(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
素材鋼により成形され,円板部と,前記円板部に円周状に離散的に形成された複数の歯部とを有し,前記歯部と歯部の間に歯元部が形成されている形状であり,成形後に真空浸炭処理とその後の高密度エネルギー加熱による焼き入れ処理とを経ているギヤにおいて,
前記素材鋼の化学成分が,
C :0.10〜0.30質量%,
Si:0.50〜3.00質量%,
Mn:0.30〜3.00質量%,
P :0.030質量%以下,
S :0.030質量%以下,
Cu:0.01〜1.00質量%,
Ni:0.01〜3.00質量%,
Cr:0.20〜1.00質量%,
Mo:0.10質量%以下,
N :0.05質量%以下,
Feおよび不可避不純物:残部,であるとともに,
Si質量%+Ni質量%+Cu質量%−Cr質量% >0.5
を満たし,
前記歯部および前記歯元部における軸方向の一方の端部のエッジ部を含む少なくとも一部の表層に部分焼き戻し領域が形成されており,
前記部分焼き戻し領域が,前記焼き入れ処理により当該一部の表層に生成されたマルテンサイト組織の硬度よりも低い硬度を有し,
前記歯部および前記歯元部における前記部分焼き戻し領域以外の部分の表層が,前記焼き入れ処理により生成されたマルテンサイト組織で構成されていることを特徴とするギヤ。
素材鋼により成形され,円板部と,前記円板部に円周状に離散的に形成された複数の歯部とを有し,前記歯部と歯部の間に歯元部が形成されている形状のギヤの製造方法において,
前記素材鋼として,化学成分が
C :0.10〜0.30質量%,
Si:0.50〜3.00質量%,
Mn:0.30〜3.00質量%,
P :0.030質量%以下,
S :0.030質量%以下,
Cu:0.01〜1.00質量%,
Ni:0.01〜3.00質量%,
Cr:0.20〜1.00質量%,
Mo:0.10質量%以下,
N :0.05質量%以下,
Feおよび不可避不純物:残部,であるとともに,
Si質量%+Ni質量%+Cu質量%−Cr質量% >0.5
を満たすものを用い,
前記素材鋼より成形されたギヤを,大気圧より低い圧力の浸炭雰囲気中で,前記素材鋼のオーステナイト化温度以上の温度に加熱して表面に浸炭層を形成する真空浸炭工程と,
前記真空浸炭工程後の前記ギヤを,前記素材鋼がマルテンサイト変態する冷却速度より遅い冷却速度で,冷却による組織変態が完了する温度以下の温度まで冷却する冷却工程と,
前記冷却工程後の前記ギヤを高密度エネルギー加熱により加熱することで,前記素材鋼のオーステナイト化温度以上の温度まで昇温させ,その状態から,前記素材鋼がマルテンサイト変態する冷却速度以上の冷却速度で冷却することにより,少なくとも前記浸炭層の部分にマルテンサイト組織を形成する焼き入れ工程と,
前記焼き入れ工程後の前記ギヤの前記歯部および前記歯元部における軸方向の端部のエッジ部を含む少なくとも一部を,高密度エネルギー加熱により加熱することで,180℃以上であり前記素材鋼のオーステナイト化温度に至らない温度まで昇温させ,その状態から冷却することにより,前記エッジ部を含む少なくとも一部における前記浸炭層の部分で,マルテンサイト組織に固溶される炭素の濃度を低下させる部分焼き戻し工程とを行うことを特徴とするギヤの製造方法。
【発明を実施するための形態】
【0014】
以下,本発明を具体化した実施の形態について,添付図面を参照しつつ詳細に説明する。本形態は,自動車の駆動伝達系の差動装置に用いられる差動ギヤとして,本発明を具体化したものである。まず,本形態に係る差動ギヤ1の形状を,
図1の斜視図および
図2の平面図に示す。差動ギヤ1は,円形の円板部12の周縁に等間隔に離散的に歯部11を設けたものである。歯部11と歯部11との間には歯元部13が存在している。また,差動ギヤ1は,軸方向(
図1中の上下方向)の上端面14側と下端面15側とで径が異なるベベルギヤである。
図1のものでは,上端面14側が小径で下端面15側が大径となっている。
図2は,差動ギヤ1を小径の上端面14側から見た平面図である。なお,
図1は9歯のものを,
図2は10歯のものを,それぞれ示している。差動ギヤ1は,差動装置におけるピニオンギヤとしての使用を想定したものであるが,サイドギヤとして使用するギヤも,サイズや歯数を除いて同様のベベルギヤである。
【0015】
差動ギヤ1のエッジ部16を,
図3および
図4により説明する。
図3は,
図2中の一部分である領域Aを拡大して示す図である。
図4は,差動ギヤ1を
図1とは別の方向から見た部分斜視図である。
図4では差動ギヤ1を,大径の下端面15側から見ている。
図3および
図4では差動ギヤ1における,歯部11の下端面15側の端部,もしくは歯元部13の下端面15側の端部の突出形状ないし峰状形状の部分に斜線を付して示している。この部分は,ギヤの加工時に表面の影響を大きく受ける部分である。本発明ではこの部分をエッジ部16という。このエッジ部16の斜線の領域は,差動ギヤ1における当該箇所を特に示すために図上に付したものである。実際の差動ギヤ1における当該箇所に何らかの付着物が付いていることを意味するわけではない。
