(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6202214
(24)【登録日】2017年9月8日
(45)【発行日】2017年9月27日
(54)【発明の名称】飛行時間型質量分析装置
(51)【国際特許分類】
H01J 49/42 20060101AFI20170914BHJP
H01J 49/40 20060101ALI20170914BHJP
G01N 27/62 20060101ALI20170914BHJP
【FI】
H01J49/42
H01J49/40
G01N27/62 E
【請求項の数】6
【全頁数】18
(21)【出願番号】特願2016-548486(P2016-548486)
(86)(22)【出願日】2014年9月18日
(86)【国際出願番号】JP2014074625
(87)【国際公開番号】WO2016042632
(87)【国際公開日】20160324
【審査請求日】2016年10月14日
(73)【特許権者】
【識別番号】000001993
【氏名又は名称】株式会社島津製作所
(74)【代理人】
【識別番号】110001069
【氏名又は名称】特許業務法人京都国際特許事務所
(72)【発明者】
【氏名】奥村 大輔
【審査官】
右▲高▼ 孝幸
(56)【参考文献】
【文献】
米国特許出願公開第2002/0030159(US,A1)
【文献】
特開2003-123685(JP,A)
【文献】
特開2005-183022(JP,A)
【文献】
特表2007-536530(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
H01J 49/42
G01N 27/62
H01J 49/40
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
入射したイオンをその入射軸と直交する方向に加速する直交加速部と、加速されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する直交加速方式の飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるとともにイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するイオンガイドと、該イオンガイドの出口端の外側に配置された出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するとともに、前記イオンガイドからイオンを放出する際には、該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部であって、測定対象であるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じて前記保持時直流電圧を変化させる制御部と、
を備えることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【請求項2】
入射したイオンを電場の作用により捕捉したあとに所定のタイミングでイオンに加速エネルギを付与して略一斉にイオンを射出するイオントラップ部と、該イオントラップ部から射出されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるとともにイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するイオンガイドと、該イオンガイドの出口端の外側に配置された出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するとともに、前記イオンガイドからイオンを放出する際には、該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部であって、測定対象であるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じて前記保持時直流電圧を変化させる制御部と、
を備えることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【請求項3】
請求項1又は2に記載の飛行時間型質量分析装置であって、
前記制御部は、測定対象であるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じて前記放出時直流電圧も変化させることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【請求項4】
入射したイオンをその入射軸と直交する方向に加速する直交加速部と、加速されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する直交加速方式の飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるとともにイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するイオンガイドと、該イオンガイドの出口端の外側に配置された出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加し、前記イオンガイドからイオンを放出する前に前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルがさらに高くなるように該出口側ゲート電極へ印加する直流電圧を所定時間だけ変化させ、それに引き続いて、前記イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部と、
を備えることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【請求項5】
入射したイオンを電場の作用により捕捉したあとに所定のタイミングでイオンに加速エネルギを付与して略一斉にイオンを射出するイオントラップ部と、該イオントラップ部から射出されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるとともにイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するイオンガイドと、該イオンガイドの出口端の外側に配置された出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加し、前記イオンガイドからイオンを放出する前に前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルがさらに高くなるように該出口側ゲート電極へ印加する直流電圧を所定時間だけ変化させ、それに引き続いて、前記イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部と、
