【国等の委託研究の成果に係る記載事項】(出願人による申告)平成22年度、科学技術振興機構、戦略的国際科学技術協力推進事業、平成21年度、文部科学省、科学技術試験研究委託事業産業技術力強化法第19条の適用を受ける特許出願
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
脳型回路などの応用を指向したシナプス動作をする素子としては、従来、イオン拡散材料中におけるイオン注入領域を制御することで電極間の伝導度を連続的に変化することが可能な素子「メムリスター」が知られている(非特許文献1)。イオン拡散材料とは、材料を構成する、ないし、不純物として注入された金属イオンや酸素イオンなどが電界によって材料中を拡散することが可能な材料である。イオン拡散材料では、イオン濃度に依存して材料の電気伝導度が変化することが知られている。イオン拡散材料の特徴を利用した「メムリスター」は例えば、酸化チタンを金属電極で挟んだ2端子構造によって実現することができる(非特許文献2)。この例では、酸化チタンがイオン拡散材料であり、酸化チタン中の酸素イオンが拡散する。酸化チタン内部には酸素イオンが欠損した酸素空孔が存在し、酸素空孔濃度が上昇するほど電気伝導度が高くなることが広く知られている。この酸化チタンを用いた「メムリスター」では、一方の電極に正の電圧を印加し、もう一方の電極を接地すると、正に帯電した酸素空孔は接地した電極側に向かって拡散する。この結果、接地した電極側で酸素空孔の濃度が上昇する。すなわち、伝導度の高い領域が形成される。この酸素空孔濃度(電気伝導度)の高い領域は、酸素空孔拡散に必要な電圧を電極に印加する限り変化する。電圧の印加を止めると、その領域は保持される。
【0003】
また、逆極性の電圧を印加することで、酸素空孔を逆向きに拡散させることで高伝導度領域を減少させる(電極間の伝導度を下げる)ことも可能である。このような特徴から、「メムリスター」は過去の入力信号の情報を記憶可能な不揮発性素子として、その応用が期待されている。
【0004】
このような特徴を有する素子は「メムリスティブ接合部」と呼ばれることもある(特許文献1)。メムリスティブ接合部のコンダクタンス(伝導度)は、現在印加されている電圧と、且つ先行する時間間隔にわたって印加される電圧の履歴とに依存する。電圧印加によってコンダクタンスを変化させることで、メムリスティブ接合部にシナプス動作をさせる方法が開示されている。なお、「メムリスター」ないし「メムリスティブ接合部」では、電圧を印加しない限り、コンダクタンス(伝導度)は変化しない。このため、シナプス動作の特徴である結合強度(伝導度)の時間変化を実現するためには、精密にプログラムされた電圧を印加する必要があった。
【0005】
一方、シナプス動作の特徴である結合強度(伝導度)の時間変化を電圧の印加無しで再現する素子としては、例えば、伝導度が時間減衰を示すダイオード(特許文献2)が知られている。この例では、一定以上の高い電圧を印加した際に高い伝導度が一時的に得られること、さらには、その高い伝導度が電圧印加を止めたあとも一分程度保持されることが示されている。また、電圧印加後に伝導度が減少する方法としては、抵抗(R)とコンデンサー(C)を組み合わせたCR回路が知られている。CR回路では電圧印加に伴う電荷蓄積の際に一時的に伝導度の高い状態が実現され、蓄積電荷の放出によって伝導度が減衰する。その時定数が(1/CR)となることが知られている。なお、これらの素子ないし回路では、伝導度の減衰が必ず起こるという特徴がある。
【0006】
上記「メムリスター」では、電圧の印加によって電極間の伝導度を変化させていた。すなわち、伝導度の変化は電圧を印加しているときのみ起こる。
【0007】
