【課題を解決するための手段】
【0008】
そこで、本発明者らは、前述のような観点から、工具基体表面上に形成した下部層を構成するTi化合物の結晶粒とその上に形成した上部層を構成するAl
2O
3の結晶粒との間のエピタキシャル関係を制御することに着眼して鋭意研究を重ねた。
その結果、NaCl型面心立方晶の結晶構造を有する{112}面の法線方向を持つTiの炭窒化物(TiCN)層を構成する個々の結晶粒の上に最密六方晶の結晶構造を有するα−Al
2O
3の結晶粒を結晶の方位分布を制御してエピタキシャル成長させることにより、工具基体表面から硬質被覆層の表層部まで連続した強固な集合組織が構成され、その集合組織が硬質被覆層の表層部で生じた亀裂の進展を阻止し、硬質被覆層の耐チッピング性が向上するという知見を得た。
【0009】
本発明は、この知見に基づき、前記集合組織について鋭意研究を重ねた結果、完成に至ったものであって、
「(1) 炭化タングステン基超硬合金または炭窒化チタン基サーメットで構成された工具基体の表面に硬質被覆層を設けた表面被覆切削工具において、前記硬質被覆層が化学蒸着された下部層と上部層とからなるとともに、
(a)前記下部層は、少なくとも1層のNaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiの炭窒化合物層を含み、かつ、3〜20μmの合計平均層厚を有する1層または2層以上からなるTi化合物層であり、
(b)前記上部層が1〜20μmの平均層厚を有するα型の結晶構造のAl
2O
3層であり、
(c)前記下部層のTiの炭窒化物層および前記上部層のα型の結晶構造を有するAl
2O
3層について電子後方散乱回折装置を用いて垂直断面研磨面の測定範囲内に存在する個々の結晶粒の結晶方位を解析した場合、前記
工具基体の表面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうちの0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで現した場合、工具基体表面の法線方向に対する前記Tiの炭窒化物層の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角が0〜10度の範囲内にある結晶粒の度数割合が下部層全体の15−35%の割合を示し、かつ、前記
工具基体の表面の法線に対して、前記結晶粒の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角を測定し、前記測定傾斜角のうちの0〜45度の範囲内にある測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで現した場合、工具基体表面の法線方向に対する前記α型の結晶構造を有するAl
2O
3層の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角が0〜10度の範囲内にある結晶粒の度数割合が上部層全体の10−25%の割合を示し、
(d)前記工具基体の法線方向とAl
2O
3層の結晶面である(0001)面の法線方向がなす角度が10度以下のAl
2O
3の結晶粒において、当該Al
2O
3の結晶粒の(0001)面の法線方向との方位差の絶対値が5度以内である{112}面の法線方向を持つTi炭窒化物の結晶粒の少なくとも一部が、当該Al
2O
3の結晶粒の基体表面に平行な方向の最大幅に対応する下部層の領域に存在する割合が、当該Al
2O
3の結晶粒の50〜70%であることを特徴とする表面被覆切削工具。
(2) 前記工具基体の法線方向とAl
2O
3層の結晶面である(0001)面の法線方向がなす角度が10〜20度のAl
2O
3の結晶粒において、当該Al
2O
3の結晶粒の(0001)面の法線方向との方位差の絶対値が5度以内である{112}面の法線方向を持つTi炭窒化物の結晶粒の少なくとも一部が、当該Al
2O
3の結晶粒の基体表面に平行な方向の最大幅に対応する下部層の領域に存在する割合が、当該Al
2O
3の結晶粒の30〜50%であることを特徴とする(1)に記載の表面被覆切削工具。」
に特徴を有するものである。
【0010】
以下に、本発明の被覆工具の硬質被覆層の構成層について詳細に説明する。
(a)Ti化合物層(下部層):
Ti化合物層(例えば、TiC層、TiN層、TiCN層、TiCO層およびTiCNO層)は、基本的にはα−Al
2O
