【解決手段】鋼材からなる母材部110と、母材部110の表面側に形成される窒素拡散層120と、窒素拡散層120の表面側に形成される窒素化合物層130と、窒素化合物層130の最表面に形成される酸化層140と、を備える摺動部材の製造方法において、鋼材からなる素材に対して570〜660℃のアンモニアを含む雰囲気にて加熱処理を行った後に冷却処理を行う第一工程と、第一工程に続いて、表面側を加圧しながら焼戻し処理を行う第二工程と、第二工程に続いて、水蒸気雰囲気にて加熱する水蒸気処理を行う第三工程と、を行うことにより、窒素拡散層120、窒素化合物層130および酸化層140を形成する摺動部材の製造方法。
鋼材からなる母材部と、前記母材部の表面側に形成される窒素拡散層と、前記窒素拡散層の表面側に形成される窒素化合物層と、前記窒素化合物層の最表面に形成される酸化層と、を備える摺動部材の製造方法において、
鋼材からなる素材に対して570〜660℃のアンモニアを含む雰囲気にて加熱処理を行った後に冷却処理を行う第一工程と、
前記第一工程に続いて、前記表面側を加圧しながら焼戻し処理を行う第二工程と、
前記第二工程に続いて、水蒸気雰囲気にて加熱する水蒸気処理を行う第三工程と、
を行うことにより、前記窒素拡散層、前記窒素化合物層および前記酸化層を形成する摺動部材の製造方法。
前記第一工程の直前において300〜450℃の酸化雰囲気にて加熱する前酸化処理を行う第四工程をさらに備えている請求項1〜3の何れか一項の摺動部材の製造方法。
鋼材からなる母材部と、前記母材部の表面側に5〜50μmの厚さに形成される窒素拡散層と、前記窒素拡散層の表面側に5〜50μmの厚さに形成される窒素化合物層と、前記窒素化合物層の最表面に0.3〜3μmの厚さに形成される酸化層と、を備え、
鋼材からなる素材に対してアンモニアを含む雰囲気にて加熱処理を行った後に冷却処理を行う第一工程と、
前記第一工程に続いて前記素材に対して、前記表面側を加圧しながら焼戻し処理を行う第二工程と、
前記第二工程に続いて前記素材に対して、水蒸気雰囲気にて加熱する水蒸気処理を行う第三工程と、
を行うことにより、前記窒素拡散層、前記窒素化合物層および前記酸化層を形成する摺動部材。
【発明を実施するための形態】
【0020】
(摺動部材またはクラッチプレートの説明)
本発明の摺動部材またはクラッチプレートについて図面を参照して説明する。摺動部材またはクラッチプレートの表面構造について、
図1を参照して説明する。摺動部材またはクラッチプレートは、炭素鋼などの鋼材からなる素材の表面に、窒化処理および水蒸気処理を施してなる。なお、当該摺動部材の例としては、電磁クラッチ装置を構成するクラッチプレートの他、LSDクラッチの鉄系クラッチプレート、ブレーキパッドなどが挙げられる。
【0021】
図1に示すように、当該摺動部材は、鋼材からなる母材部110と、母材部110の表面側に5〜50μmの厚さに形成される窒素拡散層120と、窒素拡散層120の表面側に5〜50μmの厚さに形成される窒素化合物層130と、窒素化合物層130の最表面に0.3〜3μmの厚さに形成される酸化層140とを備える。
【0022】
素材は、炭素含有量が0.10〜0.20%の鋼材を用いる。一般的に、低炭素鋼であるほど、安価であるが、表面の高硬度化が容易ではない。しかし、本発明によれば、例えば、S15Cなどの低炭素鋼であっても、後述するように、表面の高硬度化を図ることができる。そして、母材部110は、素材と同一である。
【0023】
窒素拡散層120は、窒素が固溶されている。窒素化合物層130は、Fe
2N等の窒素化合物からなる層である。酸化層140は、主として四酸化三鉄からなる酸化皮膜である。
【0024】
(製造方法)
次に、摺動部材またはクラッチプレートの表面の熱処理方法(製造方法)について
図2に示すフローチャートを参照して説明する。素材に対して、前酸化処理を行う(S1;前酸化工程(本発明の第四工程に相当))。この前酸化処理は、窒化処理の前に行う処理である。前酸化処理を行うことにより、素材に対して窒化反応を促進させることができる。前酸化処理は、加熱温度Te1である300〜450℃(好ましくは340〜440℃)の酸化雰囲気にて、素材に対して酸化処理を行う。具体的には、
図3に示すように、容積1〜3m
