【課題を解決するための手段】
【0026】
上記課題を解決するための本発明は、高度に枝分かれした構造を有する高度に遮蔽を受けたパーフルオロアルケンをフッ素ラジカルでフッ素化することで易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルを合成する手法と、得られた該易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルをトリフルオロメチルラジカル発生試薬として利用する方法を提供することを特徴とするものである。ここで、本発明において、高度に枝分かれした構造を有する高度に遮蔽を受けたパーフルオロアルケンとは、本発明で用いるパーフルオロ−4,4−ジメチル−3−イソプロピル−2−ペンテンやパーフルオロ−2,4,4−トリメチル−3−イソプロピル−2−ペンテンと同等程度の枝分かれ構造を有するパーフルオロアルケンを意味する。
【0027】
本発明によれば、従来、パーフルオロアルケンをフッ素ガスと反応させても立体障害に起因して反応が進行しないものについて、フッ素ラジカルを用いてフッ素化することで初めて合成が可能になった。以下にその詳細を説明する。
【0028】
本発明で開示する内容は、先行特許の特許文献2に記載されていながら、該文献には、その製造方法も構造を支持する物理化学的情報も存在しない化学種(パーフルオロ−3−エチル−2,2,4−トリメチル−3−ペンチル、及び、パーフルオロ−2,2,4−トリメチル−3−イソプロピル−3−ペンチル)を、初めて合成することに成功し、MS、ESRを始めとする物理化学的データ並びに、それらの50〜70℃における熱分解特性により該化学種の性状を明らかにしたものである。
【0029】
先行特許の特許文献2には、パーフルオロアルキルラジカル(パーフルオロ−3−エチル−2,2,4−トリメチル−3−ペンチル、及び、パーフルオロ−2,2,4−トリメチル−3−イソプロピル−3−ペンチル;本明細書の中では、それぞれ易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及び、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIIと呼んでいる)が、それらの前駆体パーフルオロオレフィン(パーフルオロ−4,4−ジメチル−3−イソプロピル−2−ペンテン、及び、パーフルオロ−2,4,4−トリメチル−3−イソプロピル−2−ペンテン)をフッ素ガスでフッ素化することで合成できると記載されている。
【0030】
しかし、上記特許文献2には、前者の前駆体パーフルオロオレフィン(パーフルオロ−4,4−ジメチル−3−イソプロピル−2−ペンテン)をフッ素化することに関する実施例は無く、また、後者の前駆体パーフルオロオレフィンのフッ素化については、一応、実施例7が記載されている。
【0031】
そして、上記実施例7では、実際に前駆体オレフィンII(パーフルオロ−2,4,4−トリメチル−3−イソプロピル−2−ペンテン)を0℃において無希釈のフッ素ガスでフッ素化した例を記載している。しかし、その結果は、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIIのパーフルオロ−2,2,4−トリメチル−3−イソプロピル−3−ペンチルではなく、パーフルオロ−2,4−ジメチル−3−イソプロピル−2−ペンテンとそれから導かれるPPFR2(パーフルオロ−2,4−ジメチル−3−イソプロピル−3−ペンチル)の混合物が得られると記載している。
【0032】
先行特許の特許文献2は、実施例の欠如、さらには、実施例があっても、その合成が難しいことを示しており、さらに、得られる化合物の物理的・化学的情報が全く示されていない事から、特許文献2は、本発明者らが本明細書で明らかとした易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIとIIと呼ぶ物質についてその特許の記述の範囲で既知物質として存在することを証明したとは云えない内容である。むしろ、該特許の範囲内で、これらの物質の合成が実際には出来ないことを証明したに相当すると考えるべきものである。
【0033】
本発明者らも、先行特許の特許文献2の内容を踏まえ、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI及びIIの合成は難しいと考えていた。しかしながら、本発明者らは、「極度に立体的に込み合ったパーフルオロオレフィンがフッ素ラジカルとしか反応しない」(フッ素ガスとの反応速度が極度に小さい場合を含む)という「作業仮説」に基づいて、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI及びIIを合成することを目標として鋭意努力した結果、ヘキサフルオロベンゼンに代表されるフッ素分子からフッ素ラジカルの発生を促進する物質を用いてフッ素化を行うことで、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI及びIIの合成が達成できるという新規知見を見出した。
【0034】
ここで、本発明開発の契機となった「作業仮説」についてさらに詳しく記述すると、本「作業仮説」は、本発明者らが、PPFR1合成における2種類の前駆体オレフィンであるパーフルオロ−4−メチル−3−イソプロピル−2−ペンテン(以後、T−2と呼ぶ)、及び、パーフルオロ−3−エチル−2,4−ジメチル−2−ペンテン(以後、T−3と呼ぶ)のフッ素ガスによるフッ素化挙動の違いを発見したことに基づくものである。
【0035】
