【実施例】
【0042】
以下、本発明におけるマーカータンパク質の選定手順及び本発明の効果を実証するために行った実験について説明を行う。
【0043】
(1)菌株及び培養条件
タンパク質質量データベースを構築するために、O157、O26、及びO111菌株を27株と、その他の大腸菌23株の合わせて50菌株を使用した(
図3、4)。これらの株は、ナショナルバイオリソースプロジェクト(NBRP, 病原菌部門, 岐阜大学, 岐阜市, 日本)、アメリカン・タイプ・カルチャー・コレクション(American Type Culture Collection, ATCC, ロックビル, メリーランド州, 米国)、ジャパン・コレクション・オブ・マイクロオルガニズムズ(Japan Collection of Microorganisms, JCM, 独立行政法人理化学研究所バイオリソースセンター, つくば市, 日本)、及び独立行政法人製品評価技術基盤機構生物遺伝資源センター(NBRC, 木更津市, 日本)から購入した。また、一部の菌株(WT-141, WT-351, 及びWT-352)は野外より単離した。培養には、ニュートリエントブロス(Becton Dickinson, Franklin Lakes, ニュージャージー州, 米国)又はLBブロス(ナカライ, 京都市, 日本)を使用した。また、本発明に係る微生物識別方法の効果を実証するための盲検試験(blind test)に大腸菌13株を使用した。これらは、1996年〜2010年に食品試料から単離され、従来の技術によりO157であると識別された菌株であり、それぞれjfrc 01-13と命名した(
図4参照)。
【0044】
(2)タンパク質質量データベースの構築
リボソームサブユニットタンパク質及びバイオマーカー候補のタンパク質のアミノ酸配列を、米国の国立生物工学情報センター(National Center for Biotechnology Information、NCBI)のデータベースより入手した。各タンパク質の計算質量の算出には、スイス生物情報科学機構により提供されるExPASyプロテオミクスサーバーのCompute pI/Mw tool を使用した。このとき、最後から2番目のアミノ酸残基がGly, Ala, Ser, Pro, Val, Thr, 又はCysである場合には、N−末端メチオニンが切断されるものとして前記計算質量を算出した。なお、ゲノム未解読の株については、S10-spc-alphaオペロンにコードされるリボソームタンパク質、及びバイオマーカー候補のタンパク質のDNA塩基配列をDNAシークエンシングにより決定した。具体的には、リボソームタンパク質遺伝子の領域(〜5kbp)及びバイオマーカータンパク質の領域を、それぞれNCBIのデータベースより入手した大腸菌ゲノム解読株の対象領域の上流及び下流のコンセンサス配列に基づいて設計したプライマーを使用し、高正確性(high fidelity)DNAポリメラーゼであるKOD plus(東洋紡,大阪, 日本)を用いたPCR(Polymerase Chain Reaction)によって増幅した。DNAシークエンシングは、Big Dye ver. 3.1 Cycle Sequencing Kit(アプライド・バイオシステムズ, Foster City, カリフォルニア州)を用いて行った。PCR及びDNAシークエンシングに使用したプライマーを
図5及び
図6に示す。
以上で得られた上記50菌株の塩基配列及びアミノ酸配列を配列表の配列番号1〜2
8に示す。各配列番号に対応する配列の概要は以下の通りである。
配列番号1:O157におけるS15のDNA塩基配列。
配列番号2:その他の大腸菌1(NBRC13893以外の非O157菌株)におけるS15のDNA塩基配列。
配列番号3:その他の大腸菌2(NBRC13893)におけるS15のDNA塩基配列。
配列番号4:O157におけるS15のアミノ酸配列。
配列番号5:前記その他の大腸菌1におけるS15のアミノ酸配列。
配列番号6:前記その他の大腸菌2におけるS15のアミノ酸配列。
配列番号7:O157におけるL25のDNA塩基配列。
配列番号8:その他の大腸菌3(NBRC 15034, NBRC 14237,ATCC BAA-1743, JCM16575以外の非O157菌株)におけるL25のDNA塩基配列。
配列番号9:その他の大腸菌4(NBRC 15034, NBRC 14237,ATCC BAA-1743, JCM16575)におけるL25のDNA塩基配列。
配列番号10:O157におけるL25のアミノ酸配列。
配列番号11:前記その他の大腸菌3におけるL25のアミノ酸配列。
配列番号12:前記その他の大腸菌4におけるL25のアミノ酸配列。
配列番号13:O157におけるHdeBのDNA塩基配列。
配列番号14:その他の大腸菌5(上記50菌株の内の非O157菌株全て)におけるHdeBのDNA塩基配列。
