【実施例】
【0059】
実施例を挙げて本発明をより具体的に説明する。
【0060】
《加工用潤滑剤の調製》
(1)試料No.A00〜A111(油系加工用潤滑剤)
表1に示すように、基油(試料No.A00)に種々の油溶性高分子化合物(添加剤)を添加して、アルミニウム合金を対象とした複数の加工用潤滑剤を調製した。
【0061】
基油には無添加鉱油(サンパー110/日本サン石油株式会社製)を用いた。この基油の動粘度は40℃で20.2mm
2/秒であった。各試料の油溶性高分子化合物の構造(主部および官能基)および分子量(Mw)は表1に併せて示した。なお、油溶性高分子化合物の主部であるポリメタクリレートまたはオレフィンコポリマーの化学構造は
図1に示した通りである。
【0062】
油溶性高分子化合物の基油に対する添加量も、加工用潤滑剤全体を100質量%として表1に併せて示した。なお、表1中、試料No.A00と試料No.A01は同じ加工用潤滑剤であり、試料No.A60と試料No.A61は同じ加工用潤滑剤である。
【0063】
油溶性高分子化合物の官能基の種類や数および分子量は次のように調整、特定した。先ず油溶性高分子化合物の分子量はゲル浸透クロマトグラフィー(GPC)による重量平均分子量を測定した。この際の使用装置および測定条件は次の通りである。
【0064】
装置:LC−20AD(株式会社島津製作所製)
カラム:Shodex KF−806×2本、 KF−802×1本
またはK−806×2本 K−802×1本
測定温度:室温〜40℃
試料溶液:0.2質量%のTHF溶液または0.3質量%のクロロホルム
溶液注入量:150μl
検出装置:屈折率検出器
標準:ポリスチレン
【0065】
次に油溶性高分子化合物の官能基(カルボニル基、アミノ基、ヒドロキシル基)については赤外分光分析および核磁気共鳴(NMR)により特定した。
【0066】
なお、試料No.00〜A111の加工用潤滑剤はいずれも環境負荷物質を含まない。すなわち、それら加工用潤滑剤は、実質的にC、H、OまたはNのみからなり、環境負荷元素である金属(Zn等)、重金属(Mo等)、S、P、Cl等を含まない。
【0067】
(2)試料No.B11〜B51(水系加工用潤滑剤)
表2に示すように、蒸留水に種々の水溶性高分子化合物(添加剤)を添加して、アルミニウム合金を対象とした複数の加工用潤滑剤を調製した。
【0068】
それぞれの水溶性高分子化合物の構造(主部および官能基)と分子量(Mw)は表2に併せて示した。水溶性高分子化合物の主部であるポリアクリル酸、ポリアクリル酸ナトリウムまたはポリビニルアルコールの化学構造は
図2に示した通りである。
【0069】
水溶性高分子化合物の蒸留水に対する添加量も、加工用潤滑剤全体を100質量%として、表2に併せて示した。なお、表2中、試料No.B20と試料No.B21は同じ加工用潤滑剤である。
【0070】
水溶性高分子化合物の官能基の種類や数および分子量も、前述した方法と同様に調整、特定した。但し、GPCによる水溶性高分子化合物の重量平均分子量の測定では、カラム:Shodex O Hpak(SB−G+SB−803HQ+SB−802HQ)、試料溶液:0.2質量%NaCl水溶液、溶液注入量:100μlとした。
【0071】
なお、試料No.B11〜B51の加工用潤滑剤はいずれも環境負荷物質を含まない。すなわち、それら加工用潤滑剤は、実質的にC、H、OまたはNaのみからなり、環境負荷元素である金属(Zn等)、重金属(Mo等)、S、P、Cl等を含まない。
【0072】
(3)試料No.C11〜C21および試料No.D10〜20
分子量が比較的小さい従来の潤滑油および市販されている加工用潤滑油も用意した。これらを表3に示した。なお、試料No.C20と試料No.C21は同じ加工用潤滑油である。また試料No.D10に示した市販油は、冷間鍛造用潤滑油(製品名:FW439A、メーカー:新日本石油株式会社) である。試料No.D20に示した市販油は、冷間鍛造用潤滑油(製品名:タイタンホーマーCCD220、メーカー:豊田ケミカルエンジニアリング株式会社)である。
