特許第5752903号(P5752903)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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  • 特許5752903-移植片移送用器具 図000003
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5752903
(24)【登録日】2015年5月29日
(45)【発行日】2015年7月22日
(54)【発明の名称】移植片移送用器具
(51)【国際特許分類】
   C12M 3/00 20060101AFI20150702BHJP
   C12N 5/071 20100101ALI20150702BHJP
   C12N 5/10 20060101ALI20150702BHJP
【FI】
   C12M3/00 Z
   C12N5/00 202A
   C12N5/00 102
【請求項の数】5
【全頁数】12
(21)【出願番号】特願2010-182466(P2010-182466)
(22)【出願日】2010年8月17日
(65)【公開番号】特開2012-39906(P2012-39906A)
(43)【公開日】2012年3月1日
【審査請求日】2013年7月5日
(73)【特許権者】
【識別番号】000109543
【氏名又は名称】テルモ株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100102842
【弁理士】
【氏名又は名称】葛和 清司
(72)【発明者】
【氏名】高崎 秀規
(72)【発明者】
【氏名】安齋 崇王
【審査官】 太田 雄三
(56)【参考文献】
【文献】 特開2005−176812(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12M 3/00
C12N 5/00
CAplus/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
PubMed
CiNii
WPIDS(STN)
Thomson Innovation
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
液体中に遊離した移植片を移送するための器具であって、該移植片を載置するための保持部を備え、該保持部の表面の少なくとも一部が、湿潤時に潤滑性を有することにより、前記移植片が滑動できる親水性ポリマーで構成される、前記器具。
【請求項2】
保持した移植片を標的部位に移送し、該移植片を該標的部位に接触させ、滑動により、移植片を保持部の表面から離脱可能である、請求項1に記載の器具。
【請求項3】
保持部が、面状である、請求項1または2に記載の器具。
【請求項4】
移植片が、シート状である、請求項1〜3のいずれか一項に記載の器具
【請求項5】
移植片が、骨格筋芽細胞の培養物および/またはその産生物である、請求項1〜4のいずれか一項に記載の器具
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細胞培養物、特にヒト及び動物の疾病、傷病の治療に用いる細胞培養物の移植操作を、簡便に行うことができる器具、および、同器具を用いた細胞培養物の移送のための方法に関する。
【背景技術】
【0002】
近年の心臓病に対する治療の革新的進歩にかかわらず、重症心不全に対する治療体系は未だ確立されていない。心不全の治療法としては、βブロッカーやACE阻害剤による内科治療が行われるが、これらの治療が奏功しないほど重症化した心不全には、補助人工心臓や心臓移植などの置換型治療、つまり外科治療が行われる。
【0003】
このような外科治療の対象となる重症心不全には、進行した弁膜症や高度の心筋虚血に起因するもの、急性心筋梗塞やその合併症、急性心筋炎、虚血性心筋症(ICM)、拡張型心筋症(DCM)などによる慢性心不全やその急性憎悪など、多種多様の原因がある。
これらの原因と重症度に応じて弁形成術や置換術、冠動脈バイパス術、左室形成術、機械的補助循環などが適用される。
【0004】
