【文献】
佐々木要助,ブレーキ用摩擦材の開発,まてりあ,日本,公益社団法人日本金属学会,2005年10月 1日,第44巻,第10号,832−840頁
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
鋳造法により、鋳鉄素地からなる成形体を得た後、処理温度を500℃〜590℃として、該成形体の表面をガス軟窒化処理することにより、窒素拡散層および窒素化合物層を形成する工程と、該ガス軟窒化処理後、雰囲気温度が400℃〜480℃になった時点で大気中に暴露し、室温まで冷却することにより、該窒素化合物層の表面にFe3O4を主成分とする酸化鉄層を形成する工程と、
を含む、請求項1〜4のいずれかに記載の車両用ディスクブレーキロータの製造方法。
【背景技術】
【0002】
車両用ディスクブレーキロータ、ブレーキドラム、工作機械などの摺動部に使用される鋳鉄製摩擦部材の摩擦面には、高い耐食性と高い耐摩耗性が要求される。このため、鋳鉄製摩擦部材の表面に、塗膜やリン酸亜鉛被膜を形成することが行われている。しかしながら、このような塗膜や被膜では、長期間の使用によって摩耗あるいは剥離が生ずるという問題があり、十分な耐食性および耐摩耗性を確保することが困難である。
【0003】
これに対して、鋳鉄製摩擦部材の摩擦面を軟窒化処理する技術が検討され、すでに実用化されている。軟窒化処理は、処理温度をA1変態点(727℃)以下、通常は550℃〜590℃として、窒素と同時に炭素を侵入拡散させる表面処理方法である。このような軟窒化処理では、最表面に窒素化合物の硬い層が形成されるため、鋳鉄製摩擦部材の耐食性および耐摩耗性を向上させることができる。また、軟窒化処理では相変態を伴わないため、浸炭処理などに比べて、ひずみが少ないという特徴もある。このような軟窒化処理としては、塩浴軟窒化処理法、ガス軟窒化処理法、プラズマ軟窒化処理法などが挙げられる。
【0004】
たとえば、特開平6−307471号公報および特開2010−53926号公報には、塩浴軟窒化処理法により、鋳鉄製のディスクブレーキロータの表面に軟窒化処理を施し、その表面部にFe−C−N系を主体とする化合物層を形成することにより、耐食性および耐摩耗性を向上させる技術が開示されている。しかしながら、塩浴軟窒化処理法は、有害なシアン化物を使用するため、安全性や環境負荷などの面において問題がある。また、塩浴軟窒化処理法により形成される化合物層の最表面部に多孔質のポーラス層が形成されやすいといった問題もある。
【0005】
一方、特許3303741号公報には、処理温度を450℃〜560℃とし、アンモニアガスを含む圧力200Torr以下の窒化雰囲気中で、拡散処理工程を挟んで、2段階に分けて軟窒化処理工程を行うガス軟窒化処理方法が開示されている。この方法では、有害なシアン化物を使用する必要がなく、また、鋳鉄製摩擦部材の表面に形成される化合物層を緻密なものとすることができる。さらに、化合物層の厚みの過剰化を抑制することもできるため、面圧強度の向上を図ることもできる。
【0006】
しかしながら、このような方法により表面に窒素化合物層が形成された鋳鉄製摩擦部材であっても、車両用ディスクブレーキロータなどの用途において、長期間にわたって屋外環境に晒された場合には、温度や湿度の影響を受け、その表面に赤錆(Fe
2O
3)が発生することがある。車両用ディスブレーキロータの場合、表面に軟窒化処理を施した場合でも、その表面が赤錆(Fe
2O
3)により浸食されると、ブレーキ時に振動が発生したり、制動力が低下するなどの問題が生じる。また、近年、デザイン性の高いアルミホイールの使用が増加しており、ロータの表面に赤錆(Fe
2O
3)が存在すると外部からもはっきりと視認できるため、車両の外観を損ねるといった問題も生じる。
【0007】
このような問題に対しては、軟窒化処理により得られる窒素化合物層の表面に、黒錆と呼ばれるFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層をさらに形成することが有効である。この酸化鉄層は、均一で緻密であるため、鋳鉄製摩擦部材の表面に赤錆(Fe
2O
3)が発生することを効果的に防止することができる。
【0008】
このような酸化鉄層の形成は、特開平3−285058号公報などに記載されているように、対象製品を、400℃〜500℃の水蒸気中に1時間〜1.5時間晒す、ホモ処理と呼ばれる方法によって行われている。しかしながら、ホモ処理は、その条件設定が難しく、温度が高すぎたり、あるいは、処理時間が長すぎたりすると、赤錆(Fe
