特許第5709881号(P5709881)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許5709881オーステナイト系高Mnステンレス鋼およびその製造方法と、その鋼を用いた部材
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5709881
(24)【登録日】2015年3月13日
(45)【発行日】2015年4月30日
(54)【発明の名称】オーステナイト系高Mnステンレス鋼およびその製造方法と、その鋼を用いた部材
(51)【国際特許分類】
   C22C 38/00 20060101AFI20150409BHJP
   C22C 38/58 20060101ALI20150409BHJP
   C21D 8/00 20060101ALI20150409BHJP
   F16J 12/00 20060101ALI20150409BHJP
   F16L 9/02 20060101ALI20150409BHJP
【FI】
   C22C38/00 302A
   C22C38/58
   C21D8/00 E
   F16J12/00 C
   F16L9/02
【請求項の数】13
【全頁数】22
(21)【出願番号】特願2012-536611(P2012-536611)
(86)(22)【出願日】2011年9月29日
(86)【国際出願番号】JP2011073030
(87)【国際公開番号】WO2012043877
(87)【国際公開日】20120405
【審査請求日】2014年5月14日
(31)【優先権主張番号】特願2010-219396(P2010-219396)
(32)【優先日】2010年9月29日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】503378420
【氏名又は名称】新日鐵住金ステンレス株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100099759
【弁理士】
【氏名又は名称】青木 篤
(74)【代理人】
【識別番号】100077517
【弁理士】
【氏名又は名称】石田 敬
(74)【代理人】
【識別番号】100087413
【弁理士】
【氏名又は名称】古賀 哲次
(74)【代理人】
【識別番号】100113918
【弁理士】
【氏名又は名称】亀松 宏
(74)【代理人】
【識別番号】100140121
【弁理士】
【氏名又は名称】中村 朝幸
(74)【代理人】
【識別番号】100111903
【弁理士】
【氏名又は名称】永坂 友康
(72)【発明者】
【氏名】秦野 正治
(72)【発明者】
【氏名】福元 成雄
(72)【発明者】
【氏名】藤井 秀樹
(72)【発明者】
【氏名】大宮 慎一
【審査官】 瀧澤 佳世
(56)【参考文献】
【文献】 国際公開第2004/083477(WO,A1)
【文献】 特開2007−126688(JP,A)
【文献】 特開平07−070700(JP,A)
【文献】 特開2009−030128(JP,A)
【文献】 特開2010−196142(JP,A)
【文献】 秦野正治他,水素エネルギー用低Niオーステナイト系ステンレス鋼の開発,材料とプロセス,日本,社団法人 日本鉄鋼協会,2007年 9月 1日,第20巻,第6号,p.1068-1071
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C22C 38/00
C21D 8/00
C22C 38/58
F16J 12/00
F16L 9/02
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
質量%で、C:0.1%以下、Si:0.4〜1.5%、Mn:8〜11%、Cr:15〜17%、Ni:5〜8%、Cu:1〜4%、Mo:0.05〜0.3%、およびN:0.01〜0.15%未満を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなり、δフェライトの体積率が5%以下、かつδフェライトの長径が0.05mm未満であることを特徴とするオーステナイト系高Mnステンレス鋼。
【請求項2】
質量%で、C:0.1%以下、Si:0.4〜1.5%、Mn:8〜11%、Cr:15〜17%、Ni:6〜8%、Cu:1〜4%、Mo:0.05〜0.3%、およびN:0.15〜0.3%を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなり、δフェライトの体積率が5%以下、かつδフェライトの長径が0.05mm未満であることを特徴とするオーステナイト系高Mnステンレス鋼。
【請求項3】
前記鋼が、さらに、質量%で、Al:0.2%以下、B:0.01%以下、Ca:0.01%以下、Mg:0.01%以下、およびREM:0.1%以下のうちから選ばれる1種または2種以上の元素を含有していることを特徴とする請求項1に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼。
【請求項4】
前記鋼が、さらに、質量%で、Al:0.2%以下、B:0.01%以下、Ca:0.01%以下、Mg:0.045%以下、およびREM:0.1%以下のうちから選ばれる1種または2種以上の元素を含有していることを特徴とする請求項2に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼。
【請求項6】
請求項1に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法であって、質量%で、C:0.1%以下、Si:0.4〜1.5%、Mn:8〜11%、Cr:15〜17%、Ni:5〜8%、Cu:1〜4%、Mo:0.05〜0.3%、およびN:0.01〜0.15%未満を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなる鋼を、1200〜1300℃で1時間以上加熱した後、熱間加工を行い、次いで900〜1300℃で焼鈍してδフェライトを微細化することを特徴とするオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法。
