特許第6134646号(P6134646)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6134646
(24)【登録日】2017年4月28日
(45)【発行日】2017年5月24日
(54)【発明の名称】親水性チオールプローブ
(51)【国際特許分類】
   G01N 27/62 20060101AFI20170515BHJP
【FI】
   G01N27/62 V
   G01N27/62 F
【請求項の数】15
【全頁数】19
(21)【出願番号】特願2013-532520(P2013-532520)
(86)(22)【出願日】2012年8月17日
(86)【国際出願番号】JP2012070924
(87)【国際公開番号】WO2013035513
(87)【国際公開日】20130314
【審査請求日】2014年2月27日
【審判番号】不服2016-12078(P2016-12078/J1)
【審判請求日】2016年8月9日
(31)【優先権主張番号】特願2011-196958(P2011-196958)
(32)【優先日】2011年9月9日
(33)【優先権主張国】JP
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】100098671
【弁理士】
【氏名又は名称】喜多 俊文
(74)【代理人】
【識別番号】100102037
【弁理士】
【氏名又は名称】江口 裕之
(74)【代理人】
【識別番号】100149962
【弁理士】
【氏名又は名称】阿久津 好二
(72)【発明者】
【氏名】嶋田 崇史
(72)【発明者】
【氏名】佐藤 孝明
(72)【発明者】
【氏名】田中 耕一
【合議体】
【審判長】 福島 浩司
【審判官】 ▲高▼見 重雄
【審判官】 渡戸 正義
(56)【参考文献】
【文献】 特表2008−500446(JP,A)
【文献】 国際公開第2011/018227(WO,A2)
【文献】 特表2002−508192(JP,A)
【文献】 Thermoscientific,EZ−Link Iodoacetyl−LC−Biotin; EZ−Link Iodoacetyl−PEG2−Biotin,INSTRUCTIONS,2008年1月1日
【文献】 REN D et al.,Enrichment of Cysteine−Containing Peptides from Tryptic Digests Using a Quaternary Amine Tag,Analytical Chemistry,2004年 8月 1日,Vol.76, No.15,pp.4522−4530
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
G01N27/62-27/70
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
下記式(I):
【化1】
(式中、Rは架橋基であり、炭素数1〜3の炭化水素基又は炭素数2〜6のアルキレンオキシド含有基を表し、Rは置換アンモニウム基又は置換アミノ基を表す)
で示される、タンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項2】
前記Rが炭素数2〜6のアルキレンオキシド含有基を表す場合において、前記アルキレンオキシド含有基におけるアルキレンオキシドが、エチレンオキシド又はプロピレンオキシドである、請求項1に載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項3】
前記Rが置換アミノ基を表す場合において、前記置換アミノ基が、−NHR(Rは、炭化水素基又は窒素含有基を表す)で表される基である、請求項1又は2に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項4】
前記Rが、置換されていてもよいアミジノ基又は置換されていてもよいトリアジノ基である、請求項3に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項5】
前記置換されていてもよいトリアジノ基における置換基が、アミノ基及び炭素数1又は2のアルコキシ基からなる群から選ばれる、請求項4に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項6】
前記置換されていてもよいアミジノ基における置換基が、炭素数1又は2のアルキル基である、請求項4に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項7】
前記Rが置換アンモニウム基を表す場合において、前記置換アンモニウム基が、炭素数1又は2のアルキル基で置換された第三級アンモニウム基又は第四級アンモニウム基である、請求項1又は2に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項8】
下記式(i):
【化2】
で表される、請求項7に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項9】
