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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】特開2021-194502(P2021-194502A)
(43)【公開日】2021年12月27日
(54)【発明の名称】超高層マンション向けの防消火設備
(51)【国際特許分類】
   A62C 35/62 20060101AFI20211129BHJP
   A62C 3/00 20060101ALI20211129BHJP
【FI】
   A62C35/62
   A62C3/00 J
【審査請求】未請求
【請求項の数】5
【出願形態】書面
【全頁数】14
(21)【出願番号】特願2020-118800(P2020-118800)
(22)【出願日】2020年6月17日
(71)【出願人】
【識別番号】599014910
【氏名又は名称】富永 淳
(72)【発明者】
【氏名】小田 駿太郎
(72)【発明者】
【氏名】富永 淳
(72)【発明者】
【氏名】富永 聡
(72)【発明者】
【氏名】富永 優斗
(72)【発明者】
【氏名】小田 浩一
(72)【発明者】
【氏名】小田 絵里子
【テーマコード(参考)】
2E189
【Fターム(参考)】
2E189CA09
(57)【要約】
【課題】 超高層マンション向けの防消火設備を提供する。
【解決手段】 高さ100mを越す超高層マンションの建設が進行している。これ等の建屋は従来の一般の高層マンショに比べ、火災に対する防消火面で弱点を有する。この弱点を解決するため、水による湿式防消火法に替えて窒素と空気の混合ガスを用いる乾式防消火法を導入する。併せてこの混合ガスをマンションの居住空間部に吹吹き込むに際し、混合ガス中の窒素と空気の混合比を任意に調整できる手段を用いて、窒素の導入に付随する災害(=酸欠事故)を防止する対策を提供する。
【選択図】図1
【特許請求の範囲】
【請求項1】
建屋の高さが100m以上の高層マンションに設置される防消火設備であって、マンションの内部を主に住居用に使用する居住空間部とマンション内の移動用に使用する移動空間部とに分け、この居住空間部の何れかで火災が発生又は火災の延焼の危険が生じた際に、マンションの地上階に配備した窒素の受入れ口を通して外部より窒素を受け入れ、これに空気を混合して任意の酸素濃度を含有する窒素と空気の混合ガスとし、この混合ガスをマンション内に設けた専用配管を使用して火災が発生又は延焼の危険のある居住空間部に放出し、居住空間部内の酸素濃度を下げることにより火炎の増大を抑制又は鎮火させる機能を有する乾式防消火設備。
【請求項2】
前記マンションの乾式防消火設備において窒素と空気の混合ガスを製造するに際し、マンションが存在する地域にある窒素供給所から当該マンションまで液化窒素ローリ車を用いて窒素を運搬し、マンションの地上に設置された液化窒素の受入れ口に連結し、液化窒素の気化器を経由して中低圧の窒素ガスとし、この窒素ガスに空気を混合して、定められた酸素量を含有する窒素と空気の混合ガスとすることを特徴とする請求項1に記載の乾式防消火設備。
【請求項3】
前記マンションの乾式防消火設備において窒素と空気の混合ガスを製造するに際し、酸素濃度の検出器と窒素及び空気の流量調節計を組み合わせたカスケード制御方式を使用して窒素と空気との混合比率を任意に調節できる機能を有することを特徴とする請求項1に記載の乾式防消火設備。
【請求項4】
前記マンションの防消火設備から窒素と空気の混合ガスを居住空間部に吹き込むに際し、吹き込まれたガスにより居住空間部内の圧力が過圧にならないよう居住空間部からマンションの外部に繋がる排気口を設け、更に排気口に居住空間を大気と遮断するため破裂板を挿入し居住空間部の圧力が設定圧力以上に上昇した際に、破裂板を破裂させて居住空間部のガスを大気に放散して、居住空間部の圧力が上昇することを防ぐ機能を有する請求項1に記載の乾式防消火設備。
【請求項5】
