【課題を解決するための手段】
【0007】
そこで、本発明者等は、上述のような観点から、高靭性のダクタイル鋳鉄等の難削材の高速切削加工における被覆工具の硬質被覆層の耐チッピング性と耐摩耗性を同時に改善すべく、硬質被覆層の上部層であるAl
2O
3層の配向性に着目して、鋭意研究を行ったところ、次のような知見を得た。
【0008】
まず、Al
2O
3層の配向性について、これを、例えば、(006)配向の様な特定の配向に制御することにより、耐摩耗性の確保は可能であるが、層中に形成される残留応力により耐チッピング性が十分ではない。
そこで、残留応力を除去し、耐チッピング性を高めるために、特許文献3に記載されるように、ブラシ処理、ブラスト処理(サンドブラスト処理、ウェットブラスト処理)、ショットピーニング処理等の各種の表面処理を行うことによってAl
2O
3層からなる上部層の残留応力除去を試みたところ、Al
2O
3層の(006)配向性が高い場合には、十分な残留応力緩和効果が得られないため、耐チッピング性の改善も十分とはいえなかった。
つまり、特許文献1に記載されるような(006)配向性が高い従来被覆工具においては、耐摩耗性にすぐれるものの耐チッピング性が十分でなく、そして、耐チッピング性の改善を目的として、硬質被覆層形成後、表面処理を行うことにより残留応力の緩和を図ったとしても、残留応力緩和の効果は少ないため、耐チッピング性は依然として満足できるものではなかった。
しかるに、本発明者らは、Al
2O
3層からなる上部層について、所定の割合で(006)配向性を有せしめ、所定の耐摩耗性を保持せしめた場合であっても、同時に、(104)配向と(110)配向とを所定の比率となるように調整することにより、硬質被覆層形成後の表面処理による残留応力緩和効果の向上を図ることができ、もって、耐チッピング性を改善し得ることから、このような被覆工具は、耐摩耗性と耐チッピング性の双方に優れた工具特性を備えることを見出したのである。
【0009】
この発明は、上記の知見に基づいてなされたものであって、
「 炭化タングステン基超硬合金で構成された工具基体の表面に、チタン化合物層からなる下部層と酸化アルミニウム層からなる上部層を硬質被覆層として蒸着形成した表面被覆切削工具において、
上記酸化アルミニウム層からなる上部層は、(006)面配向係数TC(006)が1.8以上であり、かつ、(104)面のピーク強度I(104)と(110)面のピーク強度I(110)の比I(104)/I(110)が0.5〜2.0であり、さらに、酸化アルミニウム層内の残留応力値の絶対値が100MPa以下であることを特徴とする表面被覆切削工具。」
に特徴を有するものである。
【0010】
つぎに、この発明の被覆工具の硬質被覆層の構成層について、詳細に説明する。
下部層(Ti化合物層):
下部層のTi化合物層としては、チタンの炭化物(TiC)層、窒化物(TiN)層、炭窒化物(TiCN)層、炭酸化物(TiCO)層、炭窒酸化物(TiCNO)層の1層または2層以上からなるTi化合物層を用いることができるが、下部層は、それ自体が高温強度を有し、これの存在によって硬質被覆層が高温強度を具備するようになるほか、工具基体と上部層であるAl
2O
3層のいずれにも強固に密着し、硬質被覆層の工具基体に対する密着性向上に寄与する作用をもつ。
下部層は、その合計平均層厚が3μm未満では、前記作用を十分に発揮させることができず、一方その合計平均層厚が20μmを越えると、チッピングを起し易くなることから、下部層の合計平均層厚は3〜20μmとすることが望ましい。
【0011】
上部層(Al
2O
3層):
Al
2O
3層は、すぐれた高温硬さと耐熱性を有し、硬質被覆層の耐摩耗性向上に寄与するが、例えば、靭性の高いダクタイル鋳鉄等の難削材の高速切削加工においては、被削材と切屑との擦れの発生により、切れ刃稜線近傍には大きなせん断応力が作用し、その結果、切れ刃稜線近傍には亀裂が発生しやすく、この亀裂が進展することによって、チッピングあるいは剥離が発生しやすい。
そこで、この発明では、ダクタイル鋳鉄等の難削材の高速切削加工における耐チッピング性と耐摩耗性の両特性を改善するという観点から、被覆工具の切れ刃稜線部を被覆する上部層は、TC(006)の高い高硬度のAl
2O
3層で構成するとともに、該Al
2O
3層内の残留応力の低減を図ることによって、硬質被覆層の耐チッピング性、耐剥離性を向上させた。
具体的には、まず、上部層を構成するAl
2O
3層について、TC(006)を高めると同時に、(104)面のピーク強度I(104)および(110)面のピーク強度I(110)について、I(104)/I(110)が0.5〜2.0の範囲となる結晶組織構造を備えるAl
2O
3層を蒸着形成する。
次いで、該Al
2O
3層に対して、例えば、ウエットブラスト処理を施して層内残留応力を除去すると、Al
2O
3層のTC(006)が1.8以上と高い場合であっても、I(104)/I(110)が0.5〜2.0であるために、Al
2O
