【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者は、上述のような観点から、ステンレス鋼等の溶着を発生し易い被削材の切削加工を断続切削条件、即ち、高熱発生を伴うとともに、切刃に大きな機械的・衝撃的負荷が作用する断続切削条件、で行った場合にも、硬質被覆層がすぐれた耐チッピング性とともにすぐれた耐摩耗性を発揮する被覆超硬工具を開発すべく、鋭意研究を行った。
【0011】
その結果、WC基超硬合金で構成された基体の表面に、少なくとも、Tiの炭化物、窒化物、炭窒化物、炭酸化物および炭窒酸化物からなるTi化合物の一種又は二種以上を下部層として蒸着形成し、さらに、この上に酸化アルミニウム層を上部層として蒸着形成した被覆超硬工具において、工具基体表面の下部層にのみショットブラスト等によりクラックを形成し、この上に、通常通りの方法で酸化アルミニウム層を蒸着形成すると、引張残留応力が低減された下部層・上部層が形成されるとともに、上部層には、下部層からクラックが伝播・進展し、しかも、上部層と下部層との界面側に形成されるクラック密度に比し、上部層表面側には、小さなクラック密度の上部層が形成されることを見出したのである。
【0012】
そして、クラックが形成された下部層と、上部層と下部層との界面側に形成されるクラック密度に比し、上部層表面側に形成されるクラック密度が小さな上部層を備える被覆超硬工具は、引張残留応力が低減されるとともに、溶着性の高い被削材を切削加工した場合でも、長期の使用にわたって、すぐれた耐チッピング性と耐摩耗性を発揮することを見出したのである。
【0013】
この発明は、上記知見にもとづいてなされたものであって、
「(1)WC基超硬合金基体の表面に、下部層と中間層と上部層からなる硬質被覆層が被覆形成され、前記下部層は、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層及び炭窒酸化物層の内の1種または2種以上のTi化合物層からなり、前記中間層は、α型酸化アルミニウム相とκ型酸化アルミニウム相の混相からなり、また、前記上部層は、α型酸化アルミニウム層からなる表面被覆WC基超硬合金製切削工具において、
(a)前記下部層には、物理的処理による下部層を貫通する微細クラックが形成され、
(b)前記中間層には、下部層から伝播・進展したクラックが形成され、
(c)前記上部層には、中間層から伝播・進展したクラックが形成され、しかも、中間層と上部層の縦断面を観察した時に、上部層の表面に形成されているクラック密度は、中間層との界面に形成されている上部層のクラック密度より小さいことを特徴とする表面被覆WC基超硬合金製切削工具。
(2)表面被覆WC基超硬合金製切削工具の切れ刃稜線部に、請求項1に記載の下部層と中間層と上部層が形成されている請求項1に記載の表面被覆WC基超硬合金製切削工具。
(3)WC基超硬合金からなる基体の表面に、化学蒸着装置によりTiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層及び炭窒酸化物層の内の1種または2種以上のTi化合物層からなる下部層を被覆形成した後、下部層表面に物理的処理を施して下部層を貫通する微細クラックを形成し、ついで、化学蒸着装置によりα型酸化アルミニウム相とκ型酸化アルミニウム相の混相からなる中間層を蒸着形成し、さらに、α型酸化アルミニウム層からなる上部層を被覆形成した後、これを室温まで冷却することにより、下部層から中間層へクラックを伝播・進展させ、さらに、中間層から上部層へクラックを伝播・進展させ、中間層との界面に形成されている上部層のクラック密度に比して、クラック密度が小さいクラックを上部層の表面に形成することを特徴とする請求項1または2に記載の表面被覆WC基超硬合金製切削工具の製造方法。」
を特徴とするものである。
【0014】
以下、本発明について、詳細に説明する。
【0015】
下部層(Ti化合物層):
本発明では、硬質被覆層の下部層として、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層及び炭窒酸化物層の内の1種または2種以上のTi化合物層を化学蒸着により被覆形成するが、Ti化合物層により下部層を形成した場合、Ti化合物層は、それ自体が高温強度を有し、これの存在によって硬質被覆層が高温強度を具備するようになるほか、工具基体と酸化アルミニウムからなる上部層のいずれにも強固に密着し、硬質被覆層の工具基体に対する密着性向上に寄与する作用を有することはよく知られている。
この発明でも、前記理由と同様な理由により、Tiの炭化物層、窒化物層、炭窒化物層、炭酸化物層及び炭窒酸化物層の内の1種または2種以上のTi化合物層からなる下部層を被覆形成する。
