(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【背景技術】
【0002】
TOFMSでは、試料成分由来のイオンに一定の運動エネルギを付与して一定距離の空間を飛行させ、その飛行に要する時間を計測して該飛行時間からイオンの質量電荷比を求める。そのため、イオンを加速して飛行を開始させる際に、イオンの位置やイオンが持つ初期エネルギにばらつきがあると、同一質量電荷比を持つイオンの飛行時間にばらつきが生じ、質量分解能や質量精度の低下に繋がる。こうした課題を解決する手法の一つとして、直交加速(「垂直加速」や「直交引出し」などとも呼ばれる)方式のTOFMSが知られている。
【0003】
直交加速方式TOFMSでは、試料由来のイオンビームをその進行方向と直交する方向にパルス的に加速し、それによって生成されたイオンパケットを飛行空間に送り込んで質量分析する。直交方向の加速を行うことで加速方向へのイオンの初速度のばらつきを抑えることにより、イオンの加速の際に生じるターンアラウンドタイムを大幅に低減することができ、それによって質量分解能を向上させることができる。こうした高い質量分解能及び質量精度を持つ直交加速方式TOFMSの前段に、コリジョンセルを挟んで、イオン選択性に優れた四重極マスフィルタを設けた、いわゆるQ−TOF装置は、高精度、高分解能なMS/MS分析が可能であり、近年、プロテオーム解析などに広く利用されている。
【0004】
図4は従来一般的である直交加速方式TOFMSの直交加速部の概略構成図である。
直交加速部1は、導入されるイオンビームの進行方向(X軸方向)と平行に配置された平板状の押し出し電極11と、イオン
ビームを挟んで押し出し電極11に対向して配置された引き出し電極12と、押し出し電極11及び引き出し電極12により引き出されたイオンを加速する加速領域を形成する複数の加速電極13(13a、13b)と、を含む。このうち、引き出し電極12と加速領域の最終段の加速電極13bとは、イオンが通過する開口部に導電性のグリッドが張設されたグリッド電極である(非特許文献1参照)。
【0005】
この直交加速部1において、試料成分由来のイオンビームは
図4中に示すように、X軸方向に、押し出し電極11と引き出し電極12との間の引き出し領域に導入される。このとき、電極11、12は同電位(例えばともに接地電位)であり、引き出し領域、加速領域に電場は存在しない。十分な量のイオンが導入された所定の時点で、押し出し電極11にイオンと同極性の高電圧パルスが印加され、引き出し電極12及び加速電極13には、Z軸方向に沿ってイオンを加速するための電圧がそれぞれ印加される。このように印加される電圧によって形成される電場により、イオンビームの一部は引き出し領域から加速領域へと押し出され、さらに加速電場によって、大きな運動エネルギを付与されて最終段の加速電極13bのグリッド開口を通過してイオンパケットとして射出される。加速電場によるイオンの加速方向はZ軸方向であるが、イオンはX軸方向(ドリフト方向)の初期速度を有しているため、実際の飛行開始方向は
図4中の白抜き矢印の方向となる。
【0006】
引き出し電極12と加速電極13bとの二つにグリッド電極が用いられるのは、イオンを所定の透過率で以て通過させながら、電位の境界を画定し、加速領域に一様な加速電場を形成するためである。しかしながら、イオンがグリッド電極を通過する際に、一定割合のイオンはグリッドに接触して消失してしまうため、その分の信号感度の低下は避けられない。また、グリッドの微細な開口部を通した電場の漏れにより発散レンズ作用が生じるため、発散した一部のイオンが検出器に入射せずさらなる感度低下を生じたり、検出器に達した時点での時間収束性などのイオン光学特性が低下し分解能や精度が下がったりするおそれがある。
【0007】