3層の残留応力値は、絶対値で100MPa以下にまで低減される。
その結果、この発明のAl
2O
3層からなる上部層は、高硬度を有し耐摩耗性に優れると同時に、層内の残留応力値が小さいため、耐チッピング性、耐剥離性にも優れる。
【0012】
なお、本発明でいう(006)面配向係数TC(006)は、上部層を構成するAl
2O
3層についてX線回折を行った際の(hkl)面から得られるX線回折のピーク強度値をI(hkl)、JCPDSカードNo.46−1212記載の(hkl)面の標準回折強度をI
0(hkl)とした場合、
であるとして定義される。ここで、(hkl)は(012)、(104)、(110)、(006)、(113)、(202)、(024)、(116)の8面である。
図1に、一例として、本発明被覆工具 の上部層について測定した、X線回折チャートを示し、また、該チャートにて示される(hkl)面のピーク強度値I(hkl)を示す。
【0013】
上記結晶組織構造を備えるAl
2O
3層のより具体的な成膜方法を述べれば、例えば、以下のとおりである。
即ち、WC超硬合金からなり、切れ刃部にホーニング加工を施した工具基体に、通常の成膜条件で所定の層厚のTi化合物層からなる下部層を蒸着形成した後、
≪第1段階≫
まず、通常の化学蒸着装置にて、
反応ガス組成(容量%):AlCl
3:0.5〜2%、CO
2:0.1〜1.5%
HCl:0.3〜3%、CO:0.1〜1.5%、
CH
4:0.5〜2.0%、Ar:20〜35%、
H
2:残り
反応雰囲気温度:950〜1100℃
反応雰囲気圧力:6〜13kPa
の条件で、下部層の表面にAl
2O
3の核形成を行い、
≪第2段階≫
ついで、同じく通常の化学蒸着装置を用い、
反応ガス組成(容量%):AlCl
3:1〜5%、CO
2:0.1〜2%
HCl:0.3〜3%、H
2S:0.5〜1%
Ar:20〜35%、H
2:残り
反応雰囲気温度:950〜1100℃
反応雰囲気圧力:6〜13kPa
の条件で、Al
2O
3の膜成長を行い、
≪第3段階≫
ついで、同じく通常の化学蒸着装置を用い、
反応ガス組成(容量%):AlCl
3:0.5〜2%、CO
2:0.1〜1.5%
HCl:4〜7%、H
2S:0.02〜0.4%
H
2:残り
反応雰囲気温度:950〜1100℃
反応雰囲気圧力:6〜13kPa
の条件で、Al
2O
3の膜成長を行い、目標層厚のAl
2O
3層を得る。
上記の3段階からなる成膜によって、本発明の結晶組織構造を備えたAl
2O
3層、即ち、TC(006)が1.8以上であり、かつ、(104)面のピーク強度I(104)と(110)面のピーク強度I(110)の比I(104)/I(110)が0.5〜2.0であるAl
2O
3層からなる上部層を蒸着形成することができる。
【0014】
ついで、上記で得た本発明の結晶組織構造を備えたAl
2O
3層からなる上部層の表面に、例えば、ウエットブラスト処理を施すことにより、上部層内の残留応力を低減させる。
具体的なウエットブラスト処理条件としては、例えば、噴射研磨材として、水との合量に占める割合で、15〜60質量%のAl
2O
3微粒を配合した研磨液を、0.05〜0.30MPaのブラスト圧力で工具表面全域に噴射するものである。
本発明のAl
2O
3層は、TC(006)が1.8以上と高いにもかかわらず、I(104)/I(110)が0.5〜2.0であるために、残留応力の緩和が効果的に行われ、残留応力値の絶対値が100MPa以下にまで低減され、その結果、耐チッピング性、耐剥離性に優れた硬質被覆層が形成される。
【0015】
本発明のAl
2O
3層は、TC(006)が1.8未満になると、硬度が低下するため、長期の使用に亘ってすぐれた耐摩耗性を発揮することができないことから、TC(006)は1.8以上と定めた。TC(006)の上限については特に制限はないが、所定の高硬度を得るためには、TC(006)は1.8以上3.0以下の範囲であれば十分である。
また、I(104)/I(110)の値については、この値が0.5未満、または、2.0を超えると、表面処理による残留応力緩和効果が得られなくなることからI(104)/I(110)の値は、0.5〜2.0と定めた。
また、残留応力値の絶対値については、100MPaより大きいと耐チッピング性の向上が見られないという理由から100MPa以下と定めた。
【0016】
上記本発明のAl
2O
3層からなる上部層は、上記の3段階からなる成膜によって、工具全表面(すくい面、逃げ面、切刃)に蒸着形成することができるが、必ずしも工具全表面に形成する必要はなく、切刃稜線部を含むすくい面にのみ、あるいは、切刃稜線部を含む逃げ面にのみ、本発明の結晶組織構造を備えたAl
2O
3層を蒸着形成することも勿論可能である。
なお、本発明の結晶組織構造を備えたAl
2O
3層は、その層厚が2μm未満では、所望の耐摩耗性を長期にわたって発揮することができず、一方、その層厚が 15μmを超えると、チッピングが発生しやすくなることから、その層厚は2〜15μmとすることが望ましい。