前記マンションの居住空間部に混合ガスを吹き込むに際し、吹込みのための専用配管を設け、この専用配管にマンションの居住空間に存在する個別の居住空間に吹き込むため供給元弁を取り付け、その弁の開閉に際しては発災した居住空間部の居住者及びマンションの管理者の双方が各々所有するカードを使用して個人パスワードを入力しない限り、供給元弁を開放できないように開閉ロック機構を備えることを特徴とする請求項1に記載の乾式防消火設備。
【発明の詳細な説明】
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
超高層という明確な定義はないが、一般的には高さ100mを超えるマンションは超高層マンションと呼ばれている。世間での通称はタワーマンションである。本発明はこの超高層マンションを対象として、これ等の建屋において火災が発生した場合、人的及び物的被害を最小限に抑えるための防消火設備に関する技術を提供する。
【背景技術】
【0002】
21世紀に入り超高層マンションの建設が急速に進行している。この背景には都市における人口の急激な増加に伴い、特に若い世代を中心に旺盛な住宅需要が起きていること、更にマンションの建設用地には限りがあり、高騰する地価に対して建設コストを抑制するには建屋の高層化が避けて通れない等の理由が挙げられる。またこのブームの技術的な側面には、高層建築物の建設を可能とする各種の建設技術の顕著な向上がある。この結果、昨今の大都市では見上げるような超高層マンションが林立して、街の概容を一変させる様相を見せ始めている。
【0003】
これ等の超高層マンションの防消火設備を見ると他の超高層オフィスビルに比べて大きく見劣りしているのが現状である。例えば2014年に竣工した日本一の高さを有する大阪「あべのハルカス」では全館に渡り煙検知器とスプリンクラーが設置され、更に消防士用の専用エレベータを配備する等、最新の防災対策が実践されている。これに対し超高層マンションの場合は同じような防災設備が配備される例は殆ど見られない。
【0004】
その大きな理由はこれ等の超高層マンションでの発災では,多くのケースは局所的な火災に留まり、マンション全体が火炎に包まれる大火災が起きる確率は小さいこと、更に建屋本体が火災で倒壊する等の大きな危険性は想定しにくいからである。この結果、超高層マンションの防消火対策に関しては発災した居住空間に火炎を留めて「空間内の可燃物が燃え尽きるのを待つこと」及び「他の居住空間への類焼を極力抑えること」等の謂わば消極的な対応に留めるケースが大半である。然し油断は禁物である。
【0005】
超高層マンションの火災に関して特筆すべき情報は2017年6月14日、ロンドン西部の「グレンフェル・タワー」で起きた火災がある。この火災は同日の未明に発生、全市から40台の消防車と200名余の消防士が駆けつけ消火活動に当たった。しかし消火は難航を極め、火炎はマンション外装の可燃物に次々に類焼し、120世帯と言われた住民のうち79名の方が焼死するという大惨事となった。
【0006】
この建物は1974年竣工の24階建ての高層マンションで、高さは100mに近い。その防消火設備として、現状では一般的な煙検知器は設置されていなかった。火災の発災源は未だ不明であるが、2016年に行った杜撰な改造工事が火災を拡大させた主因であるとも報道されている。
【0007】
発災の情報は直ちに世界中に発信された。同マンションの外観は石造りであったが、2016年の改造工事で外装材に多くの可燃物使用され、それが全館に燃え広がり、殆どの可燃物を燃え尽くした。最終的に鎮火したのは消防士の手によるホースを使った決死的な消火活動であった。
【0008】
この事実は今後、超高層マンションの建設に関わる私達に大きな警鐘を鳴らしている。人間は有史以来、火事と言えば即、水を思い浮かべる。最新の超高層マンションではその建材の多くは不燃材料が使われ、建屋の難燃化には顕著な改善が見られる。一方でその防消火法は有史以来と変わらない水を使う湿式消火法に依存せざるを得ない。最新の超高層マンションと古式然とした湿式消火法、この組み合わせは如何にもアンバランスに見える。
【0009】
更に水と使う湿式消火法はもう一つの弱点を有する。それは高圧用のポンプや消防士用のエレベータの電源に支障をきたした場合、関連する全ての消火活動が機能しないことである。エンジン式のはしご車でカバーできる消火範囲は高さは約50mである。高さ100mを超える超高層マンションの消火に際し、依然として人間による手動の消火活動に依存して、貴重な資産が全て燃え尽きるまで待つような対応で良いのだろうか。これが本提案を考えた素直な動機である。