グリッド電極を用いた場合におけるこうした欠点を克服するために、グリッド電極を使用しない直交加速方式TOFMSも提案されている(特許文献1、2など参照)。しかしながら、そうした装置では、所定のタイミングでパルス的に駆動される電極を追加するなど、ハードウエアの追加と高度で複雑な制御とが必要となり、かなりのコスト増加が避けられない。
【0008】
また、ドリフト方向にイオンパケットを圧縮することでイオン検出面の小さな検出器を用いることができるようにするために、押し出し電極と引き出し電極とで挟まれる引き出し領域に集束電極を配置した装置も提案されている(特許文献3参照)。しかしながら、この装置では、上記従来技術と同様に、引き出し電極と加速電極の最終段にグリッド電極が使用されているため、高いイオン透過率を達成するのは難しい。また、集束電極を新たに追加する必要があるし、押し出し電極と引き出し電極との間の狭い引き出し領域において十分に電場が作用するように集束電極を設けることも実際には難しい。
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0011】
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その主な目的は、単純な電極構成及び制御によって高いイオン透過率を実現し、それによってコストの増加を避けながら高感度、高精度の測定が可能である直交加速方式の飛行時間型質量分析装置を提供することである。
【0012】
また、本発明の他の目的は、分析目的等に応じて、十分な感度を確保しつつ特に質量分解能を重視した高分解能の測定と、十分な分解能を確保しつつ特に測定感度を重視した高感度測定と、を切り替えて実行することができる直交加速方式の飛行時間型質量分析装置を提供することである。
【課題を解決するための手段】
【0013】
上記課題を解決するために成された本発明は、導入されたイオンをそのイオンビームの光軸と直交する方向に加速する直交加速部を具備する直交加速方式の飛行時間型質量分析装置において、前記直交加速部は、
a)イオンビームの光軸と平行に配置された押し出し電極と、
b)イオンビームを挟んで該押し出し電極と対向して配置されたグリッド電極である引き出し電極と、
c)前記押し出し電極及び前記引き出し電極との間に形成された電場によって該引き出し電極のグリッドを通過したイオンを、前記イオンビームの光軸と直交する方向に加速するための加速電場を形成する円環状又は円筒状である複数の加速電極と、
d)イオンに対し加速方向と直交する方向に収束作用を生じさせるべく、前記複数の加速電極の中心軸上のポテンシャル分布の下り勾配がイオンの進行方向に漸増する電場が前記加速電場の少なくとも一部で形成されるように定められた電圧を、前記複数の加速電極のそれぞれに印加する電圧印加部と、
を備えることを特徴としている。
【0014】
従来の一般的な直交加速方式TOFMSでは、直交加速部の加速電場におけるイオン進行方向の軸上ポテンシャル分布(axial potential distribution)が直線的な下り勾配となるように、加速電極への印加電圧が設定されている。即ち、この場合、加速電場は一様電場となり、加速電場においてイオンは径方向(加速方向と直交する方向)の力を受けない。
【0015】
これに対し、本発明に係るTOFMSでは、加速電極の中心軸Z上のポテンシャル分布、つまり軸上ポテンシャル分布φが、加速電場の少なくとも一部の範囲で∂
2φ/∂Z
2<0となるように各加速電極への印加電圧が設定される。これは、下向きの勾配が徐々に大きくなるような軸上ポテンシャル分布である。よく知られているように、空間的な電位分布はラプラス方程式により規定されるが、軸対称座標系におけるラプラス方程式の規定から、∂
2φ/∂Z
2<0である場合には、このポテンシャル分布の変化を打ち消すように、中心軸Zに直交する半径方向の正の成分が存在する。そのため、このときの電場は、中心軸Zを外れた位置にあるイオンに対して、半径方向に中心軸Zに向かって力を及ぼすこととなる。これにより、加速電場を通過するイオンパケットは少なくともその加速電場の一部で中心に向かう力、つまりイオンの拡がりを収束させるような力を受け、そのイオン軌道は中心に向かって収束された状態で飛行空間に向けて射出される。
