特許第6226619号(P6226619)IP Force 特許公報掲載プロジェクト 2022.1.31 β版

知財求人 - 知財ポータルサイト「IP Force」

▶ 大日本印刷株式会社の特許一覧 ▶ 学校法人東京女子医科大学の特許一覧

<>
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000003
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000004
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000005
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000006
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000007
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000008
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000009
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000010
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000011
  • 特許6226619-細胞培養用器具 図000012
< >
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】特許公報(B2)
(11)【特許番号】6226619
(24)【登録日】2017年10月20日
(45)【発行日】2017年11月8日
(54)【発明の名称】細胞培養用器具
(51)【国際特許分類】
   C12M 3/04 20060101AFI20171030BHJP
【FI】
   C12M3/04
【請求項の数】6
【全頁数】13
(21)【出願番号】特願2013-161456(P2013-161456)
(22)【出願日】2013年8月2日
(65)【公開番号】特開2015-29469(P2015-29469A)
(43)【公開日】2015年2月16日
【審査請求日】2016年7月29日
(73)【特許権者】
【識別番号】000002897
【氏名又は名称】大日本印刷株式会社
(73)【特許権者】
【識別番号】591173198
【氏名又は名称】学校法人東京女子医科大学
(74)【代理人】
【識別番号】100091096
【弁理士】
【氏名又は名称】平木 祐輔
(74)【代理人】
【識別番号】100118773
【弁理士】
【氏名又は名称】藤田 節
(74)【代理人】
【識別番号】100125508
【弁理士】
【氏名又は名称】藤井 愛
(72)【発明者】
【氏名】黒田 正敏
(72)【発明者】
【氏名】原口 裕次
(72)【発明者】
【氏名】清水 達也
(72)【発明者】
【氏名】岡野 光夫
【審査官】 安居 拓哉
(56)【参考文献】
【文献】 特開2012−120443(JP,A)
【文献】 特開2012−105608(JP,A)
(58)【調査した分野】(Int.Cl.,DB名)
C12M 1/00−3/00
JSTPlus/JMEDPlus/JST7580(JDreamIII)
CAplus/REGISTRY/MEDLINE/EMBASE/BIOSIS(STN)
(57)【特許請求の範囲】
【請求項1】
刺激により、細胞接着性を発現している状態から、細胞非接着性を発現している状態に変化する刺激応答性領域のパターンが形成された基材を備える細胞培養用器具であって、刺激応答性領域のパターンの形状が反転前後で互いに識別可能である、前記細胞培養用器具。
【請求項2】
刺激応答性領域のパターンが非線対称な形状である、請求項1記載の細胞培養用器具。
【請求項3】
刺激応答性領域のパターンが把持部を有する形状である、請求項1又は2記載の細胞培養用器具。
【請求項4】
把持部が突起状である、請求項3記載の細胞培養用器具。
【請求項5】
刺激応答性領域のパターンが多角形又は円形に突起状の把持部が付加された形状である、請求項3又は4記載の細胞培養用器具。
