特許第6031900号(P6031900)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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特許6031900結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する方法、その装置及びプログラム
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6031900
(24)【登録日】2016年11月4日
(45)【発行日】2016年11月24日
(54)【発明の名称】結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する方法、その装置及びプログラム
(51)【国際特許分類】
   G01N 23/20 20060101AFI20161114BHJP
   H01J 37/26 20060101ALI20161114BHJP
   H01J 37/295 20060101ALI20161114BHJP
【FI】
   G01N23/20 350
   H01J37/26
   H01J37/295
【請求項の数】9
【全頁数】17
(21)【出願番号】特願2012-195153(P2012-195153)
(22)【出願日】2012年9月5日
(65)【公開番号】特開2014-52213(P2014-52213A)
(43)【公開日】2014年3月20日
【審査請求日】2015年5月12日
(73)【特許権者】
【識別番号】000005223
【氏名又は名称】富士通株式会社
(74)【代理人】
【識別番号】100099759
【弁理士】
【氏名又は名称】青木 篤
(74)【代理人】
【識別番号】100119987
【弁理士】
【氏名又は名称】伊坪 公一
(74)【代理人】
【識別番号】100081330
【弁理士】
【氏名又は名称】樋口 外治
(74)【代理人】
【識別番号】100114177
【弁理士】
【氏名又は名称】小林 龍
(72)【発明者】
【氏名】山▲崎▼ 貴司
【審査官】 比嘉 翔一
(56)【参考文献】
【文献】 特開2003−249186(JP,A)
【文献】 特開2009−002748(JP,A)
【文献】 特開2010−085297(JP,A)
【文献】 特開2005−099020(JP,A)
【文献】 特開2000−046762(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2011/0103681(US,A1)
【文献】 三石和貴,外,マルチスライス法によるHAADF−STEM像の計算,電子顕微鏡,2001年 3月31日,Vol.36,No.1,P.28−30
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N 23/00−23/227
H01J 37/00−37/36
JSTPlus(JDreamIII)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
結晶を形成する原子の熱振動により入射電子が散乱され、ブラッグ則に基づく入射電子の散乱が考慮されない第1散乱層と、ブラッグ則に基づいて入射電子が散乱され、結晶を形成する原子の熱振動による入射電子の散乱が考慮されない第2散乱層とを有する結晶モデルを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算することがコンピュータによって実行される方法。
【請求項2】
前記第1散乱層が前記結晶モデルの厚さ方向における所定の位置に配置され、前記第1散乱層以外の結晶の部分が前記第2散乱層により形成される複数の前記結晶モデルであって、各前記結晶モデルにおける前記第1散乱層が配置される厚さ方向の位置が異なっている複数の前記結晶モデルを用いて、複数の前記結晶モデルそれぞれに対して、電子の散乱角分布を計算し、
計算された複数の散乱角分布の平均を求める請求項1に記載の方法。
【請求項3】
前記結晶モデルの厚さは、原子の熱振動により入射電子が散乱される平均自由行程の1.5倍以下である請求項1又は2に記載の方法。
【請求項4】
前記第1散乱層は、入射電子と原子の熱振動との間の相互作用を表す実数のポテンシャルエネルギーを有する請求項1又は2に記載の方法。
【請求項5】
前記結晶モデルは、1つの前記第1散乱層を有する請求項1〜の何れか一項に記載の方法。
【請求項6】
入射電子として、収束電子線を用いる請求項1〜の何れか一項に記載の方法。
【請求項7】
結晶を形成する原子の熱振動により入射電子が散乱され、ブラッグ則に基づく入射電子の散乱が考慮されない第1散乱層と、ブラッグ則に基づいて入射電子が散乱され、結晶を形成する原子の熱振動による入射電子の散乱が考慮されない第2散乱層とを有する結晶モデルを記憶する記憶部と、
前記記憶部に記憶された前記結晶モデルを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する演算部と、
を備える装置。
【請求項8】
