【実施例】
【0035】
材料と方法
〔動物〕
本研究では270頭のラブラドール・レトリバー(LR)を用いて解析を行った。雌雄の内訳は雄が136頭、雌は134頭であった。全てのイヌが北海道盲導犬協会で1988年から2009年までに生まれ、約1年間一般家庭のパピーウォーカーのもとで育成された。12ヶ月〜16か月齢で北海道盲導犬協会に戻り、盲導犬候補犬となる適性試験を受けた。
【0036】
〔「吠えるイヌ」群と「吠えないイヌ」群の分類〕
吠えるイヌと吠えないイヌの分類は、盲導犬候補犬となる適性試験の際に実施した。適性試験では、約1か月間にわたり、犬舎の内外でみられた行動を1頭につき平均6.6±2.3人の盲導犬訓練士が評価を行った。盲導犬訓練士はそれぞれのイヌに対して吠え、攻撃性、落着き、活発性、感受性、注意散漫力などの行動について評価を行い、記録した。少なくとも一人の訓練士がヒトおよびイヌ、他の動物、動物の置物、階段に対して警戒および要求、興奮、猜疑心による「吠え行動がみられた」と記録したイヌを「吠えるイヌ」とした。また、吠え行動がみられたという評価がないイヌを「吠えないイヌ」として分類した。その結果、吠えるイヌは180頭、および吠えないイヌは90頭であった。
【0037】
〔遺伝子多型の遺伝子型判定〕
それぞれのイヌから血液を採取し、DNA抽出を行うまでマイナス30℃で保管した。ProteinaseK(Takara Bio Inc,Shiga,Japan)およびプロテアーゼ溶解試薬(KURABO,Osaka,Japan)、組織用懸濁液(KURABO)、フェノール/クロロフォルム(SIGMA-ALDRICH,MO,USA)を用いて血液中のタンパク質を分解および分離除去した。精製されたDNAはイソプロパノールを用いて沈殿させた。DNAの純度と濃度は分光光度計によって測定し、DNA抽出液はDNA増幅を行うまでマイナス30度で保管した。
【0038】
遺伝子多型は以下の17遺伝子36多型について解析した;セロトニン輸送体(SLC6A4)遺伝子C411T多型(van den Berg et al., 2005);セロトニン受容体1A(5-HTR1A)遺伝子T65GおよびC808A多型(van den Berg et al., 2005);セロトニン受容体1B(5-HTR1B)遺伝子G57AおよびA157C、G246A、C660G、T955C、G1146C多型(前掲非特許文献8);セロトニン受容体1D(5-HTR1D)遺伝子C290TおよびA788G多型(Vage and Lingaas, 2008);セロトニン受容体2B(5-HTR2B)遺伝子C263TおよびC1292T多型(Vage and Lingaas, 2008);セロトニン受容体3A(5-HTR3A)遺伝子C191T多型(Vage and Lingaas, 2008);トリプトファン水酸化酵素2(TPH2)遺伝子G149AおよびT543C、C612T、C1245A多型(Kaneko et al., 2008);ドーパミン輸送体(SLC6A3)遺伝子A1269G多型(Arata et al., 2008a);ドーパミン受容体D1(DRD1)遺伝子C1061T多型(Vage and Lingaas, 2008);ドーパミン受容体D3(DRD3)遺伝子C1021T多型(Vage and Lingaas, 2008); ドーパミン受容体D4(DRD4)遺伝子exon1(挿入/欠失)多型およびexon3(配列および繰り返し数の違い)多型(Niimi et al., 1999; Ito et al., 2004);チロシン水酸化酵素(TH)遺伝子C97TおよびG168A、G180A、C264T多型(Takeuchi et al., 2005);ドーパミン-B-水酸化酵素(DBH)遺伝子C789AおよびA1819G多型(Takeuchi et al., 2005);グルタミン酸輸送体(GLT-1)遺伝子C129TおよびT471C多型(Ogata et al., 2006);グルタミン脱炭酸酵素1(GAD1)遺伝子A339C多型(Arata et al., 2008b);カテコール-O-メチル基転移酵素(COMT)遺伝子G39AおよびG216A、G482A多型(Masuda et al., 2004a);モノアミン酸化酵素B(MAOB)遺伝子T199C多型(前掲非特許文献9)。