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0010】
本発明は、上記問題点に鑑みて、なされたものである。改善する手段は超高層マンションの防消火設備として従来の水を使う湿式防消火設備に替えて、新たな防消火手段を提供する。具体的には窒素を用いた乾式防消火設備の導入である。
【0011】
美術館や博物館等で貴重な美術品が水を使う消火で損傷されることを避けるため窒息性ガスを吹込んで消火する方法は既に実用化されている。窒息性ガスとして実績あるガスはハロゲン系ガスと窒素である。前述の「あべのハルカス」でも建屋内の電気室やコンピュータ室には、この方式が導入されている。
【0012】
超高層マンションに窒素を使う乾式防消火法を導入するに当たっては、次の二つの観点から検討しなければならない。一つ目は消火の主目的である如何に素早く鎮火させるかという消火効率の向上である。二つ目は副次的なマイナス影響である酸素欠乏による人的被害の防止である。
【0013】
建屋内に窒素を吹き込むと、内部の空気は窒素とほぼ均一に混合し、排気口を経由して大気に放出される。学術的にはこの混合を「完全混合」と呼ぶ。窒素の吹込みにより建屋内の酸素濃度は徐々に低下し、可燃性ガスが燃焼できない濃度に達する。この時の酸素濃度を「限界酸素濃度」という。この値は可燃性ガスにより固有の値を持ち、水素や一酸化炭素の場合は各々5.0、5.6%、メタンでは12.1%である。
【0014】
可燃物が固体の場合も高温により固体が分解され水素や一酸化炭素等の可燃性ガスを発生するので、燃焼を止めるには気体の場合と同様に建屋内の酸素濃度が可燃性ガスの限界酸素濃度以下になるまで窒素を吹き込めば良い。吹き込まれた窒素は建屋内の空気と混合し、建屋内の酸素濃度を徐々に低下させる。この際、窒素を大量に吹き込むことにより建屋内の圧力が過圧にならないよう、建屋内のガスを十分に排気できる排気経路を確保することが必要である。
【0015】
通常ボンベに貯蔵可能なガス量は数m3/本であるから、消火対象とする建屋の容量は概ね数10m3〜100m3程度に限定される。このため従来の乾式消火法の対象は建屋全体ではなく、建屋の中で最も貴重な部屋に限定せざるを得なかった。あべのハルカスで実施された対象も建屋内の高圧電気室やコンピュータ管理室であり、不活性ガスはボンベからの供給で対応が可能であった。一方、超高層マンション向けに、この方式を採用するには、第一に窒素の供給量の不足が大きなネックとなり、今までは乾式法を検討する機会は殆ど無かった。 しかし窒素の供給源については近年、液化窒素ローリ車を活用する新たな提案もあり、対応に変化が見え始めている。
【0016】
液化窒素ローリ車を活用する場合は、大型の7トン車の場合、最大搭載量は容量換算で約6,000m3/台である。幸い超高層マンションの場合は対象を個別の空間容積とすれば、その容積は凡そ数百m3程度、近隣への類焼を考慮しても1,000m3以下である。従って消火の対象を上記の範囲に留めることができれば、窒素の供給量に関しては、液化窒素ローリ車を活用すれば、現状で何とか対処が可能である。
【0017】
窒素を超高層マンションに導入する際、もう一つ注意しなければならない重要な課題は酸欠症即ち酸素欠乏に伴う人的災害や事故の防止である。人間は酸素なしの環境下では生きていけない。酸素濃度の低下と共に死の危険が迫る。発災時に窒素を使用する場合、これ等の人命を如何にして酸欠事故から守るか、この二次災害については事前に万全な防止策を確立して置かなければならない。
【0018】
次に酸欠症について基礎的な事項を記す。酸欠症とは人間が酸素濃度の低い空気を吸引することで生じる危険症状である。大気中の酸素濃度は平地では約21%(容量比)あるが、何らかの原因でこの濃度が低下すると、人間は以下の症状を呈す。人間は呼吸により血中の酸素濃度が低下すると臓器に供給される酸素量が減少し、臓器の細胞活動が妨げられ、最悪の場合は停止する。人体の臓器のうち最も影響を受け易い臓器は脳である。
【0019】
