【課題を解決するための手段】
【0010】
上記課題を解決するために成された第1発明は、構造が既知である既知物質から部分的な構造変化が生じた未知物質に由来するプリカーサイオンを1又は複数段階に開裂させることで生成されたプロダクトイオンを質量分析して得られるMS
nスペクトル(nは1以上の整数)に基づいて、前記未知物質の構造を推定する質量分析データ解析方法であって、
a)予め与えられる前記構造変化に伴って前記既知物質に付加され得る付加部分構造の情報を取得する付加部分構造情報取得ステップと、
b)予め与えられる前記既知物質の構造式情報と、前記付加部分構造情報取得ステップにより取得された付加部分構造の情報と、前記未知物質に対する
MSnスペクトル
を求める際に得られる該未知物質に由来するプリカーサイオンの質量情報と、に基づいて、前記構造変化に伴って前記既知物質から未知の脱離部分構造が脱離した後の脱離後構造式を推定する脱離後構造推定ステップと、
c)該脱離後構造推定ステップで挙げられた脱離後構造式候補について、その構造式で示される構造から抽出される基幹部分構造と前記付加部分構造とを組み合わせたときの質量と、前記未知物質に対するMS
nスペクトルから得られるプロダクトイオンの質量との一致性を判断することにより、各プロダクトイオンの構造式を推定してプロダクトイオン構造式候補を挙げるプロダクトイオン構造推定ステップと、
d)該プロダクトイオン構造推定ステップにより推定された複数のプロダクトイオンに対するプロダクトイオン構造式候補に基づき、それら構造式候補を開裂によって生成し得る構造式を探索することにより未知物質の構造式を推定する未知物質構造推定ステップと、
を有することを特徴としている。
【0011】
上記課題を解決するために成された第2発明は、第1発明に係る質量分析データ解析方法を実施するための装置であり、構造が既知である既知物質から部分的な構造変化が生じた未知物質に由来するプリカーサイオンを1又は複数段階に開裂させることで生成されたプロダクトイオンを質量分析して得られるMS
nスペクトル(nは1以上の整数)に基づいて、前記未知物質の構造を推定する質量分析データ解析装置であって、
a)予め与えられる前記構造変化に伴って前記既知物質に付加され得る付加部分構造の情報を取得する付加部分構造情報取得手段と、
b)予め与えられる前記既知物質の構造式情報と、前記付加部分構造情報取得手段により取得された付加部分構造の情報と、前記未知物質に対する
MSnスペクトル
を求める際に得られる該未知物質に由来するプリカーサイオンの質量情報と、に基づいて、前記構造変化に伴って前記既知物質から未知の脱離部分構造が脱離した後の脱離後構造式を推定する脱離後構造推定手段と、
c)該脱離後構造推定手段により挙げられた脱離後構造式候補について、その構造式で示される構造から抽出される基幹部分構造と前記付加部分構造とを組み合わせたときの質量と、前記未知物質に対するMS
nスペクトルから得られるプロダクトイオンの質量との一致性を判断することにより、各プロダクトイオンの構造式を推定してプロダクトイオン構造式候補を挙げるプロダクトイオン構造推定手段と、
d)該プロダクトイオン構造推定手段により推定された複数のプロダクトイオンに対するプロダクトイオン構造式候補に基づき、それら構造式候補を開裂によって生成し得る構造式を探索することにより未知物質の構造式を推定する未知物質構造推定手段と、
を備えることを特徴としている。
【0012】
なお、第1発明及び第2発明において構造解析の対象である「未知物質」とは、例えば、構造が既知である或る物質から代謝等の化学変化により生成される物質である。また、「未知物質」は、既知物質を合成等により生成する際に、その構造の一部が置換されたり欠損したり或いは別の成分が付加されたりして生じる副産物であってもよい。
【0013】
また、nが1である場合のMS
nスペクトル、つまりMS
1スペクトル(マススペクトル)は、インソース分解による目的物質由来イオンの断片化(開裂)を行って生成されたプロダクトイオンを質量分析した結果であり、nが2以上である場合のMS
nスペクトルは、CIDなどによる1又は複数段の開裂操作を行って生成されたプロダクトイオンを質量分析した結果である。
【0014】
即ち、上述したように、特許文献1に記載の従来技術では、代謝等に伴って変化する部分構造の置換パターンなどを構造変化パターンとしていたのに対し、第1及び第2発明では、部分構造の置換を、部分構造の脱離と付加という2つの段階に分けて考える。薬物代謝などによる物質の構造変化を考えたとき、一般に、脱離する部分構造は元の(脱離前の)物質の構造や反応条件などに依存するためにかなり幅広く、予想することが難しい。これに対し、付加される部分構造は代謝の種類などに殆ど依存するため、かなり絞られ、予想が容易である。そこで、付加される部分構造については例えばユーザが予め推定しておき、これを入力する(又は予め用意された多数の選択肢の中から選択する)ことで付加部分構造の情報を与えるようにする。
【0015】
