【文献】
荻本泰史,他,高指数面基板上へのMn酸化物薄膜のエピタキシャル成長,応用物理学関係連合講演会講演予稿集,2011年 3月,vol.58,ROMBUNNO.25P-BZ-14
【文献】
荻本泰史,他,高指数面基板上に作製したMn酸化物薄膜の磁気・輸送特性,応用物理学関係連合講演会講演予稿集,2011年 3月,vol.58,ROMBUNNO.25P-BZ-15
【文献】
荻本泰史,強相関界面を介した極薄二層構造における相制御,日本物理学会講演概要集,日本,2010年 3月 1日,Vol.65,No.1,第3分冊,P.663,23aGA-3
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
近年、半導体デバイスの性能向上指針であったスケーリング則もいよいよ限界に直面することが懸念されている。それに伴い、これまで長きにわたり使用されてきたシリコン以外の、新規な動作原理を可能とする材料が注目されている。例えば、スピンの自由度を取り入れたスピントロニクスの分野において、DRAM(ダイナミックランダムアクセスメモリー)並みの高速動作が可能な高密度不揮発性メモリーを目指した開発が進められている。
【0003】
一方、半導体デバイス設計の基礎を支えるバンド理論を適用することができない強相関電子系材料の研究も進展してきた。その中で、電子系の相転移に起因する巨大かつ高速な物性変化を示す物質が見出されている。強相関電子系材料においては、スピンのみならず電子軌道の自由度までもが電子系の相状態に関与することにより、スピン、電荷、軌道が形成する様々な秩序からなる多彩な電子相が発現する。強相関電子系材料の代表例がペロフスカイト型マンガン酸化物であり、その電子系においては、一次相転移によりマンガン(Mn)の3d電子が整列する電荷整列相(charge-ordered phase)や、電子軌道が整列する軌道整列相(orbital-ordered phase)が発現することが知られている。
【0004】
電荷整列相や軌道整列相ではキャリアが局在するため電気抵抗は高くなり、電子相は絶縁体相となる。また、この電子相の磁気的性質は、超交換相互作用および二重交換相互作用による反強磁性相である。なお、電荷整列相や軌道整列相の電子状態は半導体的とみるべき場合も多い。電荷整列相や軌道整列相では、キャリアが局在しているものの、電気抵抗はいわゆるバンド絶縁体よりも低くなるためである。しかしここでは慣例により、電荷整列相や軌道整列相の電子相を絶縁体相と表現する。これとは逆に、電気抵抗が低く金属的振舞いを示す場合にはスピンが揃うため電子相は強磁性相を示す。金属相の定義も様々あるが、ここでは、「抵抗率の温度微係数の符号が正のもの」を金属相と表現する。この表現に対応させれば、上記の絶縁体相は、「抵抗率の温度微係数の符号が負のもの」と再定義される。
【0005】
上述した電荷整列相、軌道整列相に加え、電荷整列と軌道整列との両方がともに成立している相(電荷・軌道整列相; charge and orbital ordered phase)といった電子相のうちいずれかのものをとりうる物質では、その物質の単結晶バルク材料において種々のスイッチング機能を発現させる現象が観察されることが開示されている(特許文献1〜3)。これらの現象は、典型的には、電気抵抗の巨大な変化や、反強磁性相―強磁性相の間の転移として観察される。例えば、磁場印加による何桁もの抵抗変化は、超巨大磁気抵抗効果としてよく知られている。
【0006】
これらの現象をスイッチング機能として利用する実用的な電子デバイスや磁気デバイス、さらには光デバイスといった何らかの装置(デバイス)を作製するためには、スイッチング機能をもたらす現象を室温(例えば300K)以上の温度域にて実現する必要がある。ところが、上記特許文献1〜3に開示されているスイッチング機能は、いずれも例えば液体窒素温度(77K)以下といった低温にて確認されているものばかりである。これらの開示におけるペロフスカイト型マンガン酸化物は、その化学組成をABO
3と表記すると、原子積層面はAO層、BO
2層、AO層、・・・と繰り返し積層される積層体となる。以下、このような積層体の結晶構造をAO−BO
2−AOと記すこととする。なお、ペロフスカイト構造の単位胞において、Aサイトは頂点、Bサイトは体心、O(酸素)は面心の各位置を占める。また、マンガンはBサイトに配置される。
【0007】
上記文献1〜3それぞれに開示されるペロフスカイト型マンガン酸化物においてスイッチング現象が観察される温度つまり電荷軌道秩序が発現する温度(以下、「発現温度」という)が低下していることに関係していると考えられているのが、ペロフスカイトの結晶構造のAサイトを占める元素またはイオンの種類である。端的には、ペロフスカイトの結晶構造のAサイトが3価の希土類カチオン(以下「R」と記す)と2価のアルカリ土類(「Ae」)とによってランダムに占められており、そのランダムさが原因となって発現温度が低下している。逆に、仮にAサイトの元素またはイオンを、AeO−BO
2−RO−BO
2−AeO−BO
2−RO−BO
2−・・・と秩序化させることができれば、電荷整列相への転移温度は約500K前後にまで上昇させうることも知られている。以下、ここに例示されたもののように、Aサイトを占めるイオンを規則的に配置することを「Aサイト秩序化」といい、そのようなAサイト秩序化が実現されているペロフスカイト型マンガン酸化物をAサイト秩序化ペロフスカイト型マンガン酸化物という。そのような高い転移温度を示す一群の物質は、アルカリ土類AeとしてBa(バリウム)を含むことを特徴としている。例えば、アルカリ土類AeとしてBaを含み、さらに希土類元素Rとしてイオン半径の小さいY(イットリウム)、Ho(ホルミウム)、Dy(ジスプロシウム)、Tb(テルビウム)、Gd(ガドリニウム)、Eu(ユーロピウム)、Sm(サマリウム)を用いた場合には、転移温度が室温を超えることが報告されている。
【0008】
これらの現象を利用する電子デバイス、例えば磁気デバイス、さらには光デバイスといった何らかの装置(デバイス)を実現するためには、ペロフスカイト型マンガン酸化物を薄膜形態に形成した上で上記のスイッチング現象を実現することが必要となる。ところが、(100)面方位基板上にその薄膜を形成してもスイッチング機能が実現しにくいという課題があった。この原因は、面内の4回対称性に起因して、電荷整列相あるいは軌道整列相への相転移に必要なヤーン・テラー(Jahn-Teller)モードと呼ばれる格子変形が抑制されるためである。
【0009】
それに対し特許文献4には、(110)面方位基板を利用してペロフスカイト酸化物の薄膜を形成することが開示されている。この開示によれば、(110)面方位基板において面内の4回対称性が破れる場合には、形成された薄膜がスイッチングする際の結晶格子のずり変形が許容される。このずり変形が生じると、結晶格子が基板面と平行に配向し、電荷整列面や軌道整列面が基板面に対して非平行となる。また、上記のAサイト秩序化ペロフスカイト型マンガン酸化物に関しても薄膜化した例が特許文献5に開示されている。この開示には、アモルファス状の薄膜を一旦堆積した後、レーザーアニールにより結晶化とAサイト秩序化を行うという塗布光照射法が報告されている。実際、(100)面方位SrTiO
3(格子定数0.3905nm)基板上に形成したSmBaMn
2O
6薄膜においてAサイトが秩序化していることが電子線回折により確認されている。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
しかしながら、上記Aサイト秩序化ペロフスカイト型マンガン酸化物には、Aサイトのイオンにおける秩序度が、スイッチング現象が実現する温度すなわち電荷軌道秩序の発現温度に大きな影響を与えるという問題がある。特にAサイト秩序化ペロフスカイト型マンガン酸化物からなる薄膜においては、形成される薄膜の中に欠陥が導入されたり薄膜の組成に僅かなずれが生じたりするだけでも、Aサイトイオンの秩序度が低減する懸念がある。また、特許文献4に報告される(110)面方位基板上の薄膜には、上記の秩序度低減と発現温度低下とのいずれの問題の解決にも寄与しないという課題がある。このように、従来のペロフスカイト型酸化物薄膜においては、電荷軌道秩序の発現温度が低温にとどまるという問題や、Aサイトの秩序度に依存した室温以上の電荷軌道秩序の発現温度とそれゆえの不安定性という問題が未解決である。
