散剤で担体から分散させ、一時的に浮遊させたもの(例えばEDTA液で担体から剥離した線維芽細胞)、および担体に接着した状態の細胞を含む。また、リポソーム、エキソソーム、細菌、ウィルス、オルガネラ、細胞壁を除去した植物細胞(プロトプラスト)等の表面にリン脂質二重膜を有する生命体も含まれる。また、本発明の光応答性細胞固定化剤によれば、これら以外にも、脂質コート粒子など脂質を有する物質を固定化することもできる。
【0021】
本発明の光応答性細胞固定化剤における疎水性鎖(a)は、標的細胞と相互作用により結合し、当該標的細胞を捕捉するための部位である。かかる相互作用としては、疎水性相互作用等の非共有結合的な相互作用を用いることができる。具体的には、疎水性鎖(a)は、脂質二分子膜である細胞膜等における脂質部分との疎水性相互作用によって標的細胞と結合することができる。
【0022】
疎水性鎖(a)は、疎水性相互作用により標的細胞に結合できるものである限り特に限定されないが、置換基を有していてもよい飽和又は不飽和の炭化水素鎖であることができる。かかる炭化水素鎖の例示としては、例えば、C7-30アルキル基(好ましくはC7-22アルキル基)、C6-14アリール基、C6-14アリールC7-30アルキル基(好ましくはC6-14アリールC7-22アルキル基)、及びC7-30アルキルC6-14アリール基(好ましくはC6-14アリールC7-22アルキル基)などが挙げられる。好ましくは、隣接する炭素原子が1~3個の不飽和結合によって連結されていてもよいC7-30アルキル基、隣接する炭素原子が1~3個の不飽和結合によって連結されていてもよいC7-22アルキル基、又は隣接する炭素原子が1~3個の不飽和結合によって連結されていてもよいC11-22アルキル基、又は隣接する炭素原子が1~3個の不飽和結合によって連結されていてもよいC16-18アルキル基であることができる。より好ましくは、疎水性鎖(a)は、ヘキサデシル基、ヘプタデシル基、オクタデシル(ステアリル)基、シス-9-ヘキサデセニル(パルミトレイル)基、シス-8-ヘプタデセニル基、トランス-8-ヘプタデセニル基、トランス-9-オクタデセニル(エライジル)基、シス-9-オクタデセニル(オレイル)基、シス,シス-9,12-オクタデカジエニル(リノレニル)基、(9E,12E,15E)-オクタデカ-9,12,15-トリエニル(エライドリノレニル)基であることができる。特に、細胞膜を構成するリン脂質の一部であるオレイル基が好ましい。さらに、これらの疎水性鎖は、任意の置換基で置換されていてもよく、またN、S、O等のヘテロ原子を含んでもよい。
【0023】
親水性鎖(b)は、好ましくは、親水性ポリマーにより構成される。かかる親水性ポリマーとしては、ポリアルキレングリコール、ポリビニルアルコール、ポリアクリル酸、ポリペプチド、ポリアクリルアミド、およびデキストラン等の多糖類、あるいはグリコール酸誘導体や乳酸誘導体、p-ジオキサン誘導体の重合体や共重合体等を用いることができる。ポリアルキレングリコールとしては、好ましくは炭素数2~4のオキシアルキレン単位の重合体であり、その平均重合数が2~500(好ましくは、45~500)の範囲であるものを用いることができる。当該親水性ポリマーは、生体適合性のポリマーであることが好ましく、ポリエチレングリコール(PEG)であることがより好ましい。親水性鎖(b)は、さらに任意の置換基を有していてもよい。
【0024】
親水性鎖(b)は、上述のように、共有結合等により基材表面に連結するための官能基をその末端(図1における分岐型リンカー鎖(c)との結合位置とは反対側の末端)に有することが好ましい。そのような末端の官能基としては、例えば、以下に示すものを用いることができる(式中、矢印は親水性鎖(b)への結合点を表している)。
【化3】
【0025】
好ましくは、末端の官能基は、N-ヒドロキシスクシンイミド(NHS)等の活性エステル基、カルボキシル基、シラノール基、ジスルフィド基、又はチオール基を用いることができる。後述のように、基材表面にコラーゲン等の被覆層を用いる場合には、これら被覆層と結合し得る官能基を用いることができ、例えば、コラーゲン被覆層の場合には、コラーゲン中のアミノ基と共有結合し得る活性エステル基が好ましく、特にNHS基を有することが好ましい。
【0026】
分岐型リンカー鎖(c)は、上述のように、疎水性鎖(a)と親水性鎖(b)との間に配置され、これらを連結するとともに、それに加えて、側鎖として光異性化部位(d)を有する分岐型の構造であることを特徴とする。疎水性鎖(a)及び親水性鎖(b)との連結は、いずれも、例えば、アミド結合やエステル結合、エーテル結合、チオエーテル結合、カルバメート結合、チオカルバメート結合、トリアゾール結合、尿素結合等の共有結合を用いることができる。なお、疎水性鎖(a)と分岐型リンカー鎖(c)との連結、及び、親水性鎖(b)と分岐型リンカー鎖(c)との連結は、同一の異なる結合様式であってもよいし、異なる結合様式であることもできる。
【0027】
