特許第5737419号(P5737419)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許5737419質量分析装置を用いた定量分析方法及び質量分析装置
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5737419
(24)【登録日】2015年5月1日
(45)【発行日】2015年6月17日
(54)【発明の名称】質量分析装置を用いた定量分析方法及び質量分析装置
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/62 20060101AFI20150528BHJP
   G01N 30/72 20060101ALI20150528BHJP
   G01N 30/86 20060101ALI20150528BHJP
【FI】
   G01N27/62 D
   G01N27/62 V
   G01N27/62 X
   G01N30/72 C
   G01N30/86 J
【請求項の数】8
【全頁数】12
(21)【出願番号】特願2013-540597(P2013-540597)
(86)(22)【出願日】2011年10月28日
(86)【国際出願番号】JP2011074981
(87)【国際公開番号】WO2013061466
(87)【国際公開日】20130502
【審査請求日】2014年3月17日
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】向畑 和男
【審査官】 藤田 都志行
(56)【参考文献】
【文献】 特表2011−512534(JP,A)
【文献】 特開2000−065797(JP,A)
【文献】 特開2010−071651(JP,A)
【文献】 特開平09−318599(JP,A)
【文献】 特開2002−184348(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2003/0111596(US,A1)
【文献】 山下 博教,「スペクトルデータ,クロマトグラムデータの取り扱い」,ぶんせき,社団法人日本分析化学会,2008年12月 5日,2008年第12号,p. 634-640
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/62
G01N 30/72
G01N 30/86
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CiNii
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
目的化合物由来のイオンを検出して得られるイオン強度に基づいて目的化合物を定量する質量分析装置を用いた定量分析方法であって、目的化合物由来のイオンを選択・開裂させて得られるプロダクトイオンの強度を利用した定量分析方法において、
目的化合物を含む試料を測定する際に、該目的化合物由来の異なるイオンをプリカーサイオンとしてMSn分析して得られたプロダクトイオンの中で最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度のほかに、該最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度も併せて検出し、
その最大強度よりも低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度の検出結果を最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度に換算し、
目的化合物由来のピークの中で最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度が飽和する範囲又はその可能性がある範囲では前記換算により求まるイオン強度を利用してイオン強度が飽和しないピークを求め、該ピークに基づいて定量のための検量線を作成する又は該検量線を参照した定量値の導出を行うことを特徴とする質量分析装置を用いた定量分析方法。
【請求項2】
請求項1に記載の質量分析装置を用いた定量分析方法であって、
記最大強度を示すイオンとは主同位体元素から構成される主イオンであり、前記最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンとは主同位体元素以外の同位体元素を含む副イオンであることを特徴とする質量分析装置を用いた定量分析方法。
【請求項3】
請求項2に記載の質量分析装置を用いた定量分析方法であって、
前記所定比率は既知の同位体存在比に基づいて求まる前記主イオンと前記副イオンとの存在比であり、理論計算により求まる前記存在比を利用して前記換算を行うことを特徴とする質量分析装置を用いた定量分析方法。
【請求項4】
