特許第5965378号(P5965378)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5965378
(24)【登録日】2016年7月8日
(45)【発行日】2016年8月3日
(54)【発明の名称】ピストンリング及びその製造方法
(51)【国際特許分類】
   F16J 9/26 20060101AFI20160721BHJP
   F02F 5/00 20060101ALI20160721BHJP
   C23C 14/06 20060101ALI20160721BHJP
   C23C 14/14 20060101ALI20160721BHJP
【FI】
   F16J9/26 C
   F02F5/00 F
   C23C14/06 F
   C23C14/06 A
   C23C14/14 D
   C23C14/06 Q
【請求項の数】8
【全頁数】21
(21)【出願番号】特願2013-226903(P2013-226903)
(22)【出願日】2013年10月31日
(65)【公開番号】特開2015-86967(P2015-86967A)
(43)【公開日】2015年5月7日
【審査請求日】2016年6月3日
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000139023
【氏名又は名称】株式会社リケン
(74)【代理人】
【識別番号】100080012
【弁理士】
【氏名又は名称】高石 橘馬
(72)【発明者】
【氏名】佐藤 雅之
(72)【発明者】
【氏名】村山 祐一
(72)【発明者】
【氏名】岩本 陽平
(72)【発明者】
【氏名】関矢 琢磨
【審査官】 竹村 秀康
(56)【参考文献】
【文献】 特開平11−335813(JP,A)
【文献】 特許第4839120(JP,B1)
【文献】 特開2005−060810(JP,A)
【文献】 特開2013−091853(JP,A)
【文献】 特開2004−190560(JP,A)
【文献】 特表2010−506082(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
F16J 1/00− 1/24
F16J 7/00−10/04
F02F 5/00
C23C14/06
C23C14/14
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
少なくとも外周摺動面が0.4〜20μmの厚さの非晶質硬質炭素皮膜によって被覆されたピストンリングであって、前記ピストンリングの母材が鋼からなり、前記母材と前記非晶質硬質炭素皮膜との間に下地層及び中間層が介在し、前記下地層がCrN型の窒化クロム及び金属クロム又はTiN型の窒化チタンを交互に積層した厚さ10〜60μmのCrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜を含み、前記中間層が厚さ0.05〜1.0μmの金属クロム及び/又は金属チタンを含むことを特徴とするピストンリング。
【請求項2】
請求項1に記載のピストンリングにおいて、前記CrN/Cr積層皮膜におけるCrN層1層とCr層1層からなるCrN/Cr積層単位厚さが30〜120 nmであって、前記窒化クロムと前記金属クロムの各結晶子サイズの和の1〜3倍の範囲内にあることを特徴とするピストンリング。
【請求項3】
請求項1に記載のピストンリングにおいて、前記CrN/TiN積層皮膜におけるCrN層1層とTiN層1層からなるCrN/TiN積層単位厚さが20〜100 nmであって、前記窒化クロムと前記窒化チタンの各結晶子サイズの和の1〜3倍の範囲内にあることを特徴とするピストンリング。
【請求項4】
請求項1〜3のいずれかに記載のピストンリングにおいて、前記CrN型の窒化クロムが炭素(C)を固溶していることを特徴とするピストンリング。
【請求項5】
請求項1〜4のいずれかに記載のピストンリングにおいて、前記中間層に接する下地層界面が、前記窒化クロムと前記金属クロムからなる複合組織又は前記窒化クロムと前記窒化チタンからなる複合組織を含むことを特徴とするピストンリング。
【請求項6】
請求項5に記載のピストンリングにおいて、前記複合組織が等高線状の組織形態を含むことを特徴とするピストンリング。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれかに記載のピストンリングにおいて、前記非晶質硬質炭素皮膜の水素含有量が5原子%以下であることを特徴とするピストンリング。
【請求項8】
少なくとも外周摺動面に0.4〜20μmの厚さの非晶質硬質炭素皮膜によって被覆されたピストンリングの製造方法であって、前記ピストンリングの鋼製母材の表面粗さをRzJISで0.05〜3μmに調製し、CrN型の窒化クロム及び金属クロム又はTiN型の窒化チタンを交互に積層したCrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜を15〜70μmの厚さに形成し、前記CrN/Cr積層皮膜又は前記CrN/TiN積層皮膜を研磨加工した後、さらに、金属中間層及び非晶質硬質炭素皮膜を形成することを特徴とするピストンリングの製造方法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、自動車エンジン用ピストンリングに関し、特に、低フリクションで、耐摩耗性及び耐皮膜剥離性に優れた非晶質硬質炭素(以下「DLC (Diamond Like Carbon)」ともいう。)皮膜を被覆したピストンリングに関する。
【背景技術】
【0002】
近年、原油価格の高騰や環境問題の深刻化により、自動車の低燃費化が強く求められている。ピストンリングでは、リング張力の低減や、低フリクションが期待される非晶質硬質炭素皮膜の適用等が検討されている。それらは、実際、低燃費化に貢献しているが、リング張力の低減はシール性の観点で限界に近づいてきており、また非晶質硬質炭素皮膜は成膜時に高い圧縮応力が生じて基材との密着性が悪く剥離しやすいという問題を抱えている。
【0003】
非晶質硬質炭素皮膜の基材との密着性を向上する技術として、非晶質硬質炭素皮膜自体の内部応力を緩和する方法や、基材と非晶質硬質炭素皮膜との間に中間的な物性を有する中間層を形成する方法等、様々な方法が提案されている。
【0004】
特許文献1は、非晶質硬質炭素皮膜自体の内部応力を緩和する方法として、Si、Ti、W、Cr、Mo、Nb、Vの群から選ばれた1又は2以上の元素の炭化物を皮膜内に分散する方法を開示している。この皮膜は内部応力を緩和して密着性を改善する以外に、比較的軟質なため、特に初期なじみ性に優れているという非晶質硬質炭素皮膜としては意外な特徴を有している。
【0005】