を備えることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【請求項6】
請求項1乃至5のいずれか1項に記載の飛行時間型質量分析装置であって、
前記イオン保持部は、イオンを解離させるコリジョンセル内に配置されたリニア型イオントラップであることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は飛行時間型質量分析装置(Time-of-Flight Mass Spectrometer、以下「TOFMS」と略す)に関し、さらに詳しくは、直交加速方式TOFMS、及びイオントラップにイオンを一時的に保持し、該イオントラップからイオンを射出して飛行空間に導入するイオントラップTOFMSに関する。
【背景技術】
【0002】
一般に、TOFMSでは、試料成分由来のイオンに一定の運動エネルギを付与して一定距離の空間を飛行させ、その飛行に要する時間を計測して該飛行時間からイオンの質量電荷比を算出する。そのため、イオンを加速して飛行を開始させる際に、イオンの位置やイオンが持つ初期エネルギにばらつきがあると、同一質量電荷比を持つイオンの飛行時間にばらつきが生じ質量分解能や質量精度の低下に繋がる。こうした課題を解決する手法の一つとして、イオンビームの入射方向と直交する方向にイオンを加速して飛行空間に送り込む直交加速(「垂直加速」や「直交引出し」とも呼ばれる)方式のTOFMSが知られている。
【0003】
一方、分子量が大きな物質や化学構造が複雑な物質の同定や構造解析を行うために、近年、特定の質量電荷比を有するイオンを衝突誘起解離などの手法により1乃至複数段階に解離させ、それによって生成されたプロダクトイオンを質量分析する、MS
n分析(タンデム分析などとも呼ばれる)が広く利用されている。MS
n分析が可能である質量分析装置としては、四重極型(又はそれ以外の多重極型)のイオンガイドが内装されたイオンを解離させるコリジョンセルを挟んでその前後に四重極マスフィルタが配置された三連四重極型質量分析装置や、イオンを質量電荷比に応じて分離する機能とイオンに対する解離操作を行う機能とを有するイオントラップを用いたイオントラップ質量分析装置、或いは、そうしたイオントラップとTOFMSとを組み合わせたイオントラップ飛行時間型質量分析装置、などがよく知られている。
【0004】
また、上述した直交加速方式TOFMSの性能の良さを活かすために、コリジョンセルを挟んで前段に四重極マスフィルタ、後段に直交加速方式TOFMSを配置した四重極-飛行時間型質量分析装置(以下、慣用に従って「Q−TOFMS」と称す)も知られている。
【0005】
図10(a)は特許文献1に記載のQ−TOFMSにおけるコリジョンセル及び直交加速部の概略構成図、
図10(b)は
図10(a)中の軸(この場合にはイオン光軸)C上のポテンシャル分布を示す図、
図10(c)は
図10(a)中の出口側ゲート電極への印加電圧及び直交加速電圧のタイミング図である。
【0006】
図10(a)に示すように、このQ−TOFMSでは、イオンを解離させるコリジョンセル50の内部にイオンガイド51を備えており、このイオンガイド51と、この前後に配置される入口側ゲート電極52及び出口側ゲート電極53とにより、リニア型イオントラップを構成している。この例では、入口側ゲート電極52及び出口側ゲート電極53はそれぞれ、コリジョンセル50の入口側端面及び出口側端面を兼ねる。
【0007】
図示しない四重極マスフィルタにおいて選択された特定の質量電荷比を有するプリカーサイオンをコリジョンセル50内で解離させ、入口側ゲート電極52及び出口側ゲート電極53の位置におけるポテンシャルをイオンガイド51におけるポテンシャルよりも高くすることによって、生成されたプロダクトイオン(及び解離されなかったプリカーサイオン)をイオンガイド51の内部空間に一時的に保持する。そのあと、出口側ゲート電極5
3に印加する電圧を一時的に下げることにより、その直前まで保持していたイオンを所定のタイミングでコリジョンセル50内から放出する。放出されたイオンは、グリッド電極54及びスキマー55を経て直交加速方式TOFMSの直交加速部56にX軸方向に沿って導入され、所定のタイミングで直交加速部56に加速電圧が印加されると、イオンはZ軸方向に加速されて図示しない飛行空間に導入される。
【0008】
図10(b)において実線は、イオンをイオンガイド51の内部空間に保持しているときのポテンシャル分布である。このとき、出口側ゲート電極53のポテンシャルはイオンガイド(ロッド電極)51のポテンシャルよりも高いため、出口側ゲート電極53に向かって進むイオンは押し戻され、コリジョンセル50内に保持される。
図10(b)において点線は出口側ゲート電極53への印加電圧が下げられたときのポテンシャル分布である。このとき、コリジョンセル50の出口端から直交加速部56に向かって、ポテンシャルは下り傾斜となるため、その直前まで保持されていたイオンは直交加速部56に向かって加速される。
【0009】
イオンガイド51の内部空間に保持されている様々な質量電荷比を持つイオンは、該イオンガイド51からほぼ一斉に放出されるものの、直交加速部56に到達するまでにイオン進行方向(つまりX軸方向)にばらつきが生じる。即ち、各イオンに付与される加速エネルギは略同一であるため、質量電荷比が小さいイオンほど速度は大きい。そのため、質量電荷比が小さなイオンは先行して直交加速部56に達し、質量電荷比が大きくなる順に時間的に遅れて直交加速部56に到達する。
【0010】
直交加速部56では所定のタイミングで加速電圧(文献1における「push-pull voltage」)が印加されるため、その加速電圧の印加時に直交加速部56を通過しているイオンのみが飛行空間に向けて加速され、それ以外のイオンは無駄になる。このイオンの利用効率はデューティサイクル(Duty Cycle)と呼ばれ、次の式で定義される(特許文献2等参照)。
Duty Cycle[%]={(測定に利用したイオン量)/(直交加速部へ到達したイオン量)}×100
【0011】
コリジョンセル50内でのイオンの解離によって様々な質量電荷比のイオンが生成さるが、特許文献1に記載のQ−TOFMSでは、着目している質量電荷比を有するイオンのデューティサイクルを改善するために、コリジョンセル50からイオンを放出するためのパルス電圧の印加時点t
1から直交加速部56における加速電圧の印加時点t
2までの遅延時間t
Dを、測定したい目的イオンの質量電荷比に応じて調整するようにしている(
図10(c)参照)。これにより、分析者が着目しているイオンが直交加速部56を通過するタイミングで加速電圧が印加されるため、特定の質量電荷比を有する目的イオンに対するデューティサイクルは改善され、該イオンの検出感度が向上することになる。