この中で、ICMやDCMによる高度の左室機能低下から心不全を来たしたものについては、心臓移植や人工心臓による置換型治療のみが有効な治療法とされてきた。しかしながら、これら重症心不全患者に対する置換型治療は、慢性的なドナー不足、継続的な免疫抑制の必要性、合併症の発症など解決すべき問題が多く、すべての重症心不全に対する普遍的な治療法とは言い難い。
【0005】
その一方、最近、重症心不全治療の解決策として新しい再生医療の展開が不可欠と考えられている。
重症心筋梗塞等においては、心筋細胞が機能不全に陥り、さらに線維芽細胞の増殖、間質の線維化が進行し心不全を呈するようになる。心不全の進行に伴い、心筋細胞は傷害されてアポトーシスに陥るが、心筋細胞は殆ど細胞分裂をおこさないため、心筋細胞数は減少し心機能の低下もさらに進む。
このような重症心不全患者に対する心機能回復には細胞移植法が有用とされ、既に自己骨格筋芽細胞による臨床応用が開始されている。
【0006】
しかし、実際に細胞移植法により臨床的に心機能を十分に向上させるためには、直接心筋内注入による方法では移植細胞の70〜80%が失われその効果を十分に発揮できない点や、不整脈等の副作用の問題、大量且つ安全な細胞源の確保などの問題点の解決が不可欠であるうえ、細胞注入局所へ炎症を惹起するとともに局所的な細胞移植しか行えないため、例えば拡張型心筋症のように心臓全体の心機能が低下した場合に限界がある。
【0007】
近年、これらの問題に対し、組織工学を応用した温度応答性培養皿を用いることによって、成体の心筋以外の部分に由来する細胞を含む心臓に適用可能な三次元に構成された細胞培養物と、その製造方法が提供された(特許文献1)。
【0008】
このような細胞培養物を、目的とする患部(移植部位)に移植するには、例えば、細胞培養物の端部をピンセット等で摘んで、細胞培養物を包装容器から取り出し、患部まで移送し、その患部に移植(貼付)するといった一連の操作が必要となるが、細胞培養物は、絶対的な物理的強度が低く、皺、破れ、破損などが生じ易いことから、この一連の操作には高度な技術が要求され、かつ細心の注意を払う必要がある。
【0009】
細胞培養物の強度を補うため、親水性PVDF膜、ニトロセルロース膜を用いた支持体やヒトフィブリノゲン等を足場とした支持体が知られ、さらに細胞培養物を対象とした移動治具や運搬投与器具が提供されており、前述の温度応答性培養皿に対応した細胞培養物のための支持体(Cell ShifterTM、セルシード製)が市販されている。
【0010】
例えば、特許文献2には、細胞付着部を有する培養細胞移動治具を用い、細胞接着性タンパク質、細胞接着性ポリマー、親水性ポリマーなどからなる細胞付着部に細胞培養基材上の培養細胞を付着させることで培養細胞を細胞培養基材上から剥離させ、その後、その培養細胞移動治具の細胞付着部と培養細胞との付着力を弱めることで、剥離させた培養細胞を特定の場所へ再び付着させることが記載されている。
しかし、培養細胞移動治具の細胞付着部の表面上に存在する細胞接着性タンパク質(例えばフィブリン)に接着した培養細胞をそこから剥離させることは容易ではない。培養細胞を適用しようとする部位と培養細胞の接着がより強くなければ細胞接着性タンパク質から培養細胞は剥離しないと考えられる。前記特許文献2において培養細胞移動治具の細胞付着部から培養細胞を剥離するためには、細胞付着部と培養細胞との付着力を弱めるとの課題が示されたのみで、この課題を具体的に解決する手段は明示されていない。したがって、この細胞培養移動治具は細胞付着部に接着した培養細胞を剥離することが難しく、操作性という点で問題があった。さらに、細胞接着部と培養細胞の接着力次第では、培養細胞と培養基材の接着力が勝り、剥離が不可能であるなどの問題もあり、また剥離する段階から治具が必要であり、治具そのものも複雑な構造をしている。
【0011】
また、特許文献3には、細胞培養物を、目的とする患部に移植する際に用いる運搬投与器具が記載されている。この運搬投与器具は、内部に供給される流体圧の変化によって、平面状の展開形状と筒状の収納形状への変形動作と、基端部の曲げ動作とを行わせる治療用器具であり、具体的には、細胞培養物を患部に移植する際に細胞培養物を保持し、患部まで移送し、その患部に貼り付ける。しかし、この運搬投与器具は、その構造上、シート支持体の内部に微細な流体流路を設け、かつ流体の流路を厳密に管理する必要があった。
