(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5695753
(24)【登録日】2015年2月13日
(45)【発行日】2015年4月8日
(54)【発明の名称】細胞選別器及び細胞選別方法
(51)【国際特許分類】
C12M 3/00 20060101AFI20150319BHJP
C12N 5/095 20100101ALN20150319BHJP
【FI】
C12M3/00 Z
!C12N5/00 202V
【請求項の数】6
【全頁数】11
(21)【出願番号】特願2013-536058(P2013-536058)
(86)(22)【出願日】2012年8月16日
(86)【国際出願番号】JP2012070788
(87)【国際公開番号】WO2013046980
(87)【国際公開日】20130404
【審査請求日】2013年11月1日
(31)【優先権主張番号】特願2011-210160(P2011-210160)
(32)【優先日】2011年9月27日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(73)【特許権者】
【識別番号】504132272
【氏名又は名称】国立大学法人京都大学
(74)【代理人】
【識別番号】100085464
【弁理士】
【氏名又は名称】野口 繁雄
(72)【発明者】
【氏名】務中 達也
(72)【発明者】
【氏名】阿部 浩久
(72)【発明者】
【氏名】叶井 正樹
(72)【発明者】
【氏名】前川 平
(72)【発明者】
【氏名】木村 晋也
(72)【発明者】
【氏名】芦原 英司
【審査官】
藤田 都志行
(56)【参考文献】
【文献】
特開2011−4608(JP,A)
【文献】
国際公開第2009/128483(WO,A1)
【文献】
特表2002−511843(JP,A)
【文献】
特開平6−327494(JP,A)
【文献】
特開平9−56369(JP,A)
【文献】
国際公開第2012/032844(WO,A1)
【文献】
FU et al,An Integrated Microfabricated Cell Sorter,Analytical Chemistry,2002年 6月 1日,Vol.74, No.11,p.2451-2457
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12M 3/00
C12N 5/095
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS/WPIDS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
液で満たされ代表的長さが1mm以下である微小空間をもち、その微小空間の内部の光学的観測を可能とする光透過性の材質からなる底面をもつウエルと、
前記ウエル内の底面に配置されたマトリックスと、
前記ウエル内の前記マトリックス上に配置された骨片と、
前記マトリックスと前記骨片との間に配置された破骨細胞と、を備えた細胞選別器。
【請求項2】
前記マトリックスはコラーゲンゲルである請求項1に記載の細胞選別器。
【請求項3】
前記ウエルは円筒形であり、その代表的長さは直径であり、前記ウエルの深さは300μm以下である請求項1又は2に記載の細胞選別器。
【請求項4】
前記破骨細胞が配置されている位置の酸素濃度は約5%である請求項1から3のいずれか一項に記載の細胞選別器。
【請求項5】
請求項1から4のいずれか一項に記載の細胞選別器を準備する工程、
前記細胞選別器のウエル内の前記骨片の周辺に蛍光体により標識化されたサンプル細胞を配置する工程、
ある時間が経過した後、サンプル細胞の位置を光学的に観測することにより、前記ウエル底面のマトリックスと前記骨片との間へ遊走する細胞と遊走しない細胞とを選別する工程、を備えた細胞選別方法。
【請求項6】
前記蛍光体は緑色蛍光タンパク質である請求項5に記載の細胞選別方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、がん幹細胞を他の細胞から選別するために用いられる細胞選別器及びその細胞選別器を用いた細胞選別方法に関するものである。
【背景技術】
【0002】
最近、生体内の微小環境が注目を集めている。中でも、骨髄微小環境に破骨細胞が存在する系は、本来の骨の再構築の最前線としてだけでなく、他の細胞にとって居心地の良いニッチ(巣)を提供していると考えられている。そして、薬剤耐性をもち、がんの根治の妨げになっているがん幹細胞は、このニッチの存在と深く関わっていると考えられている。
【0003】
がん幹細胞は多くのがん細胞の源となり、かつ薬剤耐性をもつため、がん根絶の妨げとなっていると考えられている。そのため、がん幹細胞を標的とした創薬ががんの根治に重要であると考えられる。がん幹細胞を標的とする薬の効果を調べるためには、がん幹細胞を他の細胞から選別する必要がある。しかし、これまで、がん幹細胞を他の細胞から選別する方法は確立されていない。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0004】
【非特許文献1】C. Lo Celso, H.E. Fleming, J.W. Wu, C.X. Zhao, S. Miake-Lye, J. Fujisaki, D. Cote, D.W. Rowe, C.P. Lin, D.T. Scadden, Live-animal tracking of individual haematopoietic stem/progenitor cells in their niche, Nature 457 (2008) 92-96.
