【実施例】
【0023】
以下、本発明を実施例に基づきさらに詳細に説明するが、本発明はこれに限定されるものではない。
【0024】
試験例1 脱脂乾燥角層、脱脂調湿角層及び含水脱脂角層の調製
健常男性(40歳代)のかかとから角層片(約3mg)を剥離し、クロロホルム−メタノール溶液(体積比:1:1)に一昼夜浸して脂質等の油溶性成分を除去し、さらに水に24時間浸してアミノ酸等の水溶性成分を除去した後、五酸化二リンとともに調湿容器に入れ密封し、調湿容器を23℃のデシケーター内で1週間保管し、完全に乾燥させたかかと角層(以下、「脱脂乾燥角層(かかと)」ともいう)を調製した。
飽和LiCl水溶液を用いて前記脱脂乾燥角層を調湿(10%RH)したかかと角層(以下、「脱脂調湿角層(10%RH)」ともいう)を調製した。
飽和Na
2HPO
4水溶液を用いて前記脱脂乾燥角層を調湿(98%RH)したかかと角層(以下、「脱脂調湿角層(98%RH)」ともいう)を調製した。
前記脱脂乾燥角層(約3mg)にイオン交換水10μLを滴下し、含水かかと角層(以下、「含水脱脂角層」とともいう)を調製した。
前腕内側部から、剥離した角層(粉末状)について、前記脱脂乾燥角層と同様の処理をした角層(以下、「脱脂乾燥角層(前腕内側部)」ともいう)を調製した。
【0025】
試験例2 脱脂乾燥角層のラマンスペクトルの測定
前記脱脂乾燥角層(かかと)、及び前記脱脂乾燥角層(前腕内側部)のラマンスペクトルを共焦点ラマン分光器 ナノファインダー30(商品名、東京インスツルメンツ製)を用いて測定した。測定条件は以下のとおりである。
<測定条件>
励起波長632.8nm
波数分解能:5cm
-1(脱脂乾燥角層(かかと))又は30cm
-1(脱脂乾燥角層(前腕内側部))
対物レンズ:100倍、NA=1.3(油浸)
その結果を
図2に示す。さらに、該ラマンスペクトルのベースラインを調整し、タンパク質のCH
3伸縮振動に由来する信号が出現する2920〜2950cm
-1領域を拡大した図を
図3に示す。
【0026】
図2に示すとおり、かかとの脱脂乾燥角層の方が、前腕内側部の脱脂乾燥角層よりもS/Nの良いスペクトルを取得することができた。これは、前腕内側部から削りだした角層は粉末状であり、採取できる量も少ないため、前腕内側部の脱脂乾燥角層のラマンスペクトルの測定はより困難だったことによる。
これに対して、
図3より、タンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号については、前腕内側部とかかとでは大きな違いはなかった。特に、2つのスペクトルにおいて、タンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数に大きな違いはなかった。
そこで、下記実施例では、ヒトの角層のラマンスペクトルにおいてCH
2伸縮振動に由来する信号に重畳する、CH
3伸縮振動に由来する信号の影響を除去するための標準的な脱脂角層のラマンスペクトル(標準スペクトル)として、S/Nの良いかかとの角層のラマンスペクトルを用いることとした。
【0027】
試験例3 角層のラマンスペクトルの水分量依存性
20代男性の前腕内側部をドライヤー(1000W)で1分間加熱し、前腕内側部角層のラマンスペクトルを共焦点ラマン分光器 ナノファインダー30(商品名、東京インスツルメンツ製)を用いて測定した。この測定中、前腕は測定台(温度:約25℃)に固定し、同一部位を5回測定した。測定条件は以下のとおりである。
<測定条件>
励起波長632.8nm
波数分解能:5cm
-1
対物レンズ:100倍、NA=1.3(油浸)
測定深さ:皮膚表面から約5μm
【0028】
同様に、前記脱脂調湿角層(98%RH)、前記脱脂調湿角層(10%RH)、及び前記脱脂乾燥角層(かかと)のラマンスペクトルも同様に測定した。
CH
3伸縮振動由来の信号強度で規格化した、前腕内側部、脱脂調湿角層(98%RH)、脱脂調湿角層(10%RH)及び脱脂乾燥角層(かかと)のラマンスペクトルを
図4に示す。さらに、
図4中の各スペクトルのベースラインを調整し、タンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号が出現する2920cm
-1〜2960cm
-1領域を拡大した図を
図5に示す。
【0029】
図4より、3400cm
-1付近に出現する水のOH伸縮振動由来の信号の強度が、前腕内側部、脱脂調湿角層(98%RH)、脱脂調湿角層(10%RH)、脱脂乾燥角層の順に小さくなっていることがわかる。これは、角層に含まれる水分量が、前腕内側部、脱脂調湿角層(98%RH)、脱脂調湿角層(10%RH)、脱脂乾燥角層の順に少なくなることと一致する。
