【実施例】
【0021】
次に、上記した本発明による予測システムの1つの実施例について、
図3乃至
図6を用いてその詳細を説明する。
【0022】
<システム構成>
図3に示すように、予測システム10は、演算処理を行うためのCPU11及びこれに付随するROM12、RAM13、適宜、データ入力を行うための入力部14、記憶部15などを含む。記憶部15には、各種計算データなどが蓄積される記憶領域20を含むとともに、プログラムとしての補正計算部18、硬さ変換部19などが記憶されている。更に、補正計算部18には、これを構成するプログラムとしての侵入窒素量計算部18a及び逐次計算部18bが含まれる。なお、各構成部品については、一般的なコンピュータシステムと同様である。更に、CPU11にはインターフェース部21を介して被制御機器22が接続されており、予測システム10によって得られたデータを用いて制御が行われる。例えば、被制御機器22は、窒化炉である。
【0023】
<システム処理>
次に、上記した予測システム10におけるシステム処理について説明する。ここでは上記したように標準被処理材が窒化物生成元素を含まない合金組成(基準合金組成)を有する鋼であるときの実施例について述べる。
【0024】
補正計算ステップS1では、補正計算部18のプログラムに従って、
図4に示すような処理を順次行う。
【0025】
まず、標準被処理材と被処理材との窒化物生成元素量差を求める(S11)。つまり、予測システム10の入力部14(
図3参照)を介して被処理材の合金組成の外部入力を得て、標準被処理材との合金組成(基準合金組成)との質量%差、少なくともSi,Cr,Mo,V,Wの窒化物生成元素の質量%差であるΔ[Si],Δ[Cr],Δ[Mo],Δ[V],Δ[W]を求める。ここでは標準被処理材にこれら窒化物生成元素が含まれないから、外部入力された被処理材の合金組成の窒化物生成元素の質量%がそのままΔ[Si],Δ[Cr],Δ[Mo],Δ[V],Δ[W]の値となる。これらの値は記憶部15の記憶領域20に記憶させる。
【0026】
次に、フィックの第2法則に従う標準被処理材の標準断面窒素分布を被処理材の断面窒素分布に補正する(S12)。
【0027】
この補正計算に先立ち、被処理材を所定の窒化処理条件W1で窒化処理したときに窒化処理雰囲気から被処理材の処理表面からその内部へと侵入する侵入窒素量Fを求める(S121)。なお、窒化処理条件W1は、窒化処理方法、窒化処理雰囲気、温度、圧力、処理時間などである。
【0028】
侵入窒素量Fは、例えば、窒化処理条件W1で窒化処理した標準被処理材の実測値若しくは標準断面窒素分布などの実測値から求められ、これらが記憶領域20にあらかじめ記憶させてあるときはこれを用い得る。すなわち、本発明の目的において、時間当たりの鋼への侵入窒素量は窒化処理条件を変化させない限り時間変化せず、また鋼の合金組成に対しても変化しないものとできるからである。なお、標準被処理材の表面に無視できない厚さのFe窒化物層を有する場合にあっては、侵入窒素量FはFe窒化物層を通過して内部に向けて侵入する窒素量とする。
【0029】
ところで、侵入窒素量Fは、上記したような標準被処理材における実測値を用いずとも計算でも求められる。すなわち、いくつかの窒化処理条件に対する侵入窒素量Fの実測値の結果を回帰計算するなどして得られる経験式から計算により求め得るのである。
【0030】
例えば、このような経験式の一例として、式1はラジカル窒化処理において、温度を500℃、圧力を130Pa、放電電圧を420Vとして、アンモニアと水素ガスのガス組成比を1:4〜4:1で変化させて得たアンモニア分圧P
NH3と時間当たりの侵入窒素量dC/dtの関係式である。
【0031】
【数2】
【0032】
更に、上記した経験式の他の例として、式2はラジカル窒化処理において、温度を500℃、圧力を130Pa、アンモニアと水素ガスのガス組成比を1:4(アンモニア分圧P
NH3=26Pa)として、放電電圧を420V〜520Vで変化させて得た放電電圧Vと時間当たりの侵入窒素量dC/dtの関係式である。
【0033】
【数3】
【0034】
更に、上記した経験式の他の例として、式3はラジカル窒化処理において、圧力を130Pa、放電電圧を420V、アンモニアと水素ガスのガス組成比を2:3(アンモニア分圧P
NH3=52Pa)として、温度を450℃〜550℃で変化させて得た温度Tと時間当たりの侵入窒素量dC/dtの関係式である。
【0035】
【数4】
【0036】
所定の時間内に窒化処理雰囲気から被処理材の表面へと侵入窒素量Fの窒素が侵入するが、これを境界条件として、被処理材の内部へと拡散する窒素について窒化物を形成しながら拡散する様子をモデル化した逐次計算を逐次計算部18bのプログラムに従って行って、断面窒素分布2を求める(S122〜S124)。
【0037】
図5に示すように、時刻t=t
