【実施例】
【0021】
以下、実施例に基づいて本発明をさらに詳細に説明するが、本発明はその要旨を越えない限りこれらに限定されるものではない。
【0022】
[セルラインの維持]
マウスES細胞(mESC)として、R1セルライン(Proc.Natl.Acad.Sci.USA 90(1993)8424−8428に記載、自然科学研究機構 生理学研究所 分子神経生理研究部門 より供与)及びE14TG2aセルライン(Dev.Biol.121(1987)1−9に記載、東京大学大学院理学系研究科より供与)を使用した。各々の細胞を、1000U/mLの濃度でLIF(ケミコン社製)を加えたESC培地(15質量%のFBS(Hyclone社製)、1質量%のペニシリン/ストレプトマイシン(Gibco社製)、0.1mMの2−メルカプトエタノール(Gibco社製)及び0.1mMの非必須アミノ酸(Gibco社製)を添加したDMEM)中において、10μg/mLのマイトマイシン C(シグマ社製)で不活化したマウス線維芽細胞(MEFs)上で維持した。
【0023】
また、ヒトiPS細胞(hiPSC)として、MRC−hiPS_Fetch(細胞番号:NIHS0604)及びMRC−hiPS_Tic(細胞番号:JCRB1331)(いずれもExp.Cell Res.315(2009)2727−2740に記載、国立生育医療センターから入手)を使用した。各々の細胞を、10ng/mLの濃度でbFGF(和光純薬社製)を加えたiPSellon(Cell−Sight社製)中において、10μg/mLのマイトマイシン C(シグマ社製)で不活化したMEFs上で維持した。
【0024】
[胚様体の形成]
上記mESC及びhiPSCをLow Cell Binding 60mm dishes(Nunc社製)に移し、mESCについてはLIFを含まない上記のESC培地で、hiPSCについてはbFGFを含まないiPSellonでそれぞれ浮遊培養することで胚様体(EB)を形成させた。なお、hiPSCは、EB形成前にゼラチンコートされたディッシュに移してフィーダー細胞を除去した。
本発明においては、上記の浮遊培養の開始した時点をEB形成時とする。したがって、例えば、「EB形成から1日後」とは、多能性幹細胞について上記の浮遊培養を開始してから1日後を意味する。
【0025】
[胚様体の神経細胞への分化誘導]
EB形成から2日後に、培地中の最終濃度が50mMとなるように、硫酸化阻害物質としての塩素酸ナトリウム(シグマ社製)を添加した。さらにその2日後(EB形成から4日後)、培地中の最終濃度が1μMとなるようにオールトランス−レチノイン酸(以下、RAと呼ぶことがある。シグマ社製)を添加した。RAを添加してから1日経過後(EB形成から5日後)、EBをPDL/laminin−coated 60mm dishes(ベクトンディッキンソン社製)に移し、N2サプリメント(Gibco社製)を含むDMEM−F12中で培養した。この操作により培養液中から硫酸化阻害物質とRAが除かれた。
【0026】
[FACS分析]
mESCであるR1セルライン由来のEBにおいて、硫酸化阻害物質の添加によるグリカンの硫酸化度合の変化を調べるために、抗HS抗体又は抗CS抗体(いずれもマウス由来IgM)をプライマリー抗体として用いたFACS分析を行った。上記抗HS抗体としては10E4又はHepSS−1(いずれも商品名、生化学工業社製)を用い、上記抗CS抗体としては2H6(商品名、生化学工業社製)を用いた。また、上記抗体にかえてマウスIgMアイソタイプ(ケミコン社製)を用いたケースをコントロールとした。具体的な実験方法は以下のとおりである。