一方、
図5から、各スペクトルにおいてタンパク質(ケラチン)のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数が、角層に含まれる水分量が多くなるに従い、長波長側にシフトすることが明らかになった。すなわち、角層に含まれる水分量の違いによって、ラマンスペクトル中のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数が変化した。
【0030】
前記に示すCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数変化が、角層に含まれる水分量の違いによるOH伸縮振動由来の信号強度の違いによるものかについて検討する。
図4中の各スペクトルの水のOH伸縮振動及びタンパク質のNH伸縮振動に由来する信号強度(2950cm
-1〜3750cm
-1に出現)に、水のラマンスペクトル(
図6)を足し合わせて、前腕内側部のOH伸縮振動由来の信号強度に揃えたスペクトルを
図7に示す。さらに、
図7に示す各スペクトルのタンパク質のCH
3伸縮振動に由来する信号が出現する2920cm
-1〜2960cm
-1領域を拡大した図を
図8に示す。
図5に示す各スペクトルと同様に、タンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数が、脱脂乾燥角層、脱脂調湿角層(10%RH)、脱脂調湿角層(98%RH)、前腕内側部の順に大きくなる。
さらに、脱脂乾燥角層、脱脂調湿角層(10%RH)、脱脂調湿角層(98%RH)、前腕内側部に含まれる水分量を特開2010−12076号公報に記載の方法に準じてCH
3伸縮振動由来の信号強度(2800〜3030cm
-1)とOH伸縮振動由来の信号強度(3100〜3750cm
-1)の比から測定し、
図8に示す各信号のピークトップの波数を各試料の角層水分量に対してプロットした図を
図9に示す。
図9から、
図7に示すような、OH伸縮振動由来の信号強度の違いに応じて水の寄与分を除去したラマンスペクトルにおいても、CH
3伸縮振動由来の信号のピークトップ波数が、試料に含まれる水分量の違いにより変化することが明らかとなった。
【0031】
図7〜9に示す結果から、角層のラマンスペクトル中のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数変化が、隣接するOH伸縮振動由来の信号の重畳によって見かけ上生じるものではなく、水和に伴い角層中のCH
3基の状態変化に起因するものと考えられる。なお、角層のラマンスペクトル中のCH
3伸縮振動由来の信号は主にケラチンのCH
3伸縮振動由来であり、角層中のケラチンは、水分量の低下に伴いコンフォメーションが変化し、α-helix含量が減少することが知られている(例えば、S.Yadav et al.,Skin Research and Technology,vol.15,p.172-179,2009参照)。すなわち、脱脂角層のケラチンのコンフォメーション変化により、CH
3伸縮領域のスペクトルが変化するものと考えられる。
このように、角層のラマンスペクトル中のタンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップ波数は水分量増加に伴い長波長側にシフトする。したがって、角層のラマンスペクトルから、脱脂調湿角層又は脱脂乾燥角層のラマンスペクトルにおけるタンパク質の寄与分を排除して抽出したスペクトルは、細胞間脂質の分子会合構造を正確に反映するものとはいえない。
【0032】
試験例4 ヒトの皮膚のラマンスペクトル測定における、標準角層スペクトルの選定
試験例3で測定した20代男性の前腕内側部のラマンスペクトル、及び同様の条件で測定した試験例1で調製した含水脱脂角層のラマンスペクトルについて、CH
3伸縮振動由来の信号(2930cm
-1)の強度で規格化を行った。その結果を
図10に示す。CH
3伸縮振動由来の信号強度当たりのNH伸縮振動由来の信号強度は一定とみなせるので、3400cm
-1付近の信号強度の変化は水分量の変化に対応するとみなすことができる。これより、角層に含まれる水分量は、前腕内側部よりも含水脱脂角層で多いことがわかる。
さらに、
図10に示すスペクトル中、タンパク質のCH
3伸縮振動に由来する信号が出現する2920〜2960cm
-1の領域の拡大図を
図11に示す。
