特許第5973677号(P5973677)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】5973677
(24)【登録日】2016年7月22日
(45)【発行日】2016年8月23日
(54)【発明の名称】質量分析を用いたタンパク質の定量方法
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/62 20060101AFI20160809BHJP
   G01N 33/483 20060101ALI20160809BHJP
   C12Q 1/02 20060101ALI20160809BHJP
   A61K 39/395 20060101ALI20160809BHJP
   A61P 35/00 20060101ALN20160809BHJP
   C07K 16/28 20060101ALN20160809BHJP
【FI】
   G01N27/62 V
   G01N27/62 D
   G01N27/62 X
   G01N33/483 E
   C12Q1/02ZNA
   A61K39/395 D
   A61K39/395 N
   !A61P35/00
   !C07K16/28
【請求項の数】9
【全頁数】15
(21)【出願番号】特願2015-540321(P2015-540321)
(86)(22)【出願日】2013年10月3日
(86)【国際出願番号】JP2013076977
(87)【国際公開番号】WO2015049763
(87)【国際公開日】20150409
【審査請求日】2016年2月3日
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(73)【特許権者】
【識別番号】510097747
【氏名又は名称】国立研究開発法人国立がん研究センター
(74)【代理人】
【識別番号】100091096
【弁理士】
【氏名又は名称】平木 祐輔
(74)【代理人】
【識別番号】100118773
【弁理士】
【氏名又は名称】藤田 節
(74)【代理人】
【識別番号】100171505
【弁理士】
【氏名又は名称】内藤 由美
(72)【発明者】
【氏名】青木 豊
(72)【発明者】
【氏名】嶋田 崇史
(72)【発明者】
【氏名】佐藤 孝明
(72)【発明者】
【氏名】濱田 哲暢
(72)【発明者】
【氏名】新間 秀一
【審査官】 藤田 都志行
(56)【参考文献】
【文献】 特表2013−506856(JP,A)
【文献】 特表2005−522713(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2010/0276585(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 27/62
G01N 33/483
C12Q 1/02
A61K 39/395
A61P 35/00
C07K 16/28
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
Science Direct
CiNii
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
生物学的サンプル中のタンパク質を高速液体クロマトグラフ質量分析によって定量するための方法であって、該タンパク質が、該タンパク質に特異的なアミノ酸配列、および測定対象の該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通するアミノ酸配列の双方を有し、該共通するアミノ酸配列からなるペプチドについて質量分析で得られたピーク面積値を用いて、上記特異的なアミノ酸配列を有するペプチドについてのピーク面積値を補正することを含む、上記方法。
【請求項2】
生物学的サンプル中のタンパク質が被験者に投与されたタンパク質である、請求項1記載の方法。
【請求項3】
タンパク質が抗体である、請求項1または2記載の方法。
【請求項4】
抗体がモノクローナル抗体である、請求項3記載の方法。
【請求項5】
抗体がヒト化抗体である、請求項3または4記載の方法。
【請求項6】
生物学的サンプル中のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチドと、他の内在性タンパク質と共通するアミノ酸配列からなるペプチドとを同時に多重反応モニタリング(MRM)モードにて分析することを特徴とする、請求項1〜5のいずれか1項記載の方法。
【請求項7】
請求項1〜6のいずれか1項記載の方法に用いる生物学的サンプルの前処理方法であって、該サンプル中のタンパク質の変性・還元処理を15分以上、プロテアーゼ処理を3〜6時間行う、前処理方法。
【請求項8】
サンプル中のタンパク質に由来するペプチドを分離するための高速液体クロマトグラフィーと、分離されたペプチドの定量を行うための質量分析計とを備えた、サンプル中の2以上のペプチドを同時に定量する高速液体クロマトグラフ質量分析システムであって、サンプル中のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値を、該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通する該タンパク質のアミノ酸配列からなるペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値で補正する演算部を更に有することを特徴とする、システム。