【0073】
(4)試料No.E10およびE11
固体潤滑被膜に関する試料も用意した。固体潤滑被膜は、金型(加工具)等に塗布された加工用潤滑剤により形成される流動性被膜(液膜)ではなく、被加工材の表面に固着した非流動性被膜である。これも表3に併せて示した。
【0074】
この固体潤滑被膜は次のようにして形成した。アルミニウム合金からなる被加工材(基材)の最表面(内周面)に、先ず、ケイフッ化法を用いてフッ化アルミニウムからなる化成処理被膜を形成する。この上に、リン酸亜鉛の金属石鹸被膜さらにステアリン酸ナトリウムの金属石鹸被膜を、加熱乾燥を行いつつ順次形成した。こうして被加工材の表面に3層構造の固体潤滑被膜が形成された。ちなみに、この固体潤滑被膜は、従来の潤滑油等で対応困難な厳しい条件下でも、アルミニウム合金を冷間鍛造等できる潤滑方法として周知である。
【0075】
《加工性の評価方法》
(1)ボール通し試験
本実施例では、しごき加工等を行う際の金型と被加工材との間の摩擦抵抗(加工力)や耐焼付性などを代替的に評価できるボール通し試験により、各加工用潤滑剤の潤滑性(加工性)を評価した。このボール通し試験に用いた試験装置10の概要を
図3に示す。試験装置10は、コンテナ1、パンチ2、ノックアウトパンチ3およびボール5から構成される。コンテナ1は、φ30mmの貫通穴1aが中央に設けられた鋼製(JIS SKH51)の雌型(ダイス)である。この貫通穴1aに、しごき加工の対象となる円筒状の被加工材4が嵌挿または挿入され得る。パンチ2は、コンテナ1にセットされた被加工材4の内筒部4aへ、雄型であるボール5を押し込む。このパンチ2が移動すると、被加工材4はボール5によってしごき加工がなされる。ノックアウトパンチ3は、そのパンチ2によって押込まれる被加工材4を下方から支持し、被加工材4を所定位置に保持する。
【0076】
ところで、パンチ2の上方には、パンチ2に付与する押込力(加工力)を計測する荷重計(図略)が設置してある。さらに、パンチ2の上方には、その移動量を計測する変位計(図略)も設置してある。こうして、ボール5を押し込んで被加工材4をしごき加工する際の加工力および変位量が、パンチ2を介して同時に計測される。
【0077】
(2)被加工材(ワーク)
被加工材4として、外径:φ29.9mm、内径:φ15.0mm、高さ50mm(その内、しごき長さ38mm)のアルミニウム合金(JIS A6061)の円筒材を用意した。試験に供した被加工材には、Ar雰囲気中で410℃×2時間加熱した焼鈍し処理を施した。
【0078】
(3)ボール(加工具)
上述のボール5として、φ16.67mmの鋼球(高速度工具鋼:AISI M50)を用意した。以下、これを「未処理ボール」という。この未処理ボールにDLC−Si膜を成膜したもの(以下「DLC−Si膜ボール」という。)も用意した。このDLC−Si膜の成膜は、直流プラズマCVD装置を用いて、メタン(CH
4)とテトラメチルシラン(TMS)の混合ガス(原料ガス)中でプラズマ放電をさせて行った。その際の流量比は、CH
4:TMS=1:100(全圧:500Pa)とした。こうして膜厚が2μmのDLC−Si膜を得た。このDLC−Si膜の組成は、C:66原子%、H:30原子%、Si:4原子%であった。なお、この膜中のSi含有量は電子プローブ微小部分析法(EPMA)により定量した。またH含有量は弾性反跳粒子検出法(ERDA)により定量した。
【0079】
(4)試験条件
上述した種々の加工用潤滑剤を加工具(ボール5)に塗布してボール通し試験を行った。また固体潤滑被膜を形成した被加工材についても同様にボール通し試験を行った。この際、被加工材4の減面率は8%である。減面率:8%の加工は、通常なら焼き付きを生じる厳しい加工である。具体的には、前述した固体潤滑被膜を被加工材4の内周面に形成していないと、従来なら焼き付きを生じるほど厳しい強加工である。ちなみに減面率(R)は加工にともない被加工材4の横断面積が減少する割合であり次のようにして求まる(
