【文献】
H.M.GABRIEL, et al.,MORPHOLOGY AND STRUCTURE OF ION-PLATED TiN, TiC AND Ti(C,N) COATINGS,Thin Solid Films,1984年,118(1984),243-254
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
【発明を実施するための形態】
【0018】
以下、本発明の実施形態を図面に基づいて詳細に説明する。ただし、以下の説明は、本質的に例示に過ぎず、本発明、その適用物あるいはその用途を制限するものではない。
【0019】
<金型・工具>
図1に、本実施形態の金型1及び工具2を示す。金型1は、プラスチックやゴム等の成型に用いられる樹脂成形用の金型であり、成型時に樹脂が接する成型面1aに、本発明に係わるコーティング膜10が形成されている。工具2では、腐食性のガスや液が接する外周面にコーティング膜10が形成されている。
【0020】
金型1や工具2の母材には、例えば、SKD11及びSKD61等のダイス鋼、SKH51等の高速度鋼、SK5及びSKS3等の各種工具鋼、超硬材、並びにSUS440C、SUS420J2及びSUS304等のステンレス鋼材等が用いられている。その中でも、耐摩耗性の観点からはダイス鋼や高速度鋼が好ましい。
【0021】
コーティング膜10の下地となる金型1や工具2の表面は、表面粗さ(Ra)が0.1μm以下になるように加工されている。そうすることで、緻密で平滑性の高いコーティング膜10を形成することができ、成型面1a等の滑り特性をより向上させることができる。
【0022】
<コーティング膜>
図1に拡大して示したように、コーティング膜10は、3層構造の複合膜であり、組成の異なる複数の層で構成されている。具体的には、コーティング膜10は、金型1や工具2の表面側から順に積層された、窒化チタン層(TiN層:金属窒化層)11、窒炭化チタン層(TiCN層)12及び炭化チタン層(TiC層)13で構成されている。TiN層11の下側には、更に窒化クロム層(CrN層)を積層してもよい。
【0023】
このような積層構造とすることで、構造的に、コーティング膜10の耐摩耗性を向上させることができる。すなわち、耐摩耗性は、一般に、硬度や弾性率が大きく、摩擦係数が小さくなるほど向上するが、このコーティング膜10では、各組成の特徴を活用し、TiN層11で高弾性率を確保し、TiC層13で高硬度、低摩擦を確保し、TiCN層12でこれらの密着性を確保している。
【0024】
なお、
図1とは異なり、コーティング膜10の各層の境界が明確でなく、組成が厚み方向に沿って次第に移り変わるように、中間のTiCN層12のCとNとの比率が徐々に変化するように構成してもよい。
【0025】
具体的には、
図2に示すように、TiN層11の側からTiC層13の側に向かって、Nの比率が増加し、それに伴ってCの比率が減少するように、TiCN層12の組成を形成する。CとNの比率は、断続的又は連続的に変化させることができる。
【0026】
このように、TiCN層12を、組成が次第に変化する組成移行層とすることで、下面のTiN層11と上面のTiC層13との密着性が高まり、コーティング膜10の全体としての密着性を向上させることができる。
【0027】
コーティング膜10の厚みは、12μm以下、特に8μm以下が好ましい。TiN層11及びTiCN層12の総厚は、2μm〜8μm、特に3〜5μmが好ましい。TiC層13の厚みは1μm以上が好ましい。
【0028】
耐摩耗性の観点から、TiC層13の硬度は、28GPa以上、特に30GPa以上が好ましい。TiC層13の弾性率は270GPa以上が好ましく、特に300GPa以上が好ましい。
【0029】
コーティング膜10の表面は鏡面加工されている。具体的には、TiC層13の外面の最大粗さが10nm以下となるように設定されている。
【0030】