硫酸化阻害物質との接触から1日経過後(EB形成から3日後)の細胞塊をEDTAで処理した後、この細胞懸濁液をFACS緩衝液(0.5質量%ウシ血清アルブミン(BSA)及び0.1質量%アジ化ナトリウムを含むPBS溶液)で希釈した上記プライマリー抗体溶液中でインキュベートした。洗浄後、細胞懸濁液を上記FACS緩衝液で希釈したFITC標識した抗マウスIgM抗体(シグマ社製)溶液中でインキュベートした。洗浄後、FACSAria Cell Sorter(ベクトンディッキンソン社製)を用いてFACS分析を行った。
結果を
図1に示す。
【0027】
HS及びCSは細胞の分化に重要な役割を担う硫酸化グリカンであり、mESCではEB形成後少なくとも8日目まで発現することが知られている。
図1に結果から、培地に硫酸化阻害物質を加えたEB(
図1中のa)では、硫酸化阻害物質を加えていないEB(
図1中のb)と比較して抗HS抗体及び抗CS抗体の結合量が少なく(蛍光強度が小さく)なっており、糖鎖に結合した硫酸基の量が減少していることがわかる。
図1の結果は、EBと硫酸化阻害物質の接触後わずか1日で糖鎖の硫酸化が顕著に抑制されたことを示している。
【0028】
[リアルタイムPCR分析]
mESCであるR1セルライン由来のEBにおいて、硫酸化阻害物質がEBの外胚様(神経細胞)への分化を誘導することを、特定の遺伝子のmRNAの発現レベルを指標にして調べた。具体的には、中胚葉分化のマーカーである
T及び
Goosecoid、並びに外胚葉分化のマーカーである
Mash1及び
Pax6の各遺伝子について、それらのmRNAの発現量をABI PRISM(登録商標)7700 sequence detection systemを用いたリアルタイムPCRにより定量した。J.Biol.Chem.283(2008)の第3597頁右欄第3行目〜15行目に記載の方法に基づき、下記の塩基配列のプライマーセットとプローブとを用いて定量を行った。
プライマーセット プローブ
T : 配列番号1及び配列番号2 配列番号31
Goosecoid : 配列番号3及び配列番号4 配列番号32
Mash1 : 配列番号5及び配列番号6 配列番号33
Pax6 : 配列番号7及び配列番号8 配列番号34
βアクチン :配列番号19及び配列番号20 配列番号40
なお、プローブは5’末端をレポーター色素の3FAM、3’末端をクエンチャー色素のTAMRAで標識されたものをアプライドバイオシステム社から購入した。
結果を
図2に示す。
【0029】
図2の結果から、硫酸化阻害物質と接触させたEBでは、硫酸化阻害物質と接触していないEBに比べて中胚葉マーカーである
T及び
GoosecoidのmRNAレベルが抑制されている一方、外胚葉マーカーである
Mash1及び
Pax6のmRNAレベルは顕著に増加していることがわかる(
図2中、横軸の番号3と4との比較、及び番号5と6との比較)。上記各遺伝子のmRNAレベルの変化は、EBと硫酸化阻害物質との接触後わずか1日で生じており(横軸の番号3と4の比較)、硫酸化阻害物質の分化誘導作用が極めて迅速であることを示している。
【0030】
同様に、mESCであるR1セルライン由来のEBにおいて、硫酸化阻害物質がEBの神経細胞への分化を誘導していることを、硫酸化阻害物質との接触から3日後(EB形成から5日後)の細胞を用いて調べた。具体的には、神経細胞分化のマーカーである
Nestin、
Musashi、
Mash1、
Math1、
NeuroD1及び
NeuroD2の各遺伝子について、それらのmRNAの発現量を、下記の塩基配列のプライマーセットとプローブとを用いて上記と同様にリアルタイムPCRにより調べた。
プライマーセット プローブ
Nestin : 配列番号9及び配列番号10 配列番号35
Musashi−1:配列番号11及び配列番号12 配列番号36
Mash1 : 配列番号5及び配列番号6 配列番号33
Math1 :配列番号13及び配列番号14 配列番号37
NeuroD1 :配列番号15及び配列番号16 配列番号38
NeuroD2 :配列番号17及び配列番号18 配列番号39