【請求項6】
刺激応答性領域のパターンが温度変化に応答して、細胞接着性を発現している状態から、細胞非接着性を発現している状態に変化する領域である、請求項1〜5のいずれか1項記載の細胞培養用器具。
【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、細胞生物学研究、医学研究、臨床検査等、細胞培養を伴う技術分野に用いられる、細胞培養用器具に関するものである。
【背景技術】
【0002】
従来から細胞生物学の分野では細胞培養が不可欠である。近年、幹細胞研究や再生医療研究が盛んになるに伴い、ますます細胞培養の技術開発の重要性が高まっている。
【0003】
細胞をシート状に培養し、トリプシンなどの酵素を使用せずに温度を低下させるだけで細胞をシート状に回収する「細胞シート工学」という技術が再生医療分野で注目されている。その際に使用されるのが、温度応答性ポリマーを結合させた温度応答性細胞培養基材である。特許文献1には、水に対する上限もしくは下限臨界溶解温度が0〜80℃である温度応答性ポリマーで基材表面を被覆した細胞培養基材上において、細胞を上限臨界溶解温度未満又は下限臨界溶解温度以上で培養し、その後上限臨界溶解温度以上又は下限臨界溶解温度未満にすることにより酵素処理なくして培養細胞を剥離させる方法が記載されている。
【0004】
細胞シート工学によって得られる細胞シートは角膜や歯周組織などの再生医療で既に一定の治療効果も確認され欧州で既に臨床研究や治験が進められている。また、複数の種類からなる細胞シートを積層することによる三次元組織モデルの作製や血管組織を伴う成熟した組織を生体外で作製することも可能であり今後ますます本技術をベースにした研究や治療が期待される。
【0005】
温度応答性細胞培養基材で細胞シートを回収すると細胞外マトリックスが細胞側に残った状態で剥離することが蛍光染色などで確かめられている。しかし、細胞外マトリックスの存在を肉眼で確認することは不可能であった。また、細胞シートを用いる再生医療においては、生体外で作製した細胞シートを直接患部に貼付する必要があるが、その際、細胞外マトリックスが細胞シートの生着に与える影響については知られていなかった。
【0006】
特許文献2には、細胞の裏面を容易に観察可能な細胞培養基材について記載されている。しかし、この細胞培養基材は細胞シートを基材に接着させたまま細胞の裏面を観察するためのものである。したがって、この細胞培養基材を用いても細胞シートの剥離後に細胞外マトリックスが存在する面を特定することはできない。
【先行技術文献】
【特許文献】
【0007】
【特許文献1】特許1972502号
【特許文献2】特開2012−105608号公報
【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0008】
本発明者らは、細胞培養基材から回収した細胞シートの再接着における生着性が、細胞外マトリックスの影響を強く受けることを見出した。しかし、細胞培養基材から細胞シートが剥離した後はどちらの面に細胞外マトリックスが存在するか識別不能であり、細胞外マトリックスが存在する面が接するように再接着させることが困難であることも見出した。
【0009】
本発明は、上記知見に基づくものであり、細胞シートが剥離した後も、容易かつ非侵襲的に細胞シートの細胞外マトリックス側を目視で識別しうる手段を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0010】
本発明者らは、細胞培養用器具において、反転前後で互いに識別可能な形状の細胞シートが得られるように、刺激応答性領域のパターン形状を設計することにより、上記課題が解決できることを見出し、本発明を完成した。
【0011】
すなわち、本発明は以下の発明を包含する。
(1)刺激により細胞の接着性が変化する刺激応答性領域のパターンが形成された基材を備える細胞培養用器具であって、刺激応答性領域のパターンの形状が反転前後で互いに識別可能である、前記細胞培養用器具。
(2)刺激応答性領域のパターンが非線対称な形状である、(1)記載の細胞培養用器具。
(3)刺激応答性領域のパターンが把持部を有する形状である、(1)又は(2)記載の細胞培養用器具。
(4)把持部が突起状である、(3)記載の細胞培養用器具。
