【実施例】
【0043】
実施例1
SWOSC-V相当材の線材から呼称径(d)96 mm、厚さ(a1)3.8 mm、幅(h1)2.5 mmの矩形断面で、外周面をバレルフェイス形状としたピストンリングを作製し、このピストンリングを50本重ね、外周面をショットブラストによりRz
JISで1.6μmの表面粗さに調製し、AIP装置内にセットした。蒸発源としては、対向する全ての蒸発源ターゲットに純度99.9%の金属クロムを使用した。まず、純度99.99%のArガス1.0 Paの雰囲気中、-900 Vのバイアス電圧を印加してボンバードメント処理により母材となるピストンリング外周面を清浄化した後、母材と下地層の密着性改善を目的として金属Cr層のみを成膜した。
【0044】
(下地層の形成)
実施例1の下地層としては、金属クロム電極のアーク電流150 A、プロセスガスを純度99.999%のN
2ガス1.5 Pa、バイアス電圧 -25 V、テーブル回転数3 rpmの条件でCrN層の形成を36秒間行った後、プロセスガスを純度99.99%のArガス1.0 Pa、バイアス電圧-10 Vに切り替えてCr層の形成を54秒間行う、というサイクルを400回繰り返して、CrN/Cr積層皮膜を成膜した。得られたCrN/Cr積層皮膜被覆ピストンリングからサンプルを抽出し、次の測定に供した。
【0045】
(膜厚測定)
上記サンプルについて、被覆面に垂直なピストンリング断面を鏡面研磨し、走査電子顕微鏡(SEM)により観察、撮影した写真からCrN/Cr積層皮膜の膜厚を測定した。実施例1の膜厚は25.5μmであった。また、皮膜は、僅かではあるが金属Crのパーティクルを含んでいた。CrN層1層とCr層1層からなるCrN/Cr積層単位厚さは上記膜厚25.5μmと積層サイクルの繰り返し回数(400回)から0.0638μm(63.8 nm)と算出された。
【0046】
(X線回折測定)
X線回折強度は、鏡面研磨した被覆面に平行な表面について、管電圧40 kV、管電流30 mAのCu-Kα線を使用して2θ=35〜70°の範囲で測定した。測定した結果、CrN(200)面で最大ピーク強度を示し、続いてCr(110)面、CrN(111)面と続く回折ピークを示した。また、CrN(200)面とCr(110)面にて、次のScherrerの式を用いて結晶子サイズD
hklを算出した。
D
hkl=Kλ/βcosθ………………………………………………………(1)
ここで、KはScherrerの定数で0.94、λはX線の波長(Cu:1.54046Å)、βは半値全幅(FWHM)、θはBragg角である。実施例1のCrN層の結晶子サイズは24.2 nm、Cr層の結晶子サイズは21.1 nmであり、よって、CrN層とCr層の結晶子サイズの和は45.3 nmとなる。膜厚から計算した積層単位厚さ63.8 nmは、CrNとCrの角結晶子サイズの和の1.4倍であった。
【0047】
(下地層の研磨)
実施例1の下地層として形成したCrN/Cr積層皮膜をラップ研磨して、最表面の表面粗さをRaで0.029μmとした。なお、最表面を鏡面研磨したところ、
図3に示すような形態のCrN及びCrからなる複合組織が得られたことが確認された。
【0048】
(中間層と非晶質硬質炭素皮膜の形成)
研磨処理したピストンリングを洗浄処理した後、下地層を形成したAIP装置とは別のAIP装置内にセットした。蒸発源としては、中間層用に純度99.9%の金属クロム陰極(13,14)と非晶質硬質炭素皮膜用に純度99.9%のカーボン陰極(15,16)を使用した。まず、ガス排出口(12)に接続された真空ポンプ(図示しない)によって、真空容器(10)内を所定の真空度とした後、純度99.99%のArガス1.0 Paの雰囲気中、-900 Vのバイアス電圧を印加してボンバードメント処理により下地層の形成されたピストンリング外周面を清浄化した後、Cr中間層と非晶質硬質炭素皮膜を形成した。テーブル回転数を5 rpmとし、実施例1のCr中間層は、金属クロム陰極(13, 14)のアーク電流50 A、プロセスガスとしてArとH
