【実施例】
【0014】
実施例に係るばね10について説明する。ばね10は、自動車エンジン用の弁ばねとして用いられる。ばね10は、コイル状に成形されたばね線材により構成されており、隣接するばね線材の間には所定の間隔が設けられている。
【0015】
図1に示すように、ばね10は、鋼材層12と化合物層14から構成されている。鋼材層12は、ばね線材を熱処理等することによって形成される。鋼材層12(すなわち、ばね線材)は、例えば、C(炭素)、Si(ケイ素)、Mn(マンガン)、Cr(クロム)、W(タングステン)、鉄および不可避的不純物を含有していてもよい。この場合、それぞれの元素の割合は、質量%で、Cが0.60〜0.80%、Siが1.30〜2.50%、Mnが0.30〜1.00%、Crが0.40〜1.40%、Wが0.08〜0.20%の範囲とされており、残部がFe(鉄)および不可避的不純物としてもよい。Cを0.60%以上としたのは、Cが0.60%未満となると、耐久性と耐へたり性の双方を満足することが難しくなるためである。また、Cを0.80%以下としたのは、Cが0.80%を超えると、成形性が低下し、加工時の割れや折損等の可能性が高くなるためである。Siを1.30%以上としたのは、Siが1.30%未満となると、十分な耐へたり性を得ることができないためである。Siを2.50%以下としたのは、Siが2.50%を超えると、熱処理時の脱炭量が許容範囲を超え、耐久性に悪影響を与えるためである。Mnを0.30%以上としたのは、Mnが0.30%未満では、十分な強度を得ることができないためである。また、Mnを1.00%以下としたのは、Mnが1.00%を超えると、残留オーステナイト量が多くなり過ぎるためである。Crを0.40%以上としたのは、Crが0.40%未満であると、十分な固溶強度及び焼入れ性を得ることができないためである。また、Crを1.40%以下としたのは、Crが1.40%を超えると、残留オーステナイト量が多くなり過ぎるためである。Wを0.08%以上とするのは、Wが0.08%未満では、Wを添加した効果(焼入れ性の向上、高強度化等)を得ることができないためである。また、Wを0.20%以下とするのは、Wが0.20%を超えると、粗大な炭化物を生じ、延性などの機械的特性を悪化させるためである。
【0016】
なお、鋼材層12は、Wと共に、あるいは、Wに代えて、Mo(モリブデン)及び/又はV(バナジウム)を含有してもよい。Moを含有することで、それ自体が鋼の強度を向上させるとともに、焼入れ性を向上することができる。また、Vを含有することで、鋼材層12中に析出する炭化物の大きさを微細にすることができ、より鋼材層12の強度を向上することができる。鋼材層12がMo及び/又はVを含有する場合、その元素の割合は、質量%で、Moが0.05〜0.25%の範囲、Vが0.05〜0.60%の範囲とされることが好ましい。Moを0.05%以上とするのは、Moが0.05%未満では、十分な強度が得られないためである。また、Moを0.25%以下としたのは、Moが0.25%を超えると、残留オーステナイトの安定化作用が無視し得なくなるためである。また、Vを0.05%以上としたのは、Vが0.05%未満では、十分な量の炭化物が生成せず、結晶粒成長防止効果を得ることができないためである。また、Vを0.60%以下としたのは、Vが0.60%を超えると、バナジウム炭化物自体が成長して大きくなり、耐久性に悪影響を与えるためである。
【0017】
鋼材層12の表面には、全面に亘って化合物層14が形成されている。化合物層14の厚みは7μm以下となっている。化合物層14の厚みが7μm以下であるため、化合物層の脆さによる強度の低下を防ぐことができる。化合物層14は、上記の鋼材層12に含まれるC、Si、Mn、Cr、W、Feおよび不可避的不純物の他に、N(窒素)を含んでおり、化合物層14にはSi、Mn、Cr、W、Fe等の金属元素とNとの化合物(窒化物)が存在している。化合物層14中のNの濃度は特に限定しないが、例えば質量%でNが5.0〜6.1%の範囲とされている。
【0018】
化合物層14の最表面には、六方最密充填構造(hcp)を有するε相(Fe
4Nベース)が形成され、このε相中にはC、Si、Mn、Cr、W等が固溶している。化合物層14中のε相は硬くて脆い。本実施例では、このε相に圧縮残留応力を付与することで、ばね10の耐久性の向上を図っている。すなわち、化合物層14中のε相には、800〜1400MPaの圧縮残留応力が付与されていることが好ましく、より好ましくは、ε相の圧縮残留応力が1100〜1300MPaとされている。後述する実験結果に示されるように、圧縮残留応力が800MPa未満では、疲労強度を十分に向上することができないためである。一方、圧縮残留応力が1400MPaを超えると、疲労強度が低下するためである。
【0019】