分岐型リンカー鎖(c)を構成する材料は、疎水性鎖(a)と親水性鎖(b)を連結し得るものであれば特に制限されることはないが、好ましくは、アミノ酸残基又はその繰り返し構造を有する。例えば、リシン、アスパラギン酸、グルタミン酸、システイン、セリン、スレオニン、チロシンなどの分岐を導入可能なアミノ酸残基又はその繰り返し構造であることが好ましい。リシン残基又はその繰り返し構造が特に好ましい。或いは、これらアミノ酸残基以外にも、分岐型リンカー鎖(c)を構成する材料として、グリセロールなどの3価アルコール;ヒドロキシキノールなどのベンゼントリオールやベンゼントリカルボン酸;ベンゼントリアミン;4-アミノサリチル酸などの3つ以上の反応性官能基を有するベンゼン環を用いることもできる。場合によっては、親水性鎖(b)と同様に、親水性ポリマーを用いることもできる。
【0028】
光異性化部位(d)は、上記分岐型リンカー鎖(c)の側鎖に存在し、光照射による異性化によって構造変化をすることで、疎水性から親水性に変化し得る化学構造を有するものである。典型的には、かかる光異性化としては、特定波長の光の照射によって、環状構造が開環・閉環することによる可逆的な構造変化を生じさせ、これにより、当該化学構造の疎水性に変化を生じさせる場合を挙げることができる。ここで、「可逆的な」とは、特定波長の光の照射により開環等の構造変化(1回目の異性化反応)を生じさせるが、その後、さらに、当該特定波長とは異なる波長の光を再度照射すること又は熱を加えることによって構造変化(2回目の異性化反応)が発生し、当初の閉環構造に復帰することが可能であることを意味する。典型的な例としては、光異性化部位(d)は、紫外線の照射により1回目の異性化反応が起こり、その後、可視光を照射すること又は熱を加えることにより2回目の異性化反応が起こるような化学構造を有する。
【0029】
光異性化部位(d)の光異性化により、疎水性鎖(a)と分岐型リンカー鎖(c)(光異性化部位(d)を含む)よりなる領域(すなわち、光応答性細胞固定化剤における親水性鎖(b)を除く領域)における分配係数の対数値(logP)が当該光異性化の前後において一定量変化することが望ましい。ここで、「logP」とは、化合物の1-オクタノール/水の分配係数(P)の対数値であり、1-オクタノールと水の2液相の溶媒系に化合物が溶質として溶け込んだときの分配平衡において、それぞれの溶媒中での溶質の平衡濃度の比を意味し、底10に対する対数の形で一般的に示される。このlogPは疎水性(親油性)の指標であり、この値が大きいほど疎水的であり、値が小さいほど親水的である。本発明においては、logPの実測値又は計算値のいずれを用いてもよいが、実測値がある場合には実測値を用いることが好ましい。なお、logPの計算値は、例えば、Hansch,Leoのフラグメントアプローチ(A.Leo, Comprehensive Medicinal Chemistry, Vol.4, C.Hansch, P.G.Sammens, J.B.Taylor and C.A.Ramsden,Eds., p.295, Pergamon Press, 1990)により、プログラム“CLOGP”(Daylight Chemical Information Systems, Inc.)により算出され得ることが知られている。また、計算プログラムALOGPS 2.1(Tetko, I. V.ら、 J. Comput. Aided. Mol. Des.、 2005、 19 (6)、 453‐463)を用いてlogPの計算値を算出することもできる。
【0030】
本発明の光応答性細胞固定化剤における光異性化部位(d)の光異性化によってかかるlogPが変化することにより、親水性の異性体構造となった場合には、疎水性鎖(a)において標的細胞が固定化され得る状態となり、一方、疎水性の異性体構造となった場合には、当該標的細胞が光応答性細胞固定化剤から離脱するという操作を制御することが可能となる。これは、光異性化部位(d)が疎水性構造の場合には、疎水性鎖(a)の領域が互い密集して標的細胞との相互作用が阻害されるが、一方、光異性化部位(d)が親水性構造となった場合には、疎水性鎖(a)の領域の自由度が高まり、標的細胞との相互作用が生じ、固定化することができることによるものと考えられる。かかる制御の観点から、光異性化部位(d)の異性化による、疎水性鎖(a)と分岐型リンカー鎖(c)よりなる領域における分配係数の対数値(logP)の変化量が、0.5以上であることが好ましい。当該変化量は、より好ましくは、0.8以上、特に好ましくは、1.0以上である。
【0031】
さらに、疎水性鎖(a)における標的細胞の固定化を効果的に行うという観点から、疎水性の異性体構造をとる場合、疎水性鎖(a)と分岐型リンカー鎖(c)よりなる領域における分配係数の対数値(logP)が10以上の疎水性を有することが好ましい。すなわち、光異性化部位(d)の異性化前後における、より疎水性の高い異性体の分配係数の対数値(logP)が10以上であることが好ましい。より好ましくは、当該より疎水性の高い異性体の分配係数の対数値(logP)が、10.5~11.0の範囲である。
【0032】
