(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
鋼材からなる母材部と、前記母材部の表面側に10〜50μmの厚さに形成される窒素拡散層と、前記窒素拡散層の表面側に10〜50μmの厚さに形成され最表面をなす窒素化合物層と、を備える摺動部材の製造方法であって、
鋼材からなる素材に対して590〜660℃のアンモニア雰囲気にて加熱処理を行う第一加熱工程と、
前記第一加熱工程に続いて前記素材に対して660〜690℃のうち前記第一加熱工程における温度より高い温度の非酸化雰囲気かつ非アンモニア雰囲気にて加熱処理を行う第二加熱工程と、
前記第二加熱工程に続いて60〜80℃の油温にて油冷を行う油冷工程と、
を行うことにより、前記窒素化合物層および前記窒素拡散層を形成する、摺動部材の製造方法。
さらに前記油冷工程に続いて前記表面側を加圧しながら250〜400℃の温度にて焼き戻し処理を行う焼き戻し工程を行うことにより、前記窒素化合物層および前記窒素拡散層を形成する、請求項1または2の摺動部材の製造方法。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
ここで、クラッチプレートなどの摺動部材の表面は、高い平坦度を確保する必要がある。しかし、上記製造方法によれば、水−油のエマルジョン液中で急冷するため、冷却スピードが速くなり、素材が変形するおそれがある。さらに、冷却液が水を含むため、表面の錆の問題がある。
【0005】
一方、ナイトロテック法を適用したクラッチプレートを長時間使用した場合に、使用前と長時間使用後とにおける伝達トルクの変化率が小さく抑制されていることが分かった。これは、クラッチプレートの表面粗さが小さく抑制されることにより、表面が摩耗したとしてもクラッチプレート同士の接触面積が大きく変化しないためであると考えられる。
【0006】
本発明は、このような事情に鑑みてなされたものであり、冷却による素材の変形を抑制するとともに表面に錆が発生しないようにしつつ、長時間使用した場合において表面粗さの変化を抑制できる摺動部材
の製造方法およびクラッチプレート
の製造方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0007】
上記の課題を解決するため、本発明者らは鋭意研究を重ね、冷却液に水を用いずに、冷却前後の温度差を大きくしつつ、窒化温度を高温にしすぎないようにすることで、本発明を想到するに至った。本発明は、摺動部材
の製造方法として把握することができ、また摺動部材の一態様としての電磁クラッチのクラッチプレート
の製造方法として把握することもでき
る。
【0008】
(摺動部材
の製造方法)
(請求項1)本手段に係る摺動部材
の製造方法は、鋼材からなる母材部と、母材部の表面側に10〜50μmの厚さに形成される窒素拡散層と、窒素拡散層の表面側に10〜50μmの厚さに形成され最表面をなす窒素化合物層と、を備え
る摺動部材の製造方法であって、鋼材からなる素材に対して
590〜660℃のアンモニア雰囲気にて加熱処理を行う第一加熱工程と、第一加熱工程に続いて素材に対して660〜690℃のうち第一加熱工程における温度より高い温度の非酸化雰囲気かつ非アンモニア雰囲気にて加熱処理を行う第二加熱工程と、第二加熱工程に続いて60〜80℃の油温にて油冷を行う油冷工程と、を行うことにより、窒素化合物層および窒素拡散層を形成する。
【0009】
(請求項
2)好ましくは、油冷工程は、非酸化雰囲気にて油冷を行うとよい。
(請求項
3)また、さらに油冷工程に続いて表面側を加圧しながら250〜400℃の温度にて焼き戻し処理を行う焼き戻し工程を行うことにより、窒素化合物層および窒素拡散層を形成するとよい。
【0010】
(請求項
4)好ましくは、第二加熱工程における加熱処理の時間は、第一加熱工程における
590〜660℃での加熱処理の時間より短く設定されるとよい。
(請求項
5)また、第一加熱工程における加熱温度から第二加熱工程における加熱温度に昇温する間、アンモニア雰囲気とするとよい。
(請求項
6)また、第一加熱工程の直前において500〜550℃の雰囲気温度の時にアンモニア雰囲気とし、第一加熱工程における加熱温度に昇温するとよい。
【0011】
(クラッチプレート
の製造方法)
(請求項
7)本手段に係るクラッチプレート
の製造方法は、電磁クラッチを構成するクラッチプレート
の製造方法であって、上述した摺動部材
の製造方法を用いる。
【発明の効果】
【0014】
(請求項
1)本手段によれば、加熱工程後の冷却を油冷としているため、冷却液には油を用い、水を用いていない。これにより、摺動部材の表面に錆が発生することを抑制できる。油冷に用いる油は、水冷に用いる水よりも、その材料自体の性質として冷却スピードが小さい。また、油冷にすることで、水が含まれる冷却液に比べると、温度を高くすることができる。そのため、油冷による冷却スピードは、水を含む冷却液による冷却スピードに比べて遅くすることができる。その結果、加熱前と冷却後の摺動部材の表面の歪変化量(平坦度)を小さくすることができる。
【0015】
ここで、第一加熱工程において、アンモニア雰囲気での加熱処理を行っている。つまり、第一加熱工程にて素材に対して窒化されている。この第一加熱工程における温度は、
590〜660℃である。
590℃以上で加熱することで、確実に、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ10〜50μm確保することができる。
【0016】
さらに、当該温度にて窒化することで、660℃より高い温度にて窒化する場合に比べて、加熱処理後の摺動部材の表面粗さを小さくできる。加熱処理後の摺動部材の表面粗さを小さくすることで、最終的に冷却後の摺動部材の表面粗さを小さくすることができる。従って、長時間使用した場合であっても、表面粗さの変化を抑制することができる。
【0017】
ただし、窒化する際の第一加熱温度を