【請求項9】
入力装置、記憶装置、演算装置を備えるコンピュータに、サンプル中のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチド由来のピーク面積値を、該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通する該タンパク質のアミノ酸配列からなるペプチド由来のピーク面積値で補正する処理を実行させる、高速液体クロマトグラフ質量分析のためのプログラム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、サンプル中のタンパク質の定量方法に関し、具体的には、高速液体クロマトグラフィー(High Performance Liquid Chromatography:以下、HPLC)と質量分析(Mass Spectrometry:以下、MS)を組み合わせた高速液体クロマトグラフ質量分析(HPLC-MS)によるタンパク質の定量方法に関する。
【0002】
また、本発明は、高速液体クロマトグラフ質量分析のためのサンプルの前処理方法に関する。
【背景技術】
【0003】
近年、ある種の疾患において、特定のタンパク質の発現の亢進または低下が疾患と関連することが明らかとなってきており、例えば癌においては、特定の癌遺伝子の過剰発現が疾患の原因となっている場合が知られている。また、アルツハイマー病等の神経変性性疾患においても、特定のタンパク質の過剰発現・蓄積が発症の原因とされている。こうした疾患の治療の一つの選択肢として、タンパク質に特異的に結合し得る抗体の投与が考えられる。例えば乳癌では、HER2/neu癌遺伝子の発現産物であるHER2タンパク質の過剰発現が認められる場合があり、これに対する特異的な治療法として、HER2特異的モノクローナル抗体であるトラスツズマブ(trastuzumab、商品名ハーセプチン(Herceptin)(登録商標))が開発され、臨床にも適用されている。
【0004】
一方、医薬品の薬効は、患者におけるその血中濃度と関連し得ることから、血中濃度からの至適投与量の設定が期待されている。従来、血液中のタンパク質医薬品の濃度測定にはリガンド結合アッセイ(Ligand Binding Assay:以下、LBS)や酵素免疫測定法(Enzyme-Linked ImmunoSorbent Assay:以下、ELISA)が広く用いられており、上記のトラスツズマブにおいてもELISA法での定量が可能である。
【0005】
また、最近では高速液体クロマトグラフィー(HPLC)と質量分析法(MS)を組み合わせて用いることによって、血液中のタンパク質医薬品の濃度を測定することが可能となっている。この方法では、まず高速液体クロマトグラフィーによりサンプル成分を分離し、次いで質量分析法にてタンパク質医薬品由来の特異的配列の断片を分析することで、構造情報の把握、および定量分析を同時に行うことが可能である(特許文献1、非特許文献1−2)。しかしながら、この方法は、臨床においてはまだ実用化には至っていない。
【0006】
分析対象となるタンパク質医薬品由来の特異的配列の断片を生じさせるためには、サンプル調整が非常に重要である。巨大分子であるタンパク質医薬品を分析するには断片化が必要であり、プロテアーゼ処理を用いる断片化を効率的に実施するために、従来法として、プロテアーゼ処理に先立って、熱・pH・圧力・変性剤を用いての変性処理、ジスルフィド結合を切断するためのジチオトレイトール(dithiothreitol:以下、DTT)、2-メルカプトエタノール(2-mercaptoethanol:以下2-ME)やトリス(2-カルボキシエチル)ホスフィン塩酸塩(Tris (2-carboxyethyl) phosphine hydrochloride:以下、TCEP)での還元処理、チオール基の保護、不可逆的な解離状態維持のためのヨードアセトアミド(2-iodoacetamide:以下IAA)によるアルキル化処理等が行われている。その後、プロテアーゼ処理を実施し、脱塩カラムなどを用いて精製・溶出を実施してから、HPLCに供し、分離したサンプルを多重反応モニタリング(Multiple Reaction Monitoring; MRM)モードにて分析することにより、定量解析することができる。質量分析の際には、内部標準として、サンプル中に安定同位体元素標識ペプチド等を添加することが一般的である。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特表2010-515020号公報
【非特許文献】
【0008】
【非特許文献1】Journal of pharmaceutical and biomedical analysis. 2000 Jan;21(6):1099-128.
【非特許文献2】Journal of pharmaceutical and biomedical analysis. 2008 Feb 13;46(3):449-55.