下部層の層厚は、その合計平均層厚が3μm未満では、前記作用を十分に発揮させることができず、一方、その合計平均層厚が20μmを越えると、チッピング、欠損、剥離等の発生の原因となることから、その合計平均層厚は3〜20μmとすることが望ましい。
【0016】
本発明では、
図1に示すように、化学蒸着により前記下部層を形成した後、室温で、ショットブラスト等の物理処理を施すことにより、下部層の残留応力の低減化を図るとともに、該層を貫通する微細クラックを形成する。
そして、
図1に示すように、下部層に形成されたこの微細クラックの存在によって、下部層上に形成された中間層を介して上部層に、特段の物理的なクラック形成処理を追加して行わずとも、クラックが導入され、その結果、上部層の残留応力が低減される。
【0017】
上部層(α型酸化アルミニウム層):
α型酸化アルミニウム層は、一般的にすぐれた高温硬さと耐熱性を有し、硬質被覆層の耐摩耗性向上に寄与するが、その平均層厚が1μm未満では、硬質被覆層に十分な耐摩耗性を発揮せしめることができない。一方、その平均層厚10μmを越えて厚くなりすぎると、上部層表面に、後記する所望のクラック分布を形成することができなくなり、そのため、チッピング発生抑制効果が低下することから、平均層厚の上限は10μmとすることが望ましい。α型酸化アルミニウム層のより好ましい平均層厚は、1〜5μmであり、さらに好ましくは、1〜3μmである。
【0018】
上部層のクラックの形成:
本発明では、微細クラックを形成した下部層上に、中間層を介して上部層を蒸着形成し、これを室温にまで冷却することにより、特段の追加的なクラック形成処理を行わずに、上部層に所望のクラック分布を形成することができ、これによって、上部層の残留応力低減を図ることができる。
ここで、所望のクラック分布とは、上部層の層厚方向に沿ったクラックの分布形態であって、本発明では、中間層と上部層の縦断面を観察した時、上部層の表面に形成されているクラック密度が、中間層と上部層との界面に形成されている上部層のクラック密度より小さいクラックの分布形態を有する。
本発明の上部層において、このようなクラックの分布形態を示すのは、下部層あるいは中間層に形成されたクラックの全てが上部層を貫通するクラックとして伝播・進展するのではなく、下部層あるいは中間層から導入されたクラックの一部は、そのクラック先端が、上部層を貫通せず上部層内部に止まっているという理由による。
つまり、下部層に形成されたクラックの先端は、中間層との界面を通して上部層に伝播・進展するものの、一部のクラック先端は上部層内部でその伝播・進展を停止し、上部層表面にまで貫通しない内部クラックとして止まることとなり、その結果として、上部層の表面に形成されているクラック密度が、中間層との界面に形成されている上部層のクラック密度より小さいクラックの分布形態が形成される。
また、本発明におけるクラック分布において、上部層表面に形成されるクラックの溝幅、クラック間隔は、中間層との界面に形成されるクラックの溝幅より小さく、また、クラック間隔が大きいこと、即ち、上部層表面で形成されるクラックはクラック溝が狭く、かつ、クラックの分布が疎であることを確認している。
【0019】
本発明の被覆超硬工具は、中間層と上部層の縦断面を観察した時、上部層の表面に形成されているクラック密度を、中間層との界面に形成されている上部層のクラック密度より小さいものとして形成することによって、ステンレス鋼等の溶着性の高い被削材を、切刃に大きな機械的・衝撃的負荷がかかる断続切削条件で切削加工した場合でも、特に溶着に起因するチッピング、欠損、剥離等の発生を抑制することができるとともに、上部層の残留応力が緩和されていることから機械的・衝撃的負荷に対する耐性にすぐれ、長期の使用にわたってすぐれた切削性能を発揮する。
【0020】
先行技術文献として示した特許文献1〜3においても、少なくとも、ショットブラストを施すことにより、耐チッピング、耐欠損性等の改善を図っているが、本発明の被覆超硬工具及びその製造方法は、特許文献1〜3記載のものとは、上部層にショットブラストを施すか否かという点で、本質的に異なるものである。
即ち、特許文献1〜3においては、少なくとも、上部層表面にショットブラストを施すことにより、クラックを形成しているが、例えば、クラック密度を高めようとしてブラスト圧力を高めると、上部層の表面粗さが低下するとともに、クラック開口部が増加し、その結果、耐溶着性が低下することとなり、また、過度のブラスト圧力によって、上部層自体の損傷も発生することとなる。
これに対して、本発明の被覆超硬工具は、下部層のクラックを、中間層を介して上部層に導入することによって上部層にクラックを形成しており、上部層表面からのショットブラスト処理は行わないため、上部層の表面粗さの低下、上部層最表面のクラック開口部の増加を回避することができ、しかも、上部層の内部には高密度のクラックが形成されていることによって、残留応力がより緩和され、上部層の損傷発生が抑えられる。