したがって、好ましい態様では、本発明の光応答性細胞固定化剤は、光異性化部位(d)の異性化による分配係数の対数値(logP)の変化量が、0.5以上であり;かつ、光異性化部位(d)の異性化前後における、より疎水性の高い異性体の場合の分配係数の対数値(logP)が10以上であることができる。
【0033】
このような特性を提供し得る光異性化部位(d)として用いることが可能な好ましい例としては、これらに限定されるものではないが、スピロピラン又はその誘導体の構造を含むものを挙げることができる。スピロピランは、以下の式に示すように、式左の閉環構造の場合には比較的高い疎水性を有するが、紫外線の照射によりスピロ環部分が光開環反応により開環し、式右の開環構造となる。当該開環構造では、電化分離により分子内チャージを有し、親水性を有するものとなる。一方で、開環構造に可視光を照射(又は熱を付加)することで、再度閉環構造に戻すことができる。すなわち、特定波長の光照射により、その疎水性・親水性を制御することができるものである。
【化4】
【0034】
より具体的には、光異性化部位(d)は、以下の式(I)で表されるスピロピラン様構造を有することが好ましい。
【化5】
【0035】
式中、Rは、水素原子又はアルキル基であり;Rは、C~C20アルキレン基であり;R、R、及びRは、同一でも異なっていてもよく、それぞれ独立に、水素原子、アルキル基、アルコキシ基、又はニトロ基であり;*は、前記分岐型リンカー鎖への結合部分である。
【0036】
は、好ましくは、水素原子又はC~Cアルキル基であり、好ましくは水素原子である。適切な疎水性に調整する観点から、Rは、好ましくは、C5~C20、より好ましくは、C又はC直鎖アルキレン基である。同様に、R、R、及びRのうち、少なくとも1つがニトロ基であることが好ましく、Rがニトロ基であることがより好ましい。当該ニトロ基を有することにより、光異性化による開環構造が安定化し、また、光異性化の量子収率も良好なものとすることができる。
【0037】
本明細書中において、「アルキル又はアルキル基」は直鎖状、分枝鎖状、環状、又はそれらの組み合わせからなる脂肪族炭化水素基のいずれであってもよい。アルキル基の炭素数は特に限定されないが、例えば、炭素数1~20個(C1~20)、炭素数1~15個(C1~15)、炭素数1~10個(C1~10)である。本明細書において、アルキル基は任意の置換基を1個以上有していてもよい。例えば、C1~8アルキルには、メチル、エチル、n-プロピル、イソプロピル、n-ブチル、イソブチル、sec-ブチル、tert-ブチル、n-ペンチル、イソペンチル、neo-ペンチル、n-ヘキシル、イソヘキシル、n-ヘプチル、n-オクチル等が含まれる。該置換基としては、例えば、アルコキシ基、ハロゲン原子(フッ素原子、塩素原子、臭素原子、又はヨウ素原子のいずれであってもよい)、アミノ基、モノ若しくはジ置換アミノ基、置換シリル基、又はアシルなどを挙げることができるが、これらに限定されることはない。アルキル基が2個以上の置換基を有する場合には、それらは同一でも異なっていてもよい。アルキル部分を含む他の置換基(例えばアルコキシ基、アリールアルキル基など)のアルキル部分についても同様である。
【0038】
本明細書中において、「アルキレン」とは、直鎖状または分枝状の飽和炭化水素からなる二価の基であり、例えば、メチレン、1-メチルメチレン、1,1-ジメチルメチレン、エチレン、1-メチルエチレン、1-エチルエチレン、1,1-ジメチルエチレン、1,2-ジメチルエチレン、1,1-ジエチルエチレン、1,2-ジエチルエチレン、1-エチル-2-メチルエチレン、トリメチレン、1-メチルトリメチレン、2-メチルトリメチレン、1,1-ジメチルトリメチレン、1,2-ジメチルトリメチレン、2,2-ジメチルトリメチレン、1-エチルトリメチレン、2-エチルトリメチレン、1,1-ジエチルトリメチレン、1,2-ジエチルトリメチレン、2,2-ジエチルトリメチレン、2-エチル-2-メチルトリメチレン、テトラメチレン、1-メチルテトラメチレン、2-メチルテトラメチレン、1,1-ジメチルテトラメチレン、1,2-ジメチルテトラメチレン、2,2-ジメチルテトラメチレン、2,2-ジ-n-プロピルトリメチレン等が挙げられる。
【0039】
本明細書中において用いられる「アミド又はアミド基」とは、RNR’CO-(R=アルキルの場合、アルキルアミノカルボニル-)およびRCONR’-(R=アルキルの場合、アルキルカルボニルアミノ-)の両方を含む。
【0040】
本明細書中において、ある官能基について「置換されていてもよい」と定義されている場合には、置換基の種類、置換位置、及び置換基の個数は特に限定されず、2個以上の置換基を有する場合には、それらは同一でも異なっていてもよい。置換基としては、例えば、アルキル基、アルコキシ基、水酸基、カルボキシ基、ハロゲン原子、スルホ基、アミノ基、アルコキシカルボニル基、オキソ基などを挙げることができるが、これらに限定されることはない。これらの置換基にはさらに置換基が存在していてもよい。このような例として、例えば、ハロゲン化アルキル基などを挙げることができるが、これらに限定されることはない。
【0041】