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0009】
医薬品の投与量は一般的に患者の体重を基準として算定されているが、個々の患者の体内における薬物動態は、その患者の薬物代謝能や健康状態等によって変動し得る。従って、同一量のタンパク質医薬品を投与しても、患者によってその血中濃度は異なり、そのために得られる治療効果にもバラつきが生じることとなり得る。タンパク質医薬品の血中濃度が治療濃度範囲(有効血中濃度)より低ければ、目的とする効果を得ることはできず、一方治療濃度範囲よりも高ければ、有害事象が生じ得る。従って、個々の患者にとって最適の治療効果を達成するためには、その体内動態を把握することが重要となる。血中濃度を迅速かつ的確に定量することができれば、タンパク質医薬品の過剰投与による有害事象の回避と、患者の特性に合わせた投与量の調整とが可能になる。特に、抗体医薬は高価であり、投与計画を最適にすることはコストの面からも重要である。
【0010】
現在広く用いられている測定法であるLBSやELISAでは、タンパク質医薬品ごとに抗原の特定や抗体の作製が必須である。しかしながら、抗体の品質の変動が解析の誤差に繋がるため、高品質の抗体が必要となるが、抗体の作製には莫大な時間を要する上、タンパク質医薬品自体の構造を確認することができない。更に、標準曲線がシグモイド曲線であるという特徴から検出範囲限界近傍では正確な濃度計測が困難となり、また原理的にも異常値を出す性質があるため、検証が困難であることが知られている。
【0011】
HPLCとMSを組み合わせた定量方法においても、前処理のステップが多く、長時間を要するため、大量の検体を測定する処理時間は膨大なものとなる一方、血中濃度の分析結果を治療に反映させるといった迅速な対応も不可能であった。更に、血中に存在する多量のタンパク質の阻害作用もあるため、タンパク質医薬品の前処理中における損失を考慮すれば、1回の採血量が多量となり、侵襲性が増大し得る。
【0012】
また、抗体の調製と同様に、ターゲットに合わせた内部標準品の調製においても時間と費用を要する。しかしながら、操作時の誤差を補正し、再現性が高い測定結果を得るために、内部標準物質の使用が好ましい場合がある。
【課題を解決するための手段】
【0013】
本発明が解決しようとする課題は、血液中のタンパク質医薬品の濃度を簡便且つ迅速に測定するための、タンパク質医薬品由来の特異的配列の断片の検出方法を提供することである。
【0014】
本発明者等は、まず、HPLC-MSによる分析のためのサンプルの前処理方法について検討し、いくつかの工程がより短縮化できることを見出した。また、MRMモードにおける分析を行う際に、従来のような内部標準を用いることなく精度の高い分析が可能であることも見出し、本発明を完成させるに至った。
【0015】
すなわち、本発明の態様は以下の通りである。
【0016】
1.生物学的サンプル中のタンパク質を高速液体クロマトグラフ質量分析によって定量するための方法であって、該タンパク質が、該タンパク質に特異的なアミノ酸配列、および測定対象の該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通するアミノ酸配列の双方を有し、該共通するアミノ酸配列からなるペプチドについて質量分析で得られたピーク面積値を用いて、上記特異的なアミノ酸配列を有するペプチドについてのピーク面積値を補正することを含む、上記方法。
【0017】
2.生物学的サンプル中のタンパク質が被験者に投与されたタンパク質である、上記1記載の方法。
【0018】
3.タンパク質が抗体である、上記1または2記載の方法。
【0019】
4.抗体がモノクローナル抗体である、上記3記載の方法。
【0020】
5.抗体がヒト化抗体である、上記3または4記載の方法。
【0021】
6.生物学的サンプル中のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチドと、他の内在性タンパク質と共通するアミノ酸配列からなるペプチドとを同時に多重反応モニタリング(MRM)モードにて分析することを特徴とする、上記1〜5のいずれか記載の方法。
【0022】
7.上記1〜6のいずれか記載の方法に用いる生物学的サンプルの前処理方法であって、該サンプル中のタンパク質の変性・還元処理を15分以上、プロテアーゼ処理を3〜6時間行う、前処理方法。
【0023】
8.サンプル中のタンパク質に由来するペプチドを分離するための高速液体クロマトグラフィーと、分離されたペプチドの定量を行うための質量分析計とを備えた、サンプル中の2以上のペプチドを同時に定量する高速液体クロマトグラフ質量分析システムであって、サンプル中のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値を、該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通する該タンパク質のアミノ酸配列からなるペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値で補正する演算部を更に有することを特徴とする、システム。
