【課題を解決するための手段】
【0015】
而して請求項1のものは、質量%でC:0.06〜0.18%,Si:0.01〜0.60%,Mn:0.10〜3.00%,S:0.001〜0.030%,Cu:0.001〜0.40%,Ni:0.001〜0.40%,Cr:0.10〜2.00%,Mo:
0.15〜1.00%,V:0.20〜
0.40%,残部Fe及び不可避的不純物から成り、且つ下記式(1)の値が1.4以下,式(2)の値が16.5以下,式(3)の値が20.0〜35.0を満たす組成を有
し、ベイナイト組織の面積率が85%以上で且つ硬さが36HRC以下であることを特徴とする。
15×[C]−[Mo]−2×[V]・・式(1)
4×[C]+[Si]+4×[Mn]+[Cu]+[Ni]+5×[Cr]+4×[Mo]+5×[V]・・式(2)
3×[C]+10×[Mn]+2×[Cu]+2×[Ni]+12×[Cr]+9×[Mo]+2×[V]・・式(3)
(但し式(1)〜式(3)中の元素記号は対応する元素の含有質量%を表す)
【0018】
請求項
2のものは、請求項
1において、100μmを一辺とする正方形の領域を観察領域とし、該観察領域10視野における短手方向寸法5μm以上の大きなサイズのセメンタイトが平均で5個以下であり、且つサイズに拘らず合計のセメンタイトの割合が面積率で平均10%以下であることを特徴とする。
【0019】
以上のような本発明は、時効硬化型ベイナイト非調質鋼における靭性に対して組織中のセメンタイトが大きく関与していること、具体的にはセメンタイトの生成量が多くなると、そこにはサイズの大きなセメンタイトが多く生成し、また形状的にもアスペクト比が大で細長い形態の大きなセメンタイトが多く存在するようになること、そしてそれらセメンタイトが起点となってクラックが発生し易くなること、特に細長い形のセメンタイトにて組織が分断されるとともに、そのセメンタイトの末端に応力集中してクラックが発生し、更に発生したクラックが細長いセメンタイトに沿って伝播進行し易く、このことが靭性を大きく劣化させるとの知見に基づいてなされたものである。
【0020】
かかる本発明は、この知見に基づいて、時効硬化処理の際に炭化物形成して硬さを高める重要な成分であるところのCの含有量を低量としてセメンタイトの生成を抑制し、そしてCの低量化による硬さの低下を他の合金元素で補うようにしたものである。
【0021】
また本発明では、単に鋼中のCの含有量を低量化するだけでなく、Cの含有量と、炭化物形成元素であるMo,Vの含有量との関係を適正にバランスさせることにより、鋼に含有されるCのうちFeと結合してセメンタイトを生成するCの量を少なくし、また併せて熱間加工後の硬さを支配する元素の含有量を適正に制御するとともに、ベイナイト単相化に必要な、ベイナイト形成元素の含有量を適正に制御し、鋼の特性を高め得た点を骨子としたものである。
【0022】
かかる本発明によれば、従来課題であった靭性の不十分さの問題を解決し得、靭性に優れた時効硬化型ベイナイト非調質鋼を得ることができる。
【0023】
本発明の時効硬化型ベイナイト非調質鋼は、時効硬化処理前の組織が実質的にベイナイト単相組織であること、詳しくはベイナイト組織の面積率が85%以上である
。より好ましくは90%以上である。
【0024】
時効硬化処理前の組織中にフェライト組織が混在していると、時効硬化特性が低下するばかりでなく、耐力比,耐久比も低下し、疲労強度の低下が懸念される。従って時効硬化処理前の組織はベイナイト単相組織であることが望ましい。
【0025】
更に時効硬化処理前の硬さは36HRC以下であ
る。
時効硬化処理前の硬さが36HRC以下であることによって、時効硬化処理に先立って加工を行う際の被削性等の加工性が良好となる。
尚、時効硬化処理前の硬さは33HRC以下であることがより望ましい。
一方で、時効硬化処理前の硬さは25HRC以上であることが望ましく、より好ましくは27HRC以上であることが望ましい。
