(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5903085
(24)【登録日】2016年3月18日
(45)【発行日】2016年4月13日
(54)【発明の名称】シリンダボアとピストンリングの組合せ
(51)【国際特許分類】
F02F 1/00 20060101AFI20160331BHJP
F02F 5/00 20060101ALI20160331BHJP
F16J 9/26 20060101ALI20160331BHJP
F16J 10/00 20060101ALI20160331BHJP
C23C 28/00 20060101ALI20160331BHJP
C23C 28/04 20060101ALI20160331BHJP
C23C 4/06 20160101ALI20160331BHJP
【FI】
F02F1/00 R
F02F5/00 F
F16J9/26 D
F16J10/00 A
C23C28/00 B
C23C28/04
C23C4/06
【請求項の数】8
【全頁数】10
(21)【出願番号】特願2013-195033(P2013-195033)
(22)【出願日】2013年9月20日
(65)【公開番号】特開2015-59544(P2015-59544A)
(43)【公開日】2015年3月30日
【審査請求日】2015年11月18日
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000139023
【氏名又は名称】株式会社リケン
(74)【代理人】
【識別番号】100080012
【弁理士】
【氏名又は名称】高石 橘馬
(72)【発明者】
【氏名】篠原 章郎
(72)【発明者】
【氏名】諸貫 正樹
【審査官】
永田 和彦
(56)【参考文献】
【文献】
特開2006−144100(JP,A)
【文献】
特開2004−100645(JP,A)
【文献】
特開2006−57674(JP,A)
【文献】
特開平7−243528(JP,A)
【文献】
特開2006−275269(JP,A)
【文献】
特開2003−286895(JP,A)
【文献】
特開2004−244709(JP,A)
【文献】
特開2005−273654(JP,A)
【文献】
特開2001−280497(JP,A)
【文献】
特開2002−235852(JP,A)
【文献】
特開2010−275581(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
F02F 1/00−1/42,5/00,
F16J 9/00−10/04,
C23C 4/06−4/08,28/00−28/04
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
内燃機関のシリンダボアとピストンリングの組合せであって、前記シリンダボアはピストンリングとの摺動面に鉄系溶射皮膜を形成し、前記ピストンリングは外周摺動面に硬質炭素皮膜を形成し、前記鉄系溶射皮膜の表面の粗さ曲線におけるRpk値(JIS B 0671-2:2002)が0.20μm未満、前記硬質炭素皮膜のRpk値が0.09〜0.14μmであり、前記鉄系溶射皮膜の前記摺動面が微小ピットを有し、前記微小ピットの面積率が1%以上5%未満であることを特徴とするシリンダボアとピストンリングの組合せ。
【請求項2】
請求項1に記載のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいて、前記鉄系溶射皮膜の表面の粗さ曲線における前記Rpk値が0.15μm未満であることを特徴とするシリンダボアとピストンリングの組合せ。
【請求項3】