【0012】
本発明は上記問題点に鑑みてなされたものである。本発明は、何らかの外的刺激(外場)による相転移の制御を室温で実現してスイッチング機能を実現するようなマンガン酸化物薄膜または酸化物積層体を提供することにより、新規なデバイスの創出に貢献するものである。
【課題を解決するための手段】
【0013】
上記課題を吟味した結果、上記各問題は、そもそも2種類のカチオン、すなわち3価の希土類元素(R)と2価のアルカリ土類(Ae、例えばSrやBa)との両カチオンがペロフスカイト型Mn酸化物のAサイトを占めることに起因していると本願発明者は考えた。そして、2種類のカチオンがAサイトを占めるペロフスカイト型Mn酸化物を用いるアプローチでは上記課題を解決し得ないと考えるに至り、それとは異なる手法を探索し、上記課題を解決する具体的手段を見出した。
【0014】
本発明は、全く新たな原理に基づいて上記課題の少なくともいずれかを解決する。その具体的解決手段として、本発明のある態様においては、基板の面の上に形成され、組成式RMnO
3(ただし、Rはランタノイドから選択される少なくとも1種の3価の希土類元素)により表される組成のマンガン酸化物薄膜であって、元素Rを含みMnを含まない原子層と、Mnを含み元素Rを含まない原子層とが基板面に垂直方向に向かって交互に並ぶように積層されており、基板面の面内方向に、互いに非等価な2つの結晶軸を有しているマンガン酸化物薄膜が提供される。なお、互いに非等価な2つの結晶軸とは、面内の4回対称操作に対して非対称となるような2つの結晶軸を意味する。例えば立方晶(100)基板においては面内の2軸は[010]と[001]であるがこれらは面内の4回対称操作、すなわち90度回転すると区別がつかない。このような場合2つの結晶軸は等価であるとする。一方、立方晶(210)基板においては面内の2軸は[−120]と[001]となる。これらは上記の4回対称操作によって一致せず、このような場合に2つの結晶軸を非等価と称することにする。
【0015】
本態様におけるマンガン酸化物薄膜は、ペロフスカイト型マンガン酸化物を材質とする薄膜である。このマンガン酸化物はABO
3と表現される組成の結晶格子を有している。そして本態様におけるマンガン酸化物薄膜の結晶は、通常のペロフスカイト型結晶と同様に、BサイトにMn(マンガン)を有するとともに、そのMnを囲むような酸素八面体を備えている。特に、本態様におけるマンガン酸化物薄膜の結晶においては、Aサイトが、3価の希土類元素(R)のカチオンのみにより占められている。つまり、上記従来のものとは異なり、Aサイトには2価のアルカリ土類(Ae)は配置されない。本態様の希土類元素Rとしては、典型的には、ランタノイドである3価の希土類元素、すなわちLa(ランタン)、Ce(セリウム)、Pr(プラセオジム)、Nd(ネオジム)、Pm(プロメチウム)、Sm、Eu、Gd、Tb、Dy、Ho、Er(エルビウム)、Tm(ツリウム)、Yb(イッテルビウム)、Lu(ルテチウム)からなる群から選択される少なくとも1種の元素である。
【0016】
なお、上記特許文献4や特許文献5に開示される物質は、Aサイトに2価のアルカリ土類(Ae)であるSr(特許文献4)やBa(特許文献5)を有している物質である。
【0017】
さらに、本発明の上記態様のマンガン酸化物薄膜においては、元素Rを含みMnを含まない原子層と、Mnを含み元素Rを含まない原子層とが基板面に垂直方向に向かって交互に並ぶように積層されている。この態様のマンガン酸化物において、元素Rを含みMnを含まない原子層は、典型的にはRO層つまり元素RとO(酸素)からなる層である。これに対し、Mnを含み元素Rを含まない原子層は、典型的にはMnO
2層つまりMnとOからなる層である。これらの典型的な層構成を取る場合、基板面直方向に交互に積層されたRO層およびMnO
2層は、それぞれ+1および−1に帯電していると考えられる。その結果、上記態様のマンガン酸化物薄膜の結晶において、帯電した極性表面(polar surface)による電圧または電場が常に印加される。これは、各元素の形式価数が、Rは+3価、Oは−2価、そして、RMnO
3の電荷中性条件からMnは+3価であるためである。このような電場が生じると、絶縁体−金属転移を発現するために必要となる外場閾値の低減が期待できる。しかも、上記態様のマンガン酸化物薄膜は、互いに非等価な2つの結晶軸を基板面の面内方向に有している。このため、基板面の面内におけるマンガン酸化物の結晶の対称性が4回対称より低くなり、ずり変形が許容されて、一次相転移が可能となる。なお、上記特許文献5の開示においては、(100)面方位SrTiO
3基板が採用されているため、その基板上に形成したSmBaMn
2O
6薄膜の結晶格子は、ずり変形を許容しない4回対称性を有することとなる。また、仮に(100)配向したマンガン酸化物として基板面直方向に交互に積層したRO層、MnO
2層を含む薄膜が形成されると、2つの等価な結晶軸が基板面の面内方向に形成される。このため、(100)配向したマンガン酸化物では、RO層、MnO
2層が形成されても結晶が4回対称性となる。この構成とは異なり、上記態様のマンガン酸化物薄膜は、基板面の面内方向に互いに非等価な2つの結晶軸を有している以上、例えば(100)配向したような4回対称性のマンガン酸化物薄膜を含まない。なお、基板面の面内方向に互いに非等価な2つの結晶軸を有しているとは、基板面の面内方向における互いに等価な結晶軸が2つは存在しないことである。
【0018】
本発明の上記態様の薄膜の材質であるマンガン酸化物の電子相は、モット転移により絶縁体と金属との間で相転移する性質を示す。ここで、このようなマンガン酸化物は、一般にはモット絶縁体と呼ばれる物質群の一種でもある。しかし本出願におけるマンガン酸化物薄膜は、金属絶縁体転移を生じる性質を示す薄膜であり必ずしも常に絶縁体相とはならない。このような材質を、以下「マンガン酸化物」と表現する。また、モット転移には、一般に、温度のみならず、外的な刺激(以下「外場」という)も関与することがある。外場を印加しない場合の温度のみにより生じるモット転移では、絶縁体相は低温側、金属相は高温側に出現する。これに対し、ある温度において外場を変化させて生じさせたモット転移では、絶縁体相は外場が弱い側、金属相は外場が強い側に現われる。本発明の上述した態様のマンガン酸化物薄膜においては、室温(例えば300K)において外場によりモット転移を生じさせることが可能となる。これは、上記態様においては、室温よりも高温において通常現われるモット転移の転移温度を従来よりも低温化させていること、および、モット転移のための外場の閾値を従来よりも小さくすること、の両方またはいずれかを意味している。なお、ここでの外場には、典型的には、磁場、電場、電流、光、および圧力、そしてこれらの任意の組合せを含んでいる。
【0019】
本発明のある態様においては、前記マンガン酸化物薄膜の組成が、組成式RMnO
3(ただし、Rは、La、Ce、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Gd、Tb、Dyからなる群から選択される少なくとも1種の3価の希土類元素)により表されるものである上記態様のマンガン酸化物薄膜が提供される。
【0020】
3価の希土類元素の上記群は、ランタノイドを原子番号順にならべてHo以降を除いた元素群である。上記群のうちから3価の希土類元素を選択すると、酸素八面体の回転の程度を制御することが可能となって、軌道整列の発現しやすさを調整することが可能となる利点がある。
【0021】
本発明のある態様においては、前記マンガン酸化物薄膜の組成が、組成式RMnO
3(ただし、Rは、La、Ce、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Gd、Tb、Dyからなる群から選択される少なくとも2種の3価の希土類元素)により表されるものである上記態様のマンガン酸化物薄膜も提供される。
【0022】
本発明のマンガン酸化物薄膜の組成式RMnO
3における3価の希土類元素Rのカチオンは、必ずしも1種類の元素である必要はない。つまり、例えば元素Rとして2種の3価の希土類元素が用いられるときの化学組成を別の形式により表現してみると、本態様のマンガン酸化物であるRMnO
3と表現される組成物には、3価のカチオンとなりうる別々の希土類元素それぞれをR