【0012】
しかしながら、上記Q−TOFMSでは次のような問題がある。
(1)上記Q−TOFMSにおいてデューティサイクルが改善されるイオンの質量電荷比を変えるには、遅延時間t
Dを精度良く調整する必要がある。パルス信号の遅延時間をマイクロ秒オーダーで調整するには、高精度のディレイライン等の素子が必要になるが、そうした素子は高価である。また、リニア型イオントラップによるイオンの一時的な保持と該イオンに対するTOFMSでの質量分析とを決まったサイクルで、つまり一定時間間隔で繰り返す場合に、直交加速部56での加速のタイミングが目的イオンの質量電荷比によって変化すると制御が煩雑になる。
【0013】
(2)上記Q−TOFMSでは、分析者が着目しているイオン以外のイオンについては、デューティサイクルは低くなる(或いは、実質的に殆ど検出されない)。例えばMRM(多重反応イオンモニタリング)測定やプリカーサイオンスキャン測定のように観測したいプロダクトイオンの質量電荷比が決まっている場合には、該プロダクトイオンのみを高感度で検出すればよいため、上記Q−TOFMSは有用である。しかしながら、幅広い質量電荷比に亘るイオンについてデューティサイクルを高くすることはできないため、例えばプロダクトイオンスキャン測定やイオンを開裂させない通常のスキャン測定のように、広い質量電荷比範囲に亘るマススペクトルを得たい場合には質量電荷比範囲をずらしながら複数回の測定を行う必要がある。
【0014】
上記(2)の問題を解決するものとして、特許文献3に記載のTOFMSがある。このTOFMSでは、イオンを保持する機能を有するイオンガイドを軸方向に三つに分割し、それら分割されたイオンガイドにそれぞれ異なる電圧を印加可能とする。分割したイオンガイドに印加する高周波電圧を調整するとそれにより形成される擬似ポテンシャルが変化し、保持しているイオンの挙動を軸方向及び径方向にそれぞれ制御することができる。そこで、放出したいイオンの質量電荷比に応じて上記高周波電圧を変化させることにより、異なる質量電荷比を有するイオンを所望の順序で放出し、それらイオンを略同時に空間内の所定地点に到達させることができる。
しかしながら、このTOFMSでは、イオンガイドを軸方向に複数に分割する必要があるとともに、それぞれに異なる高周波電圧を印加可能な電源が必要になる。また、質量電荷比に応じて電圧を変化させる際のシーケンスも複雑である。
【0015】
なお、上述したようなQ−TOFMSではなく、3次元四重極型イオントラップに一旦捕捉したイオンを該イオントラップから一斉に射出して質量分析するイオントラップ飛行時間型質量分析装置においても上記のような直交加速方式TOFMSと同様の問題がある。即ち、こうした質量分析装置では、イオンがその進行方向に広がってイオントラップのイオン入射口に到達した場合、イオントラップ内に捕捉されるのは到達したイオンのうちの所定の時間範囲内に到達したものだけであり、それ以外のイオンはイオン入射口で跳ね返されたり或いはイオントラップを通り抜けてしまったりして測定には利用されない。そのため、イオンが質量電荷比に応じて時間的にずれてイオントラップのイオン入射口に到達すると、一部の質量電荷比範囲のイオンしかイオントラップに捕捉されず、広い質量電荷比範囲に亘るイオンを高い感度で測定することができなくなる。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0016】
【特許文献1】米国特許第6285027号明細書
【特許文献2】特開2010-170848号公報
【特許文献3】米国特許第7456388号明細書
【特許文献4】特開2002-184349号公報
【発明の概要】
【発明が解決しようとする課題】
【0017】
上記(1)の問題を解決するには、コリジョンセルからイオン放出する時点から直交加速部で加速電圧の印加する時点までの遅延時間を一定としながら、目的イオンの質量電荷比に応じて直交加速部で加速されるイオンの質量電荷比を制御可能な構成とすることが必要である。また、上記(2)の問題を解決するには、比較的簡単な構成且つ簡単な制御によって、異なる質量電荷比を有するイオンを略同時に空間内の所望の地点に到達させることが必要である。
【0018】
本発明はこうした課題を解決するために成されたものであり、直交加速方式TOFMS又はイオントラップTOFMSにおいて、簡単な構成及び制御により、目的とする質量電荷比を有する又は目的とする狭い質量電荷比範囲に含まれるイオンを高い感度で測定することを第1の目的としている。また、本発明は、直交加速方式TOFMS又はイオントラップTOFMSにおいて、TOFMSでの測定に利用されるイオンの質量電荷比範囲を広げるとともにそのイオンの損失を抑えることにより、広い質量電荷比範囲に亘るイオンを高い感度で測定することを第2の目的としている。
【課題を解決するための手段】
【0019】
特許文献1に記載されたQ−TOFMSのように、イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを一旦保持したあとに該イオンガイドからイオンを放出して直交加速部に導入する構成の場合、イオンがイオンガイドから直交加速部にまで移動する(飛行する)のに要する移動所要時間は、移動開始時や移動途中でイオンが受けるエネルギの大きさのほか、移動開始時におけるイオンガイド内でのイオンの初期位置、つまりは移動距離に依存する。イオンが受けるエネルギが質量電荷比に依らず一定であるとすると、小さなイオンほど移動時の速度は大きくなるから、イオンガイド内でのイオンの初期位置を前方(即ち、直交加速部から遠ざかる方向)にずらすことで移動所要時間を質量電荷比に依らず揃えることができる。3次元四重極型イオントラップのようにイオンを保持する空間が小さい場合にはイオンの初期位置をずらすことは難しいが、リニア型イオントラップでは3次元四重極型イオントラップに比べてイオンを保持する空間が大きいため、測定対象であるイオンの質量電荷比によってイオンが保持される位置を制御することでイオンの初期位置をずらすことが可能である。
【0020】
本発明は上記原理に基づいてなされたものであり、第1の目的を達成するための本発明の第1の態様は、入射したイオンをその入射軸と直交する方向に加速する直交加速部と、加速されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する直交加速方式の飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるとともにイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するイオンガイドと、該イオンガイドの出口端の外側に配置された出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するとともに、前記イオンガイドからイオンを放出する際には、該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部であって、測定対象であるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じて前記保持時直流電圧を変化させる制御部と、
