【課題を解決するための手段】
【0006】
そこで、本発明者らは、前述のような観点から、被覆工具の熱伝導率と耐熱性を高め、使用寿命の延命化を図るべく、鋭意研究を行った結果、炭化タングステン基超硬合金焼結体または高速度鋼からなる工具基体の上に硬質被覆層を有する表面被覆切削工具において、 硬質被覆層を、工具基体上に形成された、(Ti
1−xAl
x)N(ただし、X=0〜0.7)の成分系からなる1〜5μmの平均層厚を有するTiとAlの複合窒化物層からなる下部層と該下部層の上に形成された0.5〜3μmの平均層厚を有するクロムホウ化物層からなる上部層とから構成するとともに、下部層と上部層の界面において隣り合う結晶粒の方位差を測定した時に、(Ti
1−xAl
x)Nの(111)方位とクロムホウ化物の(0001)方位の角度差が0〜5度の範囲に存在する界面長が全体の50線分%以上となるようにすることによって、上部層と下部層との密着性を改善し、工具の耐摩耗性特性を向上させることができるという知見を得た。
【0007】
従来の被覆工具の(Ti,Al)N層からなる硬質被覆層は、例えば、
図2に示される物理蒸着装置の1種であるアークイオンプレーティング蒸着源と直流スパッタリング蒸着源を持つ成膜装置に炭化タングステン基超硬合金焼結体からなる工具基体を装着し、例えば、蒸着初期には
装置内加熱温度:300〜500℃、
工具基体に印加する直流バイアス電圧:−30〜−50V、
カソード電極:TiAl合金、
アーク電流値:100〜120A
装置内ガス種:窒素(N
2)ガスのみ
装置内ガス圧力:3〜5Pa、
の条件で、(Ti,Al)N層(以下、従来(Ti,Al)N層という)を形成したのち、蒸着後期には
工具基体に印加する直流バイアス電圧:−30V、
カソード電極:CrB
2、
蒸着方式:直流(DC)スパッタリング
スパッタリング電力:2〜3kW
装置内ガス種:アルゴン(Ar)ガスのみ
装置内ガス圧力:0.2〜0.6Pa、
の条件で、クロムホウ化物層(以下、従来クロムホウ化物層という)を蒸着形成することにより製造されている。
【0008】
しかし、本発明者らは、(Ti,Al)N層およびクロムホウ化物層からなる硬質被覆層(以下、改質硬質被覆層という)の形成を、例えば、
図1に概略説明図で示される物理蒸着装置の1種である高出力パルススパッタリング装置を用いて行った。スパッタ法は、真空チャンバに供給したAr、He、Xeなどのスパッタガスをプラズマ雰囲気中でイオン化し、そのイオンを成膜材料(ターゲット材)で形成されたターゲットに衝突させ、ターゲットからスパッタ粒子(主にターゲット材の原子)を放出させ、放出したスパッタ粒子イオン化して基材の表面に堆積させて薄膜を形成する方法である。このスパッタ法において、カソードを構成するターゲットに供給するスパッタ電力として、パルス状のスパッタ電力を用いるものをパルススパッタという。
【0009】
近年、パルス化した大電力をターゲットに投入することによりスパッタ粒子を高率でイオン化する大出力パルススパッタ法が実用化されてきている。このようなパルス化した大電力を用いてスパッタリングを行うパルススパッタ法は、大出力パルススパッタ法やHIPIMS(High Power Impulse Magnetron Sputtering) とも呼ばれている。ターゲットにパルス化した大電力を投入することにより、ターゲットから放出したスパッタ粒子を高率でイオン化することができるため、イオン化が寄与する成膜プロセスに効力を発揮する。例えば、表面摩擦の小さなトライボ膜などの緻密性や結晶性にすぐれた薄膜の成膜、トレンチ(溝)構造や凹面への回り込みのよい成膜に好適に用いられる。本発明者らは、このような高出力パルススパッタ法の特性に着目し、この方法を用いて(Ti,Al)N層の上にクロムホウ化物層を形成することによって、界面において隣り合う結晶粒の方位が揃った積層を形成できることを見出した。
【0010】
具体的には、装置内に工具基体を装着し、まず、
蒸着源1:TiAl合金ターゲット
バイアス電圧:−1000V
という条件下で、工具基体のボンバード処理を行う。ついで、蒸着初期には、
基体温度:400〜450℃、
蒸着源1:TiAl合金ターゲット
蒸着源1のスパッタリング電力:平均8〜9kW、最大120kW
スパッタリング周期:40Hz