本発明の光応答性細胞固定化剤の具体例としては、以下の構造を有する化合物を挙げることができる。
【化6】
【0042】
式中、Spは、前記光異性化部位(d)を表し;mは、1~5の自然数であり;nは、50~500の自然数である。当該化合物は、疎水性鎖(a)としてオレイル基;親水性鎖(b)としてポリエチレングリコール鎖;分岐型リンカー鎖(c)として、リシン残基;及び基材との結合のために親水性鎖(b)の末端にN-ヒドロキシスクシンイミドを有している。好ましくは、mは、1又は2である。また、Spは、好ましくは、スピロピラン又はその誘導体であり、より好ましくは上記式(I)で表される構造である。
【0043】
2.細胞固定化用基材及び製造方法
本発明は、また、上記光応答性細胞固定化剤によって修飾された表面を有する細胞固定化用基材にも関する。当該細胞固定化用基材の表面構造は、上述のとおり、光応答性細胞固定化剤が親水性鎖(b)の末端で基材表面に直接或いは後述の被覆層を介して結合したものである。光応答性細胞固定化剤は、好ましくは、基材の表面に単分子膜状に配列される。
【0044】
光応答性細胞固定化剤によって修飾される基材の材質や形状等は特に限定されず、その用途等に応じて適当な基材を種々選択することができる。例えば、修飾対象の基材の形状は、基板状(プレート状又はフィルム状のもの、例えばスライドガラス、ディッシュ、マイクロプレート、マイクロアレイ用基板等)であっても、担体(例えばビーズなどの粒子状やコロイド状のもの)、繊維状構造物、管、容器(例えば試験管及びバイアル)であってもよい。修飾対象基材の材質としては、ガラス;セメント;陶磁器等のセラミックスもしくはファインセラミックス;ポリエチレンテレフタレート、酢酸セルロース、ポリカーボネート、ポリスチレン及びポリメチルメタクリレートなどのポリマー樹脂;ポリペプチド及びタンパク質などの生体材料;シリコン;活性炭;多孔質ガラス;多孔質セラミックス;多孔質シリコン;多孔質活性炭;不織布;濾紙;メンブレンフィルター;金などの導電性材料、などが挙げられる。修飾対象基材の表面は、アミノ基、カルボキシル基、ヒドロキシ基などを導入するため、ポリ陽イオンなどのポリマーによる被覆処理、あるいは基材表面への導入置換基を有するシランカップリング剤による処理が施されていてもよいし、あるいはプラズマ処理により反応性官能基が導入されていてもよい。
【0045】
光応答性細胞固定化剤は、基材表面と直接結合することで修飾されてもよいし、或いは、基材表面に被覆層を設け、当該被覆層の表面に光応答性細胞固定化剤を結合させて表面修飾を行うこともできる。かかる被覆層としては、例えば、コラーゲンやウシ血清アルブミン(BSA)、3-アミノプロピルトリエトキシシラン(APTES)、卵白アルブミンを用いることができる。
【0046】
3.細胞の固定化及び回収方法
さらに、本発明は、光応答性細胞固定化剤により表面修飾した細胞固定化用基材を用いて、標的細胞を固定化し、選択的に回収する細胞選別技術にも関する。本発明の細胞の回収方法は、以下の工程を含む、
(i)本発明の光応答性細胞固定化剤により表面修飾した細胞固定化用基材に特定波長の光を照射し、前記光異性化部位を親水性の異性体構造に変換する工程、
(ii)前記細胞固定化用基材に所定の標的細胞を含む溶液を接触させ、前記細胞固定化用基材に前記標的細胞を固定化する工程、及び
(iii)前記細胞固定化用基材に前記工程(i)とは異なる波長の光を照射し、前記光異性化部位を疎水性の異性体構造に変換することで、前記固定化された標的細胞を前記細胞固定化用基材から分離・回収する工程。
【0047】
工程(i)では、紫外光などの特定波長の光を照射し、光異性化部位を異性化することで、親水性を高めて、光応答性細胞固定化剤における疎水性鎖による標的細胞の固定化を行い得る状態とするものである。例えば、上記スピロピラン構造における分子内電荷を有する開環状態がこれに該当する。
【0048】
一方、工程(iii)では、可視光などの光を照射することで、光異性化部位を疎水性構造とすることで、疎水性鎖による標的細胞の固定化が解消され、これにより、標的細胞を1細胞レベルで選択的に回収することができる。例えば、上記スピロピラン構造における閉環状態がこれに該当する。
【0049】
工程(iii)の疎水性構造となった光応答性細胞固定化剤に、再度光照射を行うことで、を再度工程(i)の状態に戻すことができるため、後述の繰り返し操作を行うことができる。なお、光異性化部位がスピロピラン構造を有するものである場合には、前記工程(i)において照射される光は紫外光であり;前記工程(iii)において照射される光は可視光であることが好ましい。
【0050】
典型的には、当該方法を行う場として、細胞固定化用基材をマイクロ流路内に設置することができる。この場合、工程(iii)において、基材表面に流束を付与し、細胞固定化用基材から分離された標的細胞を回収することができる。
【0051】
上記工程(i)~(iii)を複数回繰り返すことにより、細胞固定化用基材自体に特段の処理を行うことなく、光の照射のみによって、継続的に標的細胞の固定化と回収を行うことが可能となる。