3層の下部層として存在し、自身の具備するすぐれた高温強度によって硬質被覆層が高温強度を具備するようになるほか工具基体および上部層のα−Al
2O
3層のいずれにも密着し、硬質被覆層の工具基体に対する密着性を維持する作用を有する。しかしながら、その平均層厚が3μm未満では、前記作用を十分に発揮させることができず、一方、その平均層厚が20μmを越えると、特に高熱発生を伴う高速重切削・高速断続切削では熱塑性変形を起し易くなり、これが偏摩耗の原因となることから、その平均層厚を3〜20μmと定めた。
さらに、上部層と相俟って後述するようなエピタキシャル成長した集合組織を形成するために、前記TiCN層は、少なくともエピタキシャル成長した{112}面の法線方向を持つNaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiCN結晶粒を含む必要がある。
下部層を構成するTiCN層は、通常の化学蒸着装置を使用して、例えば、
反応ガス組成(容量%):TiCl
4 1.5〜3%、CH
3CN 0.2〜0.5%、N
2 20〜40%、残部H
2、
反応雰囲気温度:870〜930℃、
反応雰囲気圧力:3〜10kPa、
の条件で目標平均層厚になるまで化学蒸着することによって形成することができる。
【0011】
(b)上部層:
上部層を構成する最密六方晶の結晶構造を有するα−Al
2O
3層は、すぐれた高温硬さと耐熱性を有している。しかしながら、上部層の平均層厚が1μm未満では前記特性を硬質被覆層に十分に具備せしめることができず、一方、その平均層厚が20μmを越えると、切削時に発生する高熱と切刃に作用する断続的かつ衝撃的高負荷によって、偏摩耗の原因となる熱塑性変形が発生し易くなり、摩耗が加速するようになるため好ましくない。したがって、その平均層厚は1〜20μmと定めた。
【0012】
前記(c)では、エピタキシャル成長している下部層のNaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiCN結晶粒と上部層の最密六方晶の結晶構造を有するα−Al
2O
3結晶粒のそれぞれの存在割合を規定している。ここで、下部層の炭窒化物層の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角が0〜10度の範囲内にある結晶粒の度数割合が下部層全体の15%以下である場合、上部層のα−Al
2O
3層とエピタキシャル関係を有するTiCN層の割合が小さくなり、層間の密着性が低下するため、本発明が期待する効果が十分に奏されず、反対に下部層の炭窒化物層の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角が0〜10度の範囲内にある結晶粒の度数割合が下部層全体の35%以上である場合、上部層のα−Al
2O
3層の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角が0〜10度の範囲内にある結晶粒の度数割合が25%以上となり、表面から深さ方向に伝播するクラックの逃げ道が少なくなるため、硬質被覆層表面に生じたクラックが工具基体まで到達しやすくなる。また、上部層のα−Al
2O
3層の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角が0〜10度の範囲内にある結晶粒の度数割合が上部層全体の10%以下である場合、下部層のTiCN層とエピタキシャル関係を有するα−Al
2O
3粒子の割合が小さくなり、層間の密着性が低下するため、本発明が期待する効果が十分に奏されない。そこで、下部層および上部層全体に対するエピタキシャル成長している結晶粒の存在割合を垂直断面における度数割合で表し、それぞれ、15〜35%および10〜25%と定めた。
【0013】
前記(d)では、エピタキシャル成長している下部層のNaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiCN結晶粒の上に、エピタキシャル成長している上部層の最密六方晶の結晶構造を有するα−Al
2O
3結晶粒がどれぐらい存在しているかを規定している。
すなわち、(c)で規定したようなエピタキシャル成長している下部層のNaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiCNの結晶粒と上部層の最密六方晶の結晶構造を有するα−Al
2O