【0016】
換言すれば、本発明に係るTOFMSは、直交加速部においてイオンを加速する加速電極自体にイオンを収束させるレンズ機能を持たせたものであると捉えることができる。それにより、従来、複数の加速電極の最終段に設けられていたグリッド電極を設けなくても、また付加的な収束のためのレンズ電極やその電圧源を追加することなく、イオンを効率よく飛行させて検出器に到達させることができる。
【0017】
なお、加速電極の最終段にグリッド電極を使用しない場合、その射出開口の近傍には、電場の漏れのために∂
2φ/∂Z
2>0であるような軸上ポテンシャルが生じる。そのため、この領域ではイオンを発散させるレンズ作用が生じてしまうことになる。しかしながら、イオンがその領域に至るまでの加速領域において、上記発散作用よりも大きな収束作用を与えるように軸上ポテンシャル分布を調整しておきさえすれば、全体としては収束作用が勝り、イオンパケットをそのドリフト方向(押し出し電極と引き出し電極との間
に導入されるイオンビームの進行方向)に圧縮することができる。
【0018】
上述したように加速電場においてイオンを収束させることで、検出器へ到達するイオンの量は増加するものの、イオンの初期位置によって飛行距離が僅かながら変化するので、質量分解能等が下がるおそれがある。
そこで、本発明に係る飛行時間型質量分析装置において、好ましくは、加速電場におけるイオンを加速方向と直交する方向に収束する作用を調整するために、前記複数の加速電極のそれぞれに印加する電圧を変更するように前記電圧印加部を制御する制御部をさらに備える構成とするとよい。
【0019】
また本発明に係る飛行時間型質量分析装置において、さらに好ましくは、質量分解能を優先させる高分解能測定モードと感度を優先させる高感度測定モードとを切り替え可能であり、上記制御部は、高感度測定モードが指定されたときに、複数の加速電極の中心軸上のポテンシャル分布の下り勾配がイオンの進行方向に漸増する電場が前記加速電場の少なくとも一部で形成されるような電圧を複数の加速電極のそれぞれに印加し、高分解能測定モードが指定されたときには、上記ポテンシャル分布の電位勾配が一様である電場となるような電圧を複数の加速電極のそれぞれに印加する構成とするとよい。
【0020】
この構成では、高感度測定モードが指定されたときには、上述したように加速領域においてイオンパケットの収束が行われ、イオンが少ない損失で以て検出器に到達する。それによって、特に高感度の測定が可能である。一方、高分解能測定モードが指定されたときには、従来通り、加速領域には一様加速電場が形成される。それによって、直交加速部から射出されたイオンは拡がりつつ進むため、一部のイオンは検出器に達せず、高感度測定モードよりは感度が下がる。その反面、検出器に到達する同一イオン種の飛行距離の長さは揃うため、高感度測定モードよりも高い分解能を達成できる。
【0021】
この構成によれば、制御部による制御によって、高感度測定モードと高分解能測定モードとの切替えを短時間で行うことができるので、例えば液体クロマトグラフで成分分離された特定の成分が導入されている比較的短い時間中に、高分解能測定と高感度測定とを切り替えて、それぞれ測定に対する結果(マススペクトル)を得ることも可能である。
【発明の効果】
【0022】
本発明に係る飛行時間型質量分析装置によれば、複数の加速電極の最終段に設けられていたグリッド電極を用いる必要がないので、その分、グリッド電極によるイオンの損失を減らして効率良くイオンを検出器に入射させることができる。また、イオンを収束するために、収束のためのレンズ電極やその電圧源などを新たに追加する必要がないので、装置のコスト増加を抑えながら測定の高感度化を図ることができる。また、イオンパケットの幅を圧縮して検出器に入射させることができるので、同じ測定感度を得るために必要なイオン検出面のサイズが小さくて済む。それにより、検出器のコストを抑えることができるのみならず、時間応答性などの性能がより良好な検出器を使用することができる。
