特許第6181905号(P6181905)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

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  • 特許6181905-摺動部材及びピストンリング 図000003
  • 特許6181905-摺動部材及びピストンリング 図000004
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(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B1)
(11)【特許番号】6181905
(24)【登録日】2017年7月28日
(45)【発行日】2017年8月16日
(54)【発明の名称】摺動部材及びピストンリング
(51)【国際特許分類】
   C23C 14/06 20060101AFI20170807BHJP
   F02F 5/00 20060101ALI20170807BHJP
   F16C 33/12 20060101ALI20170807BHJP
   F16J 9/26 20060101ALI20170807BHJP
   B32B 15/18 20060101ALI20170807BHJP
【FI】
   C23C14/06 F
   C23C14/06 N
   C23C14/06 P
   F02F5/00 F
   F16C33/12 A
   F16C33/12 Z
   F16J9/26 C
   B32B15/18
【請求項の数】12
【全頁数】12
(21)【出願番号】特願2017-530364(P2017-530364)
(86)(22)【出願日】2017年2月28日
(86)【国際出願番号】JP2017007976
【審査請求日】2017年6月6日
(31)【優先権主張番号】特願2016-42606(P2016-42606)
(32)【優先日】2016年3月4日
(33)【優先権主張国】JP
【早期審査対象出願】
(73)【特許権者】
【識別番号】000139023
【氏名又は名称】株式会社リケン
(74)【代理人】
【識別番号】100147485
【弁理士】
【氏名又は名称】杉村 憲司
(74)【代理人】
【識別番号】230118913
【弁護士】
【氏名又は名称】杉村 光嗣
(74)【代理人】
【識別番号】100165696
【弁理士】
【氏名又は名称】川原 敬祐
(72)【発明者】
【氏名】諸貫 正樹
【審査官】 岡田 隆介
(56)【参考文献】
【文献】 特表2015−517686(JP,A)
【文献】 特開2013−155420(JP,A)
【文献】 特開2015−86967(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2015/0307998(US,A1)
【文献】 特開昭47−9761(JP,A)
【文献】 米国特許出願公開第2015/0037710(US,A1)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C23C 14/00−14/58
F16J 1/00−1/24
F16J 7/00−10/04
B32B 1/00−43/00
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
鉄鋼材料からなる基材と、
該基材上に形成され、表面が少なくとも摺動面となる硬質被膜と、
を有し、前記硬質被膜のヤング率が、前記基材との界面から表面に向かって深さ方向に、まず増加し、所定深さ位置で最大値を取った後、減少する分布であることを特徴とする摺動部材。
【請求項2】
前記硬質被膜は、前記基材との界面から表面に向かって第1、第2、第3、第4及び第5の被膜からなり、
前記第1被膜及び前記第5被膜は、150〜250GPaの範囲の一定のヤング率を有し、
前記第3被膜は、400〜600GPaの範囲の一定のヤング率を有し、
前記第2被膜は、前記第1被膜のヤング率から前記第3被膜のヤング率に向けて漸増するヤング率分布を有し、
前記第4被膜は、前記第3被膜のヤング率から前記第5被膜のヤング率に向けて漸減するヤング率分布を有する、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項3】
前記硬質被膜の全体の厚さに対して、前記第1被膜及び前記第2被膜の合計厚さが10%以上40%未満、前記第3被膜の厚さが10%以上40%未満、前記第4被膜及び前記第5被膜の合計厚さが50%以上である、請求項2に記載の摺動部材。