この症状には個人差はあるが、概ね次の通りである。(=出展、酸素欠乏危険作業主任者テキスト、労働省労働作業衛生課編)
上表より酸素濃度が通常値より半減すると、人にとって非常に危険な症状が現れること、また人間が何とか行動できるためには最低でも11%以上の酸素濃度が必要であることが判る。
【0020】
超高層マンションの防消火対策を考える上で、上記の酸欠防止対策は最も重要な課題である。近年、窒素を使用して大型の物量倉庫の火災に対処できないかという課題については、既に幾つかが提言されている。このような大型倉庫の場合はその容積が数十万m3で、窒素の供給量に不安を残すが、その多くは自動搬出装置付きで無人化され、かつ働く人達は少数である。これ等の建屋に窒素を吹き込む場合は対象人数が特定されるので、酸欠防止策の対応自体は限定的でさほど困難ではない。これに対し超高層マンションの場合は、対象とする人数は数百人以上でかつ不特定であるため 酸欠の危険度は極めて高く別格である。この対策については特に重要なので後で詳述する。
【課題を解決するための手段】
【0021】
初めに窒素を使用した建屋内の支燃性ガスを窒素で置換する際の基本的な事項について記す。窒素による防消火法は燃焼の3要素である、可燃物、着火源、支燃性ガスの中で、支燃性ガスを無くする方法である。燃焼に関与するこれ等の三要素は論理上「AND回路」で結ばれているので、窒素により火災周囲の支燃性ガス中の酸素濃度を限界値まで下げれば火災は完璧に消火できる。従って建屋が密閉型であるという条件さえ満たせば、この方式は湿式法に比べ、原理が単純で消火効率が圧倒的に高い。
【0022】
更なる利点は窒素という気体を使うので、どんな高さの建築物の消火にも対応が可能で、湿式防消火法のような消火対象物の高さに関する懸念は皆無である。加えて乾式法の設備は構成が極めてシンプルである。この方式に必要なものは建屋に吹き込む窒素がデッドスペース無しに均一に拡散するように「窒素の吹き出し配管を設置する」こと、及び吹き込んだ多量の窒素ガスで建屋内の圧力が過圧にならないよう「排気用のベントを設ける」ことである。
【0023】
一方、乾式防消火法は大型建屋内の空気中の酸素濃度を低下させるためには多量の窒素が必要になる。将来水素時代の到来に併せて導管を用いる広域の窒素インフラが完成すれば、この課題は容易に解決できる。しかし現状では超高層マンションに向け窒素を大量に供給できる手段は唯一液化窒素ローリ車よる供給だけである。
【0024】
液化窒素ローリ車とは窒素を超低温の液状にしてこれを真空断熱された特殊容器に充填し、車両に搭載して運搬する特別車両である。現在この種の車両は国内では広く普及しており、全国で数百台の液化窒素ローリ車が毎日運行されている。液化窒素ローリ車の搭載容量は大型車で約7ton(重量)、ガス状態に換算すれば約6,000m3/台である。この量は消火対象が超高層マンション内の限定された居住空間であれば、量的な対応は十分に可能である。
【0025】
次に窒素を使って建屋内の酸素ガス濃度を低減させる方法について基本的な技術について記す。一例として可燃物を水素、又は一酸化炭素と仮定すれば、その燃焼には、酸素濃度を5%以上(=学術用語で限界酸素濃度という)に保たなければならない。逆の見方では建屋内の空気を窒素で置換して空気中の酸素濃度を5%以下すれば、全ての火源は消炎する。
【0026】
容積(Am3)を有する建屋の内部に容量(Vm3)の窒素を吹き込み、建屋内の同量のガスを放出させて建屋内の酸素濃度を通常濃度(a=21%)から 目標の酸素濃度(a=5%)まで低減させる場合、その低減曲線は「完全混合式」に従い、次の関数で示される。ここでeはネピアの数と呼ばれる定数である。
【0027】
上式より空気中の酸素aを限界酸素濃度aまで低下させる窒素量Vは
例えば建屋容積A=1,000m3、a1=21.0、a2=5.0を代入すれば、窒素量V=1,430m3 となる。 即ち容積Am3の建屋内の空気を窒素で置換して燃焼を継続できない酸素濃度まで低減させるには、容量で建屋容量Aの約1.43倍の窒素が必要である。この量は液化窒素ローリ車1台(=6,000m3)で対応可能な量である。
【0028】