下記式(ii):
【化3】
で表される、請求項7に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項10】
下記式(iii):
【化4】
で表される、請求項7に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項11】
下記式(iv):
【化5】
で表される、請求項4に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項12】
下記式(v):
【化6】
で表される、請求項4に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項13】
下記式(vi):
【化7】
で表される、請求項5に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項14】
下記式(vii):
【化8】
で表される、請求項5に記載のタンパク質の質量分析用チオールプローブ。
【請求項15】
請求項1〜14のいずれか1項に記載の質量分析用チオールプローブをタンパク質と反応させることにより、修飾タンパク質を得る工程と、
前記修飾タンパク質を質量分析に供する工程とを含む、タンパク質の質量分析法。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、ライフサイエンス、特にプロテオミクス分野に属するものであり、臨床診断等に適用されうる質量分析技術に関する。具体的には、本発明は、LC/MSやMALDI-TOF MSに有用な質量分析用試薬に関する。より具体的には、本発明は、生体分子の質量分析感度を向上させる新規親水性チオールプローブに関する。
【背景技術】
【0002】
プロテオミクスにおいて、タンパク質又はペプチドのシステイン残基のチオール基をプローブの付加部位として使う方法論は多数存在する。チオール基を付加部位とするプローブは、例えば、ビオチン、蛍光指示薬、アルカリフォスファターゼなどによる標識キットとして商品化もされている。このようなプローブは、タンパク質又はペプチドの生化学アッセイ(例えばウェスタンブロット、ELISA、細胞内蛍光標識)やHPLCにおいても利用可能である。
【0003】
また、プロテオミクスにおいては、タンパク質又はペプチドを、特定のアミノ酸残基のラベル化を可能にするプローブを用いて誘導体化し、高感度で分析する方法論も存在する。特定のアミノ酸残基へのプローブの付加を質量分析技術に応用することは、質量分析におけるイオン化を促進し、確実に解析精度を向上させるための必須の方法論となっている。
例えば、N末端アミノ基やリジン残基のアミノ基がプローブの付加部位として利用されている。そのようなプローブとして例えばTMPP試薬(Anal. Biochem. 2008, 380(2), 291-296(非特許文献1))やSPITC試薬(RCM. 2004, 18(1), 96-102(非特許文献2))等を用い、ペプチドのMS/MSイオン系列の選択性を持たせる方法論がある。
【0004】
また、タンパク質又はペプチドにおけるチオール基へのアルキル基導入時に安定同位体試薬ICAT(Isotope-Coated Affinity Tag)を用いたラベル化を用い、定量的解析を行う画期的な方法が開発され(Anal. Biochem. 2001, 297, 25-31(非特許文献3))、cleavable ICATとして改良もされている(Mol Cell Proteomics. 2003, 2, 1198-1204(非特許文献4))。
さらに、タンパク質の一斉定量方法もiTRAQ(R)(Isobaric tag for relative and absolute quantitation)として改良され(Mol Cell Proteomics. 2004, 3, 1154-1169(非特許文献5))、質量分析によってタンパク質又はペプチドの発現変動解析が行われている。
【0005】
上記の他にも、質量分析において様々なプローブによってタンパク質又はペプチドを誘導体化する手法が報告されている(Anal. Chem. 1998, 70, 1544-1554(非特許文献6)、Rapid Commun. Mass Spectrom. 2009; 23: 1483-1492(非特許文献7)、J. Anal. At.Spectrom., 2008, 23, 1063-1067(非特許文献8)、Anal. Chem. 1997, 69, 1315-1319(非特許文献9)、Anal. Chem. 2004, 76, 728-735(非特許文献10)。
【0006】
一方、プロテオミクスにおいては、タンパク質の効率的消化を目的とした前処理法として、タンパク質を変性した後に還元−アルキル化する方法を行い、システイン残基の再酸化の防止が慣用的に行われている。具体的には、例えばタンパク質を電気泳動による分離に供した後、又は変性ウレア溶液による変性に供した後に、ジチオトレイトールにて還元し、システイン残基のチオール基を生成させる。続いて、ヨードアセトアミド、ヨード酢酸、ビニルピリジン、又はアクリルアミド等によってチオール基をアルキル化し、チオール基の再酸化をブロックする。このような方法でシステイン残基を誘導体化することで、タンパク質の鎖がほどけやすくなり、結果として次のステップである酵素消化が容易に進み、その効率が上がることが解っている。