3の処理室を加熱温度Te1まで昇温する。昇温完了後に時間Ti1の間維持する。時間Ti1は、1〜2時間である。
【0025】
前酸化処理(S1)に続いて、
図2に示すように、加熱処理(S2、加熱工程)を行う。加熱処理は、加熱温度Te2である570〜660℃(好ましくは600〜650℃)のアンモニア雰囲気(アンモニアを含む雰囲気)にて、素材に対して加熱処理を行う。具体的には、
図3に示すように行う。まず、素材を容積1〜3m
3の処理室に保持する。このときの処理室内の雰囲気温度は、500℃以下となる。そして、処理室内の雰囲気温度が、加熱温度Te2となるように昇温し始める。そして、昇温している途中において、窒素(N
2)ガスを0〜5m
3/Hrで供給する。昇温完了後に時間Ti2の間維持する。時間Ti2は、0〜1時間である。このとき、処理室内温度が均一化されるとともに、素材が予熱される。
【0026】
時間Ti2が経過した後、さらに時間Ti3の間、雰囲気温度を加熱温度Te2の一定温度に保持する。時間Ti3は、0.5〜1.5時間である。また、時間Ti3の間、処理室内をアンモニア雰囲気にする。具体的には、アンモニア(NH
3)ガスを3〜7m
3/Hrで供給すると共に、二酸化炭素(CO
2)ガスを0.1〜0.6m
3/Hrで供給する。このとき、素材は窒化される。なお、アンモニア雰囲気では、窒素ガスを供給しないでもよい。
【0027】
加熱処理(S2)に続いて、
図2に示すように、冷却処理(S3、冷却工程)を行う。本実施形態において冷却処理は、油冷である。具体的には、
図3に示すように、窒素雰囲気で60〜80℃の油温Te3の焼入れ油に素材を入れる。このとき、素材が酸化されないようにする。なお、この冷却処理においては、マルテンサイト変態の進行が比較的鈍いため、残留オーステナイトが残存する。なお、上述した加熱工程および冷却工程は、本発明の第一工程に相当する。
【0028】
冷却処理(S3)にて素材の温度が冷却処理の油温Te3に達すると、続いて、
図2に示すように、焼戻し処理(S4、焼戻し工程(本発明の第二工程に相当))を行う。具体的には、焼戻し処理は、
図3に示すように、素材の表面側を加圧しながら、窒素雰囲気で200〜470℃(好ましくは300〜450℃)である炉温Te4の容積1〜3m
3の加熱炉に素材を入れて、時間Ti4の間維持する。時間Ti4は、2〜5時間である。この焼戻し処理をプレステンパとも称される。このとき、残留オーステナイトがマルテンサイトに変態する。
【0029】
焼戻し処理(S4)に続いて、
図2に示すように、水蒸気処理(S5、水蒸気処理工程(本発明の第三工程に相当))を行う。水蒸気処理は、処理温度Te5である350〜500℃(好ましくは390〜480℃)の水蒸気雰囲気にて、素材に対して水蒸気処理を行う。具体的には、
図3に示すように、まず、素材を容積1〜3m
3の処理室に保持する。処理室内の雰囲気温度が、処理温度Te5となるように昇温し始める。そして、昇温している途中において、窒素(N
2)ガスを1〜8m
3/Hrで供給する。昇温完了後に時間Ti5の間維持する。この時間Ti5は、0.5〜1時間である。このとき、処理室内温度が均一化されるとともに、素材が予熱される。
【0030】
時間Ti5が経過した後、さらに時間Ti6の間、雰囲気温度を処理温度Te5の一定温度に保持する。時間Ti6は、2〜4時間である。また、時間Ti6の間、処理室内を水蒸気雰囲気にする。具体的には、水蒸気(スチーム)を80〜100m
3/Hrで供給する。このとき、素材に四酸化三鉄からなる酸化被膜が形成される。なお、この水蒸気処理は、ホモ処理とも称される。
以上の処理により、
図1に示したように、素材の表面に酸化層140、窒素化合物層130および窒素拡散層120を形成する。
【0031】
なお、酸化層140を形成する場合において、上述した水蒸気処理に代えて、次の処理を行うようにしても良い。例えば、Laux法により金属鉄を酸化させても良い。Laux法によれば、塩化鉄を触媒としてニトロベンゼンを金属鉄と反応させてアニリンとする際に、四酸化三鉄を生成する。また、例えば、水酸化鉄(II)のような鉄(II)塩に対して、pHを制御しながら曝気処理をすることで、四酸化三鉄を生成するようにしても良い。さらに、三酸化二鉄を水素または一酸化炭素により還元することにより四酸化三鉄を生成するようにしても良い。