特許文献2は、従来の中間層の厚さは50 nm以上で、このような厚さの中間層に非晶質炭素膜を形成した場合は、非常に高い面圧下で使用される機械部品等に対して密着性が不充分であったことに鑑み、中間層として、第IVa、Va、VIa、IIIb族元素及びC以外のIVb族元素の元素群から選ばれた少なくとも1つの元素、又はこの元素群から選ばれた少なくとも1つの元素の炭化物からなり、厚さを0.5 nm以上10 nm未満とすることにより、密着性が著しく高まることを開示している。また、特許文献3は、基材とDLC皮膜の両方に対して密着性に優れた中間層として、基材表面の酸化物を還元できる金属(例えば、100℃における酸化物の標準生成自由エネルギーが-600 kJ以下の金属で、Si、Ti、Cr等)を利用して、その中間層の酸素濃度が表面側から中間層内部に向かって増加し、同時に、中間層表面にはDLC皮膜との親和性の高い炭化物や非晶質炭素層を形成して、炭素濃度が表面側から中間層内部に向かって減少する中間層を開示している。
【0006】
特許文献4は、金属等の中間層ではなく、sp3結合(ダイヤモンド結合)比率の高い高密度の皮膜と基材との界面に密度の低い非晶質硬質炭素皮膜を中間層として形成することを開示している。この低密度の非晶質硬質炭素皮膜は、透過型電子顕微鏡像で明るく見え、残留応力を低下させ内部応力を緩和して密着性を向上させている。また、連続的に密度を変化させるとさらに好ましいとも記載されている。
【0007】
特許文献5は、中間層1層でなく、非晶質硬質炭素皮膜の下部層として、Cr、W、Ti及びSiのうちの少なくとも1種の金属からなる下地層と、前記金属及び炭素からなり炭素の割合が前記下地層側から表面に向かって増加する中間層を開示している。中間層を多層化させたものとして、特許文献6は、基材側から順に第1のCr層、CrN層及び第2 のCr層の積層構造とした中間層を開示している。
【0008】
しかしながら、上述したような中間層も、まだまだ十分ではなく、非晶質硬質炭素皮膜のクラックや欠けの発生を含む皮膜剥離の問題を完全に解決できていないのが実情である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0009】
【特許文献1】特開平11−172413号公報
【特許文献2】特開2001−316800号公報
【特許文献3】特開2006−250348号公報
【特許文献4】特開2007−169698号公報
【特許文献5】特開2008−25728号公報
【特許文献6】特開2013−91853号公報
【非特許文献】
【0010】
【非特許文献1】A.C. Ferrari, J. Robertson, R. Pastorelli, M.G. Beghi, C.E. Bottani, Mat. Res. Soc. Symp. Proc., Vol. 593, p. 311-316 (2000).
【非特許文献2】市村博司、石井芳朗、表面技術、Vol. 52、No. 1、2001、p. 110-115。
【非特許文献3】J. Robertson, Mater. Sci. Eng., R 37 (2002) 129-281.
【非特許文献4】沖 猛雄、表面技術、Vol. 41、No. 5、1990、p. 462-470。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は、自動車の低燃費化のために、低フリクション特性を有し、耐摩耗性及び耐皮膜剥離性に優れた非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリング及びその製造方法を提供することを課題とする。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは、フリクションの低減に有効な非晶質硬質炭素皮膜を被覆したピストンリングにおいて、ヤング率の高い非晶質硬質炭素皮膜を保持し、かつ密着性を向上するため、中間層やその下地層のヤング率や熱伝導率等の物性等に注目して鋭意研究した結果、比較的肉厚の硬質で熱伝導率に優れた積層皮膜からなる下地層と、非晶質硬質炭素皮膜と密着性の良い中間層を形成し、さらに、中間層に接する下地層界面が中間層と同種の金属又はその窒化物を含む構成とすることにより、耐摩耗性及び耐皮膜剥離性を向上できることに想到した。
【0013】
また、積層皮膜からなる下地層は、各層の厚さを各結晶の結晶子サイズに近い厚さに制御することにより、硬度や熱伝導率を改善し、クラック伝搬を抑制できるということにも想到した。
【0014】
すなわち、本発明のピストンリングは、少なくとも外周摺動面が0.4〜20μmの厚さの非晶質硬質炭素皮膜によって被覆されたピストンリングであって、前記ピストンリングの母材が鋼からなり、前記母材と前記非晶質硬質炭素皮膜との間に下地層及び中間層が介在し、前記下地層がCrN型の窒化クロム及び金属クロム又はTiN型の窒化チタンを交互に積層した厚さ10〜60μmのCrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜を含み、前記中間層が厚さ0.05〜1.0μmの金属クロム及び/又は金属チタンを含むことを特徴とする。
【0015】
前記下地層を構成する積層皮膜に関し、前記CrN/Cr積層皮膜におけるCrN層1層とCr層1層からなるCrN/Cr積層単位厚さは30〜120 nmであって、前記窒化クロムと前記金属クロムの各結晶子サイズの和の1〜3倍の範囲内にあることが好ましく、また、前記CrN/TiN積層皮膜におけるCrN層1層とTiN層1層からなるCrN/TiN積層単位厚さは20〜100 nmであって、前記窒化クロムと前記窒化チタンの各結晶子サイズの和の1〜3倍の範囲内にあることが好ましい。
【0016】
また、前記CrN型の窒化クロムは炭素(C)を固溶していることが好ましい。
【0017】
さらに、前記中間層に接する下地層界面は、前記窒化クロムと前記金属クロムからなる複合組織又は前記窒化クロムと前記窒化チタンからなる複合組織を含むことが好ましく、前記複合組織は等高線状の組織形態を含むことが好ましい。
【0018】
本発明のピストンリングにおいて、前記非晶質硬質炭素皮膜の水素含有量は5原子%以下であることが好ましい。
【0019】
本発明のピストンリングの製造方法は、少なくとも外周摺動面に0.4〜20μmの厚さの非晶質硬質炭素皮膜によって被覆されたピストンリングの製造方法であって、前記ピストンリングの鋼製母材の表面粗さをRzJISで0.05〜3μmに調製し、CrN型の窒化クロム及び金属クロム又はTiN型の窒化チタンを交互に積層したCrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜を15〜70μmの厚さに形成し、前記CrN/Cr積層皮膜又は前記CrN/TiN積層皮膜を研磨加工した後、さらに、金属中間層及び非晶質硬質炭素皮膜を形成することを特徴とする。