1、R
2として、(R
1MnO
3)
X(R
2MnO
3)
1−X、ただし0<X<1と表現される組成物となる。このように表現される組成物は、典型的には、希土類元素R
1を含むマンガン酸化物R
1MnO
3と、希土類元素R
2を含むマンガン酸化物R
2MnO
3との任意の比率X:1−Xの固溶体である。いずれの表現による場合であっても、本態様のマンガン酸化物薄膜の結晶において秩序度のばらつきに起因する問題は原理的に解消される。これは、上述した3価の希土類元素のカチオンのみがAサイトに配置されるためである。
【0023】
本態様のマンガン酸化物薄膜では、3価の希土類元素Rが、イオン半径の異なる複数種類のものから構成される。その影響は結晶構造における酸素八面体の回転に現われ、結果として二つの効果を導く。一つは、薄膜に形成されるマンガン酸化物の結晶格子の平均の格子定数を変更することが可能になることである。もう一つは、マンガン酸化物の結晶格子の酸素八面体の回転の角度に、ばらつき(ランダムネス)を導入することである。これらは、いずれも、モット転移のための外場の閾値を低減するように作用する。したがって、複数種の希土類元素Rを用いることは好ましい一態様となる。また、3価の希土類元素Rが3種以上である場合も同様である。なお、これらのメカニズムの詳細については、「1−5 複数種の元素Rの二つの効果」の欄において詳述する。
【0024】
さらに、本発明のある態様においては、前記マンガン酸化物薄膜をなす材質のバルク物質での結晶格子の単位胞体積の三乗根が、前記基板の結晶格子の格子定数よりも小さい上記態様のマンガン酸化物薄膜が提供される。
【0025】
本態様により、軌道整列面が基板面に対して斜めに配置されマンガン酸化物薄膜に伸張歪が作用する。その結果、マンガン酸化物の結晶格子においてMn−O−Mnのボンドの角度が拡がって180度に近付く。このため、Mn−O−Mnにおけるキャリアのトランスファーが大きくなって、モット転移による絶縁体相から金属相へのスイッチングが容易になる。その効果として、例えば外場を用いてモット転移を生じさせる場合には、モット転移のために必要となる外場の強度を低減することが可能となる。
【0026】
加えて、本発明のある態様においては、前記基板の面方位が(210)面方位である上記態様のマンガン酸化物薄膜が提供される。
【0027】
本態様により、基板の原子積層面を利用したエピタキシャル成長が可能となり、ミスフィット等の欠陥のない単結晶薄膜を用いることが可能となる。さらに、(210)面方位基板上のRMnO
3薄膜では、対称性の破れのために、面直方向にやや傾いた面内[1−20]軸方向の分極が生じる。つまり、本態様においては、面直方向に加えて面内方向においても電圧(電場)が内在的に作用した構成となることにより、面内方向にも分極による反電場が印加され、絶縁体−金属転移のための外場閾値が低減される。
【0028】
また、本発明のある態様においては、さらなる層が付加された酸化物積層体も提供される。すなわち、本発明のある態様においては、上記いずれかの態様のマンガン酸化物薄膜と、該マンガン酸化物薄膜に接している強相関酸化物薄膜とを備えており、酸化物積層体全体の厚さt、前記マンガン酸化物薄膜の厚さtm、および前記強相関酸化物薄膜の厚さt1が、前記強相関酸化物薄膜が金属相となるための臨界膜厚tcに対して、t=tm+t1>tc、かつt1<tc、の関係を満たしている酸化物積層体が提供される。
【0029】
本態様の酸化物積層体においては、マンガン酸化物薄膜に接して積層させて強相関酸化物薄膜を配置する。この強相関酸化物薄膜をなす材質の結晶構造は、上記マンガン酸化物薄膜と同様に、ABO
3と表現されるペロフスカイト構造を有する。ただし、上記マンガン酸化物薄膜とは異なり、強相関酸化物薄膜の結晶格子においては、Aサイトが必ずしも3価の希土類元素(R)のカチオンのみにより占められているとは限らない。本態様の酸化物積層体においては、絶縁体金属転移(モット転移)によるマンガン酸化物薄膜のスイッチング機能の検出が、上述したマンガン酸化物薄膜単体のものに比べ容易になる。これは、絶縁体金属転移(モット転移)によるマンガン酸化物薄膜のスイッチング機能つまり電子状態の変化を、酸化物積層体試料の例えば抵抗変化として外部から容易に検出することができるためである。この検出容易化の仕組みは、次元クロスオーバーと呼ぶものであり、その詳細は「1−7 積層化による検知性の向上(次元クロスオーバー)」の欄にて詳述する。さらに、検出が容易になる結果、副次的に、転移を生じるために必要となる外場の閾値を低減させることも可能となる。これは、モット転移するマンガン酸化物薄膜の厚みを、マンガン酸化物薄膜単体の場合に比べ薄くすることも可能となるためである。
【0030】
そして、本発明のある態様においては、上記いずれかの態様のマンガン酸化物薄膜と、該マンガン酸化物薄膜の一方の面に接している第1の強相関酸化物薄膜と、該マンガン酸化物薄膜の他方の面に接している第2の強相関酸化物薄膜とを備えており、酸化物積層体全体の厚さt、前記マンガン酸化物薄膜の厚さtm、前記第1および第2の強相関酸化物薄膜それぞれの厚さt1およびt2が、各強相関酸化物薄膜が金属相となるための臨界膜厚tcに対して、t=tm+t1+t2>tc、かつmax(t1、t2)<tcただし、max()は、変数のうちの最大値を返す関数、の関係を満たしている酸化物積層体も提供される。
【0031】
本態様の酸化物積層体においては、マンガン酸化物薄膜の両面に強相関酸化物薄膜が接して配置される。強相関酸化物薄膜を接触させる効果が、片側のみの場合に比べて一層顕著に得られることとなる。
【発明の効果】
【0032】
本発明のいずれかの態様のマンガン酸化物または酸化物積層体は、Aサイトの元素を、価数が+3に揃った希土類元素Rにするとともに、元素Rを含みMnを含まない原子層と、Mnを含み元素Rを含まない原子層とが基板面に垂直方向に向かって交互に並ぶことにより、秩序度のばらつきの影響をうけることが原理的になくなり、外場により制御されるモット転移を室温で実現するものである。
【発明を実施するための形態】
【0034】
以下、本発明に係るマンガン酸化物薄膜の実施形態を図面に基づいて説明する。当該説明に際し特に言及がない限り、全図にわたり共通する部分または要素には共通する参照符号が付されている。また、図中、各実施形態の要素のそれぞれは、必ずしも互いの縮尺比を保って示されてはいない。
【0035】
<第1実施形態>
[1 基本原理]
[1−1 マンガン酸化物薄膜におけるモット転移の容易化]
以下、本発明に係るマンガン酸化物薄膜の実施形態を図面に基づいて説明する。まず、スイッチング機能を室温にて実現するための基本原理、すなわち、室温のマンガン酸化物薄膜を外場によりモット転移させるための基本原理を説明する。一般に、マンガン酸化物薄膜の軌道整列温度はAサイト秩序型Mn酸化物などと比較しても遥かに高い。例えばPrMnO
3の軌道整列温度は1000K以上にもなる。つまり、例えば300K程度の室温におけるマンガン酸化物薄膜は、軌道整列状態となっている。これが重要な認識の一つ目である。
【0036】
この例において、PrMnO
3のPrのサイト(Aサイト)の元素を、La、Ce、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Gd、Tb、Dy、Ho、Er、Tm、Yb、Luというランタノイドの元素の並びにおいて順に置き換えていく場合を考える。なお、ランタノイドの上記並びは、いわゆるランタノイド収縮(Lanthanide contraction)とも呼ばれる、イオン半径の大きいものから小さいもの、という傾向を示す。すると、Aサイトの元素をLaから順次置き換えるのに応じて、マンガン酸化物薄膜の軌道整列温度が上昇する一方、反強磁性転移温度は低下してゆく。この傾向はDyまで続き、次のHoになると、Dyに比べて軌道整列温度は下降し、反強磁性転移温度が再び上昇しはじめる。ここで、酸素八面体は、GdFeO