請求項2に記載の質量分析装置を用いた定量分析方法であって、
試料測定により得られた、前記主イオンに対するピークの強度と前記副イオンに対するピークの強度との比を利用して前記換算を行うことを特徴とする質量分析装置を用いた定量分析方法。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれかに記載の質量分析装置を用いた定量分析方法であって、
記最大強度を示すイオンの質量電荷比と、前記最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比と、をそれぞれ検出対象のイオンに設定した選択反応モニタリング測定を行うことにより、それらイオンの強度を得ることを特徴とする質量分析装置を用いた定量分析方法。
【請求項6】
請求項1〜4のいずれかに記載の質量分析装置を用いた定量分析方法であって、
記最大強度を示すイオンの質量電荷比と、前記最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比と、を含む質量電荷比範囲のスキャン測定を行うことにより、それらイオンの強度を得ることを特徴とする質量分析装置を用いた定量分析方法。
【請求項7】
請求項1〜のいずれかに記載の質量分析装置を用いた定量分析方法であって、
該質量分析装置はクロマトグラフにより分離された化合物を質量分析するものであって、前記検量線は目的化合物由来のクロマトグラムピーク面積と化合物濃度との関係を示すものであることを特徴とする質量分析装置を用いた定量分析方法。
【請求項8】
請求項1に記載の定量分析方法に用いる質量分析装置であって、
a)目的化合物を含む試料を測定する際に、該目的化合物由来の異なるイオンをプリカーサイオンとしてMSn分析して得られたプロダクトイオンの中で最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度のほかに、該最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度も併せて検出する測定実行手段と、
b)その最大強度よりも低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度の検出結果を最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度に換算する換算処理手段と、
c)最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度が飽和した状態であること又は飽和する可能性があることを検出する飽和検出手段と、
d)目的化合物由来のピークの中で、前記飽和検出手段により飽和状態又は飽和の可能性が検出されない範囲では、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度を利用する一方、前記飽和検出手段により飽和状態又は飽和の可能性が検出された範囲では、前記換算処理手段により換算されたイオン強度を利用して、イオン強度が飽和しないピークを求め、該ピークに基づいて定量のための検量線を作成する又は該検量線を参照した定量値の導出を行う定量処理手段と、
を備えることを特徴とする質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、目的化合物由来のイオンの強度を質量分析装置により測定し、その測定結果に基づいて目的化合物を定量する定量分析方法、及び該方法を利用した質量分析装置に関する。
【背景技術】
【0002】
質量分析装置では、試料中の目的化合物に由来する特定の質量電荷比m/zを有するイオンを選択的に検出し、該イオンの量に応じたイオン強度を得ることができる。このイオン強度は、目的化合物の濃度(含有量)に応じて変化する。即ち、同一化合物に対するイオン強度を検出する場合、その化合物の濃度が高ければイオン強度は高くなり、濃度が低ければイオン強度は低くなる。そこで、液体クロマトグラフ(LC)やガスクロマトグラフ(GC)と質量分析装置(MS)とを組み合わせたクロマトグラフ質量分析装置で定量分析を行う際には、目的化合物の含有濃度が相違する複数の標準試料を予め測定することにより濃度対イオン強度の関係式、つまりは検量線を求めておき、この検量線を利用して未知試料中の目的化合物に対するイオン強度から濃度を算出する。
【0003】
例えば特許文献1に記載されているように、一般に定量分析の際には、質量分析装置は目的化合物に対して予め定められた質量電荷比m/zを選択的に検出するSIM(選択イオンモニタリング)モードで動作され、該質量電荷比を持つイオンの経時的変化を示すマスクロマトグラムが取得される。そして、マスクロマトグラムに現れる目的化合物由来のピークの面積を計算し、このピーク面積が検量線のイオン強度として用いられる。ピーク強度が高いほどピーク面積のSN比は高いから、定量用の質量電荷比としては目的化合物由来のイオンの質量電荷比の中でイオン強度ができるだけ高いものが選択されるのが一般的である。
