【文献】
ROTH, M J et al.,Thin-Layer Matrix Sublimation with Vapor-Sorption Induced Co-Crystallization for Sensitive and Repro,J. Am. Soc. Mass Spectrom.,2012年 7月31日,Vol.23, No.10,pp.1661-1669,Published online
【文献】
BOUSCHEN, W et al.,Matrix vapor deposition/recrystallization and dedicated spray preparation for high-resolution scanni,Rapid Commun. Mass Spectrom.,2010年 2月,Vol.24, No.3,pp.355-364
【文献】
YANG, J et al.,Matrix Sublimation/Recrystallization for Imaging Proteins by Mass Spectrometry at High Spatial Resol,Anal. Chem.,2011年 7月15日,Vol.83, No.14,pp.5728-5734
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
MALDI法は、レーザ光を吸収しにくい試料やタンパク質などレーザ光で損傷を受けやすい試料を分析するために、レーザ光を吸収し易く且つイオン化し易いマトリクス物質を測定対象である試料に予め混合しておき、これにレーザ光を照射することで試料をイオン化する手法である。一般的には、マトリクス物質は溶液としてサンプルに添加され、このマトリクス溶液がサンプルに含まれる測定対象物質を取り込む。そして、乾燥によって溶液中の溶媒が気化し、測定対象物質を含んだ結晶粒が形成される。これにレーザ光を照射すると、測定対象物質、マトリクス物質、及びレーザ光の相互作用によって、測定対象物質をイオン化することができる。MALDI法を用いることで分子量の大きな高分子化合物をあまり解離させることなく分析することが可能であり、しかも感度が高く微量分析にも好適であることから、近年、生命科学などの分野で広く利用されている。
【0003】
MALDI用のマトリクス物質は、測定対象物質の種類や特性、イオン極性などに応じて適宜選択されるが、代表的な物質としては、1,4−ビスベンゼン、1,8,9−トリヒドロキシアントラセン、2,4,6−トリヒドロキシアセトフェノン、2,5−ジヒドロキシ安息香酸、2−(4−ヒドロキシフェニルアゾ)安息香酸、2−アミノ安息香酸、3−アミノピラジン−2−カルボン酸、3−ヒドロキシピコリン酸、4−ヒドロキシ−3−メトキシケイ皮酸、トランス−インドールアクリル酸、2,6−ジヒドロキシアセトフェノン、5−メトキシサリチル酸、5−クロロサリチル酸、9−アントラセンカルボン酸、インドール酢酸、トランス−3−ジメトキシ−ヒドロキシケイ皮酸、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸、1,4−ジフェニルブタジエン、3,4−ジヒドロキシケイ皮酸、9−アミノアクリジン等が挙げられる。
【0004】
近年、MALDI質量分析装置を用いて、生体組織切片上の生体分子や代謝物などの2次元分布状況を直接的に可視化する質量分析イメージング法が注目されており、そのための装置も開発されている(非特許文献1など参照)。質量分析イメージング法では、生体組織切片などの試料上で、特定の質量電荷比を持つイオンの強度分布を表す2次元画像を得ることができる。そこで例えば、癌等の病理組織に特異的な物質の分布状況を調べることで、疾病の拡がり状況を把握する、投薬等の治療効果を確認する、といった、医療分野、創薬分野、生命科学分野などでの様々な応用が期待されている。なお、非特許文献1では、質量分析イメージングが可能な質量分析装置は同時に顕微観察も可能であることから顕微質量分析装置と呼ばれているが、本明細書では、質量分析イメージングを目的とする装置であることを明確化するためにイメージング質量分析装置と呼ぶ。
【0005】
質量分析イメージング法において目的とする物質の分布状況を正確に反映した質量分析イメージング画像を得るには、高い空間分解能が要求される。MALDIを利用したイメージング質量分析装置における空間分解能を決める大きな要素の一つは、調製された試料中のマトリクス物質の粒径とその均一性である。質量分析イメージング法における従来一般的なマトリクス添加方法は、インクジェット方式でサンプルにアレイ状にマトリクス溶液を射出する方法や、スプレーなどでサンプルにマトリクス溶液を吹き付けて塗布する方法などである。しかしながら、こうした方法では、質量分析イメージングの空間分解能を高くすることは難しい。その理由は次の通りである。
【0006】
例えばスプレーを用いてサンプルにマトリクス溶液を噴霧する場合、結晶粒はその周囲の広い範囲からも測定対象物質を取り込んでしまう。その結果、サンプル上の測定対象物質の位置情報は損なわれ、或る物質が存在する領域の境界線は不明瞭になってしまう。一方、インクジェット方式でマトリクス溶液を射出してサンプルに添加する方法の場合、アレイ状にマトリクス溶液を添加した測定部位(スポット)が並ぶため、その測定部位間での位置情報は保証される。しかしながら、測定部位の大きさはマトリクス溶液の液量に依存し、射出可能な最小液量の限界により、サンプル上では数十〜百μm程度の直径に広がってしまう。そのため、これよりも大幅に測定部位を小さくすることはできず、それによって空間分解能は自ずから決まってしまう。なお、こうした問題点は特許文献1でも指摘されているところである。