すなわち、本発明者らは、パーフルオロオレフィンとフッ素との反応について、T−2のパーフルオロ−4−メチル−3−イソプロピル−2−ペンテンを無希釈のフッ素ガスでフッ素化すると、T−2はT−2に関して1次の反応であるのに対し、T−3のパーフルオロ−3−エチル−2,4−ジメチル−2−ペンテンの場合は、T−3に関して0次の反応になっていることを発見した。
【0036】
このT−2とT−3のフッ素化挙動の違いは、フッ素分子との反応(F
2との反応)で進行するT−2に対し、フッ素分子が解離して生成するフッ素ラジカル(F
2→・F+・F)との反応(フッ素ラジカルの拡散律速反応;・Fとの反応)でフッ素化が進行するT−3 という反応機構の違いとして解釈された。
【0037】
従って、T−3はT−3の濃度に依存せずに反応が進行する、すなわち、フッ素ラジカルの拡散律速反応となっていると解釈された。
図2は、T−2及びT−3の反応機構が異なることを示す説明図である。
【0038】
PPFR1合成における上記2種類の前駆体オレフィンのT−2とT−3は、同じ化学式で表される構造異性体で、C=C二重結合の位置異性体となっている。構造的な特徴は、T−2が三置換オレフィンであり、T−3が四置換オレフィンとなっている。
【0039】
従って、より多くの置換基を有する四置換オレフィンのT−3のC=C二重結合のほうが、三置換オレフィンのT−2のC=C二重結合よりも、より立体的に遮蔽されている。すなわち、フッ素分子は、より多くの遮蔽を受けた四置換オレフィンであるT−3のC=C二重結合には十分に近づけないが、遮蔽の少ない三置換オレフィンであるT−2のC=C二重結合には近づいて反応に至ると解される。
【0040】
一方、フッ素分子が解離して生成するフッ素ラジカルは、フッ素分子より反応活性であること、また、そのサイズが小さいことに起因して、T−3のC=C二重結合のように、より遮蔽を受けた四置換オレフィンのC=C二重結合に接近することが出来るので、反応してPPFR1を生成する。
【0041】
T−3について0次の反応になるのは、フッ素分子の解離定数が非常に小さく、生成するフッ素ラジカルの量が少量であるために、そのフッ素ラジカルの拡散律速となり、T−3の濃度に依存しなくなると解釈された。
【0042】
本発明者らは、このようにパーフルオロオレフィンのC=C二重結合の立体遮蔽による反応機構の変化に注目した。下記の化2は、パーフルオロオレフィンのC=C二重結合の立体遮蔽による反応機構の変化を示す説明である。
【0043】
【化2】
【0044】
上記式において、3置換オレフィンのT−2は、C=C二重結合に試薬であるF
2が近づけるが、4置換オレフィンのT−3では、C=C二重結合が立体的に完全に遮蔽されており、F
2が近づけない。一方、Fラジカル(・F)は、いずれの場合にもC=C二重結合に近づくことが出来るので反応することができる。立体障害の違いが、このような反応機構の違いを生んでいる。
【0045】
特に、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI或いは、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIIの前駆体オレフィンI及びII(パーフルオロ−4,4−ジメチル−3−イソプロピル−2−ペンテン、及び、パーフルオロ−2,4,4−トリメチル−3−イソプロピル−2−ペンテン)のように高度に遮蔽を受けたパーフルオロオレフィンの場合は、T−3のC=C二重結合と同様にフッ素ラジカルとしか反応しないことが予想された。
【0046】
本発明者らは、以上の考察に基づき、T−3よりさらに立体的に遮蔽を受けた易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルの前駆体パーフルオロオレフィンのフッ素化反応について、フッ素ラジカルが大量に生成する反応系を形成することが合成に重要な寄与をすると考え、実験を重ね、ヘキサフルオロベンゼンをフッ素ガスと共存させた系(フッ素ラジカルを大量に発生する)でフッ素化を行うことで初めて、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIのパーフルオロ−3−エチル−2,2,4−トリメチル−3−ペンチルや、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIIのパーフルオロ−2,2,4−トリメチル−3−イソプロピル−3−ペンチルを良い収率(ガスクロで求めた収率はそれぞれ約90%)で合成できることを発見した。
【0047】
易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI及びIIは、ガスクロマトグラフィー(GC)分析が可能であるため、本発明者らは、その熱分解挙動をGCで解析し、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIについては、49.0℃、58.8℃、68.0℃における熱分解反応の半減期が、それぞれ、23.9hr、6.5hr、1.9hrであり、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIIについては、49.0℃、58.5℃、67.7℃における熱分解反応の半減期が、それぞれ10.5hr、2.64hr、0.80hrであることを突き止めた(詳しくは、後述の易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIの熱分解特性の項を参照)。
【0048】
すなわち、本発明者らは、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIは、先行特許の特許文献1、及び2にあるように、極めて安定(そのために、極安定パーフルオロアルキルラジカルと呼んでいる)ではなく、上述の半減期が示すように、室温付近でもかなりの速度で分解することを発見した。