配列番号15:O157におけるHdeBのアミノ酸配列。
配列番号16:前記その他の大腸菌5におけるHdeBのアミノ酸配列。
配列番号17:O26及びO111におけるH−NSのDNA塩基配列。
配列番号18:その他の大腸菌6(NBRC 3301, NBRC 3972, NBRC 13891, GTC 14518, GTC 14529, GTC 14603)におけるH−NSのDNA塩基配列。
配列番号19:その他の大腸菌7(NBRC 3548, NBRC 12734, GTC 14602, NBRC 13168, GTC 14530, GTC 14601)におけるH−NSのDNA塩基配列。
配列番号20:その他の大腸菌8(NBRC 14237, NBRC 15034)におけるH−NSのDNA塩基配列。
配列番号21:その他の大腸菌9(NBRC 13893)におけるH−NSのDNA塩基配列。
配列番号22:その他の大腸菌10(上記その他の大腸菌6〜9以外の非O26・O111菌株)におけるH−NSのDNA塩基配列。
配列番号23:O26及びO111におけるH−NSのアミノ酸配列。
配列番号24:前記その他の大腸菌6におけるH−NSのアミノ酸配列。
配列番号25:前記その他の大腸菌7におけるH−NSのアミノ酸配列。
配列番号26:前記その他の大腸菌8におけるH−NSのアミノ酸配列。
配列番号27:前記その他の大腸菌9におけるH−NSのアミノ酸配列。
配列番号28:前記その他の大腸菌10におけるH−NSのアミノ酸配列。
【0045】
(3)MALDI−TOF MSによる測定
寒天培地上のコロニーの菌体、又は液体培地から遠心分離により回収した菌体を使用した。コロニーは鋼製プレートに直接載置し、液体培地から回収した菌体はTMA-Iバッファ(10 mM Tris-HCl ph 7.8, 30 mM NH
4Cl, 10 mM MgCl
2, 6mM 2-メルカプトエタノール)で洗浄し、同バッファに懸濁した状態で鋼製プレートに載置した。鋼製プレート上にて約10
7 cfuの菌体を、50 v/v%アセトニトリル、1 v/v%トリフルオロ酢酸溶液中に20 mg/mLのシナピン酸(和光純薬工業製)又はα-シアノ-4-ヒドロキシけい皮酸(CHCA)を含んで成る1 μlのマトリックス溶液と十分に混合した。混合液はサンプルプレートに滴下し、自然乾燥させた。MALDI−TOF MS測定にはAXIMA微生物同定システム(島津製作所, 京都市, 日本)を使用し、ポジティブリニアモード、スペクトルレンジ2000m/z〜200000m/zにて試料の測定を行った。上述の計算質量を測定された質量電荷比と許容誤差500 ppmでマッチングし、適宜修正を施した。
【0046】
以上の結果、S10-spc-alphaオペロンにコードされるリボソームタンパク質のうち、
図7及び
図8に示されていないもの、すなわちS10、L3、L4、L23、S19、L22、S3、L16、L29、S17、L14、L5、S8、L6、L18、L30、L36、S11、S4、及びL17については計算質量がいずれの菌株でも同一であった。また、L24、S5、及びS13は、その計算質量からバイオマーカーの候補と考えられたが、質量差が小さかったり、分子量が大きすぎたりしたためにピーク形状が不明瞭であり、安定的なバイオマーカーとしては不適当であった。一方、リボソームタンパク質S15とL25については、GTC 14550とGTC14553を除く全てのO157の菌株において、他の大腸菌(例えばK−12グループ)と比べて特有且つ明確な質量シフトが観測された(
図9参照)。また、同図に示すように、これらのタンパク質のピークの強度及び鮮鋭度はO157と他の大腸菌とを区別するのに十分なものであった。このことは、マトリックス溶液にシナピン酸を用いた場合でもCHCAを用いた場合でも同様であり、更にコロニーから直接採取した菌体を用いた場合でも液体培地から抽出してギ酸に懸濁した菌体を用いた場合でも同様であった。これらタンパク質のDNA塩基配列によると、O157に特異的な、リボソームタンパク質S15におけるA239Gの点変
異がQ80Rのアミノ酸残基の変化を生じており、その結果、該タンパク質のm/zが10138.6から10166.6に変化していた。同様に、O157に特異的な、リボソームタンパク質L25におけるG150Aの点変
異がM50Iのアミノ酸残基の変化を生じており、その結果、該タンパク質のm/zが10694.4から10676.4に変化していた。なお、これら2つのリボソームタンパク質は、NBRC 13893, NBRC 15034, NBRC 14237, ATCC BAA-1743,及びJCM16575の計算質量においても質量シフトが見られた(
図7及び
図8参照)が、シフト量が非常に小さいため実際のMALDI−TOF MS分析ではこれらは他の大腸菌と区別できなかった。