2O
3)が発生するため、鋳鉄製摩擦部材の摩擦面全面にわたって、均一で緻密な黒色酸化鉄層を形成することはきわめて困難である。
【0009】
このようなホモ処理に代わる方法として、たとえば、特公昭53−371号公報には、鋼材を窒化性ガスと浸炭性ガスとの混合気中で500℃〜600℃で、0.5時間〜3時間、処理した後、この処理温度で炉から取り出し、空気中に60秒〜120秒保持して、Fe
3O
4被膜を形成させ、その後、油中で常温まで冷却する方法が記載されている。この方法によれば、軟窒化処理、酸化鉄層形成処理および冷却処理を連続して行うことができ、鋼材の表面に良質の酸化鉄層を形成することができる。
【0010】
しかしながら、特公昭53−371号公報に記載の方法では、軟窒化処理後、加熱状態のまま対象製品を炉から取り出し、酸化鉄層を形成し、その後、対象製品を急冷(油冷)しているため、窒素化合物層またはFe
3O
4を主成分とした酸化鉄層に亀裂が生じる可能性がある。また、対象製品の冷却を油冷によって行っているため、酸化鉄層表面に生じた複数の孔内に油分が残留する可能性がある。
【0011】
このため、上記方法により得られた車両用ディスクブレーキロータを長期間にわたり使用した場合には、前述の亀裂を起点としたFe
3O
4を主成分とした酸化鉄層の剥離や、孔内に残留した油分の影響により、その摩擦特性が大きく変動するといった問題がある。
【発明を実施するための形態】
【0022】
1.車両用ディスクブレーキロータ
本発明の車両用ディスクブレーキロータは、鋳鉄素地の上に窒素拡散層と、該窒素拡散層の上に窒素化合物層と、該窒素化合物の上にFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層が形成された構造となっており、このFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層が摩擦面を形成している。
【0023】
なお、本発明の車両用ディスクブレーキロータは、その大きさを特に制限されるものではないが、以下では、直径200mm〜420mm、厚さ10mm〜40mmの大きさの車両用ディスクブレーキロータを例に挙げて説明する。
【0024】
(1)鋳鉄素地
本発明の車両用ディスクブレーキロータは、砂型鋳造などの鋳造法により成形されるものであり、その鋳鉄素地としては、たとえば、FC200、FC250、FCD450などのねずみ鋳鉄またはダクタイル鋳鉄などを使用することができる。
【0025】
(2)窒素拡散層
本発明の車両用ディスクブレーキロータを構成する層のうち、窒素拡散層は、後述するガス軟窒化処理の際に、鋳鉄素地中に窒素が過飽和に固溶することにより形成される層である。この窒素拡散層の厚さは、好ましくは25μm〜450μm、より好ましくは50μm〜430μmとなるように調整される。窒素拡散層の厚さが25μm未満では、窒素化合物層を十分な厚さとすることができない場合がある。一方、450μmを超えるような窒素拡散層の形成には、ガス軟窒化処理に要する時間が長時間となり、生産性が悪化するため好ましくない。
【0026】
(3)窒素化合物層
本発明の車両用ディスクブレーキロータを構成する層のうち、窒素化合物層は、Fe
3Nなどから構成される層であり、極めて硬質であるため、該摩擦面に高い耐摩耗性および耐食性を付与することができる。特に、本発明の窒素化合物層は、後述するようにガス軟窒化処理により形成されることを前提とするものであるため、その表面性状を平滑なものとすることができる。
【0027】
これに対して、窒素化合物層を塩浴軟窒化処理により形成した場合には、その表面近傍に多孔質のポーラス層が形成される。このようなポーラス層が存在する場合には、車両用ディスクブレーキロータの初期摩耗量が増加し、また、外部環境の変化に伴って、摩擦係数が大きく変化するため、安定した制動特性を得ることができない。さらに、制動時に異音が発生するといった問題が生じる場合もある。
【0028】
窒素化合物層の厚さは、車両用ディスクブレーキロータの寸法や使用条件などにより適宜選択されるものであるが、たとえば、上記寸法のものであれば、5μm〜25μm程度とすることが好ましく10μm〜20μm程度とすることがより好ましい。5μm未満では、十分な耐食性および耐摩耗性を得ることができない。一方、25μmを超えても、それ以上の効果を得ることはできないばかりか、ガス軟窒化処理に要する時間が長時間となり、生産性が悪化してしまう。
【0029】
(4)Fe
3O
4を主成分とする酸化鉄層