一方、人間の脳ではニューロンなどからの入力信号の大きさや入力頻度に依存してシナプスの結合強度が時間変化する。たとえば、入力信号の強度とその入力回数が同じであっても、入力の頻度が高ければ長時間持続する高いシナプス結合強度が得られ、入力の頻度が低ければ入力の度に一時的に結合強度が増すものの、直ちに結合強度の減衰が起こり、その結合強度は持続しない。脳科学では、信号入力が終わったあとでも高い結合強度が持続される状態を長期増強モードと呼び、信号入力によって一時的にのみ結合強度が増す(信号入力後に結合強度が減衰する)状態を短期可塑性モードと呼ぶ。
【0008】
この特徴によって、人間の脳は情報の入力頻度が高いほど、より少ない入力回数で確実に記憶をする。一方、入力頻度が低ければ曖昧な記憶しか形成されず、入力された情報をいずれ忘却する。この脳の特徴を模倣した脳型回路を実現するためには、信号の入力頻度に依存して長期増強モードと短期可塑性モードを示すシナプス動作素子が不可欠である。すなわち、電圧印加(信号入力)によって電極間の伝導度(シナプスの結合強度)が変化することはもちろん、伝導度が一定の値(閾値)以下の場合には、電圧印加後の電圧印加が無い状態でも伝導度が減衰する短期可塑性モードを再現する必要がある。一方、伝導度が閾値以上に到達した場合には、電圧印加が無い状態では伝導度が保持される長期増強モードが再現される必要がある。繰り返せば、入力頻度が低ければ、信号入力が終わると同時に電気伝導度の減少が起こり、最終的には初期の電気伝導度に戻り、入力頻度が高ければ、閾値以上の高い電気伝導度が実現され、その閾値以上の高い電気伝導度が長期間保持される、といった特徴を有するシナプス動作をする素子が不可欠である。
【発明を実施するための形態】
【0015】
本発明では、イオン拡散材料電極と金属電極とをナノスケールの間隙を持って配置する。
【0016】
例えば、イオン拡散材料として硫化銀(Ag
2S)を、金属として白金(Pt)を用いることができる(
図1a)。硫化銀電極に正の電圧(V1)を印加すると、トンネル効果によって金属電極から硫化銀電極に電子が供給される。この電子によって硫化銀電極内の銀イオンが還元されて中性の銀原子となって硫化銀電極の表面に析出してくる。このとき例えば、正の電圧(V1)が100mV以下で、印加時間が1秒以下の場合、析出した銀原子は、硫化銀電極表面に突起を形成する(
図1b)。すなわち、電極間の伝導度は間隙のサイズが小さくなるほど高くなるので、この突起の成長により、電極間の伝導度は高くなる。
【0017】
次に、印加電圧を十分小さな値(V2)にすると、析出した銀原子が硫化銀表面上を拡散したり、析出によって減少した硫化銀電極内部の銀イオン濃度を補償するために硫化銀内部に再固溶する(
図1c)。その結果、形成された銀突起のサイズは小さくなり、電極間の伝導度は小さくなる。この十分小さな電圧値(V2)を印加する時間が長ければ、析出した銀原子が全て無くなり、伝導度は初期の値に戻る。なお、十分小さな電圧値:V2は、ゼロでも良いし、その極性は正負のいずれでも良い。イオン拡散材料として硫化銀を用いる場合は、V2として、概ね10ミリボルト以下の電圧値を用いることが望ましいが、その値は用途に依存する。次に、再び硫化銀電極に正の電圧(V1)を印加すると、硫化銀電極から析出した銀原子によって突起が形成される(
図1d)。
【0018】
その後、硫化銀電極に印加する電圧を十分小さな値(V2)に戻すと、突起を構成する銀原子の一部(ないし、全て)が拡散や再固溶によって消失し、突起が小さく(ないし、無く)なる(
図1e)。さらに再び正電圧(V1)を硫化銀電極に印加すると、成長した突起が対向する白金電極に到達し、架橋を形成する(