時効硬化処理前の硬さが低ければ、それだけ被削性等の加工性は良くなるものの、その後時効硬化処理(析出硬化)により硬さを高めたとしても十分にその硬さを硬くすることが難しくなる。
【0026】
本発明の時効硬化型ベイナイト非調質鋼は、500〜700℃の温度での時効硬化処理により、硬さが時効硬化処理前の硬さよりも4HRC以上高くなるものとしておくことが望まし
い。より望ましくは5HRC以上高くなるものとしておくのが良い。
【0027】
時効硬化処理前の硬さと時効硬化処理後の硬さの差が大きくなることによって、時効硬化処理前での良好な被削性を確保する一方、その後の時効硬化処理によって所要の硬さを得られやすくなる。
【0028】
本発明では、鋼組織中におけるセメンタイトの大きさ,量を以下の大きさ,量としておくこと、詳しくは、100μmを一辺とする正方形の領域を観察領域とし、観察領域10視野における短手方向寸法5μm以上の大きなサイズのセメンタイトが平均で5個以下であり、且つサイズに拘らず合計のセメンタイトの割合が面積率で平均10%以下としておくことが望ましい。
【0029】
セメンタイトの大きさ,量をこのように制御しておくことで、後に明らかにされるように時効硬化型ベイナイト非調質鋼における靭性を効果的に高め得ることを確認した。
【0030】
尚本発明の時効硬化型ベイナイト非調質鋼は、例えば以下のようにして製造することができる。
即ち圧延,鍛造等の熱間加工後又は固溶化熱処理後に温度800℃〜300℃の間を0.05〜10℃/秒の平均冷却速度で、通常は空冷により冷却することで製造することができる。
【0031】
その後に必要に応じて切削加工や塑性加工等の加工を施し、しかる後に500〜700℃の温度にて1.5〜4時間かけて時効処理を施すことにより、靭性に優れた、目的とする硬さの部品を得ることができる。
【0032】
次に本発明における各化学成分の限定理由等につき、以下に詳述する。
C:0.06〜0.18%
Cは強度を確保するために必要な元素であるとともに、時効硬化処理によりMo,Vの炭化物を析出させて鋼を高硬度化する。その働きのために0.06%以上が必要であり、0.06%未満では所要の硬さ,強度が確保できない。
一方、0.18%を超えて多量に含有させるとセメンタイト量が増加し、同時にアスペクト比が大で細長い形の大きなセメンタイトが増加して、それらがクラックの発生起点及び伝播経路となり、疲労強度特性を劣化させるため、Cの含有量を0.18%以下とする。Cの望ましい含有量の範囲は0.08〜0.14%未満である。
【0033】
Si:0.01〜0.60%
Siは鋼の溶製時の脱酸剤として加えられる。また鋼の疲労強度を高める働きがある。その働きのために0.01%以上含有させる必要がある。
一方、0.60%を超えて多量に含有させると熱間鍛造等の熱間加工性を損ね、製造性を低下させる。また熱間加工後の切削加工等の加工時の素材の硬さが過剰となり、加工性を劣化させるため上限を0.60%とする。望ましい範囲は0.05〜0.55%の範囲内である。
【0034】
Mn:0.10〜3.00%
Mnは本発明において重要な役割を果たす元素であり、熱間加工後の組織をベイナイト組織とするために不可欠な元素である。またMnは被削性向上に寄与するMn系硫化物を形成するためにも必須の元素である。その働きのため本発明では0.10%以上含有させる。
一方、3.00%を超えて多量に含有させるとマルテンサイト組織を現出させやすく、熱間加工後の硬さを高め、被削性の低下を招くだけでなく熱間加工性も損ねるため、上限を3.00%とする。好ましくは0.50〜2.20%の範囲内とする。
【0035】
S:0.001〜0.030%
SはMnとともに被削性向上に寄与するMn系硫化物の必須生成元素である。その含有量が0.001%未満では硫化物の生成量が不足し被削性が不十分となるため、本発明では0.001%以上含有させる。