【発明の効果】
【0020】
本発明の、低フリクションを有し、耐摩耗性及び耐皮膜剥離性に優れた非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングは、厚さ10〜60μmと比較的厚膜の硬い下地層が母材の変形を抑えるため、母材の変形に起因する非晶質硬質炭素皮膜の剥離を回避することができる。また、下地層は、高硬度で耐摩耗性に優れたCrN型の窒化クロムと熱伝導率の高い金属クロム又はTiN型の窒化チタンを積層しているので、それほど熱伝導率の高くない非晶質硬質炭素皮膜を最表面に使用しても、ピストンリングに求められる高い熱伝導機能を発揮することができる。この熱伝導機能は、ピストンヘッドの熱を冷却されたシリンダ壁に効率良く逃すだけでなく、発生する熱応力の低減にも繋がり、クラックや欠けの発生を抑えることに貢献する。さらに、前記下地層と非晶質硬質炭素皮膜の間に、非晶質硬質炭素皮膜との密着性に優れた金属クロム及び/又は金属チタン中間層を形成し、特に、その中間層に接する下地層界面が前記窒化クロムと前記金属クロムからなる複合組織又は前記窒化クロムと前記窒化チタンからなる複合組織となって、中間層と同じ金属クロム若しくはその窒化物及び/又は金属チタンの窒化物を含むことが密着性を向上させている。クラックの伝播という観点では、破壊靱性の高い金属クロムやヤング率の高い窒化チタンを積層することに加え、各積層皮膜の積層単位厚さを、各積層皮膜を構成する結晶(CrN及びCr、又は、CrN及びTiN)の結晶子サイズの和に近い厚さとすることによって、高い結晶性、すなわち、高い剛性の結晶層とし、クラックの伝播に高い耐性を示す皮膜とすることができる。もちろん、結晶性が高いほど熱伝導率も向上する。このようにCrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜を下地層とし、中間層の金属Cr層及び/又は金属Ti層を挟んで非晶質硬質炭素皮膜を被覆したピストンリングは、結果的に、耐摩耗性及び耐皮膜剥離性に優れ、バランスのとれた圧縮残留応力を有し、それにより、たとえ水素含有量の少なくsp3結合比率の高い非晶質硬質炭素皮膜でも、皮膜剥離の発生が抑制され、フリクション低減による自動車の燃費向上に貢献することが可能となる。
【図面の簡単な説明】
【0021】
図1】本発明の下地層の断面を模式的に示した図である。
図2】本発明のCrN/Cr積層皮膜からなる下地層の断面を示す走査電子顕微鏡写真である。
図3】本発明のCrCN/Cr積層皮膜からなる下地層の最表面の組織を示すレーザー顕微鏡写真である。
図4】本発明で使用するアークイオンプレーティング装置の概略図である。
図5】浮動ライナー式フリクション測定用エンジンの構造を示した概略図である。
【発明を実施するための形態】
【0022】
本発明のピストンリングは、少なくとも外周摺動面が0.4〜20μmの厚さの非晶質硬質炭素皮膜によって被覆されたピストンリングであって、前記ピストンリングの母材が鋼からなり、前記母材と前記非晶質硬質炭素皮膜との間に下地層及び中間層が介在し、前記下地層がCrN型の窒化クロム及び金属クロム又はTiN型の窒化チタンを交互に積層した厚さ10〜60μmのCrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜を含み、前記中間層が厚さ0.05〜1.0μmの金属クロム及び/又は金属チタンを含むことを特徴とする。すなわち、鋼製のピストンリング母材との密着性に優れた非晶質硬質炭素皮膜を得るための構造として、母材と非晶質硬質炭素皮膜の間の下地層と中間層、及びその形成方法に特徴を有する。
【0023】
[1] 下地層
アークイオンプレーティング(以下「AIP (Arc Ion Plating)」ともいう。)による非晶質硬質炭素皮膜のヤング率は、非特許文献1によれば757.5 GPaと報告されており、鋼のヤング率の約210 GPaの約3.6倍である。従って、非晶質硬質炭素皮膜を鋼の上に直接、あるいは薄い中間層を挟んで被覆しても、ピストンリングの摺動時に局部的な高応力が発生したとき、鋼の変形に追従できずに皮膜剥離を起こしてしまう。そこで、本発明では、AIP により、下地層としてCrN型の窒化クロム及び金属クロム又はTiN型の窒化チタンを交互に積層した積層皮膜、すなわち、CrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜を形成する。CrNとTiNのヤング率は、非特許文献2によれば、それぞれ430 GPaと550 GPaであり、鋼と非晶質硬質炭素皮膜のほぼ中間の値である。よって、中間的なヤング率のCrNやTiNを利用した高硬度で10〜60μmの肉厚の下地層を形成することによって母材(鋼)の変形を抑え、非晶質硬質炭素皮膜の剥離を回避することが可能になる。なお、水素含有非晶質硬質炭素皮膜や金属含有非晶質硬質炭素皮膜のヤング率は、CrNやTiNのヤング率と同等又はそれ以下となるので、好ましいことは言うまでもない。また、AIPで成膜したこれらの窒化物は、膜厚の厚いほど内部応力が高くなるが、積層化することによって内部応力を緩和することができる。CrN/Cr積層皮膜における金属Cr層の場合は、金属Cr層自体が歪みを吸収する応力緩和層としても機能する。このような下地層は、厚さが10μm未満では母材の変形抑制が十分でなく、下地層の厚さが60μmを超えると原材料の使用量が増加するとともに生産性が落ちるためコストが増加し好ましくない。下地層の厚さは15〜35μmが好ましい。
【0024】
非晶質硬質炭素皮膜は、高硬度、高ヤング率を示すが、熱伝導特性に関しては、非晶質構造によるフォノン散乱のため、それほど高い熱伝導率を示さない。非特許文献3によれば、sp3結合比率の高いもので6〜10 W/(m・K)程度である。よって、中間層及び下地層の熱伝導率をそれ以上の構成とすれば、皮膜全体の熱応力を低減し、クラックや欠けの発生を抑えることに繋がる。AIPにより形成したCrNとTiNの熱伝導率は、非特許文献4によれば、それぞれ0.0261〜0.0307 cal/cm・sec・deg(SI単位に換算すると10.9〜12.9 W/(m・K)となる)と0.07 cal/cm・sec・deg(SI単位に換算すると29.3 W/(m・K)となる)であり、非晶質硬質炭素皮膜の熱伝導率よりも高く、また、金属Crの熱伝導率は、理化学事典によれば室温で90.3 W/(m・K)であることが知られている。すなわち、CrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜の下地層の存在は、非晶質硬質炭素皮膜を含む皮膜全体の熱伝導特性を向上させることになる。
【0025】
