【課題を解決するための手段】
【0014】
上記課題を解決するためになされた本発明に係るイオントラップ質量分析装置の第一の態様は、分析対象のタンパク質又はペプチドである化合物由来のイオンを捕捉するとともに捕捉したイオンを開裂させるイオントラップを具備し、開裂により生成されたプロダクトイオンを該イオントラップ自体で又は該イオントラップの外側に設けた質量分離器により質量分離して検出するイオントラップ質量分析装置において、
a)前記イオントラップに捕捉したイオンに対し特定のイオンを選択的に残すイオン選別操作を行うことなく所定のプリカーサイオンについての開裂操作を実施するイオン非選択開裂制御部と、
b)前記イオントラップに捕捉したイオンに対しイオン選別操作に引き続き所定のプリカーサイオンについての開裂操作を実施するイオン選択開裂制御部と、
c)前記イオン選択開裂制御部の制御の下でMS
n分析(ただしnは2以上の整数)を実行することで得られたMS
nスペクトルにおいて、タンパク質又は糖タンパク質に特徴的であるピーク群を検出する特徴ピーク群検出部と、
d)前記特徴ピーク群検出部によりピーク群が検出された場合に、前記MS
n分析と同じイオン選別操作及び開裂操作に引き続き、前記イオン非選択開裂制御部の制御の下で前記ピーク群をプリカーサイオンとした開裂操作を実行してマススペクトルを取得するように前記イオン選択開裂制御部及び前記イオン非選択開裂制御部を制御する分析制御部と、
を備えることを特徴としている。
【0015】
ここで、分析対象のタンパク質やペプチドは、糖ペプチドなど各種修飾を受けたタンパク質やペプチドを含む。
また、イオントラップにおける開裂操作は典型的には、イオントラップ内に導入されたガスと励振されたイオンとの衝突による衝突誘起解離(低エネルギ衝突誘起解離)である。
【0016】
以下の説明では、イオン非選択開裂制御部の制御の下で実施される、イオントラップに捕捉したイオンに対し特定のイオンを選択的に残すイオン選別操作を行うことなく所定のプリカーサイオンについて行われる開裂操作をプリ開裂操作といい、「MS
n分析と同じイオン選別操作及び開裂操作に引き続き、前記イオン非選択開裂制御部の制御の下で、前記ピーク群をプリカーサイオンとした開裂操作を実行して」取得されたマススペクトルをMS
n+preCIDスペクトルということとする。なお、ここでは「preCID」という記号を用いているが、開裂操作はCIDに限らない。
【0017】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置の第一の態様において、MS
nスペクトル、例えばMS
2スペクトルに、上記例示したような複数のピークを含む特徴的なピーク群が存在した場合、それらピークはタンパク質や糖タンパク質(或いはペプチドや糖ペプチド)の基本的な構造部分を含むイオンピークである可能性が高い。そこで、特徴ピーク群検出部により、実測のMS
nスペクトルにおいてこうした特徴的なピーク群が検出されると、分析制御部は、その特徴的なピーク群をプリカーサイオンとしたプリ開裂操作を実行するようにイオン選択開裂制御部及びイオン非選択開裂制御部を制御する。それによって、上記特徴的なピーク群に含まれるピークに対応したイオンが開裂してプロダクトイオンが生成されるから、このプロダクトイオンを質量分析することでMS
n+preCIDスペクトルを取得する。
【0018】
上記特徴的なピーク群に含まれるピークをプリカーサイオンとした開裂操作を実行する前に該プリカーサイオンを選択するイオン選別操作を行ってしまうと、不要なイオンが除去される反面、そのプリカーサイオン自体の量も減少する。これに対し、プリ開裂操作の場合、それに先立つイオン選別操作は実行されないのでプリカーサイオンの量は減らず、開裂操作によって生成されるプロダクトイオンの量も多くなる。もちろん、開裂操作を実行する際には低質量カットオフを下げて捕捉可能な質量電荷比範囲の下限を広げる必要があり、それによってプリカーサイオンの捕捉効率が下がる可能性はあるものの、それによるイオンの減少の程度はイオン選別操作を実行することによる減少に比べれば少なくて済む。それ故に、通常のMS
n+1分析を行う場合に比べて開裂によって生成されるプロダクトイオンの量は多くなり、プロダクトイオンの信号強度は高くなる。また、低質量カットオフを下げることで低い方向に拡大される質量電荷比範囲に観測されるプロダクトイオンの信号強度も高くなる。
【0019】
なお、MS
n+preCIDスペクトルは、例えば単独で又は他のマススペクトルと併せてタンパク質データベースを利用したデータベース検索に供され、タンパク質やペプチドの同定や構造解析が実施される。或いは、上記MS
n+preCIDスペクトルは、MS
n+1分析のための特定のピーク又はピーク群を抽出するために利用される。
【0020】
本発明に係るイオントラップ質量分析装置の第一の態様において、上記タンパク質又は糖タンパク質に特徴的であるピーク群は例えば、ペプチドからのアミノ酸残基中の特定結合部位の開裂により生じたピーク群であり、アミノ酸残基2個以上のアミノ酸配列がスペクトル上のピーク間隔から推定可能である複数のピークを含むものとすることができる。
【0021】