【請求項4】
前記第1乃至第5被膜がいずれも、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜である、請求項2又は3に記載の摺動部材。
【請求項5】
前記第1被膜が金属窒化物であり、前記第2乃至第5被膜がいずれも、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜である、請求項2又は3に記載の摺動部材。
【請求項6】
前記硬質被膜のヤング率が、前記基材との界面から表面に向かって連続的に変化する、請求項1に記載の摺動部材。
【請求項7】
前記硬質被膜が、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜である、請求項6に記載の摺動部材。
【請求項8】
前記基材の鉄鋼材料の熱伝導率が30W/m・K以上である、請求項1〜7のいずれか一項に記載の摺動部材。
【請求項9】
前記基材のヤング率が150〜250GPaであり、前記硬質被膜の前記基材との界面のヤング率よりも小さい、請求項1〜8のいずれか一項に記載の摺動部材。
【請求項10】
前記硬質被膜の全体の厚さが3〜30μmである、請求項1〜9のいずれか一項に記載の摺動部材。
【請求項11】
前記基材と前記硬質被膜との間に、Cr、Ti、Co、V、Mo、Si及びWからなる群から選択された一つ以上の元素またはその炭化物からなる中間層が形成される、請求項1〜10のいずれか一項に記載の摺動部材。
【請求項12】
請求項1〜11のいずれか一項に記載の摺動部材からなるピストンリングであって、その外周面が前記摺動面であるピストンリング。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、摺動部材、特に自動車部品などの高い信頼性を要求される摺動部材に関する。
【背景技術】
【0002】
従来、ピストンリング等の摺動部材では、SUS440B、SWOSC-V、SUP等の鉄鋼材料からなる基材の表面(摺動面)を窒化処理して硬化させ、その表面に硬質被膜を被覆して耐摩耗性を高めることが一般的に行われている。この硬質被膜としては、ダイヤモンドライクカーボン(DLC)と呼ばれる非晶質炭素が例示される。DLCの構造的本質は、炭素の結合としてダイヤモンド結合(SP3結合)とグラファイト結合(SP2結合)とが混在したものである。よって、DLCは、ダイヤモンドに類似した硬度、耐摩耗性、熱伝導性、化学安定性を有し、一方でグラファイトに類似した固体潤滑性を有することから、例えば自動車部品などの摺動部材の保護膜として好適である。
【0003】
しかしながら、環境保全に対応して燃費を向上させたダウンサイジングターボエンジン用のピストンリングの場合、高温かつ高面圧という、非常に厳しい摺動環境となる。そのため、従来のピストンリングは高温となり、摩耗の進行が早くなってしまう。そこで、燃焼室内の熱をピストンからピストンリングを介してシリンダ壁面に効率良く逃がすために、ピストンリングについて高熱伝導性が求められており、基材に高い熱伝導率を有する材料を適用して、耐摩耗性を確保することが行われている。
【0004】
また、硬質被膜としては種々開発されているが、例えば特許文献1には、摺動部材の摺動側表面にコーティングされた、DLCからなる下層膜及び上層膜の少なくとも2層の膜を有し、下層膜は、硬度が20GPa以上45GPa以下、ヤング率が250GPa以上450GPa以下であり、上層膜は、硬度が5GPa以上20GPa未満、ヤング率が60GPa以上240GPa以下であるDLC被膜が記載されている。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0005】
【特許文献1】特開2009−167512号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0006】
しかしながら、高熱伝導率の材料からなる基材に窒化処理など行うと、基材の熱伝導率は著しく低下するため、上記のような厳しい摺動条件下での耐摩耗性を十分に得ることができない。一方、基材の熱伝導率を維持するために、高熱伝導率の材料からなる基材に窒化処理を施さずに、特許文献1のような従来の硬質被膜を形成すると、摺動時に潤滑油内のスラッジを摺動面に噛み込んだときに、基材の塑性変形に伴って硬質被膜にカケが発生し、硬質被膜が剥離するといった被膜密着性の問題があった。そのため、従来の技術では、上記のような厳しい摺動条件下での耐摩耗性及び被膜密着性を両立に関して十分ではなかった。
【0007】