2の混合ガス1.8 Pa、バイアス電圧0 Vの条件で30分間成膜し、非晶質硬質炭素皮膜は、カーボン陰極(15,16)のアーク電流80 A、真空中、バイアス電圧 -100V(但し、成膜開始時のバイアス電圧を-800 Vに設定し、その後連続的に-100 Vまで下げている)の条件で50分間成膜した。得られた非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングについて、皮膜表面のパーティクル等の突起物を一定量内に制御するためラップ処理した後、次の測定及び評価を行った。
【0049】
(中間層の厚さ)
中間層の厚さは、カロテスト(簡易膜厚測定法)により求めた。実施例1の中間層の厚さは0.24μmであった。
【0050】
(非晶質硬質炭素皮膜の厚さ)
非晶質硬質炭素皮膜の厚さは、カロテスト(簡易膜厚測定法)により求めた。実施例1の非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8μmであった。
【0051】
(非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量の測定)
非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量は、HFS(Hydrogen Forward scattering Spectrometry)分析により測定した。実施例1の水素含有量は0.6原子%であった。
【0052】
(密着性の評価)
非晶質硬質炭素皮膜について、ロックウェル圧痕試験(圧子:先端半径0.2 mmかつ先端角120°のダイヤモンド円錐、押付荷重:1470 N(150 kgf)を5カ所行い、圧痕周辺部の皮膜の状態から、以下の基準で密着性を評価した。評価が◎、○、△であれば実用上問題ないと判断できる。
◎:試験ケ所全ての圧痕周辺部に欠陥が認められなかったもの
○:試験ケ所のいずれか1ケ所に微細な欠陥が見られたもの
△:試験ケ所の2カ所以上に微細な欠陥が見られたもの
×:皮膜に剥離等の欠陥が発生したもの
実施例1は◎の評価であった。
【0053】
実施例2〜6
実施2〜6は、実施例1と同様、表1に示す成膜条件のイオンプレーティングによりCrN/Cr積層皮膜からなる下地層を形成した。表1には実施例1の成膜条件も併せて示す。なお、表1に記載のない成膜条件は、実施例1と同じとした。実施例2はCrN層とCr層の形成時間を実施例1よりも短くし、実施例3はCrN層形成の際のN
2分圧を高くし且つバイアス電圧を小さくして、比較的ポーラスなCrN層としている。また、実施例4、5及び6はCrN層とCr層の形成時間を長くして、厚めの積層単位厚さとした。実施例4ではCrN層の形成時間をCr層の形成時間に比べ長くし、Cr層の比率を小さめとした。
【0054】
【表1】
【0055】
実施例2〜6のCrN/Cr積層皮膜からなる下地層について、一部のピストンリングからサンプルを抽出して膜厚測定とX線回折測定を行った。結果を、実施例1も含め、表2に示す。下地層の膜厚は17.6〜28.8μm、CrNの結晶子サイズは22.5〜35.4 nm、Crの結晶子サイズは19.6〜28.3 nm、積層単位厚さは44.0〜360.0 nmであった。T/Sは1.0〜5.8の範囲にあり、特に実施例1〜3はCrN層の膜厚とCr層の膜厚が各結晶子サイズに近い値であった。また、実施例3では、CrNとCrだけでなく、僅かではあったがCr
2Nが形成されていた。
【0056】
【表2】
* T/Sは(積層単位厚さ/CrNとCrの結晶子サイズの和)を示す。
【0057】
実施例2〜6の残りのピストンリングの下地層をラップ研磨した。一部のピストンリングについては最表面を鏡面研磨して組織観察した結果、全て、CrNとCrからなる複合組織を示していた。残りのピストンリングについて洗浄処理した後、表3に示す成膜条件で中間層と非晶質硬質炭素皮膜を同じAIPバッチ内で形成した。基本的にアーク電流とバイアス電圧は実施例1と同じとし、成膜時間を変えて異なる膜厚となるようにした。表3には成膜条件の他に、下地層のラップ研磨後の表面粗さRaの測定結果も示すが、0.019〜0.042μmの範囲内にあった。
【0058】
【表3】
【0059】
得られた実施例2〜6の非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングについて、皮膜表面のパーティクル等の突起物を一定量内に制御するためラップ処理した後、中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性について、実施例1と同様に測定及び評価を行った。結果を表4に示す。中間層の厚さは0.11〜0.42μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.7〜1.2μm、水素含有量は0.4〜1.2原子%、密着性も実施例1〜4で極めて良好であった。