なお、プローブは5’末端をレポーター色素の3FAM、3’末端をクエンチャー色素のTAMRAで標識されたものをアプライドバイオシステム社から購入した。
結果を
図3に示す。
【0031】
図3の結果から、硫酸化阻害物質と接触させたEBでは、硫酸化阻害物質と接触していないEBに比べて、硫酸化阻害物質を添加して3日後(EB形成から5日後)のEBにおいて、神経細胞分化のマーカー遺伝子のmRNAレベルが顕著に増加していることがわかった。
【0032】
続いて、hiPSCであるFetch及びTic由来のEBについても上記と同様に、硫酸化阻害物質との接触から3日後(EB形成から5日後)の細胞について、神経細胞分化のマーカーである
Nestin、
Musashi−1、
NCAM1及び
Sox1、並びに非分化細胞のマーカーである
Oct3/4の各遺伝子のmRNAレベルをリアルタイムPCRにより調べた。なお、hiPSC由来EBのリアルタイムPCR分析には、プローブを用いずに、FastStart Universal SYBR GreenMaster(ロシュ社製)を用いた定量分析を行った。用いたプライマーセットの塩基配列は下記のとおりである。
プライマーセット
Nestin : 配列番号21及び配列番号22
Musashi−1 : 配列番号23及び配列番号24
Sox1 : 配列番号25及び配列番号26
NCAM1 : 配列番号27及び配列番号28
Oct3/4 : 配列番号29及び配列番号30
結果を
図4に示す。
【0033】
図4の結果から、硫酸化阻害物質と接触させたEBでは、硫酸化阻害物質と接触していないEBに比べて、神経細胞分化のマーカー遺伝子の発現量が顕著に増加していることがわかった。すなわち、硫酸化阻害物質は、hiPSC由来のEBに対しても優れた神経細胞分化誘導能を示すことがわかる。
【0034】
[免疫染色分析]
上述のように硫酸化阻害物質と接触させたEBについて、硫酸化阻害物質との接触から3日後(EB形成から5日後)に、PLL/ラミニンコートしたガラスチャンバースライド(Iwaki社製)上に移して培養し、その2日後の細胞について神経細胞への分化を免疫染色により分析した。具体的には、上記ガラスチャンバースライド上の細胞を4%パラホルムアルデヒドで固定化し、0.1%サポニンで透過性とした。これを洗浄後ブロッキング処理を行い、抗βIII−チューブリン抗体(マウスIgG、ケミコン社製)を反応させた。さらにこれを洗浄後、FITC標識抗マウスIgG抗体(ケミコン社製)を反応させ、続いてプロピジウムヨウ化物(PI)で対比染色を行った。LSM5Pascal confocal laser scanning microscope(Carl Zeiss社製)を用いて免疫蛍光画像を得た。mESC細胞(R1セルライン)由来のEBから分化した細胞の結果を
図5に、hiPSC(Fetch及びTic)から分化した細胞の結果を
図6に示す。
【0035】
図5及び
図6の結果から、硫酸化阻害物質と接触させたEBから分化した細胞において、神経細胞分化の指標となるβIII−チューブリンの量がタンパク質レベルで著しく増加していることがわかる(すなわち、EBが神経細胞へと構造的に大きく変化していることがわかる。)。この構造的な変化は、EBをPLL/ラミニンコートしたガラスチャンバースライド(Iwaki社製)上に移してわずか2日後(EB形成から7日後)で観察されることから、硫酸化阻害物質とEBとを接触させることによるEBの神経細胞への構造的変化は極めて迅速であるといえる。
なお、Plos ONE December 2009 Vol.4 Issue 12 e8262には、硫酸化に関与する遺伝子をノックアウトして胚様体を神経細胞へと分化させたことが記載されている。それによれば、EB形成から14日後の細胞でも、上記
図5及び
図6に示される量と同程度かそれ以下の量のβIII−チューブリンの発現が確認できるに過ぎない。
【0036】
