【実施例】
【0014】
図1は本発明の硬質被膜10が設けられたドリル12を示す図で、(a)は軸心Oと直角な方向から見た正面図、(b)は切れ刃14が設けられた先端側から見た拡大底面図である。このドリル12は、2枚刃のツイストドリルで、シャンク16およびボデー18を軸方向に一体に備えており、ボデー18には軸心Oの右まわりにねじれた一対の溝20が形成されている。ボデー18の先端には、溝20に対応して一対の切れ刃14が設けられており、シャンク16側から見て軸心Oの右まわりに回転駆動されることにより切れ刃14によって穴を切削加工するとともに、切屑が溝20を通ってシャンク16側へ排出される。なお、硬質被膜10は本発明の硬質潤滑被膜に、またドリル12は本発明の硬質潤滑被膜被覆工具にそれぞれ相当する。
【0015】
図2は、
図1のドリル12におけるボデー18の表面部分の積層構造を説明するための概念的な断面図である。
図2に示されるように、ドリル12の基材である超硬合金製の工具母材22の表面には、その表面を被覆
する硬質被膜10がコーティングされている。
図1の斜線部は、ドリル12においてこの硬質被膜10が設けられた部分が示されており、硬質被膜10は、好適には、ドリル12におけるボデー18に対応する工具母材22の表面に被覆して設けられる。なお、工具母材22は本発明の母材に相当する。
【0016】
図2から明らかなように、本実施例の硬質被膜10は、酸素元素を含むA層24とタングステン(W)を含むB層25とが交互に2層以上積層された多層膜であり、斯かるA層24及びB層25は、以下に示す化学組成を満足する材料から構成される。すなわち、A層24は、(Cr
aMo
bW
cV
dB
e)
1−x−y−zC
xN
yO
zの酸炭化物、酸窒化物または酸炭窒化物であって、原子比aは0.2≦a≦0.7、bは0.05≦b≦0.6、cは0≦c≦0.3、dは0≦d≦0.05、e=1−a−b−c−dは0≦e≦0.05、xは0≦x≦0.6、yは0≦y≦0.6、zは0<z≦0.2、x+y+zは0.3≦x+y+z≦0.6である。硬質被膜10におけるA層24において、モリブデン硫化物或いは窒化物と類似した固体潤滑構造を有するMo、WおよびVの酸化物、酸炭化物、酸窒化物または酸炭窒化物から成る微細組織が形成される。A層24としては、たとえば(Cr
0.4Mo
0.6)
0.48N
0.42O
0.1などが好適に例示される。また、B層25は、W
fC
(1−f)であって、原子比fは0.3≦f≦0.7である。硬質被膜10におけるB層25は微細な結晶組織から構成され、たとえばW
0.50C
0.50などが好適に例示される。
【0017】
また、硬質被膜10において、A層24の膜厚D1は2nm以上500nm以下の範囲内、B層25の膜厚D2は1nm以上500nm以下の範囲内、硬質被膜10の総膜厚Dは0.1μm以上10.0μm以下の範囲内とされる。A層24及びB層25の積層数は、硬質被膜10の総膜厚D及び各被膜層24、25の膜厚D1、D2に係る上記数値範囲を逸脱しない限りにおいて適宜定められるが、単層よりも多層から構成される方がより硬度が上がるため、少なくともA層24およびB層25を1層ずつ有する多層膜とされる。また、硬質被膜10における複数のA層24の膜厚D1はすべて等しいものであってもよいし、上記数値範囲内で相互に異なるものであってもよい。同様に、硬質被膜10における複数のB層25の膜厚D2はすべて等しいものであってもよいし、上記数値範囲内で相互に異なるものであってもよい。
【0018】
また、硬質被膜10において、A層24およびB層25の積層順は、好適には、
図2に示すように工具母材22側からB層25、A層24、・・・、B層25、A層24の順で積層されたものであり、硬質被膜10の基層(工具母材22と接する最下層)はB層25とされる。B層25はWCから成り高硬度であるため接着強度が高いことからB層25を上記基層とすることにより、硬質被膜10が工具母材22の表面により強固に被覆される。
【0019】
次に、工具母材22のボデー18に対応する部分が硬質被膜10により被膜されたドリル12を形成する工程を
図3および
図4を参照して詳細に説明する。
図3は
図1のドリル12を形成するためのプロセスチャートであり、
図4は
図1のドリル12を形成する際に好適に用いられるスパッタリング装置26を説明する概略構成図(模式図)である。