【0060】
【表4】
【0061】
実施例7及び8
実施例7は、CrN層の代わりにCrCN層とした以外は、実施例1と同様にして、CrCN/Cr積層皮膜からなる下地層を形成した。ここで、CrCN層の形成に使用したプロセスガスはN
2ガス0.87 Pa、CH
4ガス0.54 Pa及びArガス0.09 Paとした。実施例8は、実施例7のCrCN層の形成時間をCr層の形成時間より長くして、すなわち、形成時間をそれぞれ、0.9分と0.6分として、Cr層の比率を小さめにした。また中間層と非晶質硬質炭素皮膜の厚さも小さめになるよう成膜時間を変更した。表5に下地層の成膜条件、表6に下地層の膜厚測定とX線回折測定の結果、表7に中間層と非晶質硬質炭素皮膜の成膜条件、表8に中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性についての測定及び評価の結果を示す。
【0062】
【表5】
ここで、実施例7及び実施例8は、いずれも積層単位繰り返し数は400とした。
【0063】
【表6】
** X線回折チャート上ではCrCNはCrNのピークと区別できない。ここではCrNとしている。
【0064】
【表7】
【0065】
【表8】
【0066】
実施例7及び8のCrCN/Cr積層皮膜を下地層とした非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングも、下地層最表面の組織は、CrCNとCrからなる複合組織を呈しており、また、水素含有量が0.5原子%及び0.8原子%の非晶質硬質炭素皮膜で、かつ極めて優れた密着性を示していた。
【0067】
実施例9〜12
実施例9〜12は、CrN/Cr積層皮膜の代わりに、CrN/TiN積層皮膜を下地層として形成した。AIPは、ターゲットに純度99.9%の金属クロム陰極(13)と純度99.9%の金属チタンを使用し、ボンバードメント処理によるピストンリング外周面の清浄化の後、純度99.999%のN
2ガスを導入し、各陰極(13,14)のアーク電流、被処理物に印加したバイアス電圧、テーブル回転速度等の、表9に示す成膜条件で行った。
【0068】
【表9】
【0069】
実施例9〜12のCrN/TiN積層皮膜の下地層について、一部のピストンリングからサンプルを抽出して膜厚測定とX線回折測定を行った。結果を表10に示す。下地層の膜厚は20.9〜29.8μm、CrNの結晶子サイズは13.3〜24.3 nm、TiNの結晶子サイズは15.2〜28.5 nm、積層単位厚さは29.0〜149.0 nmであった。T/Sは1.0〜3.4の範囲にあり、特に実施例9〜11はCrN層の膜厚とTiN層の膜厚が各結晶子サイズに近い値であった。
【0070】
【表10】
【0071】
下地層形成後、ラップ研磨、中間層及び非晶質硬質炭素皮膜の形成についても、実施例1と同様に行った。表11に中間層と非晶質硬質炭素皮膜の成膜条件、表12に中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性についての測定結果について示す。中間層の厚さは0.18〜0.33μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8〜1.2μm、水素含有量は0.7〜1.2原子%、密着性も実施例9〜11で極めて良好であった。
【0072】
【表11】
【0073】
【表12】
【0074】
実施例13〜16
実施例13〜16は、実施例9〜12の残りのピストンリングにおいて、金属Cr中間層の代わりに金属Ti中間層を形成した以外は実施例9〜12と同様して、中間層及び非晶質硬質炭素皮膜の形成を行った。表13に成膜条件、表14に中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性についての測定結果を示す。中間層の厚さは、0.13〜0.23μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8〜1.2μm、水素含有量は0.8〜1.2原子%、密着性も実施例13〜15で極めて良好であった。
