【文献】
J.B.Goodenough et.al,Structures and a Two-Band Model for the System V1-xCrxO2,Physical Review B,米国,THE AMERICAN PHYSICAL SOCIETY,1973年 8月15日,Vol.8、No.4,p.1323-1331
【文献】
FITTIPALDI F,PHASE CHANGE HEAT STORAGE,Energy Storage Tansp,1981年,p169-182
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
蓄熱とは物質に熱を蓄えることであり、蓄熱に利用される物質は蓄熱材と呼ばれる。蓄熱によって、蓄熱材自身や、蓄熱材が置かれた空間内などの温度を略一定に保つことができる。例えば、蓄熱(技術)を利用すれば、太陽エネルギーや排熱を熱として物質に蓄え、その熱を暖房に利用したり、消費電力の少ない夜に氷を作り、昼に氷(及び氷の融解熱)を冷房に利用したりできる。このように、蓄熱によって様々な形態のエネルギーを熱に変えて蓄え、再利用できることから、蓄熱技術は現在声高に叫ばれている省エネルギー化の一翼を担っている。そのため、蓄熱技術は、今後ますます発展していかなければならない急務の技術である。
【0003】
蓄熱の機構は顕熱蓄熱と潜熱蓄熱に大別される。顕熱蓄熱は、物質の大きな比熱を利用したものである。例えば、湯たんぽなどは水の大きな比熱を利用したものである。潜熱蓄熱は、相転移時の転移エンタルピーを利用したものである。例えば、氷水で飲み物を冷やすことは、氷の融解熱(融解エンタルピー)を利用したものである。
【0004】
潜熱蓄熱では、相転移時の転移エンタルピーを利用しているため、温度を略一定に保つことや、略一定の温度で熱の出し入れができる(顕熱蓄熱では、外界の温度に対する温度変化は小さいが、徐々に温度が変化してしまう)。そのため、現在では、潜熱蓄熱の技術開発が中心に行われている。
【0005】
これまでに開発されてきた潜熱蓄熱の材料としては、無機塩水和物、有機物、融解塩などがあり、それらはいずれも固体−液体相転移の大きな転移エンタルピーを利用する蓄熱材である。
【0006】
確かに、固体−液体相転移による大きなエンタルピー変化は蓄熱材にとって重要であるが、それ以外にも蓄熱材に要求される特性がある。例えば、蓄熱材はその表面の温度を長時間略一定に保てることが重要であるため、蓄熱材の熱伝導率が高いことが要求される。熱伝導率の低い物質では、内部の温度と表面の温度とに温度差が生じてしまい、表面の温度を略一定に保つことができない(有機物であるパラフィンなどは熱伝導率が低い)。また、相転移による体積変化(膨張・収縮)の大きい物質の固体−液体相転移を利用する場合、液体の漏れなどが生じる虞がある。そのため、相転移による体積変化が小さいことが要求される(体積変化が大きい場合、蓄熱材の容器として体積変化に耐えられる容器を選択しなければならない)。また、相転移時に相分離や分解が生じると、蓄熱効果が低減してしまう(最悪の場合、蓄熱材として利用できなくなる)。そのため、相転移時に相分離や分解が生じないことが要求される。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
そこで本発明は、蓄熱材にとって必要な要件を満たす新しいタイプの蓄熱材を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0009】
本発明の蓄熱材は、
電子相転移を起こす物質からなる蓄熱材であって、
前記電子相転移は、電子のもつ内部自由度である、スピンの自由度と、軌道の自由度とを含む複自由度の相転移であり、
前記物質は、V
(1−X)Cr
XO
2(0<X≦0.23)である
ことを特徴とする。
【0010】
本発明では、電子相転移を起こす物質であるV
(1−X)Cr
XO
2(0<X≦0.23)を蓄熱材に利用する。また、本発明では、電子の持つ内部自由度である、スピンの自由度と、軌道の自由度とを含む複自由度の相転移を利用する。このような相転移は、以下の特性を有する。
・固相状態で生じる相転移であるため、蓄熱材(液体)が容器から漏れる心配が無い。
・無機塩水和物などの固体−液体相転移と異なり、相転移時の相分離や分解が生じる虞がない。
・相転移時の体積変化が固体−液体相転移に比べ小さい。
また、このような相転移を示す物質は、高い熱伝導率を有する。さらに、V
(1−X)Cr
XO
2(0<X≦0.23)における上記相転移の転移エンタルピーはH