【0020】
図3における母材の研削工程P1では、工具母材22の基材である超硬合金に対して研削が施されて工具母材22が得られる。たとえば、先ず工具母材22の大まかな形すなわち軸心を有するシャンク16およびボデー18となる円柱状の形状を形成するために超硬合金に対して円筒研が施される。次に、円柱状形状のボデー18に相当する長手方向の一端部側の外周側面に軸心Oの右回りにねじれた溝20などを形成する溝研が施される。最後に、被削材を切削するための切れ刃14が形成されるように上記長手方向の一端に対して刃研が施される。次に、洗浄工程P2では、硬質被膜10の被覆に先立って工具母材22の表面が洗浄される。エッチング工程P3では、スパッタリング装置26により前処理として工具母材22の表面が粗面化される。被膜10の成膜工程P4では、スパッタリング装置26により工具母材22のボデー18に対して硬質被膜10が被覆されてドリル12が形成される。検査工程P5では、硬質被膜10が被覆されたドリル12が切削工具としての使用基準を満たしているか否かの判定をするための検査が行われる。
【0021】
次に、スパッタリング装置26により行われる上記エッチング工程P3および上記被膜の成膜工程P4に関して
図4を参照してさらに詳細に説明する。スパッタリング装置26はチャンバー28とチャンバー28の底面の略中心の貫通穴を通じて貫通される回転軸と回転軸のチャンバー28内部側の一端部に固設された円盤状の基台30とを備えている。先ず、円盤状の基台30上には、基台30の中心から等間隔の位置にある円周上において周方向に互いに等間隔で研削工程P1で得られた複数本の工具母材22が基台30に自転可能に設置される。図示しないヒーターにより工具母材22が約500℃まで昇温され、チャンバー28内が所定の圧力以下の真空度に保たれつつチャンバー28内にアルゴン(Ar)ガスが導入される。この状態でバイアス電源32により工具母材22にたとえば−200〜−500Vのバイアス電圧がかけられ、Arガス中で発生したグロー放電により生じたArイオンによる工具母材22の表面のエッチング処理が行われる。エッチング処理終了後、チャンバー28内からArガスが排気される。上記のようにしてエッチング工程P3が終了した後、引き続き被膜の成膜工程P4が行われる。すなわち、硬質被膜10を構成するCr、Mo、W等のターゲット34、35に電源36により一定のカソード電圧(たとえば−100〜−500V程度)を印加するとともに、バイアス電源32により前記工具母材22に一定の負のバイアス電圧(例えば−100V程度)を印加することにより、アルゴンイオンAr+を上記ターゲット34、35に衝突させてCr、Mo、W等の構成物質を叩き出しイオン化させる。上記電源36及びバイアス電源32により印加される電圧はコントローラ38により制御される。チャンバー28内には、アルゴンガスの他に窒素ガス(N
2)、炭化水素ガス(CH
4、C
2H
2)あるいは酸素ガス(O
2)の反応ガスが所定の流量、圧力で選択的に導入され、その窒素原子(N)、炭素原子(C)あるいは酸素原子(O)がターゲット34、35から叩き出されたCr、Mo、Wなどと結合してA層24としてたとえば(Cr
0.4Mo
0.6)
0.48N
0.42O
0.1ような酸窒化物、(Cr
0.25Mo
0.45W
0.28V
0.02)
0.58C
0.27O
0.15のような酸炭化物が形成され、B層25としてたとえばW
0.50C
0.50が形成される。そして、工具母材22は、チャンバー28に対して回転させられる基台30上においてさらに基台30に対して回転させられるため、それらは工具母材22の表面に均質な硬質被膜10として被覆させられる。ここで、Cr、Mo、W、VおよびBに係る組成比の制御および成膜時の各種反応ガスの制御により、あるいは成膜時の各種反応ガスの制御のみで、A層24およびB層25の被覆が成膜される。たとえば、B層25の被覆の際には反応ガスとしての窒素ガス(N
2)および酸素(O
2)ガスは不要なため、窒素ガス(N
2)および酸素(O
2)ガスのチャンバー28内への導入がオフとされることによりB層25が形成される。そして、反応ガスの切替えおよびターゲット34、35の選択に応じてA層24とB層25との工具母材22への交互の被覆が繰り返されて、最終的に硬質被膜10が被覆された超硬合金製のドリル12が形成される。