【非特許文献2】Weilbaecher, K.N., Guise, T.A. & McCauley, L.K. Cancer to bone: a fatal attraction. Nature Reviews Cancer 11, 411-425 (2011).
【非特許文献3】Mohamed Gad-el-Hak, The MEMS HANDBOOK, second edition, pp.10-6-pp.10-7(2009)
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0005】
細胞機能には、例えば、細胞遊走・浸潤などの細胞の特性や、表面抗原、細胞周期、薬剤耐性などの特性があり、これらの機能は一般的に光学的な観測で評価することができる。しかし、がん幹細胞は周囲の微小環境(ニッチ)と相互作用しながら機能を発現していると考えられる。したがって、その相互作用を直接的に観察することは、骨髄微小環境ががん幹細胞へ与える影響を研究する上でシンプルかつ有効な方法であると考えられる。ところが、がん幹細胞と骨髄微小環境との相互作用を直接的に観察する上で、以下の2つの課題があった。
【0006】
1つ目の課題は、対流の影響である。骨髄微小環境は数μm〜数百μmという大きさであるため、流れや混合の影響を受けにくく、対流はほとんど発生しない。この環境では、液性因子の移動が拡散に支配されるという特殊な特徴がある。しかし、従来の細胞の培養において一般的に用いられてきたシャーレ、フラスコ又はウエルプレートなどの容器は容積が大きく、しかも熱源として炭酸ガスインキュベータ、顕微鏡照射ランプ、蛍光ランプ、その他の電気機器等が存在するので、これらの容器内部では熱の対流を主な原因とする液体の移動が起き、これらの容器は骨髄微小環境を正確に再現した環境とはいえない。
【0007】
2つ目の課題は、リアルタイムでの観測が困難であることである。従来の観測法は、組織切片を用いたある時点の写真を組み合わせる例がほとんどである。非常に薄い切片を用いてリアルタイム観測を行なった例が非特許文献1に記載されているが、その例では、試料が大気に暴露され、本来の骨髄微小環境がもつ酸素濃度勾配などの状態が変化してしまうため、正確に生体内における細胞の活動に関する情報が得られるとは考えにくい。
【0008】
そこで、本発明は、骨髄微小環境における細胞の特性を直接的に観測することができるようにするとともに、その観測結果に基づいて細胞の選別を行なうことができるようにすることを目的とするものである。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明にかかる細胞選別器は、液で満たされ代表的長さが1mm以下である微小空間をもち、その微小空間の内部の光学的観測を可能とする光透過性の材質からなる底面をもつウエルと、ウエル内の底面に配置されたマトリックスと、ウエル内のマトリックス上に配置された骨片と、マトリックスと骨片との間に配置された破骨細胞と、を備えたものである。
ここで、「代表的長さ」とは、流体力学におけるレイノルズ数を算出するために用いられる特徴的な長さ(Characteristic Length)のことであり、例えば、一般に矩形流路では、4×(断面積/断面周囲長)、円形管ではD(直径)が代表長さとなる(非特許文献参照3参照)。
また、「マトリックス」とは「骨マトリックス」のことであり、骨を構成する細胞外成分の骨基質であり、コラーゲン線維やハイドロキシアパタイトなどをいう。その構成タンパク質はI型コラーゲンが主たるもので、その他、オステオカルシン、オステオポンチン、骨形態形成タンパク質(bone morphogenetic proteins)などがある。以下、「骨マトリックス」を単に「マトリックス」と記載する。
【0010】
本発明の細胞選別方法は上記の本発明にかかる細胞選別器を用いたものである。本発明の細胞選別器のウエル内の骨片の周辺に蛍光体により標識化したサンプル細胞を配置し、一定時間が経過した後、サンプル細胞の位置を光学的に観測することにより、ウエル底面のマトリックスと骨片との間へ遊走する細胞と遊走しない細胞とを選別する。