請求項1又は2に記載のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいて、前記鉄系溶射皮膜の膜厚が100〜500μmであることを特徴とするシリンダボアとピストンリングの組合せ。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいて、前記硬質炭素皮膜の水素含有量が2原子%未満であることを特徴とするシリンダボアとピストンリングの組合せ。
【請求項5】
請求項4に記載のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいて、前記硬質炭素皮膜のマルテンス硬さが17〜25 GPaであることを特徴とするシリンダボアとピストンリングの組合せ。
【請求項6】
請求項1〜5のいずれかに記載のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいて、前記硬質炭素皮膜の膜厚が0.5〜10μmであることを特徴とするシリンダボアとピストンリングの組合せ。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれかに記載のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいて、前記ピストンリングが母材上に窒化クロム層、窒化層及びクロムめっき層の少なくとも1種からなる下地層を有することを特徴とするシリンダボアとピストンリングの組合せ。
【請求項8】
請求項1〜7のいずれかに記載のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいて、前記硬質炭素皮膜がCr、Ti、W及びCoからなる群から選択された少なくとも1種からなる金属及び/又は金属炭化物の中間層を有することを特徴とするシリンダボアとピストンリングの組合せ。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、内燃機関のシリンダボアと、ボア内周面と摺動するピストンリングとの組合せに関し、特に、内周摺動面に鉄系溶射皮膜を形成したシリンダボアと外周摺動面に硬質炭素皮膜を形成したピストンリングの組合せに関する。
【背景技術】
【0002】
近年、自動車エンジンを中心とする内燃機関は、燃費の向上が強く求められている。そのため、小型化、軽量化、摩擦損失の低減等を目指した研究開発が幅広く行われている。例えば、シリンダには比重の小さいアルミニウム合金(以下「アルミ合金」という。)を採用し、ピストンリングには低摩擦係数の硬質炭素被膜(「ダイヤモンドライクカーボン(Diamond Like Carbon:DLC)」とも呼ばれている。)を被覆することが試みられている。
【0003】
JIS ADC12等のアルミ合金は、一般に軽量で熱伝導率が良いのが特徴であるが、アルミ合金自体はピストンリングとの摺動において凝着やスカッフを起こしやすい。この改善策として、特許文献1では、シリコン(Si)を18〜22重量%と多く含有する鋳造性の悪いアルミ合金を高圧ダイカスト法によって量産を可能とし、また摺動面近傍の冷却速度を制御することによって平均結晶粒径が12〜50μmの初晶シリコン粒子を摺動面に晶出させたシリンダブロックを含むエンジン用部品を開示している。比較的硬い初晶シリコン粒子の存在が、耐スカッフ性の向上やシリンダ摩耗の抑制に貢献してきた。しかし、このようなアルミ合金でも、近年のエンジンの高出力化に伴う筒内圧の上昇によってますます過酷になった摺動条件に対しては、耐スカッフ性や耐摩耗性に対する要求を十分に満足するものではなくなってきた。
【0004】
また、ピストンリングは、アルミ合金に対する化学的安定性と低摩擦係数から硬質炭素皮膜の適用が試みられている。特許文献2は、シリコン(Si)含有量が7〜20重量%のアルミ合金シリンダと、外周面にダイヤモンドライクカーボンからなる硬質皮膜が形成されたピストンリングとの組合せを開示し、特に、DLC硬質皮膜はSi、Ti、W、Cr、Mo、Nb、及びVの群から選ばれた1又は2以上の元素の炭化物を分散させて、初期なじみ性、耐スカッフ性及び耐摩耗性に優れたピストンリングを開示している。しかし、この初期なじみ性の良いDLC硬質皮膜は、前述した過酷な摺動条件では、短時間で摩耗してしまうのが実情であった。