1における窒素の拡散について考える。ここで縦軸のCは窒素量である。
【0038】
図5(a)に示すように、処理表面X=0から侵入窒素量Fが与えられたとして、深さ方向位置の微小区間では、合金窒化物を析出させた残りの窒素の一部が固溶し一部が更に深部に拡散しようとする。詳細には、深さ方向位置X=x−ΔxとX=xの微小区間U
n−1では合金窒化物を析出させた残りの窒素41があって、微小区間U
n−1から深さ方向位置X=xとX=x+Δxの微小区間U
nへ向けてフィックの第2法則に従って、矢印J
1に示すように、窒素41の一部である拡散窒素41aが拡散していく(S122)。すなわち、窒素41bだけが微小区間U
n−1に固溶する。
【0039】
図5(b)を併せて参照すると、微小区間U
nでは、拡散窒素41aの一部が窒化物生成元素のそれぞれと反応して複数種類の合金窒化物32(M1,M2,M3…)を析出させる(S123)。残りの窒素42の一部である拡散窒素42aは、フィックの第2法則に従って、矢印J
2に示すように、深さ方向位置X=x+ΔxとX=x+2Δxの微小区間U
n+1に向けて更に拡散していく(S124)。すなわち、窒素42bだけが微小区間U
nに固溶する。
【0040】
上記した侵入窒素量Fが処理表面X=0から与えられたとする境界条件のもとで、
図5のモデルに従った逐次計算(S122〜S124)を処理表面X=0から所定の深さ位置に到達するまで行って、時刻t=t
1の断面窒素分布2(
図6参照)を得られる。なお、微小区間U
nに固溶できる窒素量よりも窒素42bの量が大きいときは、かかる固溶限まで窒素42bを固溶させ、その残りは拡散窒素42aに加えて逐次計算を行うことが好ましい。
【0041】
ところで、逐次計算(S122〜S124)において、合金窒化物32は、上記したように微小区間U
nへ拡散してくる矢印J
1に示す窒素が窒化物生成元素のそれぞれと反応して生成するが、この各窒化物量は、窒化物生成元素の反応速度定数を用いた次のような式4で求めることができる。
【数5】
ここで、n=1、ρ
MeNを窒化物の密度、V
MeNを窒化物の体積、tを時間、Kを反応速度定数、及び、C
Nをα鉄中の固溶窒素量,C
Meをα鉄中の窒化物を形成していない合金元素量とする。
【0042】
式4において、反応速度定数Kは、既知の値を用いても良いが、実験的に求めた以下の反応速度定数Kを用いてもよい。
1Cr: K
Cr=1.23×10
7exp(−18006/T) 〔1/mass%・sec〕 (式5)
3Cr: K
Cr=4.85×10
10exp(−23172/T) 〔1/mass%・sec〕 (式6)
6Cr: K
Cr=1.95×10
11exp(−23537/T) 〔1/mass%・sec〕 (式7)
Mo: K
Mo=3.19×10
4exp(−13213/T) 〔1/mass%・sec〕 (式8)
V : K
V =1.85×10
5 exp(−14144/T) 〔1/mass%・sec〕 (式9)
W : K
W =4.01×10
7 exp(−13477/T) 〔1/mass%・sec〕 (式10)
ここで、Crについては、合金組成による依存が大きいため、適宜、合金組成に依存させた反応速度定数Kを用いることが好ましい。例えば、Cr含有量が1質量%程度のときに式5を、3質量%程度のときに式6を、6質量%程度のときに式7を用いる。また、一般的に、窒化処理は723K以下の温度で処理されることが多く、かかる温度ではSiの反応速度定数Kが非常に小さく、本発明の目的において、Siの窒化物の析出については無視することとしてよい。これら式5乃至10(必要に応じて、Siの反応速度定数K)は、予測システム10の記憶部15の記憶領域20に記憶させておき、適宜、呼び出して用いられる。
【0043】
図5のモデルに従った逐次計算(S122〜S124)に式4を用いることで、
図6に示すような各窒化物生成元素毎の窒化物M1,M2,M3・・・の窒化物量分布4を含む断面窒素分布2を得ることができる(S13)。
【0044】
続く、硬さ変換ステップS2では、記憶部15の硬さ変換部19のプログラムに従って、補正計算ステップS1で得られた窒化物量分布4を所定の硬さ変換式によって硬さ分布へと変換する。
【0045】
例えば、硬さ変換式は、いくつかの硬さ実測値に基づいた回帰計算から得られる以下の如き経験式であって、記憶部15の記憶領域20にあらかじめ記憶されている。なお、硬さに対する窒化物毎の寄与に対して重み付けをしている。すなわち、各窒化物生成元素の質量%である[Si(x)],[Cr(x)],[Mo(x)],[V(x)],[W(x)]には各係数が与えられている。
[N(x)]=[Si(x)]+3.8[Cr(x)]+2.5[Mo(x)]+10.7[V(x)]+[W(x)] (式11)
[Si(x)],[Cr(x)],[Mo(x)],[V(x)],[W(x)]は、記憶領域20に記憶されたΔ[Si],Δ[Cr],Δ[Mo],Δ[V],Δ[W]の値から得られる。
