【課題を解決するための手段】
【0007】
そこで、本発明者等は、ステンレス鋼などの切削加工において、耐チッピング性とともに耐摩耗性にもすぐれ、長期の使用に亘ってすぐれた切削性能を発揮する被覆工具及びその製造方法を提供すべく、硬質被覆層の結晶組織構造について鋭意研究を行った結果、以下の知見を得た。
【0008】
従来、被覆工具を作製するにあたり、硬質被覆層の形成手段としては、CVD法、PVD法等が一般的に採用されており、そして、例えば、PVD法の一種であるアークイオンプレーティング法(以下、AIP法という)により(Al,Ti,Si)Nからなる硬質被覆層を成膜する際には、工具基体を装置内に装入し、所定のバイアス電圧を印加するとともに、装置内を所定温度に加熱した状態で、アノード電極と所定組成のAl−Ti−Si合金ターゲットとの間にアーク放電を発生させ、同時に装置内に反応ガスとして窒素ガスを導入し、所定圧の反応雰囲気中で蒸着することによって、硬質被覆層を成膜していた(
図1参照)。
【0009】
本発明者らは、上記従来のAIP法による(Al,Ti,Si)Nからなる硬質被覆層の成膜に際し、工具基体とターゲット間に磁場をかけ、硬質被覆層の組織構造に及ぼす磁場の影響を調査検討したところ、AIP法による硬質被覆層の成膜を所定強度の磁場中で行うことによって、硬質被覆層を構成する粒状結晶粒の結晶粒径を調整することができるとともに、さらに、切れ刃先端のコーナー部に形成される連続クラックのクラック占有率を調整することができ、そして、このようにして硬質被覆層の結晶粒径及びクラック占有率を適正化した(Al,Ti,Si)Nからなる硬質被覆層を備えた被覆工具は、ステンレス鋼などの切削加工において、すぐれた耐チッピング性、耐摩耗性を発揮し、長期の使用に亘ってすぐれた切削性能を発揮することを見出したのである。
【0010】
この発明は、上記の知見に基づいてなされたものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金で構成された工具基体の表面に、平均層厚が2〜10μmの硬質被覆層を蒸着形成した被覆工具において、
(a)硬質被覆層は、AlとTiとSiの複合窒化物層からなり、かつ、該層においてAlとTiとSiの合量に占めるTiの含有割合は0.3〜0.5、Siの含有割合は0.01〜0.1(但し、いずれも原子比)であり、
(b)上記被覆工具の逃げ面上の刃先から100μm離れた位置までの範囲においては、硬質被覆層は粒状結晶組織を有し、さらに、硬質被覆層表面の粒状結晶粒の平均粒径は0.2〜0.5μmであり、また、工具基体と硬質被覆層の界面における粒状結晶粒の平均粒径は、硬質被覆層表面の粒状結晶粒の平均粒径より0.02〜0.1μm小さく、しかも、粒径が0.15μm以下の結晶粒が占める結晶粒径長割合は20%以下であることを特徴とする被覆工具。
(2) 上記被覆工具の刃先角度をα度とし、該α度の角度範囲内の切れ刃先端のコーナー部の硬質被覆層中に形成されている連続クラックの占有角度をβ度とした場合、クラック占有率β/αが0.3〜1.0であることを特徴とする前記(1)に記載の被覆工具。
(3) 炭化タングステン基超硬合金で構成された工具基体の表面に、平均層厚が2〜10μmの硬質被覆層を蒸着形成した表面被覆切削工具の製造方法であって、アノード電極と、Al−Ti−Si合金からなるターゲットと、上記ターゲットの背面側に設けられた磁力発生源を備えるアークイオンプレーティング装置内に、炭化タングステン基超硬合金からなる工具基体を装入する基体装入工程と、上記工具基体上にAlとTiとSiの複合窒化物層からなる硬質被覆層を蒸着形成する蒸着工程とを備え、上記蒸着工程は、上記アークイオンプレーティング装置内に窒素ガスを導入するガス導入工程と、上記ターゲットと上記工具基体の間に、上記磁力発生源により、積算磁力が40〜150mT×mmの範囲内となる磁場を印加する印加工程と、上記工具基体にバイアス電圧を印加しつつ、上記ターゲットと上記アノード電極との間にアーク放電を発生させる放電工程と、上記工具基体を上記アークイオンプレーティング装置内で自転および公転させる自公転工程とを有し、上記工具基体が上記ターゲットに最接近した際には、上記工具基体の逃げ面の一部又は全部と上記ターゲットの上記工具基体側の面が水平となるように上記工具基体は支持されることを特徴とする前記(1)または(2)に記載の表面被覆切削工具の製造方法。」