また、上述した製造方法において、前酸化処理工程を省略しても良い。
【0032】
(比較実験)
次に、本実施形態の製造方法により得られた部材の平坦度(歪変化量)、および、この部材をクラッチプレートに適用した場合の実機耐久摩擦試験後における摩耗量について評価する。
【0033】
(実施例)本実施形態の実施例は、
図2および
図3に示す製造方法を適用したものである。実施例では、素材として炭素鋼(JIS G4051(2009改正):S12C)を用い、処理室の容積を2m
3とし、前酸化工程において、加熱温度Te1を420℃、時間Ti1を1時間とする。
加熱工程において、加熱温度Te2を640℃、時間Ti2を60分とし、窒素ガスを0.6m
3/Hrで供給する。また、時間Ti3を65分とし、アンモニアガスを5m
3/Hr、二酸化炭素ガスを0.3m
3/Hrで供給する。
冷却工程における油温Te3は、70℃とする。冷却工程に用いる冷却油(焼入油)は、パラフィン系基油としたJIS1種2号に相当する真空熱処理用の高性能ハイスピードクエンチ油(動粘度:16±2.5mm
2/s(40℃),引火点(COC):178℃,冷却性能特性温度:620℃,商品名:特殊焼入油V-1700S(日本グリース株式会社製))を用いる。
焼戻し工程において、炉温Te4を450℃、時間Ti4を3時間とし、窒素ガスを2m
3/Hrで供給する。
水蒸気処理工程において、処理温度Te5を450℃、時間Ti5を30分、時間Ti6を2.5時間とする。また、窒素ガスを7m
3/Hr、水蒸気を90m
3/Hrで供給する。
【0034】
(比較例1)比較例1は、
図4に示すフローチャートおよび
図5に示す熱処理工程を適用した場合とする。この場合の素材は、実施例と同一の炭素鋼を用いる。具体的には、焼鈍し工程(S11)→前酸化工程(S12)→加熱工程(S13)→冷却工程(S14)→水蒸気処理工程(S15)→焼戻し工程(S16)を行う。焼鈍し工程(S11)以外の各工程は、上述した実施例における各工程と同様の工程である。すなわち、本比較例1においては、上述した実施例に対して、焼鈍し工程(S11)を追加した点、水蒸気処理工程(S15)と焼戻し工程(S16)との順序が逆である点が異なっている。
【0035】
焼鈍し工程(S11)は、加熱温度Te6である600〜700℃(好ましくは620〜680℃)の窒素雰囲気にて行う。具体的には、
図5に示すように、素材の表面側を加圧しながら、容積2m
3の処理室を加熱温度Te6まで昇温する。昇温完了後に時間Ti7の間維持する。時間Ti7は、3〜5時間である。これにより、素材に対するプレス成型時の残留応力が除去され、この工程以降の工程における歪が抑制される。なお、この焼鈍し工程は、ホットプレスとも称される。比較例1においては、加熱温度Te6を650℃、時間Ti7を3.5時間とする。
【0036】
(比較例2)比較例2は、
図6に示すフローチャートを適用した場合とする。この場合の素材は、実施例と同一の炭素鋼を用いる。具体的には、焼鈍し工程(S21)→前酸化工程(S22)→加熱工程(S23)→冷却工程(S24)→焼戻し工程(S25)を行う。各工程は、上述した実施例、比較例1における各工程と同様の工程である。比較例2においては、上述した比較例1に対して、水蒸気処理工程を行わない点が異なっている。
【0037】
(平坦度)
実施例および比較例1の部材に対して、平坦度の平均値μおよび標準偏差σを比較する。評価数はn=25とした。
図7に示すように、実施例の平均値μが74.0μm、標準偏差σが11.2であるのに対し、比較例1の平均値μが78.4μm、標準偏差σが22.9である。比較例1が焼鈍し処理をしているにも関わらず、比較例1の平坦度より実施例の平坦度の方が良好である。これは、比較例1において、冷却工程後に水蒸気処理工程が行われる場合、水蒸気処理工程において、素材が加圧されない状態において残留オーステナイトがマルテンサイト変態することにより、後の焼戻し工程において、素材が組織変態をともなわないため、加圧による平坦度の矯正効果が低くなることが要因であると考えられる。
【0038】
(実機耐久摩擦試験)
実施例、比較例1および比較例2の部材に対する実機耐久摩擦試験を行った。当該試験には、駆動力伝達装置を構成する電磁クラッチを適用した。具体的には、上記実施例および比較例の各表面処理を、当該電磁クラッチを構成し且つ複数の同心円の環状溝を有するアウタパイロットクラッチプレート44b(