【請求項7】
請求項1に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法であって、質量%で、C:0.1%以下、Si:0.4〜1.5%、Mn:8〜11%、Cr:15〜17%、Ni:5〜8%、Cu:1〜4%、Mo:0.05〜0.3%、およびN:0.01〜0.15%未満を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなる鋼を、1200〜1300℃で1時間以上加熱した後、熱間加工を行い、焼鈍することなく冷間加工した後、900〜1200℃で焼鈍してδフェライトを微細化することを特徴とするオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法。
【請求項8】
前記鋼が、さらに、質量%で、Al:0.2%以下、B:0.01%以下、Ca:0.01%以下、Mg:0.01%以下、およびREM:0.1%以下のうちから選ばれる1種または2種以上の元素を含有していることを特徴とする請求項6または7に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法。
【請求項9】
圧力が0.1〜120MPaの高圧水素ガスを貯蔵する高圧水素用ガスタンクであって、該高圧水素用ガスタンクの容器本体およびライナーの少なくとも一方が、請求項1〜4のいずれか1項に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする高圧水素用ガスタンク。
【請求項10】
液体水素を貯蔵する液体水素用タンクであって、該液体水素用タンクの容器本体およびライナーの少なくとも一方が、請求項1〜4のいずれか1項に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする液体水素用タンク。
【請求項11】
圧力が0.1〜120MPaの高圧水素ガスを輸送する配管であって、該配管が、請求項1〜4のいずれか1項に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする高圧水素用配管。
【請求項12】
圧力が0.1〜120MPaの高圧水素ガスを輸送する配管に連結されるバルブであって、該バルブが、請求項1〜4のいずれか1項に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする高圧水素用バルブ。
【請求項13】
液体水素を輸送する配管であって、該配管が、請求項1〜4のいずれか1項に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする液体水素用配管。
【請求項14】
液体水素を輸送する配管に連結されるバルブであって、該バルブが、請求項1〜4のいずれか1項に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする液体水素用バルブ。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、高圧水素ガスまたは液体水素環境下において良好な機械的性質(強度、延性)を有するオ−ステナイト系高Mnステンレス鋼に関する。
【0002】
また、本発明は、容器本体およびライナーが、耐水素環境脆性に優れたオ−ステナイト系高Mnステンレス鋼からなる、高圧水素ガス用ガスタンクまたは液体水素用タンクに関する。
【0003】
さらに、本発明は、耐水素環境脆性に優れたオ−ステナイト系高Mnステンレス鋼からなる、高圧水素ガスまたは液体水素を輸送する配管に関する。
【0004】
そして、本発明は、耐水素環境脆性に優れたオ−ステナイト系高Mnステンレス鋼からなる、高圧水素ガスまたは液体水素を輸送する配管に連結されるバルブに関する。
【背景技術】
【0005】
近年、地球温暖化の観点から、温室効果ガス(CO、NO、SO)の排出を抑制するために、水素をエネルギ−として利用する技術開発が進んでいる。従来、水素を高圧水素ガスとして貯蔵する際には、厚肉のCr−Mo鋼製のボンベに圧力40MPa程度までの水素ガスを充填していた。
【0006】
しかし、このようなCr−Mo鋼製のボンベは、高圧水素の充填と放出を繰り返すことによって、内圧の変動と水素の浸入により疲労強度が低下するため、肉厚を30mm程度にする必要があり、重量がかさむ。そのため、設備機器の重量増加や大型化が深刻な問題となる。
【0007】
既存のJIS規格のSUS316系オ−ステナイトステンレス鋼(以下、「SUS316鋼」という。)は、高圧水素ガス環境下での耐水素ガス脆性が他の構造用鋼、例えば上記のCr−Mo鋼を含む炭素鋼やJIS規格のSUS304系オ−ステナイトステンレス鋼(以下、「SUS304鋼」という。)と比べて良好であることから、配管用材料あるいは燃料電池自動車の高圧水素燃料タンクライナ−にも使用されている。
【0008】
SUS316鋼は、高価なNiを10%以上、Moを2%以上含有するステンレス鋼である。そのためSUS316鋼は、汎用性と経済性(コスト)に大きな課題がある。
【0009】
また、大量の水素ガスを貯蔵・輸送するためには、水素ガスの圧力を40MPa超とする高圧化と、液体水素の活用が挙げられる。高圧化については、例えば、SUS316鋼製配管を40MPa超の高圧水素ガス環境下で使用するには、現在、肉厚3mmであった配管を6mm厚以上としなければ強度的に耐えられないという事も指摘されている。
【0010】
液体水素の極低温用には、従来、オーステナイト系のSUS304鋼もしくはSUS316鋼が使用されている。液体水素容器についても、液体水素が蒸気となる上層部は低温水素ガス脆性を考慮する必要があるために、耐水素ガス脆性に優れたSUS316鋼を使用することが望ましい。
【0011】
また、近年、燃料電池自動車の導入に先駆けて水素ステーションの公的な試作・実証試験が進行している。大量の水素を液体水素として貯蔵し、液体水素を昇圧して70MPa超の高圧水素ガスとして供給できる水素ステーションも実証段階にある。このような水素ステーションの実用・普及へ移行していく中で、高圧水素ガスと液体水素の両水素環境において使用できる、Ni、Moを低減した安価な金属材料、安価かつ強度の高い金属材料に対するニーズがより一層強くなっている。