を備えることを特徴としている。
【0021】
上記第1の目的を達成するための本発明の第2の態様は、入射したイオンを電場の作用により捕捉したあとに所定のタイミングでイオンに加速エネルギを付与して略一斉にイオンを射出するイオントラップ部と、該イオントラップ部から射出されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるとともにイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するイオンガイドと、該イオンガイドの出口端の外側に配置された出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するとともに、前記イオンガイドからイオンを放出する際には、該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部であって、測定対象であるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じて前記保持時直流電圧を変化させる制御部と、
を備えることを特徴としている。
【0022】
また、第2の目的を達成するための本発明の第3の態様は、入射したイオンをその入射軸と直交する方向に加速する直交加速部と、加速されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する直交加速方式の飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるとともにイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するイオンガイドと、該イオンガイドの出口端の外側に配置された出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加し、前記イオンガイドからイオンを放出する前に前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルがさらに高くなるように該出口側ゲート電極へ印加する直流電圧を所定時間だけ変化させ、それに引き続いて、前記イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部と、
を備えることを特徴としている。
【0023】
さらにまた、第2の目的を達成するための本発明の第4の態様は、入射したイオンを電場の作用により捕捉したあとに所定のタイミングでイオンに加速エネルギを付与して略一斉にイオンを射出するイオントラップ部と、該イオントラップ部から射出されたイオンを質量電荷比に応じて分離して検出する分離検出部と、を具備する飛行時間型質量分析装置であって、
a)測定対象であるイオンを一時的に保持するために、高周波電場によってイオンをイオン光軸付近に収束させるとともにイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するイオンガイドと、該イオンガイドの出口端の外側に配置された出口側ゲート電極と、を含むイオン保持部と、
b)前記出口側ゲート電極に直流電圧を印加する電圧印加部と、
c)前記イオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを保持する際に、少なくとも該イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが高くなるような保持時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加し、前記イオンガイドからイオンを放出する前に前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルがさらに高くなるように該出口側ゲート電極へ印加する直流電圧を所定時間だけ変化させ、それに引き続いて、前記イオンガイドの出口端よりも前記出口側ゲート電極におけるポテンシャルが低くなるような放出時直流電圧を該出口側ゲート電極に印加するべく前記電圧印加部を制御する制御部と、
を備えることを特徴としている。
【0024】
本発明に係る第1乃至第4の態様による飛行時間型質量分析装置ではいずれも、イオン保持部のイオンガイドの内部空間に測定対象であるイオンを一旦保持したあとに、該イオン保持部からイオンを放出して直交加速部やイオントラップへと導入する。イオンを保持する際には、出口側ゲート電極の位置におけるポテンシャルがイオンガイドの出口端におけるポテンシャルよりも高くなるように出口側ゲート電極へ所定の直流電圧(保持時直流電圧)を印加する。それによって、イオンガイド出口端と出口側ゲート電極との間にポテンシャル障壁を形成し、イオンガイドの出口端から外側へ出ようとするイオンをイオンガイド側に押し戻す。
【0025】
一方、イオンガイドに印加される直流電圧により、該イオンガイドの内部空間にはイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布が形成されている。そのため、イオンガイド出口側のポテンシャル障壁によって入口端方向に押し戻されたイオンは、その押し戻すエネルギに応じた位置付近まで戻ったところでエネルギを失い、方向を反転して下り傾斜のポテンシャル分布に従って再び出口端方向へ進む。したがって、ポテンシャル障壁が高くイオンを押し戻すエネルギが大きいほど、イオンガイド内部空間でイオン光軸上の手前側の位置までイオンは押し戻される。
【0026】
そこで、本発明に係る第1、第2の態様の飛行時間型質量分析装置では、目的とするイオンの質量電荷比が小さいほどポテンシャル障壁が高くなるように、質量電荷比に応じた保持時間直流電圧を出口側ゲート電極に印加する。これによって、質量電荷比が小さなイオンほどイオンガイド内部空間において手前側、つまりは上記移動距離が大きい初期位置に存在し易くなる。なお、イオンの質量電荷比とそれに対応する適切な保持時間直流電圧との関係は予め実験的に又はシミュレーションにより求めておけばよい。
【0027】