この問題を改善すべく、特許文献4の運搬投与器具が提供されたが、その構造は、円筒状の外筒と、該外筒内に軸線方向へ摺動可能に支持されたスライド部材と、シート状の治療用物質を支持してスライド部材の先端部に設けられ、外筒の先端部から突出された自由状態では平面状の展開形状に保たれ、スライド部材の摺動移動に応じて外筒の内部方向に移動されたときに該外筒の先端部に当接して筒状に変形しながら外筒内に収納されるシート支持部材とを有するものである。
【0012】
湿潤時に表面が潤滑性を有する医療用具は公知である。例えば特許文献5には、湿潤時に潤滑性を有するガイドワイヤーやステント、カテーテルなどの医療用具が開示され、かかる医療用具は、表面の潤滑性物質の剥離や溶出がなく、体内への挿入時における抵抗の減少、操作性の向上、組織粘膜の損傷や患者の苦痛の低減などの効果を奏することが記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0013】
【特許文献1】特表2007−528755号公報
【特許文献2】特開2005−176812号公報
【特許文献3】特開2005−173333号公報
【特許文献4】特開2009−511号公報
【特許文献5】特開平8−33704号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
本発明の目的は、ヒト及び動物の疾病、傷病の治療に用いる細胞培養物の移植操作などにおいて、従来の支持体や運搬投与器具に代わる、簡便な操作性を有する移送器具の提供を課題とし、簡易な構成で、容易、迅速かつ確実に、細胞培養物を移植(貼付)することができる移送器具を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0015】
本発明者らは、上記課題を解決すべく鋭意研究を重ねる中で、乾燥時には潤滑性を有さないが、湿潤時に潤滑性を有する親水性ポリマーに着目した。そして、移植片を載置可能な保持部を備え、該保持部の表面の少なくとも一部が親水性ポリマーで構成され、湿潤時に潤滑性を有する器具を用いることで、液体中に遊離した細胞培養物に損傷を与えることなく容易に目的部位に移植することができることを見出し、さらに研究を進めた結果、本発明を完成させるに至った。
【0016】
すなわち本発明は、以下に関する。
(1)液体中に遊離した移植片を移送するための器具であって、該移植片を載置するための保持部を備え、該保持部の表面の少なくとも一部が、前記移植片が滑動できる親水性ポリマーで構成される、前記器具。
(2)保持した移植片を標的部位に移送し、該移植片を該標的部位に接触させ、滑動により、移植片を保持部の表面から離脱可能である、(1)に記載の器具。
【0017】
(3)保持部の表面が、湿潤時に潤滑性を有する、(1)または(2)に記載の器具。
(4)保持部が、面状である、(1)〜(3)のいずれかに記載の器具。
(5)移植片を回収、移送および送達する方法であって、
(i)移植片を載置するための保持部を備え、該保持部の表面の少なくとも一部が、前記移植片が滑動できる親水性ポリマーで構成された器具の保持部に、移植片を載置するステップ
(ii)保持部に載置した移植片を、標的部位に移送するステップ
(iii)移植片を標的部位に接触させ、滑動により前記器具を移植片から離脱するステップ
を含む、前記方法。
【0018】
(6)移植片が、シート状である、(5)に記載の方法。
(7)移植片が、骨格筋芽細胞の培養物および/またはその産生物である、(5)または(6)に記載の方法。
【発明の効果】
【0019】
本発明によれば、液体中に遊離した移植片を保持部に載置すると、移植片が遊離している液体と本発明の器具との接触により、該器具の表面に薄い液体の膜が均一に形成されるため、表面張力の作用により移植片を該器具の表面に吸着することができるため、容易に載置することができる。さらに、載置して吸着した移植片を、標的部位に接触させ、本発明の器具を滑動することにより、該器具が移植片より容易に離脱し、移植片を目的部位に移植することができる。本発明の器具を滑動して移植片から離脱することにより、離脱の際に移植片が移植部位からずれたりめくれあがったりしてしまうことを防ぐことができ、また前記保持部の表面全体に均一に水の膜が形成されているため、滑動の際に移植片が前記器具に引っかかったりすることなく、そのため脱離の際の移植片の損傷などがなく、容易、迅速かつ確実に移植片を標的部位に移植することができる。
【図面の簡単な説明】
【0020】