前記記憶部は、前記第1散乱層が前記結晶モデルの厚さ方向における所定の位置に配置され、前記第1散乱層以外の結晶の部分が前記第2散乱層により形成される複数の前記結晶モデルであって、各前記結晶モデルにおける前記第1散乱層が配置される厚さ方向の位置が異なっている複数の前記結晶モデルを記憶しており、
前記演算部は、複数の前記結晶モデルそれぞれに対して、電子の散乱角分布を計算し、計算された複数の散乱角分布の平均を求める請求項7に記載の装置。
【請求項9】
結晶を形成する原子の熱振動により入射電子が散乱され、ブラッグ則に基づく入射電子の散乱が考慮されない第1散乱層と、ブラッグ則に基づいて入射電子が散乱され、結晶を形成する原子の熱振動による入射電子の散乱が考慮されない第2散乱層とを有する結晶モデルを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算することをコンピュータに実行させるプログラム。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する方法、その装置及びプログラムに関する。
【背景技術】
【0002】
従来、結晶の構造を解析するために透過型電子顕微鏡が用いられている。透過型電子顕微鏡は、試料である結晶を透過した電子を検出して原子の配列を観察すると共に、回折像を取得することができる。
【0003】
このようにして得られた原子像又は回折像から、結晶の構造を調べることができる。
【0004】
また、透過型電子顕微鏡の観察により得られた原子像又は回折像は、実験とは別に計算により求められた原子像又は回折像と比較することにより、定性的又は定量的な構造の解析が行われる。
【0005】
最近の透過型電子顕微鏡では、装置の安定性の向上及び大電流からなる入射プローブの使用等によって、より高い分解能の原子像又は回折像を得ることできるので、計算結果との定量的な比較を行うことが積極的に行われている。
【0006】
入射した電子と結晶を形成する原子との散乱を計算する場合、電子が原子と一回だけ散乱する運動学的な解析と、電子が原子と複数回散乱する動力学的な解析とがある。
【0007】
例えば、実験により得られた電子回折像には、菊池パターンと呼ばれるパターンが、ブラッグ散乱による回折斑点の1/2の位置に観察される。この菊池パターンは、入射電子が結晶を形成する原子の熱振動との相互作用により散乱し、この散乱した電子が、更にブラッグ散乱することにより生じる。
【0008】
結晶中の原子は、正の電荷を有する原子核と、この原子核の正の電荷を中和する負の電荷を有する電子を有しているが、熱振動する原子では、正及び負の電荷の平衡位置がずれるので分極が生じる。そして、結晶に入射した電子は、原子の熱振動により生じる分極とクーロン相互作用により散乱される。
【0009】
原子の熱振動により散乱された電子は、大きさは少ないものの散乱によりエネルギーを失うので、散乱前後でエネルギーが変化するため、原子の熱振動による散乱は非弾性散乱である。一方、ブラッグ散乱は、電子が散乱によりエネルギーを失わないので、弾性散乱である。
【0010】
電子の多重散乱を扱って菊池パターンを含む回折像を得るためには、電子と結晶との相互作用を動力学的に計算することが好ましい。
【0011】
電子の回折像を動力学的に計算する方法として、例えばマルチスライス法又はベーテ法(ブロッホ波法)が知られている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0012】
【特許文献1】特開平7−6725号公報
【非特許文献】
【0013】
【非特許文献1】J.M.LeBeau,S.D.Findlay,L.J.Allen,and S.Stemmer,Phys.Rev.Lett.100(2008)206101
【非特許文献2】K.Ohmoto,K.Tsuda,and M.Tanaka,J.Electron Microsc.51(2002)67
【非特許文献3】A.Chuvilin,U.Kaiser,Ultramicroscopy 104(2005)73
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0014】
マルチスライス法を用いて、電子の回折像を計算する場合には、結晶に1個ずつの電子を入射して、それぞれの散乱角を計算する。このマルチスライス法を用いて菊池パターンを含む回折像を得ることできるが、回折像を得るためには非常に多くの数の電子について散乱角を求める必要がある。従って、1つの回折像を得るのに要する計算時間が著しく長くなるという問題点がある。
【0015】
一方、通常のベーテ法は、ブラッグ則に基づく弾性散乱を表す相互作用を結晶ポテンシャルエネルギーの実部とし、原子の熱振動による電子の非弾性散乱を表す相互作用を結晶ポテンシャルエネルギーの虚部として扱う。しかし、このベーテ法では、結晶に散乱された電子の散乱振幅には、ブラッグ則に基づく散乱しか寄与せず、弾性散乱以外の相互作用により散乱された電子は吸収されたものとして扱われるので、散乱振幅には現れない。従って、通常のベーテ法では、菊池パターンを計算により求めることはできない。
【0016】
そこで、ベーテ法において、原子の熱振動による電子の非弾性散乱の寄与を散乱振幅に対に含める計算方法が提案されている。しかし、この計算方法は、非常に煩雑な計算を行うという問題点がある。