(5)刺激応答性領域のパターンが多角形又は円形に突起状の把持部が付加された形状である、(3)又は(4)記載の細胞培養用器具。
(6)刺激応答性領域のパターンが温度変化に応答して細胞接着性が変化する領域である、(1)〜(5)のいずれかに記載の細胞培養用器具。
【発明の効果】
【0012】
本発明により、細胞培養用器具から剥離した細胞シートの表裏の判別が可能になり、細胞シートの再接着不良の発生を抑制することができる。
【図面の簡単な説明】
【0013】
図1】本発明の細胞培養用器具の製造方法の一例を示す概略図である。
図2】本発明の細胞培養用器具の製造方法の一例を示す概略図である。
図3】本発明の細胞培養用器具の他の例を示す概略平面図である。
図4】刺激応答性領域のパターンの形状の例を示す概略平面図である。
図5】刺激応答性領域のパターンの形状の例を示す概略平面図である。
図6】刺激応答性領域のパターンの形状の例を示す概略平面図である。
図7】刺激応答性領域のパターンの形状の例を示す概略平面図である。
図8】刺激応答性領域のパターンの形状の例を示す概略平面図である。
図9】刺激応答性領域のパターンの形状の例を示す概略平面図である。
図10】本発明の細胞培養用器具を用いて作製された細胞シートの写真である。
【発明を実施するための形態】
【0014】
本発明の細胞培養用器具は、刺激応答性領域のパターンが形成された基材を少なくとも備える。刺激応答性領域は、刺激により細胞の接着性を変化させることにより培養する細胞の接着及び剥離を行うことができるものである。刺激応答性領域は、好ましくは、特定の刺激により細胞の接着性が高い細胞接着性を発現している状態から、細胞の接着性が低い細胞非接着性を発現している状態に変化し得るものである。
【0015】
細胞接着性を発現しているとは、細胞が接着、伸展しやすく、細胞接着伸展率が高い状態、具体的には、細胞接着伸展率が60%以上、好ましくは80%以上である状態をいう。また、細胞非接着性を発現している場合とは、細胞が接着、伸展しにくく、細胞接着伸展率が低い状態、具体的には、細胞接着伸展率が5%以下、好ましくは2%以下である状態をいう。
【0016】
細胞接着伸展率は、播種密度が4000cells/cm以上30000cells/cm未満の範囲内でたとえば、ウシ血管内皮細胞を播種し、37℃インキュベーター内(CO濃度5%)に保管し、3時間培養した時点で接着伸展している細胞の割合({(接着している細胞数)/(播種した細胞数)}×100(%))を表す。
【0017】
刺激応答性領域に細胞を播種すると、細胞接着性を発現している際には細胞が刺激応答性領域に接着するが、細胞非接着性を発現している際には細胞の刺激応答性領域への接着が阻害されるため、接着していた細胞を剥離することができる。したがって、細胞接着性を発現している刺激応答性領域に細胞を播種して接着させ培養することにより細胞シートを形成し、特定の刺激により刺激応答性領域を細胞非接着性を発現している状態に変化させることにより、細胞シートを剥離して取得することができる。細胞シートは、細胞間結合で細胞同士が少なくとも単層で結合され、シートを形成しているものである。播種した細胞は、細胞非接着性を発現している刺激応答性領域に接着することから、刺激によって細胞を剥離した後に得られる細胞シートの形状は、刺激応答性領域のパターンの形状、すなわち平面形状を反映したもの、好ましくは略同一又は略相似形となる。
【0018】
細胞培養用器具の形状は、基材を構成する部分を有している限り特に限定されない。基材は板状又はフィルム状とすることができる。刺激応答性領域のパターンが形成された基材上の領域が容器の内底面となるように、当該領域の周囲から側壁が立設されていることが好ましい。側壁と基材とは一体に形成されていてもよいし、側壁を構成する部材と基材とを別に形成した後に組み合わせてもよい。
【0019】
本発明の好ましい実施形態としては、基材と、側壁を構成する部材とを別に形成し、次いで接着剤等を用いて接着する形態が挙げられる。例えば図1に示すように、培養皿(1)と、その形状が反転前後で互いに識別可能である刺激応答性領域のパターン(2)を有する基材(3)とを用意し、基材のパターン側の面が培養皿の内底面となるように基材を培養皿に貼り合わせて本発明の細胞培養用器具とする形態や、図2に示すように、刺激応答性領域を全面に有する基材を、反転前後で互いに識別可能であるパターンに切り取り、培養皿の底面に接着材等によって接着する形態が考えられる。この場合、培養皿からなる基材上に刺激応答性領域のパターンが形成されることになる。