次に支燃性ガスとしての酸素の役割について記す。最初に簡単な実験を行う。可燃物として新聞紙を1,2枚を軽く丸めて家庭用のポリバケツに入れ、マッチで点火する。火炎は当初は小さいが、暫くすると一気に燃え上がる。この段階で予め用意した窒素ボンベからホースを使って窒素ガスをポリバケツに向け放出する。放出量は感覚的にバケツ容量の半分程度で、大まかで良い。ここで炎の勢いを観察する。
【0029】
炎の勢いは消火はしないが、一気に驚くほど小さくなる。この実験結果は学術的には次のように説明できる。例えば可燃物を水素と仮定した場合、この燃焼反応は
2H+ O = 2HO と表記できる。
この反応で水素と酸素の濃度をそれぞれ、a及びbとすれば、反応速度V
ここでKは温度が一定ならば濃度に関係ない定数で、速度定数(Velocity Constant)と呼ばれる。
【0030】
燃焼が進み、発生する水素量が増加してaが2倍になると(1)式は
即ち、燃焼速度は4倍に急上昇する。ここでbを半分に下げると(1)式は
即ち、水素の濃度が2倍になると、燃焼速度は一気に4倍となる。一方、酸素濃度を半分にすれば、水素濃度が2倍に増加しても反応速度を半減できることが解かる。
【0031】
先に示した実験は正にこの現象を如実に呈している。実験で一気に増大した火炎は(2)式で示される。窒素の吹込みで急速に炎が小さくなった現象は(3)式を示している。この実験でも明らかのように燃焼時に支燃ガス中の酸素濃度を低下させることは火災の消火に対し極めて有効な手段であることが解かる。これに似た現象は私たちの日常でも良く体験する。例えばかつて薪炊きの風呂で使った「火吹込き竹」はこの現象を逆に利用したものである。竹先から勢いよく空気を吹き込んで火の勢いを強めたのは、酸素の分圧を高めて火炎の燃焼速度を上げていた行為に他ならない。
【0032】
本発明ではこの現象を防消火対策に活用する。超高層マンションの火災の場合は大型物流倉庫の場合のように大量の窒素を一気に対象空間内に吹き込めば、もし空間内に人間が存在すれば、即、酸欠事故=窒息死に直結する。一方でマンション内部の可燃物の量は限定されており、火炎が一気に増大する危険は少ない。本発明ではその消火手順について、物流倉庫での対応とは全く異なる消火操作を提言する。次に本発明の乾式消火法の具体的な実施手順について記す。
【0033】
本発明では消火の手順を2段階で行う。 第1段階は火災の拡大を抑制する手段を講じる。この手段として居住空間に吹き込むガス中の酸素濃度を空気中の21%より低い値に低減させる方法を選択する。例えば、吹き込むガス組成の一例としてガス中の酸素濃度の目標値を空気中の約半分の濃度である11%とする。 この酸素濃度の調整に窒素を使用する。
【0034】
酸素濃度の低減に必要な窒素は近隣の窒素供給設備から液化窒素ローリ車を使用して当該マンションまで搬送する。ローリ車の液化窒素は専用の連結口を経て、地下の密閉室に設置した気化器へ送られ、中低圧の窒素ガスとなる。気化器とは液化窒素を気化させて定温、低圧の窒素ガスを得るための装置である。この窒素に別に設けた空気圧縮機からの空気を混合させて、所定の組成を有する窒素・空気の混合ガスとする。この防消火設備の概略を[図1]に示す。
【0035】
密閉室には気化器と空気圧縮機が設置され、空気圧縮機で空気を圧縮し、窒素と任意の比率で混合して窒素・空気の混合ガスとする。両ガスの比率調整には酸素濃度検出器とガス流量計を組み合わせたカスケード制御で行なう。カスケード制御とは二つの制御系を結んで制御性を改善する制御方式のことで、化学プラント等で広く活用される方式である。酸素濃度の検出器についてはガス伝導度や電気伝導度を活用して有効数字で3桁以上の精度を有する検出器が既に実用化されている。今回のケースでは酸素濃度の検出器の出力値で窒素と空気の流量計の目標値を制御させるカスケード方式を導入する。。これ等の機器を活用することにより酸素濃度を11.0%に正確に調整して、目標とするガス組成を有する混合ガスを得る。この制御の概要を[図2]に示す。
【0036】
上記の操作により窒素・空気の混合比を調整された混合ガスはここから鋼鉄製の専用導管を用いて建屋の外周を経由し各階に運ばれる。気化器の設置場所を密閉室にしたり、専用配管を建屋の外周を通した理由はそれ等の設備から万一、窒素が漏洩した場合、他の居住空間に窒素が流れ込んで酸欠等のマイナス影響を与えないよう配慮した為である。