【0017】
また、計算により求められた菊池パターンと実験値とを比較するために、定量的に精度の良い計算を行うことが望まれている。
【0018】
そこで、本明細書では、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算するにあたって、上述した問題点を解決し得る方法を提案することを目的とする。
【0019】
また、本明細書では、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算するにあたって、上述した問題点を解決し得る装置を提案することを目的とする。
【0020】
更に、本発明では、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算するにあたって、上述した問題点を解決し得るプログラムを提案することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0021】
本明細書に開示する方法によれば、結晶を形成する原子の熱振動により入射電子が散乱される第1散乱層と、ブラッグ則に基づいて入射電子が散乱される第2散乱層とを有する結晶モデルを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算することがコンピュータによって実行される。
【0022】
また、本明細書に開示する装置によれば、結晶を形成する原子の熱振動により入射電子が散乱される第1散乱層と、ブラッグ則に基づいて入射電子が散乱される第2散乱層とを有する結晶モデルを記憶する記憶部と、上記記憶部に記憶された上記結晶モデルを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する演算部と、を備える。
【0023】
更に、本明細書に開示するプログラムによれば、結晶を形成する原子の熱振動により入射電子が散乱される第1散乱層と、ブラッグ則に基づいて入射電子が散乱される第2散乱層とを有する結晶モデルを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算することをコンピュータに実行させる。
【発明の効果】
【0024】
上述した本明細書に開示する方法によれば、結晶による電子の散乱角分布を定量的に精度高く且つ容易に計算できる。
【0025】
また、上述した本明細書に開示する装置によれば、結晶による電子の散乱角分布を定量的に精度高く且つ容易に計算できる。
【0026】
更に、上述した本明細書に開示するプログラムによれば、結晶による電子の散乱角分布を定量的に精度高く且つ容易に計算できる。
【0027】
本発明の目的及び効果は、特に請求項において指摘される構成要素及び組み合わせを用いることによって認識され且つ得られるだろう。
【0028】
前述の一般的な説明及び後述の詳細な説明の両方は、例示的及び説明的なものであり、特許請求の範囲に記載されている本発明を制限するものではない。
【図面の簡単な説明】
【0029】
図1】本明細書に開示する装置の一実施形態を示す図である。
図2】結晶モデルの基本形態を示す図である。
図3】回折像の計算に用いる結晶モデルを示す図である。
図4】結晶モデルの熱振動散乱層及びブラッグ散乱層のハミルトニアンを説明する図である。
図5】結晶を形成する原子の熱振動に基づく電子と結晶との相互作用を表すポテンシャルエネルギーの具体例を示す図である。
図6】散乱角分布の計算を説明する図である。
図7】単位格子に収束電子線を入射して回折像を計算することを説明する図である。
図8】(A)は、MgO(100)面に電子を入射した場合の回折像を原子の熱振動による電子の散乱を考慮せずに計算した結果を示しており、(B)は、MgO(100)面に電子を入射した場合の回折像を原子の熱振動による電子の散乱を考慮して計算した結果を示す図である。
図9】(A)は、Si(001)面に電子を入射した場合の回折像を原子の熱振動による電子の散乱を考慮して計算した結果を示しており、(B)は、Si(111)面に電子を入射した場合の回折像を原子の熱振動による電子の散乱を考慮して計算した結果を示す図である。
図10】(A)は、単位格子に平面波を入射して回折像を計算することを説明しており、(B)は、超格子に平面波を入射して回折像を計算することを説明する図である。
【発明を実施するための形態】
【0030】
以下、本明細書で開示する結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する装置の好ましい一実施形態を、図を参照して説明する。但し、本発明の技術的範囲はそれらの実施形態に限定されず、特許請求の範囲に記載された発明とその均等物に及ぶものである。
【0031】
図1は、本明細書に開示する装置の一実施形態を示す図である。図2は、結晶モデルの基本形態を示す図である。
【0032】
本実施形態の装置10は、結晶モデルを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する装置である。装置10は、求めた散乱角分布を用いて、電子の回折像又は原子像を計算し得る。装置10によって求められた電子の回折像又は原子像は、例えば、透過型電子顕微鏡により得られた実験結果と比較される。