3結晶粒とが無秩序に存在していると、それぞれの層における度数割合の最大値を掛け合わせて、0.35×0.25で0.0875、すなわち、下部層と上部層でエピタキシャル成長している結晶粒のうち、下部層と上部層で連続してエピタキシャル成長している結晶粒の存在割合は、硬質被覆層全体に対して高々8.75%である。
それに対して、本発明は、エピタキシャル成長している上部層の最密六方晶の結晶構造を有するα−Al
2O
3の結晶粒の工具基体表面に平行な方向の最大幅に対応する下部層の領域にエピタキシャル成長しているNaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiCNの結晶粒が存在する度数割合が、当該α−Al
2O
3の結晶粒全体の50〜70%である点を特徴としている。この値を硬質被覆層全体に対する度数割合に換算すると、α−Al
2O
3結晶粒の下部層全体に対する存在割合が10〜25%であることから、12.5〜17.5%となる。
すなわち、前述の無秩序に存在している場合に比べ、本発明の硬質被覆層は、下部層から上部層まで連続してエピタキシャル成長している結晶粒を優先的に成長させて強固な集合組織を形成させており、それによって、硬質被覆層の表面に発生したクラックが硬質被覆層全体に進展することを抑制している。
しかしながら、工具基体の法線方向とα−Al
2O
3の結晶面である(0001)面の法線方向がなす角度が10度以下のα−Al
2O
3結晶粒、すなわち、エピタキシャル成長しているα−Al
2O
3結晶粒の(0001)面の法線方向との方位差の絶対値が5度以内である{112}面の法線方向を持つTiCN結晶粒の工具基体表面に平行な方向の結晶幅の半分以上が、前記エピタキシャル成長しているα−Al
2O
3結晶粒の工具基体表面に平行な方向の最大幅に対応する下部層の領域に存在する度数割合が、当該α−Al
2O
3結晶粒全体を100%とした時に50%未満では、下部層から上部層まで連続してエピタキシャル成長している結晶粒が少ないため本発明が期待する効果が十分に奏されない。反対に、その割合が70%を超えると下部層から上部層まで連続してエピタキシャル成長している結晶粒が多すぎるため、表面から深さ方向に伝播するクラックの逃げ道が少なくなるため、硬質被覆層表面に生じたクラックが工具基体まで到達しやすくなる。そこで、前述の割合を50〜70%と定めた。
下部層から上部層まで連続してエピタキシャル成長している結晶粒の割合をこのように規定することは、本発明者らが集合組織の形成に着目して鋭意研究した結果得られた新たな知見に基づくものであり、この点について何ら考慮されていない前述した特許文献1や特許文献2に記載されているような従来技術とは明確に区別されるものである。
【0014】
前述したようにエピタキシャル成長している下部層のNaCl型面心立方晶の結晶構造を有する{112}面配向TiCN結晶粒の上に、エピタキシャル成長しているα−Al
2O
3結晶粒を所定の度数割合で形成させるためには、例えば、次のような方法を用いることができる。
まず、前述のように成膜した下部層としてのNaCl型面心立方晶の結晶構造を有する{112}面配向TiCN層の表面に、例えば、
反応ガス組成(容量%):CO 3〜5%、CO
2 3〜5%、残部H
2、
反応雰囲気温度:980〜1040℃、
反応雰囲気圧力:5〜15kPa、
時間:2〜5min、
という条件で、COとCO
2混合ガスによる酸化処理を行った後、例えば、
反応ガス組成(容量%):AlCl
3 1〜3%、CO
2 1〜5%、HCl 0.3〜1.0%、残部H
2、
反応雰囲気温度:980〜1040℃、
反応雰囲気圧力:5〜15kPa、
時間:5〜30min、
の条件でAl
2O
3を初期成長させる。次いで、例えば、
反応ガス組成(容量%):AlCl
3 1〜3%、CO
2 1〜5%、HCl 0.3〜1.0%、H
2S 0.1〜0.3%、残部H
2、
反応雰囲気温度:980〜1040℃、
反応雰囲気圧力:5〜15kPa、
という条件で目標とする上部層の平均層厚になるまで化学蒸着する。
すなわち、下部層上にα−Al
2O
3の生成の核となるAl
2O
3の初期成長工程およびそれに続く上部層成長工程の蒸着条件を変えることにより下部層のエピタキシャル成長しているTiCN結晶粒の上部にエピタキシャル成長するα−Al
2O
3結晶粒の存在割合を制御することができる。
【0015】