【0023】
また本発明に係る好ましい構成の飛行時間型質量分析装置によれば、例えば微量成分の定量分析など、測定感度を重視した高感度測定を行いたい場合に、質量分解能は低いものの、質量分解能を重視した高分解能測定に比べて十分に高い感度で測定を行うことができる。一方、比較的含有量が多い成分の定性分析など、質量分解能を重視した高分解能測定を行いたい場合には、感度は低いものの、高感度測定に比べて十分に高い質量分解能で測定を行うことができる。このように、感度重視又は質量分解能重視の明確な測定の切り替えが可能であるので、分析目的に応じた的確な結果を得ることができる。
【発明を実施するための形態】
【0025】
本発明の一実施例である直交加速方式TOFMSについて、添付図面を参照して説明する。
図1は本実施例の直交加速方式TOFMSの全体構成図、
図2は本実施例の直交加速方式TOFMSにおける直交加速部の構成図である。
図1及び
図2において、すでに説明した
図4中の構成要素と同一の構成要素には同じ符号を付している。
【0026】
本実施例の直交加速方式TOFMSは、目的試料中の成分をイオン化するイオン源4と、飛行空間21及び反射器22を備えるTOF分析器2と、イオンを加速してTOF分析器2に送り込む直交加速部1と、イオン源4から出射されたイオンを案内するイオンガイド5と、TOF分析器2の飛行空間21を飛行して来たイオンを検出する検出器3と、検出器3による検出信号を受けてデータ処理を行いマススペクトル等を作成するデータ処理部6と、直交加速部1に含まれる複数の電極にそれぞれ所定の電圧を印加する直交加速電源部7と、直交加速電源部7等を制御する制御部8と、入力設定を行う入力部9と、を備える。制御部8は、機能ブロックとしてモード切替部81を含む。なお、イオンガイド5や反射器22などに電圧を印加する構成要素も当然存在するが、
図1ではこれらの記載を省略している。
【0027】
図2に示すように、直交加速部1は、イオンビームの入射方向でもあるX軸方向に平行に配置された押し出し電極11、該押し出し電極11と略平行に配置された引き出し電極12、Z軸方向に並べて複数配置された加速電極13、を含む。加速電極13は、Z軸方向に延びる中心軸C1を中心に回転対称である円環状又は扁平円筒状である。
図4に示した従来の直交加速部1では、最終段の加速電極13はグリッド電極13bであるが、本実施例の構成では、最終段の加速電極も他の加速電極と同じ形状であり、グリッド電極ではない。
【0028】
本実施例の直交加速方式TOFMSにおける基本的な分析動作を簡単に説明する。
イオン源4において生成された各種イオンは、イオンガイド5により収束されつつX軸方向に直交加速部1に導入される。イオンが直交加速部1に導入される際には該直交加速部1には加速電場は形成されておらず、十分な量のイオンが直交加速部1に導入された時点で、直交加速電源部7から押し出し電極11、引き出し電極12、及び複数の加速電極13にそれぞれ所定電圧が印加されることで、引き出し電場及び加速電場が形成される。この引き出し電場の作用によってイオンは引き出し領域から加速領域に送られ、さらに加速電場の作用によってイオンはZ軸方向に運動エネルギを付与されて、TOF分析器2の飛行空間21へ送り込まれる。
【0029】
図1中に2点鎖線で示すように、直交加速部1の加速領域から飛行を開始したイオンは反射器22により形成される反射電場によって折り返され、最終的に検出器3に到達する。検出器3は、到達したイオンの量に応じた検出信号を時間経過に伴い順次生成する。データ処理部6は、イオンの射出時点を起点として、検出信号から飛行時間スペクトルを求め、さらに飛行時間を質量電荷比m/zに換算することでマススペクトルを求める。
【0030】
上述したような分析を行う際に、直交加速電源部7は所定のタイミングで、押し出し電極11、引き出し電極12、複数の加速電極13にそれぞれ所定の電圧をパルス的に印加する。