また、ε相の半価幅(圧縮残留応力(ひずみ)が導入されているか否かを評価する指標であり、X線残留応力測定法により得られるX線強度のプロファイルから算出される)は4.0未満とされることが好ましい。すなわち、ε相の半価幅が大きくなると、ε相の圧縮残留応力も大きくなり、ばねの疲労強度を向上することができる。ただし、後述する実験結果に示すように、ε相の半価幅が4.0以上となると、逆にばねの疲労強度は低下する。したがって、ε相の半価幅を4.0未満とすることで、ε相への圧縮残留応力の過剰な付与が防止され、ばねの疲労強度の低下を抑制することができる。
【0020】
なお、化合物層14の表面粗さ(すなわち、ばね10の表面粗さ)は、算術平均粗さ(Ra)で0.9μm以下とされることが好ましい。化合物層14の表面粗さRaを0.9μm以下とすることで、化合物層14の表面から応力集中の原因となる表面キズが除去される。これによって、ばねの疲労強度を向上することができる。
【0021】
次に、上記のばね10の製造方法を、
図2を参照して説明する。
図2に示すように、まず、ばね線材をコイリングマシンによってコイル状に成形する(S12)。ばね線材は、質量%で、C:0.60〜0.80、Si:1.30〜2.50、Mn:0.30〜1.00、Cr:0.40〜1.40、W:0.08〜0.20、残部が鉄および不可避的不純物を含有している。なお、ばね線材には、質量%で、Mo:0.05〜0.25、及び/又は、V:0.05〜0.60をさらに含有することができる。
【0022】
なお、ばね線材をコイル状に成形した後は、ばね線材の端部を切断し、次いで、コイル状に成形されたばね線材に低温焼鈍を施し、さらに、このコイル状に成形されたばね線材の端面を研削する。これにより、ばね線材がばね形状に成形される。
【0023】
次に、ばね形状に成形されたばね線材の表面に第1ショットピーニング処理(プレ・ショットピーニング処理)を実施する(S14)。第1ショットピーニング処理は、ばね線材に圧縮残留応力を付与するためではなく、ばね線材の表面に形成されている表面キズを除去するために行われる。このため、硬度の低い投射材が用いられ、ばね線材の表面荒れも抑制される。その結果、第1ショットピーニング処理後のばね線材の表面粗さは、例えば、算術平均粗さ(Ra)で1.18μmとなる。なお、第1ショットピーニング処理は、例えば、径φ0.3mm、硬度390〜510HVの投射材を用いることができる。また、好ましくは投射材の投射速度を60〜90m/sとすることができる。
【0024】
次に、表面キズが除去されたばね線材にアンモニア雰囲気下で窒化処理を施す(S16)。これによって、ばね線材の表面に窒化物を有する化合物層14が形成され、ばね線材の中心部に、窒化物を含有しない鋼材層12が形成される。窒化処理は、温度条件を450℃以上540℃以下(例えば、500℃)、処理時間を1〜4時間(例えば、1.5時間)とすることができる。なお、処理時間を2時間未満とすると、化合物層14の厚みを適切な厚み(例えば、5μm)に調整することができる。
【0025】
次いで、ばね線材の耐疲労強度を向上するために、ばね線材の表面に第2ショットピーニング処理を実施する(S16)。第2ショットピーニング処理は、複数回に分けて行うことができる。複数回のショットピーニングを行うことで、ばね線材の深い位置まで圧縮残留応力を付与することができる。第2ショットピーニング処理は、例えば、窒化直後のばね線材の表面に第1段目のショットピーニング(例えば、投射材の径φ0.6mm,投射材の硬度650〜750HV)を行い、次いで、第2段目のショットピーニング(例えば、投射材の径φ0.3mm,投射材の硬度650〜750HV)を行い、さらに、第3段目のショットピーニング(例えば、投射材の径φ0.1mm,投射材の硬度1180〜1230HV)を行うことができる。このように投射材の径及び硬度を変えながら多段階にショットピーニングを行うことで、ばね線材に効果的に圧縮残留応力を付与することができる。なお、上記の例では、第3段目のショットピーニング処理に硬度が1100HV以上となる粒径φ0.1mmの投射材を用いることで、窒化処理後のばね材の表面(すなわち、硬度の高い化合物層14)に大きな圧縮残留応力を深い位置まで付与することができる。また、第1段目のショットピーニング、第2段目のショットピーニング及び第3段目のショットピーニングのそれぞれにおいて、投射材の投射速度は60〜90m/sとすることが好ましい。
【0026】
S16で第2ショットピーニング処理を行った後は、ばね線材に低温焼鈍を実施し、次いで、ばね線材にセッチングを実行する。これにより、ばね線材からばね10が製造される。
【0027】
次に、ばね線材(質量%C:0.73、Si:2.16、Mn:0.71、Cr:1.00、W:0.15、Mo:0.13、V:0.10、残部が鉄および不可避的不純物)を用いて実際に製造したばね(以下、実験例という)について、圧縮残留応力と疲労強度を測定した結果について説明する。測定では、コイリング後のばね線材に対して第1ショットピーニング処理、窒化処理、第2ショットピーニング処理(3段階のショットピーニング)を行い、これらの処理後に圧縮残留応力と疲労強度を測定した。実験例では、第2ショットピーニング処理の第3段目のショットピーニングに投射材A(投射材の径φ0.1mm,投射材の硬度1180〜1230HV)を用いた。一方、比較例では、第2ショットピーニング処理の第3段目のショットピーニングに投射材B(投射材の径φ0.1mm,投射材の硬度700〜830HV)を用いた。以下、