590〜660℃とすることで、当該温度から油冷を行った場合には、上述したように油冷温度が60〜80℃と水冷に比べて高温であるために、冷却する温度差が小さくなってしまう。そこで、窒化する第一加熱工程に続いて、雰囲気温度を660〜690℃に昇温し、その後に油冷することとした。つまり、油冷は、660〜690℃を開始温度として行われ、十分な温度差を確保できる。
【0018】
これにより、油冷工程における油温を60℃以上としたとしても、油冷工程の直前の第二加熱工程における雰囲気温度を、Fe−NのA1変態点である590℃より十分に高い温度の660℃以上にすることで、確実に、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ10〜50μm確保することができる。
【0019】
また、第二加熱工程における雰囲気温度を660℃以上にし、油温を80℃以下にすることで、確実に、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ10〜50μm確保することができる。従って、表面側の硬さを高くすることができる。その結果、耐摩耗性を良好とできる。ところで、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ10μm以上とすることで、摺動部材の表面側の硬さを十分に確保できると共に、表面が摩耗したとしても表面側の硬さの変動を小さくすることができる。
【0020】
また、油冷工程における油温を60℃以上とすることで、従来課題であった素材の変形を十分に抑制することができる。さらに、第二加熱工程における雰囲気温度を690℃以下にすることで、窒素化合物層の拡散(消失)を抑制でき、高い硬さを確保することができる。
【0021】
特に、第一加熱工程、すなわち窒化する際の雰囲気温度をFe−NのA1変態点である590℃以上とすることで、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ10〜50μm確保することができる。
【0022】
(請求項
2)油冷工程において、非酸化雰囲気で油冷を行っている。つまり、ナイトロテック法のように、加熱工程の後に積極的に酸化処理を行わない。つまり、摺動部材の表面に酸化被膜が形成されにくい。これにより、表面の平坦度を高くすることができる。
(請求項
3)油冷工程の後に摺動部材の表面側を加圧しながら焼き戻し処理を行うことで、内部歪を除去しながら、平坦度をより高めることができる。
【0023】
(請求項
4)第二加熱工程において、660〜690℃での加熱処理時間が長いほど、窒素化合物層の拡散(消失)が拡大する。そこで、第二加熱工程における当該温度での処理時間を短くすることで、窒素化合物層の拡散を抑制でき、硬度を確保することができる。一方、第一加熱工程では窒化処理を行う工程であるため、
590〜660℃での加熱処理時間を十分に確保する必要がある。そこで、第二加熱工程における660〜690℃での加熱処理時間を第一加熱工程における
590〜660℃での加熱処理時間より短く設定することで、上記を共に満たすことができる。
【0024】
(請求項
5)アンモニア雰囲気温度による加熱処理を第一加熱工程の雰囲気温度から第二加熱工程の雰囲気温度に昇温
することで、確実に窒素化合物層および窒素拡散層の厚みを確保できると共に、表面粗さを小さくすることができる。
【0025】
(請求項
6)雰囲気温度が550℃以下のときからアンモニア雰囲気とすることで、窒化むら、すなわち窒化のばらつきを抑制できる。一般に、雰囲気温度が低いほど窒化効率が低く、雰囲気温度が高いほど窒化効率が高い。つまり、窒化効率が低い状態からアンモニア雰囲気とすることで、窒化効率が高くなる雰囲気温度に達したときに、雰囲気全体をアンモニア雰囲気とすることができる。その結果、窒化むらを抑制できる。また、雰囲気温度が500℃より低い温度のときからアンモニア雰囲気とする場合にも、窒化むらを生じる。そこで、アンモニアガスの供給開始温度を500℃以上とすることで、窒化むらを抑制できる。
【0026】
(請求項
7)本手段に係るクラッチプレート
の製造方法によれば、上述した摺動部材
の製造方法による効果を奏する。ここで、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ50μm以下としている。仮に、50μmより厚くすると、透磁率が低下するため、クラッチプレートの磁束密度が低下して、クラッチプレート間の摩擦係合力が低下することになる。そのため、50μm以下としている。
【0027】
さらに、本手段のクラッチプレート
の製造方法によれば、長時間使用したとしても、表面粗さの変化率を小さくできる。その結果、クラッチプレートを長時間使用することで、表面が摩耗したとしても、クラッチプレート同士の接触面積が大きく変化しない。従って、使用前と長時間使用後における伝達トルクの変化率を小さく抑制できる。
【0028】
また、焼き戻し工程を行う場合には、窒素化合物層および窒素拡散層に含まれている非磁性である残留オーステナイトを磁性であるマルテンサイトに変態させることができる。これにより、クラッチプレートの透磁率および硬度を上げることができる。
【発明を実施するための形態】
【0030】
(摺動部材またはクラッチプレートの説明)
本発明の摺動部材またはクラッチプレートについて図面を参照して説明する。摺動部材またはクラッチプレートの表面構造について、
図1を参照して説明する。摺動部材またはクラッチプレートは、炭素鋼などの鋼材からなる素材の表面に、窒化処理を施してなる。なお、当該摺動部材の例としては、電磁クラッチ装置を構成するクラッチプレートの他、LSDクラッチの鉄系クラッチプレート、ブレーキパッドなどが挙げられる。
【0031】
図1に示すように、当該摺動部材は、鋼材からなる母材部110と、母材部110の表面側に10〜50μmの厚さに形成される窒素拡散層120と、窒素拡散層120の表面側に10〜50μmの厚さに形成され最表面をなす窒素化合物層130とを備える。素材は、炭素含有量が0.10〜0.20%の鋼材を用いる。一般的に、低炭素鋼であるほど、安価であるが、表面の高硬度化が容易ではない。しかし、本発明によれば、例えば、S15Cなどの低炭素鋼であっても、後述するように、表面の高硬度化を図ることができる。そして、母材部110は、素材と同一である。