図11より、前腕内側部のスペクトルと含水脱脂角層のスペクトルにおいて、CH
3伸縮振動由来の信号の形状及びピークトップ波数がほぼ一致していることが分かった。
【0033】
以上のように、CH
3伸縮振動以外の振動の影響が小さい2920〜2960cm
-1の領域において、前腕内側部と含水脱脂角層のラマンスペクトルがほぼ一致した。したがって、含水脱脂角層のラマンスペクトルは、前腕内側部のラマンスペクトルのCH
3伸縮振動由来の信号を再現しているものといえる。
【0034】
さらに、試験例3と同様に、
図10に示す含水脱脂角層のラマンスペクトルについて、3400cm
-1付近の信号の強度が前腕内側部のラマンスペクトルのものと揃うように、水の寄与分を除去する補正をして得られたスペクトルを、前腕内側部及び補正前の含水脱脂角層のラマンスペクトルと併せて
図12に示す。さらに、
図12のタンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号、並びに脂質のCH
2伸縮振動及びCH
2逆伸縮振動由来の信号が出現する2820cm
-1〜3020cm
-1領域を拡大した図を
図13に示す。
図13より、含水脱脂角層のラマンスペクトルから水の寄与分を排除して得られた補正後のスペクトルは、補正前のスペクトルと比べて、タンパク質のCH
3伸縮振動の信号の形状及び極大値(ピークトップの波数)に変化は見られなかった。したがって、含水脱脂角層のラマンスペクトルにおける水のOH伸縮振動由来の信号の強度は、脂質由来の信号(2880cm
-1及び2850cm
-1付近に出現する信号)に重畳する、タンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号の影響を除くための標準スペクトルの選択に影響はないと言える。
【0035】
脱脂乾燥角層、脱脂調湿角層(10%RH)、脱脂調湿角層(98%RH)、含水脱脂角層及び前腕内側部のラマンスペクトル中のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数を、各試料の角層水分量に対してプロットした図を
図14に示す。
図14より、脱脂角層に含まれる水分量が少ない場合、ラマンスペクトル中のタンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数が小さくなる。一方、前腕内側部(水分量:約40wt%)のピークトップの波数と含水脱脂角層のピークトップの波数とを比較した場合、角層に含まれる水分量が十分に多いため、水分量の違いによらず、ラマンスペクトル中のタンパク質のCH
3伸縮振動由来の信号のピークトップの波数にほとんど変化はなかった。
【0036】
以上より、ヒト角層のラマンスペクトルにおいて、脂質由来の信号に重畳するタンパク質由来の信号の影響を排除するために用いる標準スペクトルとして、含水脱脂角層のラマンスペクトルを採用することが妥当である。
【0037】
試験例5 ヒトの皮膚のラマンスペクトルからの細胞間脂質由来の信号の抽出
試験例4で得られた含水脱脂角層の標準ラマンスペクトルを用いて、試験例3で測定した20代男性の前腕内側部のラマンスペクトルから、含水脱脂角層の寄与分を除去しタンパク質由来の信号の影響を排除し、細胞間脂質に由来の信号を抽出した。その結果を
図1に示す。
図1に示すように、CH
3伸縮振動由来の信号(2930cm
-1)が確認されず、CH
2逆対称伸縮振動由来の信号(2880cm
-1)及びCH
2対称伸縮振動由来の信号(2850cm
-1)が確認された。したがって、角層の主な構成成分は脂質、タンパク質及び水であるため、
図1に示すラマンスペクトル中の2つの信号は細胞間脂質のCH
2伸縮振動を反映するものである。
よって、ヒトの皮膚のラマンスペクトルから、含水脱脂角層のラマンスペクトルを用いて、含水脱脂角層の寄与分を除去して角層のラマンスペクトルからCH
3伸縮の影響を除いてスペクトルを抽出することにより、細胞間脂質由来のCH
2伸縮の信号の抽出が可能となる。
【0038】
実施例1
20代男性の前腕内側部をドライヤー(1000W)で1分間加熱した。加熱直後から、経時的に前腕内側部角層のラマンスペクトルを共焦点ラマン分光器 ナノファインダー30(商品名、東京インスツルメンツ製)を用いて測定した(1分間隔、5分間)。この測定中、前腕は測定台(温度:約25℃)に固定し、同一部位を経時的に測定した。測定条件は以下のとおりである。
<測定条件>
励起波長632.8nm
波数分解能:5cm
-1
対物レンズ:100倍、NA=1.3(油浸)