【0007】
また、マトリクス物質としてよく使用される2,5−ジヒドロキシ安息香酸(DHB)等をスプレーで噴霧する場合、結晶形状が針状となり、しかも、その針状結晶の長さは様々になる。そのため、イオン化の際に、結晶の大きさのばらつきに起因するサンプル上の測定対象物質の位置情報の乱れが生じ、空間分解能を上げることが困難である。
【0008】
上記のような問題に対し、特許文献1には、既存のマトリクス物質の代わりに、金属酸化物からなるコアにポリマーが被覆された微粒子をサンプルに付着させる試料調製方法が提案されており、この方法を用いてラットの小脳切片に対する質量分析イメージングを行った結果が提示されている。しかしながら、このような試料調製方法では、調製手順が煩雑であり、安価である既存のマトリクス物質を使用できないのでコストが高くなることが避けられない。また、既存のマトリクス物質であればイオン化可能な成分の種類などがよく分かっているので、測定対象物質等に合わせて適切なマトリクス物質を選択することが可能であるが、上記のような新規の試料調製方法ではどのような成分を検出可能か、或いはどのような成分を検出できないか、が充分には把握されていないため、使用しにくいという問題もある。
【0009】
一方、既存のマトリクス物質を用いて高い空間分解能を実現する試料調製方法として、非特許文献2に記載の方法が知られている。この方法では、タンパク質の質量分析イメージングを行うために、サンプルが貼り付けられたスライドガラス表面に真空蒸着法によりマトリクス膜層を形成し、そのあとに、そのスライドガラスをメタノール等の溶媒を気化させた雰囲気中に置くことで、測定対象物質を包含するマトリクス物質の再結晶化を促進させるようにしている。本願発明者らの実験でも、このような試料調製方法は質量分析イメージングの空間分解能を向上させるのにかなり有効であることが確認されている。
【0010】
しかしながら、本願発明者らの実験によれば、非特許文献2に記載の試料調製方法では、検出感度を高めることが難しいという問題がある。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0013】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、質量分析イメージングを行う際に高い空間分解能を実現でき、且つ検出感度が高く、コストも抑えることができるMALDI用試料調製方法及び試料調製装置を提供することにある。
【課題を解決するための手段】
【0014】
上記課題を解決するために成された本発明に係るMALDI用試料調製方法の第1態様は、マトリクス支援レーザ脱離イオン化法を用いた質量分析のための試料を調製する試料調製方法であって、
a)真空雰囲気中でマトリクス物質を気化させ、測定対象であるサンプルが載せられた試料基板表面に該マトリクス物質を積層させるマトリクス積層ステップと、
b)前記試料基板に形成されたマトリクス膜層の表面に気体状又は液体状である所定の溶媒を接触させて該溶媒を前記マトリクス膜層中に浸潤させる溶媒導入ステップと、
c)真空雰囲気中でマトリクス物質を気化させ、前記溶媒が浸潤した状態の又は浸潤した溶媒が揮発した状態の前記マトリクス膜層の表面に、再度マトリクス物質を積層させるマトリクス再積層ステップと、
を実行することを特徴としている。
【0015】
ここで「測定対象であるサンプル」とは、MALDIによりイオン化し質量分析を実施したい対象物、特に、MALDIを利用したイメージング質量分析装置を用いて質量分析イメージングを行いたい対象物であり、例えば、生体から取り出され薄くスライスされた生体組織切片などである。また「試料基板」とは、例えば導電性スライドガラス又はステンレス等の金属製のプレートなどである。
【0016】
また「マトリクス物質」としては、従来の一般的なMALDI用試料調製方法で使用される既存の様々な種類のマトリクス物質を用いることができる。また「溶媒」としては、従来の一般的なMALDI用試料調製方法においてマトリクス溶液を調製する際に使用される既存の様々な種類の溶媒を用いることができる。これらマトリクス物質及び溶媒は、サンプルに含まれる測定対象物質の種類などに応じてユーザ(測定担当者)が適宜に選択すればよい。
【0017】
本発明に係る第1態様のMALDI用試料調製方法では、測定対象であるサンプルが試料基板の表面に載せられたあと、マトリクス積層ステップにおいて、いわゆる真空蒸着により、サンプルを被覆するように試料基板表面にマトリクス物質が積層され、マトリクス膜層が形成される。次に、溶媒導入ステップにおいて、試料基板に形成されたマトリクス膜層の表面に気体状又は液体状である所定の溶媒を接触させるようにして、該溶媒をマトリクス膜層中に浸潤させる。そして、その溶媒が乾く前に又は乾いた後に、先に形成されているマトリクス膜層の表面に、真空蒸着によって再びマトリクス物質を積層させる。
【0018】
なお、溶媒が乾いていない状態でマトリクス物質の真空蒸着が行われる場合であっても、試料基板が真空雰囲気中に置かれた時点で、マトリクス膜層中に浸潤していた溶媒は急速に揮発してマトリクス膜層中から除去される。したがって、溶媒が乾く前に真空蒸着が開始されるとしても、実質的には溶媒が乾いた状態のマトリクス膜層に新たなマトリクス物質が蒸着されることになる。
【0019】