図1f)。一旦架橋が形成されると、印加電圧を十分小さな値(V2)に下げても、架橋は安定に存在する(
図1g)。すなわち、電極間の高い伝導度が保持される。
【0019】
なお、上記では、正の電圧としてV1を、十分小さな電圧値としてV2を用いたが、印加する電圧値は毎回同じである必要は無い。
【0020】
本発明は、硫化銀電極の表面に形成された銀原子による突起が、銀原子の表面拡散や再固溶によって小さくなるということ、さらに、突起が成長して一旦架橋が形成されるとその架橋は安定に存在する、という発見に基づいている。すなわち、この新たに見いだされた物理・化学現象によって、信号の入力強度や入力頻度に依存した伝導度の時間変化を示す「シナプス動作素子」を実現した。
【実施例1】
【0021】
図2により、
図1に示した「シナプス動作素子」の動作結果の一例を説明する。この実施例では、イオン拡散材料として硫化銀を、金属電極材料として白金を用いた。硫化銀電極に印加する正の電圧(V1)として、大きさ80mV、幅0.5秒のパルス電圧を用いた。このパルス電圧を2秒間隔で入力し、それ以外の間、10mVの電圧を硫化銀電極に印加して、電極間の伝導度を測定した。パルス印加前の伝導度はほぼゼロSであった。なお、S(ジーメンス)は伝導度の単位で、1S=1/Ωとなる。最初の2パルスまでは、パルス電圧を印加している間のみ、伝導度がわずかに増加していることが分かる。さらに、3発目のパルス印加では、パルス印加とともに伝導度が40μS近くまで上昇し、パルス印加が終わると同時に10μS程度の伝導度の減衰が起こっている。4発目のパルスでは、伝導度は一時的に100μS程度まで上昇し、その後、減衰している。5発目、6発目のパルス印加時も同様なパルス印加に伴う伝導度の上昇と、印加終了に伴う伝導度の減衰が観測されている。ところが、7発目のパルス印加で80μS程度まで上昇した伝導度はパルス印加後も減衰すること無く、80μS程度の伝導度を保持していることが分かる。
【0022】
以上の結果は、硫化銀電極と白金電極で構成したシナプス動作素子が、約80μSの伝導度に達するまではパルス電圧印加後に伝導度の減衰を示し、伝導度が約80μSに達した後は、その伝導度を保持することを示している。すなわち、脳型回路を実現する上で不可欠な短期可塑性と長期増強が達成されている。なお、約80μSの伝導度は、接合点が一原子で構成された金属架橋の伝導度(理論的には、77.5μSになることが指摘されている)に対応しており、析出した銀原子によって形成された突起が白金電極に到達する(架橋を形成する)ことによって安定化することに起因していることが分かった。また、4発目から6発目のパルス印加時にも約80μSを超える伝導度が一時的に観測されているが、その後減衰している。この理由は、銀原子の析出によって一時的に突起が白金電極に到達するものの、突起内で銀原子が安定な原子配列に落ち着く過程で架橋が切断されるためであることが分かった。この原子配列の移動は概ね数秒以内で起こることから、数秒以上にわたって約80μSの伝導度が保持されている場合は、シナプス動作素子が長期増強モードに入ったことになる。
【0023】
以上の例では、大きさ80mV、幅0.5秒のパルス電圧を用いたが、パルス電圧の大きさや幅は変更可能である。長期増強モードに入るまでのパルス数などのパルス電圧の大きさやパルス幅依存性については、以降の実施例で改めて説明する。
なお、本実施例では、十分小さな電圧として10mVを用いた。極性的には白金電極から硫化銀電極に電子が供給され、硫化銀電極から銀の析出が起こってもよいが、電圧が十分に小さいため、本実施例における観測時間のスケールでは、銀析出が起こっていない。また逆に、銀原子が固溶すべき極性の電圧ではないことから、この10mVの電圧印加によって、銀原子の固溶、すなわち、伝導度の減衰が起きた訳でもない。