本発明は上記課題に鑑み、厳しい摺動条件下でも、基材に窒化処理を施すことなく、高い耐摩耗性及び被膜密着性を両立することが可能な摺動部材及びピストンリングを提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0008】
上記目的を達成するべく、本発明者らが鋭意検討したところ、熱伝導率が30W/m・K以上という高熱伝導率の鉄鋼材料からなる基材を用いた場合に、その上に形成する硬質被膜の深さ方向のヤング率分布を特定の態様とすれば、基材に窒化処理を施すことなく、高いレベルで耐摩耗性及び被膜密着性を両立できることが見出された。
【0009】
本発明は、上記知見に基づき完成されたものであり、その要旨構成は以下のとおりである。
(1)鉄鋼材料からなる基材と、
該基材上に形成され、表面が少なくとも摺動面となる硬質被膜と、
を有し、前記硬質被膜のヤング率が、前記基材との界面から表面に向かって深さ方向に、まず増加し、所定深さ位置で最大値を取った後、減少する分布であることを特徴とする摺動部材。
【0010】
(2)前記硬質被膜は、前記基材との界面から表面に向かって第1、第2、第3、第4及び第5の被膜からなり、
前記第1被膜及び前記第5被膜は、150〜250GPaの範囲の一定のヤング率を有し、
前記第3被膜は、400〜600GPaの範囲の一定のヤング率を有し、
前記第2被膜は、前記第1被膜のヤング率から前記第3被膜のヤング率に向けて漸増するヤング率分布を有し、
前記第4被膜は、前記第3被膜のヤング率から前記第5被膜のヤング率に向けて漸減するヤング率分布を有する、上記(1)に記載の摺動部材。
【0011】
(3)前記硬質被膜の全体の厚さに対して、前記第1被膜及び前記第2被膜の合計厚さが10%以上40%未満、前記第3被膜の厚さが10%以上40%未満、前記第4被膜及び前記第5被膜の合計厚さが50%以上である、上記(2)に記載の摺動部材。
【0012】
(4)前記第1乃至第5被膜がいずれも、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜である、上記(2)又は(3)に記載の摺動部材。
【0013】
(5)前記第1被膜が金属窒化物であり、前記第2乃至第5被膜がいずれも、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜である、上記(2)又は(3)に記載の摺動部材。
【0014】
(6)前記硬質被膜のヤング率が、前記基材との界面から表面に向かって連続的に変化する、上記(1)に記載の摺動部材。
【0015】
(7)前記硬質被膜が、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜である、上記(6)に記載の摺動部材。
【0016】
(8)前記基材の鉄鋼材料の熱伝導率が30W/m・K以上である、上記(1)〜(7)のいずれか一項に記載の摺動部材。
【0017】
(9)前記基材のヤング率が150〜250GPaであり、前記硬質被膜の前記基材との界面のヤング率よりも小さい、上記(1)〜(8)のいずれか一項に記載の摺動部材。
【0018】
(10)前記硬質被膜の全体の厚さが3〜30μmである、上記(1)〜(9)のいずれか一項に記載の摺動部材。
【0019】
(11)前記基材と前記硬質被膜との間に、Cr、Ti、Co、V、Mo、Si及びWからなる群から選択された一つ以上の元素またはその炭化物からなる中間層が形成される、上記(1)〜(10)のいずれか一項に記載の摺動部材。
【0020】
(12)上記(1)〜(11)のいずれか一項に記載の摺動部材からなるピストンリングであって、その外周面が前記摺動面であるピストンリング。
【発明の効果】
【0021】
本発明の摺動部材及びピストンリングは、厳しい摺動条件下でも、基材に窒化処理を施すことなく、高い耐摩耗性及び被膜密着性を両立することが可能である。
【図面の簡単な説明】
【0022】
図1】(A)は、本発明の一実施形態による摺動部材100の模式断面図であり、(B)は、(A)における硬質被膜のヤング率分布の一例を示すグラフである。
図2】(A)は、本発明の他の実施形態による摺動部材200の模式断面図であり、(B)は、(A)における硬質被膜のヤング率分布の一例を示すグラフである。
図3】本発明の一実施形態によるピストンリング300の断面斜視図である。
【発明を実施するための形態】
【0023】
(摺動部材)
図1(A)及び図2(A)を参照して、本発明の一実施形態による摺動部材100,200は、潤滑油下で使用されるものであり、基材10と、この基材上に形成された中間層12と、この中間層上に形成され、表面が少なくとも摺動面20Aとなる硬質被膜20と、を有する。
【0024】