前記窒素化合物層の表面には、均一で緻密なFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層が形成されている。このような酸化鉄層が形成された車両用ディスクブレーキロータでは、窒素化合物層により付与された高い耐摩耗性および耐食性を、さらに向上させることができる。このため、車両用ディスクブレーキロータが長期間にわたり外部環境に晒された場合であっても、その表面に赤錆(Fe
2O
3)が発生することを効果的に防止することができるため、制動特性を安定的に維持することができ、かつ、車両の外観が損なわれることを防止することができる。
【0030】
この酸化鉄層の膜厚は、好ましくは2μm〜7μm、より好ましくは3μm〜6μmとする。酸化鉄層の膜厚が2μm未満では、十分な耐食性および耐摩耗性を得ることができない。一方、7μmを超えても、それ以上の効果を得ることはできない。
【0031】
また、本発明では、後述するように軟窒化処理後に所定温度まで炉冷した後に、大気に暴露し、かつ、大気中の冷却速度も所定の範囲内となるように規制した上で、Fe
3O
4を主成分とする酸化鉄層を形成しているため、この酸化鉄層および前述の窒素化合物層に、冷却に伴う熱衝撃による亀裂が存在しない点に特徴を有する。
【0032】
特公昭53−371号公報などの従来技術では、このような亀裂が僅かながらも存在していたため、温度や湿度の変化などの影響により、この亀裂を起点として酸化鉄層の剥離や欠損が生じたり、あるいは、この亀裂を介して、窒素拡散層、さらには鋳鉄素地にまで雨水などが侵入するといった問題が生じていた。このため、長期間にわたり車両用ディスクブレーキロータの摩擦特性や外観特性を維持することが困難であった。これに対して、本発明の車両用ディスクブレーキロータは、酸化鉄層および窒素化合物層に亀裂が存在することがないので、従来技術と比較して、温度や湿度変化に対する耐性が飛躍的に向上したものとなっている。
【0033】
(5)表面の空孔面積率
本発明の車両用ディスクブレーキロータは、その表面の全面積に対する空孔部の面積の比率(以下、「空孔面積率」という)が15%以下であることが好ましく、10%以下であることがより好ましい。ここで、空孔面積率は、以下のようにして求められる値をいう。すなわち、初めに、車両用ディスクブレーキロータの表面を撮影した画像を、画像解析ソフトを用いて、空孔部が黒色、その他の部分が白色となるように二値化処理する。これにより得られた画像(以下、「二値化処理画像」という)の空孔部(黒色部)を、空孔部の面積と同じ面積を持つ円の直径(円相当径)として計測し、これを空孔部の孔径とする。この孔径より、空孔部の面積を求め、二値化処理画像内の空孔部の面積率を算出する。この面積率を、1サンプル当たり25視野分(SEM写真で25枚分)算出し、これらの面積率の平均をとることにより得られる値を、空孔面積率としている。
【0034】
本発明では、車両用ディスクブレーキロータに対して、後述するガス軟窒化処理を適正な条件で行うことにより、前記空孔面積率を所定の範囲に制御することを可能としている。一方、表面の空孔面積率が15%を超える場合、すなわち、車両用ディスクブレーキロータに対して、塩浴軟窒化処理を行うことにより、表面近傍の鋳鉄素地が浸食され、多孔質のポーラス層が形成された場合には、車両用ディスクブレーキロータの初期摩耗量が大きく、また、赤錆(Fe
2O
3)や制動時の異音の発生の原因となる。
【0035】
また、前記空孔部の孔径は、統計学における最頻値(モード)で2μm以下であることが好ましく、0.7μm以下であることがより好ましく、0.5μm以下であることがさらに好ましい。空孔部の孔径が2μmを超えると、前記空孔面積率が15%以内であっても、この空孔部を起点として、窒素拡散層に水分が侵入し、赤錆(Fe
2O
3)発生の原因となる場合がある。ここで、統計学における最頻値とは、25視野分の二値化処理画像から計測される空孔部の孔径のうち、もっとも頻繁に出現する値を意味する。
【0036】
(5)摩擦係数およびその変化率
本発明の車両用ディスクブレーキロータは、上述のように、鋳鉄素地上に窒素拡散層と、窒素化合物層と、Fe
3O
4を主成分とする酸化鉄層が積層した構造を備え、かつ、その表面性状を制御しているため、乗用車―ブレーキ装置―ダイナモメータ試験方法(JASO C 406:2000準拠、以下、「摩擦試験」という)の摺合せ(第1効力試験後の摺合せ)および第1再摺合せ(第2効力試験後の摺合せ)において、前記摺合せと第1再摺合せの間の摩擦係数の変化率(γ)が10%以内、好ましくは9%以内、より好ましくは8%以内となる点に特徴を有する。前記変化率(γ)が10%を超える場合には、外部環境の変化に対して、安定した制動特性を維持することが困難となる。