図1図1は、本発明の器具の一態様の側面図を図示したものである。本態様において、本発明の器具の保持部は潤滑性の親水性ポリマーでコートされ、水と接触することにより、その表面に水の被膜を形成し、その結果潤滑性を得る。シート状細胞培養物は水の被膜を介して保持部表面に保持されるため、滑動によって容易に脱離することが可能である。
図2図2は、本発明の器具に、骨格筋芽細胞のシート状細胞培養物を載置した状態の写真である。
図3図3は、本発明の器具を用いて骨格筋芽細胞のシート状細胞培養物を移植したミニブタの心臓の写真である。点線部はシート状細胞培養物が移植された部分である。シート状細胞培養物は、何らの物理的な損傷、皺などなく、きれいに移植されていることが分かる。
【発明を実施するための形態】
【0021】
本発明は、液体中に遊離した移植片を保持するための器具であって、該移植片を載置するための保持部を備え、該保持部の表面の少なくとも一部が、前記移植片が滑動できる親水性ポリマーで構成される、前記器具に関する。本発明における移植片は、典型的には培養した細胞および/またはその産生物で構成されるが、生体の所定部(例えば患部等)を補填および/または支持するための各種の材料(補填材料や支持材料)なども含む。移植片は、典型的には哺乳動物、例えば、ヒトや家畜等の疾病、傷病の治療等に用いられるものであるが、これに限定されるものではない。この移植片は液体中に遊離した状態、すなわち、浸漬液や洗浄液等の中に遊離しており、基材表面に付着していない。移植片の形状は特に限定されず、保持部に載置可能な形状であればシート状、塊状、柱状等の種々の形状であってよい。
【0022】
移植片が遊離している液体はいかなる液体であってもよく、典型的には生理食塩水、PBS、ハンクス平衡塩液、細胞培養液などであるが、これに限定されない。移植片を載置する際、同時に本発明の器具の保持部表面が潤滑性を有することが好ましいため、前記保持部表面に潤滑性を付与することができる液体、例えば水系液体が好ましい。
【0023】
本発明の器具は、移植片を保持する保持部を少なくとも備えている。保持部は、移植片を載置して保持する部位であり、その表面の少なくとも一部が親水性ポリマーで構成されている。本発明の器具は、該親水性ポリマーで構成された表面を前記移植片が滑動することを特徴とするため、送達の際に、該移植片が器具表面に付着するなどの原因で物理的に損傷することがない。本発明の一態様において、保持した移植片を標的部位に移送し、該移植片を該標的部位に接触させ、滑動により、移植片を保持部の表面から離脱可能である。滑動により移植片から離脱することにより、移植片を簡便、迅速かつ的確に標的部位へと移植することができる。
【0024】
本発明の一態様において、その表面が湿潤時に潤滑性を有するという性質を有している。「湿潤時に潤滑性を有する」とは、液体と接触した際に様々なメカニズムによって潤滑性を有していることをいい、これに限定されるものではないが、例えば、液体を構造中に取り込んで膨張することで表面がなめらかになることや、表面に液体の被膜を形成することで表面の摩擦を減少することなどが挙げられる。液体に接触する前に潤滑性を有していても有していなくてもよいが、操作性、保存性などの観点から有していないことが好ましい。
【0025】
本態様の器具は、保持部表面の少なくとも一部が、前記移植片が滑動できる親水性ポリマーで構成され、湿潤時に潤滑性を有すればよい。したがって、保持部全体が湿潤時に潤滑性を有する親水性ポリマーなどの素材で構成されていてもよいし、別の基材で構成された保持部に湿潤時に潤滑性を有する親水性ポリマーなどの素材をコートするなどして、表面のみを湿潤時に潤滑性を有するように処理してもよい。
【0026】
本発明の一態様において、水溶性または水膨潤性重合体の架橋物または高分子化物が、保持部の基材表面で相互貫入網目構造を形成することにより、保持部表面が湿潤時に潤滑性を有するようになっている。本発明において「相互貫入網目構造」とは、一つの部材が他の部材中に貫入し、貫入した部材の分子同士もまた、他の部材中に貫入させた部位を他の部材中で相互に結合させることによって形成された網目構造を言う。典型的には、保持部の基材表面が溶媒により膨潤し、水溶性または水膨潤性重合体との間に相互貫入網目構造を形成することにより、該重合体の基材への固定を強固にする。相互貫入網目構造は、基材と該重合体層との界面で形成されていれば良い。界面での結合を強化することにより、耐剥離性に優れた表面潤滑層を形成させることとなる。