イオンガイドの内部空間に保持されているイオンは或る位置付近に止まった状態にあるわけではないものの、上述したような保持時間直流電圧の制御によって、質量電荷比に応じた異なる初期位置付近により多く存在する。そのため、出口側ゲート電極に放出時直流電圧を印加することでイオンを放出する際に、目的とするイオンの一部又は多くは一定の移動所要時間を実現するのに適切な初期位置から移動を開始することとなり、その一定の移動所要時間経過後に目的とするイオンを直交加速部やイオントラップに入射させることができる。その結果、例えば、イオンをイオンガイドから放出する時点から直交加速部においてイオンを飛行空間に送り出すために加速電圧を印加する時点までの遅延時間を一定に保ったまま、高いデューティサイクルを達成できるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲を自在に変更することができる。
【0028】
なお、本発明に係る第1、第2の態様の飛行時間型質量分析装置において、好ましくは、前記制御部は、測定対象であるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じて前記放出時直流電圧も変化させる構成とするとよい。
【0029】
この構成によれば、イオンガイドの内部空間を出発したイオンが出口側ゲート電極を通過するまでの時間を調整することができるので、目的イオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲に応じて放出時直流電圧を適宜に定めておくことで、イオンが直交加速部やイオントラップに到達する時間をより一層精度良く制御することができる。その結果、目的イオンに対するデューティサイクルを一層高めることができる。
【0030】
一方、本発明に係る第3、第4の態様の飛行時間型質量分析装置では、イオンガイドの内部空間に保持していたイオンを放出する直前に、制御部は、出口側ゲート電極におけるポテンシャルがその以前よりも高くなるように該出口側ゲート電極へ印加する直流電圧を所定時間だけ変化させる。即ち、それまでよりも各イオンに対し大きなエネルギを与えつつ押し戻す。上述したように、質量電荷比が小さなイオンほどイオンガイド内部空間において手前側まで押し戻されるから、そのときの直流電圧の値と該電圧を印加する時間(上記所定時間)を適切に定めることにより、或る程度の広い質量電荷比範囲に亘るイオンをそれぞれ一定の移動所要時間を達成できる初期位置付近まで押し戻すことができる。そうして各イオンを押し戻した状態で出口側ゲート電極に印加する電圧を放出時直流電圧に変化させることによって、様々な質量電荷比を有するイオンそれぞれが一定の移動所要時間を達成できるような初期位置付近から出発することになり、ほぼ同時に直交加速部又はイオントラップに到達する。
【0031】
その結果、第3の態様による飛行時間型質量分析装置では、直交加速部において幅広い質量電荷比範囲に亘るイオンを加速して飛行空間に送り出すことができるので、1回の測定によって、幅広い質量電荷比範囲に亘るイオンの強度情報を得ることができる。また、第4の態様による飛行時間型質量分析装置では、幅広い質量電荷比範囲に亘るイオンをイオントラップに効率良く捕捉することができるので、第3の態様と同様に、1回の測定によって、幅広い質量電荷比範囲に亘るイオンの強度情報を得ることができる。
【0032】
なお、本発明に係る飛行時間型質量分析装置において、イオンガイドがイオン光軸上でイオン進行方向に下り傾斜のポテンシャル分布を有するようにするためには、例えば、イオンガイドを構成する複数本のロッド電極をイオン光軸と平行ではなくイオン光軸に対し傾けて配置することで、イオン光軸に直交する面内でのイオン光軸とロッド電極内周面との間の距離をイオン進行方向に向かうに従い徐々に大きくするとよい。こうした方法は既知である。また、特許文献3に開示されている別の方法を用いてもよい。
【発明の効果】
【0033】
本発明に係る第1の態様による飛行時間型質量分析装置によれば、イオンをイオンガイドから放出する時点から直交加速部において加速電圧を印加する時点までの遅延時間を変更することなく、高いデューティサイクルを達成できるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲を自在に変更することができる。それによって、簡単な構成及び制御により、特定の質量電荷比又は特定の狭い質量電荷比範囲のイオンを高い感度で検出することができる。
【0034】
また、本発明に係る第2の態様による飛行時間型質量分析装置によれば、イオンをイオンガイドから放出する時点からイオントラップに捕捉する時点までの遅延時間を変更することなく、高いイオン捕捉効率を達成できるイオンの質量電荷比又は質量電荷比範囲を自在に変更することができる。それによって、第1の態様と同様に、簡単な構成及び制御により、特定の質量電荷比又は特定の狭い質量電荷比範囲のイオンを高い感度で検出することができる。
【0035】
本発明に係る第3の態様による飛行時間型質量分析装置によれば、幅広い質量電荷比範囲のイオンを無駄にすることなく直交加速部で加速して質量分析に供することができる。即ち、幅広い質量電荷比のイオンに対してデューティサイクルを改善することができるから、広い質量電荷比範囲に亘る高感度なマススペクトルを1回の測定によって得ることができる。
【0036】
また本発明に係る第4の態様による飛行時間型質量分析装置によれば、幅広い質量電荷比範囲のイオンを無駄にすることなくイオントラップ部に捕捉して質量分析に供することができる。したがって、第3の態様による飛行時間型質量分析装置と同様に、広い質量電荷比範囲に亘る高感度なマススペクトルを1回の測定によって得ることができる。
【図面の簡単な説明】
【0037】
【
図1】本発明の第1実施例であるQ−TOFMSの全体構成図。
【
図2】
図1中のコリジョンセルと直交加速部との間の詳細構成図(a)、及び、軸C上の概略ポテンシャル分布図(b)。
【
図3】第1実施例のQ−TOFMSにおけるイオンガイド内部空間でのイオン挙動の説明図。
【
図4】第1実施例のQ−TOFMSにおけるイオン移動のシミュレーション計算の際の想定構成図。
【
図5】質量電荷比に応じてイオンの初期位置を変えたときの放出時直流電圧と移動所要時間との関係のシミュレーション結果を示す図。
【
図6】本発明の第2実施例であるQ−TOFMSにおける軸C上の概略ポテンシャル分布図。
【
図7】第2実施例のQ−TOFMSにおける出口側ゲート電極への印加電圧及び直交加速の印加電圧のタイミング図。
【
図8】第2実施例のQ−TOFMSにおけるイオン移動のシミュレーション計算の際の想定構成図。
【
図9】異なる質量電荷比のイオンに対する押戻し電圧と移動所要時間との関係のシミュレーション結果を示す図。
【
図10】従来のQ−TOFMSにおけるコリジョンセル及び直交加速部の詳細構成図(a)、軸C上のポテンシャル分布図(b)、及び、出口側ゲート電極への印加電圧及び直交加速電圧のタイミング図(c)。
【発明を実施するための形態】
【0038】
以下、本発明の第1実施例であるQ−TOFMSについて、添付図面を参照して説明する。
【0039】