CrN型の窒化クロムは、Cr2N型の窒化クロムを含んでもよいが、主たる窒化クロムがCrN型であることを意味し、TiN型の窒化チタンは、Ti2N型の窒化チタンを含んでもよいが、主たる窒化チタンがTiN型であることを意味する。高硬度と耐摩耗性の観点からは、熱伝導率を少し犠牲にしても、CrNは炭素Cを固溶したCrCNとすることが好ましい。CrCNのCは一部のNの格子位置に置換型に固溶し、Cr及びNの両方のイオン半径を歪ませ格子内の局部応力を増加することによってCrCNの硬度を増加する。一方、高硬度を維持しつつ結晶成長中に蓄積される内部エネルギーを低減して、マクロな残留応力を低く抑え破壊靱性を高めるともいわれている。それらの特性を得るためには、CrCN層の炭素濃度は2〜8質量%が好ましい。
【0026】
下地層を構成する積層皮膜の積層単位厚さは、CrN/Cr積層皮膜の場合、クラック伝播の観点で、30〜120 nmであることが好ましく、30〜80 nmであることがより好ましい。また、CrN/TiN積層皮膜の場合は、20〜100 nmであることが好ましく、20〜80 nmであることがより好ましい。一般に、異なる相を積層した積層皮膜は、その界面に歪みが残るため界面に沿ってクラックが伝播しやすい。しかし、CrN/Cr積層皮膜では金属Cr層が歪みを吸収し、またCrN/TiN積層皮膜ではCrNとTiNの格子常数が非常に近いため整合性の高い、強い界面が形成される。積層皮膜の積層単位厚さが、積層皮膜を構成する結晶(CrN及びCr、又はCrN及びTiN)の結晶子サイズの和に近づけば、少なくとも膜厚方向には単結晶と見なすことができ、多結晶に比べて剛性が格段に向上する。このような積層皮膜は、被覆面に平行な方向には小傾角境界をもつ多結晶と考えられ、積層皮膜の界面及び層内の両方でのクラックの伝播を抑制する。各積層皮膜の積層単位厚さは、積層皮膜を構成する各結晶の結晶子サイズの和の1〜3倍の範囲内にあることが好ましい。
【0027】
CrN層、Cr層及びTiN層の厚さが、それぞれCrN、Cr及びTiNの結晶子サイズに近づくことは、特に、CrN層とTiN層では、粒界によるフォノン散乱を低減し、熱伝導率を向上させる。よって、強度的な観点だけでなく、熱伝導率の観点からも、各積層皮膜の積層単位厚さが各結晶子サイズの和の1〜3倍の範囲内にあることが好ましい。1〜2倍の範囲内であればより好ましく、1〜1.5倍の範囲内であればさらに好ましい。CrCN層は、Cを固溶するため熱伝導率を下げるが、1層の膜厚を結晶子サイズに近い厚さとすることによって、Cの固溶による熱伝導率の低下分を相殺する方向に働く。
【0028】
金属Crの熱伝導率(90.3 W/(m・K))は、CrNの熱伝導率(10.9〜12.9 W/(m・K))に比べ約8倍高く、またTiNの熱伝導率(29.3 W/(m・K))も、前述したようにCrNに比べ約2.5倍高いので、金属CrやTiNの積層は皮膜全体の熱伝導率を高める。一方、金属CrはCrNに比べ硬度や耐摩耗性に劣り、TiNはCrNに比べ耐腐食性に劣るという問題点も有している。よって、熱伝導率を考慮すれば金属CrやTiNの比率を増やし、硬度や耐摩耗性あるいは耐腐食性を考慮すればCrNの比率を増やすことが好ましい。両者のバランスを考慮するとCrN層とCr層の厚さ(体積比率)で9:1〜5:5、CrとTi原子比率で3:7〜7:3の範囲とすることが好ましい。
【0029】
積層したCrN層、Cr層及びTiN層の成長方位は、成膜条件によって異なる。特に限定するものではないが、CrN層とTiN層は(200)面、Cr層は(110)面で最大の回折強度となることが好ましい。
【0030】
なお、下地層と母材との間に、その密着性を改善するための金属層を形成してもよい。
【0031】
[2] 中間層
本発明では、非晶質硬質炭素皮膜と下地層の間に中間層を形成する。中間層は、金属クロム及び/又は金属チタンからなり、その厚さを0.05〜1.0μmとする。金属クロム及び金属チタンは炭素(C)と結合して炭化物を形成しやすく、非晶質硬質炭素皮膜に対し親和性を有しており、優れた密着性を示す。非晶質硬質炭素皮膜の形成にあたって、カーボンボンバードによりCrとC、TiとC、又はCrとTiとCの混合層を形成すれば、さらに優れた密着性を示す。中間層の厚さが0.05μm未満では、下地層の小傾角境界部に微細な孔が形成された場合、十分な密着性が得られず、中間層の厚さが1.0μmを超えると、非晶質硬質炭素皮膜を高硬度の下地層で保持するという観点で好ましくない。
【0032】
[3] 下地層と中間層の界面の組織
また、本発明では、金属クロム中間層に接する下地層の界面が、CrN/Cr積層皮膜のCrNとCrからなる複合組織又はCrN/TiN積層皮膜のCrNとTiNからなる複合組織を含むことが好ましい。CrN/Cr積層皮膜のCr層は中間層の金属クロムと同材質で、密着性の観点で当然に好ましいが、CrNも同じCr系同士なので好ましい。従って、CrN/TiN複合組織も金属クロム中間層と優れた密着性を示す。もちろんCrN/TiN複合組織の場合は金属チタン中間層とも優れた密着性を示す。CrN/Cr積層皮膜やCrN/TiN積層皮膜は、完全な平面の母材面に平行に形成したとしても、外周摺動面を母材面に角度を付けて研磨すれば、その最表面はCrNとCrの複合組織又はCrNとTiNの複合組織となる。また、図1に示すように、凹凸を形成した母材面(1)に、例えばCrN(2)/Cr(3)積層皮膜やCrN(2)/TiN(3)積層皮膜を形成すれば得られた積層皮膜も波状に(凹凸状に)形成され、外周摺動面を平面に研磨すればCrN(2)とCr(3)の複合組織又はCrN(2)とTiN(3)の複合組織がその最表面に得られる。一般には、母材面に凹凸を形成し、その上にCrN(2)/Cr(3)積層皮膜又はCrN(2)/TiN(3)積層皮膜を形成することがより好ましい。図2は、凹凸を形成した母材面に形成されたCrN/Cr積層皮膜(組織観察を容易にするため1層厚さを厚く形成し、また母材と積層皮膜の間に比較的厚膜のCr層とCrN層を形成している)の走査電子顕微鏡写真であるが、形成された積層皮膜は母材の凹凸形状を継承して成長していることがわかる。
【0033】
中間層との界面に現れる下地層のCrN、Cr及びTiNは、積層皮膜の積層単位厚さ、積層面と研磨面との角度、波状積層皮膜の波長、等に依存するが、等高線状の組織形態を含むことが好ましい。条件が整えば、層状のリング状形態となる。図3は、CrCN/Cr積層皮膜の中間層形成前の下地層最表面を鏡面研磨した面のレーザー顕微鏡写真で、灰色のCrCNマトリックス中に白色のCrが分散したCrCNとCrからなる複合組織を示している。特にCrは、層状のリング状形態又は等高線状形態を呈している。積層皮膜の積層間隔を考慮すると、Cr相又はCrN相の幅は平均で1μm以下であることが好ましく、0.4μm以下であることがより好ましい。