【0022】
このようにドリル12に被覆された硬質被膜10は、(Cr
aMo
bW
cV
dB
e)
1−x−y−zC
xN
yO
zの酸炭化物、酸窒化物または酸炭窒化物であるA層24とW
fC
(1−f)であるB層25とが交互に積層されて成る、すなわちA層24の薄膜界面にB層25が挿入されて成るものであるため、A層24およびB層25を構成する被膜粒子の粒径がさらに小さくなり微細組織構造が形成されることから切削油が水溶性である水溶性切削加工での超低摩擦性が得られ、耐摩耗性に優れ、ひいては水溶性切削加工に用いられるドリル12の工具寿命の向上に帰結する。また、摩耗された際にMo、W、V酸化物の自己形成により固体潤滑粒子が生成するため、低摩耗性および耐溶着性に優れることから、結果としてドリル12の工具寿命を延ばすことができる。
【0023】
続いて、硬質被膜10が被覆されたドリル12すなわち本発明の効果を検証するために本発明者等が行った試験について
図5ないし
図7、表1および表2に基づいて詳細に説明する。
【0024】
先ず、表1に示されるA層24とB層25の薄膜組成および表2に示されるA層24とB層25の各膜厚D1、D2および総膜厚Dを有する被膜すなわち硬質被膜10に要求される条件を満たす被膜が
図3の工程P2、P3およびP4を経て工具径6mmφの超硬ドリルに被覆され、試験品1〜35のドリル12が形成された。また、比較のため、硬質被膜10の条件を満たさない被膜が、同様に前記工程P2、P3およびP4を経て工具径6mmφの超硬ドリルに被覆され、比較品1〜6のドリルが形成された。
【0025】
表2における膜の硬さH(GPa)は以下のようにして求めた。試験品1〜35および比較品1〜6についてナノインデンテーション法にしたがってそれぞれの膜の硬さを測定した。すなわち、先端がダイヤモンドチップから成る三角錐型(バーコビッチ型)の圧子を硬質被膜が被覆された試験品1〜35および比較品1〜6の表面に荷重Pで押し込み、圧子の下の射影面積Aを算出した。荷重Pを面積Aで割ることで膜の硬さH(GPa)が算出される。なお、ナノインデンテーション法において、硬さは15〜20GPaで柔らかい、30GPa以上で硬い、50〜60GPaで脆いと評価される。
【0026】
また、表2における6000穴加工後摩耗幅(mm)は、試験品1〜35のドリル12および比較品1〜6のドリルについて以下の切削条件で切削試験を行うことで求めた。
【0027】
[切削条件]
・試験品および比較品:超硬ドリル 工具径6(mmφ)
・被削材:SCM440(30HRC)
・切削方法:穴加工
・切削速度:75(m/min)
・送り速度:597(mm/min)
・加工深さ:30mm止まり
・切削油:水溶性
【0028】
上記切削試験において、表2に示される6000穴加工後摩耗幅は、上記切削条件で6000穴加工後の試験品1〜35のドリル12および比較品1〜6のドリルにおける切れ刃14の外周部(コーナー部)の周方向の摩耗幅(mm)であり、摩耗幅が0.2mm以下の場合、合格と判定し、摩耗幅が0.2mmよりも大きい場合、不合格と判定した。また、表2の備考において継続可能とは、6000穴加工後のドリルにおいて、以後の切削が可能である場合であり、以後の切削が不可能な場合、切削試験に供されたドリルの状態を評価した。
【0029】
【表1】
【0030】
【表2】
【0031】
図5はナノインデンテーション法により得られた膜の硬さH(GPa)と切削試験により得られた6000穴加工後摩耗幅(mm)を試験品1〜35および比較品1〜6ごとに示したグラフである。すなわち、
図5は表2の膜の硬さH(GPa)および6000穴加工後摩耗幅(mm)をグラフ化したものである。なお、
図5の横軸は試験品1〜35および比較品1〜6の番号を、左
縦軸は試験品1〜35および比較品1〜6の膜の硬さH(GPa)を、右
縦軸は試験品1〜35および比較品1〜6の6000穴加工後摩耗幅(mm)をそれぞれ示す。表2および
図5に示されるように、硬質被膜10の要件を満たす被膜が被覆された試験品1〜35の全てのドリル12において、その膜の硬さH(GPa)は27.5GPa以上、6000穴加工後摩耗幅(mm)は0.199mm以下であり切削試験において合格と評価された。なお、試験品1〜35の全ては6000穴加工後においても、摩耗幅が小さいため以後の切削も継続可能であった。