【0027】
本態様において、保持部を構成する基材は、溶媒に対して膨潤すればいかなるものであっても構わないが、寸法が著しく変化しないことが好ましい。典型的には、式(1)の式により算出された膨潤率が、1〜100%、好ましくは5〜40%、より好ましくは10〜30%の条件で該重合体をコーティングできる基材と溶媒の組み合わせであるが、これに限定されるものではない。
【数1】
【0028】
また膨潤率の測定方法は以下の方法で測定する。
(1)保持部を構成する基材を1cm×3cm×0.3mmのシートに切断し(この時の重量をWとする)、溶媒25mlに浸漬させる。
(2)浸漬後、即座に表面に存在する溶媒を拭き取り、重量変化(ΔW)を算出する。
浸漬時間に関しては、基材の寸法が著しく変化せず、要求されている物性が保持される範囲内であれば、いかなる時間でも構わないが、操作性の観点から1秒〜10分、好ましくは10秒〜5分、より好ましくは30秒〜3分であることが好ましい。
【0029】
具体的な素材としては、ポリオレフィン、変性ポリオレフィン、ハロゲン化ポリオレフィン、ポリエーテル、ポリウレタン、ポリアミド、ポリエステルあるいはこれらのブロックまたはグラフト共重合体やアロイ化成型物や多層化成形物である。アルカリ金属アルコラート基、アミノ基、アルカリ金属アミド基、カルボン酸基、スルホン酸基、マグネシウムハライド基およびフッ素ホウ素系錯体基を含有する必要はないが、含有していてもよい。
【0030】
一方、本態様において用いることができる水溶性または水膨潤性重合体(親水性ポリマー)は、要求される機械的強度や潤滑性の機能により異なる。典型的には室温付近または移植対象部位周辺の温度(これに限定するものではないが、典型的には哺乳動物において30〜40℃)において吸水し、潤滑性を発現する重合体であり、架橋または不溶化した際に吸水率が100%以下のものであるが、これに限定されない。例えば、加熱処理や触媒を添加することにより架橋するエポキシ基を有するブロックコポリマーや高分子化するマクロモノマーが好適に使用される。
【0031】
さらにブロックコポリマーにおいては、潤滑性を発現する部位とエポキシ基を有する部位とからなるブロック共重合体であることが望ましい。潤滑性を発現する部位は、液体中、好ましくは体液または細胞培養液、洗浄液などの水系溶媒中において潤滑性を発現すればいかなるものであっても良いが、合成の容易性や操作性などを考慮すると、アクリルアミド、アクリルアミド誘導体よりなる重合体、N,N−ジメチルアミノエチルアクリレート、糖、リン脂質を側鎖に有する単量体を構成成分とする重合体あるいは無水マレイン酸系重合体などが好適に用いられる。無水マレイン酸系重合体としては、水溶解性に限定されず、無水マレイン酸系高分子を主成分としていれば不溶化されたものであっても、湿潤時に潤滑性を発現するものであれば良い。さらに、基材を膨潤させる溶媒に重合体を溶解させて相互貫入網目構造を形成することを考慮すると、有機溶媒にも可溶な重合体、すなわち両親媒性重合体がより好ましい。
【0032】
一方マクロモノマーにおいては、枝の部分が潤滑性を発現する部位で、幹の部分が加熱処理により架橋または高分子化するドメインを有する部位であることが好ましいが、これに限定されるものではない。典型的には、グリシジルメタアクリレートとジメチルアクリルアミドとのマクロモノマー、グリシジルメタアクリレートと無水マレイン酸・ヒドロキシエチルメタアクリレート共重合体とのマクロモノマー、グリシジルメタアクリレートと無水マレイン酸・アクリルアミド共重合体とのマクロモノマーなどが挙げられる。より好ましくは、親水性ドメインとしてポリジメチルアクリルアミド(DMAA)を、反応性ドメインとしてポリグリシジルメタクリレート(GMA)を有するブロックコポリマーが挙げられる。
【0033】
基材表面に相互貫入網目構造を形成する方法としては、これに限定するものではないが、例えば基材を、上記水溶性または水膨潤性重合体を溶解した溶媒に浸漬して表面をコーティングした後、架橋構造を形成させるなどにより形成することができる。相互貫入網目構造を形成する方法自体は公知であり、例えば特開平8−33704などに記載されている。
【0034】
