【課題を解決するための手段】
【0009】
そこで、本発明者らは、前述のような観点から、特に軟鋼、一般鋼、高硬度鋼等の切削加工を、高速切削条件で切削加工した場合に、硬質被覆層がすぐれた耐摩耗性および耐欠損性を併せ持つ被覆工具を開発すべく、鋭意研究を行った。
その結果、
(1)(Al,Cr)N層は、高硬度な皮膜であり、硬質被覆層に適した材質ではあるが、従来の成膜方法で形成した場合、ヤング率が高くなり、これが原因で、皮膜の靭性が低下し、欠損の発生が増加する。
(2)本発明者らは、(Al,Cr)N層のヤング率は、膜形成時のバイアス電圧と反応雰囲気圧を調整することにより再現性よく、コントロールすることができることを見出したが、(Al,Cr)N層をすべてヤング率が低い層として形成すると、(Al,Cr)N層の有する高硬度であるという特性を生かすことができず、耐摩耗性が低下してしまう。
(3)そこで、本発明者らは、硬質被覆層を低ヤング率の(Al,Cr)N層からなる薄層Aと耐熱性および耐摩耗性にすぐれた(Al,Ti)N層からなる薄層Bとを交互積層させることにより、低ヤング率の(Al,Cr)N層が有する欠点を(Al,Ti)N層との交互積層により補完し合い、従来被覆層にないすぐれた切削性能を有する硬質被覆層を得ることができるという全く新規な知見を得た。
本発明は、このような知見に基づき、薄層A、薄層Bの組成、一層平均層厚、ヤング率、総平均層厚などと切削性能との関係を詳しく解析した結果得られたものであって、具体的には、以下のような構成からなる。
工具基体の表面に、硬質被覆層としてAlとCrとの合量に占めるCrの含有割合が25〜50原子%となるようにCr成分を含有させたAlとCrの複合窒化物層であってヤング率aが150GPa≦a≦300GPaである低ヤング率層(以下、低ヤング率(Al,Cr)N層と示す)を薄層Aとして0.1〜1.0μmの平均層厚で形成し、この上に、AlとTiとの合量に占めるTiの含有割合が25〜55原子%となるようにTi成分を含有させたAlとTiの複合窒化物層(以下、(Al,Ti)N層と示す)であってヤング率bが400GPa≦b≦550GPaである(Al,Ti)N層を薄層Bとして0.1〜1.0μmの平均層厚で形成し、さらにその上に薄層A、薄層Bを順次形成し、総平均層厚が1.0〜10μmである交互積層構造を有する層を形成する。この結果、薄層Aの低ヤング率(Al,Cr)N層が、すぐれた密着性、耐欠損性を示し、薄層Bを構成する(Al,Ti)N層が、すぐれた耐摩耗性、耐熱性を示すと共に、低ヤング率(Al,Cr)N層と(Al,Ti)N層のそれぞれ組成の異なる層を交互積層として形成することにより、それぞれの層の粒子の成長の粗大化が防止され、粒子の微細化が図られ、膜強度が向上するとともに、この積層構造によってクラックの伝播・進展が防止されることで耐欠損性、耐チッピング性が向上する。これらの相乗効果により、すぐれた耐欠損性、耐摩耗性、耐熱性が発揮されるという新規な知見を得て、かかる知見に基づき、本発明を完成するに至った。
【0010】
本発明は、前記研究結果に基づいてなされたものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金または炭窒化チタン基サーメットで構成された工具基体の表面に硬質被覆層を形成してなる表面被覆切削工具において、
前記硬質被覆層が、
(a)0.1〜1.0μmの平均層厚を有し、かつ、
組成式:(Al
1−xCr
x)N(ここで、xはAlとCrの合量に占めるCrの含有割合を示し、原子比で、0.25≦x≦0.50である)を満足し、ヤング率aが150GPa≦a≦300GPaであるAlとCrとの複合窒化物からなる薄層Aと、
(b)0.1〜1.0μmの平均層厚を有し、かつ、
組成式:(Al
1−yTi
y)N(ここで、yはAlとTiの合量に占めるTiの含有割合を示し、原子比で、0.25≦y≦0.55である)を満足し、ヤング率bが400GPa≦b≦550GPaであるAlとTiとの複合窒化物からなる薄層B、
(c)工具基体直上が薄層Aであり、薄層Aと薄層Bとの交互積層構造を有し、総平均層厚が1.0〜10μmである、
前記(a)〜(c)の条件を満たすことを特徴とする表面被覆切削工具。」
を特徴とする。
【0011】
次に、本発明の被覆工具の硬質被覆層の構成層に関し、前記の通りに数値限定した理由を説明する。
【0012】
(a)薄層Aを構成する(Al,Cr)N層の組成およびヤング率:
交互積層構造の1層である薄層Aを構成する(Al,Cr)N層の構成成分であるAl成分には硬質被覆層における高温硬さを向上させ、同Cr成分には高温強度を向上させる作用があるが、Alとの合量に占めるCrの含有割合を示すx値(原子比、以下同じ)が0.25未満になると、相対的にAlの含有割合が増加することによって、結晶構造が立方晶から六方晶へ変化し、皮膜硬さが低下するので、少なくとも所定の皮膜硬さを保持するためには、Alとの合量に占めるCrの含有割合を示すx値を0.25以上とする必要がある。一方、Alとの合量に占めるCrの含有割合を示すx値が同0.50を越えると、相対的にAlの含有割合が減少し、高速切削加工で必要とされる高温硬さを確保することができず、チッピングの発生を防止することが困難になることからx値を0.25〜0.50と定めた。