【0039】
それぞれの遺伝子型はTaqMan法、PCR-RFLP法、フラグメント解析、あるいはシークエンス解析によって同定した。5-HTR1A遺伝子T65G多型およびTPH2遺伝子G149AおよびT543C多型においてはTaqMan法およびシークエンス解析によって同定した。その他は一遺伝子多型につき一つの解析法で行った。
【0040】
〔TaqMan法〕
SLC6A4遺伝子C411T多型および5-HTR1A遺伝子T65GおよびC808A多型、5-HTR1B遺伝子G57AおよびA157C、G246A、C660G、T955C多型、5-HTR1D遺伝子C290TおよびA788G多型、5-HTR2B遺伝子C263TおよびC1292T多型、5-HTR3A遺伝子C191T多型、TPH2遺伝子G149AおよびT543C、C612T、C1245A多型、DRD1遺伝子C1061T多型、DRD3遺伝子C1021T多型、DBH遺伝子C789AおよびA1819G多型、GLT-1遺伝子T471C多型はTaqMan法によって遺伝子型判定を行った。
v 20μlのPCR反応液に50ngのDNAを使用し、0.9μMのフォワードおよびリバースプライマーおよびTaqManプローブ(4μM of VIC-labeled probe and FAM-labeled probe)(下表参照)、2 x TaqMan universal PCR master mix(Applied Biosystems,CA,USA)を使用した。プライマーおよびプローブはCustom TaqMan SNP genotyping Assay protocol(Applied Biosystems)によって作成された。95度10分間のインキュベーション後、92度15秒間の変性、60度1分間のアニーリングおよび伸長を45サイクル行った。PCRプレートはABI PRISM 7900HT sequence detector のthe Allelic Discrimination Sequence Detection System Software (Applied Biosystems)を用いて遺伝子型判定を行った。
【0041】
【表1】
【0042】
〔PCR Restriction Fragment Length Polymorphism(PCR−PFLP)法〕
COMT遺伝子G39AおよびG216A、G482A多型およびMAOB遺伝子T199C多型はPCR-RFLP法によって遺伝子型判定を行った。
20μlのPCR反応液に50ngのDNAを使用し、0.2μMのフォワードおよびリバースプライマー(TableS2)および2 x GC Buffer I 、dNTP mixture、LA Taq(Takara Bio Inc)を使用した。95度5分間のインキュベーション後、95度30秒間の変性および各遺伝子多型のアニーリング温度(TableS2)で30秒間、72度30秒間の伸長を50サイクル行った。最後に72度5分間で伸長を行った。PCR産物はそれぞれ20Uの制限酵素(下表参照)で12時間反応させて切断され、3%アガロースゲルによって遺伝子型ごとに異なる様々な長さの断片に分けられた。
【0043】
【表2】
【0044】
〔フラグメント解析〕
DRD4遺伝子exon1およびexon3多型はフラグメント解析によって遺伝子型判定を行った。
DRD4遺伝子exon1多型は、20μlのPCR反応液に50ngのDNAを使用し、0.2μlのフォワードおよびリバースプライマー(forward:5’-CGCCATGGGGAACCGCAG-3’(配列番号99), reverse:5'-CGGCTCACCTCGGAGTAGA-3’(配列番号100))および 2 x GC BufferII、dNTP mixture、LA Taq(Takara Bio Inc)を使用した。95度5分間のインキュベーション後、95度30秒間の変性、60度30秒間のアニーリング、72度30秒間の伸長を40サイクル行った。最後に72度5分間で伸長を行った。PCR産物は、3.5%アガロースゲルによって遺伝子型ごとに異なる長さの断片に分けられた。断片の長さはそれぞれS/S型は255bp、S/L型は255bpおよび279bp、L/L型は279bpであった。