一方、0.030%を超えて過剰に含有させると、鋼の靭性と延性が損なわれ、またその介在物が疲労破壊の起点となり、疲労強度特性を劣化させるため上限を0.030%とする。望ましい範囲は0.015〜0.030%の範囲内である。
【0036】
Cu:0.001〜0.40%
Ni:0.001〜0.40%
Cu,Niはフェライト・パーライト変態開始曲線を長時間側に移動させ、相対的にベイナイトを生成させ易くする働きを有し、また固溶強化によりベイナイト素地の硬さの向上に寄与する元素で、本発明ではその働きのためCu,Niそれぞれを0.001%以上含有させる。
但し0.40%を超えて過剰に添加すると硬くなり過ぎるため、含有量を0.40%以下とする。
望ましい範囲は0.10〜0.30%の範囲内である。
【0037】
Cr:0.10〜2.00%
Crはベイナイト組織を生成させるために不可欠な元素であり、ベイナイト組織を安定に生成させるために0.10%以上含有させる。
一方、2.00%を超えて多量に含有させると、熱間加工後の硬さが高くなって被削性の低下を招き、また熱間加工性も損ねるため上限を2.00%とする。
望ましい範囲は0.20〜1.80%の範囲内である。
【0038】
Mo:
0.15〜1.00%
Moは本発明において重要な役割を果たす元素であり、時効硬化処理によって鋼の硬さを増加させる。またMoはベイナイト組織を生成させるためにも不可欠な元素である。更にMoはMo炭窒化物を時効硬化処理により析出させると耐力比を向上させ、且つ耐久比を高めるため、高強度化において重要な元素である。それらの働きのために本発明では
0.15%以上含有させる。
一方、1.00%を超えて多量に含有させると、熱間加工後の硬さを高め、鋼の加工性を損ね、かつコストアップに繋がるため、上限を1.00%とする。
望ましい範囲は0.15〜0.30%の範囲内である。
【0039】
V:0.20〜
0.40%
Vは本発明において重要な役割を果たす元素であり、時効硬化処理によって硬さを増加させる。
Vはまた、Moとともにベイナイト組織を生成させるために不可欠な元素であり、更にVは炭窒化物を時効硬化処理により析出させると耐力比を向上させ、かつ耐久比を高めるため高強度化において重要な元素である。その働きのため本発明では0.20%以上含有させる。
一方
、過剰に含有させると、熱間加工後の硬さを高め、被削性等の加工性を低下させるだけでなく、熱間鍛造等の熱間加工性も損ね、かつコストアップに繋がるため上限を
0.40%とする。望ましい範囲は
0.20〜0.35%であり、より望ましくは
0.20〜0.30%の範囲内である。
【0040】
本発明では合金の上記効果(特性)に影響を与えない範囲で以下のP,N,Al等の成分が含まれていても良い。
P:製鋼工程上の不可避不純物として混入しうる元素であるが、Pは鋼の靭性を低下させるので、その含有率は0.04質量%以下とするのがよい。
【0041】
N:Alと結合して窒化物を形成し,この窒化物が微細に析出して熱間鍛造時の結晶粒成長を抑制して強度向上に寄与する。このような効果を得るためには0.005%以上含有されていることが必要である。多量に含有されていてもその効果は飽和し、却って粗大な炭窒化物が核となりフェライトを生成させやすくなり時効硬化特性を低下させ強度低下を招いてしまう。さらには鋳造時にブローホールなどが発生して鋼塊の健全性が損なわれるため0.025%以下であるのがよい。
【0042】
Al:溶製時の脱酸剤として含有されるが、その場合には0.001%以上が必要。多量に含有されると粗大な酸化物や炭窒化物が生成し、これが起点となって疲労強度が低下するため、0.10%以下であるのがよい。
【0043】
式(1)の値:≦1.4 (式(1)・・15×[C]−[Mo]−2×[V])