【0004】
ところで、近年の質量分析装置では、検出器で得られたイオン強度信号はアナログ/デジタル(A/D)変換器によりデジタル信号に変換されて波形処理等のデータ処理が実施される。A/D変換器のダイナミックレンジは一般的に最大でも106程度であり、その上限を超えた信号が入力されると出力は飽和するために正確なデータが得られない。即ち、定量分析の際に正確に定量値(濃度)が求まる範囲はA/D変換器のダイナミックレンジの制約を受ける。そのため、例えば微量定量のために低いイオン強度信号をA/D変換可能である設定とした場合、高濃度の化合物のイオン強度信号はA/D変換器のダイナミックレンジを超えてしまうことになり、高濃度範囲の濃度測定はできなくなるという問題がある。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開平9−318599号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、A/D変換器等の処理回路のダイナミックレンジの制約を受けずに、幅広い濃度範囲の定量分析を行うことができる定量分析方法、及び方法により定量を行う質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記課題を解決するために成された第1発明は、目的化合物由来のイオンを検出して得られるイオン強度に基づいて目的化合物を定量する質量分析装置を用いた定量分析方法であって、目的化合物由来のイオンを選択・開裂させて得られるプロダクトイオンの強度を利用した定量分析方法において、
目的化合物を含む試料を測定する際に、該目的化合物由来の異なるイオンをプリカーサイオンとしてMSn分析して得られたプロダクトイオンの中で最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度のほかに、該最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度も併せて検出し、
その最大強度よりも低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度の検出結果を最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度に換算し、
目的化合物由来のピークの中で最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度が飽和する範囲又はその可能性がある範囲では前記換算により求まるイオン強度を利用して、イオン強度が飽和しないピークを求め、該ピークに基づいて定量のための検量線を作成する又は該検量線を参照した定量値の導出を行うことを特徴としている。
なお、第1発明に係る定量分析方法は、目的化合物由来のイオンを選択・開裂させて得られるプロダクトイオンの強度を利用した定量を行うものである。
【0008】
また上記課題を解決するために成された第2発明は、上記第1発明に係る定量分析方法に用いる質量分析装置であって、
a)目的化合物を含む試料を測定する際に、該目的化合物由来の異なるイオンをプリカーサイオンとしてMSn分析して得られたプロダクトイオンの中で最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度のほかに、該最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度も併せて検出する測定実行手段と、
b)その最大強度よりも低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度の検出結果を最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度に換算する換算処理手段と、
c)最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度が飽和した状態であること又は飽和する可能性があることを検出する飽和検出手段と、
d)目的化合物由来のピークの中で、前記飽和検出手段により飽和状態又は飽和の可能性が検出されない範囲では、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度を利用する一方、前記飽和検出手段により飽和状態又は飽和の可能性が検出された範囲では、前記換算処理手段により換算されたイオン強度を利用して、イオン強度が飽和しないピークを求め、該ピークに基づいて定量のための検量線を作成する又は該検量線を参照した定量値の導出を行う定量処理手段と、
を備えることを特徴としている。
【0009】