【0011】
本発明者らは、破骨細胞が付着した骨片の周辺にサンプル細胞を配置すると、破骨細胞の付着している部分に引き寄せられるように遊走する細胞が存在することを発見した。本発明にかかる細胞選別方法は、この発見に基づいてなされたものである。
【0012】
本発明者らの実験において、骨片に破骨細胞が付着している場合に細胞遊走が見られ、骨片に破骨細胞が付着していない場合に細胞遊走が見られなかった。このことから、細胞を誘引する物質は破骨細胞による骨吸収により骨又は破骨細胞から放出された物質であることが考えられる。非特許文献2によれば、破骨細胞の骨吸収により、カルシウム(Ca
2+)と様々なサイトカイン類(TGF-β)や増殖因子(IGFs)が放出される。したがって、これらのいずれかの物質が誘引物質となって特定の細胞を遊走させると考えられる。
【発明の効果】
【0013】
本発明の細胞選別器では、ウエル内を代表的長さ1mm以下の微小空間とすることで、ウエル内を満たす溶液の対流をなくし、その微小空間の底面にマトリックスを配置し、そのマトリックスの上に骨片を配置することで骨髄微小空間を再現している。そして、ウエルの底面を微小空間の内部の光学的観測を可能とする光透過性の材質により構成しているので、骨髄微小空間を再現した微小空間内の細胞の特性を底面側からリアルタイムで光学的に観測することができる。マトリックスと骨片の間に破骨細胞が入り込んだ状態となっているので、破骨細胞の骨吸収によってカルシウムやサイトカイン類などの物質が放出され、これらの物質に誘引されて遊走する細胞と遊走しない細胞とを選別することができる。
【0014】
上記の細胞選別器を用いた本発明の細胞選別方法では、サンプル細胞を蛍光体により標識化しておくことで、その挙動を光学的観測により容易にリアルタイムで観測することができる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【
図1】細胞選別器の一実施例を示す図であり、(A)は斜視図、(B)はウエル内を示す断面図である。
【
図2】細胞選別器のウエルに骨片を配置した状態の画像である。
【
図3】骨片の下に破骨細胞を誘導した細胞選別器のウエル内のGFP蛍光画像を蛍光顕微鏡を用いて取得した画像であり、(A)は観測を開始した時、(B)は4.5時間が経過した後の画像である。
【
図4】骨片の下に破骨細胞を誘導しなかった細胞選別器のウエル内のGFP蛍光画像を蛍光顕微鏡を用いて取得した画像であり、(A)は観測を開始した時、(B)は4.5時間が経過した後の画像である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明の細胞選別器の好ましい実施形態では、マトリックスとして組織培養用として開発されたブタ腱由来酸可溶性のType-Iコラーゲンと濃縮培地・再構成用緩衝液を混合して得られるコラーゲンゲルを使用し、そのコラーゲンゲルでウエルの底面をコーティングすることで、骨髄微小環境を再現する。
なお、マトリックスとしては、コラーゲンゲルに代えて、細胞外マトリックスタンパク質を豊富に含むEngelbreth-Holm-Swarm(EHS)マウス肉腫から抽出した可溶性基底膜を調製したゲルやハイドロキシアパタイトなどを使用することもできる。
【0017】
また、ウエルの代表的長さとしては、円筒状ウエルの場合は直径を挙げることができ、その場合、ウエルの深さを300μm以下とすることが好ましい。そうすれば、溶液の対流の発生をなくすことができ、ウエル内の空間を骨髄微小環境に近い環境を再現することができる。
【0018】
また、破骨細胞が配置されている位置の酸素濃度は約5%とすることが好ましい。骨髄微小環境における酸素濃度は約5%程度と考えられるので、破骨細胞が配置されている領域を骨髄微小環境に近い環境にすることができる。
【0019】
本発明の細胞選別方法では、サンプル細胞を標識化するための蛍光剤として例えば緑色蛍光タンパク質を用いることができる。