【0016】
差動ギヤ1のエッジ部16付近の部分断面図を
図5に示す。
図5から明らかなように,エッジ部16付近は他の部分から鋭角状に突出した形状を呈している。このために加工時に表面の影響を大きく受けるのである。
図5に示されるのは,歯元部13におけるエッジ部16付近の断面である。歯部11におけるエッジ部16も,歯元部13ほどではないが,エッジ部16以外の箇所と比べれば尖った形状となっている。なお,
図5中における矢印Gは,後述する
図14での説明のためのものである。
【0017】
次に,差動ギヤ1の素材として使用できる鋼(以下,「本形態の鋼」という)について説明する。以下では,組成における質量%を単に%と記載する。本形態の鋼の成分範囲は,以下の通りである。
C :0.10〜0.30%,
Si:0.50〜3.00%,
Mn:0.30〜3.00%,
P :0.030%以下,
S :0.030%以下,
Cu:0.01〜1.00%,
Ni:0.01〜3.00%,
Cr:0.20〜1.00%,
Mo:0.10%以下,
N :0.05%以下,
Feおよび不可避不純物:残部。
【0018】
本形態の鋼ではさらに,上記の成分のうちSi,Ni,Cu,Crについて,
Si% +Ni% +Cu%− Cr% >0.5
なる関係が満たされる。以下,各元素ごとに説明する。
【0019】
C:0.10〜0.30%,
Cは鋼の強度を確保するために必要な元素である。そこで,本形態の鋼ではCの添加量の下限を0.1%として内部の強度を確保している。しかし,Cの添加量が0.30%を超えると,次の2点の不利がある。1つは,硬さが増加する一方で靱性が低下することである。もう1つは,素材鋼の切削性が悪化することである。このため,Cの添加量の上限を0.30%とした。なお,このC濃度は後述する浸炭工程前におけるものである。浸炭工程後には,その影響を受ける表層部のC濃度はこれより高い値となる。
【0020】
Si:0.50〜3.00%,
Siは製鋼過程での脱酸に関わる元素であるとともに,鋼に必要な強度,焼き入れ性を与え,焼戻し軟化抵抗を向上させるのに有効な元素である。本形態の鋼では,焼き戻し軟化抵抗を得るために,Siを0.50%以上含有させることとした。Si含有率が3.00%を超えていると,鋼の強度が増加するため,鍛造性,特に冷間鍛造性,もしくは切削加工性が悪化する。そこでSi含有量を0.50%〜3.00%の範囲内にする必要がある。
【0021】
Mn:0.30〜3.00%,
Mnは焼き入れ性を向上させるのに有効な元素である。ただし,含有量が0.30%未満ではその効果は不十分である。Mn含有率が3.00%を超えていると,むしろ硬さの上昇を招き素材の鍛造性,特に冷間鍛造性,もしくは切削加工性が悪化する。そこでMn含有量を0.30%〜3.00%の範囲内にする必要がある。
【0022】
P:0.030%以下,
Pは鋼中で,粒界に偏析して靱性を低下させる作用を有する。このため極力低減する必要がある。0にすることは困難であるが,0.030%以下に制限する必要がある。
【0023】
S:0.030%以下,
Sは鋼中のMnと反応してMnSを生成し靭性を低下させる作用を有する。このため,Sの含有量を0.030%以下にする必要がある。
【0024】
Cu:0.01〜1.00%,
Ni:0.01〜3.00%,
CuおよびNiは,前述のSiとともに,鉄炭化物の生成を抑制する成分である。このため本形態の鋼では,それぞれ,0.01%以上含有させることとした。ただしCuやNiの過度の含有は熱間加工性を低下させるので,Cuを1.00%以下,Niを3.00%以下とする必要がある。
【0025】
Cr:0.20〜1.00%,
Crは,Si,Cu,およびNiとは逆に,鉄炭化物の生成を促進する成分であり,鋼中に多量に存在させることが出来ない。このため,Crを1.00%以下に抑えなければならない。鉄炭化物の生成を抑制する成分が多めに存在する場合でも同様である。その一方でCrは,鋼の焼き入れ性や焼戻し軟化抵抗を向上させる元素であるため,0.20%以上の含有量は必要である。
【0026】
上記のようにSi,Cu,およびNiとCrとは,鉄炭化物の生成に関して逆向きの作用を有する。本形態の鋼としては,Si,Cu,およびNiの生成抑制作用がCrの生成促進作用を凌駕していなければならない。このため,Si,Ni,Cuの含有率の合計が,Crの含有量に対して0.50以上の差で超過していなければならない。
【0027】
Mo:0.10%以下,
Moは本形態の鋼として必須元素ではないが,含有する場合には0.10%を上限とする。上記の上限の範囲内であれば,Moの含有による焼き入れ性および焼戻し軟化抵抗の向上が期待できる。ただし同様の効果はSiやMn(特にSi)の適量添加によって得られるので,Moの含有は必須ではない。
【0028】
N:0.05%以下,
Nは,鋼中に過度に存在していると,鍛造性を著しく悪くする。ここで,Nの鍛造性への影響を低減するためTi等によりNを固定化することができ,この場合Nは鋼中のTiと反応して窒化物を生成する。ただし,大型のTiNが生成した場合には強度低下を引き起こす。このため、Nの含有量を0.05%以下にする必要がある。