【実施例2】
【0024】
本実施例では、パルス電圧を印加する時間間隔が長い場合のシナプス動作素子の伝導度変化について説明する。実施例1と同様、硫化銀電極と白金電極からなるシナプス動作素子を用いた。また、大きさ80mV、幅0.5秒のパルスを、20秒間隔で硫化銀電極に印加した。それ以外の間、10mVの電圧を印加して、伝導度の測定を行った。この測定結果を
図3に示す。最初の3パルス目まではパルス印加の間のみ、わずかな伝導度の上昇が確認できる。4発目のパルス印加では、伝導度が瞬間的に77.5μSを超えたものの、パルス印加終了とともに、伝導度がほぼゼロSに戻っている。これ以降、5発目から12発目のパルス印加でも、パルス印加に伴う伝導度の上昇とパルス印加終了に伴う伝導度の減衰が観測された。減衰後の伝導度はパルス数の増加に伴って20μS程度まで高くなったものの、減衰を示さない安定的な伝導度(77.5μS)まで到達することは無かった。
【0025】
以上の観測結果を、
図4を用いて説明する。本実施例では、イオン拡散材料として硫化銀(Ag
2S)を、金属として白金(Pt)を用いてシナプス動作素子が形成されている(
図4a)。硫化銀電極に正の電圧(V1)を印加すると、トンネル効果によって金属電極から硫化銀電極に供給された電子が硫化銀電極内の銀イオンを還元する。その結果、銀原子が硫化銀電極の表面に析出し、突起を形成する(
図4b)。次に、印加電圧を十分小さな値(V2)にすると、析出した銀原子の硫化銀表面上での拡散や、硫化銀内部への再固溶が起こる。その結果、突起のサイズは小さくなり(
図4c)、20秒経過の間に殆ど消失する(
図4d)。その後再びパルス電圧が印加されると、銀原子の析出が起こり、銀突起が成長する(
図4e)。パルス印加後は、再び、析出した銀原子の硫化銀表面上拡散や硫化銀内部への再固溶による銀突起サイズの縮小化(
図4f)が起こり、突起がほぼ消滅する(
図4g)。パルス電圧を印加すると、再び銀突起の成長が起こり(
図4h)、パルス印加後は銀突起のサイズ縮小・消滅が起こる。パルス印加の頻度が低い場合には、次のパルス入力までの間に銀突起がほぼ消滅してしまうので、安定的な架橋形成(長期増強モード)には至らない。
【0026】
なお、本実施例ではパルス印加間隔を20秒に設定したが、パルスの大きさや幅に依存して、長期増強モードに至らない条件は変化する。また、パルス間隔やパルスの大きさ・幅が一定である必要は無い。
【実施例3】
【0027】
本実施例では、短期可塑性と長期増強を利用した画像記憶について説明する。シナプス動作素子が有する短期可塑性ならびに長期増強を利用すると、頻繁に入力される情報のみを選択的に記憶することが可能になる。
図5を用いて、その原理を説明する。
人間の記憶モードには、信号が入力されている間だけわずかに反応する「感覚記憶」と、信号入力後も情報を記憶するが、その記憶レベルが時間とともに減衰してしまう「短期記憶」、さらには、長期にわたって記憶レベルが保たれる「長期記憶」がある。
図5aでは、情報の入力が頻繁では無い場合のシナプス動作素子の記憶過程が示されている。すなわち、最初の情報入力では、感覚記憶が実現されている。次の情報入力では、記憶レベルの顕著な上昇がみられるが、情報入力の終了に伴って記憶レベルが減衰し、記憶レベルはほぼゼロに戻っている。さらに次の情報入力でも一時的な記憶レベルの上昇が確認されるが、情報入力の終了に伴う記憶レベルの減衰によって情報は消失する。この様子は、
図2に示したシナプス動作素子の動作に対応している。
【0028】
一方、情報の入力頻度が高い場合は、長期記憶が実現される(