【0020】
基材を構成する材料としては、金属、ガラス、セラミック、プラスチック、エラストマー等やこれらの複合材を用いることができるがこれらには限定されない。特に透明な材料が望ましい。細胞の顕微鏡観察を容易にするからである。金等の蒸着層も厚さ50nm程度なら光透過性を有するので好適に用いることができる。プラスチックとしては、特に制限されないが、ポリエチレンテレフタレート(PET)、ポリスチレン(PS)、ポリカーボネート(PC)、TAC(トリアセチルセルロース)、ポリイミド(PI)、ナイロン(Ny)、低密度ポリエチレン(LDPE)、中密度ポリエチレン(MDPE)、塩化ビニル、塩化ビニリデン、ポリフェニレンサルファイド、ポリエーテルサルフォン、ポリエチレンナフタレート、ポリプロピレン、アクリル等が挙げられる。
【0021】
上記のような基材を構成する材料は、細胞非接着性であってもよく、その表面は細胞非接着性領域(4)となる。そのような基材上に刺激応答性領域(2)を形成すると、播種した細胞は、細胞非接着性領域には接着せず細胞接着性の刺激応答性領域にのみ接着し、刺激応答性領域のパターン形状と略同一又は略相似形の細胞シートを形成することになる。そして、特定の刺激により刺激応答性領域を細胞非接着性に変化させることにより、形成された細胞シートを剥離して取得することができる。刺激応答性領域を全面に有する基材をパターンに切り取って培養皿の底面に接着する形態では、培養皿を上記のような基材、好ましくは細胞非接着性の基材で構成することにより、同様に刺激応答性領域のパターン形状と略同一又は略相似形の細胞シートを形成することができる。
【0022】
本発明は、基材上の刺激応答性領域の形状が反転前後で互いに識別可能であることを特徴とする。従来は、剥離後の細胞シートの表裏の判別が不可能であったため、細胞シートを培養皿等に再接着させた場合に、再接着しにくいものが一定の確率で含まれていたが、本発明では細胞シートの形状から細胞シートの表裏を判別可能であるため、再接着不良の不具合を事前に判断し、必要に応じて再度反転させることによって、再接着不良の発生を抑制することが可能になる。
【0023】
反転前後で互いに識別可能な形状としては、非線対称な形状が挙げられる。非線対称な形状とは、ある直線を軸として図形を反転させても自らと重なり合わない形状をいう。換言すれば、刺激応答性領域のパターンの形状は、該領域上に形成されて剥離した細胞シートが反転前後で互いに識別可能となるような形状である。刺激応答性領域から得られる細胞シートの形状は、刺激応答性領域のパターンの形状と略同一又は略相似形であるが、剥離して浮遊した細胞シートは弾力性があり多少伸縮することから、刺激応答性領域のパターンの形状が非線対称な形状であって反転前後で互いに識別可能な形状であっても、該領域上に形成されて剥離した細胞シートが反転前後で互いに識別が難しい場合がある。例えば、刺激応答性領域のパターンの反転前後の形状の差が微差である場合は、得られる細胞シートの伸縮により反転前後で互いに識別することが難しい場合がある。したがって、得られる細胞シートの形状が反転前後で互いに目視で識別可能な程度に、刺激応答性領域のパターンの形状は、反転前後の形状にある程度の差があり、反転前後の形状が明確に相違することが好ましい。
【0024】
刺激応答性領域のパターンの形状は、反転前後で互いに識別可能な限り、用途に応じて、適宜選択できる。例えば、非線対称な多角形などが挙げられる。非線対称な多角形には、辺の長さがすべて等しい正多角形は含まれない。非線対称な多角形の具体例としては、非線対称な三角形、例えば二等辺三角形及び正三角形を除く三角形、正四角形及び長方形を除く四角形、例えば、ひし形を除く平行四辺形(例えば、図3)、等脚台形を除く台形(例えば、図4)などが挙げられる。
【0025】