【実施例
【0052】
以下、実施例により本発明をさらに詳細に説明するが、本発明はこれらによって限定されるものではない。
【0053】
1.試薬及び装置等
[装置等]
特に明記しない限り、本実施例で用いた化学物質は分析等級であり、さらに精製することなく使用した。 2,3,3-トリメチルインドレニン、6-ブロモヘキサン酸、5-ブロモ吉草酸、オレイン酸、3-ヨードプロピオン酸、亜硝酸ナトリウム、1-(3-ジメチルアミノプロピル)-3-エチルカルボジイミド塩酸塩(EDC)、3-メチル-2-ブタノン(MIPK)およびN、N'-ジシクロヘキシルカルボジイミド(DCC)は、東京化成工業から入手した。p-ブチルアニリン、7-ブロモヘプタン酸、2-ヒドロキシ-5-ニトロベンズアルデヒド、Nα-Boc-L-リシン、N-ヒドロキシスクシンイミド(NHS)、トリエチルアミン(TEA)、塩化スズ(II) N、N'-ジイソプロピルカルボジイミド(DIC)、ヨウ化ナトリウムおよび塩酸は、和光純薬工業から入手した。Normal PEG脂質(Oleyl-PEG-NHS、Sunbright OE-040CS)および二官能化ポリエチレングリコール(H2N-PEG-COOH、Sunbright PA-034HC)は、日油から入手した。トリフルオロ酢酸(TFA)は、渡辺化学工業から入手した。脱水TEAは蒸留により調製した。
【0054】
[装置]
カラムクロマトグラフィーは、シリカゲル(関東化学)(60N球状、40~50μm)を用いて行った。 TLCは、シリカゲル(60、F254)(Merck社)で被覆したガラス支持プレート上で行った。 NMRの化学シフトは、内部基準としてテトラメチルシラン(TMS)を用い、ppmで示す。 NMRスペクトルは、Avance 600(600MHz、Bruker)を用いた。ESI質量スペクトルは、micrOTOF II(Bruker社)を用いた。MALDI-TOFスペクトルは、マイクロフレックス(Bruker)(マトリックス:ジスラノールおよびNaCl)を用いた。
【0055】
[細胞培養等]
Ba / F3ネズミIL-3依存性プロB細胞株、K562ヒト赤白血病、JurkatヒトT細胞白血病およびHeLaヒト上皮癌は、理研バイオリソースセンターから入手した。強化緑色蛍光タンパク質(EGFP)発現Ba / F3細胞は、文献に従い調製した。RPMI-1640培地は和光純薬から入手した。胎児ウシ血清は、Thermo Fisher Scientific社製である。マウスインターロイキン(IL)-3,0.25%トリプシン/ EDTA溶液およびダルベッコ変法イーグル培地は、Gibco BRL社から入手した。ペニシリン/ストレプトマイシンおよびトリパンブルー染色溶液はナカライテスク社から入手した。コラーゲンは、新田ゼラチン社から入手した。CalceinAMは、同仁研究所から入手した。PBS-は、日水製薬社から購入した。
【0056】
2.光応答性細胞固定化剤の合成
以下のスキームにより、本発明の光応答性細胞固定化剤である化合物1の合成を行った。
【0057】
【化7】
【0058】
2-1. 化合物2の合成
オレイン酸(340μl)、EDC(612.5mg)およびNHS(167.7mg)を無水ジクロロメタン(DCM)に溶解し、o / nで反応させた。シリカカラム(DCM)で精製して、化合物2を透明油状物として得た(354.3mg、88%)。
TLC (DCM) Rf: 0.55 (in iodine)
ESI-MS (m/z): [M+Na+] calculated 334.08; observed 334.06.
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 0.85 (t, 3H), 1.24 (m, 20H), 1.60 (quint, 2H), 1.98 (q, 4H), 2.64 (t, 2H), 2.80 (s, 4H), 5.32 (t, 2H).
【0059】
2-2. 化合物3の合成
化合物2(98.6mg)、Nα-Boc-L-リシン(83.5mg)および無水TEA(50μl)を無水DCMに溶解し、o / nで反応させた。反応混合物を最初にEtOAcおよび水(pH2)で抽出し、次いでシリカカラム(DCM / MeOH = 10/1)により化合物3を黄色固体として得た(126.3mg、95%)。
TLC (DCM) Rf: 0.65 (in iodine)
ESI-MS (m/z): [M+Na+] calculated 533.39; observed 533.43.
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 0.85 (t, 3H), 1.23 (m, 24H), 1.37 (s, 9H), 1.45 (t, 2H), 1.53 (br, 2H), 1.97 (q, 4H), 2.01 (t, 2H), 2.99 (q, 2H), 3.80 (m, 1H), 5.32 (q, 2H), 7.02 (d, 1H), 7.73 (t, 1H), 12.41 (br, 1H).