【0037】
なお、前記変化率(γ)とは、各環境条件下における摩擦試験において、前記摺合せにより求められる摩擦係数をμ
0、第1再摺合せにより求められる摩擦係数をμ
1とした場合に、式:γ(%)=(μ
1−μ
0)/μ
0×100により求められる値をいう。
【0038】
また、本発明の車両用ディスクブレーキロータは、前記摺合せおよび第1再摺合せにおいて、絶対湿度および/または温度といった環境条件が変化した場合であっても、摩擦係数のばらつきがきわめて小さい点にも特徴がある。より具体的には、前記摺合せおよび第1再摺合せのいずれにおいても、絶対湿度を3g/m
3〜35g/m
3、温度を10℃〜40℃の範囲で変化させた複数の環境条件における摩擦係数の標準偏差(σ)が0.011以下であり、製品としての車両用ディスクブレーキロータが保管されている状況に左右されずに、その表面性状が高い性能のまま維持できる。この標準偏差(σ)の値が0.011を超える場合、車両用ディスクブレーキロータが保管されている状況または使用時の環境条件により、表面性状が変化し、安定した制動特性を維持することができない可能性がある。
【0039】
ここで、本発明における摩擦試験とは、制動初速度を50km/hおよび100km/h、制動減速度を2.94m/s
2〜7.35m/s
2の範囲で第1効力試験を行った後、車両用ディスクブレーキロータの表面を馴染ませるため、制動初速度を65km/h、制動減速度を3.5m/s
2として摺合せを行い、その後、制動初速度を50km/h、100km/hおよび130km/hとし、それぞれの制動初速度に対して制動減速度を2.94m/s
2〜7.35m/s
2の範囲で第2効力試験を行い、さらに、制動初速度を65km/h、制動減速度を3.5m/s
2として第1再摺合せ行う試験をいう。
【0040】
前記摩擦試験のうち、前記摺合せは、車両用ディスクブレーキロータと、その相手方部材となるブレーキパッドを十分に接触させるために、両者の表面形状を馴染ませるために行う試験である。また、第1再摺合せは、前記摺合せおよび第2効力試験を経た、車両用ブレーキパッドの表面には、これらの試験により熱履歴を受け、その表面には微細なクラックが生じていたり、微粉末が付着していたりするため、これらを除去した上で、再度、車両用ディスクブレーキロータと、ブレーキパッドを馴染ませるために行う試験である。
【0041】
(6)摩耗量
本発明の車両用ディスクブレーキロータは、前記摩擦試験における前記摺合せおよび第1再摺合せにおいて、その相手材として非アスベスト系の一般的なブレーキパッドを使用することができる。この場合において、絶対湿度および/または温度といった環境条件が変化した場合であっても、該車両用ディスクブレーキロータの摩耗量を一定値以下とすることができる。特に、絶対湿度を3g/m
3〜35g/m
3、温度を10℃〜40℃の範囲で変化させた場合の該車両用ディスクブレーキロータの摩耗量の平均値を、好ましくは2.35μm以下、より好ましくは2.30μm以下とすることができる。
【0042】
2.車両用ディスクブレーキロータの製造方法
本発明の鋳鉄製摩擦部材の製造方法は、鋳造法によって得られた鋳鉄素地からなる成形体を、処理温度を500℃〜590℃としてガス軟窒化処理することにより、鋳鉄素地の表面に窒素拡散層および窒素化合物層を形成する工程(以下、ガス軟窒化処理工程という)と、該ガス軟窒化処理後、雰囲気温度が400℃〜480℃になった時点で、該成形体を大気中に暴露し、酸素存在下で、室温まで冷却することにより、該窒素化合物層の表面にFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層を形成する工程(以下、酸化鉄層形成工程)とを含むことを特徴とする。
【0043】
なお、本発明において、鋳造法により成形体を得る工程は従来技術と同様の方法により行うことができるため、以下では、本発明の特徴的部分である、ガス軟窒化処理工程および酸化鉄層形成工程を中心に説明をする。
【0044】
(1)成形工程
成形工程は、鋳造法により成形体を得た後、残留応力を除去することを目的として、加熱温度を600℃〜700℃として、熱処理を行い、さらに、表面などに切削加工を行う工程である。このような成形工程における各条件は、基本的には従来技術と同様である。
【0045】