【0033】
装置10は、演算部11と、記憶部12と、表示部13と、入力部14と、出力部15と、通信部16とを有する。
【0034】
記憶部12は、入射電子との相互作用を行う結晶をモデル化した結晶モデルMを記憶する。結晶モデルMは、図2に示すように、結晶を形成する原子の熱振動により入射電子が散乱される熱振動散乱層Tsと、ブラッグ則に基づいて入射電子が散乱されるブラッグ散乱層Bsとを有する。
【0035】
演算部11は、記憶部12に記憶された結晶モデルMを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する。
【0036】
表示部13は、演算部11が計算した散乱角分布に基づいて求められた回折像又は原子像等を表示する。
【0037】
入力部14は、結晶モデルMのデータ及び入射電子の加速電圧等を入力する。また、入力部14は、他の装置からのデータ等の入力を行う。
【0038】
出力部15は、演算部11が計算した散乱角分布に基づいて求められた回折像又は原子像等を印刷する。また、出力部15は、他の装置に対してデータ等の出力を行う。
【0039】
通信部16は、外部のネットワーク(図示しない)と接続して、装置10と、ネットワークとの間の通信を行う。
【0040】
演算部11は、記憶部12に記憶された所定のプログラムを実行することにより、上述した装置10の各機能を実現する。
【0041】
所定のプログラムは、例えば通信部16を用いて、ネットワーク(図示しない)を介して記憶部12に記憶することができる。また、結晶モデルMのデータを、ネットワークを介して入力して、記憶部12に記憶しても良い。また、所定のプログラムは、DVD,CD−ROM等の記録媒体に保存され得る。記録媒体に保存された所定のプログラムは、出力部15を用いて、記憶部12に読み込まれる。
【0042】
装置10は、例えば、サーバ又はパーソナルコンピュータ若しくはステートマシン等のコンピュータを用いて形成され得る。
【0043】
絶対零度よりも高い温度にある結晶を形成する原子は、熱振動している。従って、実際の結晶では、入射電子は、周期的に配置された原子によりブラッグ則に基づいて弾性散乱(ブラッグ散乱)すると共に、原子の熱振動により非弾性散乱(熱散漫散乱)する。
【0044】
結晶の入射面から入射した電子は、結晶の出射面から出射するまでの結晶内で、ブラッグ則に基づく相互作用と、原子の熱振動との間の相互作用とを受ける。
【0045】
一方、電子と結晶との相互作用を正確に取り扱うことには、従来技術の所で説明したような問題があった。
【0046】
そこで、本実施形態の装置10が用いる結晶モデルMは、図2に示すように、結晶を形成する原子の熱振動により入射電子が散乱される熱振動散乱層Tsと、ブラッグ則に基づいて入射電子が散乱されるブラッグ散乱層Bsとを有する。
【0047】
結晶モデルMでは、1つ又は複数の熱振動散乱層Tsが結晶モデルMの厚さ方向における所定の位置に配置される。結晶モデルMにおける熱振動散乱層Ts以外の部分は、ブラッグ散乱層Bsにより形成される。
【0048】
熱振動散乱層Tsでは、入射電子が結晶を形成する原子の熱振動により散乱されるが、ブラッグ則に基づく入射電子の散乱は考慮されない。また、ブラッグ散乱層Bsでは、入射電子がブラッグ則に基づいて散乱されるが、結晶を形成する原子の熱振動による散乱は考慮されない。
【0049】
このように、結晶モデルMの熱振動散乱層Tsでは、結晶を形成する原子の熱振動による電子の散乱が電子と結晶との相互作用として扱われ、ブラッグ散乱層Bsでは、ブラッグ則に基づく電子の散乱が入射電子と結晶との相互作用として扱われる。
【0050】
具体的な入射電子の散乱角分布の計算の説明は後述するが、原子の熱振動による電子と結晶との相互作用を熱振動散乱層Tsのみで扱うことにより、原子の熱振動による入射電子の散乱を計算することが容易になる。
【0051】
結晶モデルの厚さは、比較されるべき実験で使用される結晶の厚さと対応するように設定されることが好ましい。
【0052】
結晶モデルには、その厚さに応じて適切な数の熱振動散乱層Tsが配置され得る。熱振動散乱層Tsの数は、実際の結晶中で原子の熱振動による電子と結晶との相互作用の大きさに対応するように決定されることが好ましい。具体的には、熱振動散乱層Tsの数は、実験から得られる回折像と定量的に対応するように決定され得る。
【0053】
熱振動散乱層Tsの厚さは、熱振動散乱層Tsの数と共に、実際の結晶中で原子の熱振動による入射電子と結晶との相互作用の大きさに対応するように決定されることが好ましい。
【0054】
熱振動散乱層Tsの厚さの下限値は単原子層の厚さとなる。この場合、実験値と対応する原子の熱振動と電子との相互作用の大きさに対応する数の熱振動散乱層Tsが結晶モデルMに配置される。
【0055】
図3を参照して後述する結晶モデルでは、熱振動散乱層Tsの厚さが薄い程、計算される結晶モデルの数が多くなる。従って、計算量を低減する観点からは、熱振動散乱層Tsの厚さは厚いことが好ましい。
【0056】
一方、熱振動散乱層Tsの厚さの上限値は、実験値と対応する原子の熱振動と電子との相互作用の大きさを超えないようにする観点から決定され得る。
【0057】