図3〜5において、実験例の測定結果を投射材Aとして表し、比較例の測定結果を投射材Bとして表す。なお、その他の条件は、実験例と比較例とで同一とした。すなわち、第1ショットピーニング処理は、径φ0.3mm、硬度390〜510HVの投射材で実施した。窒化処理は、窒化温度500℃、窒化時間1.5時間で実施した。第2ショットピーニング処理では、第1段目のショットピーニング(投射材の径φ0.6mm、投射材の硬度650〜750HV)と、第2段目のショットピーニング(投射材の径φ0.3mm,投射材の硬度650〜750HV)と、第3段目のショットピーニング(投射材A又はB)を行った。
【0028】
図3は、実験例のばね(投射材Aとして表示)の圧縮残留応力と、比較例のばね(投射材Bとして表示)の圧縮残留応力を測定した結果を示している。測定方法にはX線残留応力測定法(sin
2φ法)を用いた。
図3から明らかなように、実験例のばねのε相には、比較例のばねのε相よりも、大きな圧縮残留応力が付与された。一方、実験例のばねのα相に付与される圧縮残留応力と、比較例のばねのα相に付与される圧縮残留応力との間には大きな相違は生じなかった。この測定結果から、3段目のショットピーニングに硬度の高い投射材を用いることで、ε相に大きな残留応力を付与できることが確認された。
【0029】
図4は、実験例のばね(投射材Aとして表示)と比較例のばね(投射材Bとして表示)に対して実施した疲労試験の測定結果を示している。疲労試験では、繰返し応力が10
7回のときの疲労強度と、繰返し応力が10
8回のときの疲労強度を測定した。
図4から明らかなように、実験例のばねは、比較例のばねに対して、10
7回のときの疲労強度と10
8回のときの疲労強度のいずれもが高くなった。特に、実験例のばねでは、10
8回のときの疲労強度が約650MPaと高い値となり、そのバラツキも小さくなった。すなわち、安定して高い疲労強度を得ることができた。また、ε相に付与される圧縮残留応力と疲労強度の関係は、ε相に付与される圧縮残留応力が大きくなるほど疲労強度も高くなった。特に、ε相に付与される圧縮残留応力が800MPaを超えると、10
7回の疲労強度は650MPa以上となり、10
8回のときの疲労強度も約650MPaと高い値となった。ただし、ε相に付与される圧縮残留応力が1300MPaを超えると、疲労強度(特に、10
7回の疲労強度)は低下した。なお、ε相に付与される圧縮残留応力が1100〜1300MPaの範囲では、10
7回の疲労強度は極めて高い値となった。
【0030】
図5は、実験例のばね(投射材Aとして表示)と比較例のばね(投射材Bとして表示)のそれぞれについて、圧縮残留応力を測定する際に取得される半価幅(詳細には、X線残留応力測定法により得られるX線強度の半価幅)と、疲労強度との関係を示している。
図5から明らかなように、半価幅が大きくなるほど、ばねの疲労強度が向上した。ただし、半価幅が4.0以上となると、逆にばねの疲労強度は低下した。
【0031】
上述した結果から明らかなように、実験例のばねでは、ε相に大きな圧縮残留応力が付与され、疲労強度が向上した。特に、ε相に800〜1400MPa(より好ましくは、1100〜1300MPa)の圧縮残留応力を付与することで、疲労強度を飛躍的に向上することができた。
【0032】
以上、本発明の具体例を詳細に説明したが、これらは例示にすぎず、特許請求の範囲を限定するものではない。特許請求の範囲に記載の技術には、以上に例示した具体例を様々に変形、変更したものが含まれる。
【0033】
例えば、上述した実施例は、自動車エンジン用の弁ばねであったが、本発明はこのような形態に限られず、他のばね(例えば、クラッチ用のばね等)にも適用することができる。また、ばね線材には、P(リン)や、S(硫黄)等の不可避的不純物を含んでいてもよい。こうした不可避的不純物は、ばね強度の低下に繋がるため、濃度は低いほどよい。例えば、ばね線材に含まれるPは、重量%で0.025%以下、Sは0.025%以下であることが好ましい。また、ばね線材の表面に実施する第2ショットピーニング処理時のショットピーニングの回数は、ばね線材に要求される耐久性に応じて適宜決定することができる。例えば、ばね線材に十分な圧縮残留応力を付与するためには、少なくとも2段階のショットピーニングを行うことが好ましく、より好ましくは3段階のショットピーニングを行うことが好ましい。
【0034】
本明細書または図面に説明した技術要素は、単独であるいは各種の組み合わせによって技術的有用性を発揮するものであり、出願時請求項記載の組み合わせに限定されるものではない。また、本明細書または図面に例示した技術は複数目的を同時に達成するものであり、そのうちの一つの目的を達成すること自体で技術的有用性を持つものである。