【0049】
従って、これらの易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIは、これまで知られている極安定パーフルオロアルキルラジカルとは熱分解特性が大きく異なることを踏まえ、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルと呼び、従来の極安定パーフルオロアルキルラジカルと明確に区別した。
【0050】
易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIは、おのおの式(式A,B)に示される熱分解過程を経て、トリフルオロメチルラジカルを発生して分解する。分解生成物の解析から、上記易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI及びIIの熱分解過程は立体的に最も混みあったパーフルオロ第三級−ブチル基を構成するトリフルオロメチル基がβ‐脱離する経路のみを経由することが判った。
【0051】
このような単一の熱分解過程を経ることは、その構造から予想することは難しく、むしろ、複数の分解経路を含む複雑な分解反応となることが考えられた。例えば、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIIでは、下記の化3に示すような複数の分解過程が予想されるが、実際は、パーフルオロ第三級−ブチル基を構成する三つのトリフルオロメチル基のどれかがβ―脱離して分解することが判った。本発明は、このような単一の熱分解過程を経る効果として、トリフルオロメチルラジカル以外の活性種を含まないクリーンなトリフルオロメチルラジカル発生源を提供できることを意味している。
【0052】
【化3】
【0053】
上記化3に示されるように、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIIの熱分解過程には複数存在すると予想されるが、実際は、単一の分解経路で分解する。
【0054】
また、本発明の易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI及びIIでは、熱分解が単一の経路を経由することから、分解生成物も単一であり、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIからは、パーフルオロ−3−エチル−2,4−ジメチル−2−ペンテン(T−3)のみが、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIIからは、パーフルオロ−2,4−ジメチル−3−イソプロピル−2−ペンテンのみが、回収される(化1の式A,B)。
【0055】
従って、これらの回収されたパーフルオロオレフィン(パーフルオロ−3−エチル−2,4−ジメチル−2−ペンテン、及びパーフルオロ−2,4−ジメチル−3−イソプロピル−2−ペンテン)に対し、トリフルオロメチルトリメチルシランを用いてトリフルオロメチル化を行い、易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIの前駆体オレフィンを再生するリサイクルシステムを提供できる。このリサイクルシステムに関する方法論については、先行する特許の特許文献2に記載の範囲であると考えられるが、上記易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIの熱分解過程が単一であることは、実験で証明する必要があり、本発明において初めて明らかになったことである。
【0056】
易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIの熱分解挙動が従来の極安定パーフルオロアルキルラジカルと異なり、低温で分解する易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルであること、単一の分解過程を経ること、従って、クリーンなトリフルオロメチルラジカル発生試薬となること、リサイクルシステムが副反応を含まない完全なものであること、などが易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIに備わった諸特性であり、本発明は、これらすべての諸特性を兼ね備えた理想的なトリフルオロメチルラジカル発生試薬の提供を実現可能にしている。
【0057】
易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルIとIIの構造は、それらの熱分解生成物の構造から支持されるだけでなく、MSやESRからも支持され、本発明に係る易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI、及びIIは、本発明で初めてその存在が合成と物理化学的性状とともに明らかとされた新規物質に相当するものである。
【0058】
易分解性安定パーフルオロアルキルラジカルI及びIIの前駆体オレフィンであるパーフルオロ−4,4−ジメチル−3−イソプロピル−2−ペンテン、及びパーフルオロ−2,4,4−トリメチル−3−イソプロピル−2−ペンテンの合成は、文献(J.Fluorine Chem.,196,128−134)に記載の方法で行った。本発明において、「フッ素ラジカル」としては、反応系においてフッ素ラジカルを発生することが可能な材料であればその種類を問わずすべての材料を含むことを意味する。