【0034】
[4] 非晶質硬質炭素皮膜
非晶質硬質炭素皮膜は、炭化水素系のガスを原料としたプラズマCVD法、又はグラファイトを蒸発源としたスパッタリングやAIPによって製造され、ピストンリングでは、摺動相手材の材質等によって使い分けられている。例えば、アルミボア向けに、水素や、タングステン等の金属を含有した非晶質硬質炭素皮膜、鋳鉄ボア向けには水素フリーの非晶質硬質炭素皮膜が適用される。特に限定するものではないが、本発明の非晶質硬質炭素皮膜には、AIPによって成膜され、水素をほとんど含まないsp3結合比率の高い非晶質硬質炭素皮膜も好ましく適用できる。非晶質硬質炭素皮膜の水素含有量は5原子%以下であることが好ましく、1原子%以下であることがより好ましい。水素含有量の少ない非晶質硬質炭素皮膜は、非常に硬く、摩耗しないので、ピストンリングの特殊な外周形状を長期間維持してフリクション増加を抑制する効果や、水素を含まないことによる潤滑油中の油性剤吸着による大幅なフリクション低減効果を示すという利点を有している。
【0035】
非晶質硬質炭素皮膜の膜厚は、水素含有非晶質硬質炭素皮膜で1〜10μm、金属含有非晶質硬質炭素皮膜で1〜20μmが好ましい。水素フリー非晶質硬質炭素皮膜の場合は0.5〜1.5μmが好ましく、0.6〜1.0μmがさらに好ましい。また、フリクション低減効果を発揮するためには、表面粗さがRaで0.01〜0.1μmであることが好ましく、0.01〜0.07μmであることがより好ましい。
【0036】
[5] 製造方法
(1) 母材の表面粗さ調整
本発明のピストンリングでは、下地層を断面で波状の積層皮膜とするため、下地層を形成する前に、鋼製母材の外周摺動面をRzJIS(十点平均粗さ、JIS B0601 2001)で0.05〜3μmの表面粗さに調整する。Rzが0.05μm未満では、積層皮膜は各層がほとんど平行な積層皮膜となって、CrNとCrからなる複合組織又はCrNとTiNからなる複合組織が粗くなるため、中間層との密着力が不均一になる。またRzが3μmを超えると、凹凸が大きくなりすぎて皮膜中に欠陥が導入されやすくなって好ましくない。RzJISは0.1〜2μmが好ましく、0.2〜1.5μmがより好ましい。
【0037】
(2) 下地層の形成
本発明では、下地層のCrN/Cr積層皮膜は、図4に示すような概略図(上から見た平面図)のAIP装置を用いて形成する。このAIP装置では、ガス導入口(11)とガス排出口(12)を有する真空容器(10)中に、被処理物(18)(ピストンリングを重ねたもの)をセットし、蒸発源の金属Cr陰極(ターゲット)(13, 14)を、回転テーブル(17)を挟んで対向した位置に配置している。この場合、蒸発源(15,16)は使用しない。被処理物(18)自体も回転テーブル(17)上で自転する。蒸発源(13,14)はアーク電源の陽極(図示しない)に接続され、回転テーブル(17)はバイアス電源(図示しない)に接続されている。なお、ヒーター(19)が装置の壁面に設置されている。アークイオンプレーティング法は、CrN層を形成する場合、真空容器(10)中にプロセスガス(窒素(N2))を導入し、蒸発源の金属Cr陰極(13, 14)表面にアークを発生させ、金属Crを瞬時に溶解、窒素プラズマ中でイオン化し、被処理物(18)に印加した負のバイアス電圧によってクロムイオン又は窒素プラズマと反応したCrNとして被覆面に引き込むことで、CrN層として堆積させる方法である。Cr層を形成する場合は、窒素ガス(N2)の導入を止める。このとき、アルゴン(Ar)ガスなどの不活性ガスを導入してもよい。また、CrCN層を形成する場合は、プロセスガスとして、窒素(N2)ガスと炭化水素(例えば、CH4)ガスに、さらにアルゴン(Ar)ガスを加えることが好ましい。窒化クロムの組成は、金属Cr陰極からの蒸発量と窒素ガス分圧によって決まるので、蒸発源のアーク電流と窒素ガス分圧を制御して、CrN型窒化クロムが主体となるように調整し、プロセスガスの切り替えは、金属Cr陰極のアーク放電を維持したまま行うことが好ましい。CrN層(又はCrCN層)とCr層の各層の厚さは、アーク電流とプロセスガスの導入/停止時間により制御可能である。それらは、FE-SEM(Field Emission - Scanning Electron Microscope)等を利用した直接観察により測定できるが、少なくともCrN層(又はCrCN層)1層とCr層1層の和、すなわち積層単位厚さは、膜厚をプロセスガスの導入/停止繰り返し数で除した値、又は、成膜速度(μm/min)にCrN層(又はCrCN層)1層とCr層1層の成膜時間(すなわち、プロセスガスの導入/停止サイクル時間(min))を乗じた値となる。ここで、成膜速度はアーク電流を上げると増加するので、アーク電流を下げるか又はプロセスガスの導入/停止時間を短くすれば積層単位厚さは小さくなる。
【0038】
下地層をCrN/TiN積層皮膜とする場合は、蒸発源の一つ(図4の例えば(14))を金属Ti陰極(ターゲット)に変更し、すなわち、金属Cr陰極(13)と金属Ti陰極(14)を、回転テーブル(17)を挟んで対向した位置に配置し、プロセスガスを窒素(N2)ガスとしてイオンプレーティング処理を行う。CrN/TiN積層皮膜の形成には、金属Cr陰極における放電と金属Ti陰極における放電を、時間をずらして行うことによりCrNの形成とTiNの形成を交互に行っても良いが、成膜速度を高め、生産性を高めるには、金属Cr陰極と金属Ti陰極の放電を同時に行うことが好ましい。窒化クロムと窒化チタンの組成は、各蒸発源のアーク電流と窒素ガス分圧を制御して、CrN型窒化クロムとTiN型窒化チタンが主体となるように調整する。また、蒸発源からの金属の蒸発量は金属固有の融点における蒸気圧とアーク電流(温度)に依存するので、組成が変わらない(例えば、CrN主体の組成がCr2N主体の組成にならない)範囲内でアーク電流を変化させ、CrとTiの比率を変えることができる。よって、CrN層とTiN層の各層の厚さは、アーク電流と回転テーブル(17)の回転速度により制御可能であり、回転テーブルが1回転する間に形成される積層単位厚さは成膜速度(μm/min)をテーブルの回転速度(rpm)で除した値となる。もちろん、FE-SEM(Field Emission - Scanning Electron Microscope)等を利用した直接観察により測定できることはいうまでもない。ここで、成膜速度はアーク電流を上げると増加するので、アーク電流を下げるか又はテーブルの回転速度を上げれば各層の厚さは小さくなる。
【0039】