【先行技術文献】
【非特許文献】
【0007】
【非特許文献1】アナリティカル・バイオケミストリ(Analytical Biochemistry)、2008年、第380巻、第2号、p.291−296
【非特許文献2】ラピッド・コミュニケーションズ・イン・マス・スペクトロメトリ(Rapid Communications in Mass Spectrometry)、2004年、第18巻、第1号、P.96−102
【非特許文献3】アナリティカル・バイオケミストリ(Analytical Biochemistry)、2001年、第297巻、p.25−31
【非特許文献4】モレキュラー・アンド・セルラー・プロテオミクス(Molecular & Cellular Proteomics)、2003年、第2巻、p.1198−1204
【非特許文献5】モレキュラー・アンド・セルラー・プロテオミクス(Molecular & Cellular Proteomics)、2004年、第3巻、p.1154−1169
【非特許文献6】アナリティカル・ケミストリ(Analytical Chemistry)、1998年、第70巻、p.1544−1554
【非特許文献7】ラピッド・コミュニケーションズ・イン・マス・スペクトロメトリ(Rapid Communications in Mass Spectrometry)、2009年、第23巻、p.1483−1492
【非特許文献8】ジャーナル・オブ・アナリティカル・アトミック・スペクトロメトリ(Journal of Analytical Atomic Spectrometry)、2008年、第23巻、p.1063−1067
【非特許文献9】アナリティカル・ケミストリ(Analytical Chemistry)、1997年、第69巻、p.1315−1319
【非特許文献10】アナリティカル・ケミストリ(Analytical Chemistry)、2004年、第76巻、p.728−735
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
しかし、上記の還元−アルキル化法はもっぱらシステインの再酸化防止という用途で行われてきたものであって、それ以外の用途では利用されてこなかった。
【0009】
一方、ペプチドのイオン化を促進するプローブを用いることによって、感度の低いペプチドの検出が可能となるが、従来、イオン化を促進するプローブは、同定すべきタンパク質の消化ペプチドに対して用いられてきた。消化ペプチドは、必ずC末端にリジン又はアルギニンといった塩基性アミノ酸を有する点で特徴的であるが、このような特徴的な配列は、質量分析において高感度効果が得られることが経験的に分かっている。
【0010】
しかしながら、生物学的、臨床的に重要なタンパク質やペプチドは、消化ペプチドではなく、ホルモン、アミロイド、サイトカインなどに代表される機能性ペプチドである。機能性ペプチドは、酵素消化ペプチドのような特徴的な配列を有しているとは限らない。さらに、機能性ペプチドには、疎水性度が高い、又はさらにターンオーバーが早いために、従来のプローブを用いても検出が困難なものも多い。従って、このような機能性タンパク質であっても良好な検出感度を達成し、より有意義な質量分析結果を得ることが求められている。
【0011】
そこで、本発明の目的は、質量分析を用いたプロテオーム解析においてイオン化をより促進するプローブ及びそれを用いたタンパク質の高感度質量分析法を提供することにある。また、本発明の目的は、疎水性度が高く且つターンオーバーが早いタンパク質にも対応することができるイオン化促進プローブ及びそれを用いたタンパク質の高感度質量分析法を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0012】
本発明者らは、チオール基に導入可能な構造と、イオン化を促進する構造とを有するよう分子設計されたプローブによって上記本発明の目的が達成されることを見出し、本発明を完成するに至った。
本発明は、以下の発明を含む。
【0013】
(1)
下記式(I):
【化1】

(式中、Rは架橋基(すなわち2価の連結基)、Rは置換アンモニウム基又は置換アミノ基を表す)
で示される、タンパク質のチオールプローブ。
【0014】
本発明において「タンパク質」は、広くアミノ酸重合体をいい、重合しているアミノ酸の数によらない。従って、「タンパク質」は、オリゴペプチド、ポリペプチド及びタンパク質のいずれをも含む意味で用いる。
【0015】
(2)
前記架橋基が、炭素数1〜3の炭化水素基又は炭素数2〜6のアルキレンオキシド含有基である、(1)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
(3)