【0032】
窒素拡散層120は、窒素が固溶されている。窒素化合物層130は、母材部110側に位置する緻密層131と、最表面側に位置する白層132とを備える。緻密層131は、白層132に比べて、窒素濃度が低く、ポーラスが少ないため、硬度が高い部分である。
【0033】
(製造方法)
次に、摺動部材またはクラッチプレートの表面の熱処理方法(製造方法)について説明する。ここで、摺動部材などの製造方法として、二種類の製造方法を適用する。以下にそれぞれについて説明する。
【0034】
まず、第一の製造方法について、
図2〜
図4を参照して説明する。ここで、
図3および
図4は、それぞれ第一の製造方法の一例を示す工程図である。素材に対して、酸化処理を行う(S1)。この酸化処理は、窒化処理の前に行う処理である。酸化処理を行うことにより、素材を窒化させやすくなる。酸化処理は、300〜450℃の酸化雰囲気にて1〜2時間行う。
【0035】
続いて、570〜660℃のアンモニア雰囲気にて、素材に対して加熱処理を行う(第一加熱工程、S2)。具体的には、
図3に示すように行う。まず、素材を容積1〜3m
3の処理室に保持する。このときの処理室内の雰囲気温度は、500℃以下となる。そして、処理室内の雰囲気温度が、570〜660℃となるように昇温し始める。
【0036】
図3の工程図の場合、雰囲気温度が500〜550℃に達すると、処理室内をアンモニア雰囲気にする。
図3において、アンモニア雰囲気とする開始温度は、520℃としている。そして、例えば、処理室内に、窒素(N
2)ガスを0〜5m
3/Hrで供給し、アンモニア(NH
3)ガスを3〜7m
3/Hrで供給すると共に、二酸化炭素(CO
2)ガスを0.1〜0.6m
3/Hrで供給する。なお、アンモニア雰囲気では、窒素ガスを供給しないでもよい。
【0037】
そして、雰囲気温度が570〜660℃に達すると、30分〜2時間の間、雰囲気温度を570〜660℃の一定温度に保持する。このとき、素材は窒化される。第一加熱工程における一定温度は、
図3では640℃とし、
図4では570℃としている。なお、好ましくは、
図3に示すように、第一加熱工程における一定の雰囲気温度をFe−NのA1変態点である590℃より高い温度にするとよい。
【0038】
他の例として、第一加熱工程に関しては、
図4の工程図に示すように行うこともできる。処理室内の雰囲気温度が500℃以下の状態から570〜660℃となるように昇温し始める。昇温している間、窒素ガスを5m
3/Hrで供給する。そして、雰囲気温度が570〜660℃に達すると、窒素雰囲気の状態を5〜30分の間、保持する。
【0039】
続いて、アンモニア雰囲気とするために、窒素ガスを0〜5m
3/Hrで供給し、アンモニアガスを3〜7m
3/Hrで供給すると共に、二酸化炭素ガスを0.1〜0.6m
3/Hrで供給する。570〜660℃のアンモニア雰囲気とした状態を、30分〜2時間の間、保持する。このとき、素材は窒化される。なお、この間、窒素ガスを供給しないでもよい。
【0040】
続いて、
図2に戻り説明を継続する。第一加熱工程に続いて、660〜690℃の非酸化雰囲気かつ非アンモニア雰囲気にて、素材に対して加熱処理を行う(第二加熱工程、S3)。具体的には、
図3または
図4に示すように、第一加熱工程における570〜660℃の一定温度の状態から、第二加熱工程としての660〜690℃の雰囲気温度に昇温する。昇温している間は、アンモニア雰囲気としている。
【0041】
そして、雰囲気温度が660〜690℃に昇温されると、アンモニアガスおよび二酸化炭素ガスの供給を停止し、窒素雰囲気とする。窒素雰囲気下では、窒化される訳ではない。そして、非アンモニア雰囲気かつ非酸化雰囲気であって、雰囲気温度を660〜690℃の一定温度として、5分〜1時間の間、保持する。この第二加熱工程の処理時間は、素材の温度を660〜690℃の一定温度に均一化することができる程度の時間で足りる。第二加熱工程における一定温度は、
図3および
図4では680℃としている。
【0042】
続いて、
図2に戻り説明を継続する。第二加熱工程に続いて、60〜80℃の油温にて油冷を行う(油冷工程)。具体的には、窒素雰囲気で60〜80℃の油温の焼入油に素材を入れる。このとき、素材が酸化されないようにする。油冷工程における油温は、
図3および
図4では70℃としている。
【0043】
油冷工程にて素材の温度が油冷工程の油温に達すると、続いて、素材の表面側を加圧しながら、窒素雰囲気で250〜400℃の炉温の加熱炉に素材を入れて、1〜5時間の間、焼き戻し処理を行う(焼き戻し工程)。この焼き戻し処理をプレステンパとも称される。以上の処理により、
図1に示したように、素材の表面に窒素化合物層130および窒素拡散層120を形成する。
【0044】
次に、第二の製造方法について、
図5を参照して説明する。第二の製造方法は、第一の製造方法の酸化処理の前工程として、素材に対してホットプレス処理を行う(S11)。ホットプレス処理は、素材に対して、600〜700℃の温度で、5N以上の加圧力を付与する。ホットプレス処理により、素材の歪みを低減し、素材の内部の残留応力を除去することができる。ホットプレス処理の後は、第一実施形態と同様に、酸化処理(S12)→第一加熱(S13)→第二加熱(S14)→油冷(S15)→プレステンパ(S16)を行う。
【0045】
(比較実験)
次に、本実施形態の製造方法により得られた部材の硬さ、冷却後の歪変化量(平坦度)、部材の表面粗さ、および、クラッチプレートに適用した場合の実機耐久摩擦試験前後における伝達トルクの変化量について評価する。
【0046】
(実施例1)本実施形態の実施例1は、
図2に示す第一の製造方法を適用し、かつ、
図3に示す加熱工程を適用した場合とする。実施例1では、素材としてS15Cを用い、処理室の容積を2m