【0075】
【表13】
【0076】
【表14】
【0077】
実施例17及び18
実施例17及び18は、実施例1の残りのピストンリングにおいて、金属中間層と非晶質硬質炭素皮膜の形成を、AIP装置の代わりにUMS装置を用いて行った。UMS装置はスパッタターゲットを4源装着、バイアス電源としてDCパルスバイアス電源を有している。実施例17は、UMS装置内に2基装着したCrスパッタターゲットを用いて0.1 PaのAr雰囲気中で金属Cr中間層を形成した後、C
2H
2ガス(C
2H
2/(C
2H
2+Ar)比:30%)を導入してCVDにより水素含有非晶質硬質炭素皮膜を形成した。ここで、成膜時間は4時間、UBMコイル電流は1A、ターゲット電力は5 kW、(Ar+C
2H
2)のガス圧は0.3 Pa、バイアス電圧は-1000V、パルス周波数を1 kHz、パルス1周期中のバイアス電圧のon-off比を30%とした。また、実施例18は、UMS装置内に2基のCrスパッタターゲット、2基のW-Cスパッタターゲット装着して、実施例17の水素含有非晶質硬質炭素皮膜の代わりに、タングステン含有非晶質硬質炭素皮膜を形成した。実施例18における成膜時間は18時間とした以外の成膜条件は実施例17と同じとした。表15に中間層の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜の厚さ、非晶質硬質炭素皮膜中の水素含有量、及び密着性についての測定結果を示す。中間層の厚さは、0.8〜0.9μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは実施例17が4.3μm、実施例18が16.2μm、水素含有量は実施例17が31.2原子%、実施例18が20.8原子%、表面粗さはどちらも0.01μmで極めて良好、密着性も極めて良好であった。
【0078】
【表15】
【0079】
比較例1
実施例1の下地層を形成する工程を省略して、SWOSC-V相当材の実施例1で使用したピストンリングに、実施例1と同様にして、直接中間層及び非晶質硬質炭素皮膜を被覆した。但し、ピストンリング母材の表面粗さは、Raで0.03μmに調整した。中間層の厚さは0.26μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8μm、水素含有量は0.8原子%、密着性評価は皮膜に大きな剥離が生じて×評価であった。
【0080】
比較例2
実施例1のCrN/Cr積層皮膜からなる下地層の代わりに、CrN単層からなる下地層を使用した以外は、実施例1と同様にして、非晶質硬質炭素皮膜被覆ピストンリングを作製した。下地層の厚さは23μm、中間層の厚さは0.25μm、非晶質硬質炭素皮膜の厚さは0.8μm、水素含有量は0.7原子%、密着性評価は△であった。
【0081】
比較例3
摩擦損失評価用の比較例として、上記比較例2のCrN単層からなる下地層を最表面として、中間層及び非晶質硬質炭素皮膜を被覆しないピストンリングを作製した。
【0082】
(摩擦損失の評価)
実施例1、7、9及び比較例3について、浮動ライナー式フリクション測定用エンジンに組み込み、摩擦平均有効圧力(Friction Mean Effective Pressure:FMEP)を測定して摩擦損失を評価した。相手材のシリンダライナーは鋳鉄とし、面粗度はRaで0.2μmとした。また、セカンドリング及びオイルリングは、既存のリングを使用した。
図5は評価に用いた浮動ライナー式フリクション測定用エンジンの構造について示したものである。シリンダー(23)に結合された荷重測定用センサー(24)によりピストン(22)に装着されたピストンリング(21)が上下方向に摺動する際にシリンダライナーに加わる摩擦力を測定する。試験条件は、エンジン回転数:1500 rpm、負荷:15 N・m、潤滑油温度:90℃、冷却水温度:100℃とした。CrN皮膜のみの比較例3のFMEPを100としたときの実施例1、7及び9で測定されたFMEPは、それぞれ、91、89、93で、非晶質硬質炭素皮膜によりFMEPが7〜11%減少した。なお、トップリング、セカンドリング及びオイルリングの張力は6、5及び20 Nに設定した。