即ち、従来の質量分析装置による定量分析法では一般に、主として定量精度の観点から、目的化合物由来のイオンの中で最大強度を示すイオンのみに着目し、該イオンの強度信号を利用して検量線を作成し、該検量線に照らして未知濃度の目的化合物を定量していた。また、目的化合物由来のイオンの中で最大強度を示すイオン以外のイオンを定量に用いる場合もあるが、その1つの定量用イオンの強度を利用して検量線を作成し、該検量線に照らして未知濃度の目的化合物を定量していた。これに対し第1発明に係る定量分析方法及び第2発明に係る質量分析装置では、目的化合物由来のイオンの中で最大強度を示すイオンだけでなく、該イオンの質量電荷比とは異なる質量電荷比を有する、その最大強度に対して所定比率だけ低い強度を示す1又は複数のイオンの強度も併せて検出する。
【0010】
質量分析装置でスキャン測定を実施する場合には、最大強度を示すイオンの質量電荷比と、最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比と、を含むような質量電荷比範囲を設定してスキャン測定を行えば、目的とするイオン強度を得ることができる。一方、質量分析装置でSIM測定を行う場合には、測定対象の質量電荷比として、最大強度を示すイオンの質量電荷比と最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比とを設定した上でSIM測定を行えば、目的とするイオン強度を得ることができる。
【0011】
上述したようにA/D変換器等の処理回路のダイナミックレンジの制約により、その上限を超えるような信号(イオン強度)が入力されると信号飽和が起こる。しかしながら、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度が飽和するような状況であっても、最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度は上記ダイナミックレンジに対して充分な余裕をもっており飽和しない。そこで、第1発明に係る定量分析方法及び第2発明に係る質量分析装置では、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度が実際に飽和している場合、又は飽和している若しくは未だ飽和していなくても飽和する可能性が高い場合に、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度ではなく、最大強度よりも低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度の検出結果から換算によって求めた換算イオン強度を利用し、検量線作成時であれば検量線を作成するし、該検量線を参照した定量値算出時であれば定量値を導出する。一方、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度が上記ダイナミックレンジに対して充分な余裕をもっていて飽和のおそれがない場合には、このイオン強度を用いて検量線作成や定量値の導出を行えばよい。即ち、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度が飽和していたり飽和する可能性が高かったりするか否かによって、検量線作成や定量値導出に利用するイオン強度の質量電荷比を使い分ける。
【0012】
好ましくは、上記第1発明及び第2発明において、前記目的化合物由来のイオンの中で最大強度を示すイオンとは主同位体元素から構成される主イオンであり、前記最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンとは主同位体元素以外の同位体元素を含む副イオンであるものとすることができる。この場合、副イオンは1つのみでなく、質量電荷比が相違する複数であってもよい。
【0013】
定量分析では通常、目的化合物の組成は既知であり、化合物を構成する各種元素の同位体存在比も既知であるから、目的化合物由来の主イオンと副イオンとの存在比は理論計算により求まる。そして、主イオンの強度と副イオンの強度との比率は上記存在比に一致する筈である。したがって、理論計算により求めた存在比を利用して、上述したような、最大強度よりも低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度の検出結果を、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度に換算することができる。
【0014】
一方、目的化合物由来の主イオンと副イオンとの存在比が理論計算により求まらない場合であっても、実際に試料測定により得られた、主イオンに対するピークの強度と副イオンに対するピークの強度との比を利用して上述した換算を行うことができる。
【0015】