真空蒸着により形成されたマトリクス膜層中のマトリクス物質の結晶は非常に細かくしかも均一性が高い。このようなマトリクス膜層に浸潤した溶媒が気化する過程で、マトリクス物質の結晶はサンプル中の測定対象物質を取り込んで再結晶化する。マトリクス再積層ステップでは、このように測定対象物質が分散した微細結晶のマトリクス膜層の表面に薄いマトリクス膜層が形成されることになる。特にタンパク質などの生体試料由来の測定対象物質はレーザ光による損傷を受け易く、測定対象物質と混在しているマトリクス物質はレーザ光による損傷を抑える作用を有するものの、その結晶は非常に微細であるために大きな結晶に比べてその作用は弱くなる。
これに対し、本発明に係る試料調製方法で調整された試料では、表面に測定対象物質を含まないマトリクス膜層が形成されているため、MALDIによるイオン化の際に、その表面のマトリクス膜層がレーザ光を適当に吸収し、測定対象物質の損傷を抑制する。その結果、溶媒の湿潤後にマトリクス物質を再積層しない場合に比べて、発生するイオン量が増加し、検出感度の向上に寄与する。
【0020】
本発明に係る第1態様のMALDI用試料調製方法では、例えば、溶媒導入ステップにおいて、気化溶媒が充満した容器内にマトリクス膜層が形成された試料基板を放置することでマトリクス膜層表面に気化溶媒を接触させ、その状態を所定時間維持して溶媒をマトリクス膜層中に浸潤させるようにすることができる。
また、同じ溶媒導入ステップにおいて、試料基板上に形成されたマトリクス膜層の表面に液体状の溶媒をスプレー等で噴霧することにより該マトリクス膜層表面に液体状の溶媒を接触させ、該溶媒をマトリクス膜層中に浸潤させるようにしてもよい。
【0021】
前者の手法は後述するように、一つの装置を用い、マトリクス積層ステップ及びマトリクス再積層ステップと連続的に処理を行うことが可能である点で優れる。一方、この手法ではマトリクス膜層中に溶媒が浸潤するのに時間を要するため、溶媒導入ステップの処理に時間が掛かる。これに対し、後者の手法は、短時間でより多くの溶媒がマトリクス膜層表面に供給されるため、より短い時間でマトリクス膜層中に溶媒を浸潤させることができる。
【0022】
特に溶媒導入ステップとして前者の手法を用いた本発明に係るMALDI用試料調製装置は、
a)密閉可能な容器と、
b)該容器内を真空雰囲気に維持する真空排気部と、
c)測定対象であるサンプルが載せられた試料基板を前記容器内で保持する試料保持部と、
d)該試料保持部に保持される試料基板のサンプル載置面に対向するように配置され、前記容器内でマトリクス物質を加熱し前記試料基板上に蒸着させる蒸着源と、
e)前記真空排気部による真空排気が行われていない状態で、前記容器内に気化溶媒を導入する気化溶媒供給部と、
を備え、前記容器内で前記試料保持部により試料基板を保持した状態で、前記マトリクス積層ステップ、前記溶媒導入ステップ、及び、前記マトリクス再積層ステップを順次実行可能であることを特徴としている。
【0023】
本発明に係るMALDI用試料調製装置において、マトリクス積層ステップ、溶媒導入ステップ、及び、マトリクス再積層ステップをそれぞれ実行するための各種の作業はユーザがマニュアル操作で行ってもよいし、或いは、制御部が予め設定されたプログラムに従って各部を制御することにより自動的に行われるようにしてもよい。
【0024】
この発明に係るMALDI用試料調製装置では、真空排気部により真空排気される容器の内部に、サンプルを載せた試料基板を設置すれば、途中で該容器から試料基板を取り出すことなくMALDI用試料を調製することができる。特に、上記各ステップの処理を自動的に行う構成とすれば、測定担当者は途中で何らの作業を行う必要はないので、省力化を図ることができるとともに、測定担当者の技量、経験等による試料の出来栄えの差もなくなる。
【0025】
また上記課題を解決するために成された本発明に係るMALDI用試料調製方法の第2態様は、マトリクス支援レーザ脱離イオン化法を用いた質量分析のための試料を調製する試料調製方法であって、
a)真空雰囲気中でマトリクス物質を気化させ、測定対象であるサンプルが載せられた試料基板表面に該マトリクス物質を積層させるマトリクス積層ステップと、
b)前記試料基板に形成されたマトリクス膜層の表面に
不飽和溶液であるマトリクス溶液を噴霧して、該溶液をマトリクス膜層中に浸潤させる溶液導入ステップと、
を実行することを特徴としている。
【0026】
ここで、溶液導入ステップで用いられるマトリクス溶液の濃度は、一般的なマトリクス塗布法に用いられるマトリクス溶液の濃度よりも低い濃度である。一般的にマトリクス塗布法ではマトリクスの飽和溶液が使用されるが、上記第2の態様では、好ましくは飽和溶液の1/2〜1/5程度の濃度のマトリクス溶液を用いるとよい。
【0027】
この第2態様のMALDI用試料調製方法では、溶液導入ステップにおいて低濃度のマトリクス溶液が試料基板上のマトリクス膜層表面に噴霧されると、該溶液はマトリクス膜層中に浸潤し、主として溶液中の溶媒がサンプルに達して気化する過程で、そのマトリクス膜層中のマトリクス物質の結晶がサンプル中の測定対象物質を取り込んで再結晶化する。一方、低濃度のマトリクス溶液中に含まれていたマトリクス物質は結晶が細かいマトリクス膜層中には入り込まないので、その表面付近に残る。その結果、第1態様による試料調製方法と同様に、測定対象物質が分散している非常に細かい結晶のマトリクス膜層の表面を薄いマトリクス膜が被覆した状態の試料が調製される。これにより、第1態様による試料調製方法とほぼ同様の作用・効果を達成できる。
【発明の効果】
【0028】