【0032】
また、
図6は切削試験における加工穴数の増加に伴う摩耗幅の推移を示すグラフであり、試験品4、8および14、比較品2および5がそれぞれ試験品1〜35および比較品1〜6を代表してプロットされている。
図6に示されるように、試験品4、8および14は加工穴数の増加に伴い、なだらかに摩耗幅(mm)が増加し、6000穴加工後の摩耗幅は0.150mm程度に収まった。
【0033】
すなわち、上記の結果から、(Cr
aMo
bW
cV
dB
e)
1−x−y−zC
xN
yO
zの酸炭化物、酸窒化物または酸炭窒化物から成るA層24と、W
fC
(1−f)から成るB層25とが、交互に2層以上積層されて成るものであり、A層24に係る原子比aは0.2≦a≦0.7、bは0.05≦b≦0.6、cは0≦c≦0.3、dは0≦d≦0.05、e=1−a−b−c−dは0≦e≦0.05、xは0≦x≦0.6、yは0≦y≦0.6、zは0<z≦0.2、x+y+zは0.3≦x+y+z≦0.6であり、B層25に係る原子比fは0.3≦f≦0.7であり、且つ、A層24の膜厚D1は2nm以上500nm以下、B層25の膜厚D2は1nm以上500nm以下、総膜厚Dは0.1μm以上10.0μm以下の範囲内である硬質被膜10が被覆された試験品1〜35のドリル12はその膜の硬さHが27.5GPa以上、且つその6000穴加工後摩耗幅(mm)は0.199mm以下であり、良好な値を示した。
【0034】
それに対して、比較品1は(Ti
0.3Cr
0.3Mo
0.4)
0.45C
0.05N
0.2O
0.3から成る膜厚600nmのA層とW
0.8C
0.2から成る膜厚1nmのB層とが、交互に2層以上積層されて形成された総膜厚6.02μmの多層膜が被覆されたドリルであり、A層においてチタン(Ti)が含有されており、酸素の原子比zが0.3であるため、硬質被膜10のA層24に係る薄膜組成とは異なる元素チタン(Ti)が含有されており、且つ酸素(O)の原子比zの0<z≦0.2をそれぞれ逸脱し、B層においてタングステン(W)の原子比fが0.8であるため、硬質被膜10のB層に係るタングステン(W)の原子比fの0.3≦f≦0.7を逸脱し、A層の膜厚が硬質被膜10に係るA層24の膜厚D1の2nm以上500nm以下の範囲を逸脱するものである。そのため、比較品1のドリルの膜の硬さHは25.0GPaと試験品と比較して小さく、6000穴加工後摩耗幅は0.592mmであり、試験品と比較して大きな値であり不合格と判定された。なお、切削試験において、1200穴加工後にドリルのコーナー部が折損し、継続使用は不可能となった。この結果から特に、A層24に係る酸素(O)の原子比zは0.2以下、B層25に係るタングステン(W)の原子比fは0.7以下、A層に係る膜厚D1は500nm以下であることが検証され、本発明に係る硬質被膜10に求められる数値範囲の意義が確かめられた。
【0035】
また、比較品2はMo
0.05N
0.3O
0.65から成る膜厚550nmのA層とW
0.2C
0.8から成る膜厚600nmのB層とが、交互に2層以上積層されて形成された総膜厚11.50μmの多層膜が被覆されたドリルであり、A層において、クロム(Cr)が含有されておらず、モリブデン(Mo)の原子比bが1、酸素(O)の原子比zが0.65であり、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zが0.95であるため、硬質被膜10のA層24に係るクロム(Cr)の原子比aの0.2≦a≦0.7、モリブデン(Mo)の原子比bの0.05≦b≦0.6、酸素(O)の原子比zの0<z≦0.2、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zの0.3≦x+y+z≦0.6をそれぞれ逸脱し、B層においてタングステン(W)の原子比fが0.2であるため、硬質被膜10のB層に係るタングステン(W)の原子比fの0.3≦f≦0.7を逸脱し、A層およびB層の各膜厚と総膜厚が硬質被膜10に係るA層24の膜厚D1の2nm以上500nm以下、B層25の膜厚D2の1nm以上500nm以下、総膜厚Dの0.1μm以上10.0μm以下の範囲を逸脱するものである。そのため、比較品2のドリルの膜の硬さHは25.0GPaと試験品と比較して小さく、6000穴加工後摩耗幅は0.752mmであり、試験品と比較して大きな値であり不合格と判定された。なお、