【0037】
専用配管をマンション内に設置した供給ヘッダーに連結する。供給ヘッダーは建屋の外周に沿って各階毎にリング状に設置する。更にこのヘッダーから枝管を分岐し、枝管に取り付けた複数の吹き出し口から消火対象となる居住空間の各部屋に窒素を吹き込む。ヘッダーと枝管の間には遠隔操作で開閉可能の供給元弁を取り付ける。
【0038】
供給元弁を取り付ける位置はヘッダーから枝管に分岐する大元である。供給元弁は居住空間毎に取り付け、その全数をマンションの管理室から操作可能とする。供給元弁の数は全体ではかなりの数となるので、誤って作動させないよう厳重に管理しなければならない。この危険を防止するには後述する監視回路に安全回路を組み込む。例えば「煙検知による火災発生情報」を組み込めば火災を起こしていない居住空間に向けて供給元弁が誤って開かれる危険はある程度抑えられる。更に誤動作や誤操作を防止するため監視要因を組み込んで、安全対策の強化を計る。この安全対策の強化(=冗長化)については後述する。
【0039】
供給元弁を通して居住空間内に吹き込まれた窒素・空気の混合ガスは空間内の空気と置換し、排気口を経てベント管から大気へ放出される。排気口とベント管については非常時に多量に吹き込まれるガスで建屋内が過圧されないよう十分な排出能力を持たせる。排気口には常時ラプチュアデスク等の破裂板を取り付けて大気と遮断する。ラプチュアデスクとは薄い金属板で出来た安全器具で、建屋内が過圧された場合に金属板が破裂して内部のガスを大気へ放出する。 この設備の概容を[図3]に示す。
【0040】
最後に酸欠防止対策に関連するソフト面の対策について、手順を示して説明する。一般的な火災発生時では、まず「煙検知器による発災情報」と「居住者からの発災通知情報」により消火活動が開始される。この順序は従来と変わらないが、本発明ではこれに居住空間が密閉型であることが必要条件なので、「入口ドア閉止情報」を追加して組み込む。次いで、混合ガスの吹込みに先立ち、居住者とマンションの安全管理者は居住空間内に残留している者がいないかを現地で確認する作業に入る。
【0041】
この確認作業が終了したら、居住者避難確認に関する情報を入力する。この入力には居住者とマンションの安全管理者の双方が現地で居住空間に住む全員が避難したことを確認した後、本人のカードを挿入して「特定パスワード入力情報」として入力する。「特定パスワード入力情報」とは予め指定された特定パスワードを本人が直接、入力装置に入力しない限り、窒素の元弁操作のロック機能を解除できない情報である。この入力が終わった時点で、混合ガスの吹込み準備作業が完了する。
【0042】
実際の吹込みはマンションの安全管理者が遠隔から「吹込み開始ボタン」を押すことで実行される。居住空間に吹き込まれた混合ガスは完全混合式に従って曲線を描きながら空間内の酸素濃度を順次、減衰させる。この減衰効果は吹込みの当初が効果が大きく、時間と共にその程度が緩慢になる。この酸素濃度の減衰曲線を[図4]に示す。図4には窒素の吹込み方法の異なる二つの方法の減衰曲線が記載されている。二つの曲線のうち、2段階で表示されている曲線が本発明の事例である。
【0043】
窒素・空気の混合ガスにより居住空間内の酸素濃度は目標濃度(=11%)に向けて順次低下する。この吹込みは居住空間内の酸素濃度が11%に近づくまで行われるが、この間に該当する居住空間の滞在者は全員退避を完了する。酸素濃度の低下はゆっくり進むので、慌てて退避する必要はない。また、この混合ガスの吹込み操作は居住者の退避に際し、室内の排煙効果を高めるので、その退避にも有効である。更にこの第1段階で混合ガス中に人体に無害な腐臭剤を添加して緊急事態発生の注意を喚起することも有益である。
【0044】
第1段階の吹込みが完了したら、第2段階の吹込みに入る。第2段階は吹き込む混合ガスの組成を窒素濃度を100%に替えて、火炎を完全に消火させる段階である。この場合も、吹込み前に居住者とマンションの安全管理者の双方が再度退避の確認を行うことには第1段階と変わりはないが、出来れば消防士が立ち会って確認することが望ましい。この吹込みにより火炎は完璧に消火する。
【0045】