なお、鋳造法により成形体を得た後、直ぐに熱処理をするのではなく、成形体を1週間〜2週間ほど放置してから熱処理を行うことが好ましい。このように一定期間放置した後に、熱処理を行い、さらに切削加工を行うことにより、切削工程における負荷が軽減されることとなる。この点についての詳細は不明であるが、成形体の極表層部分が、空気中の窒素により窒化されることが影響していると考えられている。
【0046】
(2)ガス軟窒化処理工程
軟窒化処理法としては、塩浴軟窒化処理法、ガス軟窒化処理法、プラズマ軟窒化処理法などが挙げられるが、本発明では、均一な窒素拡散層および窒素化合物層を得る観点から、ガス軟窒化処理法により軟窒化処理を行うことが必要となる。
【0047】
塩浴軟窒化処理法は、前述したように安全性や環境負荷などの面において問題があるほか、車両用ディスクブレーキロータの表面が浸食され、形成される化合物層の表面近傍が、多孔質のポーラス層になりやすい。このため、塩浴軟窒化処理により表面処理が施された車両用ディスクブレーキロータを実際の車両に使用した場合には、初期摩耗量が大きく、また、制動時に異音が発生するといった問題が生じる。また、プラズマ軟窒化処理法は、減圧下(真空中)での処理を必要とするため大型の設備を必要とし、また、多大な電力を必要とするため設備の稼動コストが高くなるという問題がある。
【0048】
本発明におけるガス軟窒化処理法では、従来と同様のガス窒化炉を使用することができる。また、ガス軟窒化処理の条件としては、使用するガス窒化炉の出力などによって適宜調整されるべきものであるが、窒素拡散層および窒素化合物層の厚さを上述の範囲に制御する観点から、以下のような条件下で行うことが好ましい。
【0049】
処理温度は、500℃〜590℃とすることが好ましく、530℃〜590℃とすることがより好ましい。処理温度が500℃未満の場合には、十分な厚さを有する窒素拡散層および窒素化合物を形成することができない。一方、590℃を超える場合には、鋳鉄素地中に硬くて脆いオーステナイトが現出してしまい、窒素拡散層および窒素化合物層が安定して形成されなくなる可能性がある。
【0050】
また、上記処理温度での保持時間は、好ましくは0.5時間〜4時間、より好ましくは1時間〜3時間とする。処理時間が0.5時間未満では、十分な厚さを有する窒素拡散層および窒素化合物層を形成することができない。一方、処理時間が4時間を超えても、窒素拡散層および窒素化合物層はそれ以上ほとんど成長しないため、生産性が悪化する。
【0051】
窒素供給源としては、窒化性ガスであるNH
3を使用することができる。一方、炭素供給源としては、浸炭性ガスであれば特に限定されることはなく、たとえば、CH
3OHなどアルコールを含む炭化水素、あるいは、CO、CO
2などを使用することができる。特に、低コストで、効率的に、窒素拡散層および窒素化合物層を形成する観点から、NH
3とCH
3OHの混合ガスにより、窒素および炭素を供給することが好ましい。この場合、NH
3の流量を4.5m
3/h〜5.5m
3/hとし、CH
3OHの流量を3.0×10
-5m
3/h〜1.0×10
-4m
3/hとすることが好ましい。
【0052】
ガス窒化炉内の圧力は、一般的なガス軟窒化処理と同様に、大気圧よりも0.2kPa〜1.0kPa、通常は0.5kPa〜0.7kPa程度大きくなるように調整することが好ましい。
【0053】
(2)酸化鉄層形成工程
酸化鉄層形成工程は、前記軟窒化処理工程後、得られた窒素化合物層の表面にFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層を形成する工程である。この酸化鉄層は、非常に均一で緻密であるため、軟窒化処理のみを施したものと比べて、湿度や温度の影響を低減することができ、車両用ディスクブレーキロータの耐食性および耐摩耗性を長期間にわたって、高いレベルで維持することができる。特に、本発明では、特殊な装置を使用することなく、また、複雑な工程を経ることなく、この酸化鉄層を形成することを可能としているため、酸化鉄層の形成に伴う生産性の悪化やコストの上昇を最小限に抑えることができ、その工業的意義はきわめて大きい。
【0054】
具体的には、軟窒化処理後、雰囲気温度が400℃〜480℃、好ましくは、410℃〜470℃、より好ましくは420℃〜460℃となった時点で、車両用ディスクブレーキロータをガス軟窒化炉から取り出し、大気中に暴露し、大気中で酸素に接触させた状態を維持しつつ、室温(20℃〜25℃)まで冷却する。上記の温度範囲で車両用ディスクブレーキロータをガス軟窒化炉から取り出すことにより、窒素化合物層の表面にFe