そして、TiC層13は、従来のTiC膜の密度の範囲を大きく超える高密度に形成されている。具体的には、TiC層13の密度は4g/cm
3以上となっている。
【0031】
本発明者らは、実験の過程で、TiC膜の密度を高くすることで、耐摩耗性を損なうことなく耐食性を著しく向上できることを見出した(詳細は後述)。その知見に基づき、更に検討した結果、TiC層13の密度を4g/cm
3以上とすることで、従来のTiN膜と同等以上の耐食性が得られ、耐摩耗性及び耐食性の双方に優れたコーティング膜10が形成できることを見出した。
【0032】
<コーティング膜の形成>
コーティング膜10は、物理蒸着(PVD:Physical Vapor Deposition)法によって、具体的には、カソーディックアークイオンプレーティング法によって形成されている。それにより、金型1や工具2が歪みや変形を生じるおそれのある焼戻し温度以上の高温にしなくてもコーティング膜10が形成できるので、金型1や工具2の高度な寸法精度を得ることができる。
【0033】
カソーディックアークイオンプレーティング法を用いた成膜装置は、広く用いられている。コーティング膜10の形成には、それら成膜装置の中から仕様に応じて適宜選択して使用すればよい。
【0034】
図3に、その成膜装置の基本構造を示す。図示の成膜装置50には、真空チャンバー51、ターゲットホルダ52、ワークホルダ53、ヒーター54などが備えられている。
【0035】
ターゲットホルダ52は、カソード部52aやアノード部52b、アーク電源52cなどで構成されている。カソード部52aは、円柱状の部材であり、その一方の端面が真空チャンバー51の中央に臨むように真空チャンバー51の側壁に設置されている。
【0036】
アノード部52bは、カソード部52aよりも大径の円筒状の部材であり、カソード部52aの周囲に配置されている。カソード部52aに、アーク電源52cの陽極側が接続され、アノード部52bに、アーク電源52cの負極側が接続されている。
【0037】
ターゲットホルダ52には、磁石等で構成された磁界形成機構も備えられていて、真空チャンバー51内に指向性のある磁界を形成する。
【0038】
ワークホルダ53は、ターンテーブル53a、バイアス電源53bなどで構成されている。ターンテーブル53aは、真空チャンバー51の底壁に設置され、縦軸回りに回転する。バイアス電源53aはワークホルダ53に接続されている。
【0039】
真空チャンバー51の内部には、ガス導入口51aを通じて成膜材料とされる材料ガスが導入される。真空チャンバー51にはまた、真空ポンプ51cに接続されており、排気口51bを通じて真空チャンバー51の内部からガスが排出される。
【0040】
膜の形成時には、カソード部52aの端面に、円盤形状をした成膜材料(ターゲットT)が取り付けられる。また、ワークホルダ53の上に、コーティング膜10を形成するワークW(金型1や工具2の母材)が取り付けられる。そうして、真空チャンバー51の内部が減圧された後、材料ガスが真空チャンバー51に導入され、真空チャンバー51の内圧は、例えば、2.0〜3.5Paに維持される。
【0041】
ヒーター54でワークWを加熱し、ターゲットホルダ52でアーク放電を発生させると、ターゲットTの一部が昇華して陽イオン化し、材料ガスも陽イオン化する。それにより、真空チャンバー51の内部に、ターゲットTや材料ガスのイオンが漂うイオン雰囲気が形成される。
【0042】
そのイオン雰囲気の下で、ワークWに負のバイアス電圧が印加される。また、ターゲットホルダ52により、磁力線がターゲットTからワークWに向かう磁界が形成される。
【0043】
そうすると、ターゲットTや材料ガスのイオンは、磁力線に誘導されながらワークWに引き寄せられる。その結果、ターゲットT及び材料ガスのイオンがワークWの表面に堆積し、膜が形成される。
【0044】