図1は第1実施例のQ−TOFMSの全体構成図である。本実施例のQ−TOFMSは、多段差動排気系の構成を有しており、略大気圧雰囲気であるイオン化室2と最も真空度の高い高真空室6との間に、第1乃至第3なる三つの中間真空室3、4、5がチャンバ1内に配設されている。
【0040】
イオン化室2には、エレクトロスプレイイオン化(ESI)を行うためのESIスプレー7が設けられ、目的化合物を含む試料液がESIスプレー7に供給されると、該スプレー7先端で片寄った電荷を付与されて噴霧された液滴から目的化合物由来のイオンが生成される。なお、イオン化法はこれに限るものではなく、例えば、試料が液体である場合には、ESI以外のAPCI、PESIなどの大気圧イオン化法が使用可能であり、また試料が固体状である場合にはMALDI法などが使用可能であり、試料が気体状である場合にはEI法などが使用可能である。
【0041】
生成された各種イオンは加熱キャピラリ8を通して第1中間真空室3へ送られ、イオンガイド9により収束されてスキマー10を通して第2中間真空室4へ送られる。さらに、イオンはオクタポール型のイオンガイド11により収束されて第3中間真空室5へ送られる。第3中間真空室5内には、四重極マスフィルタ12と、リニアイオントラップとして機能する四重極型のイオンガイド14が内部に設けられたコリジョンセル13とが設置されている。試料由来の各種イオンは四重極マスフィルタ12に導入され、四重極マスフィルタ12に印加されている電圧に応じた特定の質量電荷比を有するイオンのみが該四重極マスフィルタ12を通り抜ける。このイオンはプリカーサイオンとしてコリジョンセル13に導入され、コリジョンセル13内に外部から供給されるCIDガスとの接触によってプリカーサイオンは解離し、各種のプロダクトイオンが生成される。
【0042】
イオンガイド14はリニア型イオントラップとして機能し、生成されたプロダクトイオンはイオンガイド14の内部空間に一時的に保持される。そして、保持されていたイオンは所定のタイミングでコリジョンセル13から放出され、イオン輸送光学系16により案内されつつイオン通過口15を経て高真空室6内に導入される。イオン輸送光学系16は、イオン通過口15を挟んで第3中間真空室5と高真空室6とに跨って配置されている。高真空室6内には、イオン射出源である直交加速部17と、反射器21及びバックプレート22を備えた飛行空間20と、イオン検出器23とが設けられており、直交加速部17にX軸方向に導入されたイオンは所定のタイミングでZ軸方向に加速されることで飛行を開始する。イオンはまず自由飛行したあと反射器21及びバックプレート22により形成される反射電場で折り返され、再び自由飛行してイオン検出器23に到達する。イオンが直交加速部17を出発した時点からイオン検出器23に到達するまでの飛行時間はイオンの質量電荷比に依存する。したがって、イオン検出器23による検出信号を受けた図示しないデータ処理部は、各イオンの飛行時間に基づいて質量電荷比を算出し、例えばマススペクトルを作成する。
【0043】
図2(a)は
図1中のコリジョンセル13と直交加速部17と間の詳細構成図、
図2(b)は軸(この場合にはイオン光軸)C上の概略ポテンシャル分布図である。
【0044】
イオンガイド14は4本のロッド電極からなるが、この4本のロッド電極は
図2(a)に示すように(ただし
図2(a)では軸Cを挟んでZ軸方向に配置された2本のみを描出している)軸Cに平行ではなく、イオン進行方向(図では右方向)に向かって軸Cからの距離が徐々に大きくなるように傾けて配置されている。また、コリジョンセル13の後端面は出口側ゲート電極132となっており、この出口側ゲート電極132とイオンガイド14とが実質的にリニア型イオントラップとして機能する。
【0045】
イオン輸送光学系16は、中央に円形開口を有する円盤状の電極板が軸Cに沿って複数(この例では5枚)配列された構成である。直交加速部17は、入口電極171、押出し電極172、グリッド状の引出し電極173を含む。制御部30の制御の下に、イオンガイド電圧発生部31はイオンガイド14の各ロッド電極に所定の電圧を印加し、出口側ゲート電極電圧発生部32は出口側ゲート電極132に所定の電圧を印加し、イオン輸送光学系電圧発生部33はイオン輸送光学系16に含まれる各電極板にそれぞれ所定の電圧を印加し、直交加速部電圧発生部34は入口電極171、押出し電極172及び引出し電極173にそれぞれ所定の電圧を印加する。
【0046】
本実施例のQ−TOFMSでは、コリジョンセル13内に導入されたイオンを開裂させることで生成したプロダクトイオンをイオンガイド14の内部空間に一旦保持し、その保持したイオンをコリジョンセル13から吐き出してイオン輸送光学系16を通して直交加速部17に導入して質量分析する。その際の動作について、
図2とともに
図3を参照して説明する。
図3はイオンガイド14内部空間でのイオン挙動の説明図である。なお、ここでは、測定対象のイオンが正イオンである場合を例示しているが、測定対象のイオンが負イオンである場合には、電圧の極性を正負反転すればよいことは明らかである。
【0047】
イオンガイド14の内部空間にイオンを保持するとき、イオンガイド電圧発生部31はイオンガイド14を構成する4本のロッド電極にそれぞれ高周波電圧と直流電圧とを加算した電圧を印加する。この高周波電圧はイオンをイオン光軸C付近に収束させる四重極高周波電場を形成するためのものである。一方、直流電圧は主としてイオン光軸C方向にポテンシャル分布を形成するためのものである。また、このとき、出口側ゲート電極電圧発生部32は出口側ゲート電極132に対しイオンガイド14の出口端よりも高い所定の直流電圧を印加する。
【0048】
図2(b)中に示す実線U
1は、イオンガイド14の内部空間にイオンを保持するときの、その内部空間におけるイオン光軸C上の概略ポテンシャル分布である。上述したような電圧の印加によって、イオンガイド14の内部空間におけるポテンシャル分布は入口端から出口端に向かって緩やかに下傾する形状となっている。一方、
図2(b)中に複数の一点鎖線U
2で示すように、出口側ゲート電極132の位置のポテンシャルはイオンガイド14の出口端のポテンシャルよりも高くなっており、イオンガイド14の出口端(
図2(b)中の点P
1の位置)と出口側ゲート電極132(
図2(b)中の点P
2の位置)との間にはポテンシャル障壁が形成されている。
【0049】
上述したようにイオンガイド14の内部空間に形成されている緩やかな下傾状のポテンシャル分布によって、イオンガイド14内に保持されているイオンはイオン進行方向(
図2での右方向)に移動する。そして、イオンガイド14の出口端に達するとポテンシャル障壁によって押し戻される。ここで、制御部30は測定対象であるイオンの質量電荷比に応じて出口側ゲート電極132への印加電圧を変えるように出口側ゲート電極電圧発生部32を制御する。具体的には、測定対象であるイオンの質量電荷比が小さいほど出口側ゲート電極132への印加電圧を高くする。これによって、測定対象であるイオンの質量電荷比が小さいほどポテンシャル障壁が高くなる。