図6に示されるように、比較品2は加工穴数の増加に伴いその摩耗幅(mm)は急激に大きくなり、1000穴加工後の摩耗幅は0.2mm弱まで達し、2030穴加工後にドリルのコーナー部の摩耗幅が0.752mmと大きくなりすぎ、継続使用は不可能となった。この結果から特に、A層24に係るクロム(Cr)の原子比aは0.2以上、モリブデン(Mo)の原子比bは0.6以下、酸素(O)の原子比zは0.2
以下、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zが0.6以下、B層25に係るタングステン(W)の原子比fは0.3以上、A層24に係る膜厚D1は500nm以下、B層25に係る膜厚D2は500nm以下、総膜厚Dは10.0μm以下とすべきであり、本発明に係る硬質被膜10に求められる数値範囲の意義が確かめられた。
【0036】
また、比較品3は(Ti
0.45Mo
0.55)
0.4C
0.1N
0.2O
0.3から成る膜厚20nmのA層とW
0.9C
0.1から成る膜厚20nmのB層とが、交互に2層以上積層されて形成された総膜厚0.08μmの多層膜が被覆されたドリルであり、A層において、チタン(Ti)が含有されており、クロム(Cr)が含有されていないため、硬質被膜10のA層24に係る薄膜組成とは異なる元素チタン(Ti)が含有されており、且つクロム(Cr)の原子比aの0.2≦a≦0.7を逸脱し、B層においてタングステン(W)の原子比fが0.9であるため、硬質被膜10のB層に係るタングステン(W)の原子比fの0.3≦f≦0.7を逸脱し、総膜厚が硬質被膜10に係る総膜厚Dの0.1μm以上10.0μm以下の範囲を逸脱するものである。そのため、比較品3のドリルの膜の硬さHは19.8GPaと試験品と比較して小さく、6000穴加工後摩耗幅は0.552mmであり、試験品と比較して大きな値であり不合格と判定された。なお、切削試験において、1000穴加工後にドリルのコーナー部が折損したことから、継続使用は不可能となった。この結果から特に、A層24に係るクロム(Cr)の原子比aは0.2以上、B層に係るタングステン(W)の原子比fは0.7以下、総膜圧Dは0.1μm以上とすべきであることが検証され、本発明に係る硬質被膜10に求められる数値範囲の意義が確かめられた。
【0037】
また、比較品4はTi
0.73C
0.1N
0.15O
0.02から成る膜厚11000nmのA層から成る単層膜が被覆されたドリルであり、A層においてチタン(Ti)が含有されており、クロム(Cr)およびモリブデン(Mo)が含有されておらず、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zが0.27であるため、硬質被膜10のA層24に係る薄膜組成とは異なる元素チタン(Ti)が含有されており、且つクロム(Cr)の原子比aの0.2≦a≦0.7、モリブデン(Mo)の原子比bの0.05≦b≦0.6、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zの0.3≦x+y+z≦0.6を逸脱し、B層がA層の薄膜界面に挿入形成されていないため、硬質被膜10のA層24とB層25とが交互に積層されて成るという要件から逸脱し、A層の膜厚と総膜厚が硬質被膜10に係るA層24の膜厚D1の2nm以上500nm以下、総膜厚Dの0.1μm以上10.0μm以下の範囲を逸脱するものである。そのため、比較品4のドリルの膜の硬さHは22.3GPaと試験品と比較して小さな値となり、6000穴加工後摩耗幅(mm)は0.480mmであり、試験品と比較して大きな値であり不合格と判定された。なお、切削試験において、2910穴加工後にドリルのコーナー部が折損し、継続使用は不可能となった。この結果から特に、A層24に係るクロム(Cr)の原子比aは0.2以上、モリブデン(Mo)の原子比bは0.05以上、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zは0.3以上、A層24に係る膜厚D1は500nm以下、総膜厚Dは10.0μm以下とすべきであり、またB層25はA層24の薄膜界面に挿入形成され、A層24とB層25とが交互に積層されるべきであることが検証され、本発明に係る硬質被膜10に求められる要件の意義が確かめられた。