本実施形態の結晶モデルMは、実験値と対応する相互作用の大きさを有する厚さの1つの熱振動散乱層Tsを結晶モデルM内に配置して計算量を低減することとした。結晶モデルMでは、1つの熱振動散乱層Tsが結晶モデルMの厚さ方向における所定の位置に配置される。熱振動散乱層Tsが配置される結晶モデルMの厚さ方向における位置は、電子の入射面側の位置、又は、電子の出射面側の位置、又は、入射面と出射面との間の位置であり得る。
【0058】
図2に示す結晶モデルMは、結晶に入射した電子が、結晶モデルM内の1つの熱振動散乱層Tsの部分において原子の熱振動により散乱されるというモデルである。この結晶モデルMを用いることにより、原子の熱振動による電子と結晶との相互作用を定量的に考慮すると共に計算量を低減できる。
【0059】
結晶モデルMの厚さは、原子の熱振動により入射電子が散乱される平均自由行程の1.5倍以下、特に1.0倍以下であることが好ましい。
【0060】
結晶モデルMの厚さが、原子の熱振動により入射電子が散乱される平均自由行程の1.5倍よりも大きいと、計算される原子の熱振動と電子との相互作用の大きさが、実際の散乱よりも小さく見積もられるおそれがある。
【0061】
次に、図2に示す結晶モデルMを参照して、結晶モデルMに入射した電子の振る舞いについて、以下に説明する。
【0062】
結晶モデルMは、電子が入射する入射面側に位置するブラッグ散乱層Bsと、結晶モデルMから電子が出射する出射面側に位置するブラッグ散乱層Bsと、両ブラッグ散乱層Bs間に配置される熱振動散乱層Tsとを有する。
【0063】
図2に示す結晶モデルMでは、入射電子線は、まず、入射面側のブラッグ散乱層Bsに入射する。このブラッグ散乱層Bsに入射した電子の内の一部はブラッグ散乱し、その他はブラッグ散乱せずに入射方向に沿ってブラッグ散乱層Bsを透過する。
【0064】
次に、ブラッグ散乱層Bsを透過した電子は、熱振動散乱層Tsに入射する。熱振動散乱層Tsに入射した電子の内の一部は、原子の熱振動と相互作用して散乱する。この熱振動による電子の散乱は、ブラッグ散乱のように、特定の結晶面で散乱されるわけではないので、散乱源から連続的な角度分布を持って散乱される。また、熱振動による電子の散乱の特徴として、入射方向から離れた高角度の方向に高い散乱確率を有するように散乱される。従って、散乱後の電子は入射方向と大きく異なる方向に向かって進むものが多い。熱振動による電子の散乱は、電子が散乱によりエネルギーを失う非弾性散乱であるが、この電子が失うエネルギーの大きさは小さいので、電子の運動エネルギーが散乱の前後で同じであるとする近似が成り立つ。
【0065】
従って、熱振動散乱層Tsにおいて原子の熱振動により散乱された電子は、熱振動散乱層Tsの出射面において、結晶モデルMへの入射エネルギーとほぼ同じ運動エネルギーを有し、且つ連続的な散乱角分布を有して、熱振動散乱層Tsから出射する。
【0066】
次に、熱振動散乱層Tsにおいて原子の熱振動により散乱された電子は、結晶モデルMへの入射エネルギーとほぼ同じ運動エネルギーを有し、且つ連続的な入射角分布を有して、結晶モデルMの出射面側に位置するブラッグ散乱層Bsに入射する。
【0067】
熱振動散乱層Tsにおいて熱振動により散乱された電子の内の一部は、結晶モデルMの出射面側に位置するブラッグ散乱層Bs内においてブラッグ散乱される。例えば、熱振動散乱層Tsにおいて熱振動により散乱された電子が、ブラッグ散乱層Bs内の(hkl)面で散乱すると、その散乱電子は、(hkl)面のブラッグ散乱によって生じるブラッグ回折斑点のちょうど半分の位置の方向に向かって散乱される。熱振動散乱層Tsにおいて熱振動により散乱された電子は、連続的な入射角分布を有する。従って、ブラッグ散乱層Bs内においてブラッグ散乱された電子の散乱角分布は連続的になり、結果として、回折像には(hkl)面のブラッグ散乱の回折斑点の垂直二等分線の位置にバンド状のコントラストが生じる。これが、いわゆる菊地パターンまたは菊地バンドとよばれる回折図形である。
【0068】
なお、上述した説明では、結晶モデルMの入射面側に位置するブラッグ散乱層Bsに入射し、このブラッグ散乱層Bsを透過した電子の振る舞いが例として述べられた。結晶モデルM内の電子の他の振る舞いとしては、ブラッグ散乱層Bsに入射した電子の内の一部が、ブラッグ散乱した後、熱振動散乱層Tsにおいて原子の熱振動により散乱されるものもある。各層における電子の振る舞いには、その他のパターンもあり得るが、本実施形態の装置10は、それらの散乱パターンを考慮して、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算するものである。
【0069】
図2に示す結晶モデルでは、原子の熱振動による電子の散乱は、熱振動散乱層Tsが結晶の厚さ方向における所定の位置に配置された場合のモデルである。図2に示す結晶モデルは、定性的な検討を行う場合又は計算時間を短くしたい場合には特に有用である。
【0070】
一方、実際の結晶では、原子の熱振動による電子の散乱が、結晶の厚さ方向における至る所で生じ得る。そこで、精度の良い定量的な検討を行う場合には、図3に示すような結晶モデルを用いることが好ましい。
【0071】
図3は、本実施形態において回折像の計算に用いる結晶モデルを示す図である。
【0072】