本発明に係るMALDI用試料調製方法によれば、質量分析イメージングを行うに際して、高い空間分解能と高い検出感度とを共に実現できる試料を調製することができる。また、本発明に係るMALDI用試料調製方法では、マトリクス物質として特殊な物質ではなく、従来の一般的な試料調製方法で使用されてきた各種マトリクス物質を用いることができる。そのため、入手が容易であってコストを抑えることができるとともに、マトリクス物質の種類毎に、どのような成分を検出可能か或いはどのような成分を検出できないか、が把握されているため、ユーザにとって利便性が高いという利点もある。
【0029】
また本発明に係るMALDI用試料調製装置によれば、一つの装置でMALDI用試料を調製することができるので、省力化を図ることができるとともに、安定的に測定再現性の高い試料を調製することができる。
【図面の簡単な説明】
【0030】
【
図1】本発明の第1実施例によるMALDI用試料調製方法における処理手順を示すフローチャート。
【
図2】本発明の第2実施例によるMALDI用試料調製方法における処理手順を示すフローチャート。
【
図3】本発明の第3実施例によるMALDI用試料調製方法における処理手順を示すフローチャート。
【
図4】本発明に係るMALDI用試料調製方法で調製される試料の断面概念図。
【
図5】第1実施例によるMALDI用試料調製方法を実施するための試料調製装置の概略構成図。
【
図6】本発明の効果を確認するための第1の実験に使用した測定対象サンプル内での分析範囲を示す写真。
【
図7】第1の実験において分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル。
【
図8】第1の実験において分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル。
【
図9】第1の実験においてイメージング質量分析装置により得られた質量分析イメージング画像の比較を示す図。
【
図10】第1の実験においてm/z848.400〜848.800の範囲のマススペクトルの拡大図。
【
図11】
図10に示した質量電荷比範囲付近の質量分析イメージング画像を示す図。
【
図12】第2の実験で蒸着のみを行った場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図。
【
図13】第2の実験で蒸着後に溶媒のみスプレー塗布した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図。
【
図14】第2の実験で蒸着後に低濃度マトリクス溶液をスプレー塗布した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図。
【
図15】第2の実験で蒸着後に溶媒のみネブライザ塗布した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図。
【
図16】第2の実験で蒸着後に低濃度マトリクス溶液をネブライザ塗布した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図。
【発明を実施するための形態】
【0031】
以下、本発明に係るMALDI用試料調製方法のいくつかの実施例を説明する。ここでは、イメージング質量分析装置により生体由来の組織切片を測定する場合の試料を調製するものとする。
【0032】
[第1実施例]
図1は本発明の第1実施例によるMALDI用試料調製方法における処理手順を示すフローチャート、
図4は調製される試料の断面概念図である。
まず、作業担当者は測定対象である組織切片等の薄膜状のサンプル2を本発明における試料基板に相当する導電性スライドガラス1に載せる(ステップS1)。なお、導電性スライドガラス以外に、試料基板としてステンレスなどの金属製のプレートを用いてもよい。
【0033】
次に、その導電性スライドガラス1に載せられたサンプル2全体を被覆するように、真空蒸着法により所定のマトリクス物質の膜層を形成する(ステップS2)。マトリクス物質としては、従来のMALDI用試料調製方法で一般に使用されている物質、例えばDHB、CHCA(α-シアノ-4-ヒドロキシケイ皮酸)、9−AA(9−アミノアクリジン)、或いはそれ以外の上述した各種物質をそのまま用いることができる。真空蒸着により、非常に細かく緻密な結晶のマトリクス膜層3がサンプル2の上に形成される(
図4(a)参照)。このマトリクス膜層3の厚さは約0.5〜1.5[μm]程度が適当である。
【0034】
次に、マトリクス膜層3が形成された導電性スライドガラス1を気化溶媒雰囲気中に置き、所定時間その状態を保つ。これにより、
図4(b)に示すように、気化溶媒に接触しているマトリクス膜層3の表面から該溶媒が徐々にマトリクス膜層3中に浸潤する(ステップS3)。溶媒としては、従来のMALDI用試料調製方法でマトリクス溶液を調製する際に用いられる溶媒、例えばメタノールなどを用いることができる。
【0035】
マトリクス膜層3に湿潤した溶媒がサンプル2に達したあとに気化すると、該サンプル中の測定対象物質(例えばタンパク質や投与された薬剤など)がマトリクス物質に取り込まれて再結晶化し共結晶が形成される。
図4(c)ではこの共結晶の領域を符号4で示す。そうして溶媒の湿潤を経て共結晶領域4が形成されたマトリクス膜層3の表面に、真空蒸着法により、再びマトリクス物質の膜層を形成する(ステップS4)。その結果、
図4(d)に示すように、共結晶領域4が形成されたマトリクス膜層3の表面がマトリクス膜層5で被覆される。このマトリクス膜層5の厚さは約0.5〜1.5[μm]程度が適当である。これにより、MALDI用試料が出来上がる(ステップS5)。