3O
4を主成分とする均一で緻密な酸化鉄層を形成することができる。また、上記温度範囲で車両用ディスクブレーキロータを取り出した場合には、その表面の色合いを青みがかったものとすることができ、その外観特性を、装飾性に優れたものとすることができる。
【0055】
車両用ディスクブレーキロータを取り出す温度が400℃未満では、窒素化合物層の酸化進度が小さくなるため、均一で緻密なFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層を得ることができず、また、表面の色合いにムラができてしまう。一方、480℃を超えると、酸化鉄層におけるFe
2O
3の割合が増加するばかりでなく、急激な酸化と温度差による熱衝撃により、窒素化合物層に亀裂の発生などの不具合が生じる。
【0056】
また、本発明では、車両用ディスクブレーキロータをガス軟窒化炉から取り出した後、室温まで冷却されるまでの間、大気中に暴露し続ける点に特徴を有する。特公昭53−371号公報のように所定時間、空気中に保持した後、酸素との接触を遮断して油冷を行った場合には、酸化鉄層表面に形成された複数の孔内に油分が残留することがあり、摩擦特性に影響を及ぼすため、車両用ディスクブレーキロータなどの摺動部に使用される鋳鉄製摩擦部材としては適さない。これに対して、本発明では、酸素と接触したまま、室温までゆっくりと冷却するため、このような不具合が生じることはない。
【0057】
なお、車両用ディスクブレーキロータを大気中に暴露してから室温まで冷却するまでの冷却速度は1℃/min〜10℃/minとすることが好ましく、2℃/min〜8℃/minとすることがより好ましい。冷却速度が1℃/min未満では生産性が悪化し、10℃/minを超える場合には、窒素化合物層または酸化鉄層に亀裂が生じる場合がある。なお、通常は車両用ディスクブレーキを大気中に暴露することを維持すれば、上記の冷却速度で冷却されることとなる。
【実施例】
【0058】
以下、実施例により、本発明をさらに詳細に説明する。なお、実施例および比較例により得られる車両用ディスクブレーキロータの摩擦特性(摩擦係数、摩耗量)は、下記の摩擦試験を行うことにより評価した。
【0059】
[摩擦試験]
表1に示す組成を有するブレーキパッドを使用し、表2に示す各環境条件の下で、フルサイズ ブレーキダイナモ摩擦試験機により、摩擦試験をそれぞれ行った。具体的には、上述したように、第1効力試験後に、摺合せ、第2効力試験、第1再摺合せを行った。この結果、摺合せおよび第1再摺合せにおいて、各環境条件の下での摩擦係数を得た。また、摺合せおよび第1再摺合せにおいて、各環境条件の下で、ブレーキパッドおよび車両用ディスクブレーキロータの摩耗量を、それぞれ測定した。このとき、ブレーキパッドの摩耗量はマイクロメータ(株式会社ミツトヨ製、OMV−25M)により、車両用ディスクブレーキロータの摩耗量はコントレーサ(株式会社小坂研究所製、DR−200X63)により、測定した。
【0060】
なお、表2に示す各環境条件は、一般的に自動車が使用される環境条件のうち、実験的に再現可能な環境条件の中から任意に選択したものである。したがって、本発明の車両用ディスクブレーキロータの有する特性は、表2に示す環境条件下に限定して解釈されるべきものではない。
【0061】
【表1】
【0062】
【表2】
【0063】
(実施例1)
材料として鋳鉄材(FC200相当)を使用し、直径355mm、厚さ32mmの車両用ディスクブレーキロータを鋳造し、不要部分(湯口、バリなど)を除去した後、680℃で加熱処理を行った。次に、車両用ディスクブレーキロータの表面を切削加工した後、アルコール系洗浄剤により脱脂を行った。
【0064】
その後、車両用ディスクブレーキロータをガス軟窒化炉(株式会社不二越製、EQ−6S形)に投入し、処理温度を570℃(管理範囲:565℃〜575℃)とし、この処理温度における保持時間を100分(管理範囲:95分〜105分)として軟窒化処理を行った。このとき、窒素供給源として5.0m
3/h(管理範囲:4.5m
3/h〜5.5m
3/h)のアンモニアを、炭素供給源として0.05L/h(管理範囲:0.03L/h〜0.10L/h)のメタノールを使用した。
【0065】
軟窒化処理終了後、ガス軟窒化炉内で冷却し、雰囲気温度が440℃になった時点で、炉内から取り出し、大気中に暴露した。その後、この車両用ディスクブレーキロータを、大気中で2時間かけて室温(25℃)まで冷却した(冷却速度:3.45℃/min)。
【0066】
