【課題を解決するための手段】
【0009】
そこで、本発明者らは、前述のような観点から、特に軟鋼、ステンレス鋼、高マンガン鋼等の難削材の高速切削加工で、硬質被覆層がすぐれた高温硬さ、高温強度、高温耐酸化性を備えるとともに、すぐれた潤滑性と耐摩耗性を発揮する被覆工具を開発すべく、前記従来被覆工具の硬質被覆層に着目し、研究を行った結果、以下の知見を得た。
【0010】
(a)硬質被覆層が、(Al,Ti)N層で構成された従来被覆工具において、硬質被覆層の構成成分であるAlは高温硬さと耐熱性を向上させ、Tiは高温強度を向上させると共に、AlとTiが共存含有した状態で高温耐酸化性を向上させるという特性を発揮すること。
【0011】
(b)従来被覆工具の硬質被覆層を構成する(Al,Ti)N層のAlとTiの含有割合を、組成式:(Al
aTi
1−a)Nで表した場合、Alの含有割合aが少ない場合(例えば、0.60>a)には、(Al,Ti)N層は立方晶構造の(Al,Ti)N層であるが、Al含有割合aを、例えば、a≧0.70というように増加させると、その結晶構造は、立方晶構造と六方晶構造の混晶の結晶構造に変化し、そして、このような立方晶構造と六方晶構造の混晶の結晶構造を有する(Al,Ti)N層は、潤滑特性が向上するようになるが、前記立方晶構造と六方晶構造の混晶の結晶構造を有する(Al,Ti)N層は、立方晶構造の(Al,Ti)N層に比して十分な高温硬さを備えていないため、立方晶構造と六方晶構造の混晶の結晶構造を有する(Al,Ti)N層を、硬質被覆層として単独で蒸着形成することによっては、高速切削加工条件下では満足できる耐摩耗性を得ることはできないこと。
【0012】
(c)すぐれた高温硬さを有する立方晶構造を有する(Al,Ti)N層を薄層Bとし、また、すぐれた潤滑特性を有する立方晶構造と六方晶構造の混晶の結晶構造を有する(Al,Ti)N層を薄層Aとし、工具基体上に薄層Aと薄層Bとからなる二層積層を構成し、あるいは、薄層Aと薄層Bの交互積層構造からなる硬質被覆層を構成すると、薄層Aと薄層Bは、それぞれの特性を害することなく、硬質被覆層全体として、すぐれた潤滑性を備え所定の耐摩耗性を発揮するようになるが、切刃部に大きな衝撃的・機械的負荷が加わる高速切削という厳しい条件の切削加工では、特に工具基体と硬質被覆層間の密着強度が十分でないために、硬質被覆層の剥離、欠損、チッピングが発生しやすいこと。
【0013】
(d)交互積層を構成する薄層Aと薄層Bの結晶粒径に着目して鋭意研究した結果、薄層Aの結晶粒径の方が薄層Bの結晶粒径の方よりも相対的に小さくするとともに、逃げ面とすくい面の交差稜線部からから20μm以内の領域における薄層Bに含まれる結晶粒と逃げ面とすくい面の交差稜線部からから20μmを超え100μm以内の領域における薄層Bに含まれる結晶粒とを比較した場合、前者の方が相対的に大きな結晶粒の存在割合を大きくすることによって、切刃部に大きな衝撃的・機械的負荷が加わる高速切削という厳しい条件の切削加工においても、硬質被覆層全体として、すぐれた高温強度を有するとともにすぐれた潤滑性を示し、剥離、欠損、チッピングを発生することなくすぐれた耐摩耗性を長期に亘って発揮するようになること。
【0014】
(e)従来のAIP法による(Al,Ti)N層からなる硬質被覆層の成膜に際し、工具基体とターゲット間に磁場をかけ、ターゲット表面磁力を変量として硬質被覆層の組織構造に及ぼす磁場の影響を調査検討したところ、AIP法による硬質被覆層の成膜を所定強度の磁場中で行うことによって、硬質被覆層を構成する結晶粒の粒径、形成領域およびその分布を調整することができ、そのような硬質被覆層は、軟鋼、ステンレス鋼、高マンガン鋼等の難削材の高速切削加工において、すぐれた高温硬さ、高温強度、高温耐酸化性を備えるとともに、すぐれた潤滑性と耐摩耗性を発揮すること。
【0015】