図3に示すn個の結晶モデルM1〜Mnは、熱振動散乱層Tsが結晶モデルの厚さ方向における所定の位置に配置されており、熱振動散乱層Ts以外の結晶の部分がブラッグ散乱層Bsにより形成される。各結晶モデルM1〜Mnでは、熱振動散乱層Tsが配置される厚さ方向の位置が異なっている。
【0073】
結晶モデルM1は、電子が入射する入射面側に位置する熱振動散乱層Tsと、結晶モデルMから電子が出射する出射面側に位置するブラッグ散乱層Bsとを有する。このように、結晶モデルM1は、1つのブラッグ散乱層Bsを有する。
【0074】
また、結晶モデルMnは、電子が入射する入射面側に位置するブラッグ散乱層と、結晶モデルMから電子が出射する出射面側に位置する熱振動散乱層Tsとを有する。このように、結晶モデルM1は、1つのブラッグ散乱層Bsを有する。
【0075】
結晶モデルM2及びM3は、図2に示す結晶モデルMと同様の構造を有する。
【0076】
装置10は、これらのn個の結晶モデルM1〜Mnを用いて、n個の結晶モデルM1〜Mnそれぞれに対して、電子の散乱角分布を計算し、計算された複数の散乱角分布の和を計算して、散乱角分布の平均を求める。
【0077】
図3に示す例では、結晶モデルMの厚さをn等分した厚さを、熱振動散乱層Tsの厚さとしている。複数の結晶モデルM1〜Mnでは、結晶モデルMの厚さ方向において、結晶モデルMの入射面側から出射面側までの間に、熱振動散乱層Tsが熱振動散乱層Tsの厚さの分だけずらして配置される。
【0078】
結晶モデルMの入射面に入射した電子は、各結晶モデルMにおいて、厚さ方向の異なる位置の熱振動散乱層Tsにおいて、原子の熱振動により散乱される。このようにして、原子の熱振動による電子の散乱が、結晶の厚さ方向における至る所で生じることを反映するモデルが作成された。
【0079】
次に、図3に示す結晶モデルを用いて、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算することを、以下に説明する。
【0080】
図4は、結晶モデルの熱振動散乱層及びブラッグ散乱層のハミルトニアンを説明する図である。
【0081】
結晶に電子が入射する運動を表すハミルトニアンHは、式(1)に示すように、電子の運動エネルギーTと、ブラッグ則に基づく電子と結晶との相互作用を表すポテンシャルエネルギーVbと、結晶を形成する原子の熱振動に基づく電子と結晶との相互作用を表すポテンシャルエネルギーVtとの和として表される。ポテンシャルエネルギーVtは、非弾性散乱なので虚数を表すiが付けられている。
【0082】
結晶モデルMのブラッグ散乱層Bsでは、結晶を形成する原子の熱振動に基づく電子と結晶との相互作用が考慮されないので、ハミルトニアンHbは、式(2)に示す形となる。即ち、ハミルトニアンHbでは、式(1)に示すハミルトニアンHからポテンシャルエネルギーVtが除かれている。
【0083】
また、結晶モデルMの熱振動散乱層Tsでは、ブラッグ則に基づく電子と結晶との相互作用が考慮されないので、ハミルトニアンHtは、式(3)に示す形となる。即ち、ハミルトニアンHtでは、式(1)に示すハミルトニアンHからポテンシャルエネルギーVbが除かれている。また、式(3)に示すハミルトニアンHtでは、ポテンシャルエネルギーVtを実数として扱うこととする。上述したように、熱振動による電子の散乱は、電子が失うエネルギーの大きさが小さいので、電子の運動エネルギーが散乱の前後で同じであるとする近似が成り立つためである。このように、熱振動散乱層Tsが、入射電子と原子の熱振動との間の相互作用を表す実数のポテンシャルエネルギーを有することにより、ベーテ法におけるブラッグ散乱を扱うのと同様の計算を用いて、結晶を形成する原子の熱振動と入射電子との相互作用を計算することが容易にできる。
【0084】
図5は、結晶を形成する原子の熱振動に基づく電子と結晶との相互作用を表すポテンシャルエネルギーの具体例を示す図である。
【0085】
式(4)に示すポテンシャルエネルギーVt(Q)は、入射電子と、結晶を形成する原子の熱振動との相互作用を表すポテンシャルエネルギー(実空間)のフーリエ成分(波数空間)の具体例である。なお、式(4)は、低次の項までを考慮した近似式であるが、Vt(Q)として高次の項までを考慮した式を用いても良い。
【0086】
次に、上述した結晶モデルMをベーテ法に適用して、結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算することを、図6を参照して、以下に説明する。
【0087】
まず、入射面側のブラッグ散乱層Bsについて、電子が入射面側から入射し且つ熱振動散乱層Ts側の面から出射する境界条件のもとで、式(2)に示すハミルトニアンHbを用いて、定常状態のシュレーディンガー方程式を解いて、固有値g及び固有ベクトルCbを得る。
【0088】
また、熱振動散乱層Tsについて、電子が入射面側のブラッグ散乱層Bs側から入射し且つ出射面側のブラッグ散乱層Bs側から出射する境界条件のもとで、式(3)に示すハミルトニアンHtを用いて、定常状態のシュレーディンガー方程式を解いて、固有値g及び固有ベクトルCtを得る。
【0089】
更に、出射面側のブラッグ散乱層Bsについて、電子が熱振動散乱層Ts側から入射し且つ出射面から出射する境界条件のもとで、式(2)に示すハミルトニアンHbを用いて、定常状態のシュレーディンガー方程式を解いて、固有値g及び固有ベクトルCbを得る。