【0036】
ステップS2、S4におけるマトリクス膜層3、5の形成は、典型的には、マトリクス物質を加熱気化させて対象物上に成膜する真空蒸着装置を用いて行うことができる。また、ステップS3におけるマトリクス膜層3への溶媒の湿潤は、例えば次のようにして行うことができる。即ち、マトリクス膜層3が形成された導電性スライドガラス1を、所定量の溶媒が収容された密閉容器の内部において、疎水性樹脂からなる支持体の上に架設するように設置する。疎水性の支持体は、溶媒が染み上がってきて直接的に導電性スライドガラス1に接触しないようにするためのものである。一般に溶媒は揮発性に富むが、例えば水など、比較的揮発しにくい溶媒が使用される場合には、適宜に溶媒を加熱させたり超音波振動を加えたりすることにより、気化を促すようにしてもよい。これによって密閉容器内には気化溶媒が充満するから、その雰囲気を所定時間維持することで、マトリクス膜層3中に溶媒を湿潤させることができる。
【0037】
なお、真空蒸着装置を用いてマトリクス膜層5を形成する場合、その前の工程でマトリクス膜層3中に湿潤した溶媒が必ずしも乾いている必要はない。何故なら、ステップS4において真空蒸着を行うために導電性スライドガラス1を真空雰囲気中に置けば、それによってマトリクス膜層3中の溶媒はごく短時間で気化して除去されるからである。
【0038】
こうして調製された試料をイメージング質量分析装置により質量分析するわけであるが、そうした分析に際し、この試料は次のような特徴を有する。
上述したように、真空蒸着により形成されるマトリクス膜層3、5中のマトリクス物質の結晶は非常に細かく均一性が高い。また、DHB等をスプレー噴霧法でサンプル表面に塗布する場合に問題となるような針状結晶の発生もない。イオン化のために微小径に絞られたレーザ光が試料に照射されたとき、その照射部位に存在する結晶は飛散するが、結晶自体が微細であるため、その照射部位の周囲からの飛散は生じず、それ故に、サンプル2上での位置情報が保持された状態で測定対象物質がイオン化される。そのため、レーザ光の照射径を小さくするに伴い、それだけ空間分解能を向上させることができる。
【0039】
また、特にタンパク質等の生体由来の物質はレーザ光によるエネルギが大きいと変性等の損傷を生じ易く、これが、信号積算のために複数回レーザ光照射を繰り返したときに目的物質のイオン発生量が減じる一つの要因となる。これに対し、上述したように調製された試料では、測定対象物質が分散している共結晶領域4はマトリクス膜層5で被覆されているため、レーザ光が照射されたときにマトリクス膜層5中の物質粒子がレーザ光を適当に吸収し、測定対象物質に与えられるエネルギを緩和する。それによって、測定対象物質が変性等を生じにくく、マトリクス膜層5がない場合に比べてイオンの発生量を増やすことができる。その結果、より多くの量のイオンを質量分析に供することができ、高い検出感度を達成することができる。
【0040】
[第2実施例]
図2は本発明の第2実施例によるMALDI用試料調製方法における処理手順を示すフローチャートである。上記第1実施例との相違は、ステップS3がステップS13に変更されている点だけであり、それ以外の各ステップは第1実施例と同じである。
【0041】
この第2実施例によるMALDI用試料調製方法では、導電性スライドガラス1上に形成されたマトリクス膜層3の表面に、エアブラシなどのスプレーにより、溶媒を直接的に噴霧する。これにより、マトリクス膜層3の表面に溶媒の微細液滴が付着し、該溶媒がマトリクス膜層3中に浸潤する(ステップS13)。
第1実施例による試料調製方法では、マトリクス膜層3を充分に湿潤させるために例えば数時間オーダーの時間が掛かるのに対し、この第2実施例による試料調製方法では、そのための時間がかなり短縮できる。ただし、溶媒の噴霧を担当者自身が行う場合には、担当者の技量などによる試料の出来の差が生じ易い。
【0042】
[第3実施例]
図3は本発明の第3実施例によるMALDI用試料調製方法における処理手順を示すフローチャートである。上記第1実施例による試料調製方法と、ステップS1、S2は全く同じであるが、ステップS3以降の工程が相違する。
【0043】
この第3実施例によるMALDI用試料調製方法では、導電性スライドガラス1上にマトリクス膜層3を形成したあと、そのマトリクス膜層3の表面に、エアブラシなどのスプレーにより、低濃度のマトリクス溶液を直接的に噴霧し(ステップS23)、そのあとに該溶液を乾燥させて溶媒を除去する(ステップS24)。ここでいう「低濃度」とは、従来の一般的なマトリクス塗布法に用いられるマトリクス溶液の濃度よりも濃度が低いという意味であり、具体的には、マトリクス溶液の飽和の濃度の1/2〜1/5程度の濃度とするのが適当である。
【0044】
真空蒸着により形成されたマトリクス膜層3の表面に塗布されたマトリクス溶液中のマトリクス物質は、マトリクス膜層3中の微小で均一性の高い結晶を核として成長するため、マトリクス溶液自体の塗布の均一性があまり良好でなくても、均一性の高い結晶を生じ易い。そのため、塗布されたマトリクス溶液によるマトリクス物質の結晶も微小で且つ均一性が高いものとなる。また、マトリクス溶液中の溶媒はマトリクス膜層3中に浸潤してサンプル2に達し該サンプル中の測定対象物質とマトリクス物質との共結晶を形成し、それを被覆するようにマトリクス溶液中のマトリクス物質の結晶の膜層が形成される。したがって、