(基材)
本実施形態において、基材10は、熱伝導率が30W/m・K以上の鉄鋼材料からなるものとし、このような鉄鋼材料としては、例えば、SUP9材(38.6W/m・K)、SUP10材(38.0W/m・K)などのばね鋼、シリコンクロム鋼SWOSC-V材(31.4W/m・K)などを挙げることができる。基材を構成する鉄鋼材料の熱伝導率が30W/m・K未満であると、既述のような高温かつ高面圧の厳しい摺動環境下で摺動部材が高温化してしまい、耐摩耗性が確保できないからである。鉄鋼材料の熱伝導率の上限は特に限定されない。
【0025】
基材10は、その表面を窒化処理されていないものとする。本実施形態によれば、後述するように、基材に窒化処理を施すことなく、高い耐摩耗性及び被膜密着性を両立することができるところ、基材に窒化処理を施してしまうと、基材の熱伝導率は著しく低下するため、上記のような厳しい摺動条件下での耐摩耗性を十分に得ることができないからである。
【0026】
基材10のヤング率は150〜250GPaとすることが好ましく、180〜220GPaとすることがより好ましい。150MPa未満の場合、荷重が作用した時に変位量が大きくなるため、膜との界面において剥離を発生しやすくなる問題がある、250MPaを超えると、ピストンリングとして必要とされるバネ性が損なわれる。また、基材10のヤング率は、硬質被膜20の基材10との界面のヤング率よりも小さいことが好ましい。
【0027】
(中間層)
中間層12は、基材10と硬質被膜20との間に形成されることにより基材10との界面の応力を緩和し、硬質被膜20の密着性を高める機能を有する。この機能を発揮する観点から、中間層12は、Cr、Ti、Co、V、Mo、Si及びWからなる群から選択された一つ以上の元素またはその炭化物からなるものとすることが好ましい。また、中間層12の厚さは、0.1μm以上0.6μm以下であることが好ましく、0.2μm以上0.5μm以下であることがより好ましい。厚さが0.1μm未満の場合、硬質被膜20の密着性を高める機能を十分に得ることができない可能性があり、厚さが0.6μmを超えると、摺動時に中間層12が塑性流動を起こしやすく、硬質被膜20が剥離しやすくなるからである。
【0028】
中間層12の形成方法としては、例えばスパッタ法を挙げることができる。洗浄後の基材10をPVD成膜装置の真空チャンバー内に配置し、Arガスを導入した状態でターゲットのスパッタ放電によって、中間層12を成膜する。ターゲットは、Cr、Ti、Co、V、Mo、Si及びWから選択すればよい。中間層12の厚さは、金属ターゲットの放電時間により調整できる。
【0029】
(硬質被膜)
本実施形態において、硬質被膜20は、そのヤング率が、基材10との界面から表面に向かって深さ方向に、まず増加し、所定深さ位置で最大値を取った後、減少する分布であることが肝要である。
【0030】
深さ方向のヤング率分布の一例として、図1(B)に示すように、硬質被膜20は、基材10との界面から表面に向かって第1、第2、第3、第4及び第5の被膜21〜25からなるものとすることができる。ここで、第1被膜21及び第5被膜25は、150〜250GPaの範囲の一定のヤング率を有し、第3被膜23は、400〜600GPaの範囲の一定のヤング率を有し、第2被膜22は、第1被膜のヤング率から第3被膜のヤング率に向けて漸増するヤング率分布を有し、第4被膜24は、第3被膜のヤング率から第5被膜のヤング率に向けて漸減するヤング率分布を有するものとすることが好ましい。第2被膜22及び第4被膜24のヤング率傾斜の態様は、図1(B)に示すようにリニアに変化してもよいし、そうでなくでもよく、連続的ではなく段階的に変化してもよい。
【0031】
各被膜による作用効果は、以下のとおりである。まず、第1被膜21を150〜250GPaと比較的低いヤング率にすることによって、基材10のヤング率との差を小さくすることができ、その結果、外力が加わった場合の基材10界面での歪みを軽減することができ、この箇所からの剥離を抑制することができる。第2被膜22をヤング率傾斜層とすることによって、第1被膜21と第3被膜23との間の剥離を防止することができる。第3被膜23を400〜600GPaと比較的高いヤング率にすることによって、硬質被膜20全体に外力が作用した場合の歪みを最小化することができる。第4被膜24をヤング率傾斜層とすることによって、第3被膜23と第5被膜25との間の剥離を防止することができる。第5被膜25は耐摩耗層として機能するが、これを150〜250GPaと比較的低いヤング率にすることによって、欠け、剥離を抑制し、摺動開始時の初期なじみ性を向上させることができる。