3タイプの歪み構造をとるように、つまり、結晶格子において、Aサイトの格子は変形せず、Mnを取り囲む酸素八面体が回転するように変形している。そして、その変位または回転の変形の程度は、ランタノイドのLaからHoまでの全範囲の上記置き換えにおいてこの順に増大する。なお、ErからLuまでの範囲の置き換えにおいてはさらにイオン半径がさらに小さくなることからバルクでは結晶構造が斜方晶よりも六方晶をとりやすい傾向にあるが、薄膜においては立方晶ぺロフスカイト型基板にエピタキシャル成長させることにより斜方晶の構造を実現できる。したがってランタノイドの全ての元素をAサイトの置き換えの対象として採用することができるのである。その結果、その置き換えにおいて、Mn−O−Mnの角度θ(
図6)がその順に減少する。
図6は本実施形態のマンガン酸化物薄膜において、Mn−O−Mnの角度を示す説明図である。
図6(a)は、酸素八面体が回転する向きに結晶格子が変形しMn−O−Mnの角度が180度より減少している状態を示し、
図6(b)は、基板からの伸張歪により酸素八面体が回転する向きに変形しMn−O−Mnの角度θが拡げられた状態を示す。この角度θの180度からの減少は、キャリアの伝導性の指標となるバンド幅に対しても、伝導性を悪化させるような影響を及ぼす。これは、Mn
3+の3d軌道から結晶場分裂したe
g軌道とO
2−の2p軌道との間の重なりに上記角度θが大きく影響するためである。
【0037】
したがって本願の発明者は、ランタノイドからHo以降を除いたLa、Ce、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Gd、Tb、Dyの範囲において、同一の物理機構に支配されて軌道整列が実現している、と考えている。この範囲において軌道整列の発現のしやすさは、反強磁性転移温度と同様にイオン半径に対し系統的な依存性を示す。
【0038】
次に、背景技術において課題として述べた現象の一つである、外場による絶縁体金属転移が低温にとどまっている現象の原因を説明する。この現象は、端的には、通常使用可能な大きさの外場を印加することにより、上記マンガン酸化物の電子相を金属相に転移させるには、電子相の秩序が「強固(robust)」すぎる、というのがその理由である。つまり上記マンガン酸化物における電子相の秩序を低下させて金属相とするために必要となる外場の閾値は、あまりに大きい。この観点で従来のアプローチを捉え直してみると、従来依拠していた原理の理解が容易となる。つまり、バンド理論上では金属になるはずの物質が電子相関(electron correlation)により絶縁体となっているモット絶縁体としてのマンガン酸化物において、従来は、ホールをドープして電子相関を意図的に弱めることにより上記「強固さ」を減少させる、という原理が採用されている。実際、モット転移を外場により制御しようとする従来の態様はいずれもこの動作原理に依拠している。しかし、この原理に基づく限り、軌道整列温度や電荷軌道整列温度が室温以下になるというトレードオフから逃れ得ない。従来はそのトレードオフを克服しえなかったというのが実情である。
【0039】
この状況を踏まえて本願の発明者が抱いた疑問は、マンガン酸化物などのモット絶縁体において電子系の秩序の強固さを支配している機構は一体何であろうか、というものである。この疑問に取り組むことにより、本願の発明者は、軌道整列における強固さが協同現象(cooperative phenomena)によるものであり、電子軌道の数に依存しているという仮説に思い至った。この仮説が正しいとすると、バルク結晶の形態では対処が困難であるほどに「強固」な電子系をもつマンガン酸化物であっても、薄膜に形成し軌道の数を十分に削減しさえすれば、上記トレードオフに対処することが可能となる可能性が高い。つまり、マンガン酸化物を薄膜の形態にすることにより、外場により制御可能な程度にまで上記「強固」さを低下させうるのではないか、という考えに至る。これが本発明への着想を与えたコンセプトである。
【0040】
なお、上記仮説の確からしさに関して、実験的説明は後述する実施例に委ねることとし、ここでは、上記仮説を支持する理論的説明を補足する。電荷整列や軌道整列といった強相関電子系において観察される現象は、協同現象であるとともに、電子相関の効果が大きい物質における多体効果(many-body effect)の一側面でもある。つまり、3d軌道を有するMn
3+イオンを1つのみ含む単位胞を1つだけ対象とする限り、電荷や電子軌道が整列するという定義自体があてはまらない。そこで、単位胞が2個つながった系における電子状態を考えてみる。この場合、一方の単位胞の電子軌道の状態(軌道状態)ともう一方の単位胞の軌道状態とが互いに競合状態(competitive)となる。このため、両電子軌道が互いに整列したほうが系が安定であるなら軌道整列状態が実現し、整列していないほうが系が安定であるなら軌道整列状態は崩壊する。実際には、この2つの状態、つまり軌道整列状態が実現している状態と崩壊している状態とのエネルギー差は、2個の単位胞の系を安定的にどちらかの状態とするには小さ過ぎる可能性もある。したがって、単位胞が2個つながった系における電子状態においては、確定的に軌道整列するとまでは言い切れない。
【0041】
ところが系のサイズを大きくして、単位胞がN個(Nは2より十分大きい整数)存在するような系を考えてみる。その場合、N個の単位胞のうち1つの単位胞のみの軌道が他のN−1個の単位胞の軌道から異なっている状態に比べると、N個の単位胞に含まれる軌道すべてが整列しているほうが安定といえる。つまり、異なる軌道を整列させるように周囲のN−1個の単位胞から当該1つの単位胞の軌道に対して相互作用が働く。さらに、N個の単位胞のうちの数個の単位胞(a couple of unit cells)の軌道が他の単位胞の軌道と異なっている状態から比べても、N個の単位胞に含まれる軌道すべてが整列しているほうが安定である。このように、2個より十分に多数のN個の単位胞が存在する系においては、全体の軌道を整列させるように単位胞の軌道間に相互作用が働き、系全体が安定化される。
【0042】
2単位胞およびN単位胞のそれぞれの上記性質からわかることは、電子系の安定性が電子系それ自体のサイズつまり単位胞の数に依存する、ということである。ここで、繰り返しになるが、電荷整列も軌道整列も電子相関が強い物質における協同現象によりもたらされるため、これらの整列は、いわば電子の自己組織化(self assembly)の所産といえる。したがって、電荷整列および軌道整列に対しては、単位胞の数が多いこと自体が最も本質的役割を果たすのである。このように、協同現象である軌道整列における強固さが電子軌道の数に依存しているという上記仮説は、理論的にも十分な合理性を備えている。
【0043】
[1−2 結晶構造の選択]
マンガン酸化物薄膜においてスイッチング機能を実現させるためには、スイッチング機能を実現させる外場の閾値を低減することに加え、モット転移が一次の相転移(一次転移)であることも考慮される。このため、本実施形態のマンガン酸化物には、ずり変形を許容する結晶の対称性が採用されて、ヤーン・テラーモードの転移の障害とならないようにされる。より具体的には、本実施形態のマンガン酸化物薄膜の結晶構造として、RO層とMnO
2層とが交互に基板面直方向に積層されている原子積層面の結晶構造、すなわち、RO−MnO
2−RO…と並ぶ結晶構造を採用することとする。
図1は、本実施形態におけるRMnO
3の構造を有するマンガン酸化物薄膜の一例の概略断面図であり、(210)面方位基板の面の上に形成されたマンガン酸化物薄膜の断面図を示す。
図1(a)は、基板に形成されているマンガン酸化物薄膜の構成を示す全体図であり、
図1(b)には[001]軸に垂直な面による断面図、
図1(c)には[1−20]軸に垂直な面による断面図を示している。
図1(b)および(c)の結晶構造は、ともに基板面に垂直な面にて切断したマンガン酸化物薄膜のものである。
【0044】
上述したRO層とMnO
2層とが交互に積層されている原子積層面をもつ結晶構造においては、
図1(b)および(c)に示すように、紙面上の左右方向に延びる基板面(
図1(b)および(c)には図示しない)に対して平行な原子層をなすように、ROの原子層とMnO
2原子層が交互に積層して配置される。特に、
図1(b)および(c)は、本実施形態のマンガン酸化物薄膜のRMnO
3の組成式により示されるペロフスカイト構造の結晶構造が立方晶を取る場合を例示したものである。本実施形態のマンガン酸化物薄膜の結晶構造からまずわかることは、基板面内の2つの結晶軸が非等価である点である。つまり、本実施形態のマンガン酸化物薄膜ではずり変形が可能となり、一次転移が可能であるという点である。実際、(210)面内の対称性は1回対称であるため、モット転移による絶縁体金属転移が発現可能となる。