アークイオンプレーティングによって形成した皮膜の結晶組織は、一般に、炉内圧とバイアス電圧により調整可能であり、炉内圧を高くし、バイアス電圧を低くすると柱状晶になり、逆に炉内圧を低くし、バイアス電圧を高くすると粒状組織が得られると言われている。しかし、バイアス電圧を高くすると柱状晶になるという教示もあり、一概にそういえないのが現実である。イオンプレーティングの成膜環境は非常に複雑であり、例えば、装置を変更すれば、同じアーク電流、炉内圧、バイアス電圧を選択したとしても、同じ組織が得られる保証が全くないのが実情である。もちろん、基材の材質、結晶構造、温度、表面状態等にも関係するが、炉内の構造(被処理物と蒸発源の配置等)も比較的大きな影響を及ぼしており、成膜条件は装置毎に設定されなければならない。
【0040】
(3) 下地層の研磨加工
本発明では、CrN/Cr積層皮膜又はCrN/TiN積層皮膜は、その最表面をCrN及びCrからなる複合組織又はCrN及びTiNからなる複合組織とするため、また、成膜したままではAIPに特有のパーティクルの付着等もあって薄い非晶質硬質炭素皮膜を形成する下地としては適当でないため、研磨加工を施すものとする。研磨加工は、ラップ研磨や砥石による研削加工を含み、外周形状形成の目的も含めればプランジ研磨が好ましい。また、表面粗さはRa(算術平均粗さ、JIS B0601 2001)で0.01〜0.05μmに調製することが好ましい。
【0041】
(4) 中間層及び非晶質硬質炭素皮膜の形成
中間層と非晶質硬質炭素皮膜の形成は同じ皮膜形成バッチ内で行うことが好ましい。例えば、蒸発源に金属Cr陰極(13,14)及び/又は金属Ti陰極とカーボン陰極(15,16)を使用したAIP装置において、まず、金属Cr陰極(13,14)及び/又は金属Ti陰極のみ放電させて金属Cr及び/又は金属Ti中間層を形成し、続いて、カーボン陰極(15,16)を放電させ、発生したカーボンイオンを被処理物(18)に堆積させて成膜する。非晶質硬質炭素皮膜は、成膜開始時はバイアス電圧を-500V〜-1000Vに設定することが好ましく、その後連続的に0 V〜-200 Vに落として成膜するのが好ましい。なお、皮膜表面はパーティクル等の突起物を一定量内に制御するためラップ処理することが好ましく、表面粗さをRaで0.02〜0.06μmに調整することがさらに好ましい。
【0042】
また、UMS(Unbalanced Magnetron Sputtering)装置を使用すれば、UMS源に金属Cr陰極、金属Ti陰極、WC等の金属炭化物陰極等、雰囲気ガスにArや炭化水素ガス(例えば、CH4, C2H2等の直鎖炭化水素ガスや、C6H6等の芳香族炭化水素ガス)を使用して、同一バッチ内で、金属中間層と水素含有非晶質硬質炭素皮膜や金属含有非晶質硬質炭素皮膜を形成することができる。
【実施例】
【0043】
実施例1
SWOSC-V相当材の線材から呼称径(d)96 mm、厚さ(a1)3.8 mm、幅(h1)2.5 mmの矩形断面で、外周面をバレルフェイス形状としたピストンリングを作製し、このピストンリングを50本重ね、外周面をショットブラストによりRzJISで1.6μmの表面粗さに調製し、AIP装置内にセットした。蒸発源としては、対向する全ての蒸発源ターゲットに純度99.9%の金属クロムを使用した。まず、純度99.99%のArガス1.0 Paの雰囲気中、-900 Vのバイアス電圧を印加してボンバードメント処理により母材となるピストンリング外周面を清浄化した後、母材と下地層の密着性改善を目的として金属Cr層のみを成膜した。
【0044】
(下地層の形成)
実施例1の下地層としては、金属クロム電極のアーク電流150 A、プロセスガスを純度99.999%のN2ガス1.5 Pa、バイアス電圧 -25 V、テーブル回転数3 rpmの条件でCrN層の形成を36秒間行った後、プロセスガスを純度99.99%のArガス1.0 Pa、バイアス電圧-10 Vに切り替えてCr層の形成を54秒間行う、というサイクルを400回繰り返して、CrN/Cr積層皮膜を成膜した。得られたCrN/Cr積層皮膜被覆ピストンリングからサンプルを抽出し、次の測定に供した。
【0045】
(膜厚測定)
上記サンプルについて、被覆面に垂直なピストンリング断面を鏡面研磨し、走査電子顕微鏡(SEM)により観察、撮影した写真からCrN/Cr積層皮膜の膜厚を測定した。実施例1の膜厚は25.5μmであった。また、皮膜は、僅かではあるが金属Crのパーティクルを含んでいた。CrN層1層とCr層1層からなるCrN/Cr積層単位厚さは上記膜厚25.5μmと積層サイクルの繰り返し回数(400回)から0.0638μm(63.8 nm)と算出された。
【0046】
(X線回折測定)
X線回折強度は、鏡面研磨した被覆面に平行な表面について、管電圧40 kV、管電流30 mAのCu-Kα線を使用して2θ=35〜70°の範囲で測定した。測定した結果、CrN(200)面で最大ピーク強度を示し、続いてCr(110)面、CrN(111)面と続く回折ピークを示した。また、CrN(200)面とCr(110)面にて、次のScherrerの式を用いて結晶子サイズDhklを算出した。
Dhkl=Kλ/βcosθ………………………………………………………(1)
ここで、KはScherrerの定数で0.94、λはX線の波長(Cu:1.54046Å)、βは半値全幅(FWHM)、θはBragg角である。実施例1のCrN層の結晶子サイズは24.2 nm、Cr層の結晶子サイズは21.1 nmであり、よって、CrN層とCr層の結晶子サイズの和は45.3 nmとなる。膜厚から計算した積層単位厚さ63.8 nmは、CrNとCrの角結晶子サイズの和の1.4倍であった。
【0047】
(下地層の研磨)
実施例1の下地層として形成したCrN/Cr積層皮膜をラップ研磨して、最表面の表面粗さをRaで0.029μmとした。なお、最表面を鏡面研磨したところ、図3に示すような形態のCrN及びCrからなる複合組織が得られたことが確認された。
【0048】
(中間層と非晶質硬質炭素皮膜の形成)
研磨処理したピストンリングを洗浄処理した後、下地層を形成したAIP装置とは別のAIP装置内にセットした。蒸発源としては、中間層用に純度99.9%の金属クロム陰極(13,14)と非晶質硬質炭素皮膜用に純度99.9%のカーボン陰極(15,16)を使用した。まず、ガス排出口(12)に接続された真空ポンプ(図示しない)によって、真空容器(10)内を所定の真空度とした後、純度99.99%のArガス1.0 Paの雰囲気中、-900 Vのバイアス電圧を印加してボンバードメント処理により下地層の形成されたピストンリング外周面を清浄化した後、Cr中間層と非晶質硬質炭素皮膜を形成した。テーブル回転数を5 rpmとし、実施例1のCr中間層は、金属クロム陰極(13, 14)のアーク電流50 A、プロセスガスとしてArとH2の混合ガス1.8 Pa、バイアス電圧0 Vの条件で30分間成膜し、非晶質硬質炭素皮膜は、カーボン陰極(15,16)のアーク電流80 A、真空中、バイアス電圧 -100V(但し、成膜開始時のバイアス電圧を-800 Vに設定し、その後連続的に-100 Vまで下げている)の条件で50分間成膜した。得られた非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングについて、皮膜表面のパーティクル等の突起物を一定量内に制御するためラップ処理した後、次の測定及び評価を行った。