バイアス電圧:−90〜−100V
装置内ガス種:窒素(N
2)ガス:アルゴン(Ar)ガス=流量比で70:30〜80:20
装置内ガス圧力:0.4〜0.5Pa、
という条件下で蒸着を行い、工具基体側の(Ti,Al)N層(下部層)を蒸着する。ついで、蒸着後期には、
蒸着源2:CrB
2ターゲット、
蒸着源2のスパッタリング電力:平均2〜3kW、
スパッタリング周期:12Hz、
バイアス電圧:−120〜−130V
装置内ガス種:アルゴン(Ar)ガス
装置内ガス圧力:0.3〜0.4Pa、
CrB
2ターゲットをスパッタする時のパルス出力形式を、
(a)パルス初期は120kW、パルス後期は200kWとなる2段階のパルス波形状
(b)パルス初期は150kW、パルス後期は250kWとなる2段階のパルス波形状
の2つのパルス波形状を30分周期で切り替える。
この結果形成された下部層と上部層とからなる改質硬質被覆層は、耐摩耗層としての(Ti,Al)Nの(111)方位と潤滑特性にすぐれたクロムホウ化物の(0001)配向組織がきわめて近い傾斜方向に存在するため、上部層と下部層とがすぐれた密着特性を発揮し、工具の耐摩耗性を向上させることができることを見出した。
さらに、下部層である(Ti,Al)Nの(111)ピークの半価幅と上部層であるクロムホウ化物の(0001)ピークの半価幅が所定の値に含まれる、すなわち、結晶性または結晶子サイズをバランスよく制御することで耐摩耗性を高めたまま耐クラック性を向上させ、すぐれた工具寿命を実現する表面被覆切削工具が得られることを見出した。
【0011】
本発明は、前記研究結果に基づいてなされたものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金焼結体または高速度鋼からなる工具基体の上に硬質被覆層を有する表面被覆切削工具において、
前記硬質被覆層が、工具基体上に形成された、(Ti
1−xAl
x)N(ただし、x=0〜0.7)の成分系からなる1〜5μmの平均層厚を有するTiとAlの複合窒化物層からなる下部層と該下部層の上に形成された0.5〜3μmの平均層厚を有するクロムホウ化物層からなる上部層とからなり、
かつ、前記下部層と上部層の界面において隣り合う結晶粒の方位差を測定した時に、(Ti
1−xAl
x)Nの(111)方位とクロムホウ化物の(0001)方位の角度差が0〜5度の範囲に存在する界面長が全観察界面長に対して50線分%以上であることを特徴とする表面被覆切削工具。
(2) X線回折により測定した前記クロムホウ化物の(0001)ピークの半価幅HBが0.2〜0.5度であり、前記(Ti
1−xAl
x)Nの(111)ピークの半価幅HNが0.8〜1.5度であることを特徴とする(1)に記載の表面被覆切削工具。」
に特徴を有するものである。
【0012】
本発明について、以下に詳細に説明する。
既に述べたように、本発明は、例えば、
図1に概略説明図で示される高出力パルススパッタ装置を用いて、装置内に炭化タングステン基超硬合金焼結体または高速度鋼からなる工具基体を装着し、例えば、蒸着初期は、
基体温度:400〜450℃、
蒸着源1:TiAl合金ターゲット
蒸着源1のスパッタリング電力:平均8〜9kW、最大120kW
スパッタリング周期:40Hz
バイアス電圧:−90〜−100V
装置内ガス種:窒素(N
2)ガス:アルゴン(Ar)ガス=流量比で70:30〜80:20
装置内ガス圧力:0.4〜0.5Pa、
という条件下で蒸着を行い、工具基体側の(Ti,Al)N層(下部層)を蒸着する。ついで、蒸着後期には、
蒸着源2:CrB
2ターゲット、
蒸着源2のスパッタリング電力:平均2〜3kW、
スパッタリング周期:12Hz、
バイアス電圧:−120〜−130V
装置内ガス種:アルゴン(Ar)ガス
装置内ガス圧力:0.3〜0.4Pa、
CrB
2ターゲットをスパッタする時のパルス出力形式を、
(a)パルス初期は120kW、パルス後期は200kWとなる2段階のパルス波形状
(b)パルス初期は150kW、パルス後期は250kWとなる2段階のパルス波形状
の2つのパルス波形状を30分周期で切り替える。