図4(d)に示したような第1、第2実施例による試料調製方法で調製される試料と類似した断面構造を持つ試料が出来上がる。これにより、この第3実施例の試料調製方法で調製された試料は、第1、第2実施例による試料調製方法で調製された試料と同様の効果や利点を有する。
【0045】
次に、上記第1実施例による試料調製方法を実施するための試料調製装置の一実施例について説明する。
図5はこの実施例の試料調製装置の概略構成図である。
【0046】
この試料調製装置は、ベース10と開閉可能である真空チャンバ11とを備え、このベース10と真空チャンバ11とにより、その内部を真空雰囲気に維持可能な成膜室が構成される。ベース10には、第1バルブ12を介して真空ポンプ13が、第2バルブ14を介して気化溶媒生成部15がそれぞれ取り付けられ、さらに成膜室内の真空度を計測するための真空計16や成膜室内の真空度を下げるためのリークバルブ17も取り付けられている。成膜室内には、導電性スライドガラス(又は金属製プレートなど)1が載置される試料ステージ18と、マトリクス物質20が装填された蒸着源19と、シャッタ21とが設置されている。
【0047】
蒸着源19は、真空雰囲気である成膜室内でマトリクス物質20を加熱することにより粒子状にして空間に飛散させるものである。蒸着源19には、ボート型、バスケット型、るつぼ型、ワイヤ型などの種類があり、使用するマトリクス物質の態様や量、また蒸着粒子を飛散させる方向などに応じて適宜選択されるが、
図5の例では、ボート型を用いている。試料ステージ18は、水平に配置され略中央に開口18cが形成された支持板18bと、該支持板18bを支える支持ロッド18aとから成る。開口18cは蒸着源19のマトリクス物質20の直上に設けられており、導電性スライドガラス1は貼り付けられたサンプル2が下方を向くように、つまりマトリクス物質20に対向するように、支持板18bの上に載置される。シャッタ21は、支軸21aと遮蔽板21bとからなり、支軸21aを中心に遮蔽板21bを所定角度範囲で回動させることで、蒸着源19から上方、つまり導電性スライドガラス1に向かって進むマトリクス物質の粒子を遮蔽したり通過させたりする。
【0048】
この試料調製装置において試料調製のための制御を司る制御部30は、加熱制御部31、真空制御部32、ガス供給制御部33、シャッタ駆動制御部34などの機能ブロックを含む。この制御部30は、例えばCPU、ROM、RAM、タイマなどを含むマイクロコンピュータなどにより具現化することができ、例えばROMに格納された制御プログラムや制御用パラメータに従った演算処理をCPUを中心に実行する過程で、上記機能ブロックにおける制御動作を行うようにすることができる。
【0049】
本実施例の試料調製装置において自動的に試料を調製する際の動作を、
図1中の各ステップに対応付けて説明する。
作業担当者はサンプル2を導電性スライドガラス1に載せ、
図5に示すように試料ステージ18の支持板18b上に載置する。また、蒸着源19にDHBなどの適宜のマトリクス物質を載せて真空チャンバ11を閉じ、図示しない操作部より開始の指示を行う。この指示を受けて、制御部30において真空制御部32は第2バルブ14及びリークバルブ17を閉じ、真空ポンプ13を作動させて第1バルブ12を通して成膜室内を真空排気する。真空排気開始後、真空制御部32は真空計16により成膜室内のガス圧をモニタし、その実測ガス圧が予め設定されている目標ガス圧に到達したならば、実測ガス圧を目標ガス圧付近に維持するように真空ポンプ13の動作を切り替える。
【0050】
実測ガス圧が目標ガス圧に到達すると、加熱制御部31は
図5に示すようにシャッタ21が閉じた状態(遮蔽板21bが蒸着源19の上方に位置する状態)で、蒸着源19の加熱を開始する。加熱温度の制御は蒸着用ボートに流す加熱電流を調整することで行うことができる。加熱温度が予め設定されている目標温度(マトリクス物質20の昇華温度、例えばDHBでは約130℃)に到達したならば、加熱温度を略一定に維持するように加熱電流を調整する。
【0051】
加熱温度が目標温度に到達してから所定時間が経過すると、シャッタ駆動制御部34はシャッタ21を開く。それにより、マトリクス物質20から昇華した粒子が導電性スライドガラス1に達し、蒸着が開始される。例えば所定時間の蒸着が行われ、導電性スライドガラス1上に積層されたマトリクス膜層の厚さが所定厚さになると、シャッタ21が閉じられ、蒸着源19の加熱が停止される。なお、好ましくは、蒸着時間により蒸着停止のタイミングを判断するのではなく、例えば本出願人が特願2012−159296号(特開2
013−137294号公報参照)で提案しているような手法により、マトリクス膜層の厚さをモニタし、そのモニタ結果に基づいて蒸着停止のタイミングを判断するとよい。
【0052】
蒸着停止から蒸着源19の温度が充分に低下する程度までの時間が経過すると、真空制御部32は真空ポンプ13を停止するとともに第1バルブ12を閉じる。一方、ガス供給制御部33は第2バルブ14を開き、気化溶媒生成部15において生成した気化溶媒を成膜室内に供給する。気化溶媒生成部15は、溶媒を適宜加熱したり、貯留した溶媒に超音波振動を与えたりすることにより、気化溶媒を生成する。これにより、成膜室内には気化溶媒が充満し、マトリクス膜層が形成された導電性スライドガラス1は気化溶媒雰囲気中に置かれることになる。所定時間(通常数時間程度)この状態を維持することで、マトリクス膜層中に溶媒が浸潤する。
【0053】