【0005】
一方、アルミ合金シリンダには、ピストンリングと直接摺動する部分について鋳鉄製ライナを鋳包んだものや鉄系皮膜を溶射したものがあるが、なかでも軽量化と熱伝達性能の向上によるボア温度全体の低減と均一性の改善が期待されるシリンダボア溶射技術が注目を浴びている。特許文献3は、ボア内面に積層形成された溶射層の表面をホーニング加工により仕上げ、摺動面のピット面積率が5〜14%で、かつ有効負荷粗さRkと初期摩耗高さRpkとの和で表される表面粗さ[Rk+Rpk]を0.9μm以下とした、摩擦係数及び耐スカッフ性の面で十分に満足する摺動面を備え、燃費向上と耐久性の向上とに寄与するシリンダブロックを開示している。摺動面に存在するピットは、油溜(オイルポケット)としての機能を有し、摺動時の潤滑油切れを防ぎ、耐スカッフ性を向上させるが、例えば、エンジンに高負荷がかかり,摺動条件が過酷になった場合には、このピットによる油溜だけでは油膜の形成が不十分となり、耐スカッフ性も十分でないことも分かってきた。摺動面のピットの大きさや数を増加させることは可能であるが、潤滑油の燃焼によるオイル消費量の増加や摩擦係数の増大が生じることも明らかになってきている。
【0006】
特許文献4は、油溜に注目して、摺動表面に形成された平滑面に深さが規則的に変化する微細な凹部を備え、凹部間にプラトー状の凸部が形成されている低摩擦摺動部材を開示している。特許文献4では、すべり速度の大きいストローク工程の中央部では油溜の深さを浅くして油膜剪断ロスによる摩擦損失の増大を低減し、一方、ストローク端(ピストンで言えば、上死点及び下死点)では油溜の深さを深くして潤滑油切れの生じることを回避して、摩擦損失を低減している。しかし、上記のような構造の摺動面を、凹部の深さ等を精密に制御して形成するのは、実質的に多くの精密な工程を要して実用的でない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特開2005−273654号公報
【特許文献2】特開2001−280497号公報
【特許文献3】特開2004−100645号公報
【特許文献4】特開2002−235852号公報
【特許文献5】特開2010−275581号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明は、通常のダイカストによるアルミ合金鋳物が利用できるシリンダボア溶射技術を用い、エンジンに高負荷がかかって過酷な摺動条件になっても、耐スカッフ性、耐摩耗性に優れ、低摩擦損失のシリンダボアとピストンリングの組合せを提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明者らは、鉄系溶射皮膜を形成したシリンダボアと硬質炭素皮膜を形成したピストンリングを組合せた場合の耐スカッフ性について検討し、鋭意研究の結果、鉄系溶射皮膜と硬質炭素皮膜の表面の粗さ曲線における突出山部の高さRpkを所定の値に制御することにより、耐スカッフ性、耐摩耗性に優れ、かつ低摩擦損失のシリンダボアとピストンリングの組合せとすることができることに想到した。
【0010】
すなわち、本発明のシリンダボアとピストンリングの組合せは、前記シリンダボアはピストンリングとの摺動面に鉄系溶射皮膜を形成し、前記ピストンリングは外周摺動面に硬質炭素皮膜を形成し、前記鉄系溶射皮膜の表面の粗さ曲線におけるRpk(JIS B 0671-2:2002)が0.20μm未満、前記硬質炭素皮膜のRpkが
0.09〜0.14μmであ
り、前記鉄系溶射皮膜の前記摺動面が微小ピットを有し、前記微小ピットの面積率が1%以上5%未満であることを特徴とする。前記鉄系溶射皮膜の表面の粗さ曲線における前記Rpk値は0.15μm未満であることが好ましい。
【0011】
前記鉄系溶射皮膜の膜厚は100〜500μmであることが好ましい。
【0012】