3とし、第一加熱工程において、アンモニアガスを5m
3/Hr、二酸化炭素ガスを0.3m
3/Hr供給する。また、第一加熱工程および第二加熱工程において、窒素ガスを5m
3/Hrで供給する。油冷工程に用いる冷却油(焼入油)は、パラフィン系基油としたJIS1種2号に相当する真空熱処理用の高性能ハイスピードクエンチ油(動粘度:16±2.5mm
2/s(40℃),引火点(COC):178℃,冷却性能特性温度:620℃,商品名:特殊焼入油V-1700S(日本グリース株式会社製))を用いる。油冷工程後、310℃で3時間のプレステンパを行う。
【0047】
(実施例2)本実施形態の実施例2は、
図5に示す第二の製造方法を適用し、かつ、
図3に示す加熱工程を適用した場合とする。実施例2は、実施例1に対してホットプレス処理を追加すること以外は、実施例1と同様である。
【0048】
(
参考例)本実施形態の
参考例は、
図5に示す第二の製造方法を適用し、かつ、
図4に示す加熱工程を適用した場合とする。なお、アンモニアガス、二酸化炭素ガス、窒素ガスの供給量、油冷工程などは、実施例1と同様である。
【0049】
(比較例1)比較例1は、ナイトロテック法を適用した場合であり、
図6に示すフローチャートおよび
図7に示す加熱工程を適用した場合とする。この場合の素材は、実施例1〜3と同一のS15Cを用いる。具体的には、ホットプレス処理(S21)→酸化処理(S22)→640℃加熱処理(S23)→50〜60℃の水−エマルジョン冷却(S24)→プレステンパ(S25)を行う。
【0050】
S23の加熱処理以降は、以下のように行う。容積2m
3の処理室に、窒素ガスを5.5m
3/Hrで供給し、アンモニアガスを5.5m
3/Hrで供給する。処理室の室温は、一旦降温するが、昇温に転じた時から二酸化炭素ガスを0.48m
3/Hrで供給する。処理室の室温を640℃まで昇温する。640℃に昇温完了後に、1時間30分維持する(加熱工程)。
【0051】
加熱工程の後に、大気開放して、素材を酸化させる。その後に、50〜60℃の水−油エマルジョン液にて冷却を行う(冷却工程)。冷却工程の後には、素材の表面側を加圧しながら、310℃の炉温の加熱炉に素材を入れて、3.0時間焼き戻し処理を行う(焼き戻し工程)。そして、処理を終了する。
【0052】
(比較例2)比較例2は、ガス軟窒化処理を施した場合であり、
図8に示すフローチャートおよび
図9に示す加熱工程を適用した場合とする。この場合の素材は、実施例1
,2,参考例と同一のS15Cを用いる。具体的には、ホットプレス処理(S31)→酸化処理(S32)→580℃の加熱処理(S33)→25℃窒素ガス冷却(S34)を行う。
【0053】
S33の加熱処理以降は、以下のように行う。容積2m
3の処理室を580℃まで昇温する。この温度は、Fe-NのA1変態点である590℃より低温である。そして、昇温完了後に、窒素ガスを3m
3/Hrで供給し、アンモニアガスを8m
3/Hrで供給すると共に、二酸化炭素ガスを0.3m
3/Hrで供給して、1時間20分維持する(加熱工程)。加熱工程の後に、25℃の窒素ガス雰囲気中にて素材の冷却を行う(冷却工程)。そして、処理を終了する。
【0054】
(比較例3)比較例3は、高温窒化処理を施した場合であり、
図10に示すフローチャートおよび
図11に示す加熱工程を適用した場合とする。この場合の素材は、実施例1〜3と同一のS15Cを用いる。具体的には、ホットプレス処理(S41)→酸化処理(S42)→680℃の加熱処理(S43)→70℃の油冷(S44)→プレステンパ(S45)を行う。
【0055】
S43の加熱処理以降は、以下のように行う。容積2m
3の処理室を680℃まで昇温する。昇温している途中に窒素ガスを5m
3/Hrで供給する。昇温完了後に、30分維持する。その後、アンモニア雰囲気とする。アンモニア雰囲気では、窒素ガスの供給を止めると共に、アンモニアガスを5m
3/Hrで供給すると共に、二酸化炭素ガスを0.3m
3/Hrで供給して、50分間維持する。その後、油冷工程およびプレステンパは、実施例1と同様に行う。
【0056】
(断面組織の顕微鏡写真)
それぞれの表面側における断面組織の顕微鏡写真を
図12〜
図17に示す。本実施形態の実施例1では、
図12に示すように、最表面に窒素化合物層のうちの白層が僅かに形成され、それより深い側に窒素化合物層のうちの緻密層が形成されている。窒素化合物層の厚みは、約20μmであった。また、窒素化合物層の深い側には窒素拡散層が形成されている。窒素拡散層の厚みは、約25μmであった。
【0057】
また、実施例2では、
図13に示すように、最表面に
窒素化合物層のうちの白層が僅かに形成され、
それより深い側に窒素化合物層のうちの緻密層が形成されている。窒素化合物層の厚みは、約17μm
であった。また、窒素化合物層
の深い側には窒素拡散層が形成されている。窒素拡散層の厚みは、約23μm
であった。
【0058】
また、
参考例では、
図14に示すように、最表面に窒素化合物層のうちの白層が僅かに形成され、それより深い側に窒素化合物層のうちの緻密層が形成されている。窒素化合物層の厚みは、約15μmであった。また、窒素化合物層の深い側には窒素拡散層が形成されている。窒素拡散層の厚みは、約22μmであった。
【0059】
比較例1では、
図15に示すように、最表面に酸化被膜層が僅かに形成され、それより深い位置に約25μmの厚みの窒素化合物層が形成され、さらに深い位置に約17μmの厚みの窒素拡散層が形成された。
【0060】
比較例2では、
図16に示すように、最表面に窒素化合物層が約15μm形成されている。この場合には、窒素拡散層はほとんど形成されていない。つまり、窒素化合物層より深い側には母材となる。
【0061】
比較例3では、
図17に示すように、最表面に
窒素化合物層のうちの白層が僅かに形成され、
それより深い側に窒素化合物層のうちの緻密層が形成されている。窒素化合物層の厚みは、約25μm
であった。また、窒素化合物層