【0045】
DRD4 遺伝子exonIII多型は、20μlのPCR反応液に0.5μMの蛍光標識されたフォワードおよびリバースプライマー(forward:5'-TTCTTCCTACCCTGCCCGCTCATG-3'(配列番号101), reverse 5'-CCGCGGGGGCTCTGCAGGGTCG-3'(配列番号102))、250μMのdATPおよびdCTP、dTTP、125μMのdGTP、125μMの7-Deaza-z'-Deoxyguanosine 5'-triphosphate(GE Healthcare,NJ,USA)、5 % dimethyl sulfoxide、10 x cloned Pfu DNA Polymerase Reaction buffer、PfuTurbo DNA Polymerase(STRATAGENE,CA,USA)を使用した。98度2分間のインキュベーション後、98度30秒間の変性、65度1分間のアニーリング、74度1分間の伸長を35サイクル行った。最後に74度10分間の伸長を行った。PCR産物の大きさはABI 3730 DNA analyzer(Applied Biosystems)によって推定された。ここで、447bpには同じ長さで配列が異なる遺伝子型があり、この分類のために一度目のPCR反応で用いたフォワードプライマーと、リバースプライマー(reverse:5'-TGGGCTGGGGGTGCCGTCC-3'(配列番号103))を使用してPCR反応をもう一度かけた。98度2分間間のインキュベーション後、98度30秒間の変性、65度1分のアニーリング、74度1分間の伸長を35サイクル行った。最後に74度10分間の伸長を行った。イヌのDRD4遺伝子exon3多型では8つのアレル(396、435、447a、447b、486、498、549、576)が存在するが、ラブラドールおよびゴールデンでは3つのアレルのみ(435、447a、447b)みられた。
【0046】
〔シークエンス解析〕
5-HTR1A遺伝子T65G多型および5-HTR1B 遺伝子G1146C多型、TPH2遺伝子G149AおよびT543C多型、TH遺伝子C97TおよびG168A, G180A, C264T多型、GLT-1遺伝子C129T多型、GAD1遺伝子A339C多型、SLC6A3遺伝子A1269G多型はシークエンス解析によって遺伝子型判定を行った。
【0047】
20μlのPCR反応液に50ngのDNAを使用し、0.2μMのフォワードおよびリバースプライマー(下表参照)、10 x Ex Taq Buffer、dNTP mixture、Ex Taq (Takara Bio Inc)を使用した。95度5分間のインキュベーション後、95度30秒の変性、各遺伝子多型のアニーリング温度(TableS3)30秒、72度30秒間の伸長を35サイクル(5-HTR1A遺伝子T65G多型およびTPH2遺伝子G149AおよびT543C多型、TH遺伝子C97TおよびG168A, G180A, C264T多型、GLT-1遺伝子C129T多型、GAD1遺伝子A339C多型)、45サイクル(SLC6A3遺伝子A1269G多型)、30サイクル(5-HTR1B遺伝子G1146C多型)行った。PCR産物はプライマーを除くためにMICROCON YM−30 or Amicon Ultra 0.5 mL Centrifugal Filters (MILLIPORE,MA,USA)(GAD1遺伝子A339C多型)またはMagExtractor (TOYOBO,Osaka,Japan)(SLC6A3遺伝子A1269G多型)、DNA Cleaner(Wako,Osaka,Japan)(5-HTR1A遺伝子T65G多型、5-HTR1B遺伝子G1146C多型、TPH2遺伝子G149AおよびT543C多型、TH遺伝子C97TおよびG168A, G180A, C264T多型、GLT-1遺伝子C129T多型)を用いて精製を行い、DNA濃度を10ng /μlに調整した。