本発明は、前記の知見に基づいてなされたものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金で構成された工具基体の表面に、硬質被覆層を蒸着形成した表面被覆切削工具において、前記硬質被覆層は、
(a)前記工具基体側から、薄層Aと薄層Bとの積層構造または交互積層構造を有し、最表面層が薄層Bである合計平均膜厚が1〜10μmのAlとTiの複合窒化物層からなり、
(b)前記薄層Aは、逃げ面とすくい面の交差稜線部から100μm以内の領域において、AlとTiの合量に占めるAlの含有割合が0.65〜0.75(但し、原子比)で粒径0.05μm以下の結晶粒のみからなり、
(c)前記薄層Bは、AlとTiの合量に占めるAlの含有割合が0.50〜0.60(但し、原子比)で、逃げ面とすくい面の交差稜線部から20μm以内の領域において粒径1.0μm以上の結晶粒の結晶粒径長の割合が50〜90%を占め、逃げ面とすくい面の交差稜線部から20μmを超え100μm以内の領域において粒径1.0μm以上の結晶粒の結晶粒径長の割合が50%以下を占め、
(d)前記薄層Aは立方晶結晶格子の(200)面からのX線回折強度のピーク強度I(f)と六方晶結晶格子の(100)面からのX線回折強度のピーク強度I(h)の比の値I(f)/I(h)が、0.1≦I(f)/I(h)≦2.0を満足する立方晶と六方晶の混晶の結晶構造、前記薄層Bは立方晶のみの結晶構造であることを特徴とする表面被覆切削工具。
(2) 前記逃げ面とすくい面の交差稜線部から100μm以内の領域において、前記薄層Aおよび薄層Bの平均層厚は、それぞれ0.5〜5.0μmであることを特徴とする(1)に記載の表面被覆切削工具。
(3) 前記逃げ面とすくい面の交差稜線部から100μm以内の領域において、前記薄層Aおよび薄層Bの合計総数が、2〜20層であることを特徴とする(2)に記載の表面被覆切削工具。」
に特徴を有するものである。
【0016】
つぎに、本発明の被覆工具の硬質被覆層に関し、より詳細に説明する。
本発明の被覆工具の硬質被覆層は、炭化タングステン基超硬合金からなる工具基体の表面に蒸着形成され、組成式:(Al
aTi
1−a)N(a=0.65〜0.75)の成分系からなる平均層厚0.5〜5.0μmの立方晶結晶構造と六方晶結晶構造とが混在している薄層Aと組成式:(Al
bTi
1−b)N(b=0.50〜0.60)の成分系からなる平均層厚0.5〜5.0μmの立方晶結晶構造のみからなる薄層Bとからなる二層積層構造または交互積層構造の複合窒化物層を主たる構成要素としている。
その上で、硬質被覆層が、次のような構造をとるとき、きわめてすぐれた切削性能を示すことを見出した。
【0017】
(ア)硬質被覆層の組成:
本発明の硬質被覆層は、工具基体側から組成式:(Al
aTi
1−a)N(a=0.65〜0.75)の成分系からなるAlとTiの複合窒化物層からなる薄層Aと、組成式:(Al
bTi
1−b)N(b=0.50〜0.60)の成分系からなるAlとTiの複合窒化物層からなる薄層Bとの二層積層構造、または、薄層Aと薄層Bとが交互に所定の積層回数繰り返される交互積層構造により構成される。
ここで薄層Aは、立方晶と六方晶との混晶とする必要があり、そのため、AlとTiの合量に占めるAlの含有割合aは、0.65〜0.75とする。
また、薄層Bは、立方晶の単晶とする必要があり、そのため、AlとTiの合量に占めるAlの含有割合bは、0.50〜0.60とする。
【0018】
(イ)薄層Aを構成する結晶粒:
薄層Aは粒径0.05μm以下の結晶粒のみからなることにより耐チッピング性および耐摩耗性を向上させることができる。
【0019】
(ウ)薄層Bを構成する結晶粒:
薄層Bを構成する結晶粒の大きさを制御することにより、硬質被覆層の耐チッピング性および耐摩耗性を向上させることができるが、本発明者らが逃げ面とすくい面との交差稜線部から20μm以内の領域と20μmを超えて100μm以内の領域における結晶粒の大きさをそれぞれ制御することによって、切削性能を一層向上させることができるという知見を得た。
