【実施例1】
【0021】
1.被験者
九州大学歯学部の学生を対象にボランティアを155名程募り、ボランティア全員に対して齲蝕の診査を行った。齲蝕の診査は、歯冠部齲蝕については社団法人日本学校歯科医会の「う歯(C)及び要観察歯(CO)の検出基準」に準じて齲歯(C)を検出し、根面齲蝕についてはWHOの基準に準じてCを検出した。その結果に基づき、齲蝕を多発する10名を被験者として選んだ。また、被験者に過去の齲蝕経験を質問し、その結果をもとに齲蝕を有さない被験者からなるグループを10名設定した。すなわち、合計20名を本実施例における被験者とした。
ここでは、齲蝕経験のある歯数が9本以上の者を齲蝕多発者とし、これまでに齲蝕が認められなかった者を齲蝕を有さない被験者とした。
【0022】
被験者の年齢、性別および齲蝕に関する健康パラメータを表1に示す。各10名ずつ、齲蝕を多発する被験者からなるグループ(被験者A〜J)ならびに齲蝕を有さない被験者からなるグループ(被験者K〜S)を選出した。なお、実験開始後、装置装着に対する違和感のため協力できない者が齲蝕を有さない被験者からなるグループに1名発生したため、最終的には齲蝕を有さない被験者からなるグループは9名となった。
被験者の年齢は21歳から28歳であり、齲蝕を多発する被験者からなるグループの平均年齢は24.1歳、齲蝕を有さない被験者からなるグループの平均年齢は23.2歳であったが、t検定により両群間に有意な差は認められなかった。
刺激唾液量については齲蝕を多発する被験者からなるグループの平均値が1.23ml/minであり、齲蝕を有さない被験者からなるグループが1.42ml/minで齲蝕を多発する被験者からなるグループが若干少ない傾向が見られたが、t検定により両群間に有意な差は認められなかった。また、唾液緩衝能は齲蝕を多発する被験者からなるグループで高いが7名、中程度が3名であったのに対し、齲蝕を有さない被験者からなるグループでは高いが7名、中程度が2名であり、Fisherの直接確率計算によって両群に緩衝能の有意な差は認められなかった。
【0023】
【表1】
【0024】
2.口腔内デンタルプラーク形成装置
in vivoでのデンタルプラークの形成のため、
図1に示す着脱可能なデンタルプラーク形成装置を作成した。
まず、被験者の下顎歯列の印象を採得し、採取した印象をもとにマウスピース様の装置を歯科用の即時重合レジンを用いて作製し、装置による咬頭干渉がないように架橋部を残して咬合面を削除した。両側の臼歯部頬側面には、スティッキーワックスによって、歯面の代替となる焼結体合成ハイドロキシアパタイトのプラーク形成プレート(直径5mm、厚さ2mmの円筒状のプレート)を6枚ずつ接着し、プラークの形成面とした。装置の装着にあたっては、被験者に試適し、歯肉や粘膜への侵襲がないことおよび発音障害などが生じないことを確認した。
装着に際しては、以下の点を被験者に確認した。
(1) 食事および歯磨き時は装置を外し、生理食塩水を満たしたケースに入れて保管すること。
(2) その際、決してハイドロキシアパタイトのプレートの面には触れないこと。
(3) 食事および歯磨き時以外は常に装置を装着しておくこと。
【0025】
3.プラークの調製ならびにサンプルからの細菌DNAの抽出
装置装着から5日目までは1日ごとに1枚ずつ、さらに7日目に1枚、装置からプラーク形成プレートを取り外し,溶菌液の入ったチューブの中に浸漬した。超音波処理でプラーク形成プレートからプラークを剥ぎ取り、遠心分離機でプラークを一旦沈殿させ、溶菌液からプラーク形成プレートを除去した。取り除いたプラーク形成プレートについては、その表面にプラークの付着が無いことを顕微鏡で確認した。
サンプル中に含まれるDNAの抽出は、非特許文献1の方法を一部改良して行った。菌を採取したチューブの中に0.3gのzirconia-silica beads (直径 0.1 mm: Biospec Products, USA) と1個のtungsten-carbide bead (直径 3 mm: Qiagen, Germany) を加えて90℃で10分間加温した後、Disruptor Genie (Scientific Industries, Inc., USA) を用いて菌体を震盪、破砕し、200μlの1% SDS溶液を加えて、70℃で10分間加温した。さらに、蛋白質成分を除去するため、フェノール (v/v)による抽出を1回、フェノール・クロロホルム・イソアミルアルコール (25:24:1、v/v) 混合溶液による抽出を1回行った後、エタノール沈殿処理を行い、生じた沈殿物を50μlのTE溶液 (1mM EDTA を含む10mMトリス塩酸緩衝液 ; pH8.0) に溶解し、DNA試料として分析時まで−30℃で凍結保存した。