予め設定された所定時間が経過したならば、ガス供給制御部33は第2バルブ14を閉鎖して成膜室への気化溶媒の供給を停止する。それとともに、真空制御部32は真空ポンプ13を再び作動させるとともに第1バルブ12を開き、成膜室内を真空排気する。そして、1回目のマトリクス膜層の形成時と同様に、成膜室内のガス圧が目標ガス圧になったならば蒸着源19の加熱を開始し、その加熱温度が目標温度に達して所定時間が経ったならばシャッタ21を開いて蒸着を実行する。
【0054】
そして、この2回目のマトリクス膜層の厚さが予め決められた所定厚さに達したと判断されるとシャッタ21は閉じられ、蒸着源19の加熱及び真空排気が停止され、全ての工程が終了する。
【0055】
もちろん、上述したように最初に真空排気を行う時点から全ての工程が終了するまでの一連の作業を全て自動的に行う以外に、一部又は全ての作業や操作を作業担当者がマニュアルで行うようにしてもよい。具体的に言えば、各バルブ12、14、17等の開閉、真空ポンプ13の作動・停止、蒸着源19の加熱・停止や加熱電流の調整、シャッタ21の開閉などの一部又は全てを作業担当者がそれぞれ指示して行うようにしてもよい。そうした作業は手間が掛かるものの、それでもサンプル2を貼り付けた導電性スライドガラス1を成膜室内に収容したあと一度も取り出すことなく試料調製が行えるので、マトリクス膜層への溶媒の浸潤を成膜室の外側で行う場合に比べれば、作業担当者の負担をかなり減らすことができる。
【0056】
続いて、本発明に係るMALDI用試料調製方法の効果を確認するために実施した実験の手法及び結果について説明する。
【0057】
[第1の実験の手法及び結果]
この実験において、測定対象のサンプルはマウス小脳の10[μm]切片である。
図6はこのサンプル内での分析範囲を示す写真である。また、マトリクス物質はDHB、使用した分析装置は島津製作所製のイメージング質量分析装置、MALDIイオン源の照射レーザ径は5[μm]、サンプル上のレーザスポットのピッチは10[μm]、分析範囲内の分析ポイント数は250×250、質量電荷比範囲はm/z400〜1200とした。また、試料調製方法は、上記第3実施例の方法(以下の説明及び図では「蒸着+スプレー法」という)、スプレー無しの蒸着のみの従来法(以下の説明及び図では「蒸着法」という)、従来のスプレー噴霧法(以下の説明及び図では「スプレー法」という)の三つを試みた。なお、蒸着+スプレー法における蒸着時間は3分、蒸着法における蒸着時間は12分とした。
【0058】
図7は全ての分析ポイント(250×250点)において得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトルである。また
図8は蒸着+スプレー法及び蒸着法のマススペクトルのみを示す図である。これらの図から、検出されるピークの数は、スプレー法が最も多く、蒸着+スプレー法が次に多く、蒸着法が最も少ないことが分かる。また、蒸着法のみでは検出されるピーク数が少ないが、これに低濃度溶媒のスプレーを組み合わせることで、検出されるピークの数が増加することが分かる。
【0059】
図9は、イメージング質量分析装置により得られた、特定の質量電荷比を持つ物質の2次元分布を示す質量分析イメージング画像の比較を示す図である。スプレー法の場合、m/z769.56ではかなり不鮮明な画像しか得られず、m/z760.58ではサンプル上の組織の境界を反映しない画像になってしまっている。即ち、スプレー法は検出されるピークの数は多いものの、質量分析イメージング画像の鮮明さではかなり劣り、イメージング質量分析には適していないということができる。これに対し、蒸着法及び蒸着+スプレー法では、スプレー法に比べて十分に鮮明な画像が得られている。
【0060】
図10はm/z848.400〜848.800の狭い質量電荷比範囲のマススペクトルである。
図10(a)の縦軸(信号強度軸)の目盛は
図10(b)の10倍である点に注意を要する。例えばm/z848.648のピーク強度をみると、蒸着+スプレー法は蒸着法の約4倍となっている。即ち、蒸着+スプレー法は蒸着法に比べると高い感度を示している。
図11はこの質量電荷比範囲付近の質量分析イメージング画像である。上述したように蒸着法よりも蒸着+スプレー法のほうが信号の検出感度が高いため、質量分析イメージング画像上で該当物質が存在する画素の強度値が大きくなり、その結果、該物質が存在する部位が明瞭に示されていることが確認できる。
【0061】
以上の結果から、本発明の一手法である蒸着+スプレー法は特にイメージング質量分析に適しており、単純な蒸着法に比べて、検出されるピーク数が多い(つまりより多くの成分の情報を得られる)、鮮明な質量分析イメージング画像を得ることができる、特に感度が高いために比較的量の少ない成分についても鮮明な質量分析イメージング画像を得ることができる、といった利点を有することが確認できる。
【0062】
[第2の実験の手法及び結果]
この第2の実験では、測定対象のサンプルとして正常なマウス肝臓の10[μm]切片を用いた。また、この実験では、マトリクス物質はCHCA、使用した分析装置は島津製作所製のイメージング質量分析装置、MALDIイオン源の照射レーザ径は20[μm]、サンプル上のレーザスポットのピッチは25[μm]、分析範囲内の分析ポイント数は70×52、質量電荷比範囲はm/z100〜670とした。また、導電性サンプルガラス上に載置されたサンプル表面へのマトリクス物質の蒸着には、島津製作所株式会社製の蒸着装置を使用し、蒸着条件は、ガス圧:10[Pa]、蒸着源温度:240℃、蒸着時間:約4分とした。このときのガス圧は一般的な蒸着条件としてはかなり低い真空度である。なお、蒸着時間は実際には時間で以て蒸着停止のタイミングを決めているわけではなく、蒸着された膜層の表面に現れる干渉縞が2本見えるようになった時点で蒸着を停止するようにした。その結果、蒸着時間は約4分である。マトリクス膜層の厚さは約0.6[μm]である。