【0029】
また本形態の鋼は,さらに以下の成分を含んでいてもよい。
B :0.005%以下(0%を含まない),
Ti:0.10%以下(0%を含まない)。
【0030】
B:0.005%以下(0%を含まない),
Bは,添加することによって焼き入れ性を与え,粒界強度を強化するのに有効な元素である。Bが粒界強度を強化するのは,鋼中でBはPよりも優先して粒界に偏析することによる。Pの粒界偏析が鋼の粒界強度を目立って下げることは周知の事実であるが,Bがこれを防止するのである。B自身の粒界偏析は,鋼の粒界強度に対してむしろよい方向に作用する。ただし過度の含有は,焼き入れ性の効果が飽和するだけでなく,加工性を害する。このため,0.005%以下にする必要がある。
【0031】
特に,対象の鋼製品が成形過程でリン酸塩処理を経ている場合にB添加の意義が大きい。浸炭処理時に,リン酸塩皮膜に含まれるPが鋼中にある程度侵入するからである。差動ギヤ1のような駆動系部品でも,成形過程でリン酸塩処理が行われることは多くあり,B添加により粒界強度を向上できる。
【0032】
Ti:0.10%以下(0%を含まない),
Tiは鋼中のNと反応して窒化物(TiN)を生成する元素である。このため,BがNと反応してBNとなることを防止することで,Bの焼き入れ性向上の効果が消失するのを防止する効果がある。また,Nと反応して鉄の結晶格子中のNの固溶量を低減することで,鋼の変形抵抗を下げる効果もある。ただし,大型のTiNが生成した場合には鋼の強度低下を引き起こす。このため,Tiの含有量を0.10%以下にする必要がある。
【0033】
以下の説明では,特記しない限り,差動ギヤ1もしくはその試験片の素材鋼として,以下の成分組成のものを用いている。
C :0.18%,
Si:0.75%,
Mn:0.40%,
P :0.015%,
S :0.015%,
Cu:0.15%,
Ni:0.10%,
Cr:0.35%,
Mo:0.07%,
B :0.002%,
Ti:0.040%,
Feおよび不可避不純物:残部。
【0034】
次に,差動ギヤ1に施す熱処理を説明する。本形態の差動ギヤ1は,上記の成分の鋼を出発材として冷間鍛造による粗成形を行い,その後に切削加工を施すことにより差動ギヤ1を形成したものである。これにより外形的には差動ギヤ1の形状が出来上がる。しかし本形態の差動ギヤ1は,これに対してさらに,次の工程の処理を施したものである。
【0035】
1.浸炭工程
浸炭雰囲気中にて差動ギヤ1を加熱することにより,差動ギヤ1の表層部に浸炭層を形成する処理を行い,表層部の硬度を上げる工程である。
【0036】
2.冷却工程
浸炭工程後の差動ギヤ1を冷却する工程である。この冷却は,少なくとも,浸炭後の温度降下による組織変態が完了するまで行う必要がある。
【0037】
3.焼き入れ工程
冷却工程後の差動ギヤ1を,高密度エネルギーによってオーステナイト領域まで加熱し,加熱した後に急冷して硬化する工程である。
【0038】
4.焼き戻し工程
「1.」の浸炭工程で炭素が多く侵入した部位に局所的に焼き戻しを施す工程である。
【0039】
「1.」の浸炭工程についてさらに説明する。浸炭工程では一般的に,炭化水素系のガスを炉内に導入して,その雰囲気内に対象鋼材(ここでは差動ギヤ1)を置いてオーステナイト化温度以上の温度に加熱することで,対象鋼材の表層にCを侵入させて浸炭層を形成する。この浸炭処理では,まず浸炭期に,浸炭ガスの分子が鋼の表面に接触して分解し,活性なCが発生する。この活性なCが鋼の表面に供給されることで炭化物が形成される。これにより鋼の表面にCが蓄えられる。続く拡散期には炭化物が分解し,蓄えられていたCがFeのマトリックスに溶解する。これによって,Cが内部に向って拡散していき浸炭層が形成される。Cの進入ルートは,炭化物経由のルートに限らず,活性な炭素がマトリックスへ直接に溶解する,というルートも存在する。
【0040】
また,本形態での浸炭工程は,温度を900〜1100℃の範囲内とするとともに,雰囲気圧力を大気圧より低くする真空浸炭処理により行う。これにより,拡散期後の鋼材の表面のC濃度が0.8%以下の,浸炭後としては比較的低い濃度となるようにする。このようにすれば,浸炭層のC濃度を共析鋼の炭素量以下とすることとなる。このため,後の焼き入れ時の加熱により再びオーステナイト変態させその後に急冷することで,鉄炭化物(セメンタイト)を析出させず,マルテンサイト組織とすることができる。なお,「マルテンサイト組織」と言っているが,20%以下の残留オーステナイトが存在してもよい。ここで,浸炭工程により表面のC濃度を0.8%を超えるほど高くすると,焼き入れ後に,鉄炭化物(セメンタイト)が粒界に偏析した状態となる。このように鉄炭化物が偏析した粒界は破損の起点となり,サイクル強度を低下させる。本形態の差動ギヤ1では,浸炭工程後のC濃度を低めに抑えることで,このような現象を防止している。なお,上述の浸炭工程では,浸炭温度を約1000℃付近とするとより好ましい。
【0041】