2Oの固体−液体相転移の転移エンタルピーと同等となる。それにより、蓄熱材にとって必要な要件を満たす新しいタイプの蓄熱材を提供することができる。
【0011】
前記Xの値は、目的とする電子相転移の温度に応じて選択されることが好ましい。潜熱蓄熱において、蓄熱は相転移温度(付近)で行われる。また、上記物質においてXの値を調整すれば、相転移温度を調整することができるため、Xの値をそのように選択することにより、目的の温度で相転移する物質を容易に利用することができる。
【0012】
前記物質は、V
2O
3粉末、V
2O
5粉末、及び、Cr
2O
3粉末を、バナジウム、クロム、及び、酸素の間のモル比が所定のモル比になるように混合し、混合して得られた混合物を昇温することにより生成されるものであり、前記物質は、前記混合物を真空封入(例えば、2×10
−6torrの真空度の真空封入)して昇温することにより生成されることが好ましい。そのような合成方法でV
(1−X)Cr
XO
2を生成することにより、X=0.23までのV
(1−X)Cr
XO
2を生成することができる。また、他の合成方法で生成されたV
(1−X)Cr
XO
2に比べ、相転移温度の高いV
(1−X)Cr
XO
2を生成することができる。
【発明の効果】
【0013】
本発明によれば、蓄熱材にとって必要な要件を満たす新しいタイプの蓄熱材を提供することができる。
【発明を実施するための形態】
【0015】
以下に、図面を参照して本発明の実施の形態について詳細に説明する。
【0016】
まず、大きなエンタルピー変化をもたらす相転移をする物質、即ち、蓄熱材になりうる物質として、発明者らは、強相関電子系の物質に着目した。
【0017】
強相関電子系とは、電子間の強いクーロン反発力により、電子が持つスピン・軌道・電荷の自由度のうち少なくとも一つ以上が顕在化した系である。強相関電子系の物質として、例えば、遷移金属元素を含んだ酸化物などがある。顕在化したスピン・軌道・電荷の自由度は、それぞれ、秩序−無秩序相転移によって状態数の変化に伴う大きなエントロピー変化を示す(顕在化したスピン・軌道・電荷の自由度の相転移は、電子相転移と呼ばれる)。発明者らは、上述した秩序−無秩序相転移によるエントロピーの変化量と、当該秩序−無秩序相転移の生じる温度との積である転移エンタルピーを利用することで、強相関電子系の物質が蓄熱材になりうると考えた。
【0018】
上述したスピン・軌道・電荷の自由度の相転移は、これまで潜熱蓄熱に利用されてきた固体−液体相転移と異なり、固相状態で生じる相転移であるため、蓄熱材(液体)が容器から漏れる心配が無い。また、蓄熱材を容器などで覆う必要も無い。更に、上述したような強相関電子系の物質の相転移では、無機塩水和物などの固体−液体相転移と異なり、相転移時の相分離や分解が生じる虞がない。
【0019】
また、強相関電子系の物質は、相転移時の体積変化が固体−液体相転移に比べ小さいため、蓄熱材として用いる場合に扱い易い。
【0020】
また、強相関電子系の物質の伝導状態は、金属、もしくはモット絶縁体とよばれる比較的小さいバンドギャップをもつ半導体であるため、これまで蓄熱材として利用されてきた無機塩水和物、有機物、融解塩のような大きなバンドギャップをもつ絶縁体と比較し、高い熱伝導率を有する。
【0021】
以上の点から、発明者らは、強相関電子系の物質を蓄熱材として利用すれば、従来技術で挙げたような問題点を解消できると考えた。また、発明者らは、軌道の自由度またはスピン・軌道・電荷の自由度のうち少なくとも2つ以上を含む複自由度の相転移を利用することにより、新規な蓄熱材を開発することが可能となると考えた。
【0022】
以上の点を考慮して、発明者らは室温より高い温度で利用できる蓄熱材の開発を試みた。そこでまず、発明者らは二酸化バナジウム(VO
2)に着目した。VO
2は、ルチル型構造を持つ酸化物であり、室温より高い69℃で、金属−絶縁体転移を示すことが知られている(非特許文献1参照)。また、上記金属−絶縁体転移はスピンと軌道の複自由度の相転移であるため、その転移エンタルピーは237J/ccと非常に大きい。また、上記金属−絶縁体転移の起こる温度範囲も非常に狭い(1次相転移)。
【0023】
VO
2では、
図1(非特許文献2)に示すように、バナジウム(V)の一部をクロム(
Cr)で置き換えることで、上記金属−絶縁体転移が2段に分離することが知られている(
図1はVの一部をクロム(Cr)で置換した場合の置換量Xと相転移温度T
cの関係を示す)。ここでは、上記2段の相転移のうち、高温側の相転移を“第1相転移”と呼び、低温側の相転移を“第2相転移”と呼ぶこことする。