【0063】
試料調製方法は、第1の実験における「蒸着法」のほか、次の4種類の方法を試みた。
(1)マトリクス物質を蒸着した後にエアブラシを用いて溶媒のみ(75%エタノール、25%水)をスプレー噴霧(「以下「蒸着+溶媒スプレー法」という)。
(2)マトリクス物質を蒸着した後にエアブラシを用いて低濃度マトリクス溶液(上記溶媒に10[mg/mL]]濃度のCHCAを溶解)をスプレー噴霧(「以下「蒸着+低濃度溶液スプレー法」という)。
(3)マトリクス物質を蒸着した後にネブライザを用いて溶媒のみ(75%エタノール、25%水)を噴霧(「以下「蒸着+溶媒ネブライザ法」という)。
(4)マトリクス物質を蒸着した後にネブライザを用いて(2)と同様の低濃度マトリクス溶液を噴霧(「以下「蒸着+低濃度溶液ネブライザ法」という)。
ただし(3)、(4)では、ネブライザによる噴霧を10秒×10回(インターバルは10秒以上)繰り返すことで間欠的な噴霧を実行した。このようにネブライザを使用すると、エアブラシによる噴霧に比べて噴霧される溶液の液滴はかなり微細になる。
【0064】
図12は、蒸着法を実施した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図である。
図13は、蒸着+溶媒スプレー法を実施した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図である。
図14は、蒸着+低濃度溶液スプレー法を実施した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図である。
【0065】
図15は、蒸着+溶媒ネブライザ法を実施した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図である。
図16は、蒸着+低濃度溶液ネブライザ法を実施した場合における、マトリクス塗布後のサンプル表面の顕微観察画像(a)、分析範囲内の全ての分析ポイントで得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトル(b)、及び、代表的な質量分析イメージング画像(c)を示す図である。
図12〜
図16において(b)はいずれも、全ての分析ポイント(70×52点)において得られたマススペクトルを平均して求めたマススペクトルである。また、
図12〜
図15において(c)はいずれも、スペルミジン(Spermidine)、スペルミン(Spermine)、及びマトリクスであるCHCA(アダクトイオン)の三つの物質に対する質量分析イメージング画像である。
【0066】
これら図から、溶媒や低濃度溶液の噴霧を行わない蒸着法では、全般的に検出感度がかなり低く、質量分析イメージング画像上でも、通常、サンプル全体に分布していると推測されるスペルミジンやスペルミンは殆ど観測されていないことが分かる。これに対し、特に低濃度溶液をスプレーやネブライザにより噴霧すると、全般的に検出感度が向上し、検出されるピークの数も増加している。また、質量分析イメージング画像上で、スペルミジンやスペルミンに相当する画素の強度値が大きくなるために、それら物質が存在している部位が明瞭に示されていることが確認できる。なお、ネブライザを用いた溶媒噴霧では、低濃度溶液噴霧と同程度に検出感度が向上しているものの、スプレーを用いた溶媒の噴霧では、検出感度の向上は確認できない。これは、エアブラシとネブライザという噴霧手法の相違ではなく、噴霧される液滴の大きさの影響が大きいものと推測できる。
【0067】
図17は、
図12(b)〜
図16(b)に示したマススペクトルに現れている、スペルミジン、スペルミン、及びCHCAに対応するピークについて、ピーク面積、マトリクス由来のピークに対する強度比、蒸着のみの場合との強度比をまとめた実験結果を示す図である。
図17(b)を見ると、溶媒噴霧、低濃度溶液噴霧のいずれでも、ネブライザを用いた噴霧を行うことで、スペルミジンやスペルミンのピーク強度比が増大していることが確認できる。これら物質は水溶性のポリアミン類であり、これら水溶性の物質については、敢えてマトリクス溶液を噴霧せずとも、水を混合した有機溶媒を噴霧すれば、十分に大きな検出感度改善効果が得られると結論付けることができる。
また上述したように、低濃度溶液をスプレー噴霧してもポリアミン類などの物質の検出感度は向上するものの、
図17(c)を見れば明らかであるように、マトリクス由来のピーク強度の増大も顕著である。こうしたことから、溶媒、低濃度溶液のいずれを用いる場合でも、大きな液滴ではなく微細液滴の噴霧を行うことが望ましいということができる。
【0068】
また、第1の実験では、十分に高い真空度(10
-3[Pa]オーダーのガス圧)の下で蒸着を行っているのに対し、この第2の実験では、マトリクス物質を蒸着する際の真空度はかなり低い。このことから、マトリクス膜層の厚さを適切に制御しさえすれば、低真空条件下でマトリクス物質の蒸着を実施しても、良好な分析結果が得られることが分かる。
【0069】
なお、上記実施例はいずれも本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜変形、追加、修正を加えても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。