具体的には、逃げ面とすくい面との交差稜線部から20μm以内の領域においては、粒径1μm以上の結晶粒の結晶粒径長の割合が50%未満であると硬さが低下するため耐摩耗性が悪くなる。一方、90%を超えると結晶粒界が減少するため耐チッピング性が低下する。
また、逃げ面とすくい面との交差稜線部から20μmを超えて100μm以内の領域においては、粒径1μm以上の結晶粒の結晶粒径長の割合が50%を超えると粒径が大きすぎるため耐クラック性が悪くなり、刃先にクラックが集中し、刃先近傍で膜の欠損が発生しやすくなる。
以上のような理由から、薄層Bを構成する結晶粒は、逃げ面とすくい面の交差稜線部から20μm以内の領域においては、粒径1μm以上の結晶粒の結晶粒径長の割合が50〜90%、逃げ面とすくい面の交差稜線部から20μmを超え100μm以内の領域においては、粒径1.0μm以上の結晶粒の結晶粒径長の割合が50%以下と定めた。
【0020】
(エ)薄層Aの結晶構造:
薄層Aは立方晶構造と六方晶構造の混晶とすることにより、高速切削時における切削性能が向上する。しかしながら、立方晶結晶格子の(200)面からのX線回折強度(XRD)のピーク強度I(f)と、六方晶結晶格子の(100)面からのX線回折強度(XRD)のピーク強度I(h)の比の値I(f)/I(h)が0.1未満であると立方晶構造に比べ硬さの点で劣る六方晶構造を有する結晶粒が増えるため硬さが低下し、耐摩耗性が悪くなる。一方、2.0を超えるとほぼ立方晶構造を有する結晶粒のみになるため高速切削時における潤滑性が低下するため好ましくない。したがって、立方晶結晶格子の(200)面からのX線回折強度(XRD)のピーク強度I(f)と、六方晶結晶格子の(100)面からのX線回折強度(XRD)のピーク強度I(h)の比の値I(f)/I(h)を0.1〜2.0と定めた。
なお、立方晶構造の(Ti,Al)N層からなる薄層Bと、立方晶構造と六方晶構造の混晶の(Ti,Al)N層からなる薄層Aとは同一あるいは類似成分系の硬質被覆層であるため、異成分系の薄層Aと薄層Bとの交互積層に比して、薄層Aと薄層B間の付着強度も大であり、硬質被覆層全体としての高温強度向上に寄与するばかりか、層間剥離等の生じる恐れもない。
【0021】
(オ)硬質被覆層、薄層A、薄層Bの平均層厚:
薄層Aは、一層の平均層厚が0.5μm未満では、自身のもつすぐれた耐摩耗性を長期に亘って十分発揮することができず、工具寿命短命の原因となり、一方、5.0μmを越えると、チッピングが発生し易くなる。したがって、その平均層厚を0.5〜5.0μmとすることが好ましい。
また、薄層Bについても、一層の平均層厚が0.5μm未満では、自身のもつすぐれた耐摩耗性を長期に亘って十分発揮することができず、工具寿命短命の原因となり、一方、5.0μmを越えると、チッピングが発生し易くなる。したがって、その平均層厚を0.5〜5.0μmとすることが好ましい。
さらに、薄層Aと薄層Bを積層して形成した二層積層または薄層Aと薄層Bを交互に積層して形成した交互積層について、その合計平均層厚、すなわち、硬質被覆層の平均層厚が1.0μm未満では、自身のもつすぐれた潤滑性と耐摩耗性を長期に亘って発揮することができないため好ましくない。一方、10.0μmを越えると、チッピングが発生し易くなるため好ましくない。したがって、その平均層厚を1.0〜10.0μmとすることが必要である。この平均層厚から薄層Aおよび薄層Bの合計層数を逆算することにより、合計層数は2〜20層が好ましい。
【0022】
(カ)薄層Aおよび薄層Bの結晶構造および結晶粒経の制御方法:
前述したような薄層Aおよび薄層Bの結晶構造および結晶粒径を逃げ面とすくい面との交差稜線部からの距離に応じて制御する成膜方法としては、アークイオンプレーティング法において、後述する実施例において詳述したように、ターゲット表面磁力を変化させることによって所望の結晶構造および結晶粒径に制御できるという新規な知見を得て、本発明を完成するに至った。