図2(b)中の複数の一点鎖線U
2は、異なる高さのポテンシャル障壁を示している。
【0050】
図3(a)はポテンシャル障壁が高い場合の、つまりは相対的にイオンの質量電荷比が小さい場合のイオンの挙動、
図3(b)はポテンシャル障壁が低い場合の、つまりは相対的にイオンの質量電荷比が大きい場合のイオンの挙動、を示す概念図である。
ポテンシャル障壁によって押し戻されたイオンは、実線U
1で示されるポテンシャルの傾斜を上り、或る位置まで達するとエネルギがゼロになって方向を反転し、再びポテンシャルの傾斜を下る。
図3(a)に示すようにポテンシャル障壁が高いと該障壁の傾斜が急であるため、イオンを押し戻す
力が大きく、押し戻されたイオンはイオンガイド14の出口端から遠い位置(点P
3の位置)まで戻る。これに対し、
図3(b)に示すようにポテンシャル障壁が低いと該障壁の傾斜は相対的に緩いため、イオンを押し戻す
力は小さく、押し戻されたイオンはイオンガイド14の出口端から近い位置(点P
3’の位置)までしか戻らない。
【0051】
即ち、上述したように測定対象であるイオンの質量電荷比に応じて出口側ゲート電極132への印加電圧を変えると、質量電荷比が小さいイオンをイオンガイド14の内部空間においてイオンガイド14の入口端に近い位置に多く存在させ、質量電荷比が相対的に大きいイオンをイオンガイド14の内部空間においてイオンガイド14の入口端から遠い位置に多く存在させることができる。こうして、イオンガイド14の内部空間にイオンを保保持する際に、質量電荷比に応じてイオンが多く存在する部位を変えるようにする。そのあと所定のタイミングで、出口側ゲート電極電圧発生部32は出口側ゲート電極132に印加する電圧を、イオンガイド14の出口端の電圧よりも低くイオン輸送光学系16の初段の電極板への印加電圧よりも高い電圧値まで引き下げる。
図2(b)中に示す点線
U3は、このときのイオンガイド14出口端とイオン輸送光学系16の初段電極板との間の概略ポテンシャル分布である。
【0052】
図2(b)に示すように、上記ポテンシャル障壁はなくなり、イオンガイド14出口端からイオン輸送光学系16に向けて下傾したポテンシャル勾配が形成されるため、イオンガイド14の内部空間に保持されていたイオンはイオン輸送光学系16に向けて一斉に放出される。このとき、イオンガイド14の内部空間においてイオンがイオン輸送光学系16に向けて移動し始める出発点(初期位置)はそのイオンの質量電荷比によって異なり、概ね、質量電荷比が小さいイオンほどイオンガイド14の出口端から遠い位置が出発点となる。放出されたイオンはイオン輸送光学系16を経て直交加速部17に到達するが、質量電荷比が小さいイオンほど直交加速部17に達するまでの移動距離が長くなる。
なお、イオン輸送光学系16においてイオンをイオン光軸C付近に収束させつつ輸送するために、イオン輸送光学系電圧発生部33からイオン輸送光学系16に含まれる各電極板にはそれぞれ異なる電圧が印加されており、厳密にいえばその各電極板の設置位置のポテンシャルは同一ではないが、平均的にみれば一定であるとみなし得るので、
図2(b)では点線でポテンシャル分布を示している。
【0053】
直交加速部17に向けて移動するイオンは主として、イオンガイド14の出口端とイオン輸送光学系16の初段電極板との間の領域に形成される加速電場によってエネルギを付与されるが、このエネルギが一定であるとすると、各イオンの移動速度は質量電荷比に依存し、質量電荷比が小さいほど速度が大きい。一方、質量電荷比が小さいイオンほど移動距離は長いから、質量電荷比が大きなイオンよりも速度が大きくても、直交加速部17に到達するまでに要する移動所要時間の差は小さくすることができる。このことをシミュレーション結果を用いて説明する。
【0054】
図4は第1実施例のQ−TOFMSにおけるイオン移動のシミュレーション計算の際に想定したモデル構成図、
図5は質量電荷比に応じてイオンの初期位置を変えたときの放出時電圧(イオン放出時に出口側ゲート電極132に印加される電圧)と移動時間との関係のシミュレーション結果を示す図である。ここでは、出口側ゲート電極132の位置を基準点(ゼロ)とし、イオン放出時のイオン進行方向を正、その逆方向を負としてイオンの出発位置を示している。例えば、m/z 400のイオンの出発位置は出口側ゲート電極132よりも0.5[mm]手前の位置であるのに対し、より質量電荷比が小さなm/z 100のイオンの出発位置は出口側ゲート電極132よりも5.5[mm]手前の位置である。つまり後者は前者よりも5[mm]だけ移動距離が長い。
【0055】
比較対象のために、イオンガイド14の内部空間にイオンを単に保持したあとに放出した場合、つまりはイオン放出時のイオンの位置が質量電荷比に依らずほぼ同じ位置であると想定される条件の下では、m/z 100、m/z 200、m/z 300、及びm/z 400であるイオンの移動所要時間を計算すると、それぞれ8.19037[usec]、11.5829[usec]、14.1861[usec]、及び16.3807[usec]となる。これに対し、
図5を見ると、例えば放出時電圧が−1.5[V]であるとき、m/z 100であるイオンの移動所要時間は約14[usec]、m/z 400であるイオンの移動所要時間は約16.1[usec]である。したがって、イオンの初期位置をほぼ同じとした上記結果と比べて移動所要時間の範囲は大幅に狭まっており、質量電荷比に応じてイオンの出発位置を調整することで、移動所要時間を概ね揃えることができることが分かる。
【0056】
ただし、イオンの出発位置を変えるとイオンガイド14の内部空間を通過する間にイオンに付与されるエネルギも変わるため、イオンの出発位置を調整するだけで質量電荷比が異なるイオンの移動所要時間を精度良く揃えることは難しい。そこで、放出時直流電圧も測定対象であるイオンの質量電荷比に応じて変化させるようにするとよい。
図5に示した結果によれば、m/z 400であるイオンに対しては放出時直流電圧を約−1.8[V]、m/z 100であるイオンに対しては放出時直流電圧を約−0.4[V]にすれば、移動所要時間をいずれも16[usec]程度に揃えることができる。そこで、こうしたシミュレーションによって又は予備実験によって求めておいた放出時直流電圧と移動所要時間との関係に基づいて、測定対象のイオンの質量電荷比に応じて放出時直流電圧を適切に設定することにより、直交加速部17に到達するまでの時間の質量電荷比依存性を実質的になくすことができる。
【0057】