【0060】
2-3. 化合物4の合成
化合物3(126mg)、EDC(292.1mg)およびNHS(73.8mg)を無水DCMに溶解し、o / nで反応させた。シリカカラム(DCM /アセトン= 5/1)により、化合物4を白色固体として得た(122.6mg、82%)。
TLC (DCM/MeOH = 5/1) Rf: 0.6 (in iodine)
ESI-MS (m/z): [M+Na+] calculated 630.40; observed 630.36.
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 0.85 (t, 3H), 1.23 (br, 22H), 1.38 (s, 11H), 1.46 (quint, 2H), 1.98 (br, 2H), 2.02 (m, 6H), 2.80 (br, 4H), 3.00 (q, 2H), 4.29 (br, 1H), 5.32 (quint, 2H), 7.58 (d, 1H), 7.74 (t, 1H).
【0061】
2-4. 化合物5の合成
化合物4(578.7mg)、PA-034HC(1.5g)および無水TEA(200μl)を無水DCMに溶解し、2日間反応させた。 反応混合物を濃縮し、氷冷エーテル中に滴下した。得られた沈殿物を遠心分離(15kG、10分、-10℃)を用いて収集し、次いで水に溶解した。 副生成物を透析(MWCO = 2kDa)で除去し、凍結乾燥により化合物5を白色固体(1.6226g、95%)として得た。
TLC (DCM/MeOH = 8/1) Rf: 0.25 (in iodine)
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 0.85 (t, 3H), 1.14 (br, 24H), 1.37 (s, 9H), 1.46 (m, 6H), 1.60 (quint, 2H), 1.98 (m, 6H), 2.19 (t, 2H), 2.80 (br, 2H), 2.98 (m, 2H), 3.50 (s, approx. 300H), 3.62 (t, 2H), 3.79 (br, 1H), 5.32 (t, 2H), 6.72 (d, 1H), 7.72 (t, 1H), 7.76 (t, 1H), 11.99 (br, 1H).
【0062】
2-5. 化合物8の合成
2,3,3-トリメチルインドレニン(化合物7)(3ml、18.727mmol)および3-ヨードプロパン酸(4.5086g、22.546mmol)を無水2-ブタノン30mlに溶解し、Ar雰囲気下で4日間加熱還流した。冷却後、得られた沈殿物を濾過により集め、EtOAcで洗浄して化合物8を淡褐色粉末として得た(3.5439g、82%)。
TLC (DCM/MeOH = 10/1) Rf: 0.05 (in UV)
ESI-MS (m/z): [M+] found 232.13; observed 232.25.
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 1.52 (s, 6H), 2.85 (s, 3H), 2.97 (t, 2H), 4.64 (t, 2H), 7.61 (d, 2H), 7.83 (d, 1H), 7.99 (d, 1H).
【0063】
2-6. 化合物9の合成
化合物8(511.2mg)、2-ヒドロキシ-5-ニトロ-ベンズアルデヒド(372.2mg)およびTEA(300μl)を無水2-ブタノン5mlに溶解し、3時間加熱還流した。 冷却した後、反応混合物を最初にDCM /水で抽出し、次いでシリカカラム精製(DCM / MeOH = 15 / 1~1 / 1,1%トリエチルアミン)により赤褐色の固体(590.5mg、74%)として化合物9を得た。
TLC (DCM/MeOH = 10/1) Rf: 0.45 (in UV)
ESI-MS (m/z): [M+H+] calculated 381.14; observed 381.28.
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 1.07 (s, 3H), 1.18 (s, 3H), 2.46 (m, 1H), 2.55 (m, 1H), 3.35 (m, 1H), 3.48 (m, 1H), 6.00 (d, 1H), 6.67 (d, 1H), 6.80 (t, 1H), 6.87 (d, 1H), 7.12 (m, 2H), 7.20 (d, 1H), 7.99 (dd, 1H), 8.22 (d, 1H), 12.24 (br, 1H).
【0064】
2-7. 化合物10の合成
化合物9(220.7mg、0.512mmol)、EDC(311.5mg、1.625mmol)およびNHS(119.9mg、1.041mmol)を無水DCM 5mlに溶解し、Ar雰囲気下で2時間撹拌した。 反応混合物をDCM /水(pH7)で抽出し、MgSO4で乾燥して化合物10を褐色固体として得た(245.0mg、99%)。
TLC (EtOAc) Rf: 0.85 (in UV)
ESI-MS (m/z): [M+H+] calculated 478.16; observed 478.30.
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 1.16 (s, 3H), 1.24 (s, 3H), 2.86 (br, 4H), 3.00 (m, 1H), 3.14 (m, 1H), 3.50 (m, 1H), 3.64 (m, 1H), 6.10 (d, 1H), 6.83 (d, 1H), 6.91 (t, 1H), 6.96 (d, 1H), 7.21 (m, 2H), 7.27 (d, 1H), 8.05 (dd, 1H), 8.28 (d, 1H).
【0065】
2-8. 化合物6の合成
化合物5(58.7mg、0.01508mmol)を2mlのDCMと1mlのTFAの混合物に溶解し、15分間撹拌した。濃縮および真空乾燥により、化合物6を白色油状物として得た(TFAとの混合物として得られた)。反応混合物をさらに精製することなく次の反応に使用した。
TLC (DCM/MeOH = 8/1) Rf: 0.15 (in ninhydrin)
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 0.85 (t, 3H), 1.24 (br, 24H), 1.38 (q, 2H), 1.47 (m, 6H), 1.69 (br, 4H), 1.98 (q, 6H), 2.19 (t, 2H), 3.00 (br, 2H), 3.50 (s, approx. 300H), 5.32 (t, 2H), 7.87 (br, 1H), 8.28 (br, 3H), 8.62 (br, 1H), 10.34 (br, 1H).