【0020】
細胞選別器の一実施例について
図1を用いて説明する。
細胞選別器はチップ2として構成されている。チップ2は例えばPDMS(ポリジメチルシロキサン)や石英ガラス、シリコンなどの材質で構成され、ウエル4となる貫通穴が設けられた第1基板3aと、第1基板3aの一方の面に張り合わされた第2基板3bにより構成されている。ウエル4は、μTAS(micro Total Analysis system)又は微小流体制御技術(microfluidics)と呼ばれる微細加工技術を用いて形成されている。ウエル4内の空間は代表的長さが1mm以下の微小空間である。
【0021】
この実施例ではウエル4の底面は円形であり、代表的長さである直径が1mm、深さが300μmである。ウエル4の底面6の厚みは0.17mmであり、底面6側からウエル4内を光学的に観測することができるようになっている。チップ2の上面側に、ウエル4への溶液の注入と排出を行なうための流路となる溝5a,5bが形成されている。
図1において図示されていないが、チップ2の上面側は、ウエル4の上面を封止するためにPDMS基板などの部材によって覆われ、そのときに溝5a,5bが流路を形成する。
【0022】
ウエル4の底面にはコラーゲンゲルのコーティングからなるマトリックス8が配置されている。マトリックス8の上に骨片10が配置されている。骨片10の大きさは例えば直方体形状であれば200μm□程度であり、骨髄微小環境のスケールと同等のスケールである。マトリックス8と骨片10の間に破骨細胞12が配置されている。破骨細胞12は骨芽細胞から分化させたものである。
図1では、上面が開放された状態となっているが、このチップ2を使用する際はウエル4内において、選別対象の多数の細胞と、(a)培地及び/又は(b)水もしくはリン酸緩衝生理食塩水に代表される緩衝液などの液体との混合物である細胞懸濁液などで満たされ、ウエル4の上面は例えばPDMSなどの材質からなる封止部材により封止される。ここで、多数の細胞とは、本発明の選別対象の細胞であって、通常の実験条件で懸濁しうる程度の複数の細胞をいうが、単数であっても本件発明の効果は奏しうるので、単数も含むものとする。
【0023】
ウエル4の容積は約240nLと極めて小さいため、ウエル4を満たす溶液の見かけ上の粘性が上昇し、対流や攪拌の影響を受けない実験が可能である。ウエル内の溶液に対流が発生するか否かは、自然対流における熱対流の様子を特徴づける無次元数であるレイリー数Raを考えると良い。レイリー数Raは以下の式で表わされる。なお、Lはウエル4の代表的長さ、gは重力加速度、βは流体の熱膨張率、νは動粘性率、aは熱伝導率、ΔTは代表的温度差である。
Ra=(L
3・g・β・ΔT)/νa
【0024】
自然対流の層流から乱流への遷移や対流時のベナールセル(対流構造の一つで、薄い層状流体を下面から均一に熱した際に生じる規則的に区切られたセル状構造をいう。)の発生などはレイリー数Raの値で規定される。水平流体層においてベナールセルが発生し始める臨界レイリー数Ra'は、流体層の厚さをLとし、流体層の上下面の温度差をΔTとすると、上下面が固体面の場合でRa'=1708となる。なお、g=9.8 m/s
2、β=0.2×10
-3/℃、ν=1×10
-2cm
2/s、a=1.41×10
-3cm
2/sとする。
【0025】
例えば、代表的長さL=10cmとしてレイリー数Raを計算すると、
Ra=10
3×980×0.2×10
-3×ΔT/(1×10
-2×1.41×10
-3)
=980×0.2/1.41×ΔT×10
2×10
3
=139×10
5×ΔT
≒1.4×10
7×ΔT
Ra=Ra'(=1708)のときの代表的温度差ΔT'は、
ΔT'=1.2×10
-4(℃)
となる。すなわち、代表的温度差が1.2×10
-4℃以上になるとウエル内の溶液の対流が発生すると考えられる。
【0026】
一方、ウエルの代表的長さLを1mmにしたときのRaは、
Ra=10
-3×980×0.2×10