図3は、本実施例の直交加速方式TOFMSと従来の直交加速方式TOFMSとで直交加速部の複数の加速電極にそれぞれ印加される電圧の比較を示す概略図である。なお、これは分析対象が正イオンである場合の例である。
【0031】
図3に示すように、従来は、加速方向(つまりZ軸方向)に直線的な下向き勾配となるような加速電圧が、等間隔で設けられた各加速電極13に印加されている。こうした加速電圧によって形成される加速電場の中心軸C1上のポテンシャル分布(軸上ポテンシャル分布)も、加速方向に直線状に下向き勾配となる。つまり、軸上ポテンシャル分布φは原理的には、∂
2φ/∂Z
2=0となり、加速電場は加速度の変化がない一様電場である。
【0032】
これに対し、本実施例の直交加速方式TOFMSでは、加速方向に下向きの勾配が徐々に大きくなるような加速電圧が、等間隔で設けられた各加速電極13に印加される。そのため、加速電場の軸上ポテンシャル分布φは、∂
2φ/∂Z
2<0となる。このような加速電場におけるイオンの挙動は、空間的な静電場の電位分布を求めるために一般によく利用されるラプラス方程式を用いて説明することができる。理論的にはよく知られていることである(例えば非特許文献2等参照)ので、詳細な説明は省き、概略的に説明する。いま、ここでは、加速領域は円柱形状であるので円柱座標で考える。
【0033】
加速電極13により形成される静電的な加速電場では、ポテンシャル分布は次のラプラス方程式が満たされる必要がある。
(1/r){∂/∂r(r∂φ/∂r)}+∂
2φ/∂Z
2=0 …(1)
ここでrは円柱座標の半径方向の位置、Zは中心軸C1上の位置である。
∂
2φ/∂Z
2=0である場合、(1)式は、
(1/r){∂/∂r(r∂φ/∂r)}=0 …(2)
となる。これはZには依存しないので、中心軸C1上のいずれの位置でも半径方向のポテンシャル分布が同じであることを意味する。そのため、加速電場を通過するイオンに対して、その半径方向rには力が作用しない。つまり、加速電場ではイオンを収束させたり発散させたりする力は生じない。
【0034】
これに対し、(1)式の制約から、∂
2φ/∂Z
2≠0である場合には、このポテンシャル変化を打ち消すように、半径方向のポテンシャル分布も加速方向(Z軸方向)に対して変化する必要がある。そして、∂
2φ/∂Z
2<0である場合には、
(1/r){∂/∂r(r∂φ/∂r)}=−∂
2φ/∂Z
2>0 …(3)
となり、半径方向rの成分は常に正になる。
半径方向rにおける力が中心方向に作用することは以下の式からも明らかである。即ち、ラプラス方程式から、
(1/r){∂/∂r(r∂φ/∂r)}=c(>0) …(4)
とおき、系の対称性からr=0において∂φ/∂r=0となることを考慮して(4)式を積分していくと次の(5)式が得られる。
∂φ/∂r=c’r …(5)
半径方向の電場はE(r)=−∂φ/∂rであるので(6)式が求まる。
E(r)=−c’r …(6)
この(6)式から、半径方向には中心に向かう力がかかることが示される。なお、非特許文献2に示されている(20)式の2次までの近似からも同等の式が得られる。
以上のように、このときの加速電場は、半径方向rに中心軸C1から離れた位置に存在するイオンに対して、常に中心軸Zに向かって押すような力が作用する電場となる。それ故に、加速電場で加速されるイオンは全体としてX軸方向、つまりドリフト方向に収束されることになる。
【0035】
こうしたイオン収束作用を確認するために行ったイオン軌道シミュレーションについて説明する。
図5において、(a)はイオン軌道のシミュレーションのための電極モデルを示す図、(b)は本実施例の直交加速方式TOFMSの直交加速部における軸上ポテンシャル分布を示す図、(c)は従来の直交加速方式TOFMSの直交加速部における軸上ポテンシャル分布を示す図である。