図3参照)。
【0080】
減面率R=(Db
2−Di
2)×100/(Dc
2−Di
2)
Db:ボール5の外径
Dc:コンテナ1の内径
Di:被加工材4の内径(加工前)
【0081】
ボール通し試験における加工用潤滑剤の供給は次のようにして行った(加工用潤滑剤を用いた全ての試験について同様である)。先ずボール5および被加工材4をアセトン50%、ヘキサン50%の混合液中で超音波洗浄して脱脂乾燥した。その後、被加工材4の内周面上部から加工用潤滑剤を滴下した。この被加工材4をコンテナ1内へ挿入した。次にボール5にも、その頂部からスポイトにより加工用潤滑剤を滴下した。このボール5を被加工材4の内周面上部に置いた。こうして加工面間に加工用潤滑剤を供給した。
【0082】
上記の試験に際して、ボール5の押込み長さ(しごき長さ)は38mm、ボール5の押込み速度(試験速度)は初速200mm/sとした。なお、この押込み速度は、ボール5が被加工材4を通過する際に生じる変形抵抗により終速180mm/sまで減速した(全ての試験について同様である)。
【0083】
《試験》
加工用潤滑剤または固体潤滑被膜と、DLC−Si膜ボールまたは未処理ボールとを組合わせた各試料について上述したボール通し試験を行うことにより得られた結果を表1〜3に併せて示した。表中の「最大荷重」は、パンチ2に作用する最大ボール押込み荷重を測定したものである。いずれの場合も、加工具であるボールは途中で止まることなく通過した。但し、ボール通し試験後のボールまたは被加工材を観察したところ、焼付きが生じているものがあった。焼付きが観察されなかった場合を○(焼付き無し)、焼付きが観察された場合を×(焼付き有り)で表1〜3に併せて示した。なお、試験途中で焼付きが生じても、ボールが貫通したのは、被加工材の一部がボールに付着したまません断されていたためである。
【0084】
《評価》
(1)従来の加工用潤滑剤等
先ず、表3の試料No.C11〜D20に示すように、従来の加工用潤滑剤を用いた場合、いずれもボール押込み時の最大荷重が50kN以上となって焼付きが生じた。これは加工具(ボール5)の表面が未処理の場合は勿論、その表面にDLC−Si膜がある場合でも同様であった。
【0085】
一方、表3の試料No.E10および試料No.E11に示すように、被加工材の表面に固体潤滑被膜を形成した場合、いずれも最大荷重が40kN程度で焼付きが生じなかった。これは、加工具(ボール5)の表面にDLC−Si膜がある場合は勿論、その表面が未処理の場合でも同様であった。この理由は、固体潤滑被膜が被加工材の表面に強固に結合していると共に延性を有し、従来の加工用潤滑剤(液体)からなる潤滑層と異なり潤滑膜切れを生じ難く、被加工材と加工具の固体接触が有効に抑止されたためと考えられる。
【0086】
このようにアルミニウム合金を冷間で強加工する場合、従来の加工用潤滑剤では焼付きを生じることがわかる。これは、加工具の表面に耐焼付きや摩擦低減等に効果があるDLC−Si膜を形成した場合でも、また加工用潤滑剤がその加工具の表面に吸着し易い官能基を有する場合でも同様であった。従ってこれまでは、被加工材の表面に固体潤滑被膜を形成して、アルミニウム合金を強加工するしかなかったことがわかる。
【0087】
(2)油系加工用潤滑剤の場合
次に、表1に示す結果から、分子量の大きな油溶性高分子化合物を基油に添加した加工用潤滑剤を用いた場合、ボール押込み時の最大荷重を、上記の固体潤滑被膜の場合よりもさらに低くでき、焼付きの発生を回避し得ることが明らかとなった(試料No.A41、試料No.A51、A61およびA81〜A101)。
【0088】