第2発明に係る質量分析データ解析装置において脱離後構造推定手段は、上記付加部分構造の情報(例えば組成式)から求めた付加部分構造の質量と、未知物質に由来するプリカーサイオンの質量情報から求めた未知物質の質量とから、既知物質から未知の脱離部分構造が脱離した後の脱離後構造式の質量を算出し、該質量と既知物質の構造式情報とから脱離後構造式を推定する。脱離後構造式が1つに絞れない場合には、複数の脱離後構造式候補を挙げればよい。ただし、必ずしも脱離後構造式が得られるとは限らないから、1つも脱離後構造式が得られない場合には、例えば後述するように分析条件を変えて取得した別のMS
nスペクトルを利用する等の方法が考えられる。
【0016】
プロダクトイオン構造推定手段は、上記脱離後構造式候補について、その構造式から推測し得る基幹部分構造と上記付加部分構造との組合せを試みて求まる質量を、未知物質のMS
nスペクトル上の各ピークに対応したプロダクトイオンの質量と比較することで、未知物質由来の各プロダクトイオンの構造式を推定する。ここでも、1つのプロダクトイオンに対する構造式が1つに絞れない場合には、複数のプロダクトイオン構造式候補を挙げればよい。未知物質のMS
nスペクトルから求まる各プロダクトイオンは未知物質の開裂により生成されたものであるから、未知物質構造推定手段は、複数のプロダクトイオン構造式候補から、その構造が生成され得るような開裂の態様を推定することで、未知物質の構造式を推定することができる。
【0017】
もちろん、第1及び第2発明では、既知物質又は未知物質に関して他の情報が既知である場合に、その情報を追加的に利用する処理を加えることで、推定の信頼度を上げたり処理速度を上げたりすることができる。
【0018】
例えば、既知物質のMS
nスペクトルが追加情報として与えられていれば、例えば、該MS
nスペクトルから判明する既知物質由来のプロダクトイオンと未知物質のMS
nスペクトルから判明する未知物質由来のプロダクトイオンとを比較することで、既知物質のいずれの部位に付加部分構造が付加したのかを推定し、未知物質の構造式の推定の際の絞り込みを行うことができる。
【0019】
また、未知物質の組成式が追加情報として与えられていれば、付加部分構造の組成はもともと既知であるため、両者の差から脱離部分構造の組成も判明する。それにより、脱離後構造式候補の絞り込みが可能となる。さらにまた、未知物質由来の少なくとも1つのプロダクトイオンの組成式又は構造式が追加情報として与えられていれば、一部のプロダクトイオンの構造式推定が不要になる或いは構造式の絞り込みが可能となる。また、ユーザによる中間データ(推定した脱離部分構造やプロダクトイオンに対応する脱離後部分構造と付加部分構造との組合せ)の選別によって結果を絞り込むことも考えられる。
【0020】
また、第1発明に係る質量分析データ解析方法の一態様として、前記脱離後構造推定ステップにより推定された脱離後構造式候補が複数ある場合に、その複数の脱離後構造式候補のそれぞれについて、前記プロダクトイオン構造推定ステップ及び前記未知物質構造推定ステップにより未知物質の構造式を推定し、複数の構造式候補を求めるようにするとよい。これにより、未知物質の構造式候補の推定漏れを軽減できる。また、未知物質の構造式候補が複数存在する場合には、それら候補を蓋然性の高い順に順位付けして該順位とともに構造式候補を出力するとよい。順位付けの際には、例えばプロダクトイオン構造式候補を求める際の質量の一致の程度など、分析上得られる情報を利用するほか、分子内の結合エネルギーの大きさなどの理論的に計算される情報を利用してもよい。
【0021】
また、第1発明に係る質量分析データ解析方法の別の態様として、未知物質のMS
nスペクトル中の特定の質量電荷比を有するイオンをプリカーサイオンとして実行されたMS
n+1分析で得られたMS
n+1スペクトルに対し、前記各ステップを実行することで得られた推定構造式を未知物質の1つのプロダクトイオンの構造式候補とした上で未知物質の構造式を推定するようにしてもよい。これにより、例えばMS
2スペクトルデータに基づいて未知物質の構造を特定できない場合でも、開裂操作を繰り返して取得したMS
3、MS
4スペクトルデータに基づいて未知物質の構造を高い信頼性で以て特定することが可能となる。
【0022】
また、第1発明に係る質量分析データ解析方法では、未知物質に対し異なる分析条件の下で取得された複数のMS
nスペクトルを用いて前記各ステップにより未知物質の構造式の候補をそれぞれ求め、その結果を併せて蓋然性の高い構造式を抽出して未知物質の構造式推定結果として出力するようにしてもよい。ここでいう分析条件とは開裂条件を含む。分析条件を変えると開裂の態様が変化するため、同じ未知試料から異なるMS
nスペクトルが得られる。このように互いに異なる複数のMS
nスペクトルを利用して求められた未知物質の構造式候補が同一である場合には、その候補が正解の構造式である確率が高い。したがって、上記方法によれば、未知物質の構造が複雑であっても、高い信頼性で以て未知物質の構造式を特定することができる。