【0045】
ただし、本実施形態のマンガン酸化物薄膜の材質すなわちペロフスカイト構造であり組成式RMnO
3により表現されるマンガン酸化物は、立方晶以外の結晶格子、つまり正方晶(tetragonal)、斜方晶(orthorhombic)、単斜晶(monoclinic)、三斜晶(triclinic)、三方晶(trigonal)、六方晶(hexagonal)といったより低次の対称性のみを持つ結晶構造におけるペロフスカイト構造である場合もある。というのは、いずれの場合であっても、本実施形態のマンガン酸化物薄膜のようにRO原子層とMnO
2原子層が交互に積層して配置され、基板面内の2つの結晶軸が非等価であれば、上記ずり変形が許容されるためである。なお、本実施形態ペロフスカイト構造には、例えば、上述のユニットセルを複数つなげてはじめて結晶格子の基本単位格子が得られるような結晶構造の物質も含まれている。
図1(b)および(c)の結晶構造が実現されていることは、公知のX線回折による結晶点群を同定すれば確認可能である。特にRO原子層とMnO
2原子層が交互に積層して配置されていることは、STEM(走査透過型電子顕微鏡)による原子の直接観察により確認することができる。
【0046】
次に
図1(b)および(c)に示した結晶構造における各原子層の電気的性質を説明する。上述したように、基板面直方向にはRO−MnO
2−RO−MnO
2−…という積層構造が実現され、元素Rを含みMnを含まない原子層(RO原子層)と、Mnを含み元素Rを含まない原子層(MnO
2原子層)とが交互に積層されている。一般に希土類Rの価数は+3が安定であり、イオン結合を仮定してOの価数を−2とすると、RMnO
3の電荷中性条件からMnの価数は+3となる。このような仮定の下で上記結晶構造の積層体をなす各原子層の電荷の分布を再度見直すと、ROは+1、MnO
2は−1、と原子層毎に+、−に交互に帯電していることに気づく。
図1(b)および(c)にはこの符号を明示している。その結果、本実施形態のマンガン酸化物薄膜2は極性表面を有することとなる。
【0047】
[1−3 基板の選択]
図1(a)の図中の白抜き矢印はこの極性表面から内在的に作用する電圧(電場)を示している。基板1の組成をABO
3と表現した場合、マンガン酸化物薄膜2が形成される基板1の表面がBO
2原子層で終端されているとき、つまり、基板1の表面がBO
2面であるときに、その基板1にマンガン酸化物薄膜2を成長させるとする。すると、マンガン酸化物薄膜2が成長し始める最初の原子層はRO層となるため、この場合には電圧(電場)の方向は
図1(a)に示す白抜き矢印の向きとなる。同様に、基板1の表面がAO面で終端されている場合には、この矢印の向きは反転した向きとなる。なお、基板1の表面をどちらで終端するかを造り分けることは特に困難性はない。
【0048】
このように、基板面直方向にRO−MnO
2−RO−MnO
2−…のようにRを含む原子面とMnを含む原子面を交互に積層する目的で上記のように極性表面を利用することは、マンガン酸化物薄膜に対して一般に適用しうる一つの典型的な手法である。そしてその極性表面の最も典型的なもののひとつが、上述したように、基板1として(210)面方位の基板を採用することである。その場合に、組成式RMnO
3のマンガン酸化物薄膜の結晶構造を基板1の結晶に対してコヒーレントに形成することにより、
図1(b)および(c)に示した結晶構造を形成することができる。
【0049】
本願の発明者は、対称性の低い(210)面方位の基板を基板1に採用すると、基板面に垂直な電場のみならず、別の電場が生成されるという効果も見出している。
図2は、本実施形態における追加の電場を説明する説明図であり、
図2(a)および(b)は、それぞれ、
図1(a)および(b)と同様の断面図である。
図2(b)の原子積層面において元素R、Mnのそれぞれに付した矢印は、実際の結晶格子におけるR、Mnの位置の相対的な変位の向きを示すものである。つまり、本願の発明者の検討によれば、マンガン酸化物薄膜2を基板1として対称性の低い(210)面方位の基板に形成した実際の結晶格子では、マンガン酸化物薄膜2をなすマンガン酸化物の結晶格子に、
図2(b)に示すようなR、Mnの位置の変位が生じているようである。この変位は、正に帯電しカチオンであるR、MnがO(−2価)に対し変位する相対的なものであるため分極を伴う。そしてその分極は、積層方向にやや傾いた[−120]軸方向、すなわち[−110]軸方向に誘起される。
図2(a)には、マンガン酸化物薄膜2に示す矢印として、マンガン酸化物内部に生じる上記分極によりマンガン酸化物薄膜2全体に生じる巨視的な分極の方向を示している。このように、基板1として(210)面方位基板を採用することにより、この巨視的な分極を生じさせることができる。これは例えば面内が4回対称である(100)面方位基板上の薄膜では得られない効果である。そして、本構成のマンガン酸化物薄膜では膜厚方向及び面内方向、ともに内在的な電圧(電場)が作用していることから、絶縁体−金属転移に必要とされる外場の閾値がさらに低減することが期待されるのである。なお、上記変位が生じる結果、RO原子層およびMnO
2原子層において、RやMnとOとの間にわずかに変位が生じる。このため、RO原子層およびMnO
2原子層において各カチオンのなす面と酸素のなす面とにずれも生じる。また、上記変位は電子相が金属相であるか絶縁相であるかを問わずに生じているものの、その変位に伴う分極は、金属相ではスクリーニングされるのに対し、絶縁相ではその分極の効果があらわになるという違いがある。
【0050】
[1−4 基板歪みの活用]
本実施形態においては、マンガン酸化物薄膜2が基板1から受ける歪を活用することにより、金属相に転移させやすくすることが可能である。このメカニズムには、マンガン酸化物すなわちRMnO
3の組成により表されるモット絶縁体におけるMnを囲む酸素八面体の配置が関連している。上述したように、酸素八面体は、GdFeO
3タイプの歪み構造(傾斜変位または回転の変形)を伴う。しかし、酸素八面体の変形は、基板歪に起因する伸張歪を、マンガン酸化物薄膜2のマンガン酸化物に与えることにより小さくすることが可能である。この変形を減少させるには、モット転移を起こすマンガン酸化物のバルク物質における単位胞体積の三乗根を、基板1の格子定数よりも小さくするようなマンガン酸化物と基板1とのそれぞれの具体的組成の組み合わせを選択すればよい。すると軌道整列面が(010)面となる配置、すなわち基板面に対して約45度傾斜した配置となる。
図5は本実施形態のマンガン酸化物薄膜において、鎖線で示す軌道整列面が(010)面となっている状態を示す説明図である。この配置における基板歪の作用は、Mn−O−Mnの角度がより直線(180度)に近づくような作用、つまり、キャリア(電子)のバンド幅(band width)を広げる作用となる。この違いは、基板歪みが作用する前(
図6(a))に対比させて
図6(b)に示している。その結果、そのバンド幅の広がりの分だけスイッチングに必要となる外場が低減されるのである。
【0051】
[1−5 複数種の元素Rの二つの効果]
上述したように元素Rは、3価の希土類元素であるLa、Ce、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Gd、Tb、Dyからなる群から選択される元素のうち、1種のみならず、複数種を用いることができる。例えばRとして2種の3価の希土類元素が用いられるときには、上記態様のマンガン酸化物であるRMnO
3と表現される組成物は、3価のカチオンとなりうる別々の希土類元素それぞれをR
1、R
2として、(R
1MnO
3)
X(R
2MnO
3)
1−X(ただし、0<X<1)と表現される組成物も含んでいる。この表現による組成物は、上述したように、希土類元素R
1を含むマンガン酸化物R
1MnO
3と、希土類元素R
2を含むマンガン酸化物R
2MnO
3との任意の比率X:1−Xの固溶体である。複数種の3価の希土類元素Rを採用することにより、マンガン酸化物に含まれるAサイトに配置されるカチオンのイオン半径が複数種類のものとなる。その影響は酸素八面体の回転に現われ、結果として二つの効果を導く。
【0052】