また,上記真空浸炭工程における雰囲気圧力は,1hPa〜20hPaの範囲内とすることが好ましい。真空浸炭工程における雰囲気圧力を1hPa未満にまで下げることとすると,真空度の実現および維持のために高価な設備が必要となる。一方,20hPaを超える高圧である場合には浸炭中に煤が発生する。これにより,浸炭ムラが生じるという問題が生じる可能性がある。また,上記浸炭ガスとしては,例えば,アセチレン,プロパン,ブタン,メタン,エチレン,エタン等の炭化水素系のガスを適用することができる。
【0042】
また本形態の差動ギヤ1では,その形状に起因して,浸炭処理時に侵入した炭素量が場所により異なっている。すなわち,
図3〜
図5で説明したエッジ部16の部分では,他の部分と比較して,炭素量が多くなっている。エッジ部16付近では尖った形状であるがゆえに,表面から侵入した炭素が内部へ拡散できる体積が小さく,結果として浸炭後に多くのCが存在してしまうからである。これは,浸炭を真空浸炭により行っていることにもよる。雰囲気圧力を大気圧として行うガス浸炭であれば,鋼材の表面では浸炭反応ばかりでなく脱炭反応も起こる平衡状態となる。このため,エッジ部16といえども他の箇所よりもC濃度が高くなるわけではない。しかしながら真空浸炭では,浸炭反応ばかりで脱炭反応のない非平衡状態で反応が進行していく。このためエッジ部16でCの濃化が生じるのである。
【0043】
次に,「2.」の冷却工程について説明する。冷却工程は,徐冷条件で行う。より具体的には少なくとも,差動ギヤ1の鋼材が冷却中にマルテンサイト変態する冷却速度よりも遅い冷却速度で,冷却による組織変態が完了する温度以下の温度まで冷却する。これにより,マルテンサイト変態に伴うひずみの発生を抑制することができる。したがって,形状精度に優れた状態で浸炭処理を終えることができる。
【0044】
このような冷却工程の効果により,浸炭後の冷却の際の歪みを抑制できる。これにより,高い寸法精度を維持したまま次の工程,すなわち焼き入れ工程へ進むことができる。この効果は,冷却工程を徐冷で行うことにより高く得られる。そして,次の焼き入れ工程を高密度エネルギー加熱で行うことによるメリットと合わせて,焼き入れ後の差動ギヤ1を,歪みの少ない高形状精度のものとすることができる。
【0045】
また,冷却工程も,浸炭工程とともに減圧下で行うことが望ましい。その場合には,両工程間での圧力差が小さい。このため実際の設備において,浸炭室と徐冷室とを直接繋ぎ,両工程を連続して行うことができる。つまり両室の間に圧力調整のための予備室等を設ける必要がない。すなわち,真空浸炭処理を終えた製品を大気圧状態に晒すことなく減圧徐冷処理に供することができる。このことも歪みの低減に貢献する。また,その場合の冷却工程での雰囲気圧力は,100hPa〜650hPaの範囲内が好ましい。なお,当該冷却工程は,減圧下でなくても実施可能である。
【0046】
続いて,「3.」の焼き入れ工程について説明する。焼き入れ工程で重要なことは,差動ギヤ1をオーステナイト化温度以上まで加熱した状態から,急冷により少なくとも浸炭層の部分をマルテンサイト変態させることである。このため,「2.」の冷却工程で一旦冷却した差動ギヤ1を,再び高温まで昇温させる。この加熱には例えば高周波加熱などの高エネルギー加熱が適している。
【0047】
また,焼き入れ工程での急冷は,水冷により行うことが好ましい。すなわち,水冷による急速な冷却によってマルテンサイト変態させることができ,高い焼き入れ効果が得られる。すなわち,焼き入れ部分のさらなる高強度化が達成される。また,高周波加熱による加熱に当たっては差動ギヤ1を1個流しで処理するとともに,加熱後の水冷時には差動ギヤ1を回転させながら周囲から冷却水を差動ギヤ1に向かって噴射して冷却することが好ましい。このようにすれば,差動ギヤ1の各部分を均一に急冷することができる。このため,急冷時における歪みの発生が抑制される。また前述のように,差動ギヤ1の焼き入れ部分に,鉄炭化物の析出のない,マルテンサイト組織が得られる。
【0048】
また,本形態では差動ギヤ1を対象物としている。差動ギヤ1のように突出した歯部11を有するものが対象物である場合には,焼き入れ工程での加熱を,歯部11の表面および内部の全体がオーステナイト化する条件で行うことが好ましい。差動ギヤ1においては,歯部11の表面硬度が高いことと,内部の靱性が高いこととの両立が求められるからである。このために焼き入れ工程での加熱の方法としては,高密度エネルギー加熱が適するのである。
【0049】
次に,「4.」の焼き戻し工程について説明する。この焼き戻し工程では,差動ギヤ1の全体を焼き戻すのではなく,特定の部位を局所的に焼き戻すことを目的とする。焼き戻す特定の部位とは,
図3〜
図5で説明したエッジ部16である。その理由は,焼き入れ工程後の差動ギヤ1では,表面硬度は高いものの,エッジ部16の疲労強度が弱いため,これを解消するためである。
【0050】