【0049】
(中間層の厚さ)
中間層の厚さは、カロテスト(簡易膜厚測定法)により求めた。実施例1の中間層の厚さは0.24μmであった。
【0050】
(非晶質硬質炭素皮膜の厚さ)
非晶質硬質炭素皮膜の厚さは、カロテスト(簡易膜厚測定法)により求めた。実施例1の非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8μmであった。
【0051】
(非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量の測定)
非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量は、HFS(Hydrogen Forward scattering Spectrometry)分析により測定した。実施例1の水素含有量は0.6原子%であった。
【0052】
(密着性の評価)
非晶質硬質炭素皮膜について、ロックウェル圧痕試験(圧子:先端半径0.2 mmかつ先端角120°のダイヤモンド円錐、押付荷重:1470 N(150 kgf)を5カ所行い、圧痕周辺部の皮膜の状態から、以下の基準で密着性を評価した。評価が◎、○、△であれば実用上問題ないと判断できる。
◎:試験ケ所全ての圧痕周辺部に欠陥が認められなかったもの
○:試験ケ所のいずれか1ケ所に微細な欠陥が見られたもの
△:試験ケ所の2カ所以上に微細な欠陥が見られたもの
×:皮膜に剥離等の欠陥が発生したもの
実施例1は◎の評価であった。
【0053】
実施例2〜6
実施2〜6は、実施例1と同様、表1に示す成膜条件のイオンプレーティングによりCrN/Cr積層皮膜からなる下地層を形成した。表1には実施例1の成膜条件も併せて示す。なお、表1に記載のない成膜条件は、実施例1と同じとした。実施例2はCrN層とCr層の形成時間を実施例1よりも短くし、実施例3はCrN層形成の際のN2分圧を高くし且つバイアス電圧を小さくして、比較的ポーラスなCrN層としている。また、実施例4、5及び6はCrN層とCr層の形成時間を長くして、厚めの積層単位厚さとした。実施例4ではCrN層の形成時間をCr層の形成時間に比べ長くし、Cr層の比率を小さめとした。
【0054】
【表1】
【0055】
実施例2〜6のCrN/Cr積層皮膜からなる下地層について、一部のピストンリングからサンプルを抽出して膜厚測定とX線回折測定を行った。結果を、実施例1も含め、表2に示す。下地層の膜厚は17.6〜28.8μm、CrNの結晶子サイズは22.5〜35.4 nm、Crの結晶子サイズは19.6〜28.3 nm、積層単位厚さは44.0〜360.0 nmであった。T/Sは1.0〜5.8の範囲にあり、特に実施例1〜3はCrN層の膜厚とCr層の膜厚が各結晶子サイズに近い値であった。また、実施例3では、CrNとCrだけでなく、僅かではあったがCr2Nが形成されていた。
【0056】
【表2】
* T/Sは(積層単位厚さ/CrNとCrの結晶子サイズの和)を示す。
【0057】
実施例2〜6の残りのピストンリングの下地層をラップ研磨した。一部のピストンリングについては最表面を鏡面研磨して組織観察した結果、全て、CrNとCrからなる複合組織を示していた。残りのピストンリングについて洗浄処理した後、表3に示す成膜条件で中間層と非晶質硬質炭素皮膜を同じAIPバッチ内で形成した。基本的にアーク電流とバイアス電圧は実施例1と同じとし、成膜時間を変えて異なる膜厚となるようにした。表3には成膜条件の他に、下地層のラップ研磨後の表面粗さRaの測定結果も示すが、0.019〜0.042μmの範囲内にあった。
【0058】
【表3】
【0059】
得られた実施例2〜6の非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングについて、皮膜表面のパーティクル等の突起物を一定量内に制御するためラップ処理した後、中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性について、実施例1と同様に測定及び評価を行った。結果を表4に示す。中間層の厚さは0.11〜0.42μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.7〜1.2μm、水素含有量は0.4〜1.2原子%、密着性も実施例1〜4で極めて良好であった。
【0060】
【表4】
【0061】
実施例7及び8
実施例7は、CrN層の代わりにCrCN層とした以外は、実施例1と同様にして、CrCN/Cr積層皮膜からなる下地層を形成した。ここで、CrCN層の形成に使用したプロセスガスはN2ガス0.87 Pa、CH4ガス0.54 Pa及びArガス0.09 Paとした。実施例8は、実施例7のCrCN層の形成時間をCr層の形成時間より長くして、すなわち、形成時間をそれぞれ、0.9分と0.6分として、Cr層の比率を小さめにした。また中間層と非晶質硬質炭素皮膜の厚さも小さめになるよう成膜時間を変更した。表5に下地層の成膜条件、表6に下地層の膜厚測定とX線回折測定の結果、表7に中間層と非晶質硬質炭素皮膜の成膜条件、表8に中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性についての測定及び評価の結果を示す。
【0062】
【表5】
ここで、実施例7及び実施例8は、いずれも積層単位繰り返し数は400とした。
【0063】
【表6】
** X線回折チャート上ではCrCNはCrNのピークと区別できない。ここではCrNとしている。
【0064】
【表7】
【0065】
【表8】
【0066】
実施例7及び8のCrCN/Cr積層皮膜を下地層とした非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングも、下地層最表面の組織は、CrCNとCrからなる複合組織を呈しており、また、水素含有量が0.5原子%及び0.8原子%の非晶質硬質炭素皮膜で、かつ極めて優れた密着性を示していた。
【0067】
実施例9〜12
実施例9〜12は、CrN/Cr積層皮膜の代わりに、CrN/TiN積層皮膜を下地層として形成した。AIPは、ターゲットに純度99.9%の金属クロム陰極(13)と純度99.9%の金属チタンを使用し、ボンバードメント処理によるピストンリング外周面の清浄化の後、純度99.999%のN2ガスを導入し、各陰極(13,14)のアーク電流、被処理物に印加したバイアス電圧、テーブル回転速度等の、表9に示す成膜条件で行った。