前記アルキレンオキシド含有基におけるアルキレンオキシドが、エチレンオキシド又はプロピレンオキシドである、(2)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0016】
(4)
前記置換アミノ基が、−NHR(Rは、炭化水素基又は窒素含有基を表す)で表される基である、(1)〜(3)のいずれかに記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0017】
(5)
前記Rが、置換されていてもよいアミジノ基又は置換されていてもよいトリアジノ基である、(4)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
(6)
前記置換されていてもよいトリアジノ基における置換基が、アミノ基及び炭素数1又は2のアルコキシ基からなる群から選ばれる、(5)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
(7)前記置換されていてもよいアミジノ基における置換基が、炭素数1又は2のアルキル基である、(5)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0018】
(8)前記置換アンモニウム基が、炭素数1又は2のアルキル基で置換された第三級アンモニウム基又は第四級アンモニウム基である、(1)〜(2)のいずれかに記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0019】
(9)
下記式(i):
【化2】

で表される、(8)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0020】
(10)
下記式(ii):
【化3】

で表される、(8)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0021】
(11)
下記式(iii):
【化4】

で表される、(8)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0022】
(12)
下記式(iv):
【化5】

で表される、(5)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0023】
(13)
下記式(v):
【化6】

で表される、(5)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0024】
(14)
下記式(vi):
【化7】

で表される、(6)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0025】
(15)
下記式(vii):
【化8】

で表される、(6)に記載のタンパク質のチオールプローブ。
【0026】
(16)
(1)〜(15)のいずれかに記載のチオールプローブをタンパク質と反応させることにより、修飾タンパク質を得る工程と、
前記修飾タンパク質を質量分析に供する工程とを含む、タンパク質の質量分析法。
上記(16)においては、チオールプローブと反応すべきタンパク質は、還元処理によって生じたチオール基を有するものでありうる。
【発明の効果】
【0027】
本発明によると、質量分析においてイオン化をより促進するプローブ及びそれを用いたタンパク質の高感度質量分析法を提供することができる。また、本発明によって、疎水性度が高く且つターンオーバーが早いタンパク質にも対応することができるイオン化促進プローブ及びそれを用いたタンパク質の高感度質量分析法が可能になる。
【0028】
具体的には、本発明によると、従来のプロテオミクスにおいてチオール基の酸化防止のために用いられていた、ヨードアセトアミドを用いる還元−アルキル化工程のみを行った場合と比較して、約2〜200倍感度を向上させることが可能になる。
【0029】
また、従来のICAT試薬のような疎水性の高いプローブとは異なり、本発明のプローブは分子全体の疎水性度を下げるよう分子設計されているため、本発明のプローブによって修飾されたタンパク質は修飾前と比べて親水的になる。このため、疎水性度が高いタンパク質に対応することができる。それに加えて、従来の還元−アルキル化工程で用いられていたアルキル化剤の代わりに、イオン化促進と感度向上の観点から分子設計されたプローブを用いることで、チオール基の酸化防止とイオン化促進処理とを同時に行うことができ、従来のプロトコルに変更を加えることはない。さらに、ターンオーバーの早い低含有量ペプチドや疎水性タンパク質についても応用することができる。
【図面の簡単な説明】
【0030】
図1】本発明のチオールプローブを付加したInsulinの質量分析によって検出されたalpha chainのピークの相対強度を、コントロール(IAA付加ペプチド)と比較して示したグラフ、及びコントロールに対する比(Enhanced ratio)をイオン化促進の程度を統計的に評価したp値(p-value)と共に示した表である。