また、最大強度に対し所定比率だけ低い強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度として、主同位体元素以外の同位体元素を含む副イオンのイオン強度を用いるのではなく、マススペクトル上において目的化合物由来のイオンの中で最大強度を示すイオンによるピークのピークトップから質量電荷比軸上でずれた位置の(つまり、ずれた質量電荷比における)イオン強度(典型的にはピークの立上り傾斜部又は立下り傾斜部上の或る位置のイオン強度)を用いてもよい。
【0016】
マススペクトル上に現れる1つのピークは理想的には1本の線状となるべきものであるが、実際には或る程度の幅を持つプロファイルデータが得られ、そのピーク幅は装置の各部のパラメータ調整・設定状態に依存する。したがって、そのパラメータ調整・設定状態が同一である条件の下ではピーク幅は一定であり、或るピークのピークトップの強度に対して所定比率だけ強度が低いピーク傾斜部上の位置、つまり質量電荷比は計算により求まる。これを利用すれば、同位体ピークが存在しない或いは同位体ピークのピークトップの強度が小さすぎるような場合であっても、1本のピークのみを利用して第1発明に係る定量分析方法による定量を行うことが可能である。
【0018】
また、LCやGCなどのクロマトグラフと質量分析装置とを組み合わせたクロマトグラフ質量分析装置を用いて目的化合物を定量する場合には、目的化合物由来のイオンを対象とするマスクロマトグラムやトータルイオンクロマトグラム上に現れる目的化合物由来のピークの面積が利用されるのが一般的である。したがって、第1発明に係る定量分析方法をクロマトグラフ質量分析装置に適用する場合、前記検量線は目的化合物由来のクロマトグラムピーク面積と化合物濃度との関係を示すものとすればよい。
【発明の効果】
【0019】
第1発明に係る質量分析装置を用いた定量分析方法及び第2発明に係る質量分析装置によれば、イオン検出器で得られる信号をデジタル化するA/D変換器等の処理回路のダイナミックレンジの制約により、高濃度の目的化合物に対して得られるイオン強度信号が飽和してしまうような場合であっても、正確な検量線を作成したり該検量線を参照した定量値の導出を行ったりすることができる。それにより、処理回路のダイナミックレンジの制約を受けることなく、幅広い濃度範囲の定量分析が可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
図1】本発明に係る定量分析方法を実施する質量分析装置の一実施例である液体クロマトグラフ質量分析装置(LC/MS)の概略構成図。
図2】取得されるマススペクトル(プロファイルデータ)の一例を示す図。
図3】取得されるマススペクトル(プロファイルデータ)の他の例を示す図。
図4】取得されるマスクロマトグラムの一例を示す図。
図5】作成される検量線の一例を示す図。
図6】本発明に係る定量分析方法の別の例を説明するための図。
【発明を実施するための形態】
【0021】
まず、本発明に係る定量分析方法の原理を図2図3により説明する。
図2は、化学組成式がC33429であるレセルピン(reserpine)を正イオン化モードで質量分析することにより得られるマススペクトル(プロファイルデータ)の一例を示す図である。図から分かるように、m/z 609.3にイオン強度が最大である主ピークP1が現れる。この主ピークP1は主同位体元素のみから構成されるレセルピンの分子イオン([M+H]+)ピークである。これに対し、主ピークP1から1Da及び2Daだけ離れたm/z 610.3及びm/z 611.3に、主同位体元素以外の同位体元素を含むレセルピンの同位体ピークである副ピークP2、P3が現れている。
【0022】
レセルピンの構成元素である炭素C、水素H、窒素N、酸素Oの自然界における同位体存在比は周知である。例えばCには質量電荷比が12である12Cと質量電荷比が13である13Cとの2種類の同位体が存在し、その存在比は12C:13C=98.9%:1.10%であることがよく知られている。また、他の元素についても同様である。したがって、上述した質量電荷比が相違する3種のレセルピンの分子イオンの同位体存在比は、レセルピンの化学組成式と各元素の同位体存在比とから容易に計算可能である。上記マススペクトル上の各同位体ピークのピークトップのイオン強度はイオン量を反映していることから、そのイオン強度の比は同位体化合物の存在比と一致しており、主ピークP1のイオン強度に対する各副ピークP2、P3のイオン強度の比も容易に求まる。具体的には、m/z 610.3である副ピークP2のイオン強度はm/z 609.3である主ピークP1のイオン強度の38.4%であり、m/z 611.3の副ピーク3のイオン強度は主ピークP1のイオン強度の9.0%である。
【0023】