このエッジ部16は,前述のように,浸炭工程で侵入したCの量が他の部分と比較して多い箇所である。このため,焼き入れ後のマルテンサイト組織に固溶されたC濃度も他の部分と比較して高くなっている。これにより,旧オーステナイト結晶粒の内部のマルテンサイト組織の硬度が通常より高い。しかしこのことが逆に疲労強度を下げるのである。なぜなら,旧オーステナイト結晶粒内のマルテンサイト組織が硬すぎるため,応力が掛かったときの負荷が粒界ばかりに集中してしまうからである。このため
図6に示すように,粒界4のところに亀裂3が生じて結晶粒2間に隙間ができてしまう。これによりエッジ部16で,耐久時に破損が生じることとなる。
【0051】
そこで本形態の差動ギヤ1では,エッジ部16付近の部分(エッジ部16を含む,差動ギヤ1の少なくとも一部分)を局所的に焼き戻すことによりこれを解消する。すなわち差動ギヤ1のうちエッジ部16付近を,オーステナイト化するには至らない180℃〜500℃の範囲内の温度まで昇温させ,そして冷却する。冷却の方法は水冷でも空冷でもよいが,冷却速度は速い方が良いため特に水冷がよい。これにより,エッジ部16付近の領域内では,鋼中の炭素濃度は低下しないが,旧オーステナイト結晶粒内のマルテンサイト組織に固溶されたC濃度が焼き戻し前より下がる。したがって,旧オーステナイト結晶粒内のマルテンサイト組織の硬度も焼き戻し前より低下する。このため,応力が掛かったときの負荷が,粒界と粒内とに均等に掛かるようになる。こうして,
図6に示した亀裂3の発生が防止される。つまり耐久時の強度が向上する。
【0052】
この,焼き戻しによる硬度の低下について,
図7のグラフにより説明する。このグラフでは,差動ギヤ1の鋼材における焼き戻し前後での表面硬さ(HV)を,表層C濃度ごとに示している。グラフ中に「焼入れ」と表示されているのが焼き戻し前の硬さであり,「180℃焼戻し」と表示されているのが焼き戻し後の硬さである。このグラフで焼き戻し前後の硬さを同一のC濃度同士で比較すると,焼き戻し前より焼き戻し後の方が低い硬さとなっている。例えばグラフ中の0.6%のところを見ると,焼き戻し前にはHV770程度となっているものが焼き戻し後ではHV700程度に低下している。これが,焼き戻しによる硬度の低下の効果の現れである。エッジ部16付近の局所的に焼き戻しされた部分では,こうして,焼き戻しにより硬度がやや低下しているのである。
【0053】
この焼き戻しによる硬度の低下は,次のようにして起こると考えられる。すなわち,焼き戻しにより,旧オーステナイト結晶粒内のマルテンサイト組織に固溶されているCの一部が,Feとともに炭化物を形成する。その分,旧オーステナイト結晶粒内のマルテンサイト組織に固溶しているC濃度が下がるので,硬度も低下するのである。つまり,同一のC濃度で焼き戻し前のマルテンサイト組織の硬度よりも低い硬度となっているのである。なお,差動ギヤ1の表層であっても,部分焼き戻しされた箇所以外の箇所では,焼き戻し前の硬度が維持されている。旧オーステナイト結晶粒内のマルテンサイト組織に固溶されているC濃度は変化しないためである。
【0054】
よって,エッジ部16付近の当該局所的に焼き戻しされた部分では,旧オーステナイト結晶粒内のマルテンサイト組織に固溶されているCの濃度が下がった分,Feの炭化物が生成している。このためこの部分では,他の箇所と比較してFeの炭化物の存在比率が高くなっている。このことは,当該箇所と他の箇所とで表面におけるFeの炭化物が占める面積率を比較することで確認できる。また,ここでのFeの炭化物は主にε炭化物(Fe
2・3C )とセメンタイト(Fe
3C )とであり,焼き戻し時の昇温温度によりその生成比率は異なる。焼き戻し時の昇温温度が180℃〜250℃の範囲ではε炭化物が多く,250℃〜500℃の範囲ではセメンタイトが多く生成する。
【0055】
ここで,焼き戻しの効果を
図8のグラフにより説明する。このグラフは,本形態の鋼における表面硬さ(HV)と1万回強度(MPa)との関係を示すグラフである。ここで表面硬さとはビッカース硬さであり,1万回強度とは,1万回の反復印加に耐えられる最大の応力のことである。この反復試験は,
図9に示すように,ノッチ21のついた丸棒状の試験片20により行った。また,反復試験前の試験片20におけるノッチ21の底部にてビッカース硬さ測定を行った。また,浸炭および焼き戻しにより表面硬さを変更した。
【0056】
図8から,表面硬さと1万回強度とは右下がり,つまり背反的な関係があることが分かる。
図8中のDグループのプロット点は,マルテンサイト組織に固溶されているC濃度が比較的低い試験片20の結果であり,表面硬さではやや劣っているが1万回強度では非常に優れている。これが,差動ギヤ1でいえばエッジ部16以外の部分,および,焼き戻し後のエッジ部16に相当する。一方,Eグループのプロット点は,マルテンサイト組織に固溶されているC濃度が比較的高い試験片20の結果であり,表面硬さは非常に高いが1万回強度がやや劣っている。これが,差動ギヤ1でいえば焼き戻し前のエッジ部16に相当する。以上より,焼き戻しを行うことにより,焼き戻し前に比べて表面硬さは若干低下するものの,1万回強度(すなわち疲労強度)を向上させる効果があることが分かる。
【0057】
このための局所的な加熱は,次のようにして行う。