の深い側には窒素拡散層が形成されている。窒素拡散層の厚みは、約25μm
であった。
【0062】
(硬さ)
表面からの深さに対する硬さMHV(25g)について、
図18を参照して説明する。実施例1
,2、参考例および比較例1,3では、最大硬さが、1000MHVを超えている。そして、実施例1,2および比較例1,3では、表面から深さ30μm付近まで800MHV以上の高い硬さを有し、深さ50μm付近までの硬さが母材の硬さよりも高くなっている。つまり、表面からの深さ25μm付近までに形成されている窒素化合物層によって、高い硬さを得ている。また、窒素拡散層を深く形成させることによって、硬さが高い部分を厚くすることができている。
【0063】
また、
参考例では、表面から深さ25μm付近まで800MHV以上の高い硬さを有し、深さ40μm付近までの硬さが母材の硬さよりも高くなっている。これは、窒素化合物層および窒素拡散層が上記に比べて薄くなっていることが理由と考えられる。
【0064】
また、比較例2のガス軟窒化処理では、最大硬さが700MHVを超えているが、700MHV以上の高い硬さの部分は、表面から深さ6μm付近までとなっている。さらに、表面からの深さ10μm付近では、300MHV程度に低下しており、表面からの深さ15μm付近では、ほぼ母材の硬さと同程度となっている。
図16に示すように、窒化化合物層が形成されている深さに対応している。
【0065】
(加熱冷却工程前後の歪変化量(平坦度))
次に、加熱工程前の歪量(平坦度)に対する冷却工程後の歪量(平坦度)の変化量について、
図19を参照して説明する。実施例2
、参考例および比較例2,3では、歪変化量が0.01mm程度となっている。実施例1では、歪変化量が0.08mmとなっている。また、比較例1では、0.27mmとなっている。比較例1の歪変化量が大きいのは、冷却液の温度が50〜60℃と低いことにより、冷却スピードが速いためであると考えられる。
【0066】
(表面粗さ)
次に、それぞれの試験結果に対して、製造後のクラッチプレートの表面粗さRz(十点平均粗さ(JIS B0601:1994))について、
図20を参照して説明する。実施例1
,2、参考例および比較例1,2は、1.0μm程度であり、比較例3が2.9μmであった。
【0067】
(表面の顕微鏡写真)
ここで、実施例1と比較例3のクラッチプレートの表面の顕微鏡写真を
図21および
図22に示す。
図21および
図22によれば、実施例1および比較例3はいずれも小さな突起が多数存在していることが分かる。さらには、
図21の実施例1の突起の径は、
図22の比較例の突起の径よりも小さいことが分かる。比較例3に比べて実施例1では、窒化する際の温度が低いため、窒化する際の表面の突起の成長が抑制されていると考えられる。
【0068】
そして、
図20に示すように実施例1の表面粗さRzが比較例3の表面粗さRzより小さいことは、
図21および
図22に示すように、実施例1の突起の径が比較例3に比べて小さいことと関係があると考えられる。
【0069】
(実機耐久摩擦試験)
それぞれの部材に対する実機耐久摩擦試験を行った。当該試験には、駆動力伝達装置を構成する電磁クラッチを適用した。具体的には、上記実施例1
,2、参考例および比較例1〜3の各表面処理を、当該電磁クラッチを構成し且つ複数の同心円の環状溝を有するアウタパイロットクラッチプレート44b(
図24、
図25に示す)に施す。アウタパイロットクラッチプレート44bの相手材であって、複数の交差する溝を有するインナパイロットクラッチプレート44a(
図24、
図26に示す)は、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)膜をコーティングした。試験条件は、電磁クラッチ部の面圧0.2MPa、すべり速度0.02m/s、カップリングフルード(動粘度40℃、23mm
2/s)潤滑下、カップリング表面温度90〜100℃、耐久時間480h連続スリップ、380Wのエネルギーのもと、耐久試験を行った。
【0070】
そして、摩擦試験前におけるクラッチプレート44a,44b間の伝達トルクに対する摩擦試験後における伝達トルクの変化率について測定した。ここで、上記摩擦試験を行うことで、各プレート44a,44bの表面が摩耗し、両者の接触面積が変化する。このことによって、摩擦試験後には、試験前に比べて、両者間の伝達トルクが増大する。そして、摩擦試験前後において伝達トルクの変化率が小さいほど、耐久性能が高いとして評価される。
【0071】
図23に示すように、比較例1の変化率が、最も小さく、4%程度であった。次に、実施例1,2の変化率が、5%程度であり、
参考例の変化率が、8%程度であった。比較例2の変化率は、12%程度であり、比較例3の変化率は、10%程度であった。
【0072】
(まとめ)
実施例1
,2、参考例によれば、第二加熱工程(
図2のS3、
図5のS14)後の冷却を油冷としているため、冷却液には油を用い、水を用いていない。これにより、摺動部材の表面に錆が発生することを抑制できる。油冷に用いる油は、水冷に用いる水よりも、その材料自体の性質として冷却スピードが小さい。また、油冷にすることで、水が含まれる冷却液に比べると、温度を高くすることができる。そのため、油冷による冷却スピードは、水を含む冷却液による冷却スピードに比べて遅くすることができる。その結果、加熱前と冷却後の摺動部材の表面の歪変化量(平坦度)を小さくすることができる。
【0073】
ここで、第一加熱工程(
図2のS2、
図5のS13)において、アンモニア雰囲気での加熱処理を行っている。つまり、第一加熱工程にて素材に対して窒化されている。この第一加熱工程における温度は、570〜660℃である。570℃以上で加熱することで、確実に、窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みをそれぞれ10〜50μm確保することができる。
【0074】
特に、第一加熱工程の雰囲気温度をFe−NのA1変態点である590℃以上とすることで、
図12〜