【0012】
従来、材料強度を高めた高圧水素ガス用ステンレス鋼として、高窒素含有オーステナイト系ステンレス鋼が知られている。
【0013】
例えば、特許文献1には、N:0.1〜0.5%、Cr:22〜30%、Ni:17〜30%、Mn:3〜30%、V、Ti、Zr、Hfのいずれかを含み、5Cr+3.4Mn≦500Nを満たす高圧水素ガス用ステンレス鋼、および、その鋼からなる容器および機器が開示されている。
【0014】
さらに、特許文献2には、N:0.1〜0.5%、Cr:15〜22%、Ni:5〜20%、Mn:7〜30%、V、Ti、Zr、Hfのいずれかを含み、2.5Cr+3.4Mn≦300Nを満たす高圧水素ガス用ステンレス鋼、および、その鋼からなる容器および機器が開示されている。
【0015】
これら特許文献1および特許文献2に開示されるステンレス鋼は、SUS316鋼と比較して高Cr−高Niを指向している。比較的合金元素の含有量が少ない特許文献2に開示されるステンレス鋼においても、実質的にCr量は17%超、N量は0.25%超でNi、Mn、Mo、Nb等を含有する高合金鋼である。
【0016】
特許文献3には、耐水素環境脆性および耐応力腐食割れ性に優れ、大幅な厚肉大径化に頼ることなく、70MPa以上の高圧水素ガスに適用可能な圧力容器および配管用パイプが開示されている。これらの圧力容器および配管パイプに用いられる鋼は、Cr:15〜20%、Ni:8〜17%、Si:1.3〜3.5%、Mn:3.5%以下、N:0.2%以下の成分組成からなる。
【0017】
特許文献4には、40MPa程度の高圧水素輸送に好適なオーステナイト系ステンレス鋼溶接管として、Cr:14〜28%、Ni:6〜20%、Si:4%以下、Mn:3%以下、N:0.25%以下のステンレス鋼が開示されている。
【0018】
特許文献3および特許文献4に開示されたステンレス鋼は、Si添加、低Mnを特徴とし、Ni量は実質的に9〜15%でSUS316鋼と同程度以上含まれている。
【0019】
本発明者らは、特許文献5において、高い加工率で冷間加工や深絞り加工などのプレス成形ができる加工性を有し、加工後にも歪誘起マルテンサイトを生成せず非磁性が維持されるオーステナイト系高Mnステンレス鋼を提案している。このステンレス鋼は、Ni:6%以下、Mo:0.3%以上の微量添加であり、SUS316鋼と比較して著しく経済性に優れている。
【0020】
さらに、本発明者らは、特許文献6において、低温水素ガス環境への適用を意図した安価あるいは安価かつ高強度の両者を兼備した高圧水素ガス用オーステナイト系高Mnステンレス鋼を提案している。このオーステナイト系高Mnステンレス鋼は徹底した低合金化を追求した結果、Cr:15%未満、Ni:6%以下、N:0.01〜0.4%、0.35%の微量Mo添加を推奨し、オーステナイト安定度の指標Md30を−120〜20の範囲としている。
【0021】
しかし、このオーステナイト系高Mnステンレス鋼は、高圧水素ガスに加えて、液体水素環境までの適応を考慮したものではなく、液体水素の極低温下における材料特性については不明である。
【0022】
従って、上述したように、40MPa超の高圧水素ガスと液体水素の両水素環境において使用できる、安価なステンレス鋼、あるいは、安価かつ強度の高いステンレス鋼は未だ出現していないのが現状である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0023】
【特許文献1】国際公開第WO2004−083476号公報
【特許文献2】国際公開第WO2004−083477号公報
【特許文献3】特開2009−299174号公報
【特許文献4】特開2010−121190号公報
【特許文献5】特開2005−154890号公報
【特許文献6】国際公開第WO2007−052773号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0024】
上記の実情に鑑み、本発明は、40MPa超の高圧水素ガスと液体水素の両水素環境において使用できる、安価なステンレス鋼、あるいは、安価かつ高強度のステンレス鋼を提供することを目的とする。
【0025】
即ち、本発明者らがこれまで検討したオーステナイト系高Mnステンレス鋼において、合金成分と鋼組織が特定条件を満足するように材料設計することにより、高圧水素ガスと液体水素の両水素環境へ適応される安価なステンレス鋼、あるいは、安価かつ高強度のステンレス鋼を提供することを目的とする。
【0026】
なお、本発明の目標とする特性は、高圧水素ガス中での耐水素ガス脆性がSUS316鋼と同等以上、液体水素中での強度・延性バランスがSUS316鋼と同等以上、より好ましくはSUS304鋼と同等以上とする。
【課題を解決するための手段】
【0027】
本発明者らは、前記した課題を解決するために、これまで検討したオーステナイト系高Mnステンレス鋼において、高圧水素ガスと液体水素の両環境下において良好な機械的性質(強度と延性の両立)を実現するために、主要元素であるCr、Mn、Niと微量元素であるMo等で構成される合金成分組成と鋼組織の関係について鋭意研究を行い、下記の新しい知見を得て本発明を完成するに至った。
【0028】
(a)高圧水素ガス環境での耐水素ガス脆性に加えて、液体水素中(温度が20K)でSUS304鋼またはSUS316鋼と同等以上の強度・延性バランスを確保するには、オーステナイト相から加工誘起変態したマルテンサイト相の延性を改善する必要がある。そのためには、Crを15%以上添加する必要がある。また、Niの添加量は、鋼中のN量により異なるものとすることが有効である。製鋼段階において鋼中にNを意図的に添加しない場合、即ち、鋼中のN量が0.01〜0.15%未満の場合には、Niを5%以上添加する必要がある。一方、製鋼段階において鋼中にNを意図的に添加する場合、即ち、鋼中のN量が0.15%以上の場合には、Niを6%以上添加する必要がある。
【0029】
(b)高圧水素ガス中および液体水素中の引張試験で、材料破断は、鋼中に少量残存したδフェライト周辺で、不可避的に混入したオーステナイト生成元素(Ni)が希薄な領域(負偏析領域)を起点として生じることを見出した。このような鋼組織の詳細な解析結果に基づいて、オーステナイト生成元素の負偏析領域を低減することにより、良好な耐水素ガス脆性と液体水素中での強度と延性の両立とを兼備することができる。