図6において、(a)は本実施例の直交加速方式TOFMSにおけるイオン軌道のシミュレーション結果を示す図、(b)は従来の直交加速方式TOFMSの直交加速部におけるイオン軌道のシミュレーション結果を示す図である。
なお、グリッド電極における正確なシミュレーションは複雑であるため、このシミュレーションでは、グリッド電極を等電位面を規定する役割のみの厚みのない境界で以て置換している。そのため、グリッド電極による発散レンズ作用は考慮していない。
【0036】
図5(a)に示すように、シミュレーション計算では、加速電極13は5段の円筒電極とし、その全体のZ軸方向の長さは0.1[m]、内径は0.05[m]である。本実施例の直交加速方式TOFMSにおいて、押し出し電極11、引き出し電極12、5段の加速電極13に印加した電圧はそれぞれ、9100、4900、4900、4116、3136、1764、0[V]である。このとき、軸上ポテンシャル分布は、
図5(b)に示すように、加速領域のほぼ全体に亘り、∂
2φ/∂Z
2<0である。一方、比較対象である従来の直交加速方式TOFMSにおいて、押し出し電極11、引き出し電極12、5段の加速電極13に印加した電圧はそれぞれ、9100、4900、3920、2940、1960、980、0[V]である。このとき、軸上ポテンシャル分布は加速領域のほぼ全体に亘り、∂
2φ/∂Z
2=0である。ただし、いずれも、加速領域からの射出開口にグリッド電極を設けていないので、その付近の領域では∂
2φ/∂Z
2>0となっている。
【0037】
シミュレーション計算では、押し出し電極11と引き出し電極12に挟まれる領域に所定のエネルギを以てイオンが連続的に進入している状態を想定し、X軸方向に延びるイオンビームから初期パケット幅30[mm]のイオンパケットを切り出して、引き出し領域から加速領域へと引き出したあとに加速した。
加速電場が一様である従来の電圧条件の下では、
図6(b)に示すように、初期のドリフト方向への30[mm]幅のイオンパケットは、60[cm]飛行した時点で大きく発散していることが分かる。このようにイオンが発散すると検出器のイオン検出面に到達し得ないイオンの割合がかなり大きくなるため、大きな感度低下は免れ得ない。また、発散したイオンをできるだけ多く取り込むためには、イオン検出面が大きな検出器が必要になり、検出器のコスト増加も大きい。
【0038】
これに対し、
図6(a)に示すように、本発明に係る直交加速方式TOFMSでは、初期のドリフト方向への30[mm]幅のイオンパケットは、60[cm]飛行した時点で幅が20[mm]まで圧縮されていることが分かる。このことから、加速領域においてイオン収束が有効になされていることが確認できる。このように収束したイオンを検出器に入射することで、検出器のイオン検出面に効率良くイオンを到達させることができ、感度の向上に非常に有効である。また、検出器のイオン検出面が小さくて済むことで、検出器のコストを抑えることができる。
【0039】
上記軌道シミュレーション結果からも明らかなように、加速方向に下向きの勾配が徐々に大きくなるような加速電圧が各加速電極13に印加されるとき、加速領域で収束されたイオンパケットが飛行空間21に射出されるため、そうした収束が行われない場合に比べて検出器3に入射するイオンの量は増加する。それにより、高感度な測定が可能である。ただし、加速領域において収束を行うと、当然のことながら、多くのイオンの飛行軌道は微妙に変化し、それによって飛行距離も変化する。この飛行距離の変化は初期的に中心軸C1から離れた位置にあるイオンほど大きく、同一質量電荷比を持つイオンにおける飛行距離の変化量の幅は質量分解能の低下をもたらす。つまり、上述したようなイオンの収束による測定感度の向上は質量分解能の低下をもたらすおそれがある。
【0040】