図2】本発明のチオールプローブを付加したInsulinの質量分析によって検出されたbeta chainのピークの相対強度を、コントロール(IAA付加ペプチド)と比較して示したグラフ、及びコントロールに対する比(Enhanced ratio)をイオン化促進の程度を統計的に評価したp値(p-value)と共に示した表である。
図3】本発明のチオールプローブを付加したNC4 CLAC-Pの質量分析によって検出されたピークの相対強度を、コントロール(IAA付加ペプチド)と比較して示したグラフ、及びコントロールに対する比(Enhanced ratio)をイオン化促進の程度を統計的に評価したp値(p-value)と共に示した表である。
図4】本発明のチオールプローブを付加したPSA2の質量分析によって検出されたピークの相対強度を、コントロール(IAA付加ペプチド)と比較して示したグラフ、及びコントロールに対する比(Enhanced ratio)をイオン化促進の程度を統計的に評価したp値(p-value)と共に示した表である。
図5】本発明のチオールプローブを付加したS26C Amyloid-betaの質量分析によって検出されたピークの相対強度を、コントロール(IAA付加ペプチド)と比較して示したグラフ、及びコントロールに対する比(Enhanced ratio)をイオン化促進の程度を統計的に評価したp値(p-value)と共に示した表である。
【発明を実施するための形態】
【0031】
本発明のチオールプローブは、チオール基への反応性を有する構造と、分子全体の疎水性度を抑制するための構造と、プロトン化し易い構造とを有し、且つ、多段階MS解析においてプローブ自身の開裂によるマススペクトルの複雑化を招来する構造であるアミド基を有しないという特徴を有する。
具体的には、チオール基への反応性を有する構造は、チオール基以外への官能基(例えばアミノ基)への副反応を最小限にし、且つ反応速度選択性の高い、ヨードアセチル基である。
分子全体の疎水性度を抑制するための構造は、酸素含有基である。
プロトン化し易い構造は窒素含有基である。
より具体的には、本発明のチオールプローブは、下記式(I)、すなわちヨードアセチル基(ICHCO−)、酸素含有基(−OR−)、及び窒素含有基(−R)を有する構造式で表される。
【0032】
【化9】
【0033】
式(I)中、Rは架橋基を表す。架橋基は、すなわち2価の連結基であり、通常は2価の有機基である。
2価の有機基は、炭素数1又は2の炭化水素基でありうる。前記範囲を上回ると、分子全体の疎水性度が高くなり、イオン化促進効果が十分に得られにくくなる傾向にある。
あるいは、2価の有機基は、炭素数2〜6のアルキレンオキシド含有基でありうる。好ましくは、ポリアルキレンオキシド含有基である。より具体的には、アルキレンオキシド含有基におけるアルキレンオキシドは、エチレンオキシド又はプロピレンオキシドである。
例えば、ORで表される基が、ポリアルキレングリコール基であることが好ましい。上記のポリアルキレングリコール基は、炭素数2〜6のアルキレングリコールの重合によって生じる基でありうる。本発明においては、ポリエチレングリコール基(エチレングリコールの重合によって生じる基)及びポリプロピレングリコール基(1,2−プロパンジオール又は1,3−プロパンジオールの重合によって生じる基)からなる群から選ばれうる。なお、上記のポリアルキレングリコール基におけるグリコールの重合度は、2〜6でありうる。
【0034】
式(I)中、Rは窒素含有基を表す。窒素含有基は、プロトン受容性基であって、具体的には、置換アンモニウム基又は置換アミノ基である。
置換アンモニウム基は、三級アンモニウム基及び四級アンモニウム基でありうる。置換アンモニウム基における置換基は、炭素数1又は2のアルキル基等でありうる。置換アンモニウム基のカウンターアニオンは、1価のハロゲンアニオンであればよい。例えばCl、Br、Iなどでありうる。
【0035】
置換アミノ基は、−NHRで表される基でありうる。
−NHRで表される基において、Rは、炭素数1又は2の炭化水素基又は窒素含有基でありうる。
好ましくは、Rは、置換されていてもよいアミジノ基又は置換されていてもよいトリアジノ基でありうる。
置換されていてもよいアミジノ基の場合、すなわち、−NHRで表される基は、置換されていてもよいグアニジノ基である。置換されていてもよいアミジノ基における置換基は、炭素数1又は2のアルキル基等でありうる。
置換されていてもよいトリアジノ基における置換基は、アミノ基、炭素数1又は2のアルコキシ基からなる群から選ばれうる。
【0036】
本発明のプローブは分子全体として親水性であり、水、メタノール、エタノールに対する溶解性を示す。具体的には、室温(例えば20℃±10℃)条件下で上記溶媒に10〜500mM、20〜500mM、又は10〜100mMの濃度で溶解可能であることが好ましい。
【0037】
さらに具体的なプローブの例を、下記式(i)、(ii)、(iii)、(iv)、(v)、(vi)及び(vii)で表す。
【0038】
【化10】
【0039】
【化11】
【0040】
【化12】
【0041】
【化13】
【0042】
【化14】
【0043】
【化15】