【0030】
(c)上述したオーステナイト生成元素の負偏析領域は、X線マイクロアナライザーによる鋼組織を元素分析することにより確認することができる。しかしながら、このような分析は時間と労力を費やすため、ミクロ組織観察から比較的容易に確認できる簡便な評価手法として、鋼中に残存したδフェライトの体積率およびそのサイズとX線マイクロアナライザーによる鋼組織の元素分析結果との相関を検討した。
【0031】
(d)前記した簡便な評価手法とX線マイクロアナライザーによる分析との相関関係から、本発明が目標とする耐水素ガス脆性と液体水素中での強度と延性の両立とを兼備するために、鋼組織中のδフェライト体積率とδフェライトの長径とを所定値以下にすることがよいことを知見した。そして、鋼組織は鋼中のN量で異なることを併せて知見した。
【0032】
(e)規定のδフェライトの体積率とサイズを制御するには、Cr量を17%以下、Mn量を11%以下とすることが有効である。さらに、フェライト生成元素で微量添加元素であるMoの添加量を0.3%以下に低減することが好ましい。Mnは、常温から極低温にかけて、オーステナイト安定化元素として耐水素ガス脆性および液体水素中での強度と延性の両立を改善することに寄与するものの、鋼の凝固と熱間加工温度域では、δフェライトの生成を促進する。
【0033】
(f)δフェライトのサイズを低減するには、前記(a)および(e)で述べた成分組成の限定に加えて、1200℃以上での高温加熱後に熱間加工および焼鈍を繰り返す、あるいは、熱間加工後は焼鈍せず、そのまま冷間加工を施した後に焼鈍して、δフェライトを微細化することが有効である。製鋼段階において鋼中に意図的にNを添加しない場合、即ち、鋼中のN量が0.01〜0.15%未満の場合には、δフェライトのサイズを、その長径で0.05mm未満に低減するのに、1200℃以上に高温加熱して熱間加工および焼鈍を繰り返す、あるいは、熱間加工後は焼鈍せず、そのまま冷間加工を施した後、焼鈍することが特に有効である。一方、製鋼段階において鋼中に意図的にNを添加する場合、即ち、鋼中のN量が0.15〜0.3%の場合には、δフェライトのサイズを、その長径で0.05mm未満に低減するのに、前記(a)で述べたCr、Ni等の成分を調整するだけでよく、1200℃以上に高温加熱して熱間加工および焼鈍を繰り返す、あるいは、熱間加工後は焼鈍せず、そのまま冷間加工した後、焼鈍する、という工程を施さなくてよい。
【0034】
本発明は、上記(a)〜(f)の知見に基づきなされたもので、本発明の要旨は、以下の通りである。
【0035】
(1)質量%で、C:0.1%以下、Si:0.4〜1.5%、Mn:8〜11%、Cr:15〜17%、Ni:5〜8%、Cu:1〜4%、Mo:0.05〜0.3%、およびN:0.01〜0.15%未満を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなり、δフェライトの体積率が5%以下、かつδフェライトの長径が0.05mm未満であることを特徴とするオーステナイト系高Mnステンレス鋼。
【0036】
(2)質量%で、C:0.1%以下、Si:0.4〜1.5%、Mn:8〜11%、Cr:15〜17%、Ni:6〜8%、Cu:1〜4%、Mo:0.05〜0.3%、およびN:0.15〜0.3%を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなり、δフェライトの体積率が5%以下、かつδフェライトの長径が0.05mm未満であることを特徴とするオーステナイト系高Mnステンレス鋼。
【0037】
(3)前記鋼が、さらに、質量%で、Al:0.2%以下、B:0.01%以下、Ca:0.01%以下、Mg:0.01%以下、およびREM:0.1%以下のうちから選ばれる1種または2種以上の元素を含有していることを特徴とする上記(1)に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼。
【0038】
(4)前記鋼が、さらに、質量%で、Al:0.2%以下、B:0.01%以下、Ca:0.01%以下、Mg:0.045%以下、およびREM:0.1%以下のうちから選ばれる1種または2種以上の元素を含有していることを特徴とする上記(2)に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼。
【0040】
(6)上記(1)に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法であって、質量%で、C:0.1%以下、Si:0.4〜1.5%、Mn:8〜11%、Cr:15〜17%、Ni:5〜8%、Cu:1〜4%、Mo:0.05〜0.3%、およびN:0.01〜0.15%未満を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなる鋼を、1200〜1300℃で1時間以上加熱した後、熱間加工を行い、次いで900〜1300℃で焼鈍してδフェライトを微細化することを特徴とするオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法。
【0041】
(7)上記(1)に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法であって、質量%で、C:0.1%以下、Si:0.4〜1.5%、Mn:8〜11%、Cr:15〜17%、Ni:5〜8%、Cu:1〜4%、Mo:0.05〜0.3%、およびN:0.01〜0.15%未満を含有し、残部はFeおよび不可避的不純物からなる鋼を、1200〜1300℃で1時間以上加熱した後、熱間加工を行い、焼鈍することなく冷間加工した後、900〜1200℃で焼鈍してδフェライトを微細化することを特徴とするオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法。
【0042】
(8)前記鋼が、さらに、質量%で、Al:0.2%以下、B:0.01%以下、Ca:0.01%以下、Mg:0.01%以下、およびREM:0.1%以下のうちから選ばれる1種または2種以上の元素を含有していることを特徴とする上記(6)または(7)に記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の製造方法。