[1−5−1 イオン半径の違いによる格子定数の調整]
第1の効果はマンガン酸化物の格子定数の調整である。端的には、マンガン酸化物の格子定数を、複数種の希土類元素Rの比率によって変更しうること、ともいえる。組成式(R
1MnO
3)
X(R
2MnO
3)
1−Xのマンガン酸化物の格子定数は、平均的には、希土類元素R
1を含むマンガン酸化物R
1MnO
3と、希土類元素R
2を含むマンガン酸化物R
2MnO
3とのそれぞれの結晶格子の格子定数を、組成比X:1−Xの比率により加重平均したものとなる。この際、R
1とR
2は、La、Ce、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Gd、Tb、Dyのうちから、イオン半径が互いに異なる組合せから選択される。これにより、「1−4 基板歪みの活用」の欄にて上述した単位胞の体積の三乗根といった格子定数を、平均として調整することができる。このように複数種の元素Rのイオン半径の違いが平均としてマンガン酸化物の格子定数を決定することが可能となり、マンガン酸化物を薄膜化した場合に基板1から受ける歪みを調整することが可能となる。その結果、GdFeO
3タイプの傾斜変位または回転の変形において、酸素八面体の変形を減少させることが可能となる。つまり、Mn−O−Mnの角度に影響を及ぼす基板歪の作用を、複数種の希土類元素Rを採用することにより変更し、結果として、モット転移を生じさせるための外場閾値を低減することが可能となる。
【0053】
[1−5−2 酸素八面体の回転角に導入されるランダムネス]
第2の効果は、複数種の希土類元素Rを配置した際に、結晶格子内の位置によって、酸素八面体の回転角がばらつく現象に起因する効果である。いわば、結晶格子に意図的にばらつきを導入するために複数種の希土類元素Rを配置するのである。
図7は、マンガン酸化物薄膜2において、互いにイオン半径の異なる2種類のランタノイド元素R
1と元素R
2をランダムに配置した結晶構造における酸素八面体の歪の違いを示す概略図である。ここでは、簡単のため、カチオン位置を立方晶の配置に固定した場合を仮定し、酸素位置が変化する様子を示している。ヤーン・テラーモードの変形は、Mnを囲む酸素八面体の変形である。そのため、
図6に鎖線によって示したように、酸素が、近接しているランタノイドがR
1であるかR
2であるかの影響を受ける配置となる。その結果、キャリア(電子)がいくつもの結晶格子を通過する際に、揺らぎのあるMn−O−Mnの角度の影響を受けることとなる。その揺らぎは、モット転移を生じさせるための外場閾値を低減させることに繋がる。この揺らぎとモット転移との関係の理解を助ける二つの実験事実とそれぞれに対する理論的説明について補足する。
【0054】
[1−5−2−1 第1の実験事実]
第1の実験事実は、価数が異なるAサイトの原子がランダムに配置した通常のぺロフスカイトマンガン酸化物についてのものである。Pr
0.5Ca
0.5MnO
3の組成をもつペロフスカイトマンガン酸化物は、形式価数が+3のPrと+2のCaがランダムにAサイトを占めるマンガン酸化物である。このマンガン酸化物は、240K以下において、形式価数が3価のMnと4価のMnが、ある結晶面内で交互に並んだいわばチェッカーボード上の配列をとり、さらに電子軌道も揃った電荷軌道整列絶縁相を示す。ただし、温度を上昇させれば、常磁性絶縁相へと転移する。この物質において、形式価数が+4のMnを、形式価数3価が化学的に安定なCrにより置換すると、電荷軌道整列絶縁相が壊れやすくなり金属相が発現しやすくなるという実験事実が知られている。これが第1の実験事実である。Mn位置にランダムに置換した3価のCrは、サイトが固定した4価のMnと見なすことができる。この電荷軌道整列絶縁相を示すマンガン酸化物に関する現象は、Mn
4+のCr
3+への置換によりBサイトに導入されたランダムネスが電荷軌道整列相の長距離秩序を妨げるとともに、電荷軌道整列相内における強磁性金属相を生成し電子系の金属相への転移を容易化したため、と説明されている。
【0055】
[1−5−2−2 第2の実験事実]
第2の実験事実は、より直接的に、従来のAサイト秩序において、ランダムネスが低下した場合に見られる現象である。組成式Sm
0.5Ba
0.5MnO
3として表現されるペロフスカイトマンガン酸化物は、結晶構造に二種類のものが知られている。一つは、Aサイト秩序を有しているものであり、もう一つは、Aサイト秩序が無いものである。(100)配向している結晶系では、前者の格子構造における原子層の連なりは、BaO
2−MnO
2−SmO
2−MnO
2−BaO
2−MnO
2−…となる。これに対して後者では、(Ba、Sm)O
2−MnO
2−(Ba、Sm)O
2−…となる。なお、(Ba、Sm)O
2は、BaとSmとが、ランダムにAサイトの位置を占める原子層である。そして、Aサイト秩序を有している前者では、Aサイト秩序を有していない後者に比べて軌道秩序相が消失する温度T
OOが高くなることが知られている。これが第2の実験事実である。この実験事実は、Aサイト秩序というエントロピーを低下させる結晶構造が、直接的に、電子系の秩序を高めることを意味している。その逆に、Aサイトに導入されるランダムネスは、電子系の秩序を低下させる直接的な効果を有している、ともいえる。
【0056】
[1−5−2−3 ランダムネスの電子系への作用]
そして、上記第1および第2の実験事実と、それらをサポートする理論的説明に基づけば、上記第2の効果、すなわち、複数種の希土類元素Rを配置した際の酸素八面体の回転角に導入されるばらつき(ランダムネス)の効果を、少なくとも定性的には予測することができる。つまり、結晶格子に意図的にばらつきを導入することにより、モット転移を生じさせるための外場閾値は低減される。特に、Mn−O−Mnの角度とキャリアの伝導バンドのバンド幅との強い関係を考慮すれば、その閾値の低減の程度も十分に観測され、実用性を高める程度のものといえる。
【0057】
なお、モット転移の外場閾値を低減するという目的からは、第1の効果と第2の効果とを峻別することは必ずしも必須ではない。もし両効果を区別する実験的確認が必要であるなら、次のような実験を行えばよい。例えば同一の格子定数(平均格子定数)となるように選んだ1種の希土類元素(例えばSm)を含むマンガン酸化物と2種の希土類元素(例えば、PrとTb)を含むマンガン酸化物とを作製する。そして、モット転移の転移温度や外場閾値を比較する。この比較に際し、2種の希土類元素PrとTbの比率を調整することにより、その格子定数を1種の希土類元素Smの場合と一致させておけば、上記比較により生じた転移温度や閾値の低下は、第2の効果の寄与によるもの、と判定することが可能である。
【0058】
[1−5−3 複数の希土類元素の実現性について]
重要なことに、La、Ce、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Gd、Tb、Dyの元素群の各元素は、Ceを除き安定価数が+3であり、また、Ceについても、+3は安定な価数のひとつであり、3価カチオンとしての電子配置を取りうることには違いはない。このことは、一つには、上記元素群の範囲で希土類元素R
1、R
2を選択する限り、(R
1MnO
3)
X(R
2MnO
3)
1−Xと表現される組成のXの値には制限が少ないことを意味している。これは、マンガン酸化物の薄膜の組成についても、その薄膜を形成するためのターゲット材の組成についても成り立つ。もう一つ、マンガン酸化物の電子系の性質については、電子軌道として、例えば2価カチオンがAサイト秩序に影響した従来のような電荷や電子軌道の違いに起因する直接の効果は生じないことも意味している。これらの性質から、上述したイオン半径の違いとそれによる結晶構造に生じる歪みに原因を有するバンド幅への作用を調整する目的や、基板1との格子定数のマッチング、そしてランダムネスの導入といった結晶格子の幾何学的性質を調整すること主眼として、上記希土類元素R
1、R
2の種類や上記比率Xを決定することができる。もちろん、この事情は、希土類元素Rが2種のみの場合には限られず、La、Ce、Pr、Nd、Pm、Sm、Eu、Gd、Tb、Dyに含まれるすべての元素Rの2種以上の任意の組合せに対しても同様である。
【0059】
[1−6 外部からの検知性とデバイス機能の実現]
