【課題を解決するための手段】
【0013】
本発明者らは、TiNの有する優れた耐凝着性を損なうことなく耐摩耗性を改良するには、TiNの組成をあまり変化させず硬質化すれば、TiNの有する優れた耐凝着性を損なうことなく、かつ、剥離強さも高くできるのではないかと考えた。
【0014】
そこで、TiNに対する少量B添加について、独自に検討することとし、Ti−0at.%B、Ti−5at.%B、Ti−10at.%B、Ti−30at.%B、Ti−44at.%B組成の5種の組成として、段落0052に記載した方法で焼結して、ターゲット材とした。このターゲットを用いて、段落0055に記載した方法で、AIPにより、始めに、窒素圧を4.5Pa、バイアス電圧を60V一定として、WC−10mass%Co超硬合金(WC粒度1.5μm、硬さ90.0HRA)を基材とし、3μmの厚さを目標として被覆した。
【0015】
得られた被膜について、B量を堀場製作所社製グロー放電発光分光分析装置GD−PROFILER2(Glow Discharge Optical Emission Spectrometry、以下GD−OESと記す)で分析した。その結果、表1が得られた。これより、被膜の組成は、ターゲットのB量が0at.%では、TiとN量はいずれも50at.%であるが、同B量が増加するほど、Tiが減少し、NとBが増加していることが分る。被膜のB量は、ターゲットのB量と比べて約1/4〜1/7である。以下、表1の各ターゲットによる被膜の組織と諸特性は、表1の被膜のB量との関係で考察する。
【0016】
【表1】
【0017】
次に、被膜の表面を走査型電子顕微鏡(以下SEMと記す)で観察し
図1を得た。表面組織では結晶粒が認められるが、この結晶粒度は、被膜中B量が1.5at.%までは微粒化し、5.0at.%で粗粒化し、10at.%で再び微粒化した。但し、この組織は、後述する断面組織と対応せず、かつ製品化前に被膜表面を研磨するため重要ではない。
【0018】
表1の0〜1.5at.%B添加試料について、被膜及びその近傍の基材の断面組織をSEMで観察した結果が
図2である。断面組織は鏡面である。
図2下段は、下から基材、被膜、そして埋め込み材である。埋め込み材は、被膜が研削及び研磨で損傷しないために用いており、試料の状態で被膜表面から僅かに剥がれると黒く見える。上段は、下段の四角で囲った部分の拡大組織である。被膜には薄灰色と灰黒色のコントラストを示す部分が見え、被膜中B量が増加するに従って、灰黒色の部分が微粒化していることが分る。
【0019】
しかし、鏡面では見え難いので、
図2の試料について、被膜をアルカリ溶液で食刻して再度SEM観察し
図3を得た。
図3下段と上段の組織の撮影倍率は
図2と同じである。食刻により、被膜の結晶粒組織が明瞭となった。よって、以下の被膜の断面観察は同様の食刻組織で行った。ここで、B無添加の被膜組織は、最大1×2μm程度の比較的大きい(以下粗粒と記載)TiNの結晶が観察された。鏡面で認められた灰黒色組織は、食刻面では黒色に見える。
【0020】
1at.%B添加により、粗粒TiNに類似する粒子が減少し、鏡面で認められた灰黒色組織のうち微細なものは食刻されやすい。その結果、上段に点線の四角と矢印で示した、二方向のレンズ状の結晶粒子が交差するようなヘリングボーン組織(herringbone structure)が現れた。この組織は、膜厚方向に対してV字形に傾斜するレンズ状粒子が集合している組織を示す。この粒子の短軸径は50〜500nm、長軸径は100〜1000nmで、V字形の交差角度は20゜〜60゜(垂直軸に対してはこの半分)であり、1.5at.%B添加で微細化した。ヘリングボーン組織には薄灰色のコントラストを示す部分と灰黒色のコントラストを示す部分があり二相である。
【0021】
図4は、表1の5at.%Bと10at.%B添加試料について被膜近傍の断面組織を
図3と同様にしてSEM観察した結果である。5at.%B添加でヘリングボーン組織内部の薄灰色部分が灰黒色に変化しているように観察され、10at.%B添加では大部分が黒色部分となった。
【0022】