【0013】
また、薄層Aを構成する(Al,Cr)N層のヤング率が150〜300GPaである低ヤング率とすることで外部応力が加わった際の皮膜の変形量が増加し、クラック等の発生を阻止するため、耐欠損性を向上させることができる。ここで、前記ヤング率を150〜300GPaに限定した理由は、ヤング率を150GPaよりも下げることは、耐摩耗性の低下が著しいため好ましくなく、一方、300GPaより大きくなると皮膜靭性の低下による耐欠損性が低下してしまうため、皮膜の崩壊や剥離が起こりやすくなる。したがって、下部層の奏する機能をより効果的に発揮させるために、ヤング率を150〜300GPaに限定した。
【0014】
(b)薄層B層を構成する(Al,Ti)N層の組成およびヤング率:
薄層Aと共に交互積層構造を構成する薄層Bの(Al,Ti)N層は、層全体に亘って均質な高温硬さと耐熱性および靭性を示すが、その構成成分であるTi成分によって、すぐれた高温強度を備えるようになり、また、Al成分によって、高温硬さと耐熱性を補完する。そのため、高温切削条件下でも低摩擦係数が維持され、すぐれた耐熱性を発揮するようになるが、Alとの合量に占めるTiの含有割合を示すy値(原子比、以下同じ)が0.25未満になると、高温強度を確保することができないために刃先の境界部分において異常損傷を生じ欠損を発生しやすくなるため長寿命を期待することはできず、一方、Alとの合量に占めるTiの含有割合を示すy値が0.55を越えると、相対的にAlの含有割合が減少し、高速切削加工で必要とされる高温硬さ確保することができないばかりか、耐摩耗性も低下し、チッピング発生を防止することが困難になることから、y値を0.25〜0.55と定めた。
【0015】
また、薄層Bを構成する(Al,Ti)N層については、期待される耐欠損性、耐摩耗性、耐熱性を十分に発揮させるためには、被削材や切削条件に限らず、ヤング率が400〜550GPaであるとき(Al,Ti)N層の有する耐摩耗性、耐熱性、耐欠損性がより有効に発揮される。そのため、本発明においては、薄層Bの(Al,Ti)N層のヤング率は400〜550GPaと定めた。
【0016】
(c)薄層Aおよび薄層Bの平均層厚ならびに硬質被覆層の総平均層厚:
本発明の硬質被覆層は、それぞれの組成の異なる薄層Aと薄層Bとを交互に積層して構成した交互積層構造とすることで、それぞれの層の粒子の成長の粗大化が防止され、粒子の微細化が図られ、膜強度が向上するとともに、この積層構造によってクラックの伝播・進展が防止されることで耐欠損性、耐チッピング性が向上するが、薄層Aおよび薄層Bの平均層厚が0.1μm未満になると、各薄層を所定組成のものとして明確に形成することが困難であるばかりか、各薄層の有する前記のすぐれた特性を発揮することができない。一方、それぞれの層厚が1.0μmを超えると、粒子の粗大化による膜強度の低下により、耐欠損性、耐チッピング性が低下することから、薄層A、薄層Bのそれぞれの層厚を、0.1〜1.0μmと定めた。
また、硬質被覆層の総平均層厚が、1.0μm未満では、前述した交互積層構造の備えるすぐれた耐欠損性、耐チッピング性を十分に発揮することができず、一方、10μmを超えると、反対に、チッピング、欠損を発生しやすくなるので、硬質被覆層の総平均層厚は、1.0〜10μmと定めた。
【0017】
加えて、特に限定するわけではないが、薄層Aを構成する(Al,Cr)N層の結晶構造と薄層Bを構成する(Al,Ti)N層の結晶構造をと同じ立方晶とすることにより、層間の密着性が向上し、層間剥離による寿命劣化の問題が解消されるため好ましい。
【0018】
なお、本発明の硬質被覆層を構成する薄層Aを構成する(Al,Cr)N層および薄層Bを構成する(Al,Ti)N層は、例えば、
図1に概略説明図で示される物理蒸着装置の1種であるアークイオンプレーティング装置に工具基体を装入し、ヒーターで装置内を、例えば、500℃の温度に加熱した状態で、
(a)装置内に所定組成のAl−Cr合金からなるカソード電極(蒸発源)を配置し、アノード電極とカソード電極(蒸発源)としてのAl−Cr合金との間に、例えば、電流:110Aの条件でアーク放電を発生させ、同時に装置内に反応ガスとして窒素ガスを導入して、例えば、0.8Paの反応雰囲気とし、一方、工具基体には、例えば、−20Vのバイアス電圧を印加した条件で所定時間蒸着することにより、所定の目標層厚、ヤング率の薄層Aである(Al,Cr)層が形成される。
(b)ついで、アノード電極とカソード電極(蒸発源)としてのAl−Ti合金との間に、例えば、電流:110Aの条件でアーク放電を発生させ、同時に装置内に反応ガスとして窒素ガスを導入して、例えば、3.0Paの反応雰囲気とし、工具基体には、例えば、−100Vのバイアス電圧を印加した条件で所定時間蒸着することにより、薄層Aの上に、所定の目標層厚の薄層Bである(Al,Ti)N層が形成される。
前記(a)、(b)を所定の総目標層厚になるまで、交互に繰り返すことにより、本発明の硬質被覆層を蒸着形成することができる。すなわち、反応雰囲気圧と工具基体に印加するバイアス電圧を調整することで、薄層Aを構成する(Al,Cr)N層のヤング率をコントロールすることができる。