式(1)はセメンタイト生成量を表す指数となるもので、式(1)の値が大きい程セメンタイトが生成し易く、逆に小さいほどセメンタイト生成が抑制される。詳しくはMo,Vの量が多くなればそれらがCと結合して炭化物形成し、Feと結合してセメンタイト生成するC量を少なくする。
従ってセメンタイトの生成を少なくするためには、Cを低量とするとともに、式(1)の値を小さくすることが必要であり、そしてセメンタイトの生成を少なくすることにより、粗大なまたアスペクト比が大で細長い形の大きなセメンタイトの生成を抑制でき、それらセメンタイトがクラックの発生起点及び伝播経路となることになる靭性の低下を効果的に抑制することができる。
【0044】
特にCを上記のように低量とした上で、式(1)の値を1.4以下とすることで、鋼中に生成するセメンタイトの量やサイズを以下のように規制することができる。
即ち、100μmを一辺とする正方形の領域を観察領域とし、その観察領域10視野における短手方向寸法5μm以上の大きなサイズのセメンタイトが平均で5個以下であり、且つサイズに拘らず合計のセメンタイトの割合が面積率で平均10%以下となるように規制し易い。
【0045】
式(2)の値:≦16.5 (式(2)・・4×[C]+[Si]+4×[Mn]+[Cu]+[Ni]+5×[Cr]+4×[Mo]+5×[V])
この式(2)の値は熱間鍛造等の熱間加工後(以下単に熱間鍛造後とする)、より詳しくは時効硬化処理前の硬さを表わす指数となるものであり、その値が大きい程熱間鍛造後硬さは硬く、また小さい程熱間鍛造後硬さは低くなる。
【0046】
本発明においては、この式(2)の値を16.5以下とすることで、熱間鍛造後硬さを目標とする36HRC以下とすることができる。そしてこれにより時効硬化処理に先立つ被削性等の加工性を高めることができる。
尚、時効硬化処理前の硬さは低ければ低い方が加工性は良好となるが、一方でその後に時効硬化処理を行って硬さを高くしたときに、十分にその硬さを硬くすることが難しくなる。従ってこの意味において時効硬化処理前の熱間鍛造後硬さは一定以上に高くしておくことが望ましい。具体的にはその硬さを25HRC以上、好ましくは27HRC以上としておくことが望ましい。またこれを達成する上で、式(2)の値を11以上としておくことが望ましい。
【0047】
式(3)の値:20.0〜35.0 (式(3)・・3×[C]+10×[Mn]+2×[Cu]+2×[Ni]+12×[Cr]+9×[Mo]+2×[V])
式(3)はベイナイトを安定して形成するための指数となるもので、本発明では、時効硬化処理前の鋼組織を実質的にベイナイト単相組織とする上で、詳しくはベイナイト組織の面積率を85%以上とする上で、この式(3)の値を20.0〜35.0の範囲内とすることが必要である。
【0048】
例えば鋼組織中にフェライト組織が15%以上混在すると時効硬化特性が低下するばかりでなく、耐力比,耐久比も低下し、そのことが疲労強度の低下に繋がる問題が懸念される。従って熱間鍛造後組織をベイナイト単相とすることが望ましい。
【0049】
このベイナイト単相化のための式(3)は次のような意味を有している。
本発明では、時効硬化処理によってMo,Vの炭化物を析出させ、その析出強化によって鋼を高硬度化,高強度化するものであるが、このようにMo,V等の炭化物を2次析出させる技術自体は、焼入れ焼戻し処理では一般に用いられている技術である。しかしながら焼入れ焼戻し処理のように素材状態をマルテンサイト組織とした場合には、炭化物の析出によって焼入れ硬さよりも高い硬さを得るといったことはできない。
【0050】
しかるに式(3)によって鋼組織をベイナイト組織とした場合には、時効硬化処理前の素材状態の下で、その硬さを低硬度とすることができ、また一方その後の625℃程度の温度での加熱保持による時効硬化処理によって、鋼の硬さを、炭化物の2次析出前の当初のベイナイト組織状態での硬さよりも硬くすることができ、そのことによって強度―被削性バランスに優れた材料を提供することが可能となる。