これらはいずれも、加工具の表面に非晶質炭素膜(DLC−Si膜)が形成されている場合であって、加工用潤滑剤が表面官能基を有する分子量3万以上の油溶性高分子化合物を8質量%以上含む場合であった。特に、油溶性高分子化合物の表面官能基がカルボニル基である場合、その分子量が6万以上さらには10万以上のときに、最大荷重が著しく低減して焼付きが発生しなかった。また油溶性高分子化合物の表面官能基がカルボニル基およびアミノ基である場合、その分子量が3万以上さらには5万以上のときに、最大荷重が著しく低減して焼付きが発生しなかった。
【0089】
試料No.A11〜A62と試料No.A71〜A101とを比較すると、分子量が同じ程度なら、カルボニル基に加えてアミノ基を有する油溶性高分子化合物を用いた方が最大荷重をより低減し得る。試料A81に用いた高分子の熱分解GC/MSによるパイログラム(分解温度:550℃)を
図4に示す。2種のカルボニル基(図中I,IV)と2種のアミノ基(図中II,III)が認められたことから、高分子中の吸着点が多数存在していることがわかる。2種のアミノ基の中でIIIタイプ型のアミノ基が多く存在していることが、境界膜を強固にしている要因と考えられる。これは、カルボニル基単体またはアミノ基単体よりも、両者が併存することにより、油溶性高分子化合物の加工具(特にDLC−Si膜)への吸着性が向上したためと考えられる。従ってアルミ基がない場合には、吸着点が減少して潤滑性能が低下し得る。
【0090】
(3)水系加工用潤滑剤の場合
さらに、表2に示す結果から、分子量の大きな水溶性高分子化合物を蒸留水に添加した加工用潤滑剤を用いた場合も、ボール押込み時の最大荷重を上記の固体潤滑被膜の場合よりもさらに低くでき、焼付きの発生を回避し得ることが明らかとなった(試料No.B11およびB21〜B51)。これらの場合も同様に、加工具の表面に非晶質炭素膜(DLC−Si膜)が形成されており、加工用潤滑剤がカルボキシル基またはヒドロキシル基を有する分子量8000以上さらには1万以上の水溶性高分子化合物を8質量%以上含む場合であった。
【0091】
(4)試料No.A60と試料No.A61または試料No.B20と試料No.B21を比較するとわかるように、同じ加工用潤滑剤を用いて加工をする場合でも、加工具の表面にDLC−Si膜が存在するか否かにより、焼付きの発生や最大荷重が大きく変化した。これは次のように考えられる。DLC−Si膜が加工具の表面に存在すると、DLC−Si膜と高分子化合物の表面官能基との間に強力な結合力が生じ、高分子化合物がDLC−Si膜上に強固に吸着して、加工中も膜切れしない安定した潤滑膜が加工面間に形成される。そして、仮に潤滑膜が局所的に途切れるようなことがあっても、耐焼付性等に優れるDLC−Si膜がバックアップしたと考えられる。
【0092】
また試料No.B11と試料No.B51とを比較するとわかるように、高分子化合物の分子量を大きくすると、その添加量を減少させても最大荷重を低減し得る。逆にいえば、分子量が相対的に小さい高分子化合物でも添加量を増加させると最大荷重を低減して焼付きの発生を回避できる。ただし両者の比較から、最大荷重の低減や焼付きの回避を効率的に図るには、高分子化合物の分子量の増加が特に有効であると考えられる。
【0093】
(5)試料No.A01と試料No.A81に係る加工用潤滑剤と、表面被膜をDLC−Si膜からDLC膜に変えた加工具(ボール5)とを用いて、同様にボール通し試験を行い、加工性の評価を行った。この結果を表4に示した。なお、表4では、試料No.A01および試料No.A81に対応させて、それぞれ試料No.A02および試料No.A82とした。また、上記のDLC膜は、市販のDLC被覆処理(日本アイ・ティ・エフ株式会社、ジアスコートHT)により形成された水素含有DLC膜(H量:26%)である。
【0094】
試料No.A02と試料No.A82の最大荷重は、80kNと29kNであった。これらはそれぞれ、試料No.A01と試料No.A81の最大荷重とほぼ同様であった。このことから、加工具の表面がDLC−Si膜からDLC膜に変更されても、ほぼ同様な潤滑性能が得られることが確認された。
【0095】
【表1】
【0096】
【表2】
【0097】
【表3】
【0098】
【表4】