-3×ΔT/(1×10
-2×1.41×10
-3)
=14×ΔT
Ra=Ra'(=1708)のときの代表的温度差ΔT'は、
ΔT'=120(℃)
となる。すなわち、代表的温度差が120℃以上にならないとウエル内の溶液の対流が発生しないと考えられる。
【0027】
ウエル4の実際の代表的温度差はせいぜい37℃と室温25℃の差12℃程度であり、上記のΔT'(120℃)よりも大きくなることは考えられない。したがって、ウエル4の代表的長さを1mm以下にしておけば、ウエル4内の溶液の自然対流は発生しないと考えられる。
【0028】
この実施例の細胞選別器の製造方法の一例について説明する。
この細胞選別器は、チップ2のウエル4内で、骨・骨芽細胞・骨髄細胞を共培養することにより、破骨細胞12を骨片10とマトリックス8との間に誘導し、骨髄微小環境を再構築し、特定のがん細胞が遊走するシステムを構築したものである。
【0029】
チップ2は、第1基板3aとして厚さ300μmのシリコン基板を使用する。微細加工技術を用いてシリコン基板3aをエッチングし、直径1mmの円形状の貫通穴を形成する。シリコン基板3aの一方の面に、第2基板3bとして厚さ0.17mmの透明ガラス基板を陽極接合してウエル4の底面6を形成する。
【0030】
次に、ウエル4内の底面6となっているガラス基板3bの表面にコラーゲンゲルをコーティングしてマトリックス8を形成する。そして、マトリックス8上に200μm□程度の骨片10を配置する。骨片10の大きさは特に限定されるものではなく、ウエル4内に収容できる大きさであればよい。例えば直方体形状であれば、最大の寸法が200μm程度である。
【0031】
骨片10をウエル4内に実際に配置した画像を
図2に示す。骨片10は、5〜10週齢のBALB/cAマウス大腿骨を採取し、骨髄部を培地でフラッシュアウト(洗浄)した後に、サージカルナイフで切断したものである。ウエル4内に培地を充填した後、ウエル4の上面を例えばPDMS基板からなる部材によって封止し、ウエル4内に各種細胞や培地を供給する作業時や培地交換などの作業時以外はウエル4内の培地や細胞懸濁液が大気に暴露されないようにする。なお、このチップ2のウエル4内(培養室)の容積は240nLである。
【0032】
1〜2日齢BALB/cAマウスの頭頂骨から得た骨芽細胞を約200セル/ウエルの濃度でウエル4に導入する。4〜6時間後、骨芽細胞がウエル4の底面に接着した後で、5〜10週齢BALB/cAマウスの大腿骨の骨髄をフラッシュアウトして得た骨髄細胞を約800セル/ウエルの濃度で導入する。ウエル4に、培地として10%牛胎児血清を含むαMEMに0.02μMビタミンD3と2μMプロスタグランジンE2を加え、37℃、5%CO
2、水蒸気飽和の条件下で共培養を行なう。何回かの培地交換を行ないながら7〜10日間の共培養を経ることで、骨髄細胞を破骨細胞に分化させる。破骨細胞は骨片10の下部に入り込む。この状態が
図1の状態である。なお、
図1では、骨芽細胞や骨髄細胞の図示は省略している。
【0033】
この実施例の細胞選別器を用いて行なった細胞選別の一例について説明する。
サンプル細胞として、緑色蛍光タンパク質(GFP)により標識化した白血病細胞株(Ba/F3 wt bcr−abl GFP)を約100個/ウエルの密度になるようにウエル4に導入した。ウエル4の上面をPDMS基板によって封止した後、直ちに蛍光顕微鏡を使用してチップ2の裏面側(ウエル4の底面6側)からウエル4の底面6を介してGFP蛍光を一定時間ごとに撮像する、いわゆるタイムラプス観測を行なった。チップ2は、蛍光顕微鏡内に設置された混合器付の温度CO
2及び制御チャンバ内のステージの上に配置した。同ステージでは、37℃水蒸気飽和、5%CO
2の環境を維持した。タイムラプス計測が終了したチップについてTRAP(酒石酸耐性酸性フォスファダーゼ)染色を行い破骨細胞の位置を同定した。
【0034】
図3は骨片の下に破骨細胞を誘導した細胞選別器のウエル4内のGFP蛍光画像を蛍光顕微鏡を用いて取得した画像である。