【0032】
ここで、硬質被膜20の全体の厚さに対して、第1被膜21及び第2被膜22の合計厚さは10%以上40%未満、第3被膜23の厚さは10%以上40%未満、第4被膜24及び第5被膜25の合計厚さは50%以上とすることが好ましい。第1被膜21及び第2被膜22の合計厚さが10%未満の場合、基板10との密着性が低下し、40%以上の場合、膜全体の耐摩耗性が低下する。第3被膜23の厚さが10%未満の場合、膜全体の剛性を高めることが出来ず、40%以上の場合、膜全体の剛性が過剰となり、層内での剥離を生じる。第4被膜24及び第5被膜25の合計厚さが50%未満の場合、十分な耐久性を確保出来ないという問題を生じる。
【0033】
硬質被膜20の全体の厚さは3〜30μmとすることが好ましい。3μm未満の場合、相手材との摺動において必要な耐久性を確保できず、30μm超えの場合、膜の内部応力により欠け、剥離などの問題を生じるからである。
【0034】
第1乃至第5被膜21〜25はいずれも、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素(DLC)のみからなるものとすることが好ましい。非晶質炭素であることは、ラマン分光光度計(Arレーザ)を用いたラマンスペクトル測定により確認できる。ここで、本明細書において「実質的に水素を含まない」とは、HFS(Hydrogen Forward Scattering)分析による膜中の水素含有率が10atm%以下であり、残部が実質的に炭素のみからなることを意味する。水素含有量は5atm%以下であることが好ましい。
【0035】
非晶質硬質炭素膜は、例えば、イオンプレーティング等のPVD法を用いて形成することができる。PVD法は、水素をほとんど含まない高硬度で耐摩耗性に優れた非晶質炭素被膜を形成することができる。
【0036】
ここで、硬質被膜20中の非晶質硬質炭素膜のヤング率は、カーボンターゲットを用いた真空アーク放電によるイオンプレーティング法を用いる際に、基材10に印加するバイアス電圧を調整することによって、制御することができる。具体的には、バイアス電圧を高くすると、基材に衝突するカーボンイオンの運動エネルギーが大きくなるため、カーボンが基材表面で堆積せずにスパッタリングにより基材表面からはじき飛ばされる。このため、形成される非晶質硬質炭素膜は、粗な組織となるため、ヤング率は小さくなる。バイアス電圧が-80〜120Vでヤング率が最大となる。
【0037】
また、本実施形態では、第1被膜21が金属窒化物からなるものとし、第2乃至第5被膜22〜25はいずれも、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜とすることもできる。金属窒化物としては、例えばCrN、TiNを挙げることができる。
【0038】
深さ方向のヤング率分布の他の例として、図2(B)に示すように、硬質被膜20は、そのヤング率が、基材10との界面から表面に向かって連続的に変化するものとすることができる。硬質被膜20のヤング率傾斜の態様は、図2(B)に示すようにリニアに変化してもよいし、そうでなくでもよい。
【0039】
このとき、硬質被膜20の基材10との界面でのヤング率、及び硬質被膜20の表面のヤング率は、150〜250GPaとすることが好ましく、硬質被膜20の深さ方向の最大ヤング率は、400〜600GPaとすることが好ましい。また、最大ヤング率となる深さ位置は、硬質被膜20の基材側から、全厚さの33〜56%の範囲に存在することが好ましい。33%未満の場合、基材との密着性が低下し、56%超えの場合にも基材との密着性が低下して剥離を生じる。
【0040】
この例においても、硬質被膜20の全体の厚さは3〜30μmとすることが好ましい。また、この例においては、硬質被膜20は、実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜であることが好ましい。
【0041】
上記説明したように、本実施形態では、熱伝導率が30W/m・K以上の鉄鋼材料からなる基材10を用いることと、その上に、上記のような深さ方向のヤング率分布を有する硬質被膜を形成することによって、基材10に窒化などの表面改質処理を施すことなく、高いレベルで耐摩耗性及び被膜密着性を両立できる。
【0042】
(ピストンリング)
図3を参照して、本発明の一実施形態によるピストンリング300は、上記摺動部材100又は摺動部材200からなるものであり、その外周面30が図1又は図2に示す硬質被膜の積層構造とする。これにより、摺動面となる外周面30は、厳しい摺動条件下でも耐摩耗性及び被膜密着性の両方に優れる。
【0043】