図1に示すように、第1相転移の起こる温度(相転移温度)は、バナジウム(V)に対するクロム(Cr)の割合の増加に伴い上昇し、第2相転移の起こる温度は、バナジウム(V)に対するクロム(Cr)の割合の増加に伴い低下することが知られている。そこで、発明者らは、上述した第1相転移に着目し、VO
2のVの一部をクロム(Cr)に置き換えることで、室温より高い温度で利用できる蓄熱材の開発を試みた。以下では、一例として、Vの2%,4%,6%,8%,10%,12.5%,15%,17.5%,20%,23%(モル比)をCrに置換したものについて説明する。
【0024】
(試料調製)
以下、試料(V
(1−X)Cr
XO
2)の調製(合成)方法について説明する。
【0025】
まず、V
2O
5粉末(株式会社高純度化学研究所製:純度99.99%)を、水素とアルゴンの混合ガス(水素5%、アルゴン95%)中において、700℃まで昇温し、48時間保持することにより、前駆体であるV
2O
3粉末を得た。得られたV
2O
3粉末と、V
2O
5粉末(株式会社高純度化学研究所製:純度99.99%)及びCr
2O
3粉末(株式会社高純度化学研究所製:純度99.9%)を、バナジウムとクロムと酸素との間のモル比が所定のモル比になるように混合した。そして、得られた混合物(粉末)を石英管内に入れ、真空封入した(真空度:2×10
−6torr程度)。具体的には、混合物を入れた石英管を排気装置に接続し、石英管内を真空排気した。そして、該石英管を、ガスバーナー等を用いて溶かしながら封じ切った。その後、上記混合物を、石英管ごと1000℃まで昇温し、48時間保持した。以上の工程を経て、V
(1−X)Cr
XO
2(X=0.02,0.04,0.06,0.08,0.1,0.125,0.15,0.175,0.2,0.23)の粉末試料が合成された。
【0026】
なお、混合物(粉末)を500kgf/cm
2程度の圧力で押し固めてペレットにし、それを石英管内に真空封入し、同様の熱処理を行うことにより、焼結体試料を合成することもできる。
【0027】
(試料同定)
合成した試料を粉砕し、シリコン製の無反射板の上に乗せ、X線回折装置(株式会社リガク製:RINT)を用いて、22℃における粉末X線回折パターンの測定を行った。測定結果の一例を
図2に示す(
図2において、縦軸は回折強度、横軸は回折角度(2θ)である)。なお、
図2には、X=0.02,0.06,0.1,0.15,0.2,0.23のV
(1−X)Cr
XO
2に対する測定結果を例示しているが、残りの試料についても同様の測定結果が得られた。粉末X線回折パターンの測定結果から、どの試料も22℃で単斜晶系のルチル型の結晶構造を有することがわかった。また、どの試料についても不純物の混入は確認されなかった。即ち、上記合成により、目的の試料が得られたことが確認できた。
なお、非特許文献2では、
図1に示すようにX=0.2までの試料しか報告されておらず、0.2より大きいXの試料は合成できないと報告されていた。しかし、上述したように、発明者らは、X=0.23までの試料の合成に成功した。従来の合成方法と今回の合成方法との明確な違いは、上記混合物の昇温方法にある。具体的には、従来はアルゴンガス中において上記混合物を昇温していたのに対し、今回は上記混合物を真空封入(具体的には、真空度が約2×10
−6torrの真空封入)して昇温した。この違いにより、X=0.23までの試料(V
(1−X)Cr
XO
2)を得ることができたものと考えられる。
なお、X=0.24の試料(V
0.76Cr
0.24O
2)の合成も試みたが、目的の試料を得ることはできなかった。そのため、Crの固溶域(置換量X)は、0<X≦0.23であると考えられる。
なお、混合物を真空封入する際の真空度は2×10
−6torrより高くても低くてもよい。少なくとも、混合物を真空度が2×10
−6torr程度の真空封入を行い昇温すれば、上述したように、X=0.23までの試料を合成することができる。
【0028】
(相転移温度、転移エンタルピー、及び、蓄熱特性の評価)
合成した試料について、示差走査熱量計(NETZSCH社製:DSC204F1/CP Phoenix/μ−Sensor)を用いた示差走査熱量測定により、相転移温度、及び、相転移に伴う転移エンタルピーを見積もった。昇温速度、降温速度共に10℃/minとして測定を行った。測定結果の一例を
図3に示す。
図3(a)は、V
0.98Cr
0.02O
2の測定結果であり、
図3(b)は、V
0.9Cr
0.1O
2の測定結果である。
図3において、縦軸は示差走査熱量、横軸は温度である。示差走査熱量は、基準物質と試料に或る熱量を与えたときの温度差、又は、両者を或る温度にするために要した熱量の差を表すものである。