図10に,この加熱を高周波加熱により行う場合の加熱器と差動ギヤ1との配置関係を模式的に示す。
図10中には,高周波加熱装置の構成要素として,円環状の励磁コイル22と,棒状のサンプルホルダ23とが現れている。高周波加熱装置は,
図1〜
図5に示した差動ギヤ1をサンプルホルダ23で上下から挟み付けて支持し,軸方向,すなわち
図10中上下方向に移動させることで,差動ギヤ1を励磁コイル22の内側の空間内に配置する。その状態で励磁コイル22に高周波を印加して,差動ギヤ1を高周波による電流誘導作用により加熱する。
【0058】
ここで本形態の局所的な加熱では,
図10に示すように,差動ギヤ1のうち大径の下端面15の方を励磁コイル22に対面させている。そして,差動ギヤ1の全体が励磁コイル22の内側の空間内に入り込むのではなく,下端面15付近のみが励磁コイル22内に入り込み,小径の上端面14側の部分は励磁コイル22から出ている配置関係とする。この状態で励磁を行うことにより,下端面15の側にあるエッジ部16とその近辺が局所的に加熱され,上端面14側の部分はそれほど加熱されないのである。その後に冷却することにより,部分的な焼き戻しが行われる。
【0059】
なお,焼き戻しを部分的に行うとはいっても,エッジ部16以外の部分は全く焼き戻しの影響を受けないというわけにはいかない。しかしながら本形態の鋼では,前述のように0.50%以上のSi含有量を確保している。このため焼戻し軟化抵抗が高い。したがって,エッジ部16以外のC濃度が低い領域でも,焼き戻し後における硬度は十分である。
【0060】
例えば,差動装置におけるサイドギヤおよびピニオンギヤとして,いずれも上記の「差動ギヤ1」に相当するギヤを用いた場合について,
図11により説明する。
図11は,差動装置における,サイドギヤ100とピニオンギヤ200との噛み合い箇所を示す部分断面図である。
図11のサイドギヤ100およびピニオンギヤ200はいずれも,上記の「差動ギヤ1」に相当するギヤである。
【0061】
図11のサイドギヤ100は,図中左右方向が軸方向となるように配置されている。そして図中左側が,大径面115である。ピニオンギヤ200は,図中上下方向が軸方向となるように配置されている。そして図中上側が,大径面215である。サイドギヤ100の歯部111とピニオンギヤ200の歯部211とが図中で重なっている領域が,両ギヤの歯面の噛み合い領域117,217である。
【0062】
図11では,サイドギヤ100およびピニオンギヤ200のそれぞれのエッジ部116,216を,破線で囲んで示している。これらの部分はいずれも,前述のように焼き戻しにより優れた1万回強度を有している。一方,噛み合い領域117,217はいずれも,部分焼き戻し領域以外の部分に属していることが分かる。よって噛み合い領域117,217はいずれも,前述のように十分に高い硬度を有している。
【0063】
このことを
図12のグラフにより説明する。
図12のグラフは,低Si材(Si濃度:0.18%)と本形態の鋼(Si濃度:0.75%)とにおける,表層C濃度と焼き戻し後のビッカース硬さとの関係を示すグラフである。このグラフ中に示した低Si材では,表層C濃度が0.5%から1.1%までの範囲内にある。これは,ガス浸炭により実現したものである。この低Si材では,表層C濃度が0.8%の場合に最も高い焼き戻し後硬さを示している。
【0064】
一方,このグラフ中における本形態の鋼は,差動ギヤ1におけるエッジ部16以外の部分を想定して,前述のように低めの浸炭後C濃度としたものである。このグラフ中における本形態の鋼では,表層C濃度が0.6%と低いにもかかわらず,低Si材における最高の硬さである,表層C濃度が0.8%の場合と同等の硬さを実現している。これがSi添加による焼戻し軟化抵抗の効果である。
【0065】
次に
図13のグラフは,疲労強度に対するC濃度の影響を説明するためのグラフである。このグラフは,一定の応力を反復して印加したときに,破壊に至るまでのサイクル数を示している。このグラフ中の「過C%」は,ガス浸炭により表層C濃度を0.8%以上にまで高めた試験片によるもので,比較例である。「高C%」は,浸炭後の表層C濃度を0.6〜0.8%とした試験片によるもので,差動ギヤ1におけるエッジ部16に相当する。「低C%」は,浸炭後の表層C濃度を0.3〜0.6%とした試験片によるもので,差動ギヤ1におけるエッジ部16以外の部分に相当する。
【0066】
図13では,「過C%」,「高C%」,「低C%」のいずれでも,印加する応力(縦軸)を上げるほど,サイクル数(横軸)が少なくなっている。ここで,矢印Fのところ(サイクル数:3000回)で比較すると,「高C%」のものでは「過C%」と比較して15%ほど高い応力値となっている。「低C%」のものでは「過C%」と比較して40%ほど高い応力値となっている。これが,低C濃度化による疲労強度改善の効果である。この試験は,
図9に示した丸棒状の試験片20の4点曲げにより行った。
【0067】
続いて
図14により,焼き戻しの硬度への影響を説明する。
図14は,差動ギヤ1における