図5b)。すなわち、始めの数回の情報入力では、感覚記憶が実現される。それに続いて、短期記憶が実現される。このとき、次の情報入力までの時間が短ければ記憶が完全に減衰してしまうことはない。従って、入力情報のレベルが同じであっても、次の情報入力によって到達する記憶レベルは高くなる。その結果、記憶レベルは長期記憶モードのレベルに到達する。一旦長期記憶モードに到達すると、記憶を消去するためには、強制的な忘却を実行するための電圧を印加する必要がある。例えば硫化銀電極を用いたシナプス動作素子であれば、硫化銀電極に負の電圧を印加する必要がある。
【0029】
以上の説明では、いずれの場合でも始めに感覚記憶が観測されているが、入力信号(電圧)の大きさによっては、始めから短期記憶や長期記憶が実現されることもある。
図6を用いて、複数のシナプス動作素子で構成された画像記憶チップに、入力頻度を変えて2つの画像を記憶させた場合の実施結果を説明する。この実施例では、49個のシナプス動作素子を用いて、7×7のアレーを構築した。
図6aに示す様に、「1」を記憶すべき各記憶画素(シナプス動作素子)に対しては、頻度高く(2秒毎に)信号を入力した。一方、「2」を記憶すべき各記憶画素(シナプス動作素子)に対しては、頻度低く(20秒毎に)信号を入力した。なお、信号はいずれも、パルス大きさ:80mV,パルス幅:0.5秒で、入力回数は10回である。信号入力後の記憶状態を
図6bに示す。濃淡で記憶レベルを示してある。10回の画像入力直後は、「1」および「2」の画像がほぼ同等の記憶レベルで保持されていることがわかる(
図6b左側)。しかし20秒後には、「2」に対応する記憶画素(シナプス動作素子)の記憶レベルが減衰し、「1」のみが鮮明に観察されている(
図6b右側)。その後も「1」に対応する記憶画素(シナプス動作素子)の記憶レベルは保持された。
【0030】
以上の様に、本発明を用いると、回数や強度が同じ信号を入力しても、その頻度によって異なる記憶状態を実現することができる。なお、後の比較例で説明するが、従来素子である「メムリスター」では、過去の入力情報を積分して記憶するが、記憶の減衰は起こらないので、同じ実験を行った場合、「1」と「2」は同じ記憶レベルで記憶されることになる。
【実施例4】
【0031】
本実施例では、長期記憶(長期増強)モードに到達するに必要な入力条件、長期記憶(長期増強)モードの安定性、ならびに短期記憶(短期可塑性)モードにおける記憶レベルの減衰率について説明する。
図7に、入力(パルス電圧)の条件を変数とした長期記憶(長期増強)モードが実現されるに必要なパルス数を示す。なお、本実施例では、イオン拡散材料として硫化銀を、金属電極材料として白金を用いた。
図7aに示す実施例では、パルス幅を0.5秒、入力間隔を2秒に固定し、パルスの大きさを60mVから90mVに変化させた。パルスの大きさが60mVの場合には長期記憶モードには殆ど到達しないことが分かる。しかし70mVでは、パルス入力数が6程度から長期記憶(長期増強)モードに到達するシナプス動作素子が現れ始め、入力パルス数の増加とともにその確率も高くなることが分かる。80mVでは、パルス入力数5で到達確率は50%を超えている。90mVでは入力数3で、到達確率は80%を超えるまでになっている。このように、入力パルスのわずかな条件の差によって、長期記憶(長期増強)モード到達に必要なパルス数が変化することがわかる。
【0032】