イオンガイド14(つまりはコリジョンセル13)からイオンが放出される時点から所定の遅延時間が経過して時点で、直交加速部電圧発生部34は押出し電極172及び引出し電極173にそれぞれ加速電圧を印加する。このときの遅延時間は一定であり、上記移動所要時間に対応して予め決められる。直交加速部17において加速電圧が印加される際には、測定対象であるイオンの質量電荷比に拘わらず、その測定対象であるイオンが直交加速部17に導入され、押出し電極172と引出し電極173との間の空間に存在している。それによって、本実施例のQ−TOFMSでは、測定対象であるイオンを確実に飛行空間20に向けて射出し、質量分析に供することができる。
【0058】
次に、本発明の第2実施例であるQ−TOFMSについて、添付図面を参照して説明する。この第2実施例のQ−TOFMSの全体構成は第1実施例と同じであり、制御部30による、出口側ゲート電極電圧発生部32から出口側ゲート電極132への電圧の印加などの制御が第1実施例とは相違する。第2実施例のQ−TOFMSにおける特徴的な制御について、
図6、
図7を参照して説明する。
図6は軸C上の概略ポテンシャル分布図、
図7は出口側ゲート電極への印加電圧及び直交加速の印加電圧のタイミング図である。
【0059】
第2実施例のQ−TOFMSでは、イオンガイド14の内部空間にイオンを保持するとき、イオンガイド電圧発生部31はイオンガイド14を構成する4本のロッド電極にそれぞれ高周波電圧と直流電圧とを加算した電圧を印加し、出口側ゲート電極電圧発生部32は出口側ゲート電極132に対しイオンガイド14の出口端よりも高い所定の直流電圧を印加する。これは第1実施例と同様であるが、このとき、出口側ゲート電極132に印加される電圧は一定である。
図6中には、このときのイオンガイド14の出口端(
図2(b)中の点P
1の位置)とイオン輸送光学系16の初段電極板(
図2(b)中の点P
4の位置)との間のポテンシャル分布を一点鎖線U
2で示している。ポテンシャル障壁の高さは一定である。
【0060】
そして、イオンガイド14の内部空間からイオンを放出する時点よりも所定時間遡った時点で、出口側ゲート電極電圧発生部32は出口側ゲート電極132への印加電圧を大きくする。
図6中には、このときのポテンシャル分布を破線U
5で示している。ポテンシャル障壁を大きくすることで、イオンガイド14の内部空間に保持され、イオンガイド14の出口端に向かったイオンは大きく押し戻されるが、そのとき、質量電荷比が小さなイオンほどイオンガイド14の入口端に近い位置まで押し戻される。大きなポテンシャル障壁が形成される時間はごく短時間であり、それに引き続いて、出口側ゲート電極132への印加電圧はイオンガイド14の出口端の電圧よりも低い電圧に下げられる。これによって、イオンガイド14の内部空間に保持されているイオンは放出されるが、そのときの各イオンの出発位置は質量電荷比に応じて異なり、質量電荷比が小さなイオンほどイオンガイド14の入口端に近くなる。つまり、既に説明したように、質量電荷比によってイオンの移動距離が異なることになる。上述のようにイオン放出の直前にイオンを押し戻すための電圧(押戻し電圧)の値を適宜に設定することで、異なる質量電荷比のイオンの移動所要時間を或る程度揃え、ほぼ同時に直交加速部17に到達させることができる。このことをシミュレーション結果を用いて説明する。
【0061】
図8は第2実施例のQ−TOFMSにおけるイオン移動のシミュレーション計算の際に想定したモデル構成図、
図9は異なる質量電荷比のイオンに対する押戻し電圧と移動所要時間との関係のシミュレーション結果を示す図である。押戻し電圧を印加する時間(
図7中のt)は1.4[usec]としている。
【0062】
上述したように、イオンガイド14の内部空間にイオンを単に保持したあとに放出した場合のイオンの移動所要時間は、m/z 100、m/z 200、m/z 300、及びm/z 400の各イオンに対し、それぞれ8.19037[usec]、11.5829[usec]、14.1861[usec]、及び16.3807[usec]となる。これに対し、4.2[V]の押戻し電圧を印加すると、m/z 100、m/z 200、m/z 300、及びm/z 400の各イオンにおける移動所要時間はそれぞれ、22.6295[usec]、20.0834[usec]、20.7912[usec]、及び22.2793[usec]となる。一般に、直交加速部17においてイオンが加速される領域長は30〜40[mm]程度であり、数usec程度の移動所要時間の差は許容可能である。このことから、押戻し電圧を適切に定めることで、幅広い質量電荷比範囲のイオンがほぼ同時に直交加速部17に導入され、直交加速部17において加速されるようにすることができることが分かる。
【0063】
このように、この第2実施例のQ−TOFMSでは、特定の質量電荷比を有するイオンのみではなく、幅広い質量電荷比範囲のイオンを直交加速部17において加速して飛行空間20に向けて射出し、質量分析に供することができる。それによって、1回の測定により、幅広い質量電荷比範囲のマススペクトルを得ることが可能となる。
【0064】
上記第1、第2実施例は、本発明を直交加速方式TOFMSを用いたQ−TOFMSに適用したものであるが、本発明は、3次元四重極型イオントラップをイオン射出源としたリニアTOFMS又はリフレクトロンTOFMSにも適用することができる。その場合、上記第1、第2実施例の構成における直交加速部17を3次元四重極型イオントラップに置き換えればよい。即ち、イオンガイド14(又はコリジョンセル13)から放出されイオン輸送光学系16を通過したイオンが、3次元四重極型イオントラップのイオン入射口から該イオントラップの内部に導入される構成とすればよい。この場合、イオン入射口を経てイオンが3次元四重極型イオントラップの内部に導入される時間を或る程度の範囲に限定する必要があるが、上記第1実施例の構成を用いることで、特定の質量電荷比を有するイオンを高い効率でイオントラップ内に導入することができる。また、第2実施例の構成を用いることで、より広い質量電荷比範囲のイオンをイオントラップ内に導入することができる。
【0065】
また、上記実施例はいずれも本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜変更、修正、追加などを行っても本願請求の範囲に包含されることは明らかである。
【符号の説明】
【0066】
1…チャンバ
2…イオン化室
3、4、5…中間真空室
6…高真空室
7…ESIスプレー
8…加熱キャピラリ
9…イオンガイド
10…スキマー
11…イオンガイド
12…四重極マスフィルタ
13…コリジョンセル
132…出口側ゲート電極
14…イオンガイド
15…イオン通過口
16…イオン輸送光学系
17…直交加速部
171…入口電極
172…押出し電極
173…引出し電極
20…飛行空間
21…反射器
22…バックプレート
23…イオン検出器
30…制御部
31…イオンガイド電圧発生部
32…出口側ゲート電極電圧発生部
33…イオン輸送光学系電圧発生部
34…直交加速部電圧発生部
C…イオン光軸