いま、入力ダイナミックレンジの上限が1×106であるA/D変換器を用いてイオン検出器によるアナログ検出信号をデジタルデータに変換しているものとすると、その上限値以上のイオン強度信号が入力されると出力データは飽和してしまう。図2はこうした信号飽和が起こらない程度の濃度のレセルピンを測定した結果であるが、例えば、最大イオン強度が2×106となるような高濃度のレセルピンを測定すると、マススペクトルは図3に示すように主ピークP1のピークトップが切れた状態となる。当然のことながら、この主ピークP1に対応したm/z 609.3のイオン強度に基づいて検量線を作成したり定量を行ったりすると、正確な定量はできない。
【0024】
これに対し、図3においてもm/z 610.3、m/z 611.3である副ピークP2、P3は飽和していない。即ち、主ピークP1が飽和する状況であっても、これら副ピークP2、P3のイオン強度は検量線作成や定量作業に利用可能である。そこで、本発明に係る定量分析方法では、主ピークP1が飽和する状況では、もともとイオン強度が主ピークP1よりも低い例えばm/z 611.3である副ピークP3のイオン強度を定量に利用する。即ち、m/z 611.3の副ピークP3のピークトップのイオン強度IP3をまず求める。上述したように理論的に該副ピークP3のイオン強度は主ピークP1のイオン強度の9.0%である筈であるから、IP3×(1/0.09)=IP3×11.1なる計算を行うことにより、副ピークP3のイオン強度IP3をm/z 609.3である主ピークP1のイオン強度に換算する。換言すれば、主ピークP1のイオン強度が直接的に求まらない場合でも、擬似的又は仮想的に主ピークP1のイオン強度を求めるわけである。ノイズレベルは略一定であると考えられるから、イオン強度が高いピークのほうがSN比は高い。したがって、図2に示すように主ピークP1が飽和しない状況下では該主ピークP1のイオン強度を検量線作成や定量演算に利用する。
【0025】
つまり、主ピークP1が飽和しなければ該主ピークP1のイオン強度を、主ピークP1が飽和している場合には、もともと強度の低い副ピークP3(又は副ピークP2でもよい)のイオン強度を化合物存在比に応じて換算した換算値を、検量線作成や定量演算に利用する。これにより、A/D変換器のダイナミックレンジを実質的に約10倍拡大した濃度範囲の定量分析が可能となる。
【0026】
次に、上記原理に基づく定量分析を実行するためのLC/MSの一実施例を図面を参照して説明する。図1はこのLC/MSの概略構成図である。
LC部1において、送液ポンプ12は移動相容器11から移動相を吸引し一定流量で以て送給する。オートサンプラ15は予め用意された標準試料や目的試料(複数も可)のうちの1つを選択し、インジェクタ13は選択された試料を所定のタイミングで移動相流中に注入する。注入された試料は移動相に乗ってカラム14に導入され、カラム14を通過する間に試料中の各種化合物は時間方向に分離されて溶出する。
【0027】
MS部2において、カラム出口から供給される溶出液はイオン化プローブ21から略大気圧雰囲気であるイオン化室内にエレクトロスプレイされ、該溶出液中の化合物はイオン化される。生成されたイオンは脱溶媒管22、イオンガイド23、24を経て高真空雰囲気中に配設された四重極マスフィルタ25に導入され、図示しない電圧源から四重極マスフィルタ25に印加される電圧(直流電圧+高周波電圧)に応じた特定の質量電荷比m/zを有するイオンが選択的に四重極マスフィルタ25を通過してイオン検出器26に到達する。イオン検出器26は到達したイオンの量に応じた検出信号を出力する。
【0028】
データ処理部3は、アナログ検出信号をデジタル化するA/D変換器(ADC)31のほか、データ収集部32、飽和検出部33、データ選択制御部34、イオン強度換算部35、クロマトグラム作成部36、検量線作成部37、検量線記憶部38、定量演算部39などの機能ブロックを備える。分析制御部4は中央制御部5の指令に従って、LC部1、MS部2、データ処理部3の動作を制御する。中央制御部5にはキーボード等の操作部6やモニタディスプレイ等の表示部7が接続され、入出力インターフェイスを担うほか、システム全体の制御を司る。この中央制御部5、分析制御部4、データ処理部3の少なくとも一部は、パーソナルコンピュータをハードウエア資源とし該コンピュータにインストールされた専用の制御/処理ソフトウエアを動作させることで、それぞれの機能を実現する構成とすることができる。
【0029】
いま既知の目的化合物の定量を行う場合を例に挙げて、本実施例のLC/MSの動作を説明する。まず、該目的化合物を含有する標準試料を利用して検量線を作成する。この場合、目的化合物は既知であるから、最大強度を示すイオンの質量電荷比や同位体イオンの質量電荷比も既知である。例えば上記例で示したレセルピンを目的化合物とする場合、最大強度を示すイオンの質量電荷比は609.3、同位体イオンの質量電荷比は610.3、611.3であることが既知である。また、上述したようにそれら同位体イオンの存在比も理論計算により求まる。そこで、例えばMS部2における測定モードをSIM測定モードとし、測定対象の質量電荷比をm/z 609.3、610.3、611.3の3点とするようにユーザ(分析者)は操作部6から設定しておく。また、同位体イオンの存在比についてもデータ処理のためのパラメータの1つとして操作部6から入力しておく。