コーティング膜10を形成する際には、ターゲットTにチタンを使用し、材料ガスに窒素ガスを使用して、ワークWにTiN層11が形成される。そして、窒素ガスから窒素ガスと炭化水素ガスの混合ガスに代えて、TiCN層12が形成され、炭化水素ガスに代えて、TiC層13が形成される。
【0045】
このとき、TiC層13の密度を高めるには、TiC層13の結晶構造が緻密になるように、TiC層13の形成過程でワークWの表面に十分なエネルギーを供給することが必要になる。
【0046】
その方法の1つとして、ワークWの温度を高めることが考えられるが、熱変形等を防ぐためにはワークWの温度を母材の焼戻し温度以下に抑える必要があるため、ワークWの温度を高くして対処するのは難しい。
【0047】
そこで、本実施形態では、イオンのエネルギーに着目し、Tiイオンや炭化水素ガスイオンのエネルギーを大きくすることにより、ワークWの温度を過度に高めることなく、ワークWの表面に十分なエネルギーを供給している。具体的には、磁界の調整により、ワークWへ向かうイオン電流密度を従来より2〜4倍に向上させている。
【0048】
そうすることで、各イオンをワークWへ効率よく導きながら、各イオンを通じて高エネルギーをワークWの表面に供給することが可能になり、ワークWの熱変形等を招かずに、高密度なTiC層13を実現している。
【0049】
<比較試験>
(試験サンプルの作製)
試験サンプルの母材(サンプル母材ともいう)には、直径10mm,長さ90mmのダイス鋼(SKD11)を使用した。サンプル母材の表面は、Ra=0.05μm程度に鏡面仕上げした。
【0050】
カソーディックアークイオンプレーティング法による成膜装置(成膜装置50として説明する)を用いて、サンプル母材にコーティング膜10を形成した。具体的には、ターンテーブル53aの上にサンプル母材をセットし、ターゲットホルダ52にターゲットTとして純チタン(JIS2種)をセットした。真空チャンバー51の内部を減圧し、3×10
-3Paとした。サンプル母材の温度はヒーター54で450℃に加熱した。
【0051】
コーティング膜10の形成に先立ち、アルゴンガスを真空チャンバー51の内部に導入し、アルゴンボンバードを行うことにより、サンプル母材の表面をクリーニングした。
【0052】
続いて、アルゴンガスに代えて窒素ガスを真空チャンバー51の内部に導入し、真空チャンバー51の内圧を2.7Paに維持した。その状態で、ターゲットホルダ52でアーク放電を発生させることにより、ターゲットTを昇華させ、真空チャンバー51の内部にTiイオンと窒素イオンの雰囲気を形成した。
【0053】
そうして、ターゲットホルダ52を介してサンプル母材にバイアス電圧を印加することにより、サンプル母材の表面にTiN層11を形成した。厚みが約1μmになるまでTiN層11を形成した後、窒素ガスを徐々にメタンガスに切り換えていくことで、厚みが約2μmのTiCN層12を形成した。
【0054】
メタンガスに完全に切り替わった後も膜の形成を継続することで、厚みが約1μmのTiC層13を形成した。その際、磁界の調整により、ワークWへ向かうイオン電流密度を従来よりも2倍以上に高めた。
【0055】
このようにして、異なるイオン電流密度でサンプル母材のコーティングを行い、2つの試験サンプルを作製した(実施例1,2)。
【0056】
(試験サンプルの密度)
実施例1,2の各TiC層13の密度(g/cm
3)は、ATX−G(株式会社リガク製)を用い、X線反射率分析法(XRR)により測定した。測定時における諸条件は以下の通りである。
・X線発生部:対陰極 Cu、出力50kV,300mA
・検出部:シンチレーションカウンタ
・入射光学系:Ge(111) 非対称ビーム圧縮結晶
・スリット:入射側 S1=1×10,S2=0.05×5
受光側 RS=0.1×10,GS=0.2×-
(単位:幅[mm]×高さ[mm],GSでは高さは省略)
・走査速度:0.2°/分
・ステップ幅:0.001°
・解析範囲:0.3°〜3.0°