第1段階の確認と退避に要する時間はマンションの居住空間の容積と液化窒素ローリ車の窒素搭載量の比率から判断して、凡そ1時間程度と予想される。第2段階の所要時間も第1段階に近いとされるので、消火に要す全時間は、第1段階と第2段階を併せても液化窒素ローリ車が現地に到着してから2〜3時間程度で完了する。この時間は従来の湿式消火法に比べ極めて短時間である。
【0046】
消防士による確認は第1段階で居住空間内の酸素濃度が低減した後に行われる。この段階で建屋に残留者がいる確率は低いが、特異の例として一度退避した人が再び忘れ物を取りに入居する等のケースに対応するためである。このように確認を幾重にも実施する理由は、万一にも居住空間内に人間がいることを見落さないよう配慮したためである。この環境下では建屋内の人間は不自由ながら行動は可能である。消防士は救助に備えて活発に行動できるように、従来の耐火服に加えて酸素ボンベ付きの「背負い式の呼吸器」を装着する。
【0047】
本発明に従えば、消防士の役割は大きく変化する。従来まで消防士の業務の主体は消火活動自体であった。今後はこの業務は消防士から窒素を取り扱う建屋側の管理者に移行し、消防士の役目は居住者の避難確認と誘導が主体となる。この結果、従来のように消火作業に当たり、多数の消防車や消防士の出動は不要となる。超高層マンション1棟の火災に際し、1台の液化窒素ローリ車と数人の消防士で対応できる日が来るのも夢ではない。
【0048】
超高層マンションにおける酸欠事故の防止にはここに追加した情報は事故防止には必須である。図ではNEWマークで表示されている。マンション発災に伴う安全回路の立案に際してはこれ等の要因を「AND回路」で繋ぎ、安全対策の冗長化を図る。以上をフローチャートにまとめ[図5]に示す。
【0049】
上記の対策に加え、乾式防消火法の普及に当たっては関連する部署間で乾式消火法への対応策を確立しておく必要がある。具体例としては対象となる建屋は全て所轄官庁の許認可制とすること、建屋には酸欠防止に資格を有する安全管理者の常駐を義務付けること、消火業務に関し消防署と建屋側との間で消火活動に係る役割を事前に定めておくこと等である。
【本発明を実施するための最良の形態】
【0050】
以上の超高層マンション向けの独自の酸欠防止対策は必ず実行されなければならない。この実践は本発明を実施するための必須の形態である。この対策なしで本発明を実行することは非常に危険である。安全を確保するために導入した窒素が人命を奪う凶器となってはならない。
【発明の効果】
【0051】
ここまで酸欠防止対策について詳説した。超高層マンションの居住空間への窒素の吹き込みに際し、手順を2段階に分けて、段階毎に窒素濃度を変えて吹き込むことが本発明の大きな特色である。この方法は窒素を用いて建屋内の支燃ガス中の酸素濃度を一気に下げて消火する従来法とは発想が全く異なる発明である。
【0052】
超高層マンションの火災に際し、窒素を一気に吹き込むやり方は余りにも乱暴である。窒素の吹込みを2段階に分け、第1段階で安全を再確認した後、第2段階で初めて100%窒素を吹き込むことはマンションの住民にとって、安全で穏当な対応である。今回の試算では第1段階の酸素濃度の設定値を11%としたが、この値には固執しない。建物の環境によってはこの設定値を12%や14%に変更することも可能である。
【0053】
一方で窒素の吹込みを2段階とする方法は一刻も早く火を消すという消防本来の考えから見れば、やや緩慢な印象を受ける。しかし「人間の生命の確保を何よりも最優先する」という基本理念を達成するためには、この方式は必然の帰趨である。
【0054】
本発明の短所として、現状では窒素の供給源は液化窒素ローリ車に依存しなければならない。この解決策として導管を用いた新たな水素インフラの建設が別途、検討されているが、この計画と同時並行して導管を用いる窒素インフラの構築が併せて進行している。 この窒素インフラが構築できれば、防消火用の窒素は液化窒素に代わり、窒素ガスとして大量に供給することが可能となる。この新たな供給網は窒素ガスによる迅速な消火活動に繋がるプラス効果を生み出す。
【産業上の利用可能性】
【0055】