【0030】
濃度が既知である目的化合物を含む標準試料をインジェクタ13から移動相中に注入し、MS部2では上述したように設定された質量電荷比に対するSIM測定を繰り返し実行する。データ処理部3においてデータ収集部32は、上記3点の質量電荷比に対するイオン強度に対応したデータを所定のサンプリング時間間隔で収集する。カラム14出口からの溶出液中に目的化合物が溶出し始めると、上記いずれの質量電荷比においても時間経過に伴ってイオン強度が増加し始め、それぞれ強度が最大になった後に徐々に減少する。特定の質量電荷比(例えばm/z 609.3)におけるイオン強度データを時間経過に伴ってプロットすればマスクロマトグラムが得られる。
【0031】
A/D変換器31に入力されるイオン強度信号が該A/D変換器31の入力ダイナミックレンジの上限を超えると出力データは飽和してしまい、例えば入力信号レベルに拘わらず同一の最大値データがA/D変換器31から出力される。飽和検出部33は、データ収集部32で収集される時系列データが上記信号飽和に対応した最大値データに対する所定のマージンの範囲に入っているか否かを判定し、その範囲に入っている場合に飽和していると判断する。これにより、実際に信号飽和が生じる前の、飽和する可能性が高い状態を検知することができる。
【0032】
上記のような信号飽和は目的化合物の濃度が高い場合に起こるが、LC部1での分離の特性上、上述したようにイオン強度は時間経過に伴って変化する。そのため、マスクロマトグラムでみると図4(a)に示すように、目的化合物由来のクロマトグラムピークが立ち上がり始めて、イオン強度が或る閾値Vth(A/D変換器31の入力ダイナミックレンジの上限で決まる値)を超えると強度が飽和し(一定となり)、本来のイオン強度が或る閾値Vthを下回るとクロマトグラムピークも立ち下がる。図4(a)の例の場合、飽和検出部33は<P1>の時間範囲と<P3>の時間範囲とを区別し、それに対応した信号をデータ選択制御部34へ送る。
【0033】
データ選択制御部34は、時間範囲<P1>には最大イオン強度を与えるm/z 609.3におけるイオン強度データを選択し、時間範囲<P3>にはもともとのイオン強度が低いm/z 611.3におけるイオン強度データを選択して出力するようにデータ収集部32を制御する。なお、時間範囲<P3>にm/z 610.3におけるイオン強度データを選択して出力するようにしてもよい。イオン強度換算部35はデータ収集部32で選択されつつ順次送られてくるイオン強度データに対し、時間範囲<P1>にはデータをそのままスルーし、時間範囲<P3>には入力されたイオン強度データ(m/z 611.3に対する強度)に対し同位体イオン存在比に応じた係数(この例では1/0.09=11.1)を乗じることにより、イオン強度をm/z 609.3に対する強度に換算して出力する。
【0034】
クロマトグラム作成部36はイオン強度換算部35から得られるデータを時系列順にプロットしてマスクロマトグラムを作成する。上述したように時間範囲<P3>にはイオン強度換算部35において強度が換算されたデータが得られるから、クロマトグラム作成部36では、図4(b)に示すように、時間範囲<P3>に擬似的にピーク部分が形成されたマスクロマトグラムが作成される。同位体存在比の理論計算は正確であり、数Da以下の狭い質量電荷比範囲ではイオン源でのイオン化効率やイオン検出器26でのイオン検出感度といったイオン強度データに影響を与えるような条件は同一であるとみなせる。したがって、擬似的に形成されたピーク部分の正確性はかなり高いといえる。
【0035】
検量線作成部37は上記のようなマスクロマトグラムに対し目的化合物由来のピークを検出し、そのピーク面積(図4(b)中の斜線部分の面積)を算出する。目的化合物の含有濃度の相違する複数の標準試料に対して同様の測定を実行することにより、クロマトグラムのピーク面積を求めたならば、検量線作成部37は、図5に示すような、濃度とピーク面積との関係を表す検量線を作成して検量線記憶部38に保存する。この検量線が目的化合物(この例ではレセルピン)を定量する際の参照データとなる。
【0036】
目的試料に含まれる目的化合物の未知である濃度を知りたい場合には、その目的試料に対して上記と同様の測定を実行することにより、マスクロマトグラムにおいて目的化合物由来のピーク面積を求める。もちろん、この測定の際にも、入力ダイナミックレンジの上限を超えるようなイオン強度信号がA/D変換器31に入力される場合には、マスクロマトグラムのピークの一部は、m/z 609.3のイオン強度データに基づくものではなく、m/z 611.3(又はm/z 610.3)のイオン強度データから換算によって求めたデータに基づくものとなる。このようにして、A/D変換器31の入力ダイナミックレンジの上限を超えるようなイオン強度が得られる高濃度の化合物についても、精度の高い定量が可能となる。