本実施形態において提供されるいずれかのマンガン酸化物薄膜が実際にモット転移しているかどうかは、種々の測定手段によって検出することが可能である。例えば、光学的測定によって、透過率または反射率を測定すれば、測定のためのプローブ光のエネルギーに対応する電子構造の変化として、転移の有無を測定することが可能である。その他、磁気特性、変形、電気抵抗といった任意の物理量としてモット転移の実現を検知することが可能である。そして、そのような物理量としての変化は、単にモット転移を検知できるかどうかではなく、本実施形態のマンガン酸化物薄膜をデバイスに適用する際にスイッチング機能として活用される材料特性も提供する。
【0060】
[1−7 積層化による検知性の向上(次元クロスオーバー)]
ただし、マンガン酸化物などのモット絶縁体を上記のように薄膜に形成すると、その材質特性の変化を外部から検知しにくい場合がある。この問題は必ずしも常に生じるとはいえない。もしその問題が、電気的な性質を反映する電子の伝導度に表われるドルーデ(Drude)成分、つまり直流抵抗の成分に関連して生じることがあるならば、それは系の低次元性(薄膜の場合は二次元性)に起因しキャリア(電子)が局在化するような場合であるといえる。例えば、薄膜の場合には、二次元の領域の一部において電子が局在化し伝導性を低下させることが起こりうる。この問題への対策として、本実施形態においては、次元クロスオーバー(dimension crossover)という仕掛けを利用することが好ましい。
【0061】
ここで、上記マンガン酸化物の薄膜に接して形成する薄膜、つまり、上記マンガン酸化物の薄膜に連続するように形成する強相関酸化物の薄膜について説明する。この強相関酸化物薄膜は、モット転移する上記マンガン酸化物とは別の材質であり次元クロスオーバーを利用するために追加される層である。一般に、強相関酸化物薄膜において、金属相を安定させたり、金属絶縁体転移が実現したりするためには、その薄膜はある程度より厚く形成されていることが望ましい。強相関酸化物薄膜の膜厚があまりに薄いと安定した金属相や金属絶縁体転移が実現しにくくなるためである。すなわち、強相関酸化物薄膜を、ある臨界値となる厚み(以下「臨界膜厚(critical thickness)」という)に比べてより厚く形成する場合に、強相関酸化物には金属相が実現したり金属絶縁体転移が実現したりする。その意味において、臨界膜厚とは、上記の金属相が安定に存在するため、または、金属絶縁体転移が発現するために好ましい強相関酸化物の膜厚の下限値ともいえる。この強相関酸化物薄膜と上記マンガン酸化物の薄膜とが互いに接してつまり連続して基板上に形成された酸化物積層体の構成を考えてみよう。
図3は、本実施形態における強相関酸化物薄膜を接して作製したマンガン酸化物薄膜を含む酸化物積層体の一例の構成を示す概略断面図である。
図3(a)はマンガン酸化物薄膜の基板側に強相関酸化物薄膜を形成した例であり、
図3(b)は、マンガン酸化物薄膜の表面に強相関酸化物薄膜を形成した例である。この酸化物積層体は、基板の面の上にまず強相関金属薄膜を形成しその後にマンガン酸化物の薄膜を形成しても(
図3(a))、逆に、基板の面の上に先にマンガン酸化物の薄膜を形成しその後に強相関金属薄膜を形成しても(
図3(b))、どちらの構成も採用することが可能である。さらにここでは、酸化物積層体全体の厚さt、マンガン酸化物の厚さtm、強相関酸化物薄膜の厚さt1が、強相関酸化物薄膜の金属相の臨界膜厚tcに対して、
t=tm+t1>tc、かつt1<tc
を満たすものとする。例えば、強相関酸化物薄膜の臨界膜厚tc(室温で金属相となるものとする)としては強磁性金属であるLa
0.7Sr
0.3MnO
3薄膜を用いた場合、(210)面方位基板上では、8単位胞(約4nm)となる。
【0062】
このような厚みの関係を満たすように各層が形成されていると、マンガン酸化物が絶縁体金属転移であるモット転移を外場印加により起こす際、強相関酸化物薄膜に局在していたキャリアは、それまで感じていたt1という膜厚ではなく、t=tm+t1を感じることとなる。ここで、t1はtcに満たないのに対し、tはtcを越える。すなわち、マンガン酸化物の薄膜がモット転移により絶縁体から金属に転移すると、その効果が強相関酸化物薄膜の転移にも反映されて、検知性が高まるのである。これが次元クロスオーバーの原理である。この次元クロスオーバーを利用すると、モット転移による電気抵抗変化を電流として取り出すことが容易となる。つまり、より弱い外場によるスイッチングを実現するために、マンガン酸化物薄膜の膜厚を、電流による検知可能性を確保するのに要求される下限を下回る厚みに作製したとしても、強相関酸化物薄膜の助けを借りて電流による検知が可能となるのである。もちろん、その際にはモット絶縁体のキャリアは、電流を増大させて検知性を高める作用をも有する。
【0063】
さらに好ましくは、この次元クロスオーバーを一層効果的に作用させるため、強相関酸化物薄膜を、片側ではなくマンガン酸化物薄膜の両面に酸化物積層体を接触させて形成する。
図4は、本実施形態において強相関酸化物薄膜をマンガン酸化物薄膜の両面に接触させて形成した酸化物積層体の一例の概略断面図である。すなわち、酸化物積層体全体の厚さt、マンガン酸化物薄膜の厚さtm、第1の強相関酸化物薄膜31の厚さt1、第2の強相関酸化物薄膜32の厚さt2が、強相関酸化物薄膜の金属相の臨界膜厚tcに対して、
t=tm+t1+t2>tc、かつ、max(t1、t2)<tc
の関係を満たすものとする。ただし、max()は、変数のうちの最大値を返す関数である。このようにマンガン酸化物薄膜の両面に
強相関酸化物
薄膜を接触させて形成すると、上記次元クロスオーバーの効果がより効果的に発揮される。つまりマンガン酸化物薄膜の厚みtmを、片側のみに強相関酸化物薄膜を配置する場合よりも一層薄くてもよいこととなる。こうしてより弱い外場によるスイッチングが実現される。
【0064】
[2 実施例]
次に、本実施形態をより具体的な実施例に基づいて説明する。以下の実施例に示す材料、使用量、割合、処理内容、処理手順、要素または部材の向きや具体的配置、そして測定のために採用する外場等は本発明の趣旨を逸脱しない限り適宜変更することかできる。したがって、本発明の範囲は以下の具体例に限定されるものではない。また、引き続き
図3および
図4を参照して説明する。
【0065】
[2−1 実施例1]
本実施形態の実施例1は、マンガン酸化物薄膜2の両面に、それぞれ第1および第2の強相関酸化物薄膜31、32を接触させた
図4に示す構成に作製された酸化物積層体の実施例である。マンガン酸化物薄膜2としてTbMnO
3、第1および第2の強相関酸化物薄膜31、32としてLa
0.5Sr
0.5MnO
3(以下、LSMOと表記する)、基板1として(LaAlO
3)
0.3(SrAl
0.5Ta
0.5O
3)
0.7(以下LSATと表記する)(210)面方位基板をそれぞれ採用した。このLSAT(210)基板は、表面がBサイトにより終端されるものとした。なお、マンガン酸化物薄膜2の材質であるTbMnO
3のバルク物質での単位胞体積の三乗根は0.3853nmであり、基板1のLSATの格子定数0.387nmよりも小さいことから、実施例1における軌道整列面は(010)面となり、マンガン酸化物薄膜2に対しては、基板1からの伸張歪が作用することが期待される。
また、第1および第2の強相関酸化物薄膜31、32は、LSMOと類似の組成でキュリー温度T
cが最大(370K)となる組成のLa
0.7Sr
0.3MnO
3ではなく、Srを増大させてオーバードープされた組成比のLSMOとした。これは、マンガン酸化物薄膜2が絶縁体金属転移した際に供給されるキャリア(電子)を考慮に入れ第1および第2の強相関酸化物薄膜31、32のキュリー温度T
cを高める意図によるものである。
【0066】
まず、実施例1の酸化物積層体の作製方法について説明する。マンガン酸化物薄膜2、第1および第2の強相関酸化物薄膜31、32を、いずれもレーザーアブレーション法により形成した。各薄膜のためのターゲット材には、固相反応法により作製したそれぞれの材質の多結晶材料をφ20mm×5mmの円筒形に成形したものを用いた。真空チャンバー内にLSAT(210)基板を取り付けた後、3×10
−9Torr(4×10