に特徴を有するものである。
【0011】
つぎに、この発明の被覆工具について詳細に説明する。
(a)硬質被覆層の種別、平均層厚:
この発明の硬質被覆層は、AlとTiとSiの複合窒化物層((Al,Ti,Si)N層)からなる。
上記(Al,Ti,Si)N層は、Al成分が高温硬さと耐熱性を向上させ、Ti成分が高温靭性、高温強度を向上させ、Siには高温硬さと耐熱塑性変形性を向上させる作用があることから、高温硬さ、耐熱性、高温強度にすぐれた硬質被覆層として既によく知られている。
本発明では、AlとTiとSiとの合量に占めるTiの含有割合(原子比、以下同じ)が0.3未満では、六方晶結晶構造の割合が増加するため硬さが低下し、一方、AlとTiとSiとの合量に占めるTiの含有割合(原子比)が0.5を越えると、耐熱性の低下を招き、その結果、偏摩耗の発生、熱塑性変形の発生等により耐摩耗性が劣化するようになることから、AlとTiとSiとの合量に占めるTiの含有割合(原子比)は、0.3〜0.5であることが必要である。
また、AlとTiとSiとの合量に占めるSiの含有割合(原子比)が0.01未満では、硬さが十分でなく耐摩耗性の向上効果を期待することはできず、一方、AlとTiとSiとの合量に占めるSiの含有割合(原子比)が0.1を越えると、硬さが大きくなりすぎて切削加工時にチッピングを発生し易くなることから、AlとTiとSiとの合量に占めるSiの含有割合(原子比)は、0.01〜0.1であることが必要である。
また、(Al,Ti,Si)N層からなる硬質被覆層の平均層厚は、2μm未満では、すぐれた耐摩耗性を長期に亘って発揮することができず、工具寿命短命の原因となり、一方、その平均層厚が10μmを越えると、膜が自己破壊し易くなることから、その平均層厚は2〜10μmとすることが必要である。
【0012】
(b)(Al,Ti,Si)N層からなる硬質被覆層の層構造:
本発明では、上記(Al,Ti,Si)N層からなる硬質被覆層を粒状結晶として成膜し、さらに、硬質被覆層表面における結晶粒の平均結晶粒径(以下、単に「表面粒径」という)を0.2〜0.5μmとし、一方、工具基体と硬質被覆層の界面における硬質被覆層の結晶粒の平均結晶粒径(以下、単に「界面粒径」という)を、表面粒径より0.02〜0.1μm小さい値として成膜し、表面粒径と界面粒径とがそれぞれ異なる平均結晶粒径範囲となるように硬質被覆層の結晶組織構造を形成するように成膜する。
ここで、「工具基体と硬質被覆層の界面における硬質被覆層の結晶粒」とは、硬質被覆層内における工具基体と硬質被覆層の界面から厚さ0.5μmの硬質被覆層内部の領域に形成されている結晶粒を意味し、また、「硬質被覆層表面における結晶粒」とは、硬質被覆層の表面から深さ0.5μmの領域に形成されている結晶粒を意味する。
また、ここで「粒状結晶」とはアスペクト比が1以上6以下の結晶粒を意味する。アスペクト比は、結晶粒断面で最も長い直径(長辺)とそれに垂直な直径(短辺)の長さの比を、長辺を分子、短辺を分母として算出するものとする。
【0013】
平均結晶粒径について、具体的に説明すれば、次のとおりである。
硬質被覆層表面における結晶粒の平均結晶粒径(表面粒径)が0.2μm未満であると、層中に含有する粒界が多くなるため、切削加工時に相対的に粒内よりも脆い粒界部分での破壊が生じやすく、耐摩耗性が悪化する。一方、表面粒径が0.5μmを超えると、層中に含有する粒界が少ないために、切削加工時に局所的に粒界に負荷がかかりやすくクラックが発生した場合に進展しやすく、耐チッピング性が悪化する。そのため、切削加工時に長期の使用にわたって十分な耐摩耗性、または耐チッピング性を発揮することができなくなることから、表面粒径は0.2〜0.5μmと定めた。
工具基体と硬質被覆層の界面における硬質被覆層の結晶粒の平均結晶粒径(界面粒径)については、表面粒径よりも0.02〜0.1μmだけ小さい値とすることが必要であるが、その技術的な理由は、表面粒径より0.1μmを超えて界面粒径が小さい場合には、硬質被覆層表面と界面の領域の平均粒径の差に起因して、切削加工時に表面と界面の領域での耐摩耗性の差が反映して、切削加工時に摩耗やチッピングがしやすくなり、切削性能が悪化する問題が生じる。