シークエンス反応はBig Dye Terminator v3.1 cycle sequencing kit(Applied Biosystems)を用いてABI 3730 DNA analyzer(Applied Biosystems)によって解析を行った。
【0048】
【表3】
【0049】
〔統計解析〕
全ての遺伝子多型データはSAS for Windows(SAS 9.2 institute Inc., Cary, NC, USA, 2002-2008)を用いて統計解析をした。カイ二乗検定およびフィッシャーの正確検定を用いて吠え行動の有無と遺伝子型頻度との関連解析を行った。P<0.05のときに有意に差があったとした。更に、どの遺伝子型において、吠え行動の有無に違いがあったのかを、残差分析を用いて調べ、P<0.05のときに有意差があったとした。吠え行動の有無と各遺伝子多型の遺伝子型頻度の関連性の検討に加え、吠え行動の有無と雌雄との関連性についても検討を行った。
【0050】
結果
〔吠え行動における雌雄の違い〕
吠え行動の有無と雌雄差を解析した結果、有意な差は認められなかったが、吠えるイヌの割合は、雄および雌で、それぞれ71.3%および61.9%であり、雄犬の方が雌犬よりも吠える傾向がみられた(下表)。
【0051】
【表4】
【0052】
〔吠え行動と神経伝達物質関連遺伝子多型の相関〕
吠え行動の有無と5-HTR1B遺伝子T955C多型およびMAOB遺伝子T199C多型との間に有意な相関がみられた(下表)。
【0053】
【表5】
【0054】
17遺伝子36多型のうち、5-HTR1B遺伝子G57A多型および5-HTR1D遺伝子C290TおよびA788G多型、5-HTR3A遺伝子C191T多型、DBH遺伝子A1819G多型、TPH2遺伝子C612T多型およびC1245A多型、TH遺伝子C97T多型、SLC6A4遺伝子C411T多型、5-HTR1B遺伝子A157C多型のマイナーアレルはみられず、雄においてのみ、5-HTR1B遺伝子G246A多型のマイナーアレルはみられなかった。
【0055】
吠え行動の有無と5-HTR1B遺伝子T955C多型の遺伝子型頻度およびアレル頻度の解析結果を下表に示した。
【0056】
【表6】
【0057】
吠え行動の有無と5-HTR1B遺伝子T955C多型との相関を解析した結果、吠え行動を示すイヌの割合は、T/T型またはTアレルを持つ個体では有意に少なく、Cアレルでは有意に多かった。雌雄別で検討し、雄を対象として検証した場合は全体と同様に吠え行動と関連性がみられたが、雌を対象とした場合、吠え行動の有無と5-HTR1B遺伝子T955C多型の遺伝子型頻度に相関はみられなかった。
【0058】
吠え行動の有無とMAOB遺伝子T199C多型の遺伝子型頻度およびアレル頻度の解析結果を下表に示した。
【0059】
【表7】
【0060】
雄を対象として吠え行動の有無とMAOB遺伝子T199C多型との相関を解析した結果、吠え行動を示すイヌの割合は、Cアレルを持つ個体では有意に少なく、Tアレルを持つ個体では有意に多かった。雌雄別で検討し、雌を対象とした場合、吠え行動の有無とMAOB遺伝子T199C多型の遺伝子型頻度とに相関はみられなかった。更に、雄の5-HTR1B遺伝子T955C多型およびMAOB遺伝子T199C多型において、遺伝子型の組み合わせと吠え行動を示すイヌの割合との関連解析結果を下表に示した。
【0061】
【表8】
【0062】
5-HTR1B遺伝子T955C多型のT/T型かつMAOB遺伝子T199C多型のC型をもつ46頭のうち、吠えるイヌの割合は56.3%であったのに対し、5-HTR1B遺伝子T955C多型のT/C型かつMAOB遺伝子T199C多型のT型をもつ18頭のうち、吠えるイヌの割合は94.4%と高い結果であった。5-HTR1B遺伝子T955C多型のC/C型かつMAOB遺伝子T199C多型のC型をもつイヌのうち、吠えるイヌの割合は100.0%であったが、3頭のみであった。