【0059】
(硬度、弾性率の測定)
実施例1,2と、同等条件の下でTiN膜をコーティングした試験サンプル(比較例)とについて、硬度及び弾性率を測定した。
【0060】
硬度及び弾性率は、ナノインデンテーション装置(Hysitron社製:TI-950 Triboindenter)を用いて測定した。ダイヤモンド圧子には、稜線角が115°の三角錐のBerkovich型を使用した。
【0061】
ダイヤモンド圧子の押し込み加重を1000μNとし、2秒押し込んで5秒保持した後2秒で復帰させる一連の処理を行った(N=10)。各処理から荷重−変位曲線を求め、得られた荷重−変位曲線から硬度及び弾性率を求め、平均値を算出し、これを測定値とした。その測定結果を表2に示す。
【0063】
実施例1,2の硬度は、比較例と同等かそれ以上であり、実施例1,2の弾性率は、比較例と同等かそれ以下であることが確認された。
【0064】
(耐摩耗性の比較)
先の実施例1,2と、比較例との3つの試験サンプルを用いて耐摩耗性の比較を行った。
【0065】
耐摩耗性の比較は、リングオンディスク方式による各試験サンプルの動摩擦係数の測定後に、各試験サンプルに残る摩耗痕の段差の最大値(最大摩擦量)を測定し、それらを比較した。
【0066】
図4に、その試験に用いた回転ディスクD及びリングRを示す。回転ディスクDは、外径φ1が46mmの円盤状のダイス鋼(SKD11,HRC60±2)であり、その上面に試験対象とされるコーティング膜がコーティングされている。
【0067】
リングRは、炭素鋼(S55C,HRC50±2)で、内径φ3が20mm、外径φ2が25.6mmの円筒状に形成されている。
【0068】
摩擦摩耗試験機(オリエンテック社製:EFM-III-1010)を用いて、100rpmで回転する各回転ディスクDの上面に、リングRの端面を押し付けて50kgfの荷重を与えながら所定時間、リングRと回転ディスクDとを擦り合わせた。
【0069】
その結果、
図5に示すように、リングRと擦り合わせた各回転ディスクDの上面には、円形の摩耗痕が認められた。
【0070】
段差計(KLAT−Tencor社製:Alpha-Step IQ)を用いて最大摩擦量を測定した。測定条件(針の半径:5.0μm,スキャン範囲:3000μm,スキャン速度:100μm/s,サンプリングレート:50Hz)
【0073】
実施例1、2の最大摩耗量は、比較例と比べると極めて小さく、実施例1,2は、比較例と比べて優れた耐摩耗性を有していることが確認された。
【0074】
(耐食性の比較)
先の実施例1,2、比較例、参考例との4つの試験サンプルを用いて耐食性の測定を行い、比較した。
【0075】
測定では、コーティング部分のみが塩酸に接するようにして、測定に供した各試験サンプルを、常温(20±15℃)下で10%(w/w)の塩酸に浸漬した。浸漬後、1日毎に各試験サンプルの重量変化を測定し、塩酸と接していたコーティング膜10の面積当たりの減量(腐食減量)を求めた。
【0076】
図6に、その測定結果を示す。各測定値は平均値を表している(N=3)。浸漬3日後には、参考例で腐食減量の大幅な増加が認められたが、実施例1,2の腐食減量の変化は、浸漬3日後でも比較例と大差はなく、TiN膜と同等の耐食性を有していることが確認された。
【0077】
浸漬3日後の腐食減量が3mg/cm
2以下であれば、実用的には、十分な耐食性があるといえる。
【0078】
図7に、TiC層13の密度と浸漬3日後の腐食減量との関係を示す。これら両者の間には、一次的な相関関係が認められた。両者の関係から、浸漬3日後の腐食減量を3mg/cm
2以下にするには、TiC層13の密度を4mg/cm
3以上にすればよいことが解る。
【0079】
従って、コーティング膜の表面を覆っている炭化チタン層の密度を、4g/cm
3以上にすれば、耐摩耗性、耐食性の双方に優れたコーティング膜を得ることができ、金型等の工具の耐久性を向上させることができる。