一方、界面粒径と表面粒径との差が0.02μm以内である場合には、表面と界面で粒径が同等であることに起因して耐摩耗性が同等となり、切削を行った際に、耐摩耗性の向上の作用を付与できない、ということによる。
なお、本発明では、表面粒径よりも界面粒径を0.02〜0.1μm小さい値にする事で、切削加工時に硬質被覆層表面での耐摩耗性向上効果と、界面領域での耐チッピング性向上効果を相乗させ、長期の使用にわたって十分な耐摩耗性、または耐チッピング性を発揮させることが可能となる。
粒径の測定方法を以下に記述する。
工具基体刃先から逃げ面側の断面を切り出し、その断面をSEMにて、観察する。硬質被覆層表面から深さ0.5μmの領域に形成されている各結晶粒を用い、工具基体表面と平行に直線を引き、結晶粒界間の距離を粒径と定義する。なお、工具基体表面と平行に直線を引く位置は、各結晶粒において最長の結晶粒径となる位置とする。逃げ面上の刃先から100μm離れた位置までの範囲において結晶粒径を測定し、その平均結晶粒径の平均値を表面粒径とする。より具体的にいえば、逃げ面上の刃先及び逃げ面上において刃先から50μm離れた位置、及び刃先から100μm離れた位置の3箇所で、幅10μmの範囲内に存在する結晶の結晶粒径を測定し、さらに、その3箇所での結晶粒径の平均値を表面粒径とする。また、硬質被覆層内における工具基体と硬質被覆層の界面から厚さ0.5μmの領域に形成されている各結晶粒においても同様の方法にて界面粒径を算出した。
【0014】
また、逃げ面上の刃先から100μm離れた位置までの範囲(具体的に測定するのは、逃げ面上の刃先、及び逃げ面上において刃先から50μm離れた位置、及び刃先から100μm離れた位置の3箇所)においては、表面粒径および界面粒径のいずれについても、粒径が0.15μm以下の結晶粒が占める結晶粒径長割合は20%以下であることが必要であるが、これは、粒径が0.15μm以下の微細結晶粒が20%を超えて形成されている場合には、層中に含有する粒界が多くなるため、切削加工時に相対的に粒内よりも脆い粒界部分での破壊が生じやすく、耐摩耗性が悪化するという理由による。
ここで「粒径が0.15μm以下の結晶粒が占める結晶粒径長割合」とは、複数の結晶粒の粒径を測定し、その全測定結晶粒径長の和に対する粒径0.15μm以下の結晶粒径長の和の割合を示す。
図3に示すように、点線部に存在する結晶粒を用いて、各結晶粒径を測定後、表面粒径、界面粒径、粒径0.15μm以下の結晶粒径長割合を算出する。なお、点線部の幅は各10μmとする。また、「刃先」とは、
図3に示すように、「切れ刃先端のコーナー部の円錐形状となっている部分を除いた、直線状切れ刃の最も先端に近い部分」であると、本発明では定義する。
【0015】
本発明では、さらに、
図4に示すように、被覆工具の刃先角度をα度とし、該α度の角度範囲内の硬質被覆層中に形成されている連続クラックの占有角度をβ度とした場合に、切れ刃先端のコーナー部のクラック占有率β/αを0.3〜1.0とすることが好ましく、さらに、β/αが0.3〜0.9であることがより好ましい。
その理由は、次のとおりである。
【0016】
工具基体表面に、アークイオンプレーティング装置(AIP装置)を用いて硬質被覆層を形成する場合、層中には圧縮残留応力が蓄積され、特に、結晶粒径の大きな層にあっては、結晶粒界に圧縮残留応力が集中し、亀裂の起点となりやすい。
しかし、本発明によれば、切れ刃先端のコーナー部の硬質被覆層中に予めクラックが形成されていることから、残留応力の集中が低減されるため、特に、切削開始初期のチッピング発生等による切削性能の低下を抑制することができる。
ただし、β/αが0.3未満である場合には、圧縮残留応力の集中抑制効果を期待することはできないので、β/αは0.3以上と定めた。
圧縮残留応力の集中抑制効果の観点からは、β/αの値に上限を設ける必要はない(即ち、β/αは、0.3〜1.0)が、β/αの値が1.0に近づくほど、硬質被覆層と工具基体界面での界面剥離が発生しやすくなるので、β/αの値は、0.3〜0.9であることが好ましい。