本発明の防消火法は今回の超高層マンションの防消火設備以外にも、不特定多数の人々が集り、発災時に避難者の確認が必要な場所、例えばお城、神社、仏閣や観劇ホール、映画館等の建築物に、更には同一ビル内にホテルやデパート等が共存する複合オフィスビルにも応用が可能である。更に対象の視野を世界に向ければ、有名な美術館、寺院、鐘楼、大聖堂等、用途は限りなく広がる。
【0056】
応用の一例として国内の木造のお城に応用するプランを想定して見る。現在、国内に残存する木造のお城は12城あり、スプリンクラーを使う防消火設備を設置済みの城は姫路城、松江城の2城に過ぎない。この他の城の防消火対策については2019年の首里城の火災を契機に急遽、見直しが行われている。
【0057】
既存のお城にスプリンクラーを設置するにはお城本体の大幅な改造が必要である。これに対し、本発明では窒素ガスの吹込み設備を設置するだけで良い。具体的には液化窒素の気化器に空気との混合配管を組み合わせて、2段階の防消火方法を実行する。窒素の供給源として数台の液化窒素ローリ車を手配して消火に必要な数万m3の窒素量を確保する。
【0058】
発災時にはこの液化窒素から気化器を通して多量の窒素ガスを製造、これに空気を混合して窒素・空気の混合ガスとし、お城全体に吹き込む。吹き込まれた混合ガスは火の勢いを抑制して火災の排煙から見学者守りながら、全員を城外へ避難させることができる。城内の排ガスは最終的には天守閣から大気へ放出される。更にガスの放出であるから、水を使う湿式消火とは違って城内の内装や展示物が水濡れする心配は全くない。
【0059】
お城に混合ガスを吹き込む場合、もう一つの利点はお城には元々弓矢や銃を射るための開口部があり、多量の排ガスを場外に排出するには好都合である。これ等の開口部を利用すれば、特別な排気設備の設置するための大幅な改造工事は不要である。更に本発明では消火活動に要する時間が数時間で済むという利点もある。他方、一般公共建物への窒素の拙速な導入は酸欠事故という人間の生命に関わる深刻な問題に直結する。「建屋に窒素を吹き込めばに人間は窒息死する」。この根強い懸念が長い間、窒素を使う乾式防消火法の導入を妨げて来た最大の理由であった。
【0060】
繰り返しとなるが、本発明に付随する「酸欠事故の対する防衛策」は何れのケースに応用する場合でも絶対に逃げることはできない必須の対策である。この対策を推進する際のキイワードは窒素。20世紀、エネルギーの主役は炭化水素、全ての産業がその恩恵を享受した。反面、副生する炭酸ガスに起因する地球の温暖化現象を招きつつある。この代替えエネルギーとして環境にクリーンな水素が注目されている。
【0061】
しかし、水素は着火し易く、単独ガスとして一般市場で普及するには危険度が高か過ぎる。水素社会の到来にはどうしても窒素の助けが必要である。現在、水素社会の到来に備え、その危険防止策の一つとして、水素を単独ではなく水素・窒素の混合ガスとして供給するインフラシステムが検討されている。この新たなシステムが完成するならば、水素と共に多量の窒素の安定供給が可能となり、窒素の新たな需要が喚起される。
【0062】
21世紀は水素時代の到来と共に今まで脇役であった窒素がその主役となる可能性が高い。特に有効な敷地が狭く、木造家屋が密集している我が国において、窒素を活用する用途は非常に多い。その具体例として窒素を使う乾式防消火法が従来の湿式防消火法と並行して、広い範囲で活用される時代が到来するかも知れない。本発明がその変革の一端を担うことを心から期待する。
【図面の簡単な説明】
【0063】
図1】 窒素を用いた乾式防消火設備の全体の構成を示す概略図である。
図2】 混合ガスの組成を制御するカスケード制御を示す概略図である。
図3】 乾式防消火設備から建屋内に窒素を導入する方法を示す概略図である。
図4】 窒素の吹き込みにより居住空間の酸素濃度の減衰を示す概略図である。
図5】 窒素による酸欠防止策の一例を示すフローチャートである。
【符号の説明】
【0064】
1 窒素製造所
2 窒素供給所(将来は消防署)
3 液化窒素ローリ車
4 液化窒素 連結口
5 液化窒素 気化器
6 専用配管
7 (窒素・空気の)吹き出し口
8 排気口
9 居住空間部
10 移動空間部
11 通気口
12 ベント管
13 ラプチュア デスク
14 入口ドア
15 空気圧縮機
16 窒素・空気混合器
17 供給元弁
18 供給ヘッダー
図1
図2
図3
図4
図5