刺激応答性領域の内部に、細胞非接着性領域が存在することにより、全体として非線対称となった形状でもよい。例えば、図5に示すように、細胞非接着性領域のパターン形状を非線対称な形状とすることにより、全体として非線対称で反転前後の形状を識別可能な形状としてもよい。この場合の、細胞非接着性領域の非線対称なパターン形状の例については、刺激応答性領域の非線対称なパターン形状と同様である。また、図6に示すように、細胞非接着性領域のパターン形状が線対称であっても、刺激応答性領域の内部において細胞非接着性領域を存在させる位置を選択することにより、例えば細胞非接着性領域を複数存在させ、互いに非線対称な位置に配置することにより、全体として非線対称で反転前後の形状を識別可能な形状としてもよい。あるいは、図7に示すように、突起状の部分(5)を付加することにより、全体として非線対称となった形状でもよい。さらに、細胞応答性領域のパターン形状は、把持部を有する形状であることが好ましい。把持部とは、細胞応答性領域上に形成された細胞シートを取り扱うときに、ピンセット等で把持するために使用しうる部位をさす。細胞シートは、患者の患部等に再接着させることが想定されるが、非常に傷つきやすく、ピンセット等で把持するとその部分の細胞が損傷するおそれがある。したがって、把持部を設けることにより、細胞シートにおける実際に機能させる部分への損傷を抑制することができる。したがって、把持部は、ピンセット等で把持することが可能なサイズや形状を有することが好ましい。把持部に存在していた細胞が損傷している場合などは、再接着後にトリミング等を行うことにより、把持部を取り除くこともできる。
【0026】
把持部を有するパターン形状は特に制限されないが、図8及び9に示すように、円形又は多角形の形状に突起状の把持部(6)が付加されたパターン形状が好ましい。上述のとおり、円形又は多角形が線対称な形状であっても、突起状の把持部が付加されることにより、全体として非線対称な形状のパターンであって反転前後の形状が識別可能であればよい。例えば、図8に示すように、突起状の把持部(6)の形状を非線対称な形状とすることにより、たとえそれが付加されている円形又は多角形が線対称であっても、反転前後の形状を識別可能にできる。また、図9に示すように、突起状の把持部が付加されている円形又は多角形が線対称であっても、突起状の把持部を付加する位置を対称軸上からはずすことによって、全体として非線対称な形状のパターンであって、反転前後の形状が識別可能なものとすることができる。把持部の面積は、特に制限されないが、好ましくは10mm〜400mm程度である。把持部の占める割合は、細胞応答性領域の全面積に対し、好ましくは3〜25%程度である。3%以上とすることで、比較的容易に目視確認が可能であり、25%以下とすることで、全体が非線対称な形状であっても、細胞接着性領域の面積を確保でき、培養効率の低下を防止できる。
【0027】
刺激応答性領域は、刺激応答性材料の層をその表面に有する領域である。刺激応答性材料としては、刺激の有無により細胞の接着性が変化し、培養する細胞の接着及び剥離を行うことができるものであれば特に限定されるものではなく、例えば、温度、光、pH、電位及び磁力によりそれぞれ細胞の接着性が変化する温度応答性材料、光応答性材料、pH応答性材料、電位応答性材料、及び磁力応答性材料等を挙げることができる。本発明においては、なかでも、温度応答性材料であることが好ましい。
【0028】
温度応答性材料は、温度変化により、細胞の接着性が変化するものであれば特に限定されるものではない。温度応答性材料の細胞接着性を発揮する温度領域が、10℃〜45℃の範囲内であることが好ましく、なかでも、33℃〜40℃の範囲内であることが好ましい。温度領域が上述の範囲内であることにより、細胞を安定的に培養することができるからである。温度応答性材料の細胞非接着性を発揮する温度領域が、1℃〜36℃の範囲内であることが好ましく、なかでも、4℃〜32℃の範囲内であることが好ましい。温度領域が上述の範囲内であることにより、細胞へのダメージの少ないものとすることができる。
【0029】
温度応答性材料としては、具体的には、ポリ−N−イソプロピルアクリルアミド(PIPAAm)、ポリ−N−n−プロピルアクリルアミド、ポリ−N−n−プロピルメタクリルアミド、ポリ−N−エトキシエチルアクリルアミド、ポリ−N−テトラヒドロフルフリルアクリルアミド、ポリ−N−テトラヒドロフルフリルメタクリルアミド、及び、ポリ−N,N−ジエチルアクリルアミド等の温度応答性ポリマーを挙げることができ、なかでもPIPAAm、ポリ−N−n―プロピルメタクリルアミド、ポリ−N,N−ジエチルアクリルアミドを好ましく用いることができ、特に、PIPAAmを好ましく用いることができる。細胞接着性を有する温度領域及び細胞非接着性を有する温度領域が上述の温度領域であり、ダメージの少ないものとすることができるからである。