図9、
図10に示す)に施す。アウタパイロットクラッチプレート44bの相手材であって、複数の交差する溝を有するインナパイロットクラッチプレート44a(
図9、
図11に示す)は、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)膜をコーティングした。試験条件は、電磁クラッチ部の面圧0.2MPa、すべり速度0.02m/s、カップリングフルード(動粘度40℃、23mm
2/s)潤滑下、カップリング表面温度90〜100℃、耐久時間480h連続スリップ、380Wのエネルギーのもと、耐久試験を行った。
【0039】
そして、実施例、比較例1および比較例2の摩擦試験後の摩耗量について測定した。ここで、上記摩擦試験を行うことで、各プレート44a,44bの表面の摩耗量が少ないほど、耐久性能が高いとして評価される。
【0040】
図8に示すように、インナパイロットクラッチプレート44aにおいて、水蒸気処理が行われた実施例および比較例1の摩耗量は、0.38μmおよび0.60μmであるのに対し、水蒸気処理が行われていない比較例2の摩耗量は、1.08μmであった。また、アウタパイロットクラッチプレート44bにおいて、実施例および比較例1の摩耗量は、1.87μmおよび1.28μmであるのに対し、比較例2の摩耗量は、2.35μmであった。実施例および比較例1は、水蒸気処理により形成された酸化層140が形成されているため、酸化層140が形成されていない比較例2に対して摩耗量が少なくなっていると考えられる。
【0041】
(まとめ)
本実施形態によれば、摺動部材の製造方法は、鋼材からなる母材部110と、母材部110の表面側に形成される窒素拡散層120と、窒素拡散層120の表面側に形成される窒素化合物層130と、窒素化合物層130の最表面に形成される酸化層140と、を備える摺動部材の製造方法において、鋼材からなる素材に対して570〜660℃のアンモニアを含む雰囲気にて加熱処理を行う加熱工程と、加熱工程を行った後に冷却処理を行う冷却工程と、冷却工程に続いて、表面側を加圧しながら焼戻し処理を行う焼戻し工程と、焼戻し工程に続いて、水蒸気雰囲気にて加熱する水蒸気処理を行う水蒸気処理工程と、を行うことにより、窒素拡散層120、窒素化合物層130および酸化層140を形成する。
また、摺動部材は、鋼材からなる母材部110と、母材部110の表面側に5〜50μmの厚さに形成される窒素拡散層120と、窒素拡散層120の表面側に5〜50μmの厚さに形成される窒素化合物層130と、窒素化合物層130の最表面に0.3〜3μmの厚さに形成される酸化層140と、を備え、鋼材からなる素材に対してアンモニアを含む雰囲気にて加熱処理を行う加熱工程と、加熱工程を行った後に冷却処理を行う冷却工程と、冷却工程に続いて素材に対して、表面側を加圧しながら焼戻し処理を行う焼戻し工程と、焼戻し工程に続いて素材に対して、水蒸気雰囲気にて加熱する水蒸気処理を行う水蒸気処理工程と、を行うことにより、窒素拡散層120、窒素化合物層130および酸化層140を形成する。
【0042】
これによれば、水蒸気処理工程にて水蒸気処理を行っているため、窒素化合物層130の最表面に四酸化三鉄からなる緻密な酸化層140を形成することができる。これにより、凝着摩耗を抑制することができるため、摺動部材の耐摩耗性を向上させることができる。
【0043】
さらに、水蒸気処理工程は、焼戻し処理を行う焼戻し工程に続いて行うため、比較的高い平坦度を確保することができるとともに、平坦度のばらつきを抑制することができる。仮に、冷却工程に続いて(焼戻し工程でなく)水蒸気処理工程を行った場合、水蒸気処理工程において素材が加圧されない状態にて残留オーステナイトがマルテンサイトに変態し、加熱工程および冷却工程で生じた素材の歪が矯正されないまま素材が硬化してしまう。よって、これに続いて素材を加圧した状態で焼戻し処理を行っても最終的な摺動部材の平坦度が低下する。
【0044】