【0063】
〔考察〕
本研究において、吠え行動にセロトニン系が関連していることが示唆され、5HTR1B遺伝子T955C多型およびMAOB遺伝子T199C多型と吠え行動との関連性が認められた。セロトニン系の働きの違いが吠え行動の有無に重要な役割をもち、遺伝子多型が吠え行動の選抜マーカーとして使用できる可能性が示唆された。
【0064】
セロトニンは哺乳類にとって重要な神経伝達物質の一つである。ヒトでの中枢神経系、不安、物質依存の調節に関わっている。セロトニン受容体(5-HTR)は11個あり、その中の5-HTR1Bは7つの膜貫通領域をもつGタンパク結合受容体であり、脳でのセロトニン代謝に関わっている(Roth et al., 2000)。5-HTR1B遺伝子ノックアウトマウスは野生型と比較して高い攻撃性(Saudou et al., 1994)、敏感、不安傾向の低さを示した(Zhuang et al., 1999)。また、ヒトにおいて5-HTR1B遺伝子の多型とアルコール依存症(Fehr et al., 2000)、反社会的物質依存症(Kranzler et al., 2002)との関連性が報告されている。モノアミン酸化酵素(MAO)は脳内と末梢組織の両方に存在するモノアミンを、触媒的に酸化するのにきわめて重要な酵素であり、攻撃性などの感情状態に関わるとされている(Brunner et al., 1993)。MAOはMAOAとMAOBの2種類が存在し、MAOAはセロトニン、ノルアドレナリンを、MAOBはドーパミンを代謝する役割をもち、セロトニンとMAOAが攻撃行動に関連性があるとの報告がある(Pavlov et al., 2011)。本研究においては、セロトニン受容体遺伝子とMAOB遺伝子が間接的に影響を受け合い、吠え行動に関連していることが示唆された。
【0065】
本研究で得られた結果から、「吠え」に関する選抜には5-HTR1B遺伝子およびMAOB遺伝子を指標とすることが最適だと考えられた。
【0066】
5-HTR1B遺伝子T955C多型およびMAOB遺伝子T199C多型が遺伝子多型マーカーとして有効利用できることが示唆され、更にMAOB遺伝子T199C多型はアミノ酸置換を伴うことから、直接的に吠え行動の有無に関与する可能性が考えられた。しかし、雌においては関連性がみられた遺伝子多型がなかったことから、さらにセロトニン関連遺伝子を中心とした解析を増やす必要性があると考えられる。
【0067】
吠え行動において雄犬の方が雌犬よりも吠え行動を起こすイヌが多い傾向がみられたことは、以前の報告と同様の結果であった(前掲非特許文献1)。イヌの吠え行動以外の攻撃性や服従訓練のしやすさなどの行動気質や性格の雌雄差は数多く報告されており(前掲非特許文献2; 前掲非特許文献3;前掲非特許文献4)、性ホルモンの影響が推定される。テストステロンのようなアンドロジェンは男性の性的特徴を発育および維持するだけでなく行動の調節にも関わっている。多くの研究報告で、男性の方が女性と比較するとアンドロジェンの神経内分泌活動に、より敏感であるとされている(前掲非特許文献5)。イヌにおいても、雄犬でアンドロジェン受容体遺伝子の多型が攻撃性と関連性があることが報告されている(前掲非特許文献6)。ヒトの攻撃性にはセロトニンシステムが関連し、テストステロンとセロトニンとの相互作用が攻撃行動に影響を与えたという報告もある(前掲非特許文献7)。したがってアンドロジェン関連遺伝子とセロトニン関連遺伝子の相互作用による影響が、雌雄の吠え行動の違いに繋がったと考えられた。また、LRで有意に関連性がみられたMAOB遺伝子はアンドロジェン遺伝子と同じX染色体に存在していることから、吠え行動にはX染色体またはY染色体の他の遺伝子が関与している可能性も考えられた。
【0068】