【0030】
温度応答性材料は1種類のみからなるものであってもよく、2種類以上含むものであってもよい。また、温度領域の調整するため、温度応答性材料同士及び/又はその他のポリマーと共重合したものを用いるものであってもよい。
【0031】
光応答性材料としては、光照射の有無により細胞の接着性が変化するものであれば特に限定されるものではなく、例えば、特開2005−210936号公報に開示されるような、光触媒や、アゾベンゼン、ジアリールエテン、スピロピラン、スピロオキサジン、フルギド及びロイコ色素等の光応答成分を含むものを用いることができる。
【0032】
電位応答性材料としては、電位の印加により、細胞の接着性が変化するものであれば特に限定されるものではなく、例えば、特開2008−295382号公報に開示されるような、電極と、RGD配列を含むペプチド等の細胞接着性部分を有し、上記電極表面にチオレートを介して結合するアルカンチオール、システイン、アルカンジスルフィド等のスペーサ物質とを有するものを挙げることができる。
【0033】
磁力応答性材料としては、磁力の付与・除去により細胞の接着性が変化するものであれば特に限定されるものではなく、例えば、特開2005−312386号公報に開示されるような、フェライト等の磁性粒子を正電荷リポソームに封入した磁性粒子封入正電荷リポソームを挙げることができる。
【0034】
刺激応答性材料の層の膜厚としては、刺激応答性を発揮することができるものであれば特に限定されるものではなく、具体的には、0.5nm〜300nmの範囲内であることが好ましく、なかでも1nm〜100nmの範囲内であることが好ましい。また、刺激応答性材料の層の被覆量として、0.3〜6.0μg/cmであることが好ましい。
【0035】
刺激応答性材料の層の形成方法としては、特に限定されるものではない。具体的には、刺激応答性材料を含む組成物をスピンコート等の公知の塗布方法を用いて基材上に塗布する。基材上で刺激応答性領域のパターンを形成する場合は、フォトリソグラフィー法によりパターニングする方法や、グラビア印刷やフレキソ印刷、スクリーン印刷、インクジェット法などの公知のパターン塗布法を用いてパターン状に塗布する方法を使用できる。貫通孔(スルーホール)を有するメタルマスク等を介して、パターン状に刺激応答性領域を電子線や紫外線処理することによって作製してもよい。刺激応答性材料が光触媒等の無機物のみからなるものである場合には、スパッタリング法、CVD法、真空蒸着法等の真空製膜法を用いる方法を挙げることができる。
【0036】
本発明の細胞培養用器具を用いて作製される細胞シートは、剥離後に培養皿や患部等に再接着させる場合に、細胞外マトリックスが存在する側を容易に判別可能であることから、確実に生着させることができ、再接着不良の発生を抑制することが可能になる。ここで生着とは、他の臓器や組織に移植された細胞が、新しい場所で生きて機能し始めることをいう。
【0037】
細胞シートを構成する細胞としては、血球系等の非接着性細胞、細胞間結合の弱い細胞以外なら、生体に存在するあらゆる組織とそれに由来する細胞を用いることができる。本発明の細胞培養用器具は、細胞外マトリックスを生成する細胞を含む細胞シートの作製に好適に用いられる。細胞外マトリックスには、コラーゲン、フィブロネクチン、ラミニン、エラスチン、プロテオグリカン、ヒアルロン酸などが含まれる。
【0038】
具体的には、生体内の各組織、臓器を構成する上皮細胞や内皮細胞、収縮性を示す骨格筋細胞、平滑筋細胞、心筋細胞、神経系を構成するニューロン、グリア細胞、繊維芽細胞、生体の代謝に関係する肝実質細胞、非肝実質細胞や脂肪細胞、分化能を有する細胞として、種々組織に存在する幹細胞、さらには骨髄細胞、ES細胞等を用いることができる。細胞は、1種類のみであってもよく、2種類以上用いるものであってもよい。
【0039】
以下に実施例を示して、本発明をさらに具体的に説明するが、本発明の範囲は実施例の範囲に限定されるものではない。
【実施例】
【0040】