【0044】
【化16】
【0045】
チオールプローブの付加対象となるタンパク質は特に限定されない。チオールプローブの付加対象となるタンパク質は、広くアミノ酸重合体をいい、重合しているアミノ酸の数によらないため、分子量の範囲は特に限定されるものではない。特に、本発明においては、機能性タンパク質であることが好ましい。機能性タンパク質とは、特定の生理活性を有するタンパク質であり、例えば、ホルモン、アミロイド、サイトカイン等が挙げられる。本発明は、チオールプローブの付加対象となるタンパク質が、消化等の断片化工程を受けていないものである場合にも有用である。また、分子量がある程度大きいものや、システイン残基をより多く含むタンパク質ほど、本発明の効果が得られやすい傾向にある。通常の場合、チオールプローブの付加対象の分子量の範囲は1kDa以上でありうるが、例えば、1.4kDa以上、2kDa以上、2.4kDa以上又は3kDa以上であってもよい。前記範囲の上限値は特に限定されないが、例えば150kDaである。
【0046】
チオールプローブの付加対象となるタンパク質は、当然にチオール基を有する。タンパク質におけるチオール基は、通常、システイン残基に由来するものである。チオール基は、酸化を受けることによってスルフィノ基(−SOH)及びその塩、スルホ基(−SOH)及びその塩、及びジスルフィド基(−SS−)等の態様となっている場合が多いため、チオールプローブの導入の前に、還元処理が行われることによって生じさせることが通常である。
【0047】
以下に、本発明のチオールプローブを用いてタンパク質を修飾する工程を例示する。
【化17】
【0048】
システイン残基(Cysteine residue)は、上記式中Xで表されるように、ジスルフィド基(SS bonding)、SO-基又はSO-基を生じうる。このようなシステイン残基を、例えばジチオスレイトール(dithiothreitol)等の還元剤による還元(Reduction)に供してチオール基(−SH基)を生じさせ、さらに、本発明のチオールプローブ(ICHCO)の付加に供することによって、プローブで修飾されたタンパク質を得ることができる。
【0049】
上記の還元及びチオールプローブでの修飾工程における具体的プロトコルは、従来の還元アルキル化に準じ、当業者が容易に決定することができるものである。すなわち、従来法におけるアルキル化工程で用いられるヨードアセトアミドの代わりに、本発明のチオールプローブを用いることを除いては、従来の還元アルキル化と同じプロトコルを採用することができる。具体的には、20〜50mM濃度プローブを用い、室温(例えば20℃±10℃)で、30〜60分反応させることができる。
【0050】
本発明のチオールプローブで修飾されたタンパク質は、質量分析に供される。質量分析に用いられる装置としては、例えば、イオン源として、エレクトロスプレーイオン化法、及びマトリックス支援レーザー脱離イオン化法等を採用することができる。分析部としては、磁場偏向型、四重極型、イオントラップ型、飛行時間型、及びフーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴型等を適宜組み合わせることができる。
また、イオン源としてマトリックス支援レーザー脱離イオン化法を採用する場合、マトリックスとしては、α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸、シナピン酸、2,5−ジヒドロキシ安息香酸等、従来から用いられているタンパク質用マトリックスを使用することができる。
さらに、MS2乗以上の多段階MSが可能なタンデム型質量分析装置が好ましく用いられる。
【0051】
本発明のチオールプローブは、イオン化促進効果を有するため、定量性に優れる。従って、本発明のチオールプローブとして、所定の構造を有する分子(非標識プローブ)と、前記の分子における一部の構成原子が安定同位体に置き換わった構造を有する分子(安定同位体標識プローブ)とが組み合わされた定量化試薬として使用することもできる。このような定量化試薬は、ディファレンシャル解析に用いることができる。
具体的には、(1)状態の異なるタンパク質試料、例えば解析すべきタンパク質試料Iとその対照タンパク質試料IIとの2種類の状態のタンパク質試料を用意し、(2)前記タンパク質試料Iを、非標識プローブ及び安定同位体標識プローブのいずれか一方を用いて修飾し、別途、前記タンパク質試料IIを、非標識プローブ及び安定同位体標識プローブのいずれか他方を用いて修飾し、(3) 修飾されたタンパク質試料I及び修飾されたタンパク質試料IIを混合し、(4)得られた修飾タンパク質混合物を消化工程に供することなく質量分析に供することができる。
【実施例】
【0052】
以下に実施例を示し、本発明を具体的に説明するが、本発明は下記の実施例に制限されるものではない。
【0053】
[実施例1]
1.以下のサンプル(タンパク質又はペプチド)、試薬及び機器を用意した。
タンパク質の還元アルキル化のモデルとして汎用されるタンパク質1種;
Insulin(Sigma-Aldrich)