【0043】
(9)圧力が0.1〜120MPaの高圧水素ガスを貯蔵する高圧水素用ガスタンクであって、該高圧水素用ガスタンクの容器本体およびライナーの少なくとも一方が、上記(1)〜(4)のいずれかに記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする高圧水素用ガスタンク。
【0044】
(10)液体水素を貯蔵する液体水素用タンクであって、該液体水素用タンクの容器本体およびライナーの少なくとも一方が、上記(1)〜(4)のいずれかに記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする液体水素用タンク。
【0045】
(11)圧力が0.1〜120MPaの高圧水素ガスを輸送する配管であって、該配管が、上記(1)〜(4)のいずれかに記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする高圧水素用配管。
【0046】
(12)圧力が0.1〜120MPaの高圧水素ガスを輸送する配管に連結されるバルブであって、該バルブが、上記(1)〜(4)のいずれかに記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする高圧水素用バルブ。
【0047】
(13)液体水素を輸送する配管であって、該配管が、上記(1)〜(4)のいずれかに記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする液体水素用配管。
【0048】
(14)液体水素を輸送する配管に連結されるバルブであって、該バルブが、上記(1)〜(4)のいずれかに記載のオーステナイト系高Mnステンレス鋼からなることを特徴とする液体水素用バルブ。
【発明の効果】
【0049】
本発明によれば、合金コストや製造コストの上昇を招くことなく経済性に優れ、SUS316系オーステナイトステンレス鋼と同等以上の耐水素ガス脆性と液体水素中での強度と延性を両立する機械的性質とを有する、安価なステンレス鋼、あるいは、安価かつ高強度のステンレス鋼を得ることができる。
【発明を実施するための形態】
【0050】
以下、本発明について詳しく説明する。なお、各元素の含有量の「%」表示は「質量%」を意味する。また、高圧水素ガス中と液体水素中の両環境下での材料特性を、耐水素環境脆性と称する。
【0051】
(A)成分組成の限定理由を以下に説明する。
【0052】
Cは、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼において、オーステナイト相の安定化やδフェライトの生成抑制に有効な元素である。また、Cは固溶強化により材料強度を上昇させる。従って、オーステナイト相の安定度を高めて耐水素環境脆性を向上させるために、0.01%以上添加することが好ましい。一方、Cの過度の添加は、その効果が飽和するとともに、加工誘起マルテンサイト相の強度を上昇させて液体水素環境下の延性を著しく阻害するため、上限を0.1%とする必要がある。好ましくは0.04〜0.08%の範囲である。
【0053】
Siは、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼において、常温から極低温環境でオーステナイト安定度を高めて耐水素環境脆性を向上させる有効な元素である。加えて、本発明の目的である材料強度を上昇させる上でも効果的な固溶強化元素である。これら効果を発現させるために下限は0.4%とする。Siの過度の添加は、δフェライトの生成を助長して本発明の目的である耐水素環境脆性改善を阻害するとともに、シグマ相などの金属間化合物の生成を助長して熱間加工性や靭性の低下も懸念される。そのため、上限を1.5%とする。好ましくは、0.5〜1.0%の範囲である。
【0054】
Mnは、Ni量を低減して、常温から極低温環境でオーステナイト安定度を高めて耐水素環境脆性を向上させる有効な元素である。本発明の目的である経済性向上を達成するには、高価な元素であるNiの添加量を汎用のSUS304鋼よりも少ない8%以下とする必要がある。Niの添加量の減少分を補い、上記の効果を得るためには、Mnの下限は8%とする必要がある。一方、Mnの過度の添加は、δフェライトの生成を促進して本発明の目的である耐水素環境脆性改善を阻害するため、上限を11%とする。好ましくは、9〜10%の範囲である。
【0055】
Crは、ステンレス鋼に要求される耐食性を得るために必須の合金元素である。加えて、液体水素中でSUS304鋼等の既存ステンレス鋼と同等以上の強度・延性バランスを確保するには、上記(a)で述べたようにCrを15%以上添加する。一方、Crの過度な添加は、δフェライトの生成を促進して本発明の目標とする耐水素環境脆性改善を阻害するため、上限を17%とする。好ましくは、15%超〜16%の範囲である。
【0056】
Niは、既存のSUS316鋼でも周知のように、本発明の目標とする耐水素環境脆性を改善させる極めて有効な元素である。上記(a)で述べたように、液体水素中での強度と延性の両立を目標水準に向上させるためには、鋼中のN量によってNiの添加量の下限が異なる。鋼中のN量が0.01〜0.15%未満の場合は、Niの下限を5%とする必要がある。一方、鋼中のN量が0.15〜0.3%の場合は、Niの下限を6%とする必要がある。また、本発明の目的である経済性向上を達成するには、Niの添加量を、汎用のSUS304鋼よりも少ない8%以下とする。本発明が目標とする耐水素環境脆性改善と材料コスト低減の観点から、Niの上限は7%とすることが好ましい。
【0057】
Cuは、MnやNiと同様にオーステナイト安定化元素であり、本発明が目標とする耐水素環境脆性の改善に有効な元素である。Cuは鋼中に固溶してMnとの相乗効果によって常温から極低温でのオーステイト安定度を高め、水素ガス脆性の影響を受けにくい変形組織となる。この効果を得るために、Cuの下限は1%とする。しかし、Cuの過度の添加は、鋼中にCuが析出することにより上記の効果が飽和すること、あるいは、製鋼時のCu汚染や熱間加工性を低下させるおそれもある。そのためCuの上限は4%とする。好ましくは、上記効果と製造性を両立させる観点から、2〜3%の範囲である。