次に、ターゲットをTi−10at.%Bとし、窒素圧を4.5Pa一定として、バイアス電圧を60〜20Vまで変化させて、前記と同じWC−10mass%Co超硬合金を基材とし、3μmの厚さを目標として被覆し、被覆後の断面組織を
図3及び
図4と同様にして観察し、
図5を得た。
図5より、いずれもヘリングボーン組織が見られ、バイアス電圧40Vが最も微細な組織となった。これらの被膜中の平均B量は約1.5at.%でバイアス電圧を変化させても大きくは変わらなかった。
【0023】
更に、ターゲットをTi−10at.%Bとし、バイアス電圧を60V一定として、窒素圧を3〜6Paと変化させて、前記と同じWC−10mass%Co超硬合金を基材とし、3μmの厚さを目標として被覆し、被覆後の断面組織を
図3及び
図4と同様にして観察し、
図6を得た。この場合も、ヘリングボーン組織が見られ、窒素圧を4.5Paから増減するといずれの場合も組織が微細化した。これらの被膜中の平均B量は約1.5at.%で窒素圧を変化させても大きくは異ならなかった。
【0024】
図1の試料の被膜の表面を軽く研摩して、マイクロビッカース硬さ計で硬さを調べた結果、
図7が得られた。
図7より、1.5at.%Bの試料において最も硬い平均硬さ4330HV0.098Nを示した。これは既述した(Ti,Al,Si)Nの3700HVより硬い。B添加試料の硬さは
図3及び
図4に示した組織の微細さと相関していると思われる。TiNと10at.%B添加試料の硬さの違いの原因は後述する。
【0025】
図8には、
図5及び
図6の被膜硬さを測定した結果を示した。バイアス電圧は、40Vの時に最も硬質となり、4850HV0.098Nであった。窒素圧力は6Paの時に最も硬質となり、5180HV0.098Nであった。これらの硬さも、
図5及び
図6に示した組織の微細さと相関していると思われる。これらの結果から、窒素圧力を6Pa、バイアス電圧を40Vとすることで5700HV0.098Nに到達することが分る。
【0026】
本発明者らの被膜は硬質化を達成したので、次に剥離強さを測定した。
図9は、硬さ測定した
図7及び
図8の試料の被膜表面について、剥離強さを測定した結果である。
図9より、本B添加範囲で、上記のバイアス電圧と窒素圧力の如何にかかわらず、50N以上の高い剥離強さを有することが分った。
【0027】
これは、TiNの組成をあまり変化させることなく、硬質化した結果であることを確かめるために、各試料の被膜についてX線回折を行い、相同定を行った。まず、以上の試料の被膜について、測定条件を、管電圧:40kV、管電流:30mA、X線種:CuKα、発散スリット:2/3°、散乱スリット:2/3°、受光スリット:0.3mm、ステップ幅:0.1°、スキャンスピード:2°/min、グラファイト湾曲結晶モノクロメーター使用として、X線回折を行った。その結果、
図10〜
図12が得られた。
【0028】
図10は、
図1〜
図4の被膜についてのX線回折結果である。
図10では、母材のWC、Co以外はTiNの位置のピークだけが認められ、TiB及びTiB
2等他の硬質物質のピークは認められなかった。斜方晶TiBの最強ピーク角度2θは38.49゜、立方晶TiBの最強ピーク角度2θは37.06゜、TiB
2の第2強度ピーク角度2θは34.16゜(最強ピーク角度2θは44.48゜でCoピークと重なる)であるが、これらのピークは見られなかった。
【0029】
また、TiNの(111)面のピーク高さは、B添加量とともに低下した。TiNの(200)面のピーク高さは、1at.%で最も高くなり、その後、B添加量が増えるに従って低くなりピーク幅は広がった。これらの結果は注目される。
【0030】
図11は、
図5の被膜についてのX線回折結果である。
図11より、窒素圧が4.5Pa一定の下で電圧を
図1の60Vより低下させると、
図10で注目したTiNの(200)面のピーク高さは、バイアス電圧40Vにおいて最も高くなった。なお、この場合も、母材のWC、Co以外はTiNの位置のピークだけ認められ、やはり、TiB及びTiB
2等他の硬質物質のピークは認められなかった。
【0031】
図12は、