【0068】
【表9】
【0069】
実施例9〜12のCrN/TiN積層皮膜の下地層について、一部のピストンリングからサンプルを抽出して膜厚測定とX線回折測定を行った。結果を表10に示す。下地層の膜厚は20.9〜29.8μm、CrNの結晶子サイズは13.3〜24.3 nm、TiNの結晶子サイズは15.2〜28.5 nm、積層単位厚さは29.0〜149.0 nmであった。T/Sは1.0〜3.4の範囲にあり、特に実施例9〜11はCrN層の膜厚とTiN層の膜厚が各結晶子サイズに近い値であった。
【0070】
【表10】
【0071】
下地層形成後、ラップ研磨、中間層及び非晶質硬質炭素皮膜の形成についても、実施例1と同様に行った。表11に中間層と非晶質硬質炭素皮膜の成膜条件、表12に中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性についての測定結果について示す。中間層の厚さは0.18〜0.33μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8〜1.2μm、水素含有量は0.7〜1.2原子%、密着性も実施例9〜11で極めて良好であった。
【0072】
【表11】
【0073】
【表12】
【0074】
実施例13〜16
実施例13〜16は、実施例9〜12の残りのピストンリングにおいて、金属Cr中間層の代わりに金属Ti中間層を形成した以外は実施例9〜12と同様して、中間層及び非晶質硬質炭素皮膜の形成を行った。表13に成膜条件、表14に中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性についての測定結果を示す。中間層の厚さは、0.13〜0.23μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8〜1.2μm、水素含有量は0.8〜1.2原子%、密着性も実施例13〜15で極めて良好であった。
【0075】
【表13】
【0076】
【表14】
【0077】
実施例17及び18
実施例17及び18は、実施例1の残りのピストンリングにおいて、金属中間層と非晶質硬質炭素皮膜の形成を、AIP装置の代わりにUMS装置を用いて行った。UMS装置はスパッタターゲットを4源装着、バイアス電源としてDCパルスバイアス電源を有している。実施例17は、UMS装置内に2基装着したCrスパッタターゲットを用いて0.1 PaのAr雰囲気中で金属Cr中間層を形成した後、C2H2ガス(C2H2/(C2H2+Ar)比:30%)を導入してCVDにより水素含有非晶質硬質炭素皮膜を形成した。ここで、成膜時間は4時間、UBMコイル電流は1A、ターゲット電力は5 kW、(Ar+C2H2)のガス圧は0.3 Pa、バイアス電圧は-1000V、パルス周波数を1 kHz、パルス1周期中のバイアス電圧のon-off比を30%とした。また、実施例18は、UMS装置内に2基のCrスパッタターゲット、2基のW-Cスパッタターゲット装着して、実施例17の水素含有非晶質硬質炭素皮膜の代わりに、タングステン含有非晶質硬質炭素皮膜を形成した。実施例18における成膜時間は18時間とした以外の成膜条件は実施例17と同じとした。表15に中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性についての測定結果を示す。中間層の厚さは、0.8〜0.9μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは実施例17が4.3μm、実施例18が16.2μm、水素含有量は実施例17が31.2原子%、実施例18が20.8原子%、表面粗さはどちらも0.01μmで極めて良好、密着性も極めて良好であった。
【0078】
【表15】
【0079】
比較例1
実施例1の下地層を形成する工程を省略して、SWOSC-V相当材の実施例1で使用したピストンリングに、実施例1と同様にして、直接中間層及び非晶質硬質炭素皮膜を被覆した。但し、ピストンリング母材の表面粗さは、Raで0.03μmに調整した。中間層の厚さは0.26μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8μm、水素含有量は0.8原子%、密着性評価は皮膜に大きな剥離が生じて×評価であった。
【0080】
比較例2
実施例1のCrN/Cr積層皮膜からなる下地層の代わりに、CrN単層からなる下地層を使用した以外は、実施例1と同様にして、非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングを作製した。下地層の厚さは23μm、中間層の厚さは0.25μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8μm、水素含有量は0.7原子%、密着性評価は△であった。
【0081】
比較例3
摩擦損失評価用の比較例として、上記比較例2のCrN単層からなる下地層を最表面として、中間層及び非晶質硬質炭素皮膜を被覆しないピストンリングを作製した。
【0082】
(摩擦損失の評価)
実施例1、7、9及び比較例3について、浮動ライナー式フリクション測定用エンジンに組み込み、摩擦平均有効圧力(Friction Mean Effective Pressure:FMEP)を測定して摩擦損失を評価した。相手材のシリンダライナーは鋳鉄とし、面粗度はRaで0.2μmとした。また、セカンドリング及びオイルリングは、既存のリングを使用した。図5は評価に用いた浮動ライナー式フリクション測定用エンジンの構造について示したものである。シリンダー(23)に結合された荷重測定用センサー(24)によりピストン(22)に装着されたピストンリング(21)が上下方向に摺動する際にシリンダライナーに加わる摩擦力を測定する。試験条件は、エンジン回転数:1500 rpm、負荷:15 N・m、潤滑油温度:90℃、冷却水温度:100℃とした。CrN皮膜のみの比較例3のFMEPを100としたときの実施例1、7及び9で測定されたFMEPは、それぞれ、91、89、93で、非晶質硬質炭素皮膜によりFMEPが7〜11%減少した。なお、トップリング、セカンドリング及びオイルリングの張力は6、5及び20 Nに設定した。
【符号の説明】
【0083】
1 ピストンリング母材
2 CrN層
3 TiN層(Cr層)
10 真空容器
11 ガス導入孔
12 ガス排出口
13、14、15、16 ターゲット(金属Cr陰極、金属Ti陰極、カーボン陰極)
17 回転テーブル
18 被処理物(ピストンリングを重ねたもの)
19 ヒーター
21 ピストンリング
22 ピストン
23 シリンダライナー
24 荷重測定用センサー
図1
図4
図5
図2
図3