【0024】
9.入力装置、記憶装置、演算装置を備えるコンピュータに、サンプル中のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値を、該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通する該タンパク質のアミノ酸配列からなるペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値で補正する処理を実行させる、高速液体クロマトグラフ質量分析のためのプログラム。
【発明の効果】
【0025】
本発明の方法を用い、タンパク質医薬品をMRMモードで分析して得られたタンパク質医薬品特異的な配列のペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値を、内在性分子と共通する配列のペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値で補正することで、より正確な検量線を作成することができ、低濃度〜高濃度までの広い濃度範囲において、精度良く検出することができる。
【0026】
本発明の方法は、従来法と比較して、より短時間で前処理を実施することが可能である。この前処理法を標準化プロトコルとし、LC-MSの前部分に設置しうる前処理装置開発の基礎的技術とすることもできる。
【0027】
また本発明の方法によって、抗体医薬等のあらゆるタンパク質医薬品の分析が可能であり、臨床応用に幅広く対応できる。タンパク質医薬品の適正投与量が速やかに判明することで、医療費の削減が可能となり、また新たに出てくる他のタンパク質医薬品への応用が可能である。
【図面の簡単な説明】
【0028】
図1】質量分析法を用いたタンパク質医薬品の血中濃度測定の従来の処理法のフローチャートを示す。
図2】還元処理の所要時間を検討した結果を、還元処理後のサンプルをSDS-PAGEにかけた結果で示す。
図3】アルキル化処理の有無による検出ピーク強度の比較を示す。システイン残基を含むペプチド断片ではアルキル化処理が必要であり、一方システイン残基を含まないペプチド断片ではアルキル化処理は必要ではないことが明らかであった。
図4】プロテアーゼ(Trypsin/Lys-c)処理の所要時間を検討した結果を示す。3〜6時間の処理で12時間の処理と同等程度の検出強度であった。
図5】抗体濃度希釈の方法について説明する図を示す。
図6】サンプル注入量0.0001〜1μgにて取得したペプチドLLIYSASFLYSGVPSR(配列番号15)(m/z 887.0,2+>m/z 359.2)のピーク面積値をプロットすることで作成した検量線を示す。下段は、低量領域の拡大図を示す。
図7】サンプル注入量0.0001〜1μgにて取得したペプチドLLIYSASFLYSGVPSR(配列番号15)(m/z 887.0,2+>m/z 359.2)のピーク面積値をペプチドSGTASVVCLLNNFYPR(配列番号18)(m/z 899.5,2+>m/z 272.2)のピーク面積値で割った値をプロットすることで作成した検量線を示す。下段は、低量領域の拡大図を示す。
【発明を実施するための形態】
【0029】
本発明の方法は、高速液体クロマトグラフ質量分析を用いた、生物学的サンプル中のタンパク質を質量分析によって定量するための方法である。本発明の方法は、被験者の体内に内在する特定のタンパク質を定量することも可能であるが、多くの場合、タンパク質は、被験者に投与されたタンパク質である。
【0030】
生物学的サンプルとは、特定のタンパク質、特に投与されたタンパク質医薬品、例えば抗体医薬が存在することが想定される、被験者から採取したサンプルであって、例えば血液(全血または血漿)、唾液、胸水、腹水等の体液、標的領域組織由来のサンプル等であり得る。
【0031】
生物学的サンプルは、まず、分析対象のタンパク質の定量に不要な他の夾雑物の除去のために必要な前処理を行う。前処理は、当分野において公知のいずれの方法を用いることもでき、例えば遠心分離、各種クロマトグラフィー、透析等による分離、また変性・還元処理、アルキル化処理、プロテアーゼ処理等が挙げられる。この段階で、サンプル中には医薬として投与されたタンパク質と、被験者が内在的に有するタンパク質とが含まれ、同時に前処理が実施される。
【0032】
本発明の方法において、被験者は哺乳動物、特にヒトである。
【0033】