温度応答性領域から回収した細胞シートの生着性に関し、細胞シートの細胞外マトリックスが及ぼす影響を調査した。
【0041】
N−イソプロピルアクリルアミドが最終濃度20重量%、エチレングリコールが最終濃度10重量%になるようにイソプロピルアルコール(IPA)に溶解させた。市販のポリスチレンフィルム(OPSフィルム、旭化成ケミカルズ社)を調達し、ここに上記溶液を、フィルム上に展開し、ミヤバーでコーティングした。電子線照射装置(岩崎電気社製)を用いて該サンプル上に電子線照射を行い、該溶液をグラフト重合することにより、フィルム基材上にポリN−イソプロピルアクリルアミドからなる温度応答性材料の層を形成し、温度応答性フィルムとした。このときの電子線照射線量は60kGyであった。
【0042】
続いて、作成した温度応答性フィルムを図4に示す形状にカットし、60mmφポリスチレンディッシュに貼り付けて、細胞培養用器具Aを作製した。コントロールとして温度応答性フィルムを円形にカットし、同様に60mmφポリスチレンディッシュに貼り付けて、細胞培養用器具Bを作製した。
【0043】
得られた細胞培養用器具に対し、C2C12細胞(マウス由来筋芽細胞)を、2.5×10cells/cmになるように調整し、細胞培養用器具内に播種した。このとき、使用した培地は10%FBS含有DMEM(シグマ製)であった。培養はCOインキュベーターで37℃、5%COの条件にて行い、培養1日後顕微鏡観察したところ、細胞が培養用器具の温度応答性フィルムに接着している様子が確認された。その後、培養用器具を20℃、5%CO条件下のインキュベーターに入庫した。30分後、20℃のインキュベーターから出庫したところ、接着していた細胞が剥離し、細胞培養用器具A及びBから、それぞれC2C12細胞シートが回収された(図10)。
【0044】
100%FBSで150分間プレコートしたTCPS(ベクトンディッキンソン社製細胞培養ポリスチレンディッシュ)基材に、Haraguchi et al(Nat Protoc.2012 Apr 5;7(5):850−8)の方法を用いて、細胞培養用器具A及びBからそれぞれ回収した細胞シートを再接着させた。再接着条件はMatsuura et al(Biomaterials.2011 Oct;32(30):7355−62)の方法を参考にし、10分と設定した。
【0045】
細胞培養用器具Bから回収した細胞シートが円形のため再接着時にシートが反転しているか判別不可能であったのに対し、細胞培養用器具Aから回収した細胞シートでは、細胞培養用器具上の温度応答性フィルムの形状と得られた細胞シートの形状を照合することにより反転の有無を目視で判別可能であった。細胞外マトリックスを有する面がTCPS基材側になるように再接着させた群をA−Normal、反転したものをA−flipとした。細胞培養用器具Bから回収した細胞シートを表裏を判別せずにTCPS基材に再接着させた群をBとした。
【0046】
シェーカー(Barnstead Lab−Line LAB ROTATOR)を用いて110rpmで1分間揺動した後に、細胞シートが生着しているかを判定した。結果を表1に示す。
【0047】
【表1】
【0048】
細胞培養用器具Aから回収した細胞シートでは、反転の有無を目視で判別可能であることから、細胞外マトリックスを有する面が基材側になるように再接着させた群(A−Normal群)と反転した群(A−flip群)を識別でき、A−Normal群では細胞シートの生着性は良好であったのに対し、A−flip群では細胞シートの生着性は不良であった。したがって、温度応答性領域から回収した細胞シートの生着性は、細胞外マトリックスの影響を強く受けることが示された。
【0049】
一方、細胞培養用器具Bから回収した細胞シートは、再接着時に細胞シートが反転しているか判別不可能であることから、細胞外マトリックスを有する面が基材側になって再接着したものと反対側の面が基材側になって再接着したものが存在したと考えられ、前者の場合のみ細胞シートの生着性が良好であったと考えられる。したがって、細胞シートの反転の有無が判別不可能な場合は、細胞シートの良好な生着性を得ることができないことがわかった。
【符号の説明】
【0050】
1:培養皿
2:刺激応答性領域
3:基材
4:細胞非接着性領域
5:突起状の部分
6:把持部
図1
図2
図3
図4
図5
図6
図7
図8
図9
図10