【0058】
Nは、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼において、オーステナイト相の安定化やδフェライトの生成抑制に有効な元素である。これらの効果を得るために、Nの下限は0.01%とする。Nを0.01%未満とするには製鋼コストの負担に加え、鋼のオーステナイト安定度を低下させる。また、Nは固溶強化により材料強度を上昇させるうえで有効な元素である。即ち、Nの添加は冷間加工を施さなくても構造材としての強度を付与できるため、基材の薄肉化および軽量化に有効な手段である。
【0059】
本発明では、材料強度を高めるために、Nによる固溶強化を利用するが、製鋼段階において鋼に意図的にNを添加せず、鋼中に存在するNで固溶強化する場合と、製鋼段階で鋼に意図的にNを添加して固溶強化する場合とに分けて説明する。
【0060】
製鋼段階で鋼に意図的にNを添加しない場合、鋼中のN量は0.01〜0.15%未満となる。一方、製鋼段階で鋼に意図的にNを添加する場合、鋼中のN量は0.15〜0.3%となる。0.3%を超えるNの添加は、工業的な通常の溶製プロセスにおいて困難であり、製鋼コストの大幅な上昇に加え、耐水素環境脆性改善を阻害する。上記効果と製造性を両立させる観点から、意図的にNを添加する場合のN量の上限は、0.25%とすることが好ましい。
【0061】
Moは、耐食性の向上に極めて有効な元素であるが、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼において、オーステナイト相の安定化やδフェライトの生成を促進する。本発明の目的である耐水素環境脆性を改善するために、δフェライトの体積率を低減させることが有効であり、Moの含有量を低減することによるδフェライト体積率低減効果は大きい。従って、Moの上限は0.3%とすることが好ましい。一方、Moは溶解原料であるスクラップから不可避的に混入する元素である。Moの過度の低減は、溶解原料の制約を招くことにより、製造コストの上昇に繋がる。従って、上記効果と製造性を両立させる観点から、Moの下限は0.05%とすることが好ましい。より好ましいMoの範囲は0.1〜0.2%である。
【0062】
Al、B、Ca、Mg、およびREMは、脱酸作用、熱間加工性および耐食性の向上に対して有効な元素であるため、必要に応じて、これらのうちから選んだ1種また2種以上を添加することができる。しかし、これらの元素の過剰な添加は、製造コストの著しい上昇を招く。従って、これらの元素を添加する場合、Al:0.2%以下、B、Ca、およびMgをそれぞれ0.01%以下、REM:0.1%以下とすることが好ましい。なお、N:0.15〜0.3%の場合には、Mg:0.045%以下とすることができる。また、添加する場合の下限は、Al:0.01%、B、Ca、およびMgをそれぞれ0.0002%、REM:0.01%とすることが好ましい。
【0063】
(B)鋼組織の限定理由を、以下に説明する。
【0064】
本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼は、上記(A)で限定した成分組成を有し、高圧水素中と液体水素中での耐水素環境脆性を両立するために、脆化の起点となるオーステナイト生成元素の負偏析領域を低減した鋼組織とする。
【0065】
δフェライトの体積率は、上記(d)で述べたように、鋼中のN量によって異なる。鋼中のN量が0.01〜0.15%未満の場合には、δフェライトの体積率は10%以下である。ただし、1200℃以上に高温加熱して熱間加工および焼鈍を繰り返す、あるいは、熱間加工後は焼鈍せず、そのまま冷間加工した後、焼鈍することにより、δフェライトの体積率を5%以下にすることができる。δフェライトの体積率は小さいほどよく、下限は特に制限されるものではない。ただし、δフェライトの体積率を極端に低くするには、焼鈍工程の時間を長くする必要があり、生産性を低下させることから1.0%を下限とする。一方、鋼中のN量が0.15〜0.3%の場合には、δフェライトの体積率は5%以下であるが、鋼中のN量が0.01〜0.15%のときに施す、1200℃以上に高温加熱して熱間加工および焼鈍を繰り返す、あるいは、熱間加工後は焼鈍せず、そのまま冷間加工した後、焼鈍する工程は不要である。ただし、δフェライトの体積率を極端に低くするには、焼鈍工程の時間を長くする必要があり、生産性を低下させることから0.1%を下限とする。δフェライトの体積率は、例えば、市販のフィッシャー製フェライトメーターで簡便に測定することができる。また、光学顕微鏡観察の画像解析でも求めることができる。
【0066】
δフェライトの長径は、上記(d)で述べたように、鋼中のN量によって異なる。鋼中のN量が0.01〜0.15%未満の場合には、δフェライトの長径は、0.1mm以下である。ただし、1200℃以上に高温加熱して熱間加工および焼鈍を繰り返す、あるいは、熱間加工後は焼鈍せず、そのまま冷間加工した後、焼鈍することにより、δフェライトの長径を0.05mm未満にすることができる。δフェライトの長径は、小さいほどよく、δフェライトの長径の下限は、特に制限されるものではない。しかしながら、鋼中のN量が0.01〜0.15%未満の場合で、1200℃以上に高温加熱して熱間加工および焼鈍を繰り返すこと、あるいは、熱間加工後は焼鈍せず、そのまま冷間加工した後、焼鈍することのいずれも行わない場合には、δフェライトの長径は0.05mmが下限となる。
【0067】
一方、鋼中のN量が0.15〜0.3%の場合には、δフェライトの長径は、0.05mm未満であるが、鋼中のN量が0.01〜0.15%のときに施す、1200℃以上に高温加熱して熱間加工および焼鈍を繰り返す、あるいは、熱間加工後は焼鈍せず、そのまま冷間加工した後、焼鈍する工程は不要である。なお、鋼中のN量が0.15〜0.3%の場合も、δフェライトの長径は、小さいほどよく、特に制限されるものではない。
【0068】
δフェライトの長径は以下の手順で測定することが出来る。先ず、上述したフェライトメーターによる測定から、δフェライト体積率の最も高い領域を特定し、その領域から試料を切り出す。切り出した試料は、樹脂に埋め込んで研磨・エッチングを施し、光学顕微鏡観察に供する。