【0038】
また、比較品5は(Ti
0.1Cr
0.5Mo
0.4)
0.55N
0.45から成る膜厚700nmのA層と、W
0.2C
0.8から成る膜厚550nmのB層とが、交互に2層以上積層して形成された総膜厚7.20μmの多層膜が被覆されたドリルであり、A層においてチタン(Ti)が含有されており、酸素(O)が含有されていないため、硬質被膜10のA層24に係る薄膜組成とは異なる元素チタン(Ti)が含有されており、酸素(O)の原子比zの0<z≦0.2を逸脱し、B層においてタングステン(W)の原子比fが0.2であるため、硬質被膜10のB層に係るタングステン(W)の原子比fの0.3≦f≦0.7を逸脱し、A層およびB層に係る膜厚が硬質被膜10のA層24に係る膜厚D1の2nm以上500nm以下、B層25に係る膜厚D2の1nm以上500nm以下の範囲を逸脱するものである。そのため、比較品5のドリルの膜の硬さHは26.9GPaであり試験品と比較して小さな値となり、6000穴加工後摩耗幅(mm)は0.638mmであり、試験品と比較して大きな値であり不合格と判定された。なお、
図6に示されるように、2000穴加工後の摩耗幅は0.1mm弱まで達し、その後、摩耗幅は急激に大きくなり、4180穴加工後にドリルのコーナー部が折損し、継続使用は不可能となった。この結果から特に、A層24に係る酸素(O)の原子比zは0よりも大きく、B層25に係るタングステン(W)の原子比fは0.3以上、A層24に係る膜厚D1は500nm以下、B層25に係る膜厚D2は500nm以下とすべきであることが検証され、本発明に係る硬質被膜10に求められる数値範囲の意義が確かめられた。
【0039】
また、比較品6は(Ti
0.5Cr
0.15Mo
0.1W
0.25)
0.25C
0.1N
0.2O
0.45から成る膜厚4100nmのA層から成る単層膜が被覆されたドリルであり、A層においてチタン(Ti)が含有されており、クロム(Cr)の原子比aは0.15であり、酸素(O)の原子比zは0.45であり、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zは0.75であるため、硬質被膜10のA層24に係る薄膜組成とは異なる元素チタン(Ti)が含有されており、クロム(Cr)の原子比aの0.2≦a≦0.7、酸素(O)の原子比zの0<z≦0.2、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zの0.3≦x+y+z≦0.6を逸脱し、B層がA層の薄膜界面に挿入形成されていないため、硬質被膜10のA層24とB層25とが交互に積層されて成るという要件から逸脱し、A層に係る膜厚が硬質被膜10のA層24に係る膜厚D1の2nm以上500nm以下の範囲を逸脱するものである。そのため、比較品6のドリルの膜の硬さHは25.4GPaであり試験品と比較して小さな値となり、6000穴加工後摩耗幅(mm)は0.349mmであり、試験品と比較して大きな値であり不合格と判定された。なお、切削試験において、1400穴加工後にドリルのコーナー部が折損し、継続使用は不可能となった。この結果から特に、A層24に係るクロム(Cr)の原子比aは0.2以上、酸素(O)の原子比zは0.2以下、炭素(C)と窒素(N)と酸素(O)の原子比の総和x+y+zは0.6以下、A層24に係る膜厚D1は500nm以下とすべきであり、またB層25はA層24の薄膜界面に挿入形成され、A層24とB層25とが交互に積層されるべきであることが検証され、本発明に係る硬質被膜10に求められる要件の意義が確かめられた。
【0040】
前記膜の硬さ試験および前記切削試験の結果から、表2に示された試験品1〜35のドリル12は、膜の硬さHにおいて大きい値且つ6000穴加工後摩耗幅(mm)において小さな値が得られ、高硬度且つ良好な耐摩耗性を有することが示された。一方、硬質被膜10に要求される薄膜組成、各元素の原子比、各膜厚および総膜厚の範囲を逸脱する比較品1〜6のドリルは、試験品1〜35のドリル12と比較して膜の硬さHが小さく、6000穴加工後摩耗幅(mm)が大きな値であり、硬質および耐摩耗性が十分ではないことが示された。