本発明の方法によって定量されるタンパク質は、特に限定するものではないが、該タンパク質に特異的なアミノ酸配列と、測定対象の該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通するアミノ酸配列とを有するものであることが必要である。分析に先立って、タンパク質のプロテアーゼ処理によって特異的なアミノ酸配列を有するペプチドと、共通するアミノ酸配列を有するペプチドとを取得する。従って、定量対象のタンパク質自身は、アミノ酸のみからなるタンパク質であっても良いが、前処理によって適切なペプチドが得られるものであれば良く、製剤化のために必要な修飾、例えば保護基によって修飾されたものであっても良く、また糖鎖がついたものであっても良い。
【0034】
本発明において分析に用いられるペプチドは、いずれも生物学的サンプル中のタンパク質に含まれるアミノ酸配列からなるものである。上記タンパク質の定量のためのペプチドは、上記タンパク質に特異的なアミノ酸配列を含むものである。
【0035】
本発明の方法において、好ましいタンパク質は抗体である。抗体は、特定の抗原に結合するための可変領域と、定常領域とを有するため、これらの領域を利用して本発明の方法を実施することが可能である。可変領域において、好ましくは抗原と直接接触する超可変領域である相補性決定領域(CDR)のアミノ酸配列を含むペプチドを定量することが好ましい。抗体は好ましくは免疫グロブリン(IgG)モノクローナル抗体である。当分野において周知のように、IgG抗体は2本の重鎖および2本の軽鎖から構成されており、重鎖および軽鎖のそれぞれに抗原と特異的に結合するための可変領域が存在する。
【0036】
測定対象のタンパク質が抗体の場合、その特異的なアミノ酸配列は、抗体の可変領域に由来するアミノ酸配列である。特に、CDR内のアミノ酸配列であることが好ましい。その場合、分析するためのペプチド断片にCDRの全部または一部が含まれていれば良く、高速液体クロマトグラフ質量分析による高精度の分析のため、CDRのアミノ酸配列の1以上、2以上、3以上、4以上、5以上、6以上、7以上、または8以上の残基がペプチド中に含まれていれば良い。一方、内在性タンパク質と共通するアミノ酸配列とは、定常領域に由来するアミノ酸配列とすることができる。上記特異的なアミノ酸配列と上記共通するアミノ酸配列とは、測定対象の抗体のアミノ酸配列中に含まれていれば良く、それぞれ重鎖または軽鎖のいずれに由来するものであっても良い。
【0037】
また、抗体としてはヒト抗体、非ヒト抗体、キメラ抗体、ヒト化抗体を利用することができるが、被験者がヒトの場合には、ヒト抗体、キメラ抗体、ヒト化抗体であり、投与される抗体に対する被験者の拒絶反応が生じないようにするために、ヒト化抗体を使用することが特に好適である。キメラ抗体は、ヒト由来の定常領域と、非ヒト由来の可変領域とを有する。ヒト化抗体は、ヒト由来の抗体のフレームワークと、非ヒト由来のCDRとを有する。
【0038】
本発明の方法において、質量分析にかけるペプチドは、特に限定するものではないが、分析の感度および精度等を考慮して、5〜50個、好ましくは6〜40個程度のアミノ酸長のものである。従って、医薬品であるタンパク質は、質量分析にかける前にプロテアーゼ処理によって適切な長さのものとする。処理に用いるプロテアーゼとしては、トリプシン、Lysc、GluC、AspN、キモトリプシン等が挙げられる。
【0039】
本発明の方法によってHER2特異的モノクローナル抗体トラスツズマブ(trastuzumab、商品名ハーセプチン(Herceptin)(登録商標))の定量を行う場合を例として具体的に説明する。
【0040】
トラスツズマブは、重鎖が449アミノ酸(配列番号1)、軽鎖が214アミノ酸(配列番号2)からなるモノクローナルIgG抗体である。配列番号1で示される重鎖アミノ酸配列中、CDR1-3に対応するアミノ酸配列は、それぞれ残基26-35(配列番号3)、残基50-66(配列番号4)、残基99-116(配列番号5)からなる配列である。一方、配列番号2で示される軽鎖アミノ酸配列中、CDR1-3に対応するアミノ酸配列は、それぞれ残基24-34(配列番号6)、残基50-56(配列番号7)、残基89-97(配列番号8)からなる配列である。従って、本発明の方法によってトラスツズマブの定量を行う場合には、これらのCDRの配列の一部または全部を含むように標的ペプチドを作製すれば良い。
【0041】
下記の表1に、プロテアーゼ(Trypsin/Lys-C Mix)処理によって得られる、重鎖および軽鎖中に含まれる標的ペプチドの例をそれぞれ示す。重鎖CDR1-3に対してペプチドH1〜H5(配列番号9−13)、軽鎖CDR1-3に対してペプチドL1-L3(配列番号14−16)が使用可能と考えられる。尚、表中、重鎖および軽鎖のアミノ酸配列中で下線を引いた配列部分がCDRの配列にそれぞれ該当し、太字で示す配列部分が標的ペプチド(候補)に該当する配列である。当業者であれば、異なるプロテアーゼを使用した場合には異なるペプチドが得られることが理解でき、その場合における、本発明の方法に好適な標的ペプチドを想定することができる。同様にして、他の抗体の定量を目的とする場合も、同様にして標的ペプチドを得ることが可能である。