【0090】
従来のベーテ法では、結晶のモデルがハミルトニアンHbのみを用いて計算されていたので、結晶を形成する原子の熱振動と入射電子との相互作用は考慮されていなかった。本実施形態では、結晶モデルMにハミルトニアンHtを有する熱振動散乱層Tsを加えることにより、結晶を形成する原子の熱振動と入射電子との相互作用が考慮される。
【0091】
図6は、散乱角分布の計算を説明する図である。
【0092】
上述した結果を用いて、波動関数Φiで表される電子を結晶モデルMに入射した場合、出射する電子の波動関数Φoは、図6の式(5)で表される。
【0093】
ここで、Mb(t1)は、固有ベクトルCbと、固有ベクトルCbの逆ベクトルCbと、固有値を対角要素として有する対角行列Γ(t1)とを用いて、式(6)のように示される。ここで、t1は、入射面側に位置するブラッグ散乱層Bsの厚さであり、Γ(t1)は、式(9)のような形を有する。
【0094】
また、Mt(t2)は、固有ベクトルCtと、固有ベクトルCtの逆ベクトルCtと、固有値を対角要素として有する対角行列Γ(t2)とを用いて、式(7)のように示される。ここで、t2は、熱振動散乱層Tsの厚さであり、Γ(t2)は、式(9)のような形を有する。
【0095】
また、Mb(t3)は、固有ベクトルCbと、固有ベクトルCbの逆ベクトルCbと、固有値を対角要素として有する対角行列Γ(t3)とを用いて、式(8)のように示される。ここで、t3は、出射面側に位置するブラッグ散乱層Bsの厚さであり、Γ(t3)は、式(9)のような形を有する。
【0096】
式(10)は、波動関数Φiとして平面波を用いた場合の出射する電子の波動関数Φoを示しており、波動関数Φoは、各散乱角の方向へ散乱する散乱振幅を成分とするベクトルとして表される。
【0097】
図3に示す結晶モデルM1は、出射面側に位置する1つのブラッグ散乱層Bsしか有していないので、式(5)中の行列Mb(t1)が除かれる。同様に、図3に示す結晶モデルMnは、入射面側に位置する1つのブラッグ散乱層Bsしか有さないので、式(5)中の行列Mb(t3)が除かれる。
【0098】
このようにして、結晶モデルMにおける熱振動散乱層Tsが配置される厚さ方向の位置が異なっている複数の結晶モデルそれぞれに対して散乱振幅の計算が行われ、計算された散乱振幅の平均が求められる。
【0099】
このようにして求められた散乱振幅に基づいて、結晶との散乱により所定の方向に散乱する電子の散乱確率が求められる。そして、この電子の散乱確率に基づいて、回折像が求められる。また、この電子の散乱確率に基づいて、原子像を求めることもできる。本明細書では、散乱角分布は、散乱振幅又は散乱確率を含む意味である。
【0100】
次に、上述した結晶モデルMに対して入射する電子線の説明を以下に行う。
【0101】
図7は、単位格子に収束電子線を入射して回折像を計算することを説明する図である。
【0102】
本実施形態では、上述した結晶モデルMの入射面に対して、収束電子線が入射される。
【0103】
収束電子線が入射される結晶モデルMは、結晶の単位格子Uが厚さ方向に積層された構造を有する。入射面側に位置するブラッグ散乱層Bsは、複数の単位格子Uが積層されて形成される。熱振動散乱層Tsも、複数の単位格子Uが積層されて形成される。図7に示す例では、4つの単位格子Uが積層されて、熱振動散乱層Tsが形成されている。また、出射面側に位置するブラッグ散乱層Bsは、複数の単位格子Uが積層されて形成される。
【0104】
収束電子線を用いると、入射ディスクDiから結晶モデルMの入射面上の点に対して収束するように、電子線が結晶モデルMに入射される。結晶モデルMの入射面に対して垂直でない入射角を有する電子線が結晶モデルMに対して入射されるので、平面波を入射した場合には考慮されないようなブラッグ散乱以外の方向への散乱も考慮される。このように、収束電子線を用いることにより、超格子を用いずに単位格子Uを用いた計算を行える。超格子を有する結晶モデルMを用いると、計算を行う系が大きくなるので装置10の記憶部12は大きな記憶領域を有することが求められる。また、超格子を有する結晶モデルMを用いると、計算に長い時間を要するおそれがある。そこで、本実施形態では、収束電子線を用いることにより、記憶領域及び計算時間を低減することができる。
【0105】
例えば、図7に示す例では、結晶モデルMの入射面に対して垂直な入射角で入射する電子Pは、回折像において点pに示す回折斑点又は透過斑点を形成し得る。また、結晶モデルMの入射面に対して垂直でない入射角で入射する電子P’は、回折像において点p’に示す回折斑点又は透過斑点を形成し得る。なお、入射ディスクDiを有する収束電子線を用いると、透過電子により透過ディスクDtが形成され、回折電子により回折ディスクDdが形成される。
【0106】
次に、本実施形態の装置10を用いて計算された電子回折像の例を、図面を参照して、以下に説明する。
【0107】
図8(A)は、MgO(100)面に電子を入射した場合の回折像を原子の熱振動による電子の散乱を考慮せずに計算した結果を示す図である。図8(B)は、MgO(100)面に電子を入射した場合の回折像を原子の熱振動による電子の散乱を考慮して計算した結果を示す図である。図8(A)は、上述した結晶モデルMを用いて計算された図8(B)と比較するために示される。