保持部の形状は、移植片を載置可能な形状であれば面状、棒状など何でもよいが、好ましくは面状である。面状であることにより、より移植片を載置しやすく、また移植片との接触面積も拡がるため、保持が容易となる。本発明において、「面状」とは、これに限定するものではないが、例えば略平面状、曲面状(凸面状および凹面状)などが含まれる。また、力を加えるなどの所定の操作により、略平面状と曲面状とに転換可能である場合も本発明の「面状」に含まれる。この場合、これに限定するものではないが、例えば柔軟性を有する素材や形状記憶素材などで保持部を構成することにより達成可能である。平時には略平面状であり、力を加えることで曲面状に変化し、力を加えるのを止めると再度略平面状に戻ることがより好ましい。この場合、例えば移送時に力を加え、載置した移植片を包み込むように曲面状にすることで、狭い間隙から移植片を移送することができる、移送時における標的部位以外との不用意な接触や外部からの衝撃から移植片を保護できるなどの利点を有する。
【0035】
さらにハンドル部が、保持部と連結されていてもよい。ハンドル部は異なる部材であってもよいし、保持部と一体成型されていてもよい。ハンドル部の形状は、いかなる形状であってもよい。好ましくは、保持部とハンドル部が略平面状になるように連結されている。保持部とハンドル部が略平面状になるように連結されることで、移植片から本発明の器具を滑動により離脱する際に離脱しやすくなる。
【0036】
本発明の器具は、移植片を回収および移送する目的で使用される器具であり、したがって本発明の器具を用いた、移植片を回収および送達する方法も本発明に包含される。本発明に包含される移植片を回収および送達する方法は、
(i)移植片を載置するための保持部を備え、該保持部の表面の少なくとも一部が、前記移植片が滑動できる親水性ポリマーで構成された器具の保持部に、移植片を載置するステップ
(ii)保持部に載置した移植片を、標的部位に移送するステップ
(iii)移植片を標的部位に接触させ、滑動により前記器具を移植片から離脱するステップ
を含む。
【0037】
本発明の器具は、保持部の表面の少なくとも一部が親水性ポリマーで構成されている。本発明の一態様において、この親水性ポリマーは湿潤時に潤滑性を有する。その場合、液体中に遊離した移植片を保持部に載置する際に、移植片が遊離している液体を吸収して膨潤し、保持部表面に均一な薄い液体の膜が形成され、保持部表面が潤滑性を有することとなるが、湿潤の初期段階において、十分に液体の膜が形成されていない段階では、保持部と移植片との間に適度な吸着力が生じることとなり、移植片を容易に載置および移送することが可能となる。さらに標的部位に移送した移植片を、直接標的部位と接触させる。移植片と標的部位が接触することにより、移植片と標的部位との間に吸着力が生じることとなる。本発明の器具は、移植片を載置した後には、その保持部の表面が十分湿潤して潤滑性を有しているため、本発明の器具を滑動させることにより、本発明の器具を移植片から容易に離脱し、移植片を標的部位にきれいに移植することが可能となる。そして移植片が保持部の表面に付着することなくスライドして滑動するため、移植片に何ら物理的な損傷を与えることなく移植することができる。
【0038】
上述のように、移植片の形状は、保持部に載置可能な形状であれば何でもよい。吸着によって保持する観点から、好ましくは移植片と保持部との接触面積が大きく、滑動によって離脱するため、滑動の際に移植片にせん断力が加わりづらい形状であることが好ましい。したがって、好ましくは移植片はシート状または膜状である。
【0039】
細胞培養物は、通常、可撓性(柔軟性)を有しているが、これに限らず、例えば、やや硬質なものであってもよい。細胞培養物はいわゆる温度応答性培養皿(例えば、特開平2−211865参照)上で培養されて培養皿から剥離されたものでもよいが、これ以外の手法で得られたものであってもよい。細胞培養物は、任意の細胞種、例えば、限定されずに、筋芽細胞(例えば、骨格筋芽細胞)、心筋細胞、線維芽細胞、滑膜細胞、上皮細胞、内皮細胞などに由来してもよい。本発明においては、治療上の有用性や、慣用の技法によるハンドリングの難しさなどの観点から、例えば骨格筋芽細胞からなる細胞培養物が好ましい。細胞培養物を構成する細胞が由来する動物も特に限定されず、例えば、ヒト、非ヒト霊長類、イヌ、ネコ、ブタ、ウマ、ヤギ、ヒツジなどが含まれる。
【0040】