図14から分かるように、窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みをそれぞれ10〜50μm確保することができる。
【0075】
さらに、当該温度にて窒化することで、
図20に示すように、660℃より高い温度にて窒化する場合に比べて、加熱処理後の摺動部材の表面粗さを小さくできる。加熱処理後の摺動部材の表面粗さを小さくすることで、最終的に冷却後の摺動部材の表面粗さを小さくすることができる。従って、長時間使用した場合であっても、表面粗さの変化を抑制することができる。その結果、クラッチプレートに適用した場合に、表面が摩耗したとしても、クラッチプレート同士の接触面積が大きく変化しない。従って、使用前と長時間使用後における伝達トルクの変化率を小さくすることができる。
【0076】
ただし、窒化する際の加熱温度(第一加熱工程の温度)を570〜660℃とすることで、当該温度から油冷を行った場合には、上述したように油冷温度が60〜80℃と水冷に比べて高温であるために、冷却する温度差が小さくなってしまう。そこで、窒化する第一加熱工程に続いて、雰囲気温度を660〜690℃に昇温し、その後に油冷することとした(第二加熱工程)。つまり、油冷は、660〜690℃を開始温度として行われ、十分な温度差を確保できる。
【0077】
これにより、油冷工程(
図2のS4、
図5のS15)における油温を60℃以上としたとしても、油冷工程の直前の第二加熱工程における雰囲気温度を、Fe−NのA1変態点である590℃より十分に高い温度の660℃以上にすることで、確実に、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ10〜50μm確保することができる。
【0078】
また、第二加熱工程における雰囲気温度を660℃以上にし、油温を80℃以下にすることで、確実に、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ10〜50μm確保することができる。従って、表面側の硬さを高くすることができる。その結果、耐摩耗性を良好とできる。ところで、窒素化合物層および窒素拡散層の厚みをそれぞれ10μm以上とすることで、摺動部材の表面の硬度を十分に確保できると共に、表面が摩耗したとしても表面側の硬さの変動を小さくすることができる。
【0079】
また、油冷工程における油温を60℃以上とすることで、
図19に示すように、従来課題であった素材の変形を十分に抑制することができる。さらに、第二加熱工程における雰囲気温度を690℃以下にすることで、窒素化合物層の拡散(消失)を抑制でき、表面側の硬さを高くすることができる。
【0080】
また、実施例1
,2、参考例の油冷工程では非酸化雰囲気での油冷を行っている。つまり、比較例1のナイトロテック法のように、加熱工程の後に積極的に酸化処理を行わない。つまり、摺動部材の表面に酸化被膜が形成されにくい。このことによっても、実施例1
,2、参考例では、表面の平坦度を高くすることができる。
【0081】
また、油冷工程の後にプレステンパ処理(
図2のS5、
図5のS16)を行うことで、内部歪を除去しながら、平坦度をより高めることができる。さらに、プレステンパ処理を行うことで、窒素化合物層130および窒素拡散層120に含まれている非磁性である残留オーステナイトを磁性であるマルテンサイトに変態させることができる。これにより、クラッチプレートの透磁率および硬さを上げることができる。
【0082】
また、実施例1,2の方が
参考例に比べて、窒素化合物層130が厚い。このことから、第二加熱工程において、660〜690℃での加熱処理時間が長いほど、窒素化合物層の拡散(消失)が拡大すると考えられる。そこで、第二加熱工程における当該温度での処理時間を短くすることで、窒素化合物層130の拡散を抑制でき、硬さを確保することができる。一方、第一加熱工程では窒化処理を行う工程であるため、570〜660℃での加熱処理時間を十分に確保する必要がある。そこで、実施例1,2のように、第二加熱工程における660〜690℃での加熱処理時間を第一加熱工程における570〜660℃での加熱処理時間より短く設定することで、上記を共に満たすことができる。
【0083】
また、実施例1
,2、参考例においては、アンモニア雰囲気温度による加熱処理を第一加熱工程の雰囲気温度から第二加熱工程の雰囲気温度に昇温
している。これにより、確実に窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みを確保できると共に、表面粗さを小さくすることができる。なお、第一加熱工程の雰囲気温度から昇温開始時に、アンモニアガスの供給を停止してもよい。
【0084】
さらに、実施例1,2においては、雰囲気温度が500〜550℃において、処理室をアンモニア雰囲気としている。このように、雰囲気温度が550℃以下のときからアンモニア雰囲気とすることで、窒化むら、すなわち窒化のばらつきを抑制できる。一般に、雰囲気温度が低いほど窒化効率が低く、雰囲気温度が高いほど窒化効率が高い。つまり、窒化効率が低い状態からアンモニア雰囲気とすることで、窒化効率が高くなる雰囲気温度に達したときに、雰囲気全体をアンモニア雰囲気とすることができる。その結果、窒化むらを抑制できる。また、雰囲気温度が500℃より低い温度のときからアンモニア雰囲気とする場合にも、窒化むらを生じる。そこで、アンモニアガスの供給開始温度を500℃以上とすることで、窒化むらを抑制できる。
【0085】
ところで、上述したように、窒素化合物層130および窒素拡散層120の厚みをそれぞれ50μm以下としている。仮に、50μmより厚くすると、透磁率が低下するため、クラッチプレートの磁束密度が低下して、クラッチプレート間の摩擦係合力が低下することになる。そのため、50μm以下としている。
【0086】
(電磁クラッチ装置を適用した駆動力伝達装置)
次に、上述した電磁クラッチ装置のクラッチプレートを適用する駆動力伝達装置1について、