得られた車両用ディスクブレーキロータの表面近傍の断面のSEM(日本電子株式会社製、JSM―5800LV)により観察した。このSEM写真を
図1(a)に示す。また、この表面の組成を、X線回折装置(株式会社島津製作所製、XRD6100)を使用して、X線回折により分析した結果を
図1(b)に示す。さらに、鉄鋼の窒化層深さ測定方法(JIS G 0562準拠)により、各層の厚さを測定したところ、実施例1では、厚さ150μmの窒素拡散層(3)上に、厚さ15μmの窒素化合物層(2)が形成され、この窒素化合物層(2)の上に、厚さ4μmの均一で緻密なFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層(1)が形成されていることが確認された。
【0067】
その後、得られた車両用ディスクブレーキロータの表面25視野分を、SEM(日本電子株式会社製、JSM−5800LV)により撮影することにより、25視野分の表面画像(SEM写真)を得て、こられを画像処理装置(カールツァイス株式会社製、KS400)により二値化処理をすることで、25視野分の二値化処理画像を得た。これらの二値化処理画像より求められる表面の空孔面積率(25視野分の平均値)は4%であり、空孔部の孔径(最頻値)は0.5μm程度であった。このとき得られた車両用ディスクブレーキロータの(a)表面画像および(b)二値化処理画像を
図6に示す。
【0068】
さらに、この車両用ディスクブレーキロータに対して、摩擦試験を行った。この結果、摺合せにより求められる摩擦係数μ
0、および、第1再摺合せにより求められる摩擦係数μ
1から求められる変化率γは、いずれの環境条件下においても10%以内であった。また、この車両用ディスクブレーキロータの摩耗量は、平均で2.28μmであった。さらに、それぞれの環境条件における摺合せの摩擦係数μ
0、および、第1再摺合せの摩擦係数μ
1の標準偏差(σ)は、それぞれ0.011、0.010であった。これらの結果を表4および5に示す。
【0069】
(実施例2)
軟窒化処理後、雰囲気温度が400℃となった時点で炉内から取り出し、大気中に暴露したこと以外は、実施例1と同様にして車両用ディスクブレーキロータを得た。この車両用ディスクブレーキロータに対して、実施例1と同様に、SEM観察、X線回折分析および各層の厚さの測定を行った結果、厚さ150μmの窒素拡散層(3)上に、厚さ15μmの窒素化合物層(2)が形成され、この窒素化合物層(2)の上に、厚さ4μmの均一で緻密なFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層(1)が形成されていることが確認された。これらの結果を
図2(a)および(b)に示す。
【0070】
その後、実施例1と同様にして、車両用ディスクブレーキロータの表面画像および二値化処理画像を得て、表面の空孔面積率(25視野分の平均値)および空孔部の孔径(最頻値)を算出した。この結果を表3に示す。
【0071】
さらに、この車両用ディスクブレーキロータに対して、実施例1と同様の摩擦試験を行い、これにより得られた摩擦係数μ
0、μ
1から変化率γを求めた結果、いずれの環境条件下においても10%以内であった。また、この車両用ディスクブレーキロータの摩耗量は、平均で2.23μmであった。さらに、それぞれの環境条件における摺合せの摩擦係数μ
0、および、第1再摺合せの摩擦係数μ
1の標準偏差(σ)は、それぞれ0.011、0.010であった。これらの結果を表4および5に示す。
【0072】
(実施例3)
軟窒化処理後、雰囲気温度が480℃となった時点で炉内から取り出し、大気中に暴露したこと以外は、実施例1と同様にして車両用ディスクブレーキロータを得た。この車両用ディスクブレーキロータに対して、実施例1と同様に、SEM観察、X線回折分析および各層の厚さの測定を行った結果、厚さ150μmの窒素拡散層(3)上に、厚さ15μmの窒素化合物層(2)が形成され、この窒素化合物層(2)の上に、厚さ4μmの均一で緻密なFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層(1)が形成されていることが確認された。これらの結果を
図3(a)および(b)に示す。
【0073】
その後、実施例1と同様にして、車両用ディスクブレーキロータの表面画像および二値化処理画像を得て、表面の空孔面積率(25視野分の平均値)および空孔部の孔径(最頻値)を算出した。この結果を表3に示す。
【0074】
さらに、この車両用ディスクブレーキロータに対して、実施例1と同様の摩擦試験を行い、これにより得られた摩擦係数μ