【0026】
4.リアルタイムPCRによるプラーク中の全菌数の測定
プラーク中の全細菌数の測定は抽出したDNA試料についてSYBR Green PCR kit (Qiagen, Hilden, Germany ) を用いたリアルタイムPCRをStepOneTM Real-Time PCR System (Applied Biosystems, USA) によって行った。プライマーにはユニバーサルプライマー(806F: 5’-TTAGATACCCYGGTAGTCC-3’と926R: 5’-CCGTCAATTYCTTTGAGTTT-3’)を用いた。PCR反応にはBiomtra T3 thermocycler (Biomtra, Germany) を用い、条件は95℃で10分間加熱し、その後95℃ 3秒、60℃ 30秒を40回繰り返した。各サンプル中の全菌数の計算は、Streptococcus mutans Xcの一定CFUから抽出されたDNAを用いた検量線によって換算して行った。
【0027】
図2は、プラーク中の全細菌数の経日的変化を示す。リアルタイムPCRによって測定した各サンプル中の全細菌数の経日的推移を個人別に
図2の左のグラフに示した。破線の折れ線グラフは齲蝕を多発する被験者からなるグループを、実線の折れ線グラフは齲蝕を有さない被験者からなるグループの各サンプル中の全細菌数の推移を、それぞれ示している。
図2の右のグラフはそれぞれの群のプラーク形成後各日数毎(6日後のみを除く)の平均値を示したものである。プラーク形成3日目までは齲蝕を多発する被験者からなるグループの細菌数は齲蝕を有さない被験者からなるグループに比較して有意に多かったが、4日目からは両群間にはt検定によって有意な差は認められなかった。
【0028】
5.Terminal restriction fragment length polymorphism (T-RFLP) 法を用いたプラーク中の菌叢パターンの経日的変化の分析
抽出DNA試料からの16S rRNA遺伝子の増幅は、非特許文献2の方法に準じてPCR法により行った。ほとんどの細菌に共通な塩基配列部位をプライマーとして用いるため、5’末端を蛍光色素 6-carboxyfluorescein (6-FAM) によって標識した8F (5'- AGAGTT TGATYM TGGCTC AG- 3') をフォワードプライマーとして、また、5’末端を蛍光色素 hexachlorofluorescein (HEX) によって標識した806R (5'- GGA CTA CCR GGG TAT CTA A- 3') をリバースプライマーとして使用した。PCR反応にはKOD DNA ポリメラーゼ(東洋紡績株式会社) を用いた。1μlの鋳型 DNA (100-500 ng/μlになるよう希釈したもの) に5μlのKOD DNA ポリメラーゼ10×PCR buffer(60mM硫酸アンモニウム、100mM塩化カルシウム、1%Triton X-100、100μgウシ血清アルブミンを含む1.2 Mトリス塩酸緩衝液; pH8.0)、5μlの2mM dNTPs、2μlの25mM塩化マグネシウム、各0.5μlの1μM両プライマー、1μlのKOD DNAポリメラーゼ(2.5 U/μl)を加えた後、滅菌蒸留水を加えて総量を50μlとしてPCR反応を行った。PCR反応にはBiometra T3 thermocycler (Biometra, Germany) を用いた。反応条件は98℃ 15秒、60℃ 2秒、72℃ 30秒で30サイクルの反応を行った。PCR反応終了後に、泳動用ゲル2% (wt/vol)のアガロースを含む1×TAEを用いて、アガロース電気泳動を行い、バンド出現部位を切り出した後、Wizard SV Gel and PCR Clean-Up System (Promega, USA) を用いて未反応プライマー、プライマーダイマー、その他非特異的増幅断片の除去を行った。
精製した16S rRNA遺伝子増幅断片を含む溶液3μlを制限酵素HaeIII 5 Uを用いて総量を10μlとし、37℃で3時間消化した後、非特許文献2の方法に準じてキャピラリー電気泳動を行った。切断したDNA溶液2μlに対して、9μlの脱イオン化ホルムアミド、1μlのサイズスタンダードを混合し、95℃で5分間加熱し熱変性させた後、急冷して電気泳動に用いた。電気泳動はABI3130 Genetic analyzer (Applied Biosystems, USA) を用い、60℃、15kVの条件で30分泳動した。データの取り込みおよび解析は GeneMapper version 4.0 (Applied Biosystems, USA) を用いて行った。
