【課題を解決するための手段】
【0010】
そこで、本発明者等は、上述のような観点から、Ti化合物層からなる下部層とAl
2O
3層からなる上部層の付着強度を改善し、もって、剥離、チッピング等の異常損傷の発生を防止するとともに、工具寿命の長寿命化を図るべく鋭意研究を行った結果、
Ti化合物層からなる下部層を、下地Ti化合物層、密着性TiCN層及び上部TiCN層の三層構造として形成し、かつ、上記密着性TiCN層について、これをくさび形結晶組織を有する層として構成するとともに、該層の結晶粒の{110}面の法線が特定の傾斜角度数分布をとるようにし、さらに、上記上部TiCN層についても、該層の結晶粒の{112}面の法線が特定の傾斜角度数分布をとるようにした場合には、密着性TiCN層及び上部TiCN層間の密着性が向上することで、下部層全体の付着強度が向上することを見出したのである。
したがって、このような硬質被覆層を被覆形成した被覆工具を、高熱発生を伴うとともに、切刃に断続的・衝撃的な高負荷が作用する高速断続切削に用いた場合には、剥離、チッピング等の異常損傷の発生が抑えることができ、長期の使用にわたってすぐれた切削性能を発揮することを見出したのである。
【0011】
この発明は、上記知見に基づいてなされたものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金または炭窒化チタン基サーメットで構成された工具基体の表面に、下部層と上部層からなる硬質被覆層を蒸着形成した表面被覆切削工具において、
(a)上記下部層は、3〜20μmの合計平均層厚を有し、下地Ti化合物層、密着性TiCN層及び上部TiCN層の三層構造からなり、また、上記上部層は、2〜15μmの平均層厚を有し、化学蒸着した状態でα型の結晶構造を有するAl
2O
3層からなり、
(b)下部層の上記下地Ti化合物層は、TiC層、TiN層、TiCN層、TiCO層およびTiCNO層のうちの1層または2層以上からなり、合計平均層厚は0.5〜2.5μmであり、
(c)下部層の上記密着性TiCN層は、くさび形結晶組織を有し、該くさび形結晶組織の凹凸部の平均高低差が1〜3μm、凸部の平均間隔が1〜3μmであり、該くさび形結晶組織を有するTiCN結晶粒について、電界放出型走査電子顕微鏡と電子線後方散乱回折装置を用い、その断面研磨面の測定範囲内に存在する立方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、前記工具基体の表面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である{110}面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうち0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで表わした場合、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在するとともに、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の40%以上の割合を占め、
(d)下部層の上記上部TiCN層は、その断面研磨面の測定範囲内に存在する立方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、前記工具基体の表面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうち0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで表わした場合、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在するとともに、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の60%以上の割合を占めることを特徴とする表面被覆切削工具。
(2) 上記(c)のくさび形結晶組織は、平均粒径0.05〜1μmのTiCN結晶粒の集合体によって構成されていることを特徴とする前記(1)に記載の表面被覆切削工具。」
に特徴を有するものである。
【0012】
以下に、この発明の被覆工具の硬質被覆層の構成層について詳細に説明する。
下部層:
図1に、その概略縦断面図を示すように、この発明の下部層は、3〜20μmの合計平均層厚を有し、下地Ti化合物層、密着性TiCN層及び上部TiCN層の三層構造として構成される。
下部層は、基本的にはα型の結晶構造を有するAl
2O
3(以下、単に「Al
2O
3」で示す)層の下部層として存在し、自身の具備するすぐれた高温強度によって硬質被覆層が高温強度を具備するようになるほか、工具基体、Al
2O
3層のいずれにも密着し、硬質被覆層の工具基体に対する密着性を維持する作用を有する。
しかし、下部層の合計平均層厚が3μm未満では、前記作用を十分に発揮させることができず、一方その合計平均層厚が20μmを越えると、特に高熱発生を伴う高速断続切削では熱塑性変形を起し易くなり、これが偏摩耗の原因となることから、下部層の合計平均層厚は3〜20μmと定めた。
【0013】
(a)下部層の下地Ti化合物層:
工具基体表面の直上には下地Ti化合物層を形成するが、下地Ti化合物層は、従来から知られているTiC層、TiN層、TiCN層、TiCO層及びTiCNO層の内の一層又は二層以上から構成することができ、例えば、当業者に既によく知られている化学蒸着法によって形成することができる。
ただ、下地Ti化合物層の合計平均層厚が0.5μm未満の場合には、該くさび形結晶組織の凹凸部の高低差が十分に得られず、この上に形成される上部TiCN層との付着強度を十分に得ることができず、一方、その合計平均層厚が2.5μmを超えると、下部層の密着性TiCN層結晶粒の結晶面である{110}面の法線がなす傾斜角を測定した場合、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の40%以上にならず、所望の方位形態を得ることができないため、下地Ti化合物層の合計平均層厚は、0.5〜2.5μmとすることが必要である。
【0014】
(b)下部層の密着性TiCN層:
上記の下地Ti化合物層の上には、密着性TiCN層を形成するが、密着性TiCN層は、くさび形結晶組織という特異な組織を有するとともに、密着性TiCN層を構成する結晶粒の{110}面の法線が工具基体の表面の法線に対してなす傾斜角を測定した場合、特有の傾斜角度数分布を示す。
以下に、くさび型結晶組織について説明する。下部層の下地Ti化合物層上に成長した{110}面の法線がなす傾斜角が工具基体の表面の法線に対して0〜10度の範囲内にあるTiCN結晶粒について、それぞれ隣接する結晶粒相互間の界面における{112}面の法線同士の交わる角度を求め、角度差が20度未満の範囲にある場合は、互いがくさび型結晶構造をなしており、その角度差の範囲を外れた場合、その結晶粒界がくさび型結晶組織と後述する上部TiCN結晶粒を分ける箇所となる。
なお、
図1に硬質被覆層の概略縦断面模式図を示すように、この発明で言うくさび形結晶組織とは、種々の粒径を持つTiCN結晶粒の集合体により形成されるものであり、くさび形結晶組織全体としては膜厚方向に凹凸を有した構造と定義される。
即ち、密着性TiCN層は、まず、上部TiCN層に面する表面がくさび形結晶組織を有しており、そして、該くさび形結晶組織の凹凸部の平均高低差は1〜3μmであり、また、凸部の平均間隔は1〜3μmである。
そして、密着性TiCN層は、このようなくさび形結晶組織を備えることによって、この上に形成される上部TiCN層との付着強度が改善され、その結果として、硬質被覆層の耐チッピング性、耐剥離性の向上が図られる。
ただ、くさび形結晶組織の凹凸部の平均高低差が1μm未満である場合には、
くさび形結晶組織を構成するTiCN結晶粒とその上に形成される上部TiCN層との接触界面の表面積の増大が見込めず、また平均高低差が3μmを超える場合には、その上層に成長する上部TiCN層の方位形態が所望のものとならなくなるため、くさび形結晶組織の凹凸部の平均高低差は、1〜3μmとすることが必要である。
また、くさび形結晶組織の凸部の平均間隔が1μm未満である場合は、くさび形結晶組織の凹部とその上部に成長する上部TiCN層の界面にポアが形成しやすくなり、また凸部の平均間隔が3μmを超える場合には、くさび形結晶組織を構成する密着性TiCN層のTiCN結晶粒と上部TiCN層のTiCN結晶粒の界面の接触する表面積の増大が見込めないため、凸部の平均間隔を1〜3μmとすることが必要である。
さらに、くさび形結晶組織は、種々の粒径を持つTiCN結晶粒の集合体により形成されるが、該集合体を構成する個々のTiCN結晶粒の平均粒径が0.05μm未満では、下部層の下地Ti化合物層表面の凹凸に対する密着性が悪くなるため、下部層の下地Ti化合物層と密着性TiCN層間の付着強度が低下する一方、集合体を構成する個々のTiCN結晶粒の平均粒径が1μmを超える場合には、その上に形成される上部TiCN層のTiCN結晶粒の粒径が大きくなり、耐チッピング性が低下するとともに、くさび形結晶組織を構成する密着性TiCN層のTiCN結晶粒と、上部TiCN層のTiCN結晶粒の界面にポアが形成されやすくなり、そのため硬さ、強度が低下し、また、密着性TiCN層と上部TiCN層の付着強度が低下するため、くさび形結晶組織を構成する密着性TiCN層のTiCN結晶粒の平均粒径は、0.05〜1μmの範囲内であることが望ましい。
【0015】
次に、上記の密着性TiCN層は、該層を構成するTiCN結晶粒について、電界放出型走査電子顕微鏡と電子線後方散乱回折装置を用い、該層の断面研磨面の測定範囲内に存在する立方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、工具基体の表面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である{110}面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうち0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで作成した場合、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在するとともに、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の40%以上の割合を占める傾斜角度数分布を示す。
ここで、上記傾斜角度数分布グラフにおいて、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在しない場合、あるいは、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の40%未満の割合である場合には、密着性TiCN層の上に形成される上部TiCN層との付着強度が低下し、所望の耐剥離性を得ることができなくなることから、密着性TiCN層のTiCN結晶粒については、上記傾斜角度数分布グラフにおいて、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在するとともに、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の40%以上の割合を占める傾斜角度数分布を示すことが必要である。
上記くさび形結晶組織を有し、しかも、上記傾斜角度数分布形態を有する密着性TiCN層は、例えば、後記する化学蒸着条件によって形成することができる。
図2に、密着性TiCN層について測定して求めた傾斜角度数分布グラフの一例を示す。
【0016】
(c)下部層の上部TiCN層:
上部TiCN層は、上記密着性TiCN層の上に、例えば、後記する化学蒸着条件によって形成することができるが、上部TiCN層について、その断面研磨面の測定範囲内に存在する立方晶結晶格子を有する結晶粒個々に電子線を照射して、工具基体の表面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうち0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフを作成した場合、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在するとともに、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の60%以上の割合を占める傾斜角度数分布を示す。