図5に示した断面図の矢印G上での,ビッカース硬さと表面Hからの深さとの関係を示している。焼き戻し前の状態では,表層の深さ1mm以内の領域では,深さ1mm以上の芯部と比較して目立って高いビッカース硬度を示している。これは,前述のエッジ部16における浸炭時のC濃化によるものと考えられる。焼き戻し後においては,焼き戻し前と比較して硬さがやや減少している。しかしそれでも,芯部における焼き戻し前の硬さを下回っていることはない。これより,焼き戻し後においても十分な硬さが維持されていることが分かる。なお,
図14の試験における焼き戻しは,高周波加熱装置を用い,4.5kHz,110V,4秒間,の条件で加熱を行った場合のものである。この条件でのエッジ部16の表面の到達温度は,約190℃であった。
【0068】
次に
図15により,焼き戻し温度の影響を説明する。
図15は,
図9に示した丸棒状の試験片20の4点曲げにおける,表層C濃度(%)と6400回強度(MPa)との関係を,焼き戻し温度ごとに示すグラフである。ここでの表層C濃度(%)は,試験片20におけるノッチ21の底部における浸炭後のC濃度である。6400回強度とは,6400回の反復印加に耐えられる最大の応力のことである。
【0069】
図15では,焼き戻しなし,180℃焼き戻し,400℃焼き戻し,の3水準について,種々のC濃度での結果を示している。いずれのC濃度でも,180℃焼き戻し,400℃焼き戻しとも,焼き戻しなしと比較して優れた6400回強度を示している。これらにおけるC濃度0.56%の場合の値を,
図15中に「従来品」として示すものと比較すると,180℃焼き戻しの場合で約20%,400℃焼き戻しの場合で約23%の上昇となっている。さらに
図15には,500℃焼き戻し,C濃度0.56%の場合の例をもプロットしている。これは,「従来品」に比して約28%の上昇を得ている。上記より,疲労強度を向上させるという点に関しては,焼き戻し温度は,180℃〜500℃の範囲内の中でも高い方が好ましいことが分かる。
【0070】
しかし,エッジ部の疲労強度向上の目的で作動ギヤ1に焼き戻しを行う場合,より高温(例えば、300℃〜500℃)での焼き戻しを行うと,焼き戻しの熱が差動ギヤ1の歯面まで及んでしまい,歯面の硬度低下を招くため好ましくない。また,焼き戻しの温度が200℃〜300℃の範囲にある場合,いわゆる焼き戻し脆性領域といわれ,鋼が焼き戻し以前よりもさらに脆くなってしまうため、好ましくない。以上の理由から,差動ギヤ1においては焼き戻し温度は180℃〜200℃未満が好ましい。
【0071】
ここで,上記の浸炭工程から焼き戻し工程までを実施するのに適した熱処理設備について簡単に説明する。
図16に示すように,本形態に適した熱処理設備5は,前洗槽51と,真空浸炭徐冷装置52と,高周波焼き入れ機53と,高周波焼き戻し機54と,磁気探傷装置55とを有している。前洗槽51は,熱処理開始前に差動ギヤ1を洗浄する部分である。真空浸炭徐冷装置52は,加熱室521と,真空浸炭室522と,減圧徐冷室523とを備えている。加熱室521で差動ギヤ1を昇温させ,引き続き真空浸炭室522での真空浸炭(前記「1.」)と,減圧徐冷室523での減圧徐冷(前記「2.」)とが行われるようになっている。真空浸炭室522と減圧徐冷室523との間に予備室はない。高周波焼き入れ機53は,減圧徐冷後の差動ギヤ1に対し,高周波加熱とその後の水冷(前記「3.」)とを行う部分である。高周波焼き戻し機54は,焼き入れ後の差動ギヤ1に対し,高周波加熱とその後の水冷とによる部分焼き戻し(前記「4.」)を行う部分である。磁気探傷装置54は,焼き戻し後の差動ギヤ1の欠陥検査を行う部分である。
【0072】
続いて,
図16の熱処理設備5にて行う各工程について説明する。まず,真空浸炭徐冷装置52の真空浸炭室522での真空浸炭工程(前記「1.」)について説明する。本形態での浸炭処理は前述のように,大気圧より低い圧力に減圧した浸炭ガス中で行う真空浸炭処理である。この真空浸炭処理,およびその後の減圧徐冷処理におけるヒートパターンを
図17に示す。
図17では,横軸に時間を,縦軸に温度を取っている。
【0073】
図17中,「a」で示されるのは,加熱室521での加熱期間である。「b1」および「b2」で示されるのが,真空浸炭室522での保持期間である。保持期間の前期「b1」は,浸炭処理における浸炭期であり,それに続く後期「b2」は,浸炭処理における拡散期である。前記各試験に供した差動ギヤ1および試験片20では,浸炭温度,すなわち保持期間「b1」および「b2」における保持温度を,素材鋼のオーステナイト化温度以上の温度である950℃とした。つまり,加熱期間「a」で差動ギヤ1をこの保持温度まで昇温させた。また,保持期間「b1」および「b2」では,差動ギヤ1の温度を一定の温度,すなわち前述の保持温度に維持した。
【0074】
前記各試験に供した差動ギヤ1および試験片20では,真空浸炭処理における浸炭ガスの圧力を,1〜3.5hPaの範囲内とした。また,浸炭期「b1」における浸炭ガスとして,アセチレンを用いた。また,浸炭条件については,あらかじめ行った条件出し実験を通じて次のように定めた。すなわち,エッジ部16の表層のC濃度が0.6±0.05%の範囲内,エッジ部16から離れた箇所(歯面等)の表層のC濃度が0.5±0.05%の範囲内となる条件を採用した。