さらに、前記硬質炭素皮膜は、水素含有量が2原子%未満であることが好ましく、マルテンス硬さが17〜25 GPaであることが好ましい。前記硬質炭素皮膜の膜厚は0.5〜10μmであることが好ましい。
【0013】
さらに、前記ピストンリングは、母材上に窒化クロム層、窒化層及びクロムめっき層の少なくとも1種からなる下地層を有することが好ましく、前記硬質炭素皮膜は、Cr、Ti、W及びCoからなる群から選択された少なくとも1種からなる金属及び/又は金属炭化物の中間層を有することが好ましい。
【発明の効果】
【0014】
本発明のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいては、基本的にアルミ合金製のシリンダブロックを利用するため軽量化に貢献する。また、シリンダボア溶射技術を利用して鉄系溶射皮膜を摺動面に形成するため、高シリコン含有量のアルミ合金でなく通常のダイカストによるJIS ADC12等のアルミ合金鋳物が利用できる。もちろん、高圧ダイカスト製造技術のような高価な設備を必要としない。その点では、鋳鉄ライナの鋳包みも通常のアルミ合金鋳物が利用できるが、鋳鉄ライナの鋳包みと比較すれば、シリンダボア溶射技術は鋳包み品とボア間部に冷却通路を設けて独立ボア化することも可能となり、ボア温度全体の低減や均一性を大幅に改善することが可能となる。また、シリンダボアの鉄系溶射皮膜とピストンリングの硬質炭素皮膜の両方の表面の粗さ曲線において、本発明の特徴とするRpk値を所定の
値に制御することによって摺動時の摩擦係数を引き下げ、摩擦損失の低減に貢献することができる。特に、ピストンリングに水素含有量2%未満の硬質炭素皮膜を被覆することによって、鉄系溶射皮膜の微小ピットの面積率が小さくても、優れた耐スカッフ性を示すことが可能となり、エンジンに高負荷がかかって過酷な摺動条件になっても、耐スカッフ性、耐摩耗性に優れ、低摩擦損失のシリンダボアとピストンリングの組合せを提供することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0015】
【
図1】実施例1の溶射皮膜表面の走査電子顕微鏡写真である。
【
図2】本発明のスカッフ試験の方法を示す概要図である。
【発明を実施するための形態】
【0016】
本発明のシリンダボアとピストンリングの組合せは、シリンダボア内周面に鉄系溶射皮膜を形成し、ピストンリング外周摺動面に硬質炭素皮膜を形成し、かつ鉄系溶射皮膜の表面の粗さ曲線におけるRpk(JIS B 0671-2:2002)が0.20μm未満、硬質炭素皮膜のRpkが
0.09〜0.14μmであ
り、前記鉄系溶射皮膜の前記摺動面が微小ピットを有し、前記微小ピットの面積率が1%以上5%未満であることを特徴とする。シリンダボアとピストンリングの摺動では、一般に、摺動面が平滑であるほど摩擦係数は低くなると言われているが、耐スカッフ性は、表面粗さの代表的な指標である平均算術粗さRaや十点平均粗さRzjisではなく、特にJIS B 0671-2:2002に規定される突出山部高さRpkに強い相関を示し、鉄系溶射皮膜のRpk値を0.20μm未満、硬質炭素皮膜のRpk値を
0.09〜0.14μmとすることによって、低摩擦係数で且つ優れた耐スカッフ性を示すことを見いだした。鉄系溶射皮膜と硬質炭素皮膜のRpk値がそれぞれ0.20μm、0.15μm以上では、耐スカッフ性が低下し、また摩耗を増大させて好ましくない。鉄系溶射皮膜のRpk値は0.15μm未満が好ましく、硬質炭素皮膜のRpk値は0.13μm未満が好ましい。
【0017】
本発明のシリンダボアとピストンリングの組合せにおいて、シリンダブロックはJIS ADC12のようなアルミ合金鋳物製で、そのボア内周面に鉄系皮膜が直接溶射されるライナレスのシリンダブロックである。シリコン(Si)含有量を特別多くする必要もなく、所定の耐熱性、強度、伸び等を有する鋳造性の良いアルミ合金が使用できる。一方、ピストンリングは、コンプレッションリング用のシリコンクロム鋼(JIS SWOSC-V)やマルテンサイト系ステンレス鋼(JIS SUS440B)が好ましく用いられる。