また、焼戻し工程における焼戻し処理は、冷却工程に続いて行われるため、平坦度を良好にすることができる。さらに、焼戻し工程における焼戻し処理は、素材を加圧させることで歪を矯正しながら残留オーステナイトをマルテンサイトに変態させるため、平坦度をさらに向上させることができる。また、焼戻し工程においては、残留オーステナイトがマルテンサイトに変態するため、摺動部材の表面側の硬度を確保することができる。
【0045】
また、加熱工程において、アンモニアを含む雰囲気での加熱処理を行っている。つまり、加熱工程にて素材に対して窒化されている。この加熱工程における温度は、570〜660℃である。570℃以上で加熱することで、窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みを確実に、それぞれ5〜50μm確保することができる。また、加熱工程における温度を660℃以下とすることで、窒化化合物の拡散(消失)を抑制することができる。よって、摺動部材の表面側の硬度を確保することができる。さらに、加熱工程の雰囲気温度をFe−NのA1変態点である590℃以上とした場合においては、窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みをより確実に、それぞれ5〜50μm確保することができる。
【0046】
また、窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みがそれぞれ5〜50μm確保されているため、摺動部材の表面側の硬度を高い硬度とすることができる。酸化層140の厚みは、0.3〜3μm確保されているため、耐摩耗性を確実に確保することができる。なお、冷却工程において、冷却液には油を用い、水を用いていない。これにより、摺動部材の表面に錆が発生することを抑制できる。
【0047】
また、本実施形態によれば、焼戻し工程は、200〜470℃の温度にて焼戻し処理を行う。これによれば、焼戻し処理が200〜470℃にて行われているため、残留オーステナイトがマルテンサイトに変態することによって窒化層(窒素化合物層130および窒素拡散層120)を安定させることができる。よって、摺動部材の表面側の硬度を確実に確保することができる。
【0048】
また、本実施形態によれば、水蒸気処理工程は、350〜500℃にて水蒸気処理を行う。これによれば、水蒸気処理が350〜500℃にて行われるため、四酸化三鉄からなる緻密な酸化層140を確実に形成することができる。また、酸化層140の厚みを確実に、0.3〜3μm確保することができる。
【0049】
また、本実施形態によれば、焼鈍し処理が行われていない素材に対して各工程の処理を行う。摺動部材の製造方法または摺動部材は、上述したように、冷却工程の冷却処理、焼戻し工程の焼戻し処理および水蒸気処理工程の水蒸気処理の順に行われるため、各工程の前に焼鈍しを行わない場合においても高い平坦度を確保することができる。よって、焼鈍し処理を行わないことにより、低コストにて摺動部材を製造することができる。
【0050】
また、本実施形態によれば、加熱工程の直前において300〜450℃の酸化雰囲気にて加熱する前酸化処理を行う加熱工程をさらに備えている。これによれば、加熱工程の加熱処理において素材を窒化させる前に前酸化工程の前酸化処理を行うため、加熱工程において窒化反応を促進させることができる。これにより、窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みをそれぞれ5〜50μm確実に確保することができる。
【0051】
また、本実施形態によれば、クラッチプレートの製造方法は、電磁クラッチを構成するクラッチプレートの製造方法であって、上述した摺動部材の製造方法を用いる。
さらに、本実施形態によれば、クラッチプレートは、電磁クラッチを構成するクラッチプレートであって、上述した摺動部材を用いる。
【0052】
本実施形態の電磁クラッチ装置のクラッチプレートの製造方法またはクラッチプレートによれば、上述した摺動部材の製造方法または摺動部材による効果を奏する。ここで、窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みをそれぞれ50μm以下としている。仮に、50μmより厚くすると、透磁率が低下するため、クラッチプレートの磁束密度が低下して、クラッチプレート間の摩擦係合力が低下することになる。そのため、50μm以下としている。
【0053】