図24を参照して説明する。駆動力伝達装置1は、例えば、4輪駆動車において車両の走行状態に応じて駆動力が伝達される補助駆動輪側への駆動力伝達系に適用される。より詳細には、4輪駆動車において、駆動力伝達装置1は、例えば、エンジンの駆動力が伝達されるプロペラシャフトと、リアディファレンシャルとの間に連結されている。駆動力伝達装置1は、プロペラシャフトから伝達される駆動力を、伝達割合を可変にしながら、リアディファレンシャルに伝達している。この駆動力伝達装置1は、例えば、前輪と後輪との回転差が生じた場合に、回転差を低減するように作用する。
【0087】
駆動力伝達装置1は、いわゆる電子制御カップリングからなる。この駆動力伝達装置1は、
図24に示すように、外側回転部材としてのアウタケース10と、内側回転部材としてのインナシャフト20と、メインクラッチ30と、パイロットクラッチ機構を構成する電磁クラッチ装置40と、カム機構50とを備えている。
【0088】
アウタケース10は、円筒形状のホールカバー(図示せず)の内周側に、当該ホールカバーに対して回転可能に支持されている。このアウタケース10は、全体として円筒形状に形成されており、車両前側に配置されるフロントハウジング11と車両後側に配置されるリヤハウジング12とにより形成されている。
【0089】
フロントハウジング11は、例えばアルミニウムを主成分とする非磁性材料のアルミニウム合金により形成され、有底筒状に形成されている。フロントハウジング11の円筒部の外周面が、ホールカバーの内周面に軸受を介して回転可能に支持されている。さらに、フロントハウジング11の底部が、プロペラシャフト(図示せず)の車両後端側に連結されている。つまり、フロントハウジング11の有底筒状の開口側が車両後側を向くように配置されている。そして、フロントハウジング11の内周面のうち軸方向中央部には、雌スプライン11aが形成されており、当該内周面の開口付近には、雌ねじが形成されている。
【0090】
リヤハウジング12は、円環状に形成されており、フロントハウジング11の開口側の径方向内側に、フロントハウジング11と一体的に配置されている。リヤハウジング12の車両後方側には、全周に亘って環状溝が形成されている。このリヤハウジング12の環状溝底の一部分には、非磁性材料としての例えばステンレス鋼により形成された環状部材12aを備えている。リヤハウジング12のうち環状部材12a以外の部位は、磁気回路を形成するために磁性材料である鉄を主成分とする材料(以下、「鉄系材料」と称する)により形成されている。リヤハウジング12の外周面には、雄ねじが形成されており、当該雄ねじはフロントハウジング11の雌ねじにねじ締めされる。なお、フロントハウジング11の雌ねじをリヤハウジングの雄ねじに締め付け、フロントハウジング11の開口側端面をリヤハウジングの段部の端面に当接することにより、フロントハウジング11とリヤハウジング12とを固定する。
【0091】
インナシャフト20は、外周面の軸方向中央部に雄スプライン20aを備える軸状に形成されている。このインナシャフト20は、リヤハウジング12の中央の貫通孔を液密的に貫通して、アウタケース10内に相対回転可能に同軸上に配置されている。そして、インナシャフト20は、フロントハウジング11およびリヤハウジング12に対して軸方向位置を規制された状態で、フロントハウジング11及びリヤハウジング12に軸受を介して回転可能に支持されている。さらに、インナシャフト20の車両後端側(
図24の右側)は、ディファレンシャルギヤ(図示せず)に連結されている。なお、アウタケース10とインナシャフト20とにより液密的に区画される空間内には、所定の充填率で潤滑油が充填されている。
【0092】
メインクラッチ30は、アウタケース10とインナシャフト20との間でトルクを伝達する。このメインクラッチ30は、鉄系材料により形成された湿式多板式の摩擦クラッチである。メインクラッチ30は、フロントハウジング11の円筒部内周面とインナシャフト20の外周面との間に配置されている。メインクラッチ30は、フロントハウジング11の底部とリヤハウジング12の車両前方端面との間に配置されている。このメインクラッチ30は、インナメインクラッチプレート32とアウタメインクラッチプレート31とにより構成され、軸方向に交互に配置されている。インナメインクラッチプレート32は、内周側に雌スプライン32aが形成されており、インナシャフト20の雄スプライン20aに嵌合されている。アウタメインクラッチプレート31は、外周側に雄スプライン31aが形成されており、フロントハウジング11の雌スプライン11aに嵌合されている。
【0093】
電磁クラッチ装置40は、磁力によりアーマチュア43をヨーク41側に引き寄せることでパイロットクラッチ44同士を係合させる。つまり、電磁クラッチ装置40は、アウタケース10のトルクを、カム機構50を構成する支持カム部材51に伝達する。この電磁クラッチ装置40は、ヨーク41と、電磁コイル42と、アーマチュア43と、パイロットクラッチ44とにより構成されている。
【0094】
ヨーク41は、環状に形成されており、リヤハウジング12に対して相対回転可能となるように隙間を介してリヤハウジング12の環状溝に収容されている。ヨーク41は、ホールカバーに固定されている。また、ヨーク41の内周側が、リヤハウジング12に軸受を介して回転可能に支持されている。電磁コイル42は、巻線を巻回することにより円環状に形成され、ヨーク41に固定されている。
【0095】
アーマチュア43は、鉄系材料により形成されている。外周側に雄スプラインを備える円環状に形成されている。アーマチュア43は、メインクラッチ30とリヤハウジング12との軸方向間に配置されている。そして、アーマチュア43の外周側が、フロントハウジング11の雌スプライン11aに嵌合されている。アーマチュア43は、電磁コイル42に電流が供給されると、ヨーク41側に引き寄せられるように作用する。
【0096】