図7bに示す実施例では、パルスの大きさを80mVに入力間隔を2秒に固定し、パルス幅を0.125秒から1秒に変化させて、長期記憶(長期増強)モードに到達するまでの入力パルス数を測定した。パルス幅が0.125秒では、長期記憶(長期増強)モードに到達するシナプス動作素子は殆ど無かった。パルス幅を0.25秒にすると、入力パルス数5程度から長期記憶(長期増強)モードに到達するシナプス動作素子が現れ始め、入力数が10回を超えると、殆どのシナプス動作素子が長期記憶(長期増強)モードに到達した。さらにパルス幅を拡げると、長期記憶(長期増強)モードに到達する入力回数は減少し、パルス幅1秒では、入力数4で殆どのシナプス動作素子が長期記憶(長期増強)モードに到達した。
【0033】
上記では、パルスの大きさ、ないしパルスの幅を変数として長期記憶(長期増強)モードに到達するパルス数を測定したが、入力間隔を変数としても良い。すなわち、入力間隔が短ければ少ないパルス数で長期記憶(長期増強)モードに到達できるし、入力間隔が長ければ、必要なパルス数は増加する。
【0034】
次に、長期記憶(長期増強)モードの安定性について説明する。
図8に、長期モードに到達したシナプス動作素子の伝導度の時間変化を示す。時刻ゼロにおいて100mV、0.5秒幅のパルスを入力した結果、シナプス動作素子の伝導度が約300μSに到達した。図中に示す4×G
0は、1個の原子で接合した架橋の伝導度(77.5μS):1×G
0を単位とした場合の伝導度であり、4×G
0は数個の原子で接合が形成されていることに対応する。電極間に5mVの電圧を印加して伝導度の時間変化を測定した結果、2万秒にわたって伝導度が保持されていることが分かった。これは、短期記憶(短期可塑性)モードにおいては、数秒で記憶レベルが減衰してしまうことと対称的である。
【0035】
次に、短期記憶(短期可塑性)モードにおける記憶レベルの減衰について説明する。
図9に、各信号入力後に観測された記憶モード減衰率(減衰をt
−mで現した場合の時定数:m、なお、tは時間)を示す。この測定では、入力として、電圧値80mV、0.5秒幅のパルス電圧を用いた。1回目の入力後の減衰率は0.32であったが、入力回数が多くなるにつれて、減衰率が小さくなり、4回目の入力後には減衰率が0.16になっている。これは、シナプス動作素子が過去の入力情報にも依存してその記憶レベルを減衰させる(減衰率が変化する)ことを意味している。
【0036】
記憶レベルの減衰を再現する方法としては、コンデンサー(容量:Cファラッド)と抵抗(抵抗値:Rオーム)を併用する方法がある。しかしながら、この場合の減衰率は1/CRと一定であり、減衰率は入力頻度や入力信号の大きさなどに依存しない。さらには、記憶レベルがどんなに高くとも、そのレベルを保持することは出来ない。このため、本発明によるシナプス動作素子が示す様な、短期記憶(短期可塑性)や長期記憶(長期増強)の双方を再現することはできない。すなわち、人間の脳における記憶や演算、情報処理の特徴を再現することはできない。
【0037】
本比較例では、従来の「メムリスター」を用いた記憶の保持実験について説明する。メムリスターはイオン拡散材料中におけるイオン濃度分布を制御することで、イオン拡散材料を挟む電極間の伝導度を変化させる素子である。例えば、酸化チタンを白金電極で挟み、一方の電極を接地、もう一方の電極に電圧を印加する。このとき、正の電圧を印加すると、電圧を印加している間、酸素空孔が接地電極側に拡散する。酸化チタンは酸素空孔濃度が上昇すると伝導度が高くなることが知られており、酸素空孔の拡散によって酸素空孔濃度が高い領域(w)が広がることで、電極間の伝導が高くなる。
図10にその様子を示す。例えば、電圧を0Vと1Vの間で走査すると、電圧は常に正の領域にあるので、接地電極側への酸素空孔の拡散がおこる。このため、走査中も含めて、走査する度に、伝導度の上昇がみられる。図中1,2,3は走査回数を示す。一方、負の電圧を印加すると、酸素空孔は反対側に拡散し、酸素空孔濃度の高い領域が小さくなる。この反対側への拡散も負の電圧領域を走査している間起こるので、走査中、ならびに走査の度毎に、伝導度の減少が起こる。なお、