さらに、本クラッチプレートによれば、高い耐摩耗性を有しているため、長時間使用したとしても、クラッチプレートの摩耗量を抑制することができる。よって、クラッチプレートの摩耗によるクラッチプレート同士の接触面積が大きく変化しない。従って、使用前と長時間使用後における伝達トルクの変化率を小さくできる。
【0054】
また、焼戻し工程を行う場合には、窒素化合物層130および窒素拡散層120に含まれている非磁性である残留オーステナイトを磁性であるマルテンサイトに変態させることができる。これにより、クラッチプレートの透磁率および硬度を上げることができる。
【0055】
(電磁クラッチ装置を適用した駆動力伝達装置)
次に、上述した電磁クラッチ装置のクラッチプレートを適用する駆動力伝達装置1について、
図9を参照して説明する。駆動力伝達装置1は、例えば、4輪駆動車において車両の走行状態に応じて駆動力が伝達される補助駆動輪側への駆動力伝達系に適用される。より詳細には、4輪駆動車において、駆動力伝達装置1は、例えば、エンジンの駆動力が伝達されるプロペラシャフトと、リアディファレンシャルとの間に連結されている。駆動力伝達装置1は、プロペラシャフトから伝達される駆動力を、伝達割合を可変にしながら、リアディファレンシャルに伝達している。この駆動力伝達装置1は、例えば、前輪と後輪との回転差が生じた場合に、回転差を低減するように作用する。
【0056】
駆動力伝達装置1は、いわゆる電子制御カップリングからなる。この駆動力伝達装置1は、
図9に示すように、外側回転部材としてのアウタケース10と、内側回転部材としてのインナシャフト20と、メインクラッチ30と、パイロットクラッチ機構を構成する電磁クラッチ装置40と、カム機構50とを備えている。
【0057】
アウタケース10は、円筒形状のホールカバー(図示せず)の内周側に、当該ホールカバーに対して回転可能に支持されている。このアウタケース10は、全体として円筒形状に形成されており、車両前側に配置されるフロントハウジング11と車両後側に配置されるリヤハウジング12とにより形成されている。
【0058】
フロントハウジング11は、例えばアルミニウムを主成分とする非磁性材料のアルミニウム合金により形成され、有底筒状に形成されている。フロントハウジング11の円筒部の外周面が、ホールカバーの内周面に軸受を介して回転可能に支持されている。さらに、フロントハウジング11の底部が、プロペラシャフト(図示せず)の車両後端側に連結されている。つまり、フロントハウジング11の有底筒状の開口側が車両後側を向くように配置されている。そして、フロントハウジング11の内周面のうち軸方向中央部には、雌スプライン11aが形成されており、当該内周面の開口付近には、雌ねじが形成されている。
【0059】
リヤハウジング12は、円環状に形成されており、フロントハウジング11の開口側の径方向内側に、フロントハウジング11と一体的に配置されている。リヤハウジング12の車両後方側には、全周に亘って環状溝が形成されている。このリヤハウジング12の環状溝底の一部分には、非磁性材料としての例えばステンレス鋼により形成された環状部材12aを備えている。リヤハウジング12のうち環状部材12a以外の部位は、磁気回路を形成するために磁性材料である鉄を主成分とする材料(以下、「鉄系材料」と称する)により形成されている。リヤハウジング12の外周面には、雄ねじが形成されており、当該雄ねじはフロントハウジング11の雌ねじにねじ締めされる。なお、フロントハウジング11の雌ねじをリヤハウジングの雄ねじに締め付け、フロントハウジング11の開口側端面をリヤハウジングの段部の端面に当接することにより、フロントハウジング11とリヤハウジング12とを固定する。
【0060】
インナシャフト20は、外周面の軸方向中央部に雄スプライン20aを備える軸状に形成されている。このインナシャフト20は、リヤハウジング12の中央の貫通孔を液密的に貫通して、アウタケース10内に相対回転可能に同軸上に配置されている。そして、インナシャフト20は、フロントハウジング11およびリヤハウジング12に対して軸方向位置を規制された状態で、フロントハウジング11及びリヤハウジング12に軸受を介して回転可能に支持されている。さらに、インナシャフト20の車両後端側(