【0066】
2-9. 化合物11の合成
化合物10(48.0mg、0.101mmol)、化合物6(98.7mg、0.0115mmol)および無水TEA(200μl、1.4366mmol)を無水DCM 5mlに溶解し、Ar雰囲気下で3日間撹拌した。反応混合物を濃縮し、氷冷エーテル中に滴下した。得られた沈殿物を遠心分離(15kG、10分、-10℃)を用いて収集し、次いで水に溶解した。副生成物を透析(MWCO = 2kDa)により除去し、凍結乾燥により化合物11を褐色固体として得た(43.5mg、92%)。
TLC (DCM/MeOH=5/1) Rf: 0.7 (in UV)
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 0.85 (t, 3H), 1.23 (br, 26H), 1.28 (t, 4H), 1.47 (m, 8H), 1.60 (m, 2H), 1.97 (m, 6H), 2.18 (t, 2H), 3.06 (br, 4H), 3.50 (s, approx. 300H), 3.62 (s, 2H), 4.02 (m, 2H), 5.31 (t, 2H), 6.00 (br, 1H), 6.66~8.21 (br, 10H), 11.98 (br, 1H).
【0067】
2-10. 化合物1の合成
化合物11(12.7mg、0.0031mmol)、DIC(50μl、0.3229mmol)およびNHS(6.5mg、0.0564mmol)を5mlの無水DCMに溶解し、Ar雰囲気下で2日間撹拌した。反応混合物を濃縮し、氷冷エーテル中に滴下した。得られた沈殿物を遠心分離(15kG、10分、-10℃)を用いて回収し、真空中で乾燥させて化合物1を橙色固体として得た(12.1mg、93%)。
TLC (DCM/MeOH=8/1) Rf: 0.3 (in UV)
1H-NMR (600 MHz, DMSO-d6, TMS): δ 0.85 (t, 3H), 1.23 (br, 26H), 1.37 (t, 4H), 1.45 (m, 4H), 1.51 (m, 2H), 1.61 (m, 4H), 1.97 (m, 6H), 2.66 (t, 2H), 2.81 (br, 4H), 2.92 (br, 4H), 3.50 (s, approx. 300H), 4.06 (m, 2H), 5.31 (t, 2H), 6.01~8.52 (m, 11H).
【0068】
化合物1と同様の反応を用いて、スピロピラン部位におけるRとRの置換基が異なる以下の表1に示す化合物群1a~1eをそれぞれ合成した。
【化8】
【表1】
【0069】
3.光異性化に伴うlogPの変化量 の検証
上記2.で合成した本発明の光応答性細胞固定化剤である化合物群について、光異性化によるスピロピラン部分の構造変化に伴う、疎水性鎖と分岐型リンカー鎖よりなる領域における分配係数の対数値(logP)の理論値を計算した。当該計算はIgor V. Tetko等の計算プログラムALOGPS 2.1(Tetko, I. V.; Gasteiger, J.; Todeschini, R.; Mauri, A.; Livingstone, D.; Ertl, P.; Palyulin, V. A.; Radchenko, E. V.; Zefirov, N. S.; Makarenko, A. S.; et al. J. Comput. Aided. Mol. Des. 2005, 19 (6), 453‐463)によって行った。結果を以下の表2に示す。
【表2】
【0070】
その結果、いずれの化合物も、閉環状態(Closed form)から開環状態(Open form)に異性化することによって、logP値が大きく減少する、すなわち、疎水性から親水性に変化することが分かった。その変化量についても、閉環状態(Closed form)と開環状態(Open form)におけるlogP値の差が1.0以上あり、光異性化によって疎水性が大きく変化し得ることが分かった。また、閉環状態(Closed form)のlogP値が、いずれも10.00以上であり、オレイル鎖領域(疎水性鎖)における細胞との疎水性相互作用を阻害しない程度の適切な疎水性を有することが分かった。
【0071】
4. 基板調製
以下の手順で光応答性細胞固定化剤によるガラス基板の表面修飾を行った。
【0072】
4-1. 基板の光応答性細胞固定化剤による修飾
直径35 mmのガラスボトムディッシュを使用した。コラーゲン溶液(3 mg/ml)をMQ (pH 3)で10倍希釈して0.3 mg/mlに調整し、各ディッシュに1 mlずつ加えて、室温で一晩静置した。2 mlのMQで3回洗浄した後、余剰のMQをピペットマンで取り除き、水滴が表面から完全になくなるまで風乾した。光応答性細胞固定化剤のストック(10 mM in DMSO)をPBSで目的濃度に希釈し、ポジコンのサンプルを一点、光応答性細胞固定化剤のサンプルを対角線上に二点、ネガコンとしてPBS-を一点の計四点、各ディッシュ上に0.3 μlずつスポットした。37 °Cで1時間インキュベートした後、まず1 mlのTrisHCl (50 mM, pH7.5)で1回、ついで2 mlのMQで5回洗浄し、1 mlのPBS-中で静置した。
