【課題を解決するための手段】
【0008】
そこで、本発明者らは、前述のような観点から、特にチタン合金、耐熱合金鋼、ステンレス鋼などの難削材の切削加工を、高速切削条件で切削加工した場合に、硬質被覆層がすぐれた耐衝撃性、耐溶着性、耐チッピング性および耐摩耗性を併せ持つ被覆工具を開発すべく、鋭意研究を行った結果、工具基体の表面に、従来被覆工具の硬質被覆層であるAlとTiとの合量に占めるTiの含有割合が25〜55原子%となるようにTi成分を含有させたAlとTiの複合窒化物層(以下、(Al,Ti)N層と示す)を下部層として0.5〜5.0μmの平均層厚で形成し、これの上に、AlとCrとの合量に占めるCrの含有割合が25〜50原子%となるようにCr成分を含有させたAlとCrの複合窒化物層(以下、(Al,Cr)N層と示す)を中間層として0.5〜5.0μmの平均層厚で形成し、さらにその上に、Crの窒化物層(以下、CrN層と示す)を上部層として0.5〜5.0μmの平均層厚で形成することにより、下部層の(Al,Ti)N層が、すぐれた耐摩耗性、耐熱性、耐欠損性を示し、また、中間層を構成する(Al,Cr)N層が、すぐれた耐酸化性、耐熱性を示し、上部層を構成するCrN層が、すぐれた潤滑性、耐溶着性を示すと共に、(Al,Cr)N層とCrN層との接合により、すぐれた耐衝撃性、耐チッピング性、耐クラック進展性が奏され、さらに、(Al,Ti)N層と、(Al,Cr)N層と、CrN層の積層からなる相乗効果により、すぐれた耐欠損性(靱性向上)と耐摩耗性を発揮するようになる。したがって、特に、加工時に刃先への溶着が激しい難削材の高速切削加工において、切刃部が高温になったとしても耐熱性にすぐれ、その結果、切刃部におけるチッピング(微少欠け)の発生が抑制され、長期に亘ってすぐれた耐摩耗性が発揮されるという新規な知見を得た。
【0009】
さらに、工具基体の表面に、AlとTiの合量に占めるTiの含有割合が25〜55原子%となるようにTi成分を含有させた平均層厚0.5〜5.0μmの(Al,Ti)N層を蒸着形成し、その上に、AlとCrとの合量に占めるCrの含有割合が25〜50原子%となるようにCr成分を含有させた平均層厚0.5〜5.0μmの(Al,Cr)N層を蒸着形成し、さらにその上に、平均層厚0.5〜5.0μmのCrN層を順に形成した積層構造からなる硬質被覆層を構成すると、CrN層はすぐれた潤滑性、耐溶着性を示し、また、これと積層形成される(Al,Cr)N層はすぐれた耐酸化性および耐熱性を示すことから、高熱発生を伴う切削加工においても、CrN層のすぐれた耐溶着性は維持されることを見出した。
すなわち、チタン合金、ステンレス鋼等の難削材の高速切削加工において、切刃部が高温になったとしても、CrN層に不足する耐溶着性を、これに積層される(Al,Cr)N薄層が補完し、硬質被覆層全体として被削材との耐摩耗性も改善され、その結果、切刃部におけるチッピング(微少欠け)の発生が防止され、長期に亘ってすぐれた耐摩耗性が発揮されるという新規な知見を得た。
さらに、本発明者らは、下部層の(Al,Ti)N層および中間層の(Al,Cr)N層のヤング率に着目して詳細に研究を行ったところ、下部層の(Al,Ti)N層については、下部層に期待される耐摩耗性、耐熱性、耐欠損性を十分に発揮させるためには、被削材や切削条件に限らず、ヤング率が400〜550GPaのヤング率であるとき(Al,Ti)N層の有する耐摩耗性、耐熱性、耐欠損性がより有効に発揮される。一方、中間層の(Al,Cr)N層については、ヤング率が150〜300GPaの下部層に比べて低ヤング率であるとき、(Al,Cr)N層の耐欠損性が強化されるため、チタン合金、ステンレス鋼等の損傷形態が溶着チッピング等の異常損傷で寿命となりやすい、すなわち、加工時に刃先への溶着が激しい難削材の高速切削加工において、特にすぐれた切削性能を発揮することを見出した。
【0010】
本発明は、前述したような新規な知見に基づき、発明者らが鋭意研究を重ねた結果、完成するに至ったものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金または炭窒化チタン基サーメットで構成された工具基体の表面に硬質被覆層を形成してなる表面被覆切削工具において、