図6の被膜についてのX線回折結果である。
図12より、バイアス電圧が60V一定の下で、窒素圧を
図1の4.5Paより増減すると、
図10で注目したTiNの(200)面のピーク高さは、6Paにおいて最も高くなった。なお、この場合も、母材のWC、Co以外はTiNの位置のピークだけ認められ、やはり、TiB及びTiB
2等他の硬質物質のピークは認められなかった。
【0032】
図10では、Bの量が増えるにしたがって、TiNは(200)面に強く配向し、かつ(200)ピークの形状は大きくブロードになっている。これは配向と結晶度が大きく変わっていることを示す。また、
図11では、バイアス電圧により、TiNの(200)面の配向が大きく変わっている。しかしながら、
図7〜
図9に示す硬さと剥離強さの値はこれらと相関していない。すなわち、TiNの配向と結晶度は、硬さと剥離強度にあまり影響していないと考えられる。
【0033】
次に、X線回折の結果を状態図から考察する。
図13は、非特許文献3の1400℃におけるB−N−Ti三元系状態図である。この状態図には、化合物としてTiN、TiN
1+X、TiB、TiB
2及びBNが見られる。
図14は、非特許文献4の25℃におけるB−N−Ti三元系状態図である。この状態図には、化合物としてTiN、TiN
1−X、Ti(N,B)
1+X、TiB、TiB
2及びBNが見られる。
【0034】
ここで、表1より、被膜へのB添加量の増加に伴いTi量が減少し、N量が増加している。これは、B添加により、TiNの成分はTiN
1−X側にはならず、TiN
1+X側に移行していることを示す。また、B添加被膜では白と黒色のコントラストを示すヘリングボーン組織があり、
図14のTi(N,B)
1+X相の固溶体相のみとは不一致である。すなわち本願被膜は、
図13の状態図と一致すると思われる。よって、TiN
1+Xの他にBNが含まれる可能性が大きい。
【0035】
しかし、前述した
図10〜12のX線回折結果では、立方晶窒化ほう素c−BNは、最強および第2強度ピーク2θ(43.29゜、74.08゜)はTiNと重なるので、X線回折では分らなかった。また、ウルツ鉱型窒化ほう素w−BNは、最強ピーク2θ(46.63°)は認められなかった。さらに、図では省略しているが、六方晶窒化ほう素h−BNの最強ピーク2θ(26.74°)も認められなかった。アモルファスBN(以下a−BNと記す)はX線回折では分らない。以上から、BNは存在する可能性がある。
【0036】
そこで、BNの存在及び種類を特定する目的で、TiN及び10at.%B添加被膜について、X線光電子分光分析装置(PHI社製Quantum2000型XPS分析装置(X−ray Photoelectron Spectroscopy)、以下XPSと記す。X線種AlKα)による分析を行い、
図15を得た。
【0037】
図15はXPSによるB1sナロースペクトルをTiN被膜及び10at.%B添加被膜について、調べた結果である。これにより10at.%B添加被膜にはBNのあることを発見した。
図10に示したX線回折においてBNと重なるTiN
1+x(200)面のピーク高さがB添加量と共に減少したことから、このBNはa−BNであると判断された。B
2O
3、単体のB及びTiB
2は含まれないことも分った。これらは
図13の状態図と一致することを証明した。
【0038】
次に、ヘリングボーン組織のEDXを行った。
図16は、ヘリングボーン組織をSEMで20万倍に拡大し、白色と黒色のコントラストを示す部分についてTiLαのラインプロファイルを加速電圧5kVで行った結果である。加速電圧を5kVとしたのは、表面観察で低加速とする必要があったためであるが、X線強度は低くなる。しかし、
図16に示したようにTiLα(励起電圧0.45kV)が、かろうじて検出され、白色部分の方のみにTiのピークが認められることを突き止めた。
【0039】
この結果と前記したX線回折、XPS結果から、白色部分はTiN
1+X、黒色部分はa−BNと判断された。すなわち、ヘリングボーン組織は微細なTiN
1+X及びa−BNの混相で形成されていることが分った。また、SEM像で両者の境界が不明確であることから、両相は連続的に変化していると思われた。