図9の右側)は、ディファレンシャルギヤ(図示せず)に連結されている。なお、アウタケース10とインナシャフト20とにより液密的に区画される空間内には、所定の充填率で潤滑油が充填されている。
【0061】
メインクラッチ30は、アウタケース10とインナシャフト20との間でトルクを伝達する。このメインクラッチ30は、鉄系材料により形成された湿式多板式の摩擦クラッチである。メインクラッチ30は、フロントハウジング11の円筒部内周面とインナシャフト20の外周面との間に配置されている。メインクラッチ30は、フロントハウジング11の底部とリヤハウジング12の車両前方端面との間に配置されている。このメインクラッチ30は、インナメインクラッチプレート32とアウタメインクラッチプレート31とにより構成され、軸方向に交互に配置されている。インナメインクラッチプレート32は、内周側に雌スプライン32aが形成されており、インナシャフト20の雄スプライン20aに嵌合されている。アウタメインクラッチプレート31は、外周側に雄スプライン31aが形成されており、フロントハウジング11の雌スプライン11aに嵌合されている。
【0062】
電磁クラッチ装置40は、磁力によりアーマチュア43をヨーク41側に引き寄せることでパイロットクラッチ44同士を係合させる。つまり、電磁クラッチ装置40は、アウタケース10のトルクを、カム機構50を構成する支持カム部材51に伝達する。この電磁クラッチ装置40は、ヨーク41と、電磁コイル42と、アーマチュア43と、パイロットクラッチ44とにより構成されている。
【0063】
ヨーク41は、環状に形成されており、リヤハウジング12に対して相対回転可能となるように隙間を介してリヤハウジング12の環状溝に収容されている。ヨーク41は、ホールカバーに固定されている。また、ヨーク41の内周側が、リヤハウジング12に軸受を介して回転可能に支持されている。電磁コイル42は、巻線を巻回することにより円環状に形成され、ヨーク41に固定されている。
【0064】
アーマチュア43は、鉄系材料により形成されている。外周側に雄スプラインを備える円環状に形成されている。アーマチュア43は、メインクラッチ30とリヤハウジング12との軸方向間に配置されている。そして、アーマチュア43の外周側が、フロントハウジング11の雌スプライン11aに嵌合されている。アーマチュア43は、電磁コイル42に電流が供給されると、ヨーク41側に引き寄せられるように作用する。
【0065】
パイロットクラッチ44は、アウタケース10と支持カム部材51との間でトルクを伝達する。このパイロットクラッチ44は、鉄系材料により形成されている。パイロットクラッチ44は、フロントハウジング11の円筒部内周面と支持カム部材51の外周面との間に配置されている。さらに、パイロットクラッチ44は、アーマチュア43とリヤハウジング12の車両前方端面との間に配置されている。このパイロットクラッチ44は、インナパイロットクラッチプレート44a(
図9、
図11に示す)とアウタパイロットクラッチプレート44b(
図9、
図10に示す)とにより構成され、軸方向に交互に配置されている。インナパイロットクラッチプレート44aは、内周側に雌スプラインが形成されており、支持カム部材51の雄スプラインに嵌合されている。アウタパイロットクラッチプレート44bは、外周側に雄スプラインが形成されており、フロントハウジング11の雌スプライン11aに嵌合されている。
【0066】
そして、電磁コイル42に電流が供給されると、
図9の矢印にて示すように、ヨーク41、リヤハウジング12の外周側、パイロットクラッチ44、アーマチュア43、パイロットクラッチ44、リヤハウジング12の内周側、ヨーク41を通過する磁気回路が形成される。そうすると、アーマチュア43がヨーク41側に引き寄せられて、インナパイロットクラッチプレート44aとアウタパイロットクラッチプレート44bとが摩擦係合する。そして、アウタケース10のトルクを支持カム部材51に伝達する。一方、電磁コイル42への電流供給を遮断すると、アーマチュア43に対する吸引力がなくなり、インナパイロットクラッチプレート44aとアウタパイロットクラッチプレート44bとの摩擦係合力が解除される。
【0067】