【0037】
上記実施例の説明では、測定を行いながら、得られたイオン強度データに基づいてデータ選択や換算処理を行い、マスクロマトグラムをほぼリアルタイムで作成するような処理を行っていたが、測定により全てのデータを一旦データ収集部32内の記憶部に取り込んで、測定後にバッチ的に同様の処理を実行してもよいことは明らかである。
【0038】
また、上記実施例の説明では、MS部2でSIM測定を実行していたが、目的とするイオンの質量電荷比が含まれるような質量電荷比範囲に亘るスキャン測定を実行してデータを収集するようにしてもよい。即ち、最大強度を示すイオンの質量電荷比に対するイオン強度と、そもそも最大強度よりも強度の低い同位体イオンのイオン強度との測定が可能でありさえすれば、SIM測定モード、スキャン測定モードなど、測定モードに制約はない。
【0039】
また、MS部2が三連四重極型質量分析計などのMS/MS分析が可能な質量分析装置である場合に、プロダクトイオンを検出して得られるイオン強度信号に対しても上記のような処理を行って定量を実施することもできる。例えばレセルピンをSRM(選択反応モニタリング)測定モードでMS/MS分析して定量する場合に、通常、最大強度を示すm/z 609.3のイオンをプリカーサイオンとしてCID(衝突誘起解離)等により生成されるm/z 195のプロダクトイオンを選択的に検出し、そのイオン強度を利用して定量を行う。この場合にも、m/z 195のプロダクトイオンのイオン強度信号がA/D変換器31の入力ダイナミックレンジの上限を超えると出力データが飽和して正確な定量が行えない。これに対し、上記方法を利用して同位体由来のm/z 611.3であるイオンをプリカーサイオンとしてCID等により生成されるm/z 197のプロダクトイオンを選択的に検出することにより、上記のような信号飽和を生じることなく正確な定量を行うことができる。
【0040】
また、上記実施例では、最大強度を示すイオンの質量電荷比として主同位体元素のみで構成されるイオンに対する質量電荷比を利用し、該最大強度に対応した信号に飽和が生じたときに代わりに利用されるイオンの質量電荷比として主同位体元素以外の元素を含む同位体イオンに対する質量電荷比を利用していたが、後者としては最大強度に対し所定比率で以て低い強度を示すイオンの質量電荷比であれば、必ずしも同位体イオン由来のピークに対応した質量電荷比である必要はない。例えば、目的化合物由来のイオンの中で最大強度を示すイオンのピークトップからずれた、つまりピークの立上り傾斜部又は立下り傾斜部の途中の位置に対応する質量電荷比におけるイオン強度を測定してもよい。
【0041】
即ち、質量分析装置において或る質量電荷比Mに対するイオンを選択的に検出する場合、実際には、図6に示すように目的の質量電荷比Mを中心とする或る幅を持ったピークが観測される。このピーク幅は質量分解能に関係し、その質量分析装置において例えば四重極マスフィルタに印加される電圧などの各種の制御パラメータの調整・設定に依存する。そのため、制御パラメータの調整・設定が決まればピーク幅は決まり、ピーク形状は理想的にはガウス分布となるのでピーク幅が決まれば、そのピークのピークトップの強度Xに対して所定比率だけ低い強度を示す質量電荷比又はその質量電荷比ずれ量が求まる。図6では、図中に記載した最も小さいピーク幅を持つピーク波形において、ピークトップの強度Xに対し強度が1/2になる位置の質量電荷比をM−ΔMで示している。
【0042】
したがって、制御パラメータの調整・設定が一定である条件の下では、ピークトップの質量電荷比から所定量だけずれた質量電荷比のイオン強度はピークトップの強度に対し所定比率だけ低くなり、そのイオン強度を上述した同位体イオンのイオン強度の代わりに利用することができる。これによれば、主同位体元素以外の同位体元素を含む化合物の存在比が非常に低く該化合物由来の同位体イオンの強度が非常に低い場合にも、幅広い濃度範囲に対する正確な同定が可能である。
【0043】
また、上記実施例及び上記記載の各種変形例にとどまらず、本発明の趣旨の範囲で適宜に変形、追加、修正を行っても本願請求の範囲に包含されることは明らかである。
【符号の説明】
【0044】
1…LC部
11…移動相容器
12…送液ポンプ
13…インジェクタ
14…カラム
15…オートサンプラ
2…MS部
21…イオン化プローブ
22…脱溶媒管
23、24…イオンガイド
25…四重極マスフィルタ
26…イオン検出器
3…データ処理部
31…A/D変換器
32…データ収集部
33…飽和検出部
34…データ選択制御部
35…イオン強度換算部
36…クロマトグラム作成部
37…検量線作成部
38…検量線記憶部
39…定量演算部
4…分析制御部
5…中央制御部
6…操作部
7…表示部
図1
図2
図3
図4
図5
図6