【0108】
図8(B)の計算では、熱振動散乱層Tsの厚さは、単位格子における結晶モデルMの厚さ方向の格子定数の4倍とした。具体的には、熱振動散乱層Tsの厚さは約4nmであり、結晶モデルMの厚さは約70nmであった。収束電子線の加速電圧は200kVとした。また、透過ディスクと、(200)面によりブラッグ散乱された回折像である(200)面回折ディスクとが接するように、入射ディスクを設定した。また、図8(A)及び図8(B)では、結果を見やすく示すために、回折像の各画素の輝度を最大輝度で除した後0.15乗してある。
【0109】
図8(A)では、結晶を形成する原子の熱振動と入射電子との相互作用が考慮されていないので菊池パターンは見られず、ブラッグ散乱による回折斑点のみが示されている。一方、図8(B)では、結晶を形成する原子の熱振動と入射電子との相互作用が考慮されているので、菊池パターンが回折斑点と共に明確に示されている。
【0110】
図9(A)は、Si(001)面に電子を入射した場合の回折像を原子の熱振動による電子の散乱を考慮して計算した結果を示す図である。図9(B)は、Si(111)面に電子を入射した場合の回折像を原子の熱振動による電子の散乱を考慮して計算した結果を示す図である。
【0111】
図9(A)及び図9(B)の計算は、上述した図8(A)及び図8(B)の計算と同様の条件で行われた。
【0112】
図9(A)及び図9(B)共に、結晶を形成する原子の熱振動と入射電子との相互作用が考慮されているので、菊池パターンが回折斑点と共に明確に示されている。
【0113】
上述した本実施形態の装置10によれば、結晶による電子の散乱角分布を定量的に精度高く且つ容易に計算できる。
【0114】
具体的には、結晶を形成する原子の熱振動と入射電子との相互作用を表す実数のポテンシャルエネルギーを有する熱振動散乱層Tsを有する結晶モデルMを用いることにより、ベーテ法におけるブラッグ散乱の計算手法と同様の手法を用いて、結晶による電子の散乱角分布を計算できる。
【0115】
また、本実施形態の装置10により計算された散乱角分布は、高分解能の回折像又は原子像が得られる走査透過型電子顕微鏡により得られた実験結果と好適に比較される。
【0116】
上述した実施形態では、収束電子線を結晶モデルMに対して入射する例が説明されたが、入射する電子線としては、他の電子線であっても良い。
【0117】
図10(A)は、単位格子に平面波を入射して回折像を計算することを説明しており、図10(B)は、超格子に平面波を入射して回折像を計算することを説明する図である。
【0118】
図10(A)に示すように、入射する電子線として平面波を用いても良い。図10(A)に示す例では、結晶モデルMは、結晶の単位格子Uが厚さ方向に積層された構造を有する。図示してはいないが、結晶モデルMは、ブラッグ散乱層Bs及び熱振動散乱層Tsを有する。また、入射電子として平面波を用いると、散乱電子は回折斑点を形成する。
【0119】
また、図10(B)に示すように、入射する電子線として平面波を用い且つ結晶モデルMが超格子を用いても良い。図10(B)に示す例では、結晶モデルMは、2つの単位格子により形成される超格子を有している。超格子を用いることにより、平面波を用いても、ブラッグ散乱以外の方向への散乱が考慮される。
【0120】
本発明では、上述した実施形態の結晶によって入射電子が散乱された散乱角分布を動力学的に計算する方法、その装置及びプログラムは、本発明の趣旨を逸脱しない限り適宜変更が可能である。
【0121】
例えば、上述した実施形態では、入射電子が結晶モデルMを透過した場合の散乱角分布が計算されていたが、本発明は、入射電子が試料である結晶を完全には透過せずに反射されるLEED、RHEED等の散乱による散乱角分布の計算にも適用可能である。
【0122】
また、上述した実施形態では、ベーテ法を用いて散乱角分布を計算していたが、本発明は、他の方法を用いて散乱角分布を計算しても良い。例えば、本発明は、マルチスライス法を用いて散乱角分布を計算しても良い。
【0123】
ここで述べられた全ての例及び条件付きの言葉は、読者が、発明者によって寄与された発明及び概念を技術を深めて理解することを助けるための教育的な目的を意図する。ここで述べられた全ての例及び条件付きの言葉は、そのような具体的に述べられた例及び条件に限定されることなく解釈されるべきである。また、明細書のそのような例示の機構は、本発明の優越性及び劣等性を示すこととは関係しない。本発明の実施形態は詳細に説明されているが、その様々な変更、置き換え又は修正が本発明の精神及び範囲を逸脱しない限り行われ得ることが理解されるべきである。
【符号の説明】
【0124】
10 装置
11 演算部
12 記憶部
13 表示部
14 入力部
15 出力部
16 通信部
M 結晶モデル
Ts 熱振動散乱層(第1散乱層)
Bs ブラッグ散乱層(第2散乱層)
J 入射電子線
U 単位格子
Cb 収束電子線
Di 入射ディスク
Dt 透過ディスク
Dd 回折ディスク
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図10
図8
図9