以下、本態様の器具を添付図面に示す好適な実施形態例を基に詳細に説明するが、本発明はかかる例に限定されない。
【実施例】
【0041】
例1.湿潤時に潤滑性を有するポリマーシートの作製
アジピン酸2塩化物72.3gに50℃でトリエチレングリコール29.7gを滴下した後、50℃で3時間塩酸を減圧除去して得られたオリゴエステル22.5gにメチルエチルケトン4.5gを加え水酸化ナトリウム5g、31%過酸化水素6.93g、界面活性剤ジオクチルフォスフェート0.44g、水120gよりなる溶液に滴下し、−5℃で20分間反応させた。反応生成物を水洗、メタノール洗浄を繰り返した後、乾燥させて分子内に複数のパーオキサイド基を有するポリ過酸化物を得た。このポリ過酸化物を開始剤として0.5g、グリシジルメタクリレート(GMA)9.5gを、ベンゼン30gを溶媒として、80℃、2時間減圧下で撹拌しながら重合体した。反応生成物は貧溶媒をジエチルエーテル、良溶媒をテトラヒドロフランとして精製し、分子内に複数のパーオキサイド基を有するポリグリシジルメタアクリレート(PPO−GMA)を得た。
【0042】
続いてPPO−GMA1.0gをジメチルアクリルアミド9.0g、溶媒としてジメチルスルフォキシド90gを仕込み、減圧で密閉にした後、80℃に加熱して18時間重合反応を行なった。反応後、貧溶媒をジエチルエーテル、良溶媒をテトラヒドロフランとして精製し、分子内にエポキシ基材を有する湿潤時に潤滑性を発現する親水性のブロックコポリマーを得た。本ポリマーはNMRおよびIR測定により、分子内にエポキシ基の存在が確認できた。
【0043】
上記ブロックコポリマー2重量部と触媒としてピリジン1重量部をテトラヒドロフランに溶解した。本溶液にポリウレタン(ダウケミカル社製:ペレセン75D)の1cm×3cm×0.3mmのシートを30秒間浸漬させた。そのときの膨潤率は、25%であった。さらに、コーティングしたシートを60℃、18時間反応させ、水洗して湿潤時に潤滑性を有する表面を得た。この試料をATR−IRにより表面分析を行なったところ、コーティング前に存在していたエポキシ基のピークが認められずエーテル結合のピークが確認され、エポキシ基の架橋が確認された。
【0044】
得られたシートは生理食塩水または水に浸漬させると、優れた潤滑性を示した。また、1時間の煮沸においても煮沸前の潤滑性を有しており、耐久性においても優れていることが確認できた。
【0045】
例2.骨格筋芽細胞シートの作製
(1)骨格筋の採取
ミニブタから、麻酔下で骨格筋組織約5gを採取した。
(2)骨格筋芽細胞の分離および初代培養
採取した筋肉組織を酵素消化し、骨格筋芽細胞を回収し、37℃、5%CO条件下で培養を行った。
(3)シート状骨格筋芽細胞培養物の作製
培養した骨格筋芽細胞を回収し、温度応答性培養皿(UpCell:株式会社セルシード)に播種し、シート状骨格筋芽細胞培養物を作製した。
【0046】
例3.シート状骨格筋芽細胞培養物の移植
(1)移植用治具へのシート状骨格筋芽細胞培養物のセット
実施例で作製した親水性ポリマーで表面をコートされた移植用治具をHBSS(ハンクス平衡塩液)中に浸漬させて表面を十分に湿潤させた。シート状骨格筋芽細胞培養物をHBSSに浸漬し、シート状骨格筋芽細胞培養物の下に移植用治具を差し入れ、表面の潤滑性を利用して滑らせるようにシート状骨格筋芽細胞培養物を移植用治具上に引き上げ、移植用治具へシート状骨格筋芽細胞培養物をセット(載置)した。(図2)。
【0047】
(2)移植
ミニブタの麻酔導入後、正中部を切開して心臓を露出させた。シート状骨格筋芽細胞培養物が載置された面が下向きになるように移植用治具を胸腔内に差し入れ、心臓表面左室前壁にシート状骨格筋芽細胞培養物を密着させた。直ちに移植用治具を手前に引き抜き、移植用治具の潤滑性を利用してシート状骨格筋芽細胞培養物を滑らせる(滑動させる)ことで心臓表面に移植した。シート状骨格筋芽細胞培養物は何ら損傷などなく心臓表面に移植することができた。(図3)。
【産業上の利用可能性】
【0048】
以上のように、本発明の器具によれば、移植片の吸着(採取、回収)、保持、患部への移送、患部への貼付(移植)等の一連の各操作を、極めて簡便、迅速、かつ確実に、しかも移植片に損傷を与えることなく行うことができる。
【符号の説明】
【0049】
1 シート状細胞培養物
2 水の被膜
3 潤滑性の親水性ポリマーでコートされた基材
図1
図2
図3