【表1】
【0042】
本発明の方法は、特に高速液体クロマトグラフ質量分析を用いることを特徴とする。
【0043】
高速液体クロマトグラフィーは、当分野において公知の技術であり、当業者であれば、本発明の方法において使用可能な装置を適宜用いることができる。HPLCは、例えばNexera UHPLC/HPLCシステム(島津製作所)を用いて行うことができる。
【0044】
本発明の方法では、上記特異的なアミノ酸配列を有するペプチドと、上記共通するアミノ酸配列を有するペプチドとを、HPLCによって分離されたサンプルから同時に多重反応モニタリング(MRM)モードにて分析することができる。MRMモードによる質量分析方法は当分野において公知である。本発明の方法において、質量分析は、上記HPLCと併せて例えばLCMS-8080(島津製作所)を用いて行うことができる。
【0045】
分析後、対象のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチド由来のピーク面積値を、対象のタンパク質とは異なる別の内在性タンパク質と共通する配列を有するペプチド由来のピーク面積値で補正する。具体的には、対象のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチド由来のピーク面積値を対象のタンパク質とは異なる別の内在性タンパク質と共通する配列を有するペプチド由来のピーク面積値で割った数値を用いてプロットし、検量線を作成する。
【0046】
この補正によって、サンプル中の目的のタンパク質の量が0.0001〜1μgの範囲で、0.9以上の重相関係数R2を担保することができる。特に、タンパク質の量が非常に少ない場合、例えば注入量0.0001〜0.001μgの範囲であっても、非常に高い精度で定量することができる。
【0047】
また、本発明者等は、質量分析に先立つ前処理の所要時間を短縮することができることを見出した。
【0048】
図1に、サンプルとして血漿を用いてIgG抗体医薬を定量する場合の従来のHPLC-MS法の手順を示す。
【0049】
被験者から採取した血液より血漿を分離し、その後、例えば抗体(免疫グロブリンG、IgG)以外を吸着するMelon gel(サーモフィッシャーサイエンティフィック株式会社)に血漿を添加し、遠心処理によりIgGを含む画分を取得してIgGプールとする。このIgGプールに対して変性・還元・アルキル化処理を実施し、重鎖と軽鎖に切断されたIgGをプロテアーゼ処理によって抗体タンパク質を分解してペプチドにする。脱塩後、HPLCに供し、分離し、MRMモードにて分析を実施する(LC-MS/MS)(図1)。
【0050】
本発明者等は、上記の前処理の各工程について、従来用いられていたよりも時間を短縮可能であることを見出した。例えば、従来90分程度を要していたタンパク質の変性・還元処理は15分以上であれば良好な結果を得ることができ、また、約12時間で行っていたプロテアーゼ処理を6時間以内で行うことができることを確認した。この処理は数分程度、例えば1-2分間の極めて短い時間でも可能であるが、好ましくは15分間以上、30分間以上、1時間以上、2時間以上、または3時間以上である。また、分析するペプチドを適切に選択することにより、従来40分程度を要していたアルキル化処理は省略することが可能であることが判明した。これにより、アルキル化処理が不要の場合には、従来の前処理方法と比較して8時間強の短縮が達成された(表2)。これは、大量の検体を同時に分析しなければならない場合や、また患者由来のサンプルの分析結果を直ちにフィードバックしてその後の治療に役立てたい場合に非常に有利である。
【表2】
【0051】
従って本発明の方法は更に、上記の方法によって得られた被験者におけるタンパク質医薬品の血中濃度の測定値に基づいて、その後に投与するタンパク質の量を変動させる、例えば投与するタンパク質の量を増加させる、または減少させるステップを含めることもできる。
【0052】