このような蒸着方法をとることにより、結果形成された下部層と上部層とからなる改質硬質被覆層は、耐摩耗層としての(Ti,Al)Nの(111)方位と潤滑特性にすぐれるクロムホウ化物の(0001)方位がきわめて近い傾斜方向に存在するため、上部層と下部層とがすぐれた密着特性を発揮し、工具の耐摩耗性を向上させることができることができる。
さらに、下部層である(Ti,Al)Nの(111)ピークの半価幅と上部層であるクロムホウ化物の(0001)ピークの半価幅が所定の値に含まれるように制御することで、すなわち、結晶性または結晶子サイズをバランスよく制御することで耐摩耗性を高めたまま耐クラック性を向上させ、すぐれた工具寿命を実現する表面被覆切削工具が得られる。
そして、その理由は以下に述べるような、改質硬質被覆層の特異な結晶質相と強い関連性を有する。
【0013】
まず、前述のような高出力パルススパッタ法で形成された改質硬質被覆層について、下部層の(Ti,Al)N層と上部層のクロムホウ化物層との界面において、電子後方散乱回折装置を用いて(Ti,Al)Nの(111)方位とクロムホウ化物の(0001)方位を測定し、その角度差が0〜5度の範囲に存在する界面の長さを測定したところ、界面の全長に対する割合が50線分%以上であることが確認された。すなわち、下部層と上部層とがその界面において結晶学的な整合性が高い、すなわち、岩塩形構造である(Ti,Al)N薄膜の細密面であり、6回回転軸を持つ(111)面と、六方晶構造であるクロムホウ化物の細密面であり、同じく6回回転軸を持つ(0001)面とが平行となる方位関係を有して成長していることが、密着性の向上に寄与していることが分かった。
さらに、(Ti,Al)Nの(111)ピークの半価幅が0.8〜1.5度の範囲に存在し、クロムホウ化物の(0001)方位の半値幅が0.2〜0.5度に存在するとき、結晶性および結晶子サイズがバランスよく制御され、耐摩耗性を高めたまま耐クラック性を向上させることができることが分かった。
【0014】
つぎに、本発明における数値範囲の限定理由について説明する。
(a)下部層の平均層厚を1〜5μmに限定した理由は、下部層の膜厚が1μmを下回ると耐摩耗性を維持できず、5μmを超えると圧縮応力の増加によりチッピングしやすくなるからである。下部層の平均層厚は主に成膜時間を適切に調整することにより所定の範囲に制御することが出来る。
また、下部層の(Ti,Al)NのAlの含有比率xをx=0〜0.7に限定した理由は、0.7を超えると、高い靭性を有する立方晶型結晶構造をとらず六方晶型結晶構造へ変化し強度が低下するとともに、同時に相対的にTiの含有割合が減少し、高温特性が低下するからである。下部層の(Ti,Al)NのAlの含有比率xは、使用する合金ターゲットの組成を適切に調整することにより制御することが出来る。
(b)上部層の平均層厚を0.5〜3μmに限定した理由は、上部層の膜厚が0.5μmを下回ると、耐摩耗性が不十分であり、3μmを超えると圧縮応力の増加によりチッピングなどの原因となるからである。上部層の平均層厚は主に成膜時間を適切に調整することにより所定の範囲に制御することが出来る。
(c)(Ti,Al)Nの(111)方位とクロムホウ化物の(0001)方位の角度差が、5度以上では方位整合性が低く、所望の界面強度を維持できない。そこで、前記角度差が0〜5度の範囲に存在する界面長を界面長全体の50線分%以上とした。前記角度差が0〜5度の範囲に存在する界面長の線分割合は、主に、成膜温度と、目標とする皮膜組成、クロムホウ化物層を形成する際の平均スパッタリング電力を適切に調整することで所定の範囲に制御することが出来る。
(d)(Ti,Al)Nの(111)ピークの半価幅が0.8度未満では結晶性が高すぎて耐欠損性に劣り、1.5度以上では結晶性が低すぎて窒化物層がもつ耐摩耗性を維持できない。そのため、(Ti,Al)Nの(111)ピークの半価幅は、0.8〜1.5度とすることが好ましい。
また、クロムホウ化物の(0001)ピークの半値幅が0.2度未満では結晶性が高すぎて耐欠損性に劣り、0.5度以上では結晶性が低すぎてホウ化物層がもつ耐摩耗性が維持できない。そのため、クロムホウ化物の(0001)ピークの半価幅は、0.2〜0.5度とすることが好ましい。(Ti,Al)Nの(111)ピークの半価幅およびクロムホウ化物の(0001)ピークの半値幅は、各層の目標組成、成膜速度、および層厚を適切に調整することにより制御することが出来る。