0、μ
1から変化率γを求めた結果、いずれの環境条件下においても10%以内であった。また、この車両用ディスクブレーキロータの摩耗量は、平均で2.32μmであった。さらに、それぞれの環境条件における摺合せの摩擦係数μ
0、および、第1再摺合せの摩擦係数μ
1の標準偏差(σ)は、それぞれ0.010、0.010であった。これらの結果を表4および5に示す。
【0075】
(比較例1)
ガス軟窒化処理などの表面処理を施さなかったこと以外は、実施例1と同様にして車両用ディスクブレーキロータを得た。
【0076】
次に、実施例1と同様にして、得られた車両用ディスクブレーキロータに対して、摩擦試験を行い、得られた摩擦係数μ
0およびμ
1から変化率γを求めた結果、一部の環境条件では、変化率γが10%を超えていることが確認された。また、この車両用ディスクブレーキロータの摩耗量は、平均で2.49μmであった。さらに、それぞれの環境条件における摺合せの摩擦係数μ
0、および、第1再摺合せの摩擦係数μ
1の標準偏差(σ)は、それぞれ0.060、0.050であった。これらの結果を表4および5に示す。
【0077】
(比較例2)
軟窒化処理後、雰囲気温度が500℃となった時点で炉内から取り出し、大気中に暴露したこと以外は、実施例1と同様にして車両用ディスクブレーキロータを得た。この車両用ディスクブレーキロータに対して、実施例1と同様に、SEM観察、X線回折分析および各層の厚さの測定を行った結果、厚さ150μmの窒素拡散層(3)上に、厚さ11μmの窒素化合物層(2)が形成され、この窒素化合物層(2)の上に、厚さ4μmの均一で緻密なFe
3O
4を主成分とする酸化鉄層(1)が形成されていることが確認された。また、比較例2では、窒素化合物層(2)に、複数の微細な亀裂が生じていることが確認された。これらの結果を
図4(a)および(b)に示す。
【0078】
その後、実施例1と同様にして、車両用ディスクブレーキロータの表面画像および二値化処理画像を得て、表面の空孔面積率(25視野分の平均値)および空孔部の孔径(最頻値)を算出した。この結果を表3に示す。
【0079】
さらに、この車両用ディスクブレーキロータに対して、実施例1と同様の摩擦試験を行い、これにより得られた摩擦係数μ
0、μ
1から変化率γを求めた結果、一部の環境条件では、変化率γが10%を超えていることが確認された。また、この車両用ディスクブレーキロータの摩耗量は、平均で2.91μmであった。さらに、それぞれの環境条件における摺合せの摩擦係数μ
0、および、第1再摺合せの摩擦係数μ
1の標準偏差(σ)は、それぞれ0.019、0.017であった。これらの結果を表4および5に示す。
【0080】
(比較例3)
実施例1と同様にして得られた車両用ディスクブレーキロータを、アルカリ系洗浄剤により脱脂を行った後、シアン濃度約20質量%の塩浴中で、580℃で90分間浸漬することにより、塩浴軟窒化処理を行った。その後、車両用ディスクブレーキロータを冷却および水洗し、乾燥を行った。
【0081】
この車両用ディスクブレーキロータに対して、実施例1と同様に、SEM観察、X線回折分析および各層の厚さの測定を行った結果、厚さ150μmの窒素拡散層(3)上に、厚さ12μmの窒素化合物層(2)が形成されているが、Fe
3O
4を主成分とする酸化鉄層は形成されていないことが確認された。また、比較例3では、窒素化合物層に、多孔質のポーラス層が形成されていることが確認された。これらの結果を
図5(a)および(b)に示す。
【0082】
その後、実施例1と同様にして、車両用ディスクブレーキロータの表面画像および二値化処理画像を得て、表面の空孔面積率(25視野分の平均値)および空孔部の孔径(最頻値)を算出した。この結果を表3に示す。また、このとき得られた車両用ディスクブレーキロータの(a)表面画像および(b)二値化処理画像を
図7に示す。
【0083】
さらに、この車両用ディスクブレーキロータに対して、実施例1と同様の摩擦試験を行い、これにより得られた摩擦係数μ
0、μ
1から変化率γを求めた結果、全ての環境条件で、変化率γが10%を超えていることが確認された。また、この車両用ディスクブレーキロータの摩耗量は、平均で2.40μmであった。さらに、それぞれの環境条件における摺合せの摩擦係数μ
0、および、第1再摺合せの摩擦係数μ
1の標準偏差(σ)は、それぞれ0.013、0.011であった。これらの結果を表4および5に示す。
【0084】
【表3】
【0085】
【表4】
【0086】
【表5】