【0075】
続いて,真空浸炭処理に引き続いて行われる,減圧徐冷室523での減圧徐冷工程(前記「2.」)について説明する。本形態での徐冷処理は前述のように,大気圧より低い圧力に減圧した雰囲気中で行う減圧徐冷処理である。
図17では,「c」で示される期間が徐冷期間である。前記各試験に供した差動ギヤ1および試験片20では,減圧徐冷処理における雰囲気圧力を,600hPaとした。雰囲気のガス種は,N
2 ガスとした。減圧徐冷処理における冷却速度は,0.1〜3.0℃/秒の範囲内の速度とした。この冷却速度で,浸炭処理直後のオーステナイト化温度以上の温度から,A1変態点より低い温度である150℃となるまで冷却した。なお,
図17に示したヒートパターンは1つの例であり,適宜予備試験を行うことにより,使用する素材鋼の種類に対して最適な条件に変更可能である。
【0076】
続いて,高周波焼き入れ機53での焼き入れ工程(前記「3.」)について説明する。前記各試験に供した差動ギヤ1および試験片20の焼き入れ工程では,高密度エネルギー加熱の手段として高周波加熱を用いた。また,急冷手段として水冷を用いた。また,焼き入れ工程のヒートパターンを,
図18に示すものとした。
図18でも
図17と同様に,横軸に時間を,縦軸に温度を取っている。
図18中,「d1」で示されるのが昇温期間であり,「d2」で示されるのが急冷期間である。昇温期間「d1」では高周波加熱により,差動ギヤ1の外周側の歯部11を,オーステナイト化温度以上の温度に加熱する。その後の急冷期間「d2」では水の噴射により,差動ギヤ1を,その浸炭層における冷却速度が臨界冷却速度以上となるように急冷する。臨界冷却速度とは前述のように,オーステナイト化している素材鋼,特にその浸炭層の部分がマルテンサイト変態するために必要な冷却速度である。
【0077】
前記各試験に供した差動ギヤ1および試験片20では,昇温期間「d1」での高周波加熱を,通常の高周波加熱において行われる条件よりもエネルギー投入量を小さめにし,その分加熱時間を比較的長目の15〜25秒として行った。これにより,歯部11の表面付近のみならずその内部も含めた全体が900℃〜1000℃の範囲内の温度となるようにした。また,歯元部13の表面における到達温度は,920℃〜940℃の範囲内であった。
【0078】
この高周波加熱は,差動ギヤ1を1個単位で流しつつ(運搬しつつ),1個ずつ個別に行った。急冷期間「d2」での水冷は,13秒程度とし,その間の冷却速度は50〜65℃/秒とした。この水冷の際には,差動ギヤ1を回転させ,周囲から冷却水を差動ギヤ1に向かって吹き付けることにより,1個ずつ冷却した。こうして,歪みの発生を最も抑制できる方法で焼き入れ工程を行った。
図18のヒートパターンもまた,1つの例であり,適宜予備試験を行うことにより,使用する素材鋼の種類に対して最適な条件に変更可能である。例えば,昇温後の冷却を2段階に分けて行うこともできる。
【0079】
次に,高周波焼き戻し機54での部分焼き戻し工程(前記「4.」)について説明する。前記各試験に供した差動ギヤ1および試験片20の部分焼き戻し工程では,高密度エネルギー加熱の手段として高周波加熱を用い,
図10に示した部分的な加熱を行った。エッジ部16におけるヒートパターンを,
図19に示すものとした。
図19でも
図17,
図18と同様に,横軸に時間を,縦軸に温度を取っている。
図19中,「e1」で示されるのが昇温期間であり,「e2」で示されるのが冷却期間である。
【0080】
昇温期間「e1」でのエネルギー投入量を11kW程度とし,加熱時間を5sec程度とした。これにより加熱温度は,エッジ部16にて180℃〜500℃の範囲内とした。なお,エッジ部16と反対側の上端面14(小径側)の表層は加熱されないため,常温の20℃〜25℃の範囲内のままである。冷却期間「e2」での冷却は,水冷により行った。このときの冷却速度は,80〜90℃/秒の範囲内の速度とした。この冷却速度で,昇温期間「e1」の終了時の温度から,およそ25℃まで冷却した。
【0081】
以上詳細に説明したように本実施の形態の差動ギヤ1では,焼き入れ後にマルテンサイト組織を得るため,真空浸炭により,浸炭後のC濃度を低めに抑えることとした。その際エッジ部16にはCが過剰に侵入してしまうので,焼き入れ終了後に部分焼き戻し工程を行うこととした。これにより,エッジ部16の旧オーステナイト結晶粒内のマルテンサイト組織に固溶されるC含有量を下げつつ,エッジ部16以外の部位にはその影響があまり及ばないようにした。焼き入れ性と焼戻し軟化抵抗は,Si等の添加により確保した。こうして,粒界強度と粒内強度とのバランスが取られ,高負荷用途の駆動系部品として十分に硬度および疲労強度を両立させた差動ギヤ1およびその製造方法が実現されている。
【0082】
なお,本実施の形態は単なる例示にすぎず,本発明を何ら限定するものではない。したがって本発明は当然に,その要旨を逸脱しない範囲内で種々の改良,変形が可能である。