【0069】
観察視野において、δフェライトの長径は最も大きいものを計測する。高圧水素ガス中および液体水素中での脆化は、上記(b)で述べたように、材料の最も脆弱な領域を起点として発生する。材料の最も脆弱な領域は、上記(d)で述べたように、δフェライトの長径が大きい部位である。従って、δフェライトの長径は、観察・測定した値の中で最も大きな値とする。なお、この観察方法で確認できる最小のδフェライトの長径は、0.005mmである。
【0070】
鋼中のN量が0.01〜0.15%未満の場合、以下に述べる熱間加工後焼鈍、または、熱間加工後そのまま冷間加工した後焼鈍することで、δフェライトの長径を0.05mm未満にする、即ち、δフェライトを微細化することにより、特性が向上する。熱間加工に先立って、溶解・凝固過程で生成したδフェライトを微細化させるには1200〜1300℃の高温で加熱することが好ましい。加熱温度が1300℃超の場合、逆にδフェライトの生成を助長する場合がある。加熱時間は、δフェライトの微細化のため1時間以上とする。加熱時間の上限は特に制限されるものではないが、バッチ炉を使用した際の工業的な生産性を考慮して24時間以下とすることが好ましい。
【0071】
熱間加工は、板、棒、管の形状を製造するために行うもので、加工方法および加工度は、特に制限されるものではない。熱間加工材は、残留したδフェライトの微細化と機械的性質を調整するために900〜1300℃で焼鈍を行う。焼鈍温度が900℃未満であると、熱延材の再結晶が不十分となり好ましくない。一方、1300℃を超えると、結晶粒粗大化により加工特性および極低温での破壊靭性低下を招くため好ましくない。
【0072】
また、板、棒、管の冷間加工材を製造する場合には、熱間加工後、溶体化処理(溶体化焼鈍)を省略して、所定の製品形状に冷間加工を施した後、900〜1200℃で焼鈍することが本発明のδフェライト(オーステナイト負偏析領域)のサイズ(長径)を低減して耐水素環境脆性を改善する観点から好ましい。焼鈍温度が900℃未満であると、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼において再結晶が不十分となり好ましくない。一方、1200℃を超えると、結晶粒粗大化により加工特性および極低温での破壊靭性低下を招くため好ましくない。
【0073】
鋼中のN量が0.15〜0.3%の場合、上記のような、熱間加工後焼鈍、または、熱間加工後そのまま冷間加工した後、焼鈍することなしに、長径が0.05mm未満のδフェライト、即ち、微細化されたδフェライトを得ることができ、特性を向上させることができる。なお、冷間加工の前に焼鈍(溶体化焼鈍)を行うと、δフェライトが成長し、δフェライトの長径を0.05mm未満にすることができず好ましくない。
【0074】
上述した成分組成と鋼組織を満足したオーステナイト系高Mnステンレス鋼は、高圧水素ガスおよび液体水素を貯蔵するタンクの容器本体、またはライナーの構造材として使用することができる。また、高圧水素ガスおよび液体水素用配管、あるいは、高圧水素ガスおよび液体水素用バルブの材料として使用することができる。
【0075】
120MPaを超える圧力容器、配管、バルブ計器類にも、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼を使用することは可能であるが、構造設計上、120MPaを超える圧力仕様は殆ど必要とされていないため、圧力の上限は120MPaとすることが好ましい。また、使用温度の上限は、屋外使用環境において水素ガス充填の温度上昇により想定される80℃とする。一方、下限は、液体水素用の場合には20Kの極低温、高圧水素ガス用の場合には、燃料電池自動車の作動温度−40℃を想定したが、これらに限られるものではない。
【実施例】
【0076】
次に、本発明を実施例でさらに説明するが、実施例での条件は、本発明の実施可能性および効果を確認するために採用した一条件例であり、本発明は、この一条件例に限定されるものではない。本発明は、本発明の要旨を逸脱せず、本発明の目的を達成する限りにおいて、種々の条件を採用し得るものである。
【0077】
表1と表2の成分組成を有するステンレス鋼を溶製し、加熱温度1150〜1300℃の熱間圧延により板厚5.0mmの熱延板を作製した。次いで、熱延板は1080℃で焼鈍した熱延板焼鈍材として供試材としたもの、熱延板焼鈍を省略して板厚2.0mmの冷間圧延材とし、さらに、冷間圧延板を1000℃で焼鈍した後、酸洗して2.0mm厚の冷延焼鈍板として供試材としたもの、を作製した。なお、表1はN量が0.01〜0.15%未満の低N供試材、表2はN量が0.15〜0.3%の高N供試材の成分組成を示す。
【0078】
【表1】
【0079】
【表2】
【0080】
このようにして得られた、5.0mm厚の熱延焼鈍板とした供試材、または、2.0mm厚の冷延焼鈍板とした供試材から、全長120mmで平行部の長さ35mm(評点間距離25mm)、幅6.25mmの引張試験片を採取して、1)大気中引張試験、2)高圧水素ガス中引張試験、3)液体水素中引張試験に供した。
【0081】
大気中引張試験は、試験温度:常温、試験環境:大気、歪速度:8×10−4/秒で実施した。
【0082】
高圧水素ガス中引張試験は、試験温度:常温、試験環境:45MPa水素中、90MPa水素中、120MPa水素中、歪速度:8×10−5/秒で実施した。そして、高圧水素ガス中での耐水素環境脆性は、(高圧水素ガス中での伸び)/(大気中での伸び)の値により評価した。なお、45MPa水素中、90MPa水素中、120MPa水素中それぞれの(高圧水素ガス中での伸び)/(大気中での伸び)は、EL:45MPa、EL:90MPa、EL:120MPaと表すものとする。
【0083】
液体水素中の引張試験は、0.2%耐力まで1.7×10−4/秒、それ以降6.8×10−4/秒で実施した。液体水素中での耐水素環境脆性は、引張強さと伸びの積:TS×ELで表わされる数値(強度・延性バランス)で評価した。
【0084】