前記硬質被覆層が、
(a)0.5〜5.0μmの平均層厚を有し、かつ、
組成式:(Al
1−xTi
x)N(ここで、xはAlとTiの合量に占めるTiの含有割合を示し、原子比で、0.25≦x≦0.55である)を満足し、ヤング率Eが400GPa≦E≦550GPaであるするAlとTiとの複合窒化物層からなる下部層と、
(b)0.5〜5.0μmの平均層厚を有し、かつ、
組成式:(Al
1−yCr
y)N(ここで、yはAlとCrの合量に占めるCrの含有割合を示し、原子比で、0.25≦y≦0.50である)を満足し、ヤング率Eが150GPa≦E≦300GPaであるAlとCrとの複合窒化物層からなる中間層、
(c)0.5〜5.0μmの平均層厚を有するCrの窒化物層からまる上部層、
前記下部層、中間層、上部層の積層構造からなることを特徴とする表面被覆切削工具。」
を特徴とするものである。
【0011】
つぎに、本発明の被覆工具の硬質被覆層の構成層に関し、前記の通りに数値限定した理由を説明する。
【0012】
(a)下部層を構成する(Al,Ti)N層の組成および平均層厚:
下部層を構成する(Al,Ti)N層の構成成分であるAl成分には硬質被覆層における高温硬さを向上させ、同Ti成分には高温強度を向上させる作用があるが、Tiの含有割合を示すx値がAlとの合量に占める割合(原子比、以下同じ)で0.25未満になると、所定の高温強度を確保することができず、これが耐摩耗性低下の原因となり、一方、Tiの含有割合を示すx値が同0.55を越えると、相対的にAlの含有割合が減少し、高速切削加工で必要とされる高温硬さを確保することができず、チッピングの発生を防止することが困難になることからx値を0.25〜0.55と定めた。
また、下部層を構成する(Al,Ti)N層の平均層厚が0.5μm未満では、自身の持つすぐれた耐摩耗性を長期に亘って発揮するには不十分であり、一方、その平均層厚が5.0μmを越えると、前記の高速切削では切刃部にチッピングが発生し易くなることから、その平均層厚を0.5〜5.0μmと定めた。
【0013】
(b)中間層を構成する(Al,Cr)N層の組成および平均層厚:
中間層を構成するAlとCrの複合窒化物からなる(Al,Cr)N層は、すぐれた耐酸化性、耐熱性を有するとともに、その構成成分であるCr成分によって、すぐれた潤滑性を備えるようになり、また、Al成分によって、高温硬さを補完する。そのため、高温切削条件下でも低摩擦係数が維持され、すぐれた耐熱性を発揮するようになるが、Crの含有割合を示すy値がAlとの合量に占める割合(原子比、以下同じ)で0.25未満になると、潤滑性を確保することができないために耐溶着性を期待することはできず、一方、Crの含有割合を示すy値が同0.50を越えると、相対的にAlの含有割合が減少し、難削材の高速切削加工で必要とされる高温硬さ確保することができないばかりか、耐摩耗性も低下し、チッピング発生を防止することが困難になることから、y値を0.25〜0.50(原子比、以下同じ)と定めた。
また、中間層を構成する(Al,Cr)N層の平均層厚が0.5μm未満では、自身のもつすぐれた耐酸化性、耐熱性を長期に亘って発揮するには不十分であり、一方、その平均層厚が5.0μmを越えると、高速切削では、耐熱性の不足が顕在化し、切刃部にチッピングが発生し易くなることから、その平均層厚を0.5〜5.0μmと定めた。
【0014】
(c)上部層を構成するCrN層の平均膜厚:
上部層を構成するCrN層は、すぐれた耐溶着性を有するとともに、その構成成分であるCr成分によって、すぐれた潤滑性を備えるようになるが、平均層厚が0.5μm未満では、自身のもつすぐれた耐溶着性を長期に亘って発揮するには不十分であり、一方、その平均層厚が5.0μmを越えると、高速切削では、耐溶着性の不足が顕在化し、切刃部にチッピングが発生し易くなることから、その一層平均層厚を0.5〜5.0μmと定めた。