図10では、電圧と電流の関係が示されているが、(電流/電圧)が伝導度に対応する。
【0038】
以上の特徴を有するメムリスターを用いて記憶状態に関する測定を行った結果を
図11に示す。
図11aに示す測定では、200mV、0.5秒幅のパルスを2秒間隔で入力した。その結果、各パルスの入力時に記憶レベルの上昇が観測されたが、各パルスの入力後は、一定の記憶レベルが保持された。この結果は、メムリスターが不揮発性記憶素子として利用されていることとも一致する。
図11bに示す測定では、パルスの大きさや極性を変化させてみた。その結果、パルスの大きさに依存して記憶レベルの変化量が異なること、逆向きのパルスを入力すると記憶レベルが下がることが分かった。しかしながら、各パルスの入力の間はやはり、記憶レベルは一定に保たれていた。このように、メムリスターを用いた場合、信号入力によって記憶レベルを変化させることは可能であるが、電圧を印加しない(十分小さい電圧の印加を含む)状態では記憶レベルの減衰は起こらないため、いわゆる短期記憶(短期可塑性)モードは実現することができない。人間の脳においては、短期記憶(短期可塑性)モードと長期記憶(長期増強)モードの双方があることが特徴であり、メムリスターではその特徴が再現できないことがわかる。
【実施例5】
【0039】
本実施例では、イオン拡散材料として硫化銀以外の材料を用いたシナプス動作素子の動作特性について説明する。
【0040】
まず、イオン拡散材料として硫化銅を用いたシナプス動作素子の動作特性について説明する。パルス幅にも依存するが、硫化銅では、概ね200mV以下の電圧を用いることで、短期記憶(短期可塑性)と長期記憶(長期増強)を実現することが出来る。
図12に、パルス幅0.5秒、入力間隔2秒の場合における、長期記憶(長期増強)モードに到達するに必要なパルス数の計測結果を示す。なお、パルスの大きさとして、50mV,100mV,150mV,200mVを用いた。パルス電圧の大きさが50mVの場合は、殆ど長期記憶(長期増強)モードが実現されることは無かったが、100mV、150mVと電圧値を大きくするに従い、長期記憶(長期増強)モードに到達するシナプス動作素子の割合が増え、200mVでは、パルス数4で半数以上のシナプス動作素子が長期記憶(長期増強)モードに到達し、パルス数10では殆どのシナプス動作素子が長期記憶(長期増強)モードに到達した。
【0041】
なお、硫化銀をイオン拡散材料に用いた場合と比べて用いるパルスの電圧値が大きいが、これは硫化銅内部の銅イオンが還元されて銅原子として析出する際の活性化エネルギーが、硫化銀中の銀イオンが銀原子として還元される際の活性化エネルギーよりも高いことにおもに起因している。このほか、セレン化銀やセレン化銅などのセレン化合物、ヨウ化銀やヨウ化銅、ヨウ化ルビジウムなどのヨウ化物、さらには、それらの化合物など、還元反応によって金属原子の析出が可能な電子・イオン混合伝導体材料であれば、本発明を実施することができる。
【0042】
次に、イオン拡散材料として高分子材料を用いたシナプス動作素子の動作特性を説明する。
図13に、イオン拡散材料として銀イオンを内包するポリエチレンオキシドを用いたシナプス動作素子の動作特性を示す。イオン拡散材料として硫化銀を用いた場合と同様、ポリエチレンオキシド電極と金属電極間には間隙を設けてある。正の電圧をポリエチレンオキシド電極に印加することでポリエチレンオキシド中の銀イオンを還元して析出、銀突起を形成する。なお、ポリエチレンオキシドを用いる場合、入力するパルスの幅や入力間隔にも依存するが、概ね、パルス電圧値として、100mVから1V程度の範囲で短期記憶(短期可塑性)と長期記憶(長期増強)の各モードを実現することができる。