【0046】
以上により、予測システム10において、被処理材の合金組成に基づいた断面窒素分布2についての窒化物量分布4を求めることができて断面硬さ分布を得られる。つまり、同じ窒化処理条件であっても異なる断面硬さ分布を与える合金組成の異なる高合金工具鋼毎にその断面硬さ分布を予測できて、窒化処理の工程をより効率的に行うことができる。一方で、窒化処理条件から断面硬さ分布を得られるから、所望とする断面硬さ分布を得るために必要とされる窒化処理条件の例を求め得るのである。
【0047】
次に、上記した予測システム10により得られる断面硬さ分布と実測値とを比較した実証試験について説明する。
【0048】
<実証試験1>
図7には、以下の条件で窒化処理した試料の断面硬さ分布の実測値と、上記した予測システム10により予測した断面硬さ分布とを示した。
窒化方法: ラジカル窒化
温度: 500℃
圧力: 130Pa
アンモニア量: 2(l/min)
水素量: 0.5(l/min)
放電電圧: 420V
組成: 0.38C-1Si-5.3Cr-1.2Mo-0.85V-bal.Fe
(その他、意図しない不純物元素を含む)
心部硬さ: 450Hv
【0049】
同様に、
図8には、以下の条件で窒化処理した試料の断面硬さ分布と、上記した予測システム10により予測した断面硬さ分布とを示した。
窒化方法: 塩浴軟窒化処理
温度: 550℃
OCN濃度: 31wt%
組成: 0.38C-1Si-5.3Cr-1.2Mo-0.85V-bal.Fe
(その他、意図しない不純物元素を含む)
心部硬さ: 500Hv
なお、窒化処理を10時間及び20時間行ったときの2種類を示した。
【0050】
ここで、ラジカル窒化では窒化処理表面にほとんど化合物層を生じないが、塩浴軟窒化処理では化合物層を生じていた。しかしながら、
図7及び8に示すように、予測システム10による予測はいずれも実測値を良好に反映していることが判る。
【0051】
<実証試験2>
次に、
図9に示すような合金工具鋼としての代表的な合金組成を有する長さ50mmの角棒に以下の条件で窒化処理したときの予測システム10による硬さの予測値と実測値とを計測した。
【0052】
詳細には、真空高周波溶解炉で得られた
図9に示す合金組成を有する30kgの鋼塊を一辺42mmの正方形の断面形状の角棒に鍛造し、700℃で3時間焼鈍した。これを一辺10.5mmの正方形の断面形状を有する長さ50mmの角棒に切断、粗加工した。角棒を1030℃で0.5時間保持した後に油浴に焼入れ、更に、600℃で1時間保持して空冷で焼戻した。さらに同じ焼戻しを行った。この角棒から一辺10mmの正方形の断面形状を有する長さ50mmの角棒を切り出して試料とし、ラジカル窒化処理した。
【0053】
ここで窒化処理は、バイアス電圧及びガス組成比率を変化させて行った。炉内温度は500℃、炉内圧力は130Paとし、バイアス電圧は420〜520Vの各電圧、NH
3ガスとH
2ガスの流量比は1:4〜4:1の各混合比率とし、0.5〜20時間保持した後に炉冷した。
【0054】
窒化処理後の試験片は中央横断面を切り出して研磨し、この一辺10mmの正方形の研磨面について、EPMA(Electron Probe Micro Analyser)分析により窒素濃度を測定し、更に、ビッカース硬度計により窒化処理表面から0.02mmの位置の硬さを測定した。
【0055】
図10には表面窒素濃度に対する硬さの実測値を、
図11には上記した式11により表面窒素濃度に重み付けした析出物形成窒素濃度と硬さの実測値を示した。これから判るように、
図10に比較して、
図11においてプロット点にばらつきが少なく、表面窒素濃度よりも重み付けをされた析出物形成窒素濃度の方がより実測された硬さを反映している。
【0056】
なお、かかる実証試験において、時間当たりの鋼への侵入窒素量は窒化処理条件を変化させない限り時間変化せず、鋼の合金組成に対してもほとんど変化していないことが確認できた。
【0057】
<予測システムの応用>
上記した予測システム10によれば、窒化処理条件と合金組成から断面硬さ分布を予測できるのである。すなわち、
図1に示したように、被制御機器22に予測システム10を組み合わせ、図示しない表示部を被制御機器22に与えることで、断面硬さ分布を表示させ得る。被制御機器22のオペレータは、窒化処理に先だって、断面硬さ分布を知り得るのである。また、予測システム10では、窒化処理条件から断面硬さ分布を得られるから、所望とする断面硬さ分布と同じ断面硬さ分布を得られるよう窒化処理条件を適宜変更して予測を繰り返す計算を行うようにして、所望とする断面硬さ分布を与え得る窒化処理条件を決定できる。以上のように、かかる予測システム10を組み合わせた被制御機器22によれば、窒化処理をより効率的に行うことができるようになる。