[免疫ブロット分析]
上記免疫染色分析で確認したβIII−チューブリンの発現量の増加をより定量的に測定するために、免疫ブロットを実施した。上記のようにPLL/ラミニンコートしたガラスチャンバースライド(Iwaki社製)上に移して2日経過した細胞を溶解緩衝液(150mM NaCl、1%TritonX−100、1mMN
3VO
4、10mM NaF、プロテアーゼインヒビター(シグマ社製)を含む50mM Tris−HCl pH7.4)で溶解した。この細胞溶解液を10%SDS−PAGEにかけた後、PVDFメンブレン(ミリポア社製)にトランスファーした。このメンブレンをブロッキング後、プライマリー抗体として上記の抗βIII−チューブリン抗体(マウスIgG、ケミコン社製)を、2次抗体としてペルオキシダーゼ標識抗マウスIgG抗体(Cell signaling社製)をそれぞれ反応させた。洗浄後、メンブレン上のペルオキシダーゼをECL Plus試薬(GEヘルスケア社製)を用いて発色させた。なお、抗βアクチン抗体(シグマ社製)をβIII−チューブリンの発現量の変化を分析するためのコントロール抗体として用いた。結果を
図7及び
図8に示す。
【0037】
図7及び
図8の結果から、硫酸化阻害物質と接触したEBでは、mESC由来のものでβIII−チューブリン量が約10倍にも上昇しており、hiPSC由来のものでもβIII−チューブリン量が2倍以上に上昇していることがわかった。なお、
図7及び8のグラフは、免疫ブロットのバンド強度をNIHimageで測定した結果である。
【0038】
続いて、細胞の中胚葉分化への関与が報告されているWntシグナル及びBMPシグナルに係わるタンパク質の発現量についても免疫ブロットにより分析した。
硫酸化阻害物質との接触から1日経過後(EB形成から3日後)及び3日経過後(EB形成から5日後)のR1由来細胞を上記溶解緩衝液で溶解して細胞溶解液を調製した。また、J.Biol.Chem.283(2008)の第3596頁右欄第3行目〜18行目に記載の方法に沿って核抽出液を調製した。上記細胞溶解液はBMPシグナル伝達経路の下流で働くリン酸化Smad1(p−Smad1)の発現量の分析に用い、上記核抽出液はWintシグナル伝達経路において、核内で標的遺伝子の発現を促進する役割を果たすβ−カテニンの発現量の分析に用いた。
細胞溶解液又は核抽出液を10%SDS−PAGE後にPVDFメンブレン(ミリポア社製)にトランスファーし、このメンブレンをブロッキング処理後、プライマリー抗体である抗p−Smad1抗体(Ser463/465、ウサギIgG、セルシグナリングテクノロジー社製)又は抗βカテニン抗体(ウサギIgG、セルシグナリングテクノロジー社製)を反応させ、続いて2次抗体であるペルオキシダーゼ標識抗ウサギIgG抗体(Cell signaling社製)と反応させた。なお、細胞溶解液については抗βアクチン抗体(マウスIgG、シグマ社製)を、核抽出液については抗ラミンB
1抗体(マウスIgG、Zymed社製)を、それぞれp−Smad1及びβカテニンの発現量の変化を分析するためのコントロール抗体として用いた(この場合、2次抗体としてペルオキシダーゼ標識抗マウスIgG抗体を用いた)。洗浄後、メンブレン上のペルオキシダーゼをECL Plus試薬(GEヘルスケア社製)を用いて発色させた。結果を
図9に示す。
【0039】
図9の結果から、EBと硫酸化阻害物質とを接触させることで、βカテニン及びp−Smad1のいずれの発現量も減少していることがわかる。この結果は、硫酸化阻害物質により、EBを中胚葉分化へと導くWintシグナル伝達やBMPシグナル伝達が抑制され、その結果、EBの神経細胞への分化が促進されていることを示唆するものである。
【0040】
なお、上記の実験結果のうち、mESCのR1セルラインを用いた実験結果は、別のmESCのセルラインであるE14TG2aでも再現することを確認した。