【0043】
図13に示す通り、200mVでは、長期記憶(長期増強)モードに到達させるには、10回以上のパルス入力が不可欠である。一方、400mVでは、4回程度から長期記憶(長期増強)モードに到達するシナプス動作素子が現れ始め、10回程度ではおよそ半数のシナプス動作素子が長期記憶(長期増強)モードに到達した。さらに電圧を大きくすると、長期記憶(長期増強)モードに到達するに必要なパルス数は減少し、800mVでは、7回でほぼすべてのシナプス動作素子が長期記憶(長期増強)モードに到達することが分かった。
【0044】
このほか、金属イオンを内包可能で、電圧印加によって内包イオンが拡散可能な高分子固体電解質であれば、それらをイオン拡散材料として用いることでシナプス動作素子の動作を実現できる。また、本実施例では、予め銀イオンをポリエチレンオキシドに内包させたが、ポリエチレンオキシドを銀基板上に形成し、電圧印加によってポリエチレンオキシド中に取り込むことも可能である。この方法は、他の高分子固体電解質にも適用できる。銅などの銀以外の金属を用いることができることも言うまでもない。
【実施例6】
【0045】
本実施例では、短期可塑性モードと長期増強モードを分ける閾値について説明する。本発明は、硫化銀電極の表面に形成された銀原子による突起が、銀原子の表面拡散や再固溶によって小さくなるということ、さらに、突起が成長して一旦架橋が形成されるとその架橋は安定に存在する、という発見に基づいている。従って、短期可塑性モードと長期増強モードとを分ける閾値(伝導度)は、架橋が形成されているか否かを分ける値となる。その値は、電極材料や温度、さらにはシナプス動作素子の過去の動作履歴などに依存するが、詳細な調査の結果、閾値が、50μSから200μSの範囲内にあることが分かった。なお、閾値は電極との接合点が原子一個ないし二個で形成された金属架橋の伝導度であり、例えば、原子一個で接合点が形成された金属架橋の伝導度は、理想的には77.5μS(マイクロジーメンス)である。実際の伝導度は、架橋を形成する原子の配列や架橋を形成する原子の種類(元素)にも依存するので、閾値に分布があることが分かった。すなわち、同一のシナプス動作素子であっても、条件によって、閾値は50〜200μSの間で変わり得るということである。
【0046】
図14に、イオン拡散材料として硫化銀を用いた場合の伝導度の時間変化に関する測定結果の一例を示す。
図14(a)では、大きさ80mV、幅0.5秒のパルスを、20秒間隔で12回入力し、12回入力直後の伝導度と、入力後20秒経過した時点での伝導度を測定した。12回入力直後の伝導度が130μS以下では、殆どの場合、20秒経過後に伝導度が小さくなっており、概ね、短期可塑性モードにあることが分かる。一方、12回入力直後の伝導度が165μS以上では、20秒経過後も伝導度が保持されており、長期増強モードにあることが分かる。すなわちこの測定では、閾値は150μS程度となっている。
図14(b)に、大きさ80mV、幅0.5秒のパルスを、2秒間隔で12回入力した場合の測定結果を示す。この測定例では、12回入力直後の伝導度が77.5μS以下でも伝導度が保持される(長期増強モードにある)場合がある一方で、12回入力直後の伝導度が100μS以上でも、伝導度が減衰する(短期可塑性モードにある)場合があることがわかる。
【0047】
以上の結果は、本発明に基づく閾値がある幅をもって分布していることを示しているが、閾値に幅があっても、シナプス動作素子を脳型回路に用いることになんら不都合は無い。それどころか、曖昧さは脳の特徴でもあり、本発明に基づくシナプス動作素子が脳の特徴をより忠実に再現できることを示している。