【0017】
ここで、クラック占有率とは、本発明で、以下のように定義する。
図4に示すように、逃げ面上の刃先Aを通る逃げ面の垂線と、すくい面上の刃先Bを通るすくい面の垂線との交点を中心Oとした時、A−O−Bのなす角度を刃先角度α(度)という。
また、切れ刃先端のコーナー部の硬質被覆層中に形成されている連続クラックについては、前記中心Oから、連続する一つのクラックの端部C,Dに接する線を引いた時、C−O−Dのなす角度を連続クラックの占有角度β(度)とする。ただし、O―AまたはO−Bの延長線上をクラックが横切る場合は、延長線とクラックの交点をそれぞれC、Dとする。切れ刃先端のコーナー部の硬質被覆層中に複数のクラックが存在する場合、最大の占有角度を示す連続クラックを用いるものとする。
そして、(連続クラックの占有角度β)/(刃先角度α)の値を、クラック占有率であると定義する。
図4(b)に、刃先角度α内における最大の角度βを示すクラッ
クをクラックの端部C、Dとして示す。
なお、本発明被覆工具は、(Al,Ti,Si)N層からなる硬質被覆層の平均層厚を2〜10μm、AlとTiの合量に占めるTiの含有割合は0.15〜0.45(但し、原子比)、粒状結晶粒の表面粒径、界面粒径を特定の数値範囲に定め、また、逃げ面上の刃先から100μm離れた位置までの範囲における粒径が0.15μm以下の結晶粒が占める結晶粒径長割合を20%以下と定めることにより、自ずと刃先のクラック占有率β/αが0.3〜1となる。
【0018】
(c)硬質被覆層の蒸着形成
この発明の硬質被覆層は、
図2(a)、(b)に示すようなアークイオンプレーティング装置(AIP装置)を用い、工具基体の温度を370〜450℃に維持しつつ、工具基体をAIP装置内で自公転させ、ターゲット表面中心とターゲットに最近接した工具基体間に所定の磁場(積算磁力が40〜150mT×mm)を印加しながら蒸着することによって、形成することができる。
例えば、AIP装置の一方には基体洗浄用のTi電極からなるカソード電極、他方には54at%Al−41at%Ti−5at%Si合金からなるターゲット(カソード電極)を設け、
まず、炭化タングステン(WC)基超硬合金からなる工具基体を洗浄・乾燥し、AIP装置内の回転テーブル上に装着し、真空中で基体洗浄用のTi電極とアノード電極との間に100Aのアーク放電を発生させて、工具基体に−1000Vのバイアス電圧を印加しつつ工具基体表面をボンバード洗浄し、
ついで、Al−Ti−Si合金ターゲットの表面中心からターゲットに最近接した工具基体までの積算磁力が40〜150mT×mmなる磁場を印加し、
ついで、装置内に反応ガスとして窒素ガスを導入し6Paの雰囲気圧力とし、工具基体の温度を370〜450℃に維持し、工具基体に−50Vのバイアス電圧を印加しつつ、Al−Ti−Si合金ターゲット(カソード電極)とアノード電極との間に100Aのアーク放電を発生させ、工具基体がターゲットに最接近した際には、逃げ面の一部又は全部とターゲット面が水平となるように工具基体を支持して自公転させつつ蒸着することによって、本発明の層構造を有する(Al,Ti,Si)N層からなる硬質被覆層を蒸着形成することができる。
なお、上記のAl−Ti−Si合金ターゲットと工具基体間での磁場の印加は、例えば、カソード周辺に磁場発生源である電磁コイル又は永久磁石を設置する、あるいは、AIP装置の内部、中心部に永久磁石を配置する等、任意の手段で磁場を形成することができる。
ここで本発明における積算磁力は、以下の算出方法により算出する。
磁束密度計にて、Al−Ti−Si合金ターゲット中心から工具基体の位置までの直線上を10mm間隔で磁束密度を測定する。磁束密度は単位mT(ミリテスラ)で表し、ターゲット表面から工具基体の位置までの距離は単位mm(ミリメートル)で表す。さらに、ターゲット表面から工具基体の位置までの距離を横軸とし、磁束密度を縦軸のグラフで表現した場合、面積に相当する値を積算磁力(mT×mm)と定義する。
ここで工具基体の位置は、Al−Ti−Si合金ターゲットに最近接する位置とする。なお、磁束密度の測定は磁場を形成している状態であれば、放電中でなくても良く、例えば大気圧下にて放電させていない状態で測定しても良い。