本発明の一実施形態による摺動部材100は、ピストンリング以外にも、バルブリフタ、ベーン、ロッカーアーム、シールリング等、種々の製品に適用することができる。
【実施例】
【0044】
表1に記載の基材からなるピストンリングの外周面に、以下の条件で、表1に記載の中間層及び非晶質硬質炭素膜を形成した。
【0045】
各例において、基材の材質、表面処理、ヤング率、熱伝導率を表1に示す。
【0046】
中間層は、ピストンリング本体(基材)をアセトン及びイソプロピルアルコールにて超音波洗浄を行った後、PVD成膜装置の真空チャンバー内に配置し、Arガスを導入した状態で金属ターゲットのスパッタ放電によって形成した。金属ターゲットの種類はCrとした。中間層の厚さは表1に示し、金属ターゲットの放電時間によって調整した。
【0047】
中間層の形成後、続けて同一チャンバー内で実質的に水素を含まない非晶質硬質炭素膜を形成した。非晶質硬質炭素膜は、カーボンターゲットの真空アーク放電によって形成し、放電中にピストンリングに印加するバイアス電圧を調整することで、表1に示すヤング率分布を形成した。非晶質硬質炭素膜の厚さも表1に示す。
【0048】
(硬質炭素皮膜のヤング率の測定)
硬質炭素皮膜のヤング率は、ISO 14577-1(計装化押込み硬さ試験)に準拠し、超微小硬度計を用いて、Berkovich圧子、試験力:9.8 mNの条件で行った。測定箇所は、皮膜表面近傍を平均粒径0.25μmのダイヤモンドペーストを塗布した直径30 mmの鋼球を用いて球面研磨し、研磨部分について行った。ヤング率は荷重-押込み深さ曲線から計算される。
【0049】
(基材の熱伝導率の測定)
熱伝導率は、直径5 mmφの素材から厚さ1 mmの測定用サンプルを切り出し、研磨して、レーザーフラッシュ法により3回測定した。3回の測定値の平均値を熱伝導率とした。
【0050】
(評価試験)
各実施例・比較例のピストンリング片と、SUJ2材(JIS G 4805)からなる相手材とを用いた往復摺動試験にて、以下のとおり、被膜密着性(耐剥離性)の評価及び耐摩耗性(耐久性)の評価を行った。
【0051】
(被膜密着性の評価方法)
相手材に0W-20エンジン油を塗布し80℃に加熱した後、ピストンリング片に300Nの荷重を印加して相手材に押しつけ、50Hzの速度にて1時間往復摺動させた。試験後のピストンリング摺動痕の状態から、炭素被膜の密着性を判断した。結果を表1に示す。
評価基準
○:評価試験数N=5について、炭素被膜の剥離が全く発生しなかった。
△:評価試験数N=5のうち、試験数n≧3について炭素被膜に剥離がみられず、試験数n≦2について炭素被膜に微小剥離がみられた。
×:評価試験数N=5のうち、試験数n≧3について炭素被膜に剥離がみられた。
【0052】
(耐摩耗性の評価方法)
相手材に0W-20エンジン油を塗布し80℃に加熱した後、ピストンリング片に50Nの荷重を印加して相手材に押しつけ、50Hzの速度にて6時間往復摺動させた。試験後のピストンリング摺動痕の形状から炭素被膜の摩耗量(摩耗深さ)を求めた。結果は、比較例4の摩耗量を1としたときに、摩耗量が少ないものを○、摩耗量の多いものを×で表1に示す。
【0053】
【表1】
【0054】
表1から明らかなように、発明例1〜3では、高い耐摩耗性及び被膜密着性を両立できているのに対して、比較例1〜4では、そのいずれも不十分であった。
【産業上の利用可能性】
【0055】
本発明の摺動部材は、摺動面が曲面であり、摺動初期におけるシリンダボアとの接触面圧が高い内燃機関用ピストンリングに好ましく適用することができる。本発明の摺動部材は、厳しい摺動条件下でも、基材に窒化処理を施すことなく、高い耐摩耗性及び被膜密着性を両立することが可能なので、特に、環境保全に対応して燃費を向上させたダウンサイジングターボエンジン用のピストンリングとして好適に使用できる。
【符号の説明】
【0056】
100,200 摺動部材
10 基材
12 中間層
20 硬質被膜
21 第1被膜
22 第2被膜
23 第3被膜
24 第4被膜
25 第5被膜
20A 摺動面
300 ピストンリング
30 外周面
32 内周面
34A,34B 上下面(上下側面)
【要約】
本発明は、厳しい摺動条件下でも、基材に窒化処理を施すことなく、高い耐摩耗性及び被膜密着性を両立することが可能な摺動部材を提供する。本発明の摺動部材は、鉄鋼材料からなる基材と、該基材上に形成され、表面が少なくとも摺動面となる硬質被膜と、を有し、前記硬質被膜のヤング率が、前記基材との界面から表面に向かって深さ方向に、まず増加し、所定深さ位置で最大値を取った後、減少する分布であることを特徴とする。
図1
図2
図3