評価の基準としては、次の従来例1〜3を基に判定した。JIS規格のSUS316L鋼(以下、「SUS316L鋼」という。)を加熱した後、熱間加工して熱延板とし、その熱延板を焼鈍した5mm厚の熱延焼鈍板を従来例1とした。また、SUS316L鋼を加熱した後、熱間加工して熱延板とし、その熱延板を焼鈍した後、さらに冷間加工し、焼鈍した2mm厚さの冷延焼鈍板を従来例2とした。そして、JIS規格のSUS304L鋼(以下、「SUS304L鋼」という。)を加熱した後、熱間加工して熱延板とし、その熱延板を焼鈍した5mm厚の熱延焼鈍板を従来例3とした。
【0085】
高圧水素ガス中の耐水素ガス脆性については、各供試材のEL:45MPa、EL:90MPa、EL:120MPaが、従来例1と同じか大きい場合、高圧水素ガス中の耐水素ガス脆性が「優れる」とした。また、各供試材のEL:45MPa、EL:90MPa、EL:120MPaが、従来例2よりも同じか大きい場合、高圧水素ガス中の耐水素ガス脆性が「非常に優れる」とした。
【0086】
液体水素中の耐水素環境脆性については、各供試材のTS×ELが、従来例1または従来例2と同じか大きい場合、液体水素中の耐水素環境脆性は「優れる」とした。また、各供試材のTS×ELが従来例3と同じか大きい場合、液体水素中の耐水素環境脆性は「非常に優れる」とした。
【0087】
供試材のδフェライト体積率は、フィッシャー製フェライトメーターで求めた。δフェライトの長径は、鋼板断面埋め込み試料を作製して、鏡面研磨後エッチング処理を施し、上述した手順で光学顕微鏡観察を行って測定した。
【0088】
低N供試材の耐水素環境脆性の評価結果を表3−1および表3−2に示す。表3−1および表3−2には、熱間加工するときの加熱温度、熱延板焼鈍の有無、冷間圧延(冷間圧延後の焼鈍を含む)の有無を併記した。
【0089】
【表3-1】
【0090】
【表3-2】
【0091】
発明例である試験No.1〜8、20〜23は、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の成分組成を満足し、その結果、所望の鋼組織が得られ、試験No.1〜8、20〜23のEL:45MPa、EL:90MPa、EL:120MPaは、従来例1のEL:45MPa、EL:90MPa、EL:120MPaよりも大きく、試験No.1〜8、20〜23は、目標とするSUS316Lと同等以上の優れた耐水素ガス脆性を有することが確認できた。
【0092】
また、試験片No.1〜8、20〜23のTS×ELは、従来例1または従来例2のTS×ELよりも大きく、とSUS316Lと同等以上の優れた液体水素中の耐水素環境脆性を有することが確認できた。
【0093】
さらに、試験No.1、3、5、6、8、20、21、22、および23は、熱間加工後焼鈍、あるいは、熱間加工後そのまま冷間加工した後に焼鈍していることから、試験No.1、3、5、6、8、20、21、22、および23のEL:45MPa、EL:90MPa、EL:120MPaは、従来例2のEL:45MPa、EL:90MPa、EL:120MPaよりも大きく、試験No.1、3、5、6、8、20、21、22、および23は、非常に優れた耐水素ガス脆性を有することが確認できた。
【0094】
また、試験No.1、3、5、6、8、20、21、22、および23のTS×ELは、従来例3のTS×ELより大きく、試験No.1、3、5、6、8、20、21、22、および23は、非常に優れた液体水素中の耐水素環境脆性を有することが確認できた。
【0095】
これに対し、試験No.9〜19は、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の成分組成から外れるものであり、本発明で規定する熱間加工後焼鈍、あるいは、熱間加工後そのまま冷間加工した後、焼鈍しても、所望の鋼組織を得ることができず、その結果、高圧水素ガス中の耐水素環境脆性、および、液体水素中の耐水素環境脆性のいずれか一方または両方に劣ることが確認できた。
【0096】
高N供試材の耐水素環境脆性を表4−1および表4−2に示す。表4−1および表4−2には、熱間加工するときの加熱温度、熱延板焼鈍の有無、冷間圧延(冷間圧延後の焼鈍を含む)の有無を併記した。
【0097】
【表4-1】
【0098】
【表4-2】
【0099】
試験No.51〜57、73〜78は、本発明のオーステナイト系高Mnステンレス鋼の成分組成を満足している。即ち、試験No.51〜57、73〜78は、鋼中のN量が0.15〜0.3%とし、それに併せ、Ni量を6〜8%としたことで、熱間加工後焼鈍、あるいは、熱間加工後そのまま冷間加工した後、焼鈍することなしに、目標とするSUS316Lと同等以上の非常に優れた高圧水素ガス中の耐水素脆性と、SUS304Lと同等以上の非常に優れた液体水素中の耐水素環境脆性を有するものである。
【0100】
これに対し、試験No.58〜61は、鋼中のN量が0.3%を超える、鋼No.H6〜H7の鋳片を熱間圧延したもので、高圧水素ガス中および液体水素中での耐水素環境脆性が大幅に低下していることを確認できた。試験No.62、63は、Ni量が6%未満の鋼No.H8の鋳片を熱間圧延したもので、高圧水素ガス中の耐水素環境脆性に優れるものの、所望の液体水素中の耐水素環境脆性が得られなかったものである。試験No.64〜72は、Ni以外の元素の成分組成が本発明の範囲を外れる鋼の鋳片を熱間圧延したもので、高圧水素ガス中の耐水素環境脆性に優れるものの、所望の液体水素中の耐水素環境脆性が得られなかったものである。
【0101】
なお、上述したところは、本発明の実施形態を例示したものにすぎず、本発明は、特許請求の範囲において種々変更することができる。
【産業上の利用可能性】
【0102】
本発明によれば、高圧水素ガス中の耐水素ガス脆性がSUS316L鋼と同等以上、液体水素中の強度・延性バランスがSUS316L鋼と同等以上、より好ましくはSUS304L鋼と同等以上の耐水素環境脆性を兼備している、オーステナイト系高Mnステンレス鋼を得ることができる。本発明は、工業上、顕著な効果を奏するものである。
【0103】
また、本発明によれば、40MPaを超える高圧水素ガスおよび液体水素を貯蔵するタンクの容器本体またはライナー、ならびに、配管やバルブ計器類等を、SUS316L鋼やSUS304鋼と比較して、コストアップを伴うことなく、同等以上の耐水素環境脆性を有するものとすることができる。本発明は、工業上の利用価値が高いものである。