【0018】
シリンダボア内周面に形成される鉄系溶射皮膜は、特に限定しないが、耐スカッフ性、耐摩耗性、低摩擦係数という観点では、炭素鋼にクロム、モリブデン、タングステン等を僅かでも含むことが好ましい。例えば、特許文献5には、質量比で0.3〜0.4%のCと、0.2〜0.5%のSiと、0.3〜1.5%のMnと、Cr及び/又はMoを合計で0.5%以下含有し、残部Fe及び不可避的不純物とする鉄系溶射皮膜が開示されている。溶射は、プラズマ溶射、アーク溶射、高速フレーム溶射等、特に限定しないが、鉄系合金のワイヤを使用するワイヤアーク溶射が経済的に優れており好ましい。アーク溶射では、電流、アトマイジングガス圧、ノズル形状等の操作条件が、溶射皮膜の特性に大きく影響する。鉄系溶射皮膜は、一般に気孔や酸化物を含むが、例えば、アトマイジングガスの流量を増加すると気孔率は減少し、酸化物の割合は多くなる。
【0019】
シリンダボア内周面は、最終的にホーニング加工により仕上げられるが、その際、充填性の低い鉄合金粒子や酸化物粒子の脱落が生じ、あるいは内在する気孔が出現して、表面に微小ピットが形成される。溶射粒子の脱落はホーニング加工の程度(例えば、切り込み深さ)にも影響されるが、気孔率や酸化物の割合は、上述したように、溶射条件によって決定されるため、基本的には溶射皮膜の組織によって決定される。微小ピットは油溜(オイルポケット)として機能し、特に、シリンダボアとピストンリングの組合せにおいては、ピストンの上死点及び下死点の近傍で境界潤滑となる傾向にあるため、その近傍における微小ピットの存在が重要となる。溶射皮膜摺動面における微小ピットの面積率は
、面積率が大きくなると鉄系溶射皮膜の強度や硬度は低下する傾向にあるため、1%以上5%未満
とする。より好ましくは2%以上5%未満
とする。
【0020】
鉄系溶射皮膜の膜厚は、特に限定しないが、ホーニング加工後の最終的な膜厚として100〜500μmであることが好ましい。
【0021】
ピストンリングの外周摺動面に形成される硬質炭素皮膜は、製法上、水素を含有するものが多いが、本発明においては、水素含有量は2原子%未満が好ましい。硬質炭素皮膜に水素が取り込まれると、炭素の結合手の切断を引き起こし、結合を水素で終端させてしまうが、水素量が少ない硬質炭素皮膜では潤滑油中の油性剤が皮膜表面に吸着しやすくなり、炭素原子の末端にOH基が配位して真実接触を押さえ、低摩擦化するからである。より好ましくは、水素含有量は1原子%未満である。水素含有量を少なくするという点では、蒸発源に炭素を用いた真空アークイオンプレーティング(Vacuum Arc Ion Plating:VAIP)法が好ましく使用される。鉄系溶射皮膜の微小ピットの面積率1%以上5%未満
とするのは、硬質炭素皮膜表面への油性剤の吸着による低摩擦化によるところが大きい
ことによる。また、硬質炭素皮膜の硬さは、水素含有量に強く影響され、低水素含有量を考慮すると、マルテンス硬さHMsで17〜25 GPaであることが好ましく、20〜25 GPaであることがより好ましい。硬質炭素皮膜は、前記硬さとなる範囲であれば、金属元素やその炭化物、炭窒化物などを含有させることもできる。さらに、水素含有量や金属含有量の異なる硬質炭素皮膜を積層させた積層構造の硬質炭素皮膜としてもよい。
【0022】
硬質炭素皮膜の膜厚は、特に限定しないが、0.5〜10μmであることが好ましい。
【0023】
本発明においては、硬質炭素皮膜表面のRpk値は
0.09〜0.14μmとするものであるが、真空アークイオンプレーティング法により成膜した硬質炭素皮膜は、粗大なパーティクルを含む場合が
多い。そのような場合には、成膜後に硬質炭素皮膜表面をブラシラップや研磨により
調整するものとする。
【0024】