alpha鎖とbeta鎖とが、システインのSS結合を介して結合している。
alpha鎖:GIVEQC CASVCSLYQL ENYCN(配列番号1))
beta鎖:FVNQHL CGSHLVEALY LVCGERGFFY TPKA(配列番号2))
システインを一つだけ含むペプチドのモデル3種;
NC4 CLAC-P (Anaspec)
LGPDGLPMPG CWQK(配列番号3)
PSA2 (Anaspec)
KLQCVDLHV(配列番号4)
S26C Amyloid-beta (17-40) (Anaspec)
LVFFAEDVGC NKGAIIGLMV GGVV(配列番号5)
内部標準ペプチド1種;
P14R (Sigma-Aldrich)
PPPPPPPPPP PPPPR(配列番号6)
その他汎用試薬;
重炭酸アンモニウム(Fluka)
ジチオトレイトール(和光純薬)
ヨードアセトアミド(和光純薬)
α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸(CHCA)(島津GLC)
トリフルオロ酢酸(和光純薬)
アセトニトリル(和光純薬)
ZipTip C18(Millipore)
使用機器;
AXIMA(R) Performance(島津製作所)
【0054】
2.以下のチオールプローブを用意した。用意したチオールプローブの化合物ID(compound id)、プロトン受容性基(group)、分子式(formula)、分子量(MW)、ペプチドへの結合によってシフトする分子量;delta Mass(dM)及び構造(structure)を示す。
【0055】
【表1】
【0056】
.以下の方法でタンパク質及びペプチドサンプルを処理した。なお、%で表される量は、体積を基準としている。
ペプチドを0.05% TFAと50%acetonitrileとを含む水溶液に溶解し、200 pmol分注 (100 pmol/μL, 2μL)した。
100 mM NH4HCO3と10mM Dithiothreitolとを含む水溶液を10μL加え、pHを確認した (約pH 8.3であった)。
56℃で30分インキュベートした。
50 mM プローブ溶液を15 μl加え、室温, 30分暗所で撹拌した。なお、プローブ溶液の溶媒はそれぞれ以下の通りである。
CC-02 HI、CC-02 Q、CC-03 Q、CC-10 HI及びIAAの場合は水
TOC-06、TOC-07及びTOC-08の場合はメタノール
10% TFA水溶液を5μL加え、反応停止させた。
反応溶液2 μLを以下の量の0.1% TFA水溶液で希釈後、ZipTip C18で脱塩精製した。
CC-02 HI、CC-02 Q、CC-03 Q、CC-10 HI及びIAAの場合は 20 μLのTFA水溶液
TOC-06、TOC-07及びTOC-08の場合は200 μLのTFA水溶液
【0057】
.以下の条件でMS分析を行った。なお、%で表される量は、体積を基準としている。
MSに供すべきサンプルは、プローブそれぞれについて12個作成した。
内部標準として、0.3 pmolのP14Rを添加した。
マトリックスとして、0.1% TFAと50% acetonitrileとを含む水溶液に5 mg/ml CHCAを溶解させた溶液を1ウェルにつき1μL添加した。
質量分析として、ラスタースキャンで自動測定を行った(300 profile/run)。
測定モードとして、linear positiveを用いた。
【0058】
.以下のように、データ解析を行った。
プローブの付加により質量数がシフトしたピークを目的ピークとし、目的ピークの強度を、内部標準P14Rのピーク強度に対して補正した。
上位及び下位からそれぞれ1番目の値及び2番目の値を異常値として排除した(35% trim-mean)。MALDI MS分析において、レーザーを照射する場所により、非常にイオンが発生しやすいホットスポットの存在と、逆にイオンがほとんど発生しない場所とがあることが経験的に知られていることから、MALDI MS分析は、常に異常値が出ることを前提に、その解析方法を考慮する必要があるためである。
【0059】
データのばらつき(SD値)及びイオン化促進の程度を統計的に評価した(p-value)。
Insulinのalpha鎖、Insulinのbeta鎖、NC4 CLAC-P、PSA2、及びS26C Amyloid-betaについての解析結果を、それぞれ図1〜5に示す。それぞれの図においては、使用したプローブごとにサンプルの相対ピーク強度のばらつきで表したグラフと、コントロール(IAA)に対するサンプルのピーク強度の比(Enhanced ratio)及びイオン化促進の程度を統計的に評価したp値(p-value)を表した表とを示す。なお、それぞれの表においては、10のべき乗をEを用いて表示しており、Eに引き続く負の整数は10のべき乗の指数を表す。
【配列表フリーテキスト】
【0060】
配列番号6は、人工ポリペプチドである。
図1
図2
図3
図4
図5
【配列表】
[この文献には参照ファイルがあります.J-PlatPatにて入手可能です(IP Forceでは現在のところ参照ファイルは掲載していません)]