また本発明に係るイオントラップ質量分析装置の第一の態様において、上記タンパク質又は糖タンパク質に特徴的であるピーク群は例えば、糖鎖のニュートラルロスにより生じたピーク群であり、2個以上の糖鎖又はその環開裂断片がスペクトル上のピーク間隔から推定可能である複数のピークを含むものとすることができる。
【0022】
また本発明に係るイオントラップ質量分析装置の第一の態様において、上記タンパク質又は糖タンパク質に特徴的であるピーク群は例えば、糖鎖のニュートラルロスにより生じたピーク群であり、N型糖ペプチドに特徴的なトリプレットピークであるものとすることができる。即ち、この場合のトリプレットピークとは、低質量電荷比側から、糖が全て脱離したペプチドイオン、糖HexNAcの環開裂により生じた0,2X(83Da)付加ペプチドイオン、及びHexNAc(203Da)付加ペプチドイオンにそれぞれ対応する3本のピークである。
【0023】
さらにまた本発明に係るイオントラップ質量分析装置の第一の態様において、上記タンパク質又は糖タンパク質に特徴的であるピーク群は例えば、ジスルフィド結合により結合した複数のペプチドに特徴的である32Da又は34Da間隔で並ぶトリプレットピークであるものとすることができる。
【0024】
また、上記タンパク質又は糖タンパク質に特徴的であるピーク群が、糖鎖のニュートラルロスにより生じたピーク群で、2個以上の糖鎖又はその環開裂断片がスペクトル上のピーク間隔から推定可能である複数のピークを含む場合、前記分析制御部は、前記MS
n分析と同じイオン選別操作及び開裂操作に引き続き、前記イオン非選択開裂制御部の制御の下で前記ピーク群をプリカーサイオンとした開裂操作を実行して取得したマススペクトル、つまりMS
n+preCIDスペクトルに対しN型糖ペプチドに特徴的なトリプレットピークを検出し、該特徴的なトリプレットピークが検出された場合には該トリプレットピークをプリカーサイオンとしたMS
n+1分析を実行するように前記イオン選択開裂制御部及び前記イオン非選択開裂制御部を制御する構成とすることができる。
【0025】
この構成によれば、MS
n+1分析を実行しながら、開裂操作の回数は1回多い、実質的にはMS
n+2分析を行ったのと同等のマススペクトルを得ることができる。これにより、N型糖ペプチドに特徴的なトリプレットピークに対応するイオンが開裂することで生成された各種プロダクトイオンを高い感度で検出することができ、ペプチドの同定や構造解析を高い精度で行うことができる。
【0026】
また、上記課題を解決するためになされた本発明に係るイオントラップ質量分析装置の第二の態様は、分析対象のタンパク質又はペプチドである化合物由来のイオンを捕捉するとともに捕捉したイオンを開裂させるイオントラップを具備し、開裂により生成されたプロダクトイオンを該イオントラップ自体で又は該イオントラップの外側に設けた質量分離器により質量分離して検出するイオントラップ質量分析装置において、
a)前記イオントラップに捕捉したイオンに対し特定のイオンを選択的に残すイオン選別操作を行うことなく所定のプリカーサイオンについての開裂操作を実施するイオン非選択開裂制御部と、
b)前記イオントラップに捕捉したイオンに対しイオン選別操作に引き続き所定のプリカーサイオンについての開裂操作を実施するイオン選択開裂制御部と、
c)MS
n+1分析を実施したと仮定したときに、ペプチドのN/C末端配列又はインモニウムイオンを用いたアミノ酸配列組成推定が可能であるプロダクトイオンが、低質量カットオフ以上の質量電荷比範囲に現れる、と推定されるようなプリカーサイオンが、前記イオン選択開裂制御部の制御の下でMS
n分析(ただしnは2以上の整数)を実行することで得られたMS
nスペクトルにプロダクトイオンとして検出されるか否か判定する特徴イオン検出部と、
d)前記特徴イオン検出部によりプロダクトイオンが検出された場合に、前記MS
n分析と同じイオン選別操作及び開裂操作に引き続き、前記イオン非選択開裂制御部の制御の下で前記プロダクトイオンをプリカーサイオンとした開裂操作を実行してマススペクトルを取得するように前記イオン選択開裂制御部及び前記イオン非選択開裂制御部を制御する分析制御部と、
を備えることを特徴としている。
【0027】
低質量カットオフのおおよその値はプリカーサイオンの質量電荷比から推定可能であるから、例えばMS
2スペクトルにおいて観測されるプロダクトイオンのうち、どの質量電荷比を持つイオンピークに対してプリ開裂操作を行えば、低質量カットオフ以上の質量電荷比範囲に、ペプチドのN/C末端配列又はインモニウムイオンを用いたアミノ酸配列組成推定が可能なプロダクトイオンが現れるかを推定することが可能である。そこで、本発明に係るイオントラップ質量分析装置の第二の態様において、特徴イオン検出部は、そうしたイオンが、実際に得られたMS
nスペクトルにプロダクトイオンとして検出されるか否か判定する。そして、そうしたイオンが存在する場合に、分析制御部は該イオンをプリカーサイオンとするプリ開裂操作を伴うMS
n+PreCID分析を実施する。
【0028】
これにより、ペプチドのN/C末端配列又はインモニウムイオンを用いたアミノ酸配列組成推定に有用であって、しかも、MS
n+PreCID分析によって確実に観測されるプロダクトイオンが生成されるようなプリカーサイオンに対してプリ開裂操作を実行することができる。したがって、換言すれば、アミノ酸配列推定ができないような無駄なプリカーサイオンに対するプリ開裂操作を実施することを回避することができる。