すなわち、前述した中間層を構成する(Al,Cr)N層は、硬質被覆層に耐酸化性、耐熱性を付与し、上部層を構成するCrN層は、耐溶着性、潤滑性を付与するために設けたものであるが、それぞれの平均層厚が0.5〜5.0μmの範囲内であれば、中間層および上部層からなる積層構造は、すぐれた耐酸化性、耐熱性、耐溶着性、潤滑性を具備したあたかも一つの層であるかのように作用するが、それぞれの平均層厚が5.0μmを超えると、(Al,Cr)N層の耐酸化性、耐熱性不足、あるいは、CrN層の耐溶着性、潤滑性不足が層内に局所的に現れるようになり、中間層と上部層が全体として一つの層としての良好な特性を呈することができなくなるため、それぞれの層の平均層厚を0.5〜5.0μmと定めた。
【0015】
(d)下部層の(Al,Ti)N層および中間層の(Al,Cr)N層のヤング率:
中間層の(Al,Cr)N層は、ヤング率が150〜300GPaの範囲に含まれるような下部層に比べて低ヤング率であるとき、外部応力が加わった際の皮膜の変形量が増加し、クラック等の発生を阻止するため、耐欠損性を向上させることができる。そのため、チタン合金、ステンレス鋼等の損傷形態が溶着チッピング等の異常損傷で寿命となりやすい難削材の高速切削加工において、特にすぐれた切削性能を発揮する。一方、中間層の(Al,Cr)N層のヤング率が、150GPaよりも低下すると、耐摩耗性の低下が著しいため好ましくなく、一方、300GPaより高くなると、皮膜靭性の低下による耐欠損性が低下してしまうため、皮膜の崩壊や剥離が起こりやすくなる。そのため、チタン合金鋼、ステンレス鋼等の難削材の高速切削加工においては好ましくない。したがって、本発明においては、中間層の(Al,Cr)N層のヤング率は150〜300GPaと定めた。
【0016】
一方、下部層の(Al,Ti)N層については、下部層に期待される耐摩耗性、耐熱性、耐欠損性を十分に発揮させるためには、被削材や切削条件に限らず、ヤング率が400〜550GPaの中間層と比べて高ヤング率であるとき(Al,Ti)N層の有する耐摩耗性、耐熱性、耐欠損性がより有効に発揮される。そのため、本発明においては、下部層の(Al,Ti)N層のヤング率は400〜550GPaと定めた。
なお、下部層と中間層のヤング率の差と耐摩耗性、耐熱性、耐欠損性との関係について、数多くの切削試験を行って検証したところ、前記のヤング率の差が100GPa以上であるとき、より、すぐれた耐摩耗性、耐熱性、耐欠損性を示すことが確認された。したがって、下部層と中間層のヤング率の差は100GPa以上とすることが、好ましい。前述の切削試験の結果の一部について、後に実施例として詳述する。
【0017】
なお、本発明の硬質被覆層を構成する(Al,Ti)N層、(Al,Cr)N層、CrN層は、
図1に概略説明図で示される物理蒸着装置の1種であるアークイオンプレーティング装置に工具基体を装入し、ヒーターで装置内を、例えば、500℃の温度に加熱した状態で、装置内に所定組成の金属Crからなるカソード電極(蒸発源)、所定組成のAl−Ti合金からなるカソード電極(蒸発源)および所定組成のAl−Cr合金からなるカソード電極(蒸発源)を配置し、アノード電極とカソード電極(蒸発源)としてのAl−Ti合金との間に、例えば、電流:110Aの条件でアーク放電を発生させ、同時に装置内に反応ガスとして窒素ガスを導入して、例えば、3Paの反応雰囲気とし、一方、工具基体には、例えば、−100Vのバイアス電圧を印加した条件で所定時間蒸着することにより、所定の目標層厚の下部層である(Al,Ti)N層が形成される。そして、アノード電極とカソード電極としてのAl−Cr合金の間に、例えば、電流:110Aの条件でアーク放電を発生させ、同時に装置内に反応ガスとして窒素ガスを導入して、例えば、5Paの反応雰囲気とし、一方、工具基体には、例えば、−100Vのバイアス電圧を印加した条件で所定時間蒸着することにより、所定の目標層厚である(Al,Cr)N層が形成される。さらに、アノード電極とカソード電極としての金属Crの間に、例えば、電流:110Aの条件でアーク放電を発生させ、同時に装置内に反応ガスとして窒素ガスを導入して、例えば、3Paの反応雰囲気とし、一方、工具基体には、例えば、−55Vのバイアス電圧を印加した条件で所定時間蒸着することにより、所定の目標層厚であるCrN層が形成される。このようにして、中間層の上に、所定の目標層厚の上部層であるCrN層が形成され、3層の積層構造からなる、本発明の硬質被覆層を蒸着形成することができる。