【0040】
ここで、
図3〜
図6に示した、1〜5at.%B添加被膜の断面組織にヘリングボーン組織が有り、そのコントラストが薄灰色と灰黒色の2種類で、10at.%B添加被膜の断面組織は殆どが灰黒色のコントラストとなる。そして、
図10の10at.%B添加被膜のX線回折での(200面)のピークが低い。これらの事実は、灰黒色のコントラストを示す部分がa−BNであることを裏付ける。
【0041】
従来、TiNに対してB添加をした多くの特許や論文が見られるが、微細なTiN
1+X及びa−BNの混相で形成されたヘリングボーン組織を有することで3000HV0.098N以上の高い硬さの被膜を実現したのは、本発明者らが始めてである。
【0042】
ヘリングボーン組織を生じた原因は、被膜が形成される過程で、TiN
1+Xとa−BNが生じる際に相互干渉で応力を生じ、その応力を緩和するためと考えられる。ヘリングボーン組織を生じると、TiN
1+Xとa−BNが微細化するので、硬さが上昇する。
図7より、被膜中のB量の最適域が、0.8at.%以上9at.%以下ということになる。
【0043】
最後に、実用性能を確かめるために、耐凝着性および耐摩耗性を調べる目的で、WC−6mass%Co超微粒超硬合金(WC粒度0.5μm、硬さ92HRA)で作られた切削チップ(形状:TNGG160408R)に、TiNにBを1.5at.%添加し、
図2の1.5at.%Bと同様のa−BN含有TiN被膜を被覆した。また、同様の切削チップに一般のTiN被膜を被覆した。
【0044】
前記の2種類の被覆をした切削チップを用いて、切削速度150m/minとし、送りを0.15mm/revとして切込み1mmとして、SCM440調質鋼を15min(切削長2202m)切削した後の逃げ面を観察し、逃げ面摩耗幅V
Bを調べ、
図17を得た。
【0045】
図17より、a−BN含有TiN被膜のV
Bは、TiN被膜のV
Bと比べて約1/3であることが分る。また、a−BN含有TiN被膜は、被加工材の凝着がほとんど認められないが、TiNは5〜8μmの幅の被加工材の凝着物が認められる。すなわち、耐摩耗性だけでなく耐凝着性も著しく改善されていることが分る。このような結果は、被膜中のB量が0.8at.%以上9at.%以下のa−BN含有TiN被膜まで同様であった。B量がこれより多くても少なくても、硬さが3000HV0.098N以上にならず、耐摩耗性が不十分になる。
【0046】
本発明被膜は、普通のAIP法で微細な混相被膜を成膜できるので、基材を回転しながら成膜する必要はなく、コストが高くならず、基材回転による形状制限もない。
【0047】
なお、仮に何らかの理由で、上記TiN
1+XがTi(N,B)
1+X、a−BNがa−Ti(N,B)
1+Xであったとしても、微細なヘリングボーン組織に本発明の本質があるので、本発明に含まれる。
【0048】
以上から、TiNの優れた耐凝着性をさらに改善しつつ、TiNの耐摩耗性を約3倍に改善することに成功した。本発明の被膜は、高い耐凝着性及び耐摩耗性があるので、プラグ、ダイス、金型、パンチ、刃先交換式切削チップ、エンドミル、またはドリルに限らず、ある程度硬質の基材、すなわち64HRC以上のダイス鋼、64HRC以上の高速度鋼、84HRA以上のWC−Co超硬合金、WC−Co超硬合金に周期律表4族の炭化物、炭窒化物または窒化物を1種以上添加した84HRA以上の超硬合金、または炭化物系セラミックスに被覆する場合の種々の用途において有用なことは自明である。
【0049】
以上の様にして、本発明者らは、少量B添加について独自に検討した結果、被膜中のB量が0.8at.%以上9at.%以下において3000HV0.098N以上の高い硬さを有しつつ、剥離強度が50N以上と優れた、
図3〜
図6に示すように、レンズ状粒子で幅が50nm以上500nm以下で長さが100nm以上1000nm以下で角度は2方向の角度で20゜〜60゜(垂直軸に対してはこの半分となる)で交差するように構成されているヘリングボーン組織を有する被膜(以下、a−BN含有TiN被膜と記す)の発明に成功した。