本発明はまた、サンプル中のタンパク質に由来するペプチドを分離するための高速液体クロマトグラフィーと、分離されたペプチドの定量を行うための質量分析計とを備えた、サンプル中の2以上のペプチドを同時に定量する高速液体クロマトグラフ質量分析システムであって、サンプル中のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値を、該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通する該タンパク質のアミノ酸配列からなるペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値で補正する演算部を更に有することを特徴とする、システムを提供する。質量分析計は、具体的には、試料導入部、イオン化室、分析部、検出部、記録部等を含む。イオン化法としては、化学イオン化(CI)法、フィールドデソープション(FD)法、高速原子衝突(FAB)法、matrix-assisted laser desorption ionization(MALDI)法、エレクトロスプレーイオン化(ESI)法等を用いればよい。また、分析部は、二重収束質量分析計、四重極型質量分析計、飛行時間型質量分析計、フーリエ変換イオンサクロトロン共鳴質量分析計等が用いられる。
【0053】
本発明は更に、入力装置、記憶装置、演算装置を備えるコンピュータに、サンプル中のタンパク質に特異的なアミノ酸配列を有するペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値を、該タンパク質とは異なる他の内在性タンパク質と共通する該タンパク質のアミノ酸配列からなるペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値で補正する処理を実行させる、高速液体クロマトグラフ質量分析のためのプログラムを提供する。
【実施例】
【0054】
以下に実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、本発明はこれらの実施例に限定されるものではない。
【0055】
[実施例1]
高速液体クロマトグラフ質量分析のための前処理方法の検討
被験者の血液中のHER2特異的モノクローナル抗体トラスツズマブの高速液体クロマトグラフ質量分析を実施するために、以下のように前処理方法の検討を行った。
【0056】
1.抗体含有サンプルの取得
被験者から採血後、血漿を分離して取得し、その後、抗体(免疫グロブリンG、IgG)以外を吸着するMelon gel(サーモフィッシャーサイエンティフィック株式会社)に血漿を添加し、遠心処理によりIgGを含む画分を取得してIgGプールとした。
【0057】
2.変性・還元処理
得られた抗体含有サンプルについて変性・還元処理を行った。ドデシル硫酸ナトリウム(Sodium lauryl sulfate:以下、SDS)−ポリアクリルアミドゲル電気泳動(Poly-Acrylamide Gel Electrophoresis:以下、PAGE)を用いて比較評価を実施した。トラスツズマブ(20mg/ml)を8M Urea、25mM トリス(2-カルボキシエチル)ホスフィン塩酸塩(TCEP)で処理時間(90分、60分、30分、15分、5分)の検討を実施した。室温(25℃)で15分間の処理によってS-S結合の切断で生じた重鎖と軽鎖の大きさの位置にバンドの出現を確認した(図2)。その結果、還元処理は15分以上であれば十分であることが確認された。
【0058】
3.アルキル化
前処理におけるアルキル化処理の必要性について比較評価を実施した。トラスツズマブ(20 mg/ml)を変性・還元処理後、アルキル化処理(+)とアルキル化処理(−)とし、プロテアーゼ(Trypsin/Lys-C Mix, Mass Spec Grade、Promega社製)で断片処理を行い、トラスツズマブ由来のペプチド(AEDTAVYYCSR(配列番号17)およびLLIYSASFLYSGVPSR(配列番号15))を用いて、MRMモードによる質量分析を実施し、それぞれの断片から生成されるピークの面積値にて比較評価を行った。結果を図3に示す。尚、ここで用いたペプチドは、アルキル化処理の必要に関しての検討等のためにのみ使用したものであり、本発明でいうトラスツズマブに特異的であるか否かとは無関係である。
【0059】
その結果、システイン残基を含むAEDTAVYYCSR(配列番号17)(m/z 1278.6)は+57Da(m/z 1335.6)の2価イオン(m/z 667.8)として検出され、生成ピークはm/z 847.4、748.3、585.2であった。一方、LLIYSASFLYSGVPSR(配列番号15)(m/z 1773.0)は2価イオン(m/z 887.0)として検出され、生成ピークはm/z 1183.6、1112.6、1025.5、359.2であった。システイン残基が配列に含まれる断片を用いた場合、アルキル化処理を行った場合の方が検出強度が高く、アルキル化処理を行った方が良好な結果が得られたが(左図)、配列にシステイン残基を含んでいない断片を用いた場合はアルキル化処理の有無による検出強度は同等レベルであり(右図)、アルキル化処理の必要がないことが確認された。
【0060】
4.プロテアーゼ処理