観察開始当初は、(A)に示されているように、白血病細胞は骨片の下には存在せず、それ以外の場所にほぼ均等にばらついて存在していた。約2時間後、いくつかの白血病細胞が骨の下部に侵入し始めて、4.5時間が経過した後では、(B)に示されているように、骨片の下に留まる白血病細胞がいくつか見られた。
【0035】
また、
図4は骨片の下に破骨細胞を誘導していない細胞選別器のウエル内のGFP蛍光画像を蛍光顕微鏡を用いて取得した画像であるが、この細胞選別器では、4.5時間が経過した後でも骨片の下に侵入する白血病細胞は見られなかった。
【0036】
以上のことから、破骨細胞が骨下部に存在することにより、骨片という障壁があるにもかかわらず、白血病細胞がその障壁を通って骨片の下に侵入したと考えられる。このように、ウエル4内において骨片の下に破骨細胞を配置しておくことで、がん細胞が遊走する微小環境を構築することができ、その遊走現象をリアルタイムで観測することができる。遊走した細胞と遊走しなかった細胞とではその特性が異なっており、このような環境下において遊走する特性をもつ細胞とそのような特性をもたない細胞との選別が可能である。
【0037】
なお、本発明の細胞選別器及び細胞選別方法は上記実施例に限定されるものではない。細胞選別器として機能させるためには以下の要件を満たす必要があり、これらを満たすものであれば、構造は限定されない。
1.溶液の対流が発生しない代表長さが1mm以下の微小空間
2.骨髄微小空間に近い酸素濃度である低酸素濃度(最大で大気と同じ21%、好ましくは5%以下)
3.骨片と破骨細胞の存在。なお、細胞遊走を直接的に誘引させる物質としては、破骨細胞の骨吸収により放出されるサイトカイン類(TGF−β)や増殖因子(IGFs)、Ca
2+、ケモカインなどが考えられる。
【0038】
上記実施例のように、細胞選別器を用いて生体内の微小環境を工学的に再現することで、以下の効果が得られる。
生態を用いた実験では、酸素濃度、栄養素、液性因子の濃度など、種々の条件を実験ごとに再現性良く一致させることは一般的に困難である。これに対し、本発明のように、チップを用いた実験系を構築することにより、実験の再現性が向上する。さらに、実験条件を自由に設定することが可能となるので、生体内では実現できないような特殊な条件を自由に設定し、そのような条件下での細胞の特性・挙動を観測することも可能である。
【0039】
また、小動物を用いるような実験の代替となることは、動物愛護の精神からも重要な効果が見込まれる。さらに、対象がヒトである場合には、直接観察することが技術的にも倫理的にも困難な脳などの部位についての実験が可能となる。さらに、生物ではなく工学的に制御可能なチップで実験が可能であるため、実験の自動化を容易にする。チップは並列化が容易であるため、複数のチップにおいて同時に観測を行なうことも可能である。
【0040】
また、チップのウエルの容量が極微量であるため、実験に必要な試薬や細胞の量を節約することができ、価格面と環境面からも利点がある。少量しか採取できない細胞や組織、貴重で高価な試薬を用いる際にもウエルの容量が小さいことは効果的である。
【産業上の利用可能性】
【0041】
白血病幹細胞周辺の微小環境を調べることや白血病幹細胞を選別することは、幹細胞の態様解明に強く寄与し、がんの根治研究につながる。肺がんや乳がんなどの固形がんの腫瘍中心部周辺の微小環境を調べることや腫瘍細胞を選別することは、がん細胞の浸潤・転移の態様を解明することに寄与し、がんの本質の研究・転移の抑制などに応用することができる。このように、生体内の微小環境を本発明の細胞選別器において再現し、生体内の微小環境におけるがん細胞の特性や挙動のin vitroでの観察を可能にして細胞の選別を可能にすることで、基礎生物学としての研究対象としてだけでなく、治療、創薬に貢献する可能性を有する。
【符号の説明】
【0042】
2 チップ
3a 第1基板
3b 第2基板
4 ウエル
5a,5b 溝
6 ウエル底面
8 マトリックス
10 骨片
12 破骨細胞