【0047】
なお、非EHEC株では酸ストレスシャペロンHdeBに対応するm/z 9066.2のピークが観測されるのに対し、本実験に使用した全てのO157菌株においてこのピークは観測されなかった。このことは非特許文献1の記載と一致している。HdeB遺伝子のDNA塩基配列によると、開始コドンと考えられるATGの領域が、全てのO157菌株で点変異によりATAとなっているのに対し、大腸菌の他の菌株ではATGのままであることが確認された。このことはHdeBのピークがO157だけで欠落していることとよく一致している。
【0048】
また、O26及びO111についてはDNA結合タンパク質H−NSに対応するピークにおいて他の大腸菌と比べて特有且つ明確な質量シフトが観測された(
図7、
図8及び
図10参照)。配列解析によると、O26及びO111のH−NSタンパク質においてA81Sのアミノ酸置換が観察された。なお、非EHEC株であるNBRC 13893においてもH−NSタンパク質の質量シフトが観測され(
図8参照)、配列解析によると、同菌株ではH−NS遺伝子のコード領域中に12塩基の挿入がみられた。但し、同菌株におけるH−NSの質量電荷比は15882.0であり、O26及びO111の質量電荷比(m/z 15425.4)と大きく異なるため、両者は容易に区別可能である。
【0049】
更に、タンパク質YdaQに相当するm/z 8325.6のピークについても菌株によって観測されないものがあった(
図7及び
図8参照)。このことから、同タンパク質もそれに相当するピークの有無に基づいて大腸菌を分類するための補助的なバイオマーカーとして利用できると考えられる。
【0050】
(4)クラスター解析
まず、タンパク質の質量パターンを、SARAMIS(登録商標、Spectral Archive and Microbial Identification System)を用いて解析し、全ての菌株が大腸菌であることを確認した。続いて、各菌株のマススペクトル上のピークの質量電荷比が変異のないバイオマーカータンパク質の質量電荷比と一致したものを「1」、一致しなかったものを「2」又は「3」(2と3は互いに異なる質量電荷比であることを示す)、バイオマーカータンパク質に相当するピークが存在しなかったものを「0」として
図11に示すようなプロファイルデータを作成した。このデータをPASTソフトウェア(自然史博物館, オスロ大学, ノルウェー)にインポートし、キムラアルゴリズムを用いて近接結合法によってクラスター解析を行った。更に、FigTree ver. 1.4.0ソフトウェアを用いて系統樹(
図12)を作成した。その結果、
図12から明らかなように、O157の菌株はいずれもAグループ又はBグループ、すなわち「O157グループ」に正しく分類された。更に、O26の菌株及びO111の菌株は、該菌株で検出されたm/z 15425.4のピークと他の大腸菌株で検出されたm/z 15409.4のピークとの明らかな質量電荷比の違いにより、Dグループ又はEグループに分類された(
図10)。また、タンパク質YdaQに相当するm/z 8325.6のピークの有無によっても更に詳細なグループ分けが可能である。
【0051】
(5)天然単離大腸菌の識別
以上で選出されたバイオマーカーを用いた微生物識別の効果を実証するため、牛肉、豚肉、ネギ等の食料品から単離され、選択培地によりO157であると識別された大腸菌13株についてMALDI−TOF MSによる分析を行った。その結果、これらの株はいずれもリボソームタンパク質S15とL25において典型的な質量シフトを示し、且つ酸ストレスシャペロンHdeBに相当するピークが欠失していたことから、いずれもO157グループに正しく分類された。具体的には、11株がAグループに分類され、jfrc 06とjfrc 08の2株はタンパク質YdaQに相当するピークの欠失によりBグループに分類された。この結果から、本発明に係るバイオマーカータンパク質により天然のO157株をその生成日(generated date)および生成場所に関わらず識別できることが示唆された。O157のゲノム解読株であるFRIK2000, EC4206, EC4045, EC4196, EC4076, EC4113, EC4486, EC869, EC4501, EC508, EC4024, FRIK966, EC4115, TW14588, TW14359 及び EC4042についても、バイオマーカータンパク質の計算質量パターンが「O157グループ」のものと同一であるため、同様に本発明の手法により識別可能と考えられる。このことは、リボソームタンパク質S15とL25における質量シフトが天然で産生された殆どのO157株に共通していることを示唆しており、このことから本発明に係る識別手法は天然単離株に広く適用できると考えられる。