硬質炭素皮膜は、シリコンクロム鋼やマルテンサイト系ステンレス鋼からなるピストンリング母材上に直接被覆することもできるが、極めて硬い炭素皮膜の基材としては、できるだけ硬く、剛性の高いことが好ましい。その意味で、母材上にCrN層等のイオンプレーティング層、窒化層、クロムめっき層、等の緻密な硬質の下地層を有することが好ましい。また、硬質炭素皮膜の基材への良好な密着性を確保するためには、硬質炭素皮膜と母材又は下地層との間にCr、Ti、W及びCoからなる群から選択された少なくとも1種からなる金属及び/又は金属炭化物の中間層を有することが好ましい。
【実施例】
【0025】
実施例1〜4及び比較例1〜2
シリンダボアに相当するJIS ADC12 アルミ合金プレート(70 mm×100 mm×10 mm)の片面をブラスト処理し、その上に、質量%でC:0.3%、Si:0.2%、Mn:0.3%、Cr:0.5%、Mo:0.2%、残部Fe及び不可避的不純物からなるワイヤを溶射材として、アーク溶射法により鉄系溶射皮膜を約500μm形成した。実施例1〜4及び比較例1〜2の鉄系溶射皮膜は基本的に同じ溶射条件で形成されているが、表面性状(Rpk値)が異なるように70 mm幅方向に研磨加工を施した。次に、矩形断面で外周面をバレルフェイス形状としたピストンリング(窒化処理したSUS420J2相当、呼称径(d)90 mm、厚さ(h1)1.2 mm、幅(a1)3.2 mm)に炭素をターゲットとした真空アークイオンプレーティングにより硬質炭素皮膜を約1μm形成した。実施例1〜4及び比較例1〜2の硬質炭素皮膜は、as-coatedの状態でRpkが0.2〜0.3μmであったので、表面性状(Rpk値)が異なるように周方向にラップ処理を施した。なお、硬質炭素皮膜の膜厚はラップ処理を施しても殆ど変化がなかった、
【0026】
[1] 表面性状(Rpk値)の測定
実施例1〜4及び比較例1〜2の鉄系溶射皮膜表面及び硬質炭素皮膜表面について、触針式表面粗さ試験機を用いてRpk値を測定した。ここで、鉄系溶射皮膜は100 mmの長さ方向に、硬質炭素皮膜は厚さ方向に測定した。
【0027】
[2] 鉄系溶射皮膜の微小ピット面積率及び膜厚の測定
実施例1〜4及び比較例1〜2の鉄系溶射皮膜を形成した各アルミ合金プレート(70 mm×100 mm×10 mm)をA試料(50 mm×100 mm×10 mm)とB試料(20 mm×100 mm×10 mm)に切断し、さらにB試料のA試料側断面を含む長さ方向中央部からC試料(10 mm×10 mm×10 mm)を切り出した。C試料の溶射皮膜表面を走査電子顕微鏡で観察し、ピット状に見える微小ピットとそれ以外のマトリックスを2値化処理し、画像解析により微小ピットの面積率を求めた。
図1は、実施例1の溶射皮膜表面の走査電子顕微鏡写真である。数10〜100μm程度の大きさの微小ピット1が観察され、微小ピットの面積率は3.1%であった。また、C試料のA試料側断面を鏡面研磨し、走査電子顕微鏡で皮膜の膜厚を求めたが、実施例1〜4及び比較例1〜2において、約430〜約450μmの範囲に入っていた。
【0028】
[3] 硬質炭素皮膜の水素含有量の測定
硬質炭素皮膜の水素含有量の測定は、ラザフォード後方散乱分光法(RBS)/水素前方散乱分光法(HFS)により求めた。実施例1の水素含有量は1.8原子%であった。実施例2〜4及び比較例1〜2の硬質炭素皮膜も、実施例1と同一の真空アークイオンプレーティングにより製造されているので、水素含有量も実質的に同一であるとみなすことができる。
【0029】
[4] 硬質炭素皮膜のマルテンス硬さの測定
硬質炭素皮膜のマルテンス硬さHMsは、ISO 14577-1(計装化押込み硬さ試験)に準拠し、超微小硬度計を用いて、Berkovich圧子、試験力:9.8 mNの条件で行った。測定個所は、皮膜表面近傍を平均粒径0.25μmのダイヤモンドペーストを塗布した直径30 mmの鋼球を用いて球面研磨し、研磨部分について行った。マルテンス硬さHMsは荷重-押込み深さ曲線から計算される。実施例1の硬質炭素皮膜のマルテンス硬さHMsは22.6 GPaであった。マルテンス硬さも、水素含有量と同様、実施例2〜4及び比較例1〜2の硬質炭素皮膜についても、実施例1と実質的に同様の硬さであるとみなすことができる。