イヌの遺伝子多型が実際に遺伝子の機能や転写等に影響を与えているかどうかは、今のところ実証されていない。これらの研究は今後解明されていくことが期待されているが、ヒトの研究において実際に遺伝子産物の結果となる生理学的機能と遺伝子多型との関連性が明らかになってきた。5-HTR1A遺伝子の多型が転写調節因子の活動に影響を与え、脳内での5-HTR1Aの発現量にも影響があったことが報告されている(Le Francois et al., 2008)。また、SLC6A4遺伝子制御領域の多型はSLC6A4遺伝子プロモーターの転写効率やセロトニン輸送体の発現量、リンパ芽球(成熟リンパ球に分化する未成熟な細胞)でのセロトニンの摂取に関連していた(Lesch et al., 1996)。DRD2遺伝子の多型は遺伝子発現量やスプライシング、神経活動に影響を与えていた(Zhang et al., 2007)。最近の報告ではイヌ脳内の遺伝子発現量と攻撃性との関連性が報告された(Vage et al., 2010)。また、神経活動とイヌの行動気質との関連性では、イヌ脳内での神経イメージングによるセロトニン受容体結合指数が、衝動的な攻撃性を示すイヌと不安傾向を示すイヌで異なる結果となった(Vermeire et al., 2010)。これらの報告から、今後遺伝子レベルから生理学的機能に繋がるメカニズムが解明されれば、吠え行動を起こすまでの段階的反応を推定するために有効であると考えられた。
【0069】
吠え行動との関連性はみられなかった神経伝達関連物質は以下のような役割をもつ。ドーパミンは哺乳類の脳内において重要なカテコールアミンの神経伝達物質であり自発活動や認知、感情を含めた様々な機能をコントロールしている。イヌにおいて、以前の報告では、ドーパミン関連遺伝子の多型と行動気質として攻撃性との関連性が示唆された(Ito et al., 2004)。ノルアドレナリンは病態生理学や抑鬱障害において重要な神経伝達物質である。脳内の青斑核と呼ばれる部位から伸びたノルアドレナリン作動性神経の樹状突起から辺縁系に刺激を与えており、感情や認知の制御に関わっている。DBHはドーパミンを前駆物質としてノルアドレナリンを生合成する役割をもつ。グルタミン酸は脳内の主要な神経伝達物質であり、学習や記憶に重要な役割をもち(Pines et al., 1992)、シナプス可塑性や痛覚、認知、神経内分泌機能の制御に関わっており、中枢神経系において重要なアミノ酸であり、ヒトにおいて不安症との関連性が報告されている(Bergink et al., 2004)。GADは脳内で中枢神経系での主要な抑制性の神経伝達物質であるGABAの生合成に触媒作用を及ぼす主要酵素である。COMTはカテコールアミンやL-DOPAのようなカテコール含有薬を不活性化する。本研究では吠え行動との関連性はみられなかったが、解析を行った遺伝子多型の以前の研究において、他の行動気質との関連性が報告されている。例えば、LRにおいてはGLT-1遺伝子T471C多型およびCOMT遺伝子G216A多型と活発性との関連性が報告されている(Takeuchi et al.,2009a)。従って、本研究で吠え行動と関連性がみられなかった遺伝子多型は別の行動気質に関連していることが考えられた。
【0070】
結論として、セロトニン関連遺伝子の多型が吠え行動に有意に関連性を示した。イヌの行動と遺伝子多型との関連解析において、衝動性や攻撃性などの行動気質との報告は今までにあるが、衝動性や攻撃性、あるいは興奮など様々な気質や情動から生じて起こる吠え行動との関連性をみた報告は今までにはなく、本研究が最初である。今回解析した遺伝子が行動遺伝学研究の発展に貢献できる可能性が考えられた。将来的に、盲導犬等の使役犬の適性を判定項目として個体を選抜する際に、様々な遺伝子多型を組み合わせることで、より正確な遺伝子多型マーカーを用いた選抜方法の開発や、コンパニオンアニマルに適したイヌを、遺伝子多型マーカーを用いて好みに応じた選択をすることが期待できる。
【0071】
〔本明細書での引用文献〕
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