プロテアーゼ処理の消化時間の検討は、従来の前処理後、サンプルにTrypsin/Lys-Cをタンパク質:プロテアーゼ=25:1(w/w)の割合で混和し、37℃で様々な時間(12時間、6時間、3時間、1時間、0.5時間、0.25時間)でインキュベーションし、ペプチド分解による質量分析結果を比較した。その結果、3〜6時間のプロテアーゼ処理で12時間の処理と同等の検出強度が得られた(図4)。
【0061】
[実施例2]
1.サンプル中のトラスツズマブの定量
トラスツズマブ(ハーセプチン(登録商標)20mg/ml)、ヒトIgG(PURIFIED HUMAN IGG、カッペル社)(20mg/ml)を用いて、トラスツズマブをヒトIgGで2倍希釈、10倍希釈、20倍希釈、100倍希釈、200倍希釈、1000倍希釈、2000倍希釈、10000倍希釈と添加希釈系列を作製し、サンプルとした(図5参照)。
【0062】
2.高速液体クロマトグラフィー(HPLC)
希釈サンプル各々5μlを8M 尿素43.75μl、25mM TCEP(最終濃度)環境下にて室温(25℃)で15分間の変性・還元処理を実施した後、80mM ヨードアセトアミド(IAA、最終濃度)を添加し、室温(25℃)で40分間、暗中でアルキル化処理を実施した。次に、50mM Tris-HCl(pH8.0)で尿素の最終濃度を1 Mに希釈するのと同時に、トリプシン/Lys-Cをタンパク質:プロテアーゼ=25:1(w/w)の割合で混和し、37℃ 6時間のプロテアーゼ処理を実施した。その後、脱塩処理を実施し、70% アセトニトリル/0.1% ギ酸 50μlで溶出を2回繰り返し(Monospin-C18、ジーエルサイエンス株式会社)、溶出されたサンプルを0.1% ギ酸 100μlで2倍希釈した。前処理したサンプル4μlをLC部に供した。移動相A:0.1% ギ酸、移動相B:0.1% ギ酸/70% アセトニトリル、0.01分 2%B、0.01分から10.00分95 %B、10.00分から12.50分95%B、12.50分2%B、12.5分から15.00分2%B、カラム温度50℃、流速0.4ml/分の条件の下、分離を実施した。HPLCはNexera UHPLC/HPLCシステム(島津製作所)で行った。
【0063】
3.質量分析(MS)
HPLCによって分離されたサンプルを連続的にMS部に導入し、MRMモードにて、トラスツズマブ特異的なアミノ酸配列(LLIYSASFLYSGVPSR(配列番号15))のペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値、並びに内在性のヒトIgGとの共通なアミノ酸配列(SGTASVVCLLNNFYPR(配列番号18))のペプチド由来のシグナルから発生する断片のピーク面積値による定量分析を実施した。MSはQTRAP 4500(AB SCIEX社製)でMRMモードにより行った。
【0064】
取得したデータより検量線を作成すると、本発明の方法による補正をしない場合でも、トラスツズマブの注入量0.0001〜1μgの範囲で重相関係数R2=0.9877、注入量0.0001〜0.001μgの範囲であっても、R2=0.9983と精度よく検量線が作成できた。更に、トラスツズマブ特異的なアミノ酸配列(LLIYSASFLYSGVPSR(配列番号15))より取得した面積値を、内在性抗体と共通なアミノ酸配列(SGTASVVCLLNNFYPR(配列番号18))より取得した面積値で割ることで補正を実施すると、LLIYSASFLYSGVPSR(配列番号15)の検量線はサンプル注入量0.0001〜1μgの広範囲で、R2=0.9877よりR2=0.993となり、直線性が一層向上した(図6および7)。
【0065】
[実施例3]
トラスツズマブ由来の各種ペプチド
表3は、トラスツズマブ由来の種々の特異的アミノ酸配列を有するペプチドを用いた検量線の作成において、直線性(R2>0.9)を担保したペプチド断片の例を示す。いずれのペプチドも、本発明の方法により、R2>0.9の精度が達成された。
【表3】
【産業上の利用可能性】
【0066】
タンパク質医薬品の血中濃度が簡便かつ迅速に定量できることにより、タンパク質医薬品の過剰投与による有害事象の回避と患者の特性に合わせた投与量の調整が可能になる。従来は患者の体重を基準に投与量が換算されていたのに対し、個々の患者への適正投与量についての情報が容易に得られ、医療費の削減や、新たに出てくる他のタンパク質医薬品への応用が可能であり、波及効果が期待できる。
【0067】
本明細書で引用した全ての刊行物、特許および特許出願をそのまま参考として本明細書にとり入れるものとする。
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
【配列表】
[この文献には参照ファイルがあります.J-PlatPatにて入手可能です(IP Forceでは現在のところ参照ファイルは掲載していません)]