【0030】
[5] スカッフ試験
スカッフ試験は、
図2(a)に示すような、シリンダボアに相当する鉄系溶射皮膜3を被覆したA試料のアルミ合金プレート2上に(図示しない固定治具に取り付けた)硬質炭素皮膜を被覆したピストンリングの切断片4(長さ約30 mm)が相対的に厚さ方向に往復摺動する試験により行った。試験は、アルミ合金プレート2を振幅3 mm、50 Hzの条件で往復動させ、垂直荷重を100 N/分の速度で上昇させ、同時にその時の摩擦力を計測して摩擦力が急激に上昇した時の荷重をスカッフ荷重とした。なお、潤滑油5はPAO(Poly Alpha Olefin)の基油に1質量%のGMO(Glycerol Mono Oleate)を含有した潤滑油を用いた。
【0031】
[6] 摩耗試験
摩耗試験は、スカッフ試験を行った同じ試験機で、垂直荷重100 N(一定)、時間60分とした以外は、スカッフ試験と同じ条件で往復摺動する試験により行った。硬質炭素皮膜3の摩耗量は、
図2(b)に示す試験後のピストンリング片4に生じた楕円形状の摺動部6の長軸長さLで評価した。
【0032】
実施例1〜4及び比較例1〜2の、各皮膜の膜厚、及び硬質炭素皮膜の水素含有量とマルテンス硬さを除く各種測定結果を、次の表1に示す。ここで、スカッフ試験におけるスカッフ荷重と摩耗試験による摩耗量は、比較例1のデータを1とした相対値で示している。
【0033】
【表1】
【0034】
鉄系溶射皮膜の表面のRpk値が0.20μm以上、又は硬質炭素皮膜の表面のRpk値が0.15μm以上であると、スカッフ荷重も低く、硬質炭素皮膜の摩耗量も比較的大きいが、鉄系溶射皮膜の表面のRpk値を0.20μm未満、硬質炭素皮膜の表面のRpk値を0.15μm未満とすることによりスカッフ荷重が著しく向上し、それに伴い摩耗量も低減していることが分かる。
【0035】
参考例1〜3
微小ピットの面積率が異なるように、鉄系溶射皮膜の溶射条件を変更した以外は、実施例1と同様にして、
参考例1〜3のシリンダボアに相当するアルミ合金プレートを製作した。また、これらのアルミ合金プレートと組合せるピストンリングは、実施例1と同じ性状の硬質炭素皮膜を使用した。
参考例1〜3の鉄系溶射皮膜のRpk値と微小ピット面積率を実施例1と同様に測定し、またスカッフ試験および摩耗試験も実施例1と同様に行った。
【0036】
実施例
5
ピストンリングの材質をSUS440B相当材とし、その上に膜厚約30μmのCrN皮膜下地層を形成し、真空アークイオンプレーティングにより金属Cr中間層を約0.5μmと硬質炭素皮膜を約1.5μm形成した以外は、実施例1と同様にして、実施例
5のピストンリングを製作した。硬質炭素皮膜のRpk値、水素含有量、及びマルテンス硬さを測定した結果、Rpk値が0.14μm、水素含有量が0.7原子%、マルテンス硬さは24.1 GPaであった。また、実施例
5のピストンリングと組合せるアルミ合金プレートとして、実施例1と同じ性状の鉄系溶射皮膜を使用しスカッフ試験および摩耗試験を行った。
【0037】
参考例4
微小ピットの面積率が出来る限り小さくなるように、鉄系溶射皮膜の溶射条件を変更した以外は、実施例1と同様にして、
参考例4のシリンダボアに相当するアルミ合金プレートを製作した。
参考例4の鉄系溶射皮膜のRpk値及び微小ピットの面積率を測定した結果、Rpk値が0.05、微小ピットの面積率は0.9%であった。また、組合せるピストンリングとして、実施例1と同じ性状の硬質炭素皮膜を使用しスカッフ試験および摩耗試験を行った。結果を
参考例1〜3、及び実施例
5の結果とともに表2に示す。
【0038】
【表2】
【符号の説明】
【0039】
1 微小ピット
2 アルミ合金プレート
3 鉄系溶射皮膜
4 ピストンリング切断片
5 潤滑油
6 摺動部