前記(a)の下部層に含まれるNaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiCN結晶粒および上部層のα−Al
2O
3結晶粒について、電子線後方散乱回折装置を用い、
図1に示される通り、その垂直断面研磨面の測定範囲内に存在するNaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiCN結晶粒およびα−Al
2O
3結晶粒の個々に電子線を照射する。そして、前記工具基体の表面の法線に対して、NaCl型面心立方晶の結晶構造を有するTiCN結晶粒の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角およびα−Al
2O
3結晶粒の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角をそれぞれ測定し傾斜角度数分布グラフを求めた。そして、前記傾斜角が0〜10度の範囲内にある結晶粒の度数全体に対する度数割合を求めた。
【0016】
その結果、測定傾斜角を0.25度のピッチ毎に区分すると共に、各区分内に存在する度数を集計してなる傾斜角度数分布グラフで表した場合、
図2および
図3に例示される通り、傾斜角区分の特定位置にシャープな最高ピークが現れ、試験結果によれば、各層の形成時の化学蒸着装置における反応雰囲気圧力を、前述の通り、それぞれ、3〜10kPaおよび5〜15kPaの範囲内で変化させると、前記シャープな最高ピークの現れる位置が傾斜角区分の0〜10度の範囲内で変化すると共に、前記0〜10度の範囲内に存在する度数の合計は、傾斜角度数分布グラフにおける度数全体の10〜25%の割合を占めるようになる。
【0017】
さらに、工具基体の表面の法線に対して(0001)面の法線がなす傾斜角が10度以下のα−Al
2O
3結晶粒の個々に対して、α−Al
2O
3結晶粒の(0001)面の法線が{112}面の法線方向との方位差が5度以内であるTiCN結晶粒の少なくとも一部が、前記α−Al
2O
3の結晶粒の工具基体表面に平行な方向の最大幅に対応する下部層の領域に存在する度数割合を次のような方法で求めた。
【0018】
電子線後方散乱回折装置を用い、電子線を照射したTiCN結晶粒およびα−Al
2O
3結晶粒個々に対する、TiCN結晶粒の結晶面である{112}面の法線がなす傾斜角およびα−Al
2O
3結晶粒の結晶面である(0001)面の法線がなす傾斜角の値、工具基体表面に平行な方向の結晶幅を算出する。上部層のα−Al
2O
3の結晶粒と下部層TiCN結晶粒が隣接するというのは、上部層α−Al
2O
3の一結晶粒の工具基体表面に平行な方向の結晶幅に対し、下部層TiCN結晶粒の一結晶粒の工具基体表面に平行な方向の結晶幅の半分以上が隣接関係にある場合をいう。その隣接関係にある粒子それぞれの法線がなす傾斜角を算出し、観察範囲全域での角度差の分布を作成する。その分布全体の中で、α−Al
2O
3結晶粒の(0001)面の法線が{112}面の法線方向との方位差が5度以内である度数割合を算出し、この値を(0001)面の法線がなす傾斜角が10度以下のα−Al
2O
3結晶粒の中で上記を満足する結晶粒の度数割合とした。
【0019】
本発明は、前述のように下部層の{112}面配向を示すTiCN結晶粒の上に(0001)面配向のα−Al
2O
3結晶粒を成長させることにより、TiCNとAl
2O
3の集合組織ができ、その結果、クラックの進展を抑制するものである。そのエピタキシャル成長の状態を電子線後方散乱回折装置による結晶方位の解析結果に基づき定義しているが、実際のエピタキシャル成長は、{112}面配向を示すTiCNと(0001)面配向のα−Al
2O
3の傾斜角はある程度の幅(ぶれ)を持っていても前述したような集合組織を形成する。そのため、前述の規定に加えて、工具基体の法線方向とα−Al
2O
3層の結晶面である(0001)面の法線方向がなす角度が10〜20度のα−Al
2O
3の結晶粒において該結晶粒の(0001)面の法線方向との方位差の絶対値が5度以内であるTiCN{112}面の法線方向を持つTiCNの結晶粒の工具基体表面に平行な方向の結晶幅の半分以上が、前記α−Al
2O
3の結晶粒の工具基体表面に平行な方向の最大幅に対応する下部層の領域に存在する度数割合が、当該α−Al
2O
3の結晶粒全体の30〜50%であるという条件を満足することにより、いっそうクラックの進展を抑制することができる。