カム機構50は、メインクラッチ30とパイロットクラッチ44との間に設けられ、パイロットクラッチ44を介して伝達されるアウタケース10とインナシャフト20との回転差に基づくトルクを軸方向の押圧力に変換してメインクラッチ30を押圧する。このカム機構50は、支持カム部材51と、移動カム部材52と、カムフォロア53とから構成されている。
【0068】
支持カム部材51は、外周側に雄スプラインを備えた円環状に形成されている。この支持カム部材51の車両前方端面には、カム溝が形成されている。支持カム部材51は、インナシャフト20の外周面に対して隙間を介して設けられ、リヤハウジング12の車両前方端面にスラスト軸受60を介して支持されている。従って、支持カム部材51の車両後方端面は、スラスト軸受60の軌道板にシム61を介して当接している。つまり、支持カム部材51は、インナシャフト20およびリヤハウジング12に対して相対回転可能であり、軸方向に対して規制されて設けられている。さらに、支持カム部材51の雄スプラインは、インナパイロットクラッチプレート44aの雌スプラインに嵌合している。
【0069】
移動カム部材52は、大部分を鉄系材料により形成され、内周側に雌スプラインを備える円環状に形成されている。移動カム部材52は、支持カム部材51の車両前方に配置されている。移動カム部材52の車両後方端面には、支持カム部材51のカム溝に対して軸方向に対向するように、カム溝が形成されている。移動カム部材52の雌スプラインが、インナシャフト20の雄スプライン20aに嵌合している。従って、移動カム部材52は、インナシャフト20と共に回転する。さらに、移動カム部材52の車両前方端面は、メインクラッチ30のうち最も車両後方に配置されるインナメインクラッチプレート32に当接し得る状態となっている。移動カム部材52は、車両前方に移動すると、当該インナメインクラッチプレート32に対して車両前方へ押し付ける。
【0070】
カムフォロア53は、ボール状からなり、支持カム部材51と移動カム部材52の互いに対向するカム溝に介在している。つまり、カムフォロア53およびそれぞれのカム溝の作用により、支持カム部材51と移動カム部材52に回転差が生じた際には、移動カム部材52が支持カム部材51に対して軸方向に離間する方向(車両前方)へ移動する。支持カム部材51に対する移動カム部材52の軸方向離間量は、支持カム部材51と移動カム部材52とのねじれ角度が大きいほど大きくなる。
【0071】
(駆動力伝達装置の基本的な動作)
次に、上述した構成からなる駆動力伝達装置1の基本的な動作について説明する。アウタケース10とインナシャフト20とが回転差を生じている場合について説明する。電磁クラッチ装置40の電磁コイル42に電流が供給されると、電磁コイル42を基点としてヨーク41、リヤハウジング12、アーマチュア43を循環するループ状の磁気回路が形成される。
【0072】
このように、磁気回路が形成されることで、アーマチュア43がヨーク41側、すなわち軸方向後方に向かって引き寄せられる。その結果、アーマチュア43は、パイロットクラッチ44を押圧して、インナパイロットクラッチプレート44aとアウタパイロットクラッチプレート44bとが摩擦係合する。そうすると、アウタケース10の回転トルクが、パイロットクラッチ44を介して支持カム部材51へ伝達されて、支持カム部材51が回転する。
【0073】
ここで、移動カム部材52はインナシャフト20とスプライン嵌合しているため、インナシャフト20と共に回転する。従って、支持カム部材51と移動カム部材52とに回転差が生じる。そうすると、カムフォロア53およびそれぞれのカム溝の作用により、支持カム部材51に対して移動カム部材52が軸方向(車両前側)に移動する。移動カム部材52がメインクラッチ30を車両前側へ押圧することになる。
【0074】
その結果、インナメインクラッチプレート32とアウタメインクラッチプレート31とが相互に当接して摩擦係合状態となる。そうすると、アウタケース10との回転トルクが、メインクラッチ30を介してインナシャフト20に伝達される。そうすると、アウタケース10とインナシャフト20との回転差を低減することができる。なお、電磁コイル42へ供給する電流量を制御することで、メインクラッチ30の摩擦係合力を制御できる。つまり、電磁コイル42へ供給する電流量を制御することで、アウタケース10とインナシャフト20との間で伝達されるトルクを制御できる。