【0029】
得られたピークパターンについて、主成分分析を用いて第一、第二主成分をx、y軸とした平面上にプロットし、経日的変化や齲蝕経験との関連性の検討を行った。また、齲蝕を多発する被験者からなるグループと齲蝕を有さない被験者からなるグループの間で特徴的な差を示したピークについては両群間で各ピーク面積の平均値の差をt検定により統計学に比較した。さらに、これらのピークに対応する菌種の特定は九州大学大学院歯学研究院口腔保健推進学講座口腔予防科学分野が構築する655種の口腔細菌種を登録したTRFMAWのsmallデータベースを用いて行った。
【0030】
6.T−RFLP法を用いたデンタルプラークの菌叢パターンと齲蝕リスクとの関連性の分析
19人×6日=114サンプルから得られたT−RFLPパターンを主成分分析した結果をプロットした結果を
図3に示す。○で示した齲蝕を多発する被験者からなるグループは□で示した齲蝕を有さない被験者からなるグループに比較して、第1主成分(PC1)の左側かつ第2主成分(PC2)の下側に位置する傾向があり、プラーク形成日数が短いサンプルでは若干の重なりがあるものの、細菌叢を反映するピークパターンの違いによって、齲蝕を多発する被験者からなるグループと齲蝕を有さない被験者からなるグループを区分できる可能性が示唆された。
そこで、
図2の結果からプラークの形成が安定すると判断された4日目のプラークのみのサンプルで同様に主成分分析した結果をプロットしたところ、
図4に示すように
図3のプロットにおいて齲蝕を多発する被験者からなるグループと齲蝕を有さない被験者からなるグループが区分された結果がより明瞭となった。
【0031】
齲蝕を多発する被験者からなるグループと齲蝕を有さない被験者からなるグループ間とので、プラーク形成後4日目の各T−RFLPパターンの各ピークの面積が細菌叢全体の中で占める平均ピーク面積率を比較した結果を表2に示す。比較した91ピークの中で両群のピーク面積比の平均値の差の間で有意な差が認められたのは、ピーク29(分子量:64946)、ピーク30(分子量:66713)、ピーク43(分子量:77670)、ピーク49(分子量:84210)、ピーク51(分子量:85834)、ピーク52(分子量:87160)、ピーク55(分子量:93152)、ピーク68(分子量:103349)の8ピークであった。
これらの中、齲蝕を多発する被験者からなるグループで有意にピーク面積が広いピークはピーク30、ピーク43、ピーク51、ピーク52、ピーク55、ピーク68の6ピークであり、ピーク29、ピーク49の2ピークについては齲蝕のない被験者からなるグループの方がピーク面積が有意に広かった
【表2】
【0032】
次に、有意差が見られた各ピークの分布を比較した結果を箱ひげ図として
図5−1(a)〜(d)および
図5−2(e)〜(h)に示した。これらのピークに対応する菌種の特定をその断片サイズからTRFMAWのsmallデータベースを用いて行った結果、ピーク49については
図6に示すようにほぼGemella属の細菌種のみに限定された。一方、その他のピークについては複数の属の細菌が割り付けられたことから、特定の細菌種に絞り込むことは難しかった。
【0033】
7.ピーク49に対応するGemella属の菌種が齲蝕なし群と齲蝕多発群で異なるか否かを調べるため、Reverseプライマーとして上記806Rの代わりにGemella属に特異的な塩基配列(Gem734R: 5’-CAG GCC AAA AAG CCG C-3’)を用いてプライマーとして、それぞれのサンプルからの抽出DNAについてGemella属の16S rRNA遺伝子を特異的に増幅した。増幅した遺伝子断片をベクタープラスミド(pBluescript SK, Stratagene)に組み込み、大腸菌(DH5αα株)を形質転換して、クローンライブラリーを作成した。各サンプルのクローンライブラリーから任意に10クローンずつを選別し、これらのクローンのベクター挿入断片の遺伝子配列を決定し、結果を16S rRNA遺伝子データベースと比較することで各挿入断片の由来となる細菌種を検索した。その結果を
図7に示す。クローンは全て G. haemolysans, G. sanguinis, G. morbillorum の3菌種のいずれかに相当し、G. haemolysans と G. morbillorum はどちらの群からも検出されたが、G. sanguinis は齲蝕なし群からは検出されなかった。また、齲蝕多発群では10名中7名において複数種が同定されたのに対し、齲蝕無し群9名中8名では G. haemolysans 以外は検出されなかった。