パイロットクラッチ44は、アウタケース10と支持カム部材51との間でトルクを伝達する。このパイロットクラッチ44は、鉄系材料により形成されている。パイロットクラッチ44は、フロントハウジング11の円筒部内周面と支持カム部材51の外周面との間に配置されている。さらに、パイロットクラッチ44は、アーマチュア43とリヤハウジング12の車両前方端面との間に配置されている。このパイロットクラッチ44は、インナパイロットクラッチプレート44a(
図24、
図26に示す)とアウタパイロットクラッチプレート44b(
図24、
図25に示す)とにより構成され、軸方向に交互に配置されている。インナパイロットクラッチプレート44aは、内周側に雌スプラインが形成されており、支持カム部材51の雄スプラインに嵌合されている。アウタパイロットクラッチプレート44bは、外周側に雄スプラインが形成されており、フロントハウジング11の雌スプライン11aに嵌合されている。
【0097】
そして、電磁コイル42に電流が供給されると、
図24の矢印にて示すように、ヨーク41、リヤハウジング12の外周側、パイロットクラッチ44、アーマチュア43、パイロットクラッチ44、リヤハウジング12の内周側、ヨーク41を通過する磁気回路が形成される。そうすると、アーマチュア43がヨーク41側に引き寄せられて、インナパイロットクラッチプレート44aとアウタパイロットクラッチプレート44bとが摩擦係合する。そして、アウタケース10のトルクを支持カム部材51に伝達する。一方、電磁コイル42への電流供給を遮断すると、アーマチュア43に対する吸引力がなくなり、インナパイロットクラッチプレート44aとアウタパイロットクラッチプレート44bとの摩擦係合力が解除される。
【0098】
カム機構50は、メインクラッチ30とパイロットクラッチ44との間に設けられ、パイロットクラッチ44を介して伝達されるアウタケース10とインナシャフト20との回転差に基づくトルクを軸方向の押圧力に変換してメインクラッチ30を押圧する。このカム機構50は、支持カム部材51と、移動カム部材52と、カムフォロア53とから構成されている。
【0099】
支持カム部材51は、外周側に雄スプラインを備えた円環状に形成されている。この支持カム部材51の車両前方端面には、カム溝が形成されている。支持カム部材51は、インナシャフト20の外周面に対して隙間を介して設けられ、リヤハウジング12の車両前方端面にスラスト軸受60を介して支持されている。従って、支持カム部材51の車両後方端面は、スラスト軸受60の軌道板にシム61を介して当接している。つまり、支持カム部材51は、インナシャフト20およびリヤハウジング12に対して相対回転可能であり、軸方向に対して規制されて設けられている。さらに、支持カム部材51の雄スプラインは、インナパイロットクラッチプレート44aの雌スプラインに嵌合している。
【0100】
移動カム部材52は、大部分を鉄系材料により形成され、内周側に雌スプラインを備える円環状に形成されている。移動カム部材52は、支持カム部材51の車両前方に配置されている。移動カム部材52の車両後方端面には、支持カム部材51のカム溝に対して軸方向に対向するように、カム溝が形成されている。移動カム部材52の雌スプラインが、インナシャフト20の雄スプライン20aに嵌合している。従って、移動カム部材52は、インナシャフト20と共に回転する。さらに、移動カム部材52の車両前方端面は、メインクラッチ30のうち最も車両後方に配置されるインナメインクラッチプレート32に当接し得る状態となっている。移動カム部材52は、車両前方に移動すると、当該インナメインクラッチプレート32に対して車両前方へ押し付ける。
【0101】
カムフォロア53は、ボール状からなり、支持カム部材51と移動カム部材52の互いに対向するカム溝に介在している。つまり、カムフォロア53およびそれぞれのカム溝の作用により、支持カム部材51と移動カム部材52に回転差が生じた際には、移動カム部材52が支持カム部材51に対して軸方向に離間する方向(車両前方)へ移動する。支持カム部材51に対する移動カム部材52の軸方向離間量は、支持カム部材51と移動カム部材52とのねじれ角度が大きいほど大きくなる。
【0102】
(駆動力伝達装置の基本的な動作)
次に、上述した構成からなる駆動力伝達装置1の基本的な動作について説明する。アウタケース10とインナシャフト20とが回転差を生じている場合について説明する。電磁クラッチ装置40の電磁コイル42に電流が供給されると、電磁コイル42を基点としてヨーク41、リヤハウジング12、アーマチュア43を循環するループ状の磁気回路が形成される。
【0103】
このように、磁気回路が形成されることで、アーマチュア43がヨーク41側、すなわち軸方向後方に向かって引き寄せられる。その結果、アーマチュア43は、パイロットクラッチ44を押圧して、インナパイロットクラッチプレート44aとアウタパイロットクラッチプレート44bとが摩擦係合する。そうすると、アウタケース10の回転トルクが、パイロットクラッチ44を介して支持カム部材51へ伝達されて、支持カム部材51が回転する。
【0104】
ここで、移動カム部材52はインナシャフト20とスプライン嵌合しているため、インナシャフト20と共に回転する。従って、支持カム部材51と移動カム部材52とに回転差が生じる。そうすると、カムフォロア53およびそれぞれのカム溝の作用により、支持カム部材51に対して移動カム部材52が軸方向(車両前側)に移動する。移動カム部材52がメインクラッチ30を車両前側へ押圧することになる。
【0105】
その結果、インナメインクラッチプレート32とアウタメインクラッチプレート31とが相互に当接して摩擦係合状態となる。そうすると、アウタケース10との回転トルクが、メインクラッチ30を介してインナシャフト20に伝達される。そうすると、アウタケース10とインナシャフト20との回転差を低減することができる。なお、電磁コイル42へ供給する電流量を制御することで、メインクラッチ30の摩擦係合力を制御できる。つまり、電磁コイル42へ供給する電流量を制御することで、アウタケース10とインナシャフト20との間で伝達されるトルクを制御できる。