ここで、上記傾斜角度数分布グラフにおいて、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在しない場合、あるいは、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の60%未満の割合である場合には、所望の高温硬さや耐熱性を得ることができなくなる。
したがって、上部TiCN層のTiCN結晶粒については、上記傾斜角度数分布グラフにおいて、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在するとともに、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の60%以上の割合を占める傾斜角度数分布を示すことが必要である。
図3に、上部TiCN層について測定して求めた傾斜角度数分布グラフの一例を示す。
【0017】
(d)三層構造からなる下部層(下地Ti化合物層、密着性TiCN層及び上部TiCN層)の形成:
この発明では、三層構造からなる下部層を、例えば、以下に示す3段階の化学蒸着法によって形成することができる。
即ち、第1段階として、炭化タングステン基超硬合金または炭窒化チタン基サーメットで構成された工具基体の表面に所定層厚となるように下地Ti化合物層を蒸着形成し、次いで第2段階として、この上に密着性TiCN層を蒸着形成し、次いで、第3段階として上部TiCN層を蒸着形成することによって、三層構造からなる下部層を形成することができる。
より具体的にいえば、次のとおりである。
≪第1段階≫
通常の化学蒸着装置を用いて、工具基体の表面に、0.5〜2.5μmの合計平均層厚になるように通常の条件(例えば、後記表3に示されるような条件)でTiC層、TiN層、TiCN層、TiCO層およびTiCNO層のうちの1層または2層以上を蒸着形成する。
≪第2段階≫
次いで、
反応ガス組成(容量%):TiCl
4 3〜5%、N
2 15〜25%、
CH
3CN 0.2〜0.5%、残部H
2、
雰囲気温度:900〜950 ℃、
雰囲気圧力:10〜20 kPa、
時間:5〜60 min、
という条件で蒸着する。
そして、上記条件による蒸着によって、所定のくさび形結晶組織を有するとともに、所定の傾斜角度数分布形態(即ち、工具基体の表面の法線に対して、結晶粒の{110}面の法線がなす傾斜角を測定・集計した傾斜角度数分布グラフにおいて、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在し、かつ、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフの度数全体の40%以上の割合を占める)を有する密着性TiCN層を蒸着形成することができる。
≪第3段階≫
次いで、
反応ガス組成(容量%):TiCl
4 3〜5%、N
2 15〜25%、
CH
3CN 0.6〜1.0%、残部H
2、
雰囲気温度:800〜900 ℃、
雰囲気圧力:3〜10 kPa、
時間:(所定の目標合計平均層厚になるまで)
という条件で上部TiCN層を蒸着する。
そして、上記条件による蒸着によって、所定の傾斜角度数分布形態(即ち、工具基体の表面の法線に対して、結晶粒の{112}面の法線がなす傾斜角を測定・集計した傾斜角度数分布グラフにおいて、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に最高ピークが存在し、かつ、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフの度数全体の60%以上の割合を占める)を有する上部TiCN層を蒸着形成することができる。
上記で形成された三層構造からなる下部層は、密着性TiCN層はくさび形結晶組織という特異な組織を有するとともに、密着性TiCN層を構成する結晶粒の{110}面の法線が工具基体の表面の法線に対してなす傾斜角を測定した場合、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の40%以上の割合を占め、上部TiCN層は結晶粒の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角を測定し、0〜10度の範囲内の傾斜角区分に存在する度数の合計が、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の60%以上の割合を占めるという特徴を持っている。各層が示す度数の合計割合の値がこれらの値を得られない場合、密着性TiCN層と上部TiCN層の結合が弱くなり、所望の付着強度が得られなくなる。
【0018】
(e)上部層のAl
2O
3層:
上記で蒸着形成した下部層の上に、例えば、通常の化学蒸着装置を用い、
反応ガス組成(容量%):AlCl
3 1〜3%、CO
2 3〜7%、
HCl 1.0〜2.5%、H
2S 0.1〜0.25%、残部H
2、
反応雰囲気温度:980〜1020℃、
反応雰囲気圧力:3〜10kPa、
時間:(目標とする上部層層厚になるまで)
という条件で蒸着することにより、Al
2O
3層からなる上部層を蒸着形成することができる。
ここで、上記上部層は、特定のくさび形結晶組織を有し、かつ、特定の傾斜角度数分布形態を有する密着性TiCN層と、さらに、特定の傾斜角度数分布形態を有する上部TiCN層の上に蒸着形成されることによって、密着性TiCN層及び上部TiCN層間の密着性が向上することで、下部層全体の付着強度が向上する。また、下部層の最表面で結晶粒の{112}面の法線が特定の傾斜角度数分布をとる場合、その上に成長する上部層とのエピタキシャル関係を保つことで、付着強度が向上するとともに、被覆層自体の強度も向上する。その結果、高熱発生を伴うとともに、切れ刃に衝撃的・断続的な高負荷が作用する高速断続切削加工においても、すぐれた耐剥離性、耐チッピング性が発揮される。
なお、上部層の平均層厚が、2μm未満であると長期の使用にわたってすぐれた高温強度および高温硬さを発揮することができず、一方、15μmを越えると、チッピングが発生し易くなることから、上部層の層厚は2〜15μmと定めた。