【0029】
図3に示すように、V
0.98Cr
0.02O
2とV
0.9Cr
0.1O
2に対して、第1相転移に伴う熱異常が、昇温過程と降温過程の両方で観測された。
図3に示す測定結果から、V
0.98Cr
0.02O
2の相転移温度T
c(第1相転移の相転移温度)は、昇温過程において70.6℃であり、V
0.9Cr
0.1O
2の相転移温度T
cは、昇温過程において117℃であることが確認された。また、
図3に示す測定結果から、V
0.98Cr
0.02O
2の転移エンタルピーΔHが44.4J/gであり、V
0.9Cr
0.1O
2の転移エンタルピーΔHが38.1J/gであることが明らかになった。残りの試料に対しても、同様に、第1相転移に伴う熱異常が観測され、相転移温度が確認されるとともに、転移エンタルピーが明らかになった。
【0030】
各試料(X=0.02,0.06,0.1,0.15,0.2,0.23のV
(1−X)Cr
XO
2)の相転移温度と転移エンタルピーを
図4に示す。
図4(a)の横軸は置換量X、左側の縦軸は相転移温度、右側の縦軸は転移エンタルピーである。
図4(b)の横軸は相転移温度、縦軸は転移エンタルピーである。
図4(b)のプロットと試料とは1対1に対応している。なお、
図4には、X=0の試料(即ちVO
2)の相転移温度と転移エンタルピーも示している。
【0031】
図4(今回の結果)と
図1(従来の結果)を比較すると、今回生成された試料では、置換量Xの増加に伴い、従来よりも急激に相転移温度が上昇することがわかる。具体的には、X=0.1以上の試料において、従来よりも相転移温度が高いことがわかる。例えば、X=0.2の試料において、今回の相転移温度は約195℃であり、従来の相転移温度(約180℃)よりも10℃以上も高い。これは、合成方法の違いによるものと考えられる。そのため、今回の合成方法は、少ない置換量Xで相転移温度を大きく高めることができるという点において、蓄熱材としてのV
(1−X)Cr
XO
2の生成に適しているといえる。具体的には、今回の合成方法によれば、少ない置換量Xで相転移温度を大きく高めることができるため、他の合成方法よりも高い温度で使用できる蓄熱材を提供することができる。また、X=0.2とX=0.23の試料を比較した場合においても、相転移温度の上昇が生じており、X=0.23の試料が適切に合成できていることが示唆された(X>0.2の試料が合成できていない場合、X=0.2とX=0.23の試料の相転移温度は同等となるはずである)。
【0032】
また、
図4から、置換量Xの増加に伴い、転移エンタルピーが低下することがわかる。しかし、各試料の(0<X≦0.23のV
(1−X)Cr
XO
2)の転移エンタルピーの
最低値は23.27J/g=108J/cc(X=0.23のときの転移エンタルピー)であり、これまで蓄熱材として利用されてきた物質の転移エンタルピー(例えば、H
2Oの固体−液体相転移における転移エンタルピー(306J/cc))と同等である。具体的には、各試料の転移エンタルピーの最低値は、H
2Oの固体−液体相転移における転移エンタルピーの35%以上である。そのため、V
(1−X)Cr
XO
2(0<X≦0.23)が蓄熱材として実用するのに十分な機能を有することが確認された。
【0033】
以上述べたように、V
(1−X)Cr
XO
2の軌道とスピンの複自由度の相転移を利用することにより、蓄熱材にとって必要な要件を満たす新しいタイプの蓄熱材を提供することができる。
【0034】
なお、強相関電子系の電子相(スピン・軌道・電荷の状態)は互いに強く相互作用を及ぼし合う電子集団により協同的に生み出されるため、少量の不純物で諸物理量が劇的に変化してしまう虞がある。また、Vの一部をCrで置き換えたときの転移エンタルピーなどについては報告が無いため、Vの一部をCrで置き換えることで、転移エンタルピーが激減したり、相転移の起こる温度範囲が非常に広くなってしまう(相転移のブロード化)虞があった。例えば、
図1に示すように、VO
2の金属−絶縁体転移は、Vの一部をCrで置き換えることで第1相転移と第2相転移の2段に分離してしまうため、第1相転移の転移エンタルピーが激減したり、相転移のブロード化が生じる虞があった。しかしながら、上述の実験を行うことにより、第1相転移に関しては、転移エンタルピーの激減や、相転移のブロード化が生じることなく、転移温度を自由に変更できることが明らかとなった。そのため、Xの値を調整することにより、使用温度を適宜変更することができ、使用温度に相転移を有する物質を容易に選択することができる。また、従来の蓄熱材では保持することのできなかった温度において蓄熱することができる。