【0041】
次に、高硬度且つ耐摩耗性に優れる試験品1〜35のそれぞれの硬質被膜10におけるA層24について、透過型電子顕微鏡(TEM)により観察を行った。図
7は試験品1の硬質被膜10におけるA層24の断面を透過型電子顕微鏡(TEM)により撮影した写真である。その結果、A層24においては、図
7における格子縞が観察される領域である微細な結晶粒から成る結晶
相(δ−(Cr、Mo、W、V)Nおよびγ−Mo
2Nなど)40と、それ以外の領域である酸素(O
2)を含むアモルファス相42との複相組織が形成されていた。このようなA層24を有する硬質被膜10が被覆されたドリル12は、微細な結晶粒から成る結晶
相40が存在するため膜の硬さHが29.0GPaと高硬度であると共に、A層24において酸素(O
2)を含むアモルファス相42が存在するため、摩耗によるモリブデン(Mo)、タングステン(W)およびバナジウム(V)酸化物の形成が促進されることから低摩耗性および耐溶着性に優れ、ひいては6000穴加工後摩耗幅が0.122mmと良好な耐摩耗性を有する。
【0042】
上述のように、本実施例の試験品1〜35のドリル12に被覆された硬質被膜10によれば、工具母材22の表面に設けられ、(Cr
aMo
bW
cV
dB
e)
1−x−y−zC
xN
yO
zの酸炭化物、酸窒化物または酸炭窒化物から成るA層24と、W
fC
(1−f)から成るB層25とが、交互に2層以上積層されて形成されるものであり、A層24に係る原子比aは0.2≦a≦0.7、bは0.05≦b≦0.6、cは0≦c≦0.3、dは0≦d≦0.05、e=1−a−b−c−dは0≦e≦0.05、xは0≦x≦0.6、yは0≦y≦0.6、zは0<z≦0.2、x+y+zは0.3≦x+y+z≦0.6であり、B層25に係る原子比fは0.3≦f≦0.7であり、且つ、A層24の膜厚D1は2nm以上500nm以下、B層25の膜厚D2は1nm以上500nm以下、総膜厚Dは0.1μm以上10.0μm以下の範囲内であるため、積層されたA層24にはMo、WおよびVの酸化物、酸炭化物、酸窒化物または酸炭窒化物から成る微細組織が形成されることにより被膜の硬度が高められ、且つMo、WおよびVの酸化物、酸炭化物、酸窒化物または酸炭窒化物は固体潤滑性を有していることにより被膜の潤滑性が高められるので、硬質且つ耐摩耗性を有する硬質被膜10およびドリル12を得ることができる。
【0043】
また、本実施例の試験品1〜
35のドリル12に被覆された硬質被膜10によれば、A層24は結晶相40とアモルファス相42とが混在した複相組織である。このように、Mo、WおよびVの酸炭化物、酸窒化物または酸炭窒化物から成る微細なNaCl構造の結晶相(δ−(Cr、Mo、W、V)Nおよびγ−Mo
2Nなど)40とアモルファス相42との複相組織が形成されることにより、硬質且つ耐摩耗性を有する硬質被膜10およびドリル12を得ることができる。
【0044】
以上、本発明を表及び図面を参照して詳細に説明したが、本発明は更に別の態様でも実施でき、その主旨を逸脱しない範囲で種々変更を加え得るものである。
【0045】
たとえば、前述の実施例では、硬質被膜10におけるA層24及びB層25の積層順は、
図2に示すように工具母材22側からB層25、A層24、・・・、B層25、A層24の順で積層されたものである。すなわち、硬質被膜10の基層(工具母材22と接する最下層)はB層25とされ、表層(硬質被膜10の最上層)はA層24とされたものであるが、上記基層がB層25とされるに限り必ずしも斯かる構成には限定されず、上記表層がB層25とされたものであってもよい。
【0046】
また、前述の実施例では、硬質被膜10はドリル12に被覆されたものであったが、これに限定されるものではなく、たとえばエンドミル、ダイス、殊に転造タップなど切削工具や、打ち抜き、曲げなどの金属加工用金型などの金属加工工具に被覆されるものであってもよい。
【0047】
また、前述の実施例では、ドリル12の形成に際し、硬質被膜10はスパッタリング装置26により被覆されるものであったが、これに限定されるものではなく、たとえば、アークイオンプレーティング法などの他の物理蒸着法(PVD法)や、プラズマCVD法、熱CVD法などの化学蒸着法(CVD法)を用いて硬質被膜10が被覆されてもよい。