測定深さ:皮膚表面から約5μm
測定したラマンスペクトルについて、CH
3伸縮振動由来の信号強度で規格化した。このようにして得られた加熱直後及び加熱から5分経過後のヒト前腕内側部のラマンスペクトルを
図15に示す。
さらに、
図10に示す含水脱脂角層の標準ラマンスペクトルを用いて、
図15に示す各ラマンスペクトルから、含水脱脂角層の寄与分を除去しタンパク質由来の信号の影響を排除し、細胞間脂質に由来の信号を抽出したスペクトルを
図16に示す。
【0039】
細胞間脂質に特異的な信号を抽出したスペクトルを用いて、R値(2850cm
-1付近の信号強度に対する、2880cm
-1付近の信号強度の比)を計算した。このようにして得られたR値を、前腕内側部の加熱時間に対してプロットしたグラフ、すなわち、R値の加熱処理後の経時変化を示す図を
図17に示す。
図17より、R値は加熱直後から経時的に上昇し(加熱直後〜3分後)、その後ほぼ一定になる傾向を示した(3〜5分後)。一般に、細胞間脂質は39℃において、斜方晶/六方晶の相転移が生じる(例えば、I.Hatta et al.,Biochimica et Biophysica Acta.,vol.1758,p.1830-1836,2006;小幡ら,Spring-8 User Experiment Report,2009A1876など参照)。ドライヤーによる加熱処理直後の皮膚表面温度は約45℃であったことからこの加熱処理により角層を一時的に39℃以上に加熱したと考えられ、このようなR値の変化は、加熱により六方晶に相転移(R値が低下)した細胞間脂質が、その後の冷却過程において経時的に斜方晶に相転移(R値が上昇)していく過程を示している。このことは、細胞間脂質の分子会合構造が、加熱前は横方向の秩序度が高かったが、加熱により横方向の秩序度が低くなり、加熱後の冷却過程において経時的に横方向の秩序度が再び上昇したことを示している。これらの点からも、R値は細胞間脂質の分子会合構造の評価の指標となる。したがって、本発明によれば温度変化に伴う細胞間脂質のCH
2伸縮振動由来の信号の変化を正確に測定することができ、本発明の評価方法が細胞間脂質の分子会合構造の評価に好適であることがいえる。
【0040】
実施例2
20代男性の上腕内側部、前腕内側部及び頬部のラマンスペクトルを共焦点ラマン分光器 ナノファインダー30(商品名、東京インスツルメンツ製)を用いて測定した。この測定中、上腕、前腕及び頬は測定台(温度:約25℃)に固定した。上腕内側部、前腕内側部及び頬部を各5回ずつ測定した。測定条件は以下のとおりである。
<測定条件>
励起波長632.8nm
波数分解能:5cm
-1
対物レンズ:100倍、NA=1.3(油浸)
測定深さ:皮膚表面から約5μm
測定したラマンスペクトルについて、CH
3伸縮振動由来の信号強度で規格化した。このようにして得られた上腕内側部及び頬部のラマンスペクトルを
図18に示す。さらに、
図10に示す含水脱脂角層の標準ラマンスペクトルを用いて、
図18に示す各ラマンスペクトルから、含水脱脂角層の寄与分を除去しタンパク質由来の信号の影響を排除し、細胞間脂質に由来の信号を抽出したラマンスペクトルを
図19に示す。
図19からも明らかなように、前腕内側部以外の部位でも、測定したスペクトルから含水脱脂角層の寄与分を除去し、細胞間脂質に特異的な信号を抽出することにより、細胞間脂質のCH
2逆対称伸縮振動(2880cm
-1)及びCH
2対称伸縮振動(2850cm
-1)由来の信号が確認できた。
【0041】
細胞間脂質に特異的な信号を抽出したスペクトルを用いて、上腕内側部、前腕内側部及び頬部のR値を計算した。その結果を
図20に示す。頬部のR値と、上腕内側部及び前腕内側部のR値とでは有意差があり、頬部よりも上腕内側部や前腕内側部の方が、R値が大きかった。これは、上腕内側部や前腕内側部は、頬部に比べて細胞間脂質のパッキングが密であることを示す。このことは、細胞間脂質の分子会合構造が、上腕内側部や前腕内側部では横方向の秩序度が高い状態であったのに対し、頬部では横方向の秩序度が低い状態であることを示している。
したがって、本発明によれば部位による細胞間脂質のCH
2伸縮振動由来の信号の違いを正確に捉えることができ、本発明の評価方法が細胞間脂質の分子会合構造の評価に好適であることがいえる。
【0042】
以上のように、本発明の方法によれば、細胞間脂質の分子会合構造を正確かつ簡便に評価することができる。また、本発明の方法によれば、皮膚表面の状態の特性化、皮膚表面の状態の個人差・部位差や製剤使用前後の変化の定量化が可能となる。