−7Pa)以下に真空排気した。その後、高純度の酸素ガスを1mTorr(0.133Pa)導入し、到達温度900℃になるように基板を加熱した。なお、LSAT(210)基板の表面をBサイトにより終端される表面とするために、あらかじめバッファードフッ酸により表面をエッチングする処理を行なっている。続いて波長248nmのKrFエキシマレーザを、チャンバーのレーザー光導入ポートを介してLSMOのターゲットに照射することにより、第1の強相関酸化物薄膜31としてLSMOを15原子層だけ形成した。なお、ここでの原子層は、1原子層が(210)面間隔d(210)となるものである。また、膜厚つまり原子層数の制御は、事前に検討したレーザーパルスのショット数と原子層数との間の関係に基づいて決定したものである。引き続き同一雰囲気中で、上記ポートを介してTbMnO
3のターゲットに上記レーザーを照射することにより、マンガン酸化物薄膜2であるTbMnO
3薄膜を6原子層だけ形成し、さらに再びLSMOのターゲットを用いて第2の強相関酸化物薄膜32としてLSMOを15原子層だけ形成した。各層の厚みは、第1の強相関酸化物薄膜31の厚みt1が5単位胞(約2.6nm)、マンガン酸化物薄膜2の厚みtmが2単位胞(約1.1nm)、そして第2の強相関酸化物薄膜32の厚みt2が5単位胞(約2.6nm)である。酸化物積層体全体の厚みtは6.3nmである。ここで,第1の強相関酸化物薄膜31および第2の強相関酸化物薄膜32のLSMOが室温(300K)で金属相となるための臨界膜厚tcは、8単位胞(4.1nm)である。したがって、本実施例において形成された酸化物積層体の各層の膜厚においては、t=tm+t1+t2>tc、かつmax(t1、t2)<tcの関係が満たされている。
【0067】
続いて作製したマンガン酸化物薄膜2を含む酸化物積層体に4端子電極を形成し、室温(300K)にて磁気抵抗測定を行った。外場として磁場を採用したのは測定が容易なためである。この測定における試料の抵抗値は、磁束密度4.2T以上の磁場印加により減少し始め、4.8Tの磁場下では10kΩにまで低減した。このように、巨大な負の磁気抵抗効果が得られることを確認した。そして、磁場を再び減少させると抵抗は再び10MΩ以上となり、酸化物積層体に含まれているマンガン酸化物薄膜2においてモット転移である絶縁体金属転移が室温で発現することが明らかとなった。以上説明したように、室温でスイッチングが実現可能なマンガン酸化物薄膜2が可能なことを実験的に確認した。
【0068】
[2−2 実施例2]
実施例1ではマンガン酸化物薄膜の両面に強相関酸化物薄膜を接触させた酸化物積層体の例を説明した。しかし、マンガン酸化物薄膜の一方の面側のみに強相関酸化物薄膜を接触させた酸化物積層体を採用しても次元クロスオーバーを利用することができる。この点を確認するための実施例として、
図3(a)に示したものと同様の2層構造の酸化物積層体を採用した本実施形態の実施例2を説明する。実施例2においては、基板1としてLSAT(210)基板を採用し、強相関酸化物薄膜3としてLSMOを21原子層だけ形成し、さらにその上にマンガン酸化物薄膜2としてTbMnO
3を9原子層だけ形成した。実施例2における基板1の表面を終端する原子層を決定するための事前処理方法、および、酸化物積層体つまりマンガン酸化物薄膜2および強相関酸化物薄膜3の各々の形成方法は、いずれも実施例1と同様とした。
【0069】
実施例2として作製された試料に4端子電極を形成して、面内の抵抗を無磁場下にて測定したところ、温度を低温(液体窒素温度以下)から上昇させる過程において、まず約200K付近で絶縁体金属転移が観測された。これは強相関酸化物薄膜3であるLSMOが絶縁体金属転移したことによるものである。さらに温度を上昇させ続けると、室温(300K)付近を含む電子デバイスの動作として想定される温度範囲(253〜353K)において試料全体は絶縁体となっていた。そこで、実施例1と同様に室温にて磁気抵抗を測定したところ、実施例2の試料は磁束密度5Tの磁場で1kΩ、無磁場下で100kΩとなる振る舞いを示した。つまり、実施例2の室温での磁気抵抗効果は、実施例1の試料と比較して、磁場下での抵抗は低くなる一方、磁場を無印加としてもそれほど増加せず、抵抗変化は2桁以内にとどまった。この抵抗変化は、十分に検知可能なものではあるものの、理想的にはより大きいことが望ましい。抵抗変化が小さくなる原因について、本願発明者は、厚く形成された強相関酸化物薄膜3であるLSMOによる漏れ電流のためであると推測している。
【0070】
なお、各薄膜の配置を逆にして基板の面の上に形成した
図3(b)の構成、つまり、基板1側にマンガン酸化物薄膜2であるTbMnO
3を作製しその後に強相関酸化物薄膜3であるLSMOを形成した試料においても、同様の磁気抵抗効果が測定された。
【0071】
[2−3 実施例3]
次に、実施例3として、実施例2の2層構造では大きな磁気抵抗効果が得られない原因を確認する実験を行なった。実施例3においては、実施例2の酸化物積層体全体の厚みを減らした試料を作製した。実施例3の目的の一つは、実施例2において抵抗変化が小さくなった原因が、強相関酸化物薄膜3であるLSMOが厚いことに起因して漏れ電流が大きくなっているためではないか、という推測を確認するためである。具体的には、実施例3の試料は、LSAT(210)基板である基板1上に、強相関酸化物薄膜3としてLSMOを、実施例2より減らした15原子層だけ形成した一方、マンガン酸化物薄膜2としてTbMnO
3層を厚くし12原子層だけ形成した。すると、実施例2とは異なり、実施例3の試料においては、室温では、無磁場から5Tの磁場の範囲においても全く磁気抵抗効果は見られなくなった。その原因は、マンガン酸化物薄膜であるTbMnO
3層が厚くなったためと考えられる。そこで、これまで行っていた4端子測定において、互いに間を置いて直線上に並べられる4つの電極のうち、両端の電流印加用電極対の間の距離つまり電極間隔を、実施例2の500μmから5μmとした。そして、マンガン酸化物薄膜2に印加する電流値を制御しながら、内側の電圧測定用電極対により抵抗測定を行った。すると、0.1μA印加時に100MΩであった抵抗が、40μA印加時には1kΩにまで減少し、印加電流が0.1μAと40μAの間において5桁以上の抵抗変化が生じることが確認された。また、電流と磁場を同時に作用させる測定として、6μA印加時に磁束密度5Tの磁場を印加したところ、今度は磁気抵抗効果が観測されることが判明した。このように、複数の外場の印加によっても室温で絶縁体金属転移が得られることがわかる。
【0072】
[本実施形態の変形例]
本実施形態は、実施例1〜3を含め明示したもの以外のマンガン酸化物薄膜や酸化物積層体の構成によっても実施することは可能である。例えば基板としては、LSAT(210)基板(実施例1〜3)以外にも、SrTiO
3(210)基板をはじめとして様々な立方晶ペロフスカイト基板を採用することも可能である。さらに、形成されるマンガン酸化物と基板との格子定数の関係を調整するために、マンガン酸化物のAサイトの構成元素を同じ価数(+3)の複数種の元素とする固溶体とすることも可能である。そのような例は、例えば、Pr
1-xNd
xMnO
3(0<x<1)等の組成、つまり、PrMnO
3とNdMnO
3の1−x:xの比率の固溶体である。特にPrMnO
3とNdMnO
3は任意の比率において固溶体となる全域固溶体である。このため、上述した各実施例と同様のレーザーアブレーションにおいてターゲットを所望の比率に作製しておくことにより、マンガン酸化物薄膜の組成比を調整することが可能である。さらに、上述したとおり、実施例1〜3はいずれも、モット転移を外部から検出する動作を容易にするために酸化物積層体の構成による次元クロスオーバーを活用したものである。しかし、室温においてモット転移を外場により制御するというスイッチング機能自体は、積層体としないマンガン酸化物薄膜のみにて実施された場合であっても実現されている。
【0073】
以上、本発明の実施形態を具体的に説明した。上述の各実施形態および実施例は、発明を説明するために記載されたものであり、例えば、本実施形態で例示した薄膜や基板の材料やその組成、膜厚、形成方法、外場の種類、印加方法等は、上記実施形態に限定されるものではない。むしろ、本出願の発明の範囲は、請求の範囲の記載に基づいて定められるべきものである。また、各実施形態の他の組合せを含む本発明の範囲内に存在する変形例もまた、請求の範囲に含まれるものである。