そこで、本実施例の直交加速方式TOFMSでは、上述したようなイオンの収束を常に行うのではなく、特に感度を重視した測定を行いたい場合に、ユーザの選択によってイオンを収束させて感度向上を図るようにしている。そのために、本実施例の直交加速方式TOFMSでは、測定モードとして高感度測定モードと高分解能測定モードとが用意されており、入力部9を介したユーザの指示により、いずれかの測定モードでの測定が可能となっている。また、分析条件を予め設定したメソッドファイルに従って自動的に分析を遂行させる場合には、高感度測定モードと高分解能測定モードとを自動的に切り替えながら測定を行うこともできるようになっている。
【0041】
いずれにしても、制御部8においてモード切替部81が直交加速電源部7に測定モードを指示し、高感度測定モードでは直交加速電源部7は上述したように加速電場においてイオンを収束させるような電圧(加速方向に下向きの勾配が徐々に大きくなる電圧)を各加速電極13に印加し、高分解能測定モードでは直交加速電源部7は加速電場においてイオンを収束しないような電圧(加速方向に下向きの勾配が直線状である電圧)を各加速電極13に印加する。それにより、高感度測定モードでは、高分解能測定モードに比べて多量のイオンが検出器3に到達するので、高い測定感度を実現することができる。一方、高分解能測定モードでは、高感度測定モードに比べて検出器3に到達するイオンの量は減るものの、同一質量電荷比を持つイオンの飛行距離が揃うので、高い分解能を実現することができる。
【0042】
なお、加速領域における軸上ポテンシャル分布によってイオンの収束度合いは変わるから、上述したような測定モードの切替えのみならず、使用するTOF分析器2や検出器3に応じて、軸上ポテンシャル分布を適宜調整するように印加電圧を設定するようにしてもよい。それによって、様々な構成の直交加速方式TOFMSにおいて、測定感度をできるだけ上げつつ、質量分解能や質量精度も確保することができる。
【0043】
また、上記実施例では、加速領域の中心軸C上のほぼ全てにおいて軸上ポテンシャル分布φが∂
2φ/∂Z
2<0となるような電場を形成していたが、中心軸C上の少なくとも一部で軸上ポテンシャル分布φが∂
2φ/∂Z
2<0となるような電場を形成し、他の部分では軸上ポテンシャル分布φが∂
2φ/∂Z
2=0となるような電場であってもよい。もちろん、加速領域におけるイオンの収束作用が、加速領域の最終段がグリッド電極でない場合に生じるイオンの発散よりも上回る必要があることは、上記説明から明白である。
【0044】
また、上記実施例は、イオン源4で生成したイオンをイオンガイド5を通して直交加速部1に導入していたが、イオントラップから吐き出されたイオンやコリジョンセル等で解離されたイオンを直交加速部1に導入してもよい。また、本発明に係る直交加速方式TOFMSは、様々な装置に利用することができる。
【0045】
例えば、この直交加速方式TOFMSの前段に液体クロマトグラフを接続することでLC−TOFMS装置とすることができ、この直交加速方式TOFMSの前段にガスクロマトグラフを接続することでGC−TOFMS装置とすることができる。また、この直交加速方式TOFMSの前段に、液体クロマトグラフを接続し、イオン源4と直交加速部1との間にイオン移動度計を設けることでLC−IMS−TOFMS装置とすることができる。さらにまた、この直交加速方式TOFMSの前段に、液体クロマトグラフを接続し、イオン源4と直交加速部1との間に、四重極マスフィルタ及びコリジョンセルを設けることでLC−Q−TOFMS装置とすることができ、この直交加速方式TOFMSの前段に、ガスクロマトグラフを接続し、イオン源4と直交加速部1との間に、四重極マスフィルタ及びコリジョンセルを設けることでGC−Q−TOFMS装置とすることができる。
【0046】
さらにまた、上記実施例では、TOF分析器はリフレクトロン型のTOF分析器であるが、リニア型や周回型(マルチターン型)など、他の構成のTOF分析器を用いてもよいことは当然である。
【0047】
また、上記実施例や上記記載の各種変形例はいずれも本発明の一例にすぎず、本発明の趣旨の範囲で適宜変更、修正、追加などを行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。