【0073】
4-2. 修飾基板への細胞の固定化
後述の5.で調製した細胞を以下の手順により基板に固定化した。PBS-中でディッシュ表面に対して光照射機で光照射(360 nm or 520 nm, 10 min)を行った後、PBS-を除き、200 μlの細胞懸濁液を加えて軽くゆすった後に、室温で10 min静置した。1.5 mlのPBS-で3回洗浄した後、1.5 mlのPBS-を加えた。
【0074】
5.細胞調製
5-1.細胞の解凍・培養・凍結
解凍
血清入り培地を37 °C恒温槽で温めておき、冷凍していた細胞を恒温槽で氷が少し残るくらいまで溶かした。溶けきったらすぐに全量を15 mlチューブに移し、9 mlの培地で希釈した。遠心(190 G, 3 min, 以下同)して上清を除き、10 mlの培地に再懸濁して100 mmディッシュにまいた。
培養
基本的にインキュベーター中で培養(37 °C, 5 % CO2)。培地組成は以下の通り。
eGFP発現Ba/F3: RPMI (10 % FBS), 1 ng/ml IL3
継代
Ba/F3は、基本新しい培地で希釈するだけである。
凍結
細胞を15 mlチューブに回収し、一度きれいな培地で洗った後、Cell Bankerに懸濁させて0.5 or 1 mlずつ分注し、-80 °Cで保管する。長期保管サンプルは液体窒素中で保管した。
【0075】
5-2. 細胞固定に向けた細胞の前処理
Ba/F3を遠心(100 G, 3 min, 以下同)で回収後、10 ml PBS-で二度洗浄し、3×106 cell/mlになるようにPBS-に再懸濁した。
【0076】
6.細胞固定力(光スイッチング)評価
次いで、光応答性細胞固定化剤で修飾した基板を用いて、光照射に伴う細胞固定化能を評価した。
【0077】
6-1. PEG脂質の細胞固定力評価
上記2.で合成した本発明に係る光応答性細胞固定化剤を修飾した基板に対して、スピロピランの開環と閉環を促す波長域の光を照射後に細胞懸濁液(マウスproB細胞BaF3株)を作用させることによって、細胞固定化力の変化を観察した。化合物1、1b、1c、1d、及び1eについて得られた結果をそれぞれ図2(a)~(e)に示す。縦軸は基板に固定化された細胞数を示し、横軸は光応答性細胞固定化剤の濃度である。同じ濃度において左側が紫外線照射後(Open form)であり、右側が可視光照射後(closed form)の場合の結果を示している。なお、細胞数は、共焦点顕微鏡により撮像した画像から手動で計数した。
【0078】
その結果、紫外光(360 nm)を照射してスピロピラン誘導体を開環させた表面には比較的強く細胞が固定され、逆に、可視光(520 nm)を照射して閉環させた表面には比較的弱く細胞が固定されることが観測された。特に、最も優れたスイッチング能を有する化合物1dを用いた基板では、紫外光照射によって細胞が固定されるが、可視光照射によってほぼ細胞が固定されない状態となることが分かった。このような光切替型細胞固定化剤の化学構造の最適化により、異なる波長の光を照射することによって、細胞固定化力をスイッチングできる表面が得られることが実証された。
【0079】
6-2.繰り返し測定の検証
閉環状態にある化合物1d修飾表面を紫外光照射で開環状態にすることによって、一度、基板表面上に細胞を固定したうえ、連続して可視光を照射することによって固定した細胞を脱離することが可能であることを確認した(図3)。
【0080】
また、紫外光と可視光とを繰り返し交互に照射することによって、可逆的に細胞の固定と脱離が繰り返し行えることを確認した(図4)。さらに、図5に示すように、光の照射を基板上の特定領域に行うことで、この切り替え工程を、高い空間解像度で行うことができることも確認した。
【0081】
7.他の細胞を用いた固定化
上記6.で用いたBa/F3細胞は浮遊細胞であるが、以外の浮遊細胞でも同様に可逆的な固定化可能であることを示すために同様の実験を行った(化合物1dを用いた)。用いた細胞は、K562細胞、Jurkat細胞であり、共にヒト白血病由来細胞株である。また、懸濁状態の接着細胞(HeLa細胞(ヒト子宮頸がん由来細胞株))についても、実験を行った。得られた結果を図6に示す((a)K562細胞(b)Jurkat細胞(c)HeLa細胞)。図中の「off」は、可視光照射後の細胞固定化密度であり、「on」は、紫外線照射後の細胞固定化密度である。図6の結果から、本発明の光応答性細胞固定化剤を用いることで、種々の細胞に対して、可逆的な細胞固定化ができることが実証された。
【0082】
8.細胞毒性の検証
基板上に一度固定し、その後、可視光の照射によって取り外した細胞の生存率(Released)と、同じ時間、PBS中においたコントロールの細胞の生存率(Pos. Ctrl.)を比較した結果を図7に示す(化合物1dを用いた)。その結果、「基板上に一度固定し、その後、基板上から取り外す」という作業が、細胞に対して毒性を持たないことが確認された。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7