【0021】
本発明は、下部層へのショットブラスト等による物理的処理を調整することにより、下部層に形成される微細クラックの密度ばかりか、クラック溝幅をコントロールすることができ、その結果として、中間層と上部層との界面に形成されるクラックの密度とともに、その溝幅をコントロールすることができる。
また、上部層表面に形成されるクラックの密度は、その溝幅とともに、形成する上部層の層厚によってコントロールすることができる。
例えば、一定の条件で下部層を形成し、また、一定の条件でショットブラストを施した場合には、上部層の層厚が大きくなるほど、上部層表面に形成されるクラックの密度、溝幅が減少する。すなわち、上部層表面において溝幅が小さく、かつ、低密度のクラックを形成することができる。
【0022】
より具体的に、上部層表面のクラック密度に限っていえば、本発明の被覆超硬工具の上部層表面のクラック密度は、通常条件で成膜した従来被覆超硬工具の酸化アルミニウムからなる上部層のクラック(所謂、クーリングクラック)より、クラック密度が高く、クラック形成間隔も密であるが、クラックの溝幅については、従来被覆超硬工具のそれとほぼ同等である。
つまり、本発明の被覆超硬工具は、上部層表面のクラック分布は従来の被覆超硬工具とほぼ同等であるが、上部層の内部にも、その先端が内部に止まるクラックが形成されていることから、従来被覆超硬工具に比して、はるかに残留応力が緩和されているために、溶着性の高い被削材の断続切削加工においても、溶着に起因するチッピング、欠損等の発生を抑制することができる。
【0023】
一方、前記特許文献1〜3記載のものは、上部層表面のクラック密度、溝幅は、本発明のものに比してはるかに大きく、また、硬質被覆層内の残留応力は、本発明と同程度に緩和されているものの、クラック開口部が多数存在し、表面粗さが大であり、クラックの溝幅が大きいため、溶着性の高い被削材の断続切削加工においては、溶着に起因するチッピング、欠損等の発生を防止する効果は本発明に比して劣るものとなっている。
【0024】
本発明では、上部層におけるクラック分布をコントロールするために、下部層と上部層との層間に、α型酸化アルミニウムとκ型酸化アルミニウムの混相からなる中間層を蒸着形成している。
これは、α型酸化アルミニウム相とκ型酸化アルミニウム相の混相からなる層は、α相とκ相が隣接する相界面の靭性が低いため、下部層に物理的処理を施すことによって形成したクラックを起点として、中間層のα相とκ相の相界面を経由してクラックが進展・伝播しやすいという理由による。
つまり、中間層におけるα型酸化アルミニウム相とκ型酸化アルミニウム相の混相比率を調整することによって、クラックの経路となるα相とκ相の隣接する相界面の密度を調節することができ、その結果として、上部層におけるクラックの密度を容易にコントロールすることができるととともに、残留応力が低減されたあるいは残留応力が実質的に0の酸化アルミニウム層を得ることができる。
α型酸化アルミニウム相とκ型酸化アルミニウム相の混相比率が50:50であれば、α相とκ相の隣接する相界面の密度が最大となるため、例えば、上部層の耐摩耗性を高めるために上部層表面のクラック密度を下げる場合には、混相比率が50:50の状態と比較してα型酸化アルミニウム相とκ型酸化アルミニウム相のいずれか一方の含有割合を高めることによって、α相とκ相が隣接する相界面の密度を減ずることにより、低クラック密度の上部層表面を形成することができる。
中間層の平均層厚は0.1μm未満では、下部層からのクラックが上部層に伝播しづらくなる。一方、その平均層厚1μmを越えて厚くなりすぎると、中間層の靭性に悪影響を及ぼし、剥離またはチッピングを発生する可能性がある。したがって中間層の平均層厚は0.1〜1μmとすることが望ましい。
【0025】
本発明では、溶着性の高い被削材との断続切削における切れ刃部のチッピング、欠損等の発生を防止するために、
図2に示す切れ刃稜線部に、前述の下部層と中間層と上部層とからなる硬質被覆層を被覆形成することが望ましい。
このためには、工具基体の全体に対して前記硬質被覆層を被覆形成しても良いし、切れ刃稜線部のみに前記硬質被覆層を被覆形成しても良い。
図3に示す切れ刃稜線部に対してのみ前記硬質被覆層を形成する場合には、下部層にショットブラスト等の物理的処理を施す際に、切れ刃稜線部以外の領域にマスキングを施し、切れ刃稜線部に対してのみショットブラスト等の物理的処理を施せばよい。
【0026】
なお、本発明では、被覆超硬工具の使用前後の識別を目的として、黄金色の色調を有するTiN層を、必要に応じ上部層最表面に蒸着形成してもよいが、この場合の平均層厚は0.1〜1μmでよい。これは0.1μm未満では、十分